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「ひねり飛車」の版間の差分

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*[[升田幸三]] - 晩年愛用した
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*[[加藤一二三]] - 新手を対[[羽生善治]]戦で発案し、勝利した
*[[加藤一二三]] - 新手を対[[羽生善治]]戦で発案し、勝利した
*[[森けい二|森雞二]] - 『一閃!森流ヒネリ飛車』の著者
*[[森雞二]] - 『一閃!森流ヒネリ飛車』の著者
*[[桐山清澄]] - 乱戦を得意とする現役棋士で、著書多数。
*[[桐山清澄]] - 乱戦を得意とする現役棋士で、著書多数。
*[[島本亮]]
*[[島本亮]]

2020年7月16日 (木) 23:03時点における版

将棋 > 将棋の戦法 > 居飛車 > 相掛かり > ひねり飛車
△ 持ち駒 なし
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△ 持ち駒 なし
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ひねり飛車(ひねりびしゃ、: Twisting Rook[1])は、将棋の戦法の一つ。縦歩取り(たてふどり)が別名とされていた時期もあった[2]。ヒネリ飛車とも書く。[3] 江戸時代末期に成立したとされる。加藤治郎によれば、古くは戦法名を「児玉屋組」と呼ばれていたという。[4]近年では居飛車相掛かり戦法の一種として定跡書に登場することが多い。[5]

概要

長い間戦法として認められず、田舎将棋と蔑まれていたが、升田幸三らが定跡を整理して公式戦で成果を挙げたため、一般に認知されるようになった。 加藤一二三によればこの戦法の利点は下記のとおりである。

  • 普通の振り飛車がまず受けに回るのに比べ、守りの負担がなく強力な攻めを狙える。
  • 自分だけが歩を手持ちにでき、相手が歩を手にしない。
  • 先手ひねり飛車は飛車角銀桂歩で急戦を狙うことが出来、玉の守りも短手数で連絡の良い陣形を構築できる。
  • 対する後手は△7二金を強要され玉の守りが薄くなる。
  • 先手は飛車角を捨てる強攻策も取ることが可能。[6]

観戦記者の横田稔もひねり飛車の利点をあげており、

  • 攻めの理想形とされる石田流に無条件で組める

ことも上げている。[7]

などの数々の利点から一時期は将棋必勝法ではないかと考えられ、プロ棋士の人気戦法第三位になったこともある。[要出典]

主な指し手としては、先手が居飛車で飛車道を開けた後、相掛かりの形から歩を交換し、後手の△3四歩を狙って、2六にいた浮き飛車を3六へ寄る(もちろん後手は取られないようにする)。この後この飛車を左翼へと転換する(これが「ひねり飛車」の由来)。△3四歩を狙った手が損になるような気がするが、△3四歩を守るには△3三しか手段がない(△8四飛もあるが、飛車の働きが不自由になるので指されない)。つまり、相手の左金を三段目に釣り上げて悪形にするのが▲3六飛の狙いである。後手は悪形にされて固い囲いができなくなる。あとは後手の飛車にぶつけて飛車交換を狙うか飛車を圧迫して急攻を狙う▲8六飛型、石田流の形にしてじっくりした形にする▲7五歩型に大別される。[8]

ひねり飛車対策の発展

△ 持ち駒 なし
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ひねり飛車が猛威を振るう中、後手が上記の局面を打破するための対策が立てられた。まず対策されたのは△3四歩省略である。△3四歩と突かなければ、△3三金の悪形にする必要もなく、玉が薄くならない。そのため、3六へ寄った飛車は単なる一手損になってしまう。3六に飛車を動かさなくともいいようだが、後手の飛車に8六に居座られると、飛車の素抜きがあるために飛車を左翼に振るための▲7五歩が指せなくなり、△3四歩がないにもかかわらず、飛車を3六に持っていかなければならない。これは、飛車を、△3三歩をに例えてネコ式縦歩取りと呼ばれた。金を三段目に上げないので後手の囲いも固くなる。

しかし1986年頃からの塚田スペシャルの流行を受け、1992年頃にそれを応用し打開した。[要出典]相掛かりでの戦法なので似ているといえば似ている。これによって▲3六飛に代わる▲2四歩が考え出され、後手は▲2四歩を打たれる前に8六の飛車を撤退させるのが主流となった。[要出典]先手に一手損させる利点はあるものの、それよりも▲2四歩からの仕掛けが厳しいためである。しかし△3三金が不必要となったため、囲いが固くなり、先手の勝率が低いのは確かである。[要出典]本家の塚田スペシャルは決定的な対抗策が出てしまって廃れたが、ここにそれが受け継がれている。

1999年に刊行された深浦康市がこれまでの研究をまとめた『これが最前線だ!』河出書房新社1999では、後手が「位は高く・玉は固く」をモットーにするのが最近のひねり飛車対策で、これにより先手ひねり飛車側も簡単に勝てなくなったとしている。しかしながら、それに対して米長邦雄が考案した▲3七銀・5七金型などのさらなる対策が考案されたため、依然として多く指されたようである。

それから20年後の加藤一二三『一二三の玉手箱』2019では、近年ではプロ公式戦ではほとんど出なくなっている、プロであれば基本を知っていて手将棋になるからだとしている。[9]ただし、2019年現在でも少ないながら実戦例はあり若手棋士の島本亮大橋貴洸が独自のひねり飛車を考案している(後述)。

主な指し方

先手(ひねり飛車)

丸田流
創始者は丸田祐三。後手が飛車先を交換してきたとき、8筋に歩を打たずに▲9七(丸田新手)と上がり、2歩を手持ちにして主導権を握る指し方である。かつてはひねり飛車における代表的な指し方だったが、相掛かりの新旧対抗型が指されなくなったこともあり、従来6二に上がっていた右を7二と上がるなど後手の対策が進んだため、現在では上級者の対戦ではほとんどみられない指し方になったが、初心者向け定跡書などでは現在も掲載されている。
勝浦流
創始者は勝浦修。勝浦の別名から「カミソリ流ひねり飛車」とも呼ばれた。通常の石田流では左銀を6七に上がって攻撃に使うことが多く、ひねり飛車においてもそれが当然視されていたが、銀を5七に上がり場合によっては囲いの一つとして利用しようという指し方が考案され、一時流行した。ひねり飛車の玉の薄さを補うための工夫である。特にたこ金に有効とされ、ひねり飛車持久戦型として定跡となっている。ただし攻撃力が若干落ちるため、後手にも右金を自由に使われてしまうことがわかり、ひねり飛車を衰退から回復させるまでは到らなかった。
升田式
升田幸三升田式石田流と並んで多く採用し、加藤一二三中原誠を破った独特な指し方で、玉を坊主美濃(2七歩のない片美濃囲い)に囲うのが特色。
7八銀型(耀龍ひねり飛車)
創始者は青野照市で、青野流とも呼ばれる。通常の相掛かりの序盤では角頭を守るために7八には金を上がるが、初めからひねり飛車を狙っている場合は銀を7八に上がることもある。左金を円滑に5八に持っていける点が長所である。近年では大橋貴洸が「耀龍(ようりゅう)ひねり飛車」と命名して工夫した定跡を研究している。
△ 持ち駒 なし
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△ 持ち駒 なし
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7七金型(きんとうん戦法)
創始者は島本亮。▲8六飛型の飛車交換強要策を実行するために金を上がる(飛車が金の上にある形になるので「きんとうん」)。組み方は図1のとおり金で角交換と飛車先交換を防いで、図2を経て図3のように構える。以下後手が△8六飛▲同金△7一金▲8七金に△6九飛には▲8六飛とし、以下△8三歩▲7七金△5四歩▲7六飛で次にうちこまれた飛車がめし取ることができる。

その他、塚田泰明・豊川孝弘らが創始したと思われる超急戦型(玉を囲わない)もある。

後手(対ひねり飛車)

たこ金
△3三金の悪形を何とかしようと考え出された。この「たこ」は(海にいる「」ではなく)空に浮かべる「」である。この戦法は、△3三金→△4四金→△5五金(△5四金と寄る指し方もある)と、金を「凧」のように飛び立たせ、△2二角の「ヒモ」を頼りに攻めていく戦法である。ただ、玉が薄くなるので現在では全く指されていない。考案者は升田幸三、命名者は加藤治郎とされている。
金美濃
正式名称はないが、△3三金と上がらずに玉を2二まで深く囲う形である。場合によっては右金または右銀も利用して金銀3枚の堅陣となる。現在、ひねり飛車対策として最も多く指されている。
左美濃・穴熊
やや変則的な手順によることが必要だが、左美濃穴熊に囲う場合もある。

ひねり飛車を得意とした棋士

脚注

  1. ^ Kawasaki, Tomohide (2013). HIDETCHI Japanese-English SHOGI Dictionary. Nekomado. p. 84. ISBN 9784905225089 
  2. ^ 末席幹事 (2018年12月7日). “ひねり飛車の歴史”. 将棋ペンクラブログ. 2019年9月14日閲覧。
  3. ^ 羽生善治『羽生の頭脳』第8巻「最新のヒネリ飛車」など。
  4. ^ 加藤治郎『復刻版 将棋の公式』東京書店、2001。原著は1967年刊行
  5. ^ 例を挙げれば近年の定跡書のスタンダード、羽生善治の『羽生の頭脳』第8巻「最新のヒネリ飛車」では、相掛かり腰掛銀や3七銀戦法と同じ巻で相掛かり戦法の一つとしてひねり飛車を扱っている。
  6. ^ 加藤一二三『一二三の玉手箱』第二章「加藤一二三のエッセイ 」攻めと守りP142。光文社知恵の森文庫、2019
  7. ^ 塚田泰明監修、横田稔著『超急戦!殺しのテクニック』第一章相居飛車編P58。高橋書店、1988
  8. ^ 加藤一二三『一二三の玉手箱』第二章「加藤一二三のエッセイ 」攻めと守りP143。光文社知恵の森文庫、2019。加藤によれば古くは飛車交換が主流だったが、相手が応じなくなり▲7五歩石田流型が増えたという。深浦康市『これが最前線だ!』河出書房新社1999では、▲8六飛型もよくあるが▲7五歩はより無難な指し方だとしている。
  9. ^ 加藤一二三『一二三の玉手箱』第二章「加藤一二三のエッセイ 」攻めと守りP143。光文社知恵の森文庫、2019。

関連項目