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* [https://ameblo.jp/aizawa-hideyoshi/ サンミュージック会長相澤秀禎のオフィシャルブログ]{{リンク切れ|date=2016年1月}} |
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2020年7月11日 (土) 21:56時点における版
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本社が入居している四谷アネックスビル | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | サンミュージック |
本社所在地 |
日本 〒160-8501 東京都新宿区左門町4番地 四谷アネックス |
設立 | 1971年9月(1968年創業) |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 7011101008123 |
事業内容 | 各種芸能タレントの養成・紹介・斡旋等 |
代表者 | 相澤正久 |
資本金 | 3000万円 |
関係する人物 | 相澤秀禎(創業者、相談役、元会長) |
外部リンク | http://www.sunmusic.org/ |
株式会社サンミュージックプロダクションは、サンミュージックグループの中核となる芸能事務所の会社。1968年創業。
概要
相澤秀禎(横須賀キャンプを中心に活動したバンドマンで、西郷輝彦をスカウトし[1]、自らマネージメントを行った)が、「出来上がったスターを手がけるよりも、新人を育てたい」との思いから、1968年に設立した[2]。
相澤が、自らスカウトした森田健作(現千葉県知事)を第1号タレントとして、スタッフ2人と共に事業を始める。社名は、森田のイメージであった「太陽」(サン)と、音楽プロダクションとしての「音楽」(ミュージック)の英語に由来する[3]。
桜田淳子、松田聖子、岡田有希子、早見優などの人気歌手・タレントを輩出し、1980年代頃には大手芸能プロダクションに成長した。一方、1986年には岡田が突如、当時事務所のあった四谷の7階建てビル屋上から飛び降り自殺し、後追いで自殺する若者が多数出るなど世間に大きな影響を与えた。現在も岡田の命日にはファンによる献花と黙祷が行われている。
2004年、相澤は社長職を長男の相澤正久に譲り、会長に就任した[2]。2007年に創業40周年パーティーが創業者の相澤会長の喜寿および芸能生活40周年記念も兼ねた上で盛大に催された。
かつては、姓名判断やドラマの役名等から、「○田○子」(桜田淳子は本名)と言う芸名をつける事が多かったが、1986年に芸能界入りした酒井法子以後は、本名のままでデビューするケースも多い。
「ミュージック」という社名だが、芸人タレントも数多く所属しており、こちらはサンミュージック企画という別会社でマネジメントを行っている。2000年以降のお笑いブームでは、ダンディ坂野、ヒロシ、小島よしお、スギちゃんといったピン芸人を数多く輩出。しかし、これらのタレントは俗に言う一発屋として終わることが非常に多いことから、小島自らも『一発屋生産工場』と事務所を揶揄したことがある。一方、キングオブコントではかもめんたる、THE MANZAIでは三拍子やエルシャラカーニ、M-1グランプリではメイプル超合金 やぺこぱなど、賞レースで決勝進出してる芸人も多くいる。
2009年7月に事務所が四谷四丁目の四谷大木戸ビルから左門町の四谷アネックスに移転。大木戸ビルは新宿アルタ前から四ツ谷駅の中間地点にあり、報道も多くされたことから(後述)、他の事務所から比較すると知名度が高かった。現在地の最寄り駅は四谷三丁目駅である。
相澤秀禎社長時代のサンミュージック
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- タレントとして学んでゆくためには、人づくりの土台となる家族関係が大事であるとの考えから、新人タレントを相澤の自宅に下宿させ、食事を共にした。学生のタレントには、相澤の妻が弁当を持たせた[3]。
- 従来、社員の給与は年功序列的なものであったが、1997年から、担当しているタレントの売り上げなどをもとに役員会が査定した能力給である「ポイント制」を導入し、従業員のやる気を引き出す体制を導入した[3]。
沿革
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- 1970年代 - 森田健作・桜田淳子・都はるみなどを輩出(都は移籍、のち復帰)
- 1980年代 - 1980年に松田聖子のデビュー。その後、早見優・岡田有希子・酒井法子・田村英里子などの人気女性アイドルが輩出される。この頃から「サンミュージック=女性アイドル事務所」と評され、黄金時代を迎える。しかし、1986年4月8日に岡田有希子が当時事務所のあった四谷の大木戸ビル屋上から投身自殺をし、サンミュージックの評価が一時的に降下する。1980年代末頃には、かつての主力格である松田聖子や早見優が事務所から離脱。
- 1990年代 - トレンディドラマ黄金時代となり、脚本家野島伸司の作品の多くは、この事務所所属のタレントたちが主演していた。
- 1993年 - 12月にお笑い部門に進出することを発表。吉本興業の関東進出に対抗するためということで、相澤秀禎は「浅草の笑いよ再び」というつもりでお笑いに進出したと話している[4]。この月に「東京☆お笑い通りスペシャル決戦大会」が行われ、約400組の応募の中から最優秀賞に選ばれた高校3年生女子のコンビ「ドクロキッズ」がお笑い部門所属タレント第1号となった[4]。
- 2000年代 - それまで女性アイドル色が強かった事務所は2003年頃からお笑いタレントも多数所属するようになり、ダンディ坂野・カンニング・小島よしおなどを輩出する。
- 2004年12月 - 創業者の相澤秀禎が会長となり、息子の相澤正久が社長に就任。
- 2009年7月 - 創業の地である四谷から左門町に移転。
- 2009年8月 - 酒井法子が薬物事件(覚せい剤取締法違反で起訴)を起こしたため、同月28日付で契約を解除。所属タレントの解雇は創業以来初の出来事である。この責任を取り、9月1日付で、相澤秀禎が相談役に退き、相澤正久が副社長に降格した。その間社長は不在であった[5][6]。
- 2009年10月1日 - 再発防止のため、所属するタレントの薬物検査の実施。事務所内の全面禁煙を導入(喫煙エリアの廃止)。
- 2010年10月1日 - 麻薬事件から約1年が経ったため、相澤秀禎は会長、相澤正久は社長に復帰[7]。
- 2013年 - 中嶋美智代以来21年ぶりとなる女性アイドルのグループ「さんみゅ〜」がデビュー。5月23日、創始者である相澤秀禎が死去。
- 2017年4月1日 - 「さんみゅ〜」以外では初のアイドルグループ所属のAKB48小嶋真子がAKSから同社に移籍[8]。
- 2017年4月17日 - 元Rev. from DVLの高橋菜々美がアクティブハカタから移籍[9]。アイドルグループ所属で2人目。
所属タレント
男性タレント
女性タレント
文化人
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歌手
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お笑い芸人
(やっぴー、山下大車輪)
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過去の所属タレント
関連会社
関連番組
- なでしこサンミュージック (2011年8月12日開始 月1金曜、ニコジョッキー)サンミュージック所属の女性タレント(マリア・ぷち観音・プリマリエ・ロリィタ族。・モラリスト・荒木巴・きーぽん)で送る番組。
脚注
- ^ 西郷輝彦7年ぶり新曲 相沢会長とタッグ 日刊スポーツ 2011年4月28日閲覧
- ^ a b サンミュージック社長が振り返る60年…相沢秀禎著「人生に拍手を!」(講談社)(『スポーツ報知』 2007年12月4日18時34分閲覧)
- ^ a b c 相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091
- ^ a b スポーツニッポン 1993年12月22日 21面内記事
- ^ この事件により株主からの抗議殺到は後を絶たない時期でもあった。
- ^ 【酒井法子覚醒剤】「サンミュージック」引責人事、相澤社長降格 MSN産経ニュース・2009年9月2日
- ^ のりピー元所属事務所の会長&社長が復帰スポーツ報知 2010年10月16日
- ^ “AKB小嶋真子、総選挙「10位以内に入りたい」”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2017年4月6日) 2017年4月6日閲覧。
- ^ 本人ツイッター、2017年4月17日