「ダイエー赤羽店」の版間の差分
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{{要出典範囲|date=2015年6月|そのころ、赤羽の「スズラン通り商店街」(現:LaLaガーデン)ではダイエーを誘致しようという考えがあった。これは戦後に誕生した当商店街の他に戦前に開業した2つの商店街があり、時代の先取りを行なって商店街の活気を良くさせるのが狙いであったとされる。また、生鮮三品を取り扱う店が無かったことから当商店街内で摩擦が起こらなかった}}。 |
{{要出典範囲|date=2015年6月|そのころ、赤羽の「スズラン通り商店街」(現:LaLaガーデン)ではダイエーを誘致しようという考えがあった。これは戦後に誕生した当商店街の他に戦前に開業した2つの商店街があり、時代の先取りを行なって商店街の活気を良くさせるのが狙いであったとされる。また、生鮮三品を取り扱う店が無かったことから当商店街内で摩擦が起こらなかった}}。 |
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{{要出典範囲|date=2015年6月|ダイエー側は、北の拠点と共に多数出店する際の土地を探し回るも、ライバルの[[イトーヨーカ堂]]や[[忠実屋]]、[[マルエツ|サンコー]]といった関東地方を主力としているスーパーが多数存在している場所であったこと、良い土地が見つかっても、社長であった[[中内 |
{{要出典範囲|date=2015年6月|ダイエー側は、北の拠点と共に多数出店する際の土地を探し回るも、ライバルの[[イトーヨーカ堂]]や[[忠実屋]]、[[マルエツ|サンコー]]といった関東地方を主力としているスーパーが多数存在している場所であったこと、良い土地が見つかっても、社長であった[[中内㓛]]に「高い」と一蹴される等のことから50の出店候補地も実現したのは10箇所だという。そんな中、商店街側がダイエーに出店を要請してきて、尚且つ土地代が安いことから出店を決定した}}。 |
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近隣には、ダイエー開業前から、西友ストアー赤羽店(現:西友赤羽店)が存在した<ref name="otomo-doshisha-2007-10" />。{{要出典範囲|date=2015年6月|地上7階建ての店舗で西友ストアー内では10位以内に入るトップクラスの店舗であった}}。当時、西日本ではダイエーが、東日本では西友ストアー(以下:西友と表記)がスーパー業界でトップであった。浦和で初めて対立した両社は赤羽で再び東と西の長が激しく衝突することとなった<ref>日本経済新聞 1969年1月20日 夕刊6面 ダイエー・西友いよいよ激突より</ref>。 |
近隣には、ダイエー開業前から、西友ストアー赤羽店(現:西友赤羽店)が存在した<ref name="otomo-doshisha-2007-10" />。{{要出典範囲|date=2015年6月|地上7階建ての店舗で西友ストアー内では10位以内に入るトップクラスの店舗であった}}。当時、西日本ではダイエーが、東日本では西友ストアー(以下:西友と表記)がスーパー業界でトップであった。浦和で初めて対立した両社は赤羽で再び東と西の長が激しく衝突することとなった<ref>日本経済新聞 1969年1月20日 夕刊6面 ダイエー・西友いよいよ激突より</ref>。 |
2020年7月11日 (土) 10:17時点における版
ダイエー赤羽店 daiei Akabnane | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒192-0081 東京都北区赤羽二丁目5番7号 |
座標 | 北緯35度46分44秒 東経139度43分30.7秒 / 北緯35.77889度 東経139.725194度座標: 北緯35度46分44秒 東経139度43分30.7秒 / 北緯35.77889度 東経139.725194度 |
開業日 |
1969年(昭和44年)12月5日(赤羽ショッパーズプラザ)[1] 2012年(平成24年)3月1日(2代ダイエー赤羽店)[2][3] |
閉業日 | 2010年(平22年)7月11日(初代赤羽店)[4] |
正式名称 |
ダイエー赤羽店 プラウドシティ赤羽 |
施設所有者 | 株式会社ダイエー |
施設管理者 | 株式会社ダイエー |
設計者 | 大本組東京支本社一級建築士事務所 |
施工者 | 大本組東京支店 |
敷地面積 | 4,390 m² |
延床面積 | 10,309(本館) m² |
商業施設面積 |
7,375m2 *うちダイエー:6,426(両館込み) m² |
中核店舗 | ダイエー赤羽店 |
店舗数 | daieiと6の専門店 |
営業時間 |
9:00 - 23:00(本館1F) 9:00 - 22:00(本館2F) 9:00 - 21:00(本館3F) ※専門店は営業時間が異なる |
駐車台数 | 69台 |
前身 |
製麻倉庫 ↓ 日本染色工場 ↓ ダイエー赤羽店(初代/赤羽ショッパーズプラザ) |
商圏人口 | 約12万人(5万8000世帯) |
最寄駅 |
赤羽駅 赤羽岩淵駅 |
外部リンク | 公式サイト |
daiei |
ダイエー赤羽店(ダイエーあかばねてん)は東京都北区赤羽二丁目にある大型商業施設(ショッピングセンター)である。店番号は0754。
歴史・概要
初代店舗
1969年(昭和44年)12月5日に赤羽ショッパーズプラザを開業したのが始まりである[1][注釈 1]。 (赤羽駅東口に存在した、製麻倉庫跡地と日本染色工場の跡地に開設された[要出典]。)
東京の郊外に半円形に出店する東京レインボー作戦の第2号店として出店したもので、西友の当時の主力店舗(旧:西友ストアー赤羽店)が近隣にあったことから、「赤羽戦争」と呼ばれる価格競争が勃発し、話題となった[7]。
スズラン通り商店街の一角にあり[1]、開業時からダイエーの他に専門店街も併設した2棟構成の大型店で[1]、店舗面積1万m2以上の大規模総合スーパーとしては23区内で1号店だった[8]。
一時期、経営不振に陥り売上が低迷したため、80年代に開業した大宮店や所沢店を参考に、1983年(昭和58年)12月に専門店色を強めると共にサービス機能を備えた当時のダイエーにとっては新しいGMS(総合スーパー)として全面改装し、新装開業した[9][10]。
初代店舗の閉店から2代目へ
2010年(平成22年)7月11日に初代店舗を閉店し[4]、建て替えを行って2012年(平成24年)3月1日に新店舗(2代目)を開業した[2][3][注釈 2]。
この2代目店舗の開業時点では、店舗面積約6,700m2の本館とマンションの1階に入居する店舗面積約700m2の別館の2棟構成で[3]、食品と衣料品に加えて生活用品も扱う「SSM+MD」と称する業態のモデル店舗であった[2]。
新店舗では開業時から近隣住民の高齢化に対応して商品棚の高さを低めにしたり、エスカレーターの速度を通常の約70%に落とすなど施設面でも配慮を行うと共に、少量化した食品や介護用品など高齢者向けの品揃えも強化している[3]。 また、惣菜も高齢者向けに和風総菜に注力すると共に、減塩の煮物といった健康に配慮した惣菜も強化している[11]。
なお、2代目店舗の開業時点では、別館は調剤薬局や介護用品売り場の他に自転車売り場などで構成されていた[3]。
2015年6月20日に本館を全面改装し「フードスタイルストア」の関東第1号店としてリニューアルオープンした[12]。1階はこれまでの「食料品・花のフロア」をベースに、ダイエーでは初となる売場内イートインスペース「café de D(カフェ ド ディー)」を新設。2階と3階は大幅改装され、2階はグループ会社のイオンファンタジーが運営する新業態で、カフェと室内遊具で構成されたカフェ型イベントスペース「cafe moriccha(カフェもりっちゃ)」、植物由来の食品や化粧品を集めた「ボタニカルショップ」、テーブルウェアやキッチンツールなどを集めた「ダイニング&キッチンショップ」をはじめ、リカーショップ、日用消耗品、ヘルス&ビューティケア、調剤薬局(別館1階から移転)で構成された「フードスタイルフロア」に、3階は住宅用品を扱う売場と専門店で構成される「暮らしの品・専門店フロア」に2階から「衣料品・ファッション雑貨のフロア」が移転・統合し、シーンごとの売り場構成とした「ライフスタイル・専門店フロア」にそれぞれ刷新した。
また、大幅改装オープン直前の同年6月15日に、別館1階も順次改装することが発表され、7月上旬にクリーニング店が新たに入居、自転車売り場は7月下旬に「イオンバイク」へリニューアルした[12]。
2017年6月30日より本館3階にヤマダ電機が都市型小型店として「テックランドダイエー赤羽店」を出店[13]。これにより、同館3階は全て専門店の構成となり、衣料品・住宅用品の売り場はほぼ廃止された。
西のダイエーと東の西友 赤羽戦争
首都圏へ本格的に乗り出すために発足した「首都圏レインボー作戦」の第1弾として原町田店(原町田ショッパーズプラザ)が1969年(昭和44年)に開業した[6][7]。
そのころ、赤羽の「スズラン通り商店街」(現:LaLaガーデン)ではダイエーを誘致しようという考えがあった。これは戦後に誕生した当商店街の他に戦前に開業した2つの商店街があり、時代の先取りを行なって商店街の活気を良くさせるのが狙いであったとされる。また、生鮮三品を取り扱う店が無かったことから当商店街内で摩擦が起こらなかった[要出典]。
ダイエー側は、北の拠点と共に多数出店する際の土地を探し回るも、ライバルのイトーヨーカ堂や忠実屋、サンコーといった関東地方を主力としているスーパーが多数存在している場所であったこと、良い土地が見つかっても、社長であった中内㓛に「高い」と一蹴される等のことから50の出店候補地も実現したのは10箇所だという。そんな中、商店街側がダイエーに出店を要請してきて、尚且つ土地代が安いことから出店を決定した[要出典]。
近隣には、ダイエー開業前から、西友ストアー赤羽店(現:西友赤羽店)が存在した[7]。地上7階建ての店舗で西友ストアー内では10位以内に入るトップクラスの店舗であった[要出典]。当時、西日本ではダイエーが、東日本では西友ストアー(以下:西友と表記)がスーパー業界でトップであった。浦和で初めて対立した両社は赤羽で再び東と西の長が激しく衝突することとなった[14]。
ダイエーは、開業寸前の新聞に大4ページに渡るチラシを掲載。「一品たりとも西友ストアーより高い商品はありません」と書かれており、砂糖66円・マーガリン55円と爆発的な値段であった[15]。
一方の西友も黙ってはいなかった。ダイエー開業2日前から3日間、ダイエーの内容より安い砂糖57円・マーガリン49円で販売。ダイエーに対抗した[要出典]。
そして開業日、ダイエーは西友の値段に反応し、すぐに砂糖55円・マーガリン47円にして西友を牽制。ここから熾烈な値下げ競争が始まり、最終的には1丁1円の豆腐が登場したとされる[要出典]。
その後、西友は値下げ戦争から脱却し、その後、高級路線に進むこととなり、ダイエーに事実上の軍配が上がった[要出典]。
この価格競争は「赤羽戦争」と有名である[7]。 後に登場する出店に関する「所沢戦争」、イトーヨーカ堂との初衝突となった「藤沢戦争」、イトーヨーカ堂との土地・価格競争を巡る「琴似戦争」、スーパー1位・2位の攻防の「津田沼戦争」等が登場する遠因ともなった[要出典]。
年表
- 1969年(昭和44年)12月5日 - 赤羽ショッパーズプラザ開店[1]。(店番号:0131)[要出典][いつ?]
- 1983年(昭和58年)12月 - 全面改装を行い、新装開業[10]。
- 1998年(平成10年)6月27日 - 新装開業[16]。
- 2009年(平成21年)7月5日 - 建物の老朽化によりファッション館閉店[要出典]。
- 2010年(平成22年)7月11日 - (初代)赤羽店閉店[4]。
- 2012年(平成24年)3月1日 - 跡地に赤羽店(2代目)開業[2][3]。(店番号:0754)[要出典]
- 2015年(平成27年)6月20日 - 「フードスタイルストア」の関東第1号店として本館を全面リニューアルオープン[12]。
フロア構成
ダイエー赤羽店(2代)
階 | 本館 | ドラッグ&サイクル館 | |
---|---|---|---|
5F-24F | - | - | マンション |
3F | 専門店フロア[注釈 3] | - | マンション |
2F | フードスタイルフロア[注釈 4] | - | マンション |
1F | 生鮮食品・お惣菜フロア[注釈 5] | (公道) | 自転車・クリーニング(※)[注釈 6] |
ダイエー赤羽店(初代)
階 | フーズ&リビング館 | ファッション館 | |
---|---|---|---|
4F | 駐車場 | - | 駐車場 |
3F | 家電のフロア[要出典][いつ?] | 連絡通路 | 専門店のフロア[要出典][いつ?] |
2F | 雑貨のフロア[要出典][いつ?] | - | ファッション・専門店のフロア[要出典][いつ?] |
1F | 食品のフロア[要出典][いつ?] | (公道) | ファッションのフロア[要出典][いつ?] |
- ファッション館閉館後、ファッション関連商品は、フーズ&リビング館2Fでの取り扱い[要出典]。
かつて存在した主なテナント
アクセス
脚注
注釈
- ^ 1956年(昭和31年)6月に施行された(第2次)百貨店法で大型店の出店が規制されていたが、同法は協同組合などによる共同店舗である寄合百貨店を考慮して建物全体の売場面積で規制せず、企業毎の売場面積で規制していた[5]。そのため、ダイエーは売り場毎に別会社方式で出店する「疑似百貨店」の形態で出店し、規制を逃れていた[6][7]。
- ^ 店番号は、初代で使用していた物を継承せず、0131から0754となった[要出典]。ファッション館は2009年(平成21年)7月5日に閉店し、跡地の4,708m2は野村不動産が買い取り、地下1階・地上24階建てのタワーマンション「プラウドシティ赤羽」を建設した[要出典]。)
- ^ 2代目店舗開業当初は「暮らしの品・専門店フロア」、フードスタイルストアへのリニューアル当初は「ライフスタイル・専門店フロア」
- ^ 2代目店舗開業当初は「衣料品・ファッション雑貨のフロア」。また、別館の「ドラッグ&サイクル館」から調剤薬局が移転
- ^ 2代目店舗開業当初は「食料品・花のフロア」
- ^ 2代目店舗開業当初は「調剤薬局・自転車のフロア」
出典
- ^ a b c d e 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。
- ^ a b c d “ダイエー、シニア対応を強化 赤羽店を「SSM+MD」モデル店に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年3月7日)
- ^ a b c d e f 小泉裕之 (2012年4月4日). “売る技術光る戦略 ダイエー赤羽店、シニア対応―少量食品や介護用品充実”. 日経MJ(日本経済新聞社)
- ^ a b c 『イオン株式会社 2011年2月期 決算補足資料(86期)』イオン(株) (2011年4月6日)
- ^ 日経流通新聞編 『流通現代史 日本型経済風土と企業家精神』 日本経済新聞社、1993年4月16日。ISBN 978-4532141790
- ^ a b 堀田真康 『ダイエー 燃える流通革命軍団』 朝日ソノラマ、1981年7月。ISBN 978-4257060871
- ^ a b c d e 大友達也 (2007年10月). “《研究展望》あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?”. 社会科学 79号 (同志社大学 人文科学研究所)
- ^ “池田利道・小口達也 “街歩きがもっと面白くなる!東京23区の商店街―データでわかるパワーと魅力 第13回 北区の商店街 専門店の大敵“少子高齢化”が最も進んでいるのに、販売効率が突出して高い不思議”. ダイヤモンド・オンライン”. ダイヤモンド社. 2015年6月14日閲覧。
- ^ 日経流通新聞 1983年9月26日 ダイエー、既存店活性化動き出す 赤羽店など衣替え ニューGMS・安売り店へより
- ^ a b 日経流通新聞 1983年12月15日 ダイエー赤羽店、サービスを全面に 店内店舗や対面販売もより
- ^ “惣菜特集:SM惣菜動向=ダイエー シニア対応深める”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年4月4日)
- ^ a b c ダイエー新業態『フードスタイルストア』1号店 『ダイエー赤羽店』について - 株式会社ダイエー 2015年6月15日(2015年6月20日閲覧)
- ^ ヤマダが都市小型店「テックランドダイエー赤羽店」をオープンエキサイトニュース(2017年7月4日)2017年8月4日閲覧。
- ^ 日本経済新聞 1969年1月20日 夕刊6面 ダイエー・西友いよいよ激突より
- ^ 大下英治 中内功のダイエー王国 P162より
- ^ http://www7.daiei.co.jp/new/release/19980623-17.html 家電専門大店「電器館パレックス」が関東初出店 ダイエー赤羽店の改装オープンについて
- ^ (社)日本火災報知器工業会 住宅防火特別委員会 住宅用火災報知器販売店リスト、83頁(東京都 9/33)、2011年。「ベスト電器赤羽店」として掲載されている。
関連項目
- イオン赤羽北本通り店 - 元Dマート赤羽店→ダイエー赤羽北本通り店。赤羽店に相当近い所に位置している。ダイエーに名称変更の際、赤羽店と被るため名称を変えた。入居するビルの建て替えに伴い、2020年5月31日をもって閉店した。