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「夜摩天」の版間の差分

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== 概説 ==
== 概説 ==
この天には、須夜摩天(しゅやまてん)、焔天(えんてん)などと多くの別名がある。なお、一説に、Suyaama(須夜摩)は夜摩天にいる天子と解する向きもある。もともと夜摩天は、[[インド]]の民族神で[[ヴェーダ]]聖典にも登場する。『[[観無量寿経]]』に「如夜摩天宮、有五百億微妙宝珠、以為映飾」と、六欲天の中からヤーマ天だけが取り上げられたのは、古来の神々の上に叙事詩のヤーマ神が現れたと考えられている。また、ヤーマ天は、仏教に取り入れられた後に二途に分かれ、一方では、上界の光明世界に位置する六欲天として、またもう一方では下界の死者の裁判官として鬼神の趣や地獄の主である[[閻魔|閻魔王]]となったと考えられている。また、この天は、光明を放ち昼夜を分けず、その時分を知って五欲の楽を受ける、つまり時に随って快楽を受くるより、善時天(ぜんじてん)あるいは時分天(じぶんてん)と名づけられる。また[[帝釈天]]が[[とう利天|三十三天]]を引率して[[阿修羅]]と争った時に、この天だけはそれに加わらなかったため、離諍天(りじょうてん)と名づけられている。
この天には、須夜摩天(しゅやまてん)、焔天(えんてん)などと多くの別名がある。なお、一説に、Suyaama(須夜摩)は夜摩天にいる天子と解する向きもある。もともと夜摩天は、[[インド]]の民族神で[[ヴェーダ]]聖典にも登場する。『[[観無量寿経]]』に「如夜摩天宮、有五百億微妙宝珠、以為映飾」と、六欲天の中からヤーマ天だけが取り上げられたのは、古来の神々の上に叙事詩のヤーマ神が現れたと考えられている。また、ヤーマ天は、仏教に取り入れられた後に二途に分かれ、一方では、上界の光明世界に位置する六欲天として、またもう一方では下界の死者の裁判官として鬼神の趣や地獄の主である[[閻魔|閻魔王]]となったと考えられている。また、この天は、光明を放ち昼夜を分けず、その時分を知って五欲の楽を受ける、つまり時に随って快楽を受くるより、善時天(ぜんじてん)あるいは時分天(じぶんてん)と名づけられる。また[[帝釈天]]が[[利天|三十三天]]を引率して[[阿修羅]]と争った時に、この天だけはそれに加わらなかったため、離諍天(りじょうてん)と名づけられている。


地上16万[[由旬]]の、須弥山頂の忉利天から8万由旬隔てた上空の中にあり、縦横も8万由旬で、勢力・乗処・林光明など32の地があり、5千由旬の高さがあり、その天主を牟修楼陀(むしゅるだ)という。彼の宮殿は勢力地にあり、四大山など種々の山脈や河川、蓮池、園林などがある。
地上16万[[由旬]]の、須弥山頂の忉利天から8万由旬隔てた上空の中にあり、縦横も8万由旬で、勢力・乗処・林光明など32の地があり、5千由旬の高さがあり、その天主を牟修楼陀(むしゅるだ)という。彼の宮殿は勢力地にあり、四大山など種々の山脈や河川、蓮池、園林などがある。

2020年7月5日 (日) 05:15時点における版

夜摩天(やまてん、Skt:Yaamaah、もしくはSuyaama-d、ヤーマ、訳:時分、善分)は、欲界における六欲天の第3のに住む天部である。

概説

この天には、須夜摩天(しゅやまてん)、焔天(えんてん)などと多くの別名がある。なお、一説に、Suyaama(須夜摩)は夜摩天にいる天子と解する向きもある。もともと夜摩天は、インドの民族神でヴェーダ聖典にも登場する。『観無量寿経』に「如夜摩天宮、有五百億微妙宝珠、以為映飾」と、六欲天の中からヤーマ天だけが取り上げられたのは、古来の神々の上に叙事詩のヤーマ神が現れたと考えられている。また、ヤーマ天は、仏教に取り入れられた後に二途に分かれ、一方では、上界の光明世界に位置する六欲天として、またもう一方では下界の死者の裁判官として鬼神の趣や地獄の主である閻魔王となったと考えられている。また、この天は、光明を放ち昼夜を分けず、その時分を知って五欲の楽を受ける、つまり時に随って快楽を受くるより、善時天(ぜんじてん)あるいは時分天(じぶんてん)と名づけられる。また帝釈天三十三天を引率して阿修羅と争った時に、この天だけはそれに加わらなかったため、離諍天(りじょうてん)と名づけられている。

地上16万由旬の、須弥山頂の忉利天から8万由旬隔てた上空の中にあり、縦横も8万由旬で、勢力・乗処・林光明など32の地があり、5千由旬の高さがあり、その天主を牟修楼陀(むしゅるだ)という。彼の宮殿は勢力地にあり、四大山など種々の山脈や河川、蓮池、園林などがある。

この天の衆生は身長が2由旬、天衣の長さが4由旬、重さ1銖(シュ、代の単位で0.67グラム)であるという。子供を得る時は、その念に従い膝の上から化生し、生れた時は人間の7歳の童子の如くで色円満にして、浄博食を常に食して、色円満にして衣服は自ら備わり、その長さは4由旬、広さは2由旬だが非常に軽い。その寿命は2000歳で、その1昼夜は人間界の200年にあたるという。これを換算すれば、2000×200×360=1億4400万歳となる。

関連項目