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「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の版間の差分

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=== ファッション ===
=== ファッション ===
ビートルズはアメリカの初期[[ロックンロール]]のバンドに比べて、ファッションやイメージの点で非常に異なっていた。ビートルズは特徴的なおそろいのスタイルを有しており、音楽的に初期ロックンロールの慣習を破るのみならず、ファッションの点でも「伝統的なアメリカ男性の衣服のスタイルを刺激する」ようになった<ref name="ReferenceA" />。[[マリー・クント]]のような[[スウィンギング・ロンドン]]のデザイナーが作り、[[ツイッギー]]や[[ジーン・シュリンプトン]]のような先駆的[[スーパーモデル]]たちが着用した[[ミニスカート]]をはじめとする[[モッズ]]風のファッションが世界的に人気を博すようになった<ref>Fowler, David (2008) ''Youth Culture in Modern Britain, c.1920-c.1970: From Ivory Tower to Global Movement - A New History'' p. 134. Palgrave Macmillan, 2008</ref><ref>{{cite web|url=http://www.highbeam.com/doc/1G1-116426956.html|title=Small is still beautiful|accessdate=2018-11-20|author=Burgess, Anya|date=May 10, 2004|work=Daily Post|publisher=}}</ref><ref name="paid">{{cite journal|date=February 8, 1967|title=The Girl Behind The World's Most Beautiful Face|url=https://news.google.com/newspapers?id=6wssAAAAIBAJ&sjid=3cYEAAAAIBAJ&pg=3967,1120155&dq|work=Family Weekly}}</ref><ref>{{cite journal|author=Cloud, Barbara|date=June 11, 1967|title=Most Photographed Model Reticent About Her Role|url=https://news.google.com/newspapers?id=REsqAAAAIBAJ&sjid=pE8EAAAAIBAJ&pg=7034,4428159&dq|work=The Pittsburg Press}}</ref><ref>{{cite journal|date=May 30, 1977|title=Jean Shrimpton, the Famed Face of the '60s, Sits Before Her Svengali's Camera One More Time|url=http://www.people.com/people/archive/article/0,,20067955,00.html|volume=07|number=21}}</ref>。こうしたイングランド女性のファッションはアメリカでも注目された<ref name="seebohm19710719">{{cite news|title=English Girls in New York: They Don't Go Home Again|date=1971-07-19|author=Seebohm, Caroline|url=https://books.google.com/books?id=A-MCAAAAMBAJ&lpg=PA34&pg=PA34#v=onepage&q&f=true|accessdate=6 January 2015|pages=34|work=New York}}</ref>。
ビートルズはアメリカの初期[[ロックンロール]]のバンドに比べて、ファッションやイメージの点で非常に異なっていた。ビートルズは特徴的なおそろいのスタイルを有しており、音楽的に初期ロックンロールの慣習を破るのみならず、ファッションの点でも「伝統的なアメリカ男性の衣服のスタイルを刺激する」ようになった<ref name="ReferenceA" />。[[マリー・クント]]のような[[スウィンギング・ロンドン]]のデザイナーが作り、[[ツイッギー]]や[[ジーン・シュリンプトン]]のような先駆的[[スーパーモデル]]たちが着用した[[ミニスカート]]をはじめとする[[モッズ]]風のファッションが世界的に人気を博すようになった<ref>Fowler, David (2008) ''Youth Culture in Modern Britain, c.1920-c.1970: From Ivory Tower to Global Movement - A New History'' p. 134. Palgrave Macmillan, 2008</ref><ref>{{cite web|url=http://www.highbeam.com/doc/1G1-116426956.html|title=Small is still beautiful|accessdate=2018-11-20|author=Burgess, Anya|date=May 10, 2004|work=Daily Post|publisher=}}</ref><ref name="paid">{{cite journal|date=February 8, 1967|title=The Girl Behind The World's Most Beautiful Face|url=https://news.google.com/newspapers?id=6wssAAAAIBAJ&sjid=3cYEAAAAIBAJ&pg=3967,1120155&dq|work=Family Weekly}}</ref><ref>{{cite journal|author=Cloud, Barbara|date=June 11, 1967|title=Most Photographed Model Reticent About Her Role|url=https://news.google.com/newspapers?id=REsqAAAAIBAJ&sjid=pE8EAAAAIBAJ&pg=7034,4428159&dq|work=The Pittsburg Press}}</ref><ref>{{cite journal|date=May 30, 1977|title=Jean Shrimpton, the Famed Face of the '60s, Sits Before Her Svengali's Camera One More Time|url=http://www.people.com/people/archive/article/0,,20067955,00.html|volume=07|number=21}}</ref>。こうしたイングランド女性のファッションはアメリカでも注目された<ref name="seebohm19710719">{{cite news|title=English Girls in New York: They Don't Go Home Again|date=1971-07-19|author=Seebohm, Caroline|url=https://books.google.com/books?id=A-MCAAAAMBAJ&lpg=PA34&pg=PA34#v=onepage&q&f=true|accessdate=6 January 2015|pages=34|work=New York}}</ref>。


ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの中には、すっきりしたスタイルからもっと[[ヒッピー]]風なファッションへと変化したバンドもおり、アメリカのファッションに影響を及ぼした<ref name=":0" />。
ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの中には、すっきりしたスタイルからもっと[[ヒッピー]]風なファッションへと変化したバンドもおり、アメリカのファッションに影響を及ぼした<ref name=":0" />。

2020年7月3日 (金) 06:12時点における版

ビートルズのアメリカ到着の様子

ブリティッシュ・インヴェイジョンBritish Invasion、イギリスの侵略)とは、1960年代半ばにイギリスロックポップ・ミュージックをはじめとする英国文化がアメリカ合衆国を席巻し、大西洋の両岸で「カウンターカルチャー」が勃興した現象を指す言葉である[1][2]。 ブリティッシュ・インヴェイジョンを象徴するバンドとしては、ビートルズデイヴ・クラーク・ファイヴキンクスローリング・ストーンズハーマンズ・ハーミッツアニマルズなどがあげられる[3][4][5]

背景

1950年代末に、アメリカ合衆国ロックンロールブルースミュージシャンの反逆的なイメージがイギリスの若者の間で人気を博した。アメリカのロックンロールを模倣しようとする試みは、最初はほとんど商業的にうまくいかなかったものの、トラッドジャズに触発され、DIY精神に満ちたスキッフルが大流行した[6]

イギリスのさまざまな地域で、若者たちが作ったグループがイギリスやアメリカの雑多なスタイルを組み合わせて音楽を作るようになり、1962年に始まるマージービートや「ビートブーム」として知られるリヴァプールでの動きはその一例であった[7][8][9][10]

アメリカ合衆国のティーンエイジャーはフェイビアンのようなシングル志向のポップに飽きていたという指摘する論者もいる[11]モッズロッカーズという二種類の若者の「ギャング」が1960年代半ばのイギリスで誕生し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの音楽に影響をあたえた。モッズ的美意識を有するバンドは非常に人気があったが、ビートルズのように両方の間でバランスをとっていたバンドも成功した[12]

展開

ビートルマニア

1964年アムステルダム・スキポール空港でビートルズを迎えようと集まるファンやメディア

1963年10月、アメリカ合衆国で初めて、イングランドにおけるビートルズに対する熱狂に関する記事が新聞で全国的に報道された[13]。ビートルズが11月4日にエリザベス王太后の前でロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンスに出演し、音楽業界とメディアは一気にこのグループに注目するようになった[13]。11月の間だけでも、アメリカでは主要な印刷媒体や2つのネットワークテレビ局の夕方の番組で、「ビートルマニア」として知られる現象に関する多数の報道が行われた[13][14]

12月10日CBSイブニングニュースのキャスターであるウォルター・クロンカイトは明るい内容の報道を探しており、もともとは1963年11月22日CBSモーニングニュースでマイク・ウォレスが放送したが、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件のためその夜だけでお蔵入りになった内容を再放送した[13][15]メリーランド州シルバースプリングに住む15歳のマーシャ・アルバートは、このリポートを見た翌日、WWDCのDJだったキャロル・ジェイムズに手紙を書き、「なんでアメリカにはこういう音楽がないのでしょうか?」とたずねた[15]12月17日にジェイムズとアルバートはビートルズの「抱きしめたい」を放送した[15]。WWDCの電話は点滅しっぱなしになり、ワシントンD.C.のレコード店は在庫のないレコードを求めるリクエストを大量に受けた[15]。ジェイムズがレコードを国中の他のDJに送ると、似たような反応が起こった[13]。12月26日にキャピトル・レコードが予定より3週間早く「抱きしめたい」のレコードをリリースした[15]。ティーンエイジャーたちの学校が休暇に入っている期間にレコードが発売されたということもあり、ビートルマニアがアメリカ合衆国中に素早く広まった[15]12月29日には『ボルティモア・サン』が、多くの大人たちの冷淡な意見を反映し、ビートルズの「インヴェイジョン」(侵略)を否定的に評価する社説を出した[13]。この次の年だけで、ビートルズの曲は30回もホット100入りを果たした[16]

1964年2月、エド・サリヴァンとビートルズ

1964年1月3日、『ザ・ジャック・パー・プログラム』がBBCから許諾をとったビートルズのコンサートの映像を「冗談のつもりで」放送したが、3千万人もの視聴者がこれを見ていた。この映像はほぼ忘れられているが、ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンはこのせいで「子供たちの興味がかきたてられた」と述べている[13]。1964年の1月半ばに「抱きしめたい」が突如チャートに出現し、一気にアメリカ合衆国の主な音楽チャート40種類のほぼ全てでトップにのぼりつめ、アメリカにおけるファブ・フォー(Fab Four、「すてきな4人組」)ことビートルズの長期にわたる強力な芸術活動の最初の成果となった 。「抱きしめたい」は『キャッシュボックス』誌1964年1月25日号(1月18日発売)で1位となった[15]。1964年2月1日にはBillboard Hot 100で1位になった[17]。1964年2月7日にCBSイブニングニュースはビートルズがその午後にアメリカ合衆国に到着したことについてのニュースを放送し、その中で特派員が「今回のブリティッシュ・インヴェイジョンはビートルマニアというコードネームで遂行です」とコメントした[18]。2日後の2月9日の日曜日、ビートルズは『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。ニールセンの視聴率調査では、アメリカ合衆国の視聴者の45%がこの夜、ビートルズの出演を見た[10]

マイケル・ロスによると、『エド・サリヴァン・ショー』はしばらくの間、「暖炉の前でスリッパを履いてくつろぐような気楽な経験」とみなされており、1964年2月にテレビを鑑賞していた7千3百万人の視聴者のうち、自分たちが見ていたバンドがどんな影響を及ぼすようになるのか、きちんとわかっていた者は多くはなかった[19]

すぐにビートルズは大きく違うさまざまな反応を引き起こし、その過程で他のどのバンドよりも頻繁にコミックソングや時事ソングなどの題材になり、1964年から1965年の間だけで少なくとも200曲が出た他、ポール死亡説が流れた1969年などにもこの種のものがたくさん発行された[20] 。多くの反応のうち、熱狂を肯定的にとらえたのはイギリスのガール・グループであるケアフリーズの"We Love You Beatles" (1964年4月11日に39位[21])や、"A Love Song to the Beatles"という副題がついているパティ・ケイクスの"I Understand Them"などがある[22]。大混乱に不満の意を示したのはアメリカのグループであるフォー・プレップスの"A Letter to the Beatles" (1964年4月4日に85位[23])や、アメリカのコメディアンであるアラン・シャーマンの"Pop Hates the Beatles"などがある[24]

4月4日にビートルズはBillboard Hot 100シングルチャートの上位5位を独占したが、その後、上位3位を独占したミュージシャンすらまだ出ていない[10][25]。ビートルズは『キャッシュボックス』のシングルチャートでも同週に上位5位を独占したが、1位と2位はHot 100とは逆であった[26]。グループのチャートにおける圧倒的な成功は1970年に解散するまで続いた[10]

ビートルズを越えて

ビートルズが初めてHot 100に入った1週間後、スプリングフィールズに参加した後にソロとしてのキャリアを始めたダスティ・スプリングフィールドがHot 100に食い込む次のイギリスのミュージシャンとして登場し、「二人だけのデート」で12位を記録した[27]。スプリングフィールドはすぐに他にもヒットを数曲出し、AllMusicによると「当時最良のブルー・アイド・ソウル歌手[28]」となった。1965年になる頃にはブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちの新たな波が押し寄せ、ホリーズゾンビーズのようなもっとポップなスタイルで演奏をするグループがいる一方、より野心的でブルース志向のアプローチをとるバンドもあらわれた[29][30][31][32]。1965年5月8日、Hot 100のトップ10は2位になったアメリカのグループ、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの"Count Me In"以外、すべてイギリス連邦のミュージシャンの楽曲が占めることとなった[33]。その前の週の『キャッシュボックス』シングルチャートのトップ10についても、6位が"Count Me In"だった以外、ほぼイギリス連邦のミュージシャンが独占した[34]。同年のBillboard Hot 100チャートでトップになった26曲のうちの半分は(1964年から持ち越されたビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も含めて)イギリスのミュージシャンであった。イギリスのアーティストが持ち込んだトレンドは1966年以降まで続くことになった[35]。ブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちは、イギリス本国の音楽チャートも独占していた[29]

ビートルズのようなブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちの音楽スタイルは、アメリカ合衆国の初期のロックンロールに影響されていたが、このジャンルはインヴェイジョンの頃までに本国での人気をいくぶん失っていた。しかしながら、後に続いたイギリスの白人ミュージシャンのうち、とりわけローリング・ストーンズアニマルズのような数少ないグループはブルース、リズム、黒人文化などに根ざした音楽ジャンルを再生させ、こうした楽曲を少なくとも若い人々の間で人気にし、より「アウトサイダー」的な集団にアピールするようになった[36]。こうした音楽は、1950年代にアフリカ系アメリカ人のアーティストが演奏していた時にはおおむね無視されたり拒否されたりしていたようなものであった[37]。こうしたバンドはアメリカの親や年配者たちから、反逆的で不健全だと見なされた。ローリング・ストーンズはブリティッシュ・インヴェイジョンから出てきた中では、ビートルズに次いで最も重要なバンドとなった[38]。ストーンズは8回、Hot 100の1位を記録している[39]。時としてこうしたバンドの演奏スタイルが理解されないこともあり、アニマルズのエリック・バードンはアメリカ合衆国で衣装や発言などを制限されて居心地が悪かったということを述べている[40]

ブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストのうち、スウィンギング・ロンドンの時代のモッズと結びつきの強いものは時として「フリークビート」と呼ばれることもあり、とりわけアメリカのリスナーにはあまり知られていなかったが、アメリカのガレージロックに相当するような音楽を作っていた野心的なイギリスのブルースバンドはそう言われた[41][42]。プリティ・シングズやクリエイションのようなバンドはイギリスのチャートである程度成功し、よくこのジャンルの典型と言われる[43][44][45][46]。比較的均質な世界規模で展開する「ロック」という音楽スタイルが1967年頃にあらわれ、これがインヴェイジョンの終わりとなる[7]

アメリカ音楽への影響

シラキュース大学のポピュラーテレヴィジョンセンター所長であるロバート・J・トンプソンによると、ブリティッシュ・インヴェイジョンによりカウンターカルチャーがメインストリームになった[47]

ブリティッシュ・インヴェイジョンはポピュラー音楽に非常に強い影響を及ぼし、ロックンロールの制作を国際化し、イギリスのポピュラー音楽は創造性に満ち、商業的にも見込みのある音楽産業の中心地としての立場を確立した[48]。その後に登場するイギリスのパフォーマーが国際的に成功する足がかりにもなった[29]。アメリカでは、ブリティッシュ・インヴェイジョンはおそらくはインストゥルメンタルサーフミュージック、モータウン以前のガールグループフォークリバイバル(のちにフォークロックへと変化した)の流行を終わらせ、1950年代末から60年代にかけてアメリカのチャートを支配していたティーンアイドルも一時的に押さえ込んだ[49][50]

このため、既に名声を確立していたチャビー・チェッカーなどのR&Bミュージシャンのキャリアに翳りが見えはじめ、リッキー・ネルソンファッツ・ドミノエヴァリー・ブラザースエルヴィス・プレスリー(それでも1964年から1967年までの間に30曲をホット100に送り込んでいるが)など、生き残っていたロックンロールのミュージシャンが一時的にチャートでの成功から閉め出された[51][52]。活動していたガレージロックのバンドはブリティッシュ・インヴェイジョンふうの曲調を取り入れるようになり、他にもたくさんのバンドが結成され、こうしてできたシーンからは次世代に主要な役割を果たすことになるアメリカのバンドがたくさん生まれるようになった[53]。ブリティッシュ・インヴェイジョンはロックというはっきりとしたジャンルの勃興に大きな役割を果たし、ギターとドラムを基本にシンガーソングライターが自作曲を制作するという形のロックバンドが中心となる音楽的潮流を作った[54]。ブリティッシュ・インヴェイジョンと結びつけられるミュージシャンの多くはトレンドが終わるまで生き延びることがなかったが、一方でロックのアイコンとなったミュージシャンもたくさんいる[29]

その他の文化的影響

音楽以外でも、この時期にはアメリカにおいてイギリス文化がさまざまな点で人気を博し、アメリカ合衆国のメディアはイギリスを音楽とファッションの中心地だと称するようになった。

映画・テレビ

映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』により、ビートルズは映画進出を果たした[7]。イングランド人の女優ジュリー・アンドルーズがタイトルロールをつとめる『メリー・ポピンズ』は1964年8月27日に公開され、史上もっともアカデミー賞にたくさんノミネートされ、さらに賞も獲得したディズニー映画となった。イギリス人の女優オードリー・ヘプバーンコックニーを話す花売り娘イライザ・ドゥーリトルを演じた『マイ・フェア・レディ』は1964年12月25日に公開され、アカデミー賞8部門を獲得した[55]

1962年にショーン・コネリージェームズ・ボンド役に迎えて始まった007シリーズのほか、「怒れる若者たち」の感性を生かした『何かいいことないか子猫チャン』や『アルフィー』のような映画がロンドンの映画館を席巻した。ピーター・オトゥールマイケル・ケインのようなイギリスの新しい役者たちがアメリカ合衆国の観客を惹きつけるようになった[11]。60年代のアカデミー作品賞受賞作のうち4本がイギリスで製作された映画であり、オトゥールがイギリスの軍人T・E・ロレンスを演じた『アラビアのロレンス』は1963年に7部門でアカデミー賞を受賞した[56]。1968年にフランコ・ゼフィレッリ監督が若いイギリス人キャストを起用してシェイクスピア劇を映画化した『ロミオとジュリエット』のヒットなどもこうした動きの中に位置づけられる[57]

Danger Man (アメリカ放送時にはSecret Agentと改題された)や『おしゃれ(秘)探偵』のようなイギリスのテレビシリーズがアメリカでも放送され、0011ナポレオン・ソロ』、パロディシリーズである『それ行けスマート』のようなアメリカ産のスパイものテレビ番組が生みだされるようになった。1966年までには、イギリスとアメリカで作られたスパイもののテレビシリーズが西部劇や地方を舞台にしたシットコムと並んでアメリカの視聴者に好まれるようになった[58]。アメリカ特有の音楽を扱うSing Along with MitchHootenannyのようなテレビ番組はキャンセルされ、Shindig!Hullabalooのようなイギリスの新しいヒット曲を流すのにより適した形の番組にはやばやととってかわられ、こうした新しい番組の一部はイングランドで撮影された[59][60]

ファッション

ビートルズはアメリカの初期ロックンロールのバンドに比べて、ファッションやイメージの点で非常に異なっていた。ビートルズは特徴的なおそろいのスタイルを有しており、音楽的に初期ロックンロールの慣習を破るのみならず、ファッションの点でも「伝統的なアメリカ男性の衣服のスタイルを刺激する」ようになった[37]マリー・クヮントのようなスウィンギング・ロンドンのデザイナーが作り、ツイッギージーン・シュリンプトンのような先駆的スーパーモデルたちが着用したミニスカートをはじめとするモッズ風のファッションが世界的に人気を博すようになった[61][62][63][64][65]。こうしたイングランド女性のファッションはアメリカでも注目された[66]

ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの中には、すっきりしたスタイルからもっとヒッピー風なファッションへと変化したバンドもおり、アメリカのファッションに影響を及ぼした[47]

第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧

1960年代の特定の時期(64-66)に、イギリスからアメリカ合衆国に進出して活躍した歌手やバンドの一覧である。

  • 英語版に倣ってアルファベット順である。
名前
英語表記 作品/備考/補足


アニマルズ[67][68] The Animals アニマルズの作品(The Animals discography)
ビートルズ[69][70] The Beatles ビートルズの作品(The Beatles discography)
シラ・ブラック Cilla Black シラ・ブラックの作品(Cilla Black discography)
ハインツ・バート Heinz (singer) -
チャド&ジェレミー Chad & Jeremy -
デイヴ・クラーク・ファイヴ[71][68] The Dave Clark Five デイヴ・クラーク・ファイヴの作品(The Dave Clark Five discography)
ペトゥラ・クラーク[71] Petula Clark ペトゥラ・クラークの作品(Petula Clark discography)
スペンサー・デイヴィス・グループ[68] The Spencer Davis Group スペンサー・デイヴィス・グループの作品(The Spencer Davis Group discography)
ドノヴァン[72] Donovan ドノヴァンの作品(Donovan discography)
マリアンヌ・フェイスフル Marianne Faithful マリアンヌ・フェイスフルの作品(Marianne Faithfull discography)
ジョージィ・フェイム[73] en:Georgie Fame
ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズ[68][70] Wayne Fontana and the Mindbenders -
ザ・フォーチュンズ The Fortunes -
ザ・フォーモスト[74] The Fourmost -
フレディ&ザ・ドリーマーズ[75][68] Freddie and the Dreamers -
ジェリー&ザ・ペースメイカーズ[71][70] Gerry & The Pacemakers -
ハーマンズ・ハーミッツ[68][70] Herman's Hermits ハーマンズ・ハーミッツの作品(Herman's Hermits discography)
ホリーズ[68] The Hollies ホリーズの作品(The Hollies discography)
ハニーカムズ The Honeycombs -
ジョナサン・キング[76] en:Jonathan King
キンクス[77][70] The Kinks キンクスの作品(The Kinks discography)
ビリー・J・クレイマー[70] Billy J. Kramer -
ルル Lulu ルルの作品(Lulu discography)
マンフレッド・マン[68][70] Manfred Mann マンフレッド・マンの作品(Manfred Mann discography)
ムーディー・ブルース[78][68] The Moody Blues ムーディー・ブルースの作品(The Moody Blues discography)
ザ・ナッシュビィル・ティーンズ The Nashville Teens -
ニュー・ヴォードヴィル・バンド The New Vaudeville Band -
ピーター&ゴードン[68] Peter and Gordon -
プリティ・シングズ[68] en:The Pretty Things
ローリング・ストーンズ[79][70] The Rolling Stones ローリング・ストーンズの作品(The Rolling Stones discography)
ザ・サーチャーズ[68] The Searchers ザ・サーチャーズの作品(The Searchers discography)
サンディー・ショウ Sandie Shaw -
スモール・フェイセス[68] Small Faces スモール・フェイセスの作品(Small Faces discography)
ダスティ・スプリングフィールド Dusty Springfield ダスティ・スプリングフィールドの作品(Dusty Springfield discography)
スウィンギング・ブルー・ジーンズ The Swinging Blue Jeans -
ゼム[80][68] Them -
トレメロウズ The Tremeloes -
ザ・トロッグス[68] The Troggs -
トルネイドース The Tornados -
イアン・ウィットコム Ian Whitcomb -
ザ・フー[31][68] The Who ザ・フーの作品(The Who discography)
ヤードバーズ[81][70] The Yardbirds ヤードバーズの作品(The Yardbirds discography)
ゾンビーズ[68] The Zombies -

脚注

注釈

出典

  1. ^ Ira A. Robbins. “British Invasion (music) - Britannica Online Encyclopedia”. Britannica.com. January 18, 2011閲覧。
  2. ^ James E. Perone (2004). Music of the Counterculture Era. Greenwood Publishing Group. pp. 22–. ISBN 978-0-313-32689-9. https://books.google.com/books?id=6dw1soxFdm8C&pg=PA22 
  3. ^ Morrison, Craig. American Popular Music. British Invasion (New York: Facts on File, 2006), pp. 32-4.
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参考文献

関連項目