「トーマス・ウィスマン」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: ENEOSグループ関連のカテゴリ移行依頼 (Category:ENEOSグループのスポーツ関係者) - log |
||
83行目: | 83行目: | ||
[[Category:いすゞ自動車の人物]] |
[[Category:いすゞ自動車の人物]] |
||
[[Category:JX-ENEOSサンフラワーズ]] |
[[Category:JX-ENEOSサンフラワーズ]] |
||
[[Category: |
[[Category:ENEOSグループのスポーツ関係者]] |
||
[[Category:宇都宮ブレックス関連人物]] |
[[Category:宇都宮ブレックス関連人物]] |
||
[[Category:横浜ビー・コルセアーズ関連人物]] |
[[Category:横浜ビー・コルセアーズ関連人物]] |
2020年6月29日 (月) 13:49時点における版
基本情報 | |
---|---|
英語 | Thomas Wisman |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1949年3月28日(75歳) |
出身地 | イリノイ州クインシー |
トーマス・ウィスマン(Thomas Wisman、1949年3月28日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州クインシー出身のバスケットボール指導者である。
来歴
クインシー大学在学中、ボストン・セルティックスバスケットボールスクールのコーチとして指導者の道を歩み始める。
卒業後イースタン・ニューメキシコ大学院に進み、1年間NCAA2部のイースタン・ニューメキシコ大のアシスタントコーチも務めた後、イギリスNBL(現BBL)のクリスタルパレスでプレイングコーチとしてリーグ全勝優勝に導く。
大学院修了後、NCAA1部のニューメキシコ大学アシスタントコーチを2シーズン務める。
1976年、クリスタルパレスのコーチに復帰。国内・欧州カップ、さらにフィリップス世界クラブ選手権優勝に導く。
その後、クウェートのクラブ、クリニックを経て、イギリス2部のソレント・スターズヘッドコーチに就任。1部昇格、さらに1部準優勝で最優秀監督賞を受賞。
以降はアジアに渡り、1995年にオーストラリアNBLニューキャッスルファルコンズのヘッドコーチを務めた際、最優秀監督賞を受賞。 アジアでは、中国、香港、マレーシア、日本、韓国、カタールなどでも指導をし、多数のタイトルに導く。[1][2]。
日本での指導
日本ではいすゞ自動車にて2度に渡り小浜元孝の下でアソシエイトヘッドコーチを務め、タイトルを多数獲得し黄金時代を支えた。いすゞ休部後に結成された横浜ギガキャッツでも2003-04シーズンに指導に当たり、オールジャパンベスト8に導く。
2005年からは女子WリーグのJOMOサンフラワーズでアソシエイトヘッドコーチとしてタイトルに導き、2007-08はアドバイザーを務める。
2008年、リンク栃木ブレックスコーチに就任。シーズン途中で解任された加藤三彦に代わりヘッドコーチに昇格し、低迷していたチームの順位を5位まで上げた。2009-10シーズンには初のプレーオフ、優勝に導き最優秀監督賞を受賞。[3]。
2010年、バスケットボール男子日本代表監督に4年契約で就任。2009年より日本代表監督は原則として専任となり、リンク栃木との2年契約を途中解除し退任。
2012年、ロンドン五輪出場権獲得を逃し、成績不振を理由に男子日本代表監督を途中解任され、同年バスケットボール男子カタール代表監督に2年契約で就任。
2014年、リンク栃木ブレックスヘッドコーチに3年契約で就任。
NBL 2014-15シーズンは東地区2位 プレーオフ最終順位3位
NBL 2015-16は東地区2位 プレーオフ最終順位3位。
Bリーグ 2016-17は東地区1位 プレーオフ最終順位1位で栃木をBリーグ初代王者に導き最優秀監督賞を受賞。[4]。
2017年、横浜ビー・コルセアーズアドバイザーに下半期就任[5]。2017-18シーズンは、中地区6位 総合16位。
2018年、横浜ビー・コルセアーズ ヘッドコーチ就任[6]。2018-19シーズンは、中地区6位 総合16位。
2019-20シーズン中の2月1日に契約解除が発表された[7]。中地区5位 総合17位(2020年2月1日時点)。
脚注
- ^ Chris, Aju George (25 July 2012). “World Cup qualification top priority for Wisman”. Doha Stadium Plus (Aspire Printing) 27 September 2015閲覧. "The 63-year-old [Wisman] is currently on his fifth national team job after England (1982), Hong Kong (’82 to ’85), Malaysia (’85 to ’86) and Japan (2010 to ’12)."
- ^ Henson, Joaquin (6 August 2013). “Wisman wise man for Qatar”. The Philippine Star 27 September 2015閲覧。
- ^ Odeven, Ed (18 February 2012). “Search on for new coach after JBA drops Wisman”. The Japan Times 27 September 2015閲覧。
- ^ バスケットボールキング. (2017年7月11日). https://basketballking.jp/news/japan/20170711/19134.html?cx_top=newarrival
- ^ “トーマス・ウィスマン氏 アドバイザー就任のお知らせ”. 横浜ビー・コルセアーズ) 2018年7月11日閲覧。
- ^ “トーマス・ウィスマン氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ”. 横浜ビー・コルセアーズ) 2018年7月11日閲覧。
- ^ “トーマス・ウィスマン ヘッドコーチ との契約解除のお知らせ” (2020年2月1日). 2020年2月1日閲覧。
関連項目
B1 | ||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東地区 | 中地区 | 西地区 | ||||||||||||||||||||||||
|
|
| ||||||||||||||||||||||||
B2 | ||||||||||||||||||||||||||
東地区 | 西地区 | |||||||||||||||||||||||||
|
|