吉田正彦
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引退 | |
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ポジション | ポイントガード |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1941年4月18日 |
没年月日 | 2023年7月4日(82歳没) |
出身地 | 東京府東京市 |
キャリア情報 | |
出身 | 立教大学 |
日本鋼管 |
吉田 正彦(よしだ まさひこ、1941年4月18日[1] - 2023年7月4日)は、日本のバスケットボール指導者、選手。
経歴・人物
[編集]東京府東京市出身。暁星高等学校から立教大学を経て日本鋼管で選手として活躍[2]。
バスケットボール男子日本代表としても1967年世界選手権に出場。しかし1968年メキシコシティオリンピック出場権は獲得できなかった。
引退後はコーチに転じ、1972年ミュンヘンオリンピックでコーチ、1976年モントリオールオリンピックで監督を務めた。
退社後は東京バスケットボール協会役員、バスケットボール日本リーグ機構専務理事を歴任し[1]、2016年からは日本バスケットボール推進協議会の副幹事長を務めた[3]。
2023年7月4日、死去[4]。82歳没。
脚注
[編集]- ^ a b 林壮一 (2018年2月15日). “バスケ男子元全日本監督の喝「プロ化したというのに、東京五輪出場を諦めるのか?」”. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “【津田俊樹のスポーツ茶論】バスケ会場1カ所で大丈夫?”. 産経新聞. (2016年4月12日)
- ^ “日本バスケ推進協議会が日本協会に質問状提出”. 日刊スポーツ. (2016年3月17日)
- ^ "吉田正彦さん死去 76年モントリオール五輪バスケットボール男子日本代表監督". 東京新聞 TOKYO WEB. 中日新聞社. 11 July 2023. 2023年7月11日閲覧。