沼田宏文
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獲得メダル | ||
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日本 | ||
バスケットボール | ||
アジア選手権 | ||
金 | 1971 東京 |
沼田 宏文(ぬまた ひろふみ、1951年[1]8月15日 - 2022年12月28日)は、兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者である。ポジションはセンター。現役当時は204cmの長身から「ジャンボ沼田」と呼ばれていた。
来歴
[編集]加古川東高から同志社大学に進学。1970年インカレ準優勝を果たし、1972年ミュンヘン五輪に出場[2]。
卒業後は、松下電器に入社。選手として7度の日本リーグ優勝に貢献、新人王も獲得しベスト5も5度受賞する。1976年にはモントリオール五輪代表となる[2]。
引退後は1997年にバスケット部部長に就任。
2002年から2003年には日本協会男子指導部長も務めた。
2007年、母校である同大バスケットボール部監督に就任。嘱託職員として出向し、3年間で低迷の続く古豪の再建に当たる。また、関西学生連盟理事も兼任する。
2022年12月28日死去[3]。71歳没。
脚注
[編集]- ^ バスケットボールプラザNo:15 日本バスケットボール振興会 2001年7月刊行
- ^ a b “~京都、滋賀ゆかりの五輪選手~”. 京都新聞 (2000年). 2012年6月28日閲覧。
- ^ “バスケ男子の沼田宏文さん死去 日本人初の200センチ越え、五輪2大会出場”. スポーツニッポン. (2023年4月20日) 2023年4月20日閲覧。