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沼田宏文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル
日本の旗 日本
バスケットボール
アジア選手権
1971 東京

沼田 宏文(ぬまた ひろふみ、1951年[1]8月15日 - 2022年12月28日)は、兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者である。ポジションはセンター。現役当時は204cmの長身から「ジャンボ沼田」と呼ばれていた。

来歴

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加古川東高から同志社大学に進学。1970年インカレ準優勝を果たし、1972年ミュンヘン五輪に出場[2]

卒業後は、松下電器に入社。選手として7度の日本リーグ優勝に貢献、新人王も獲得しベスト5も5度受賞する。1976年にはモントリオール五輪代表となる[2]

引退後は1997年にバスケット部部長に就任。

2002年から2003年には日本協会男子指導部長も務めた。

2007年、母校である同大バスケットボール部監督に就任。嘱託職員として出向し、3年間で低迷の続く古豪の再建に当たる。また、関西学生連盟理事も兼任する。

2022年12月28日死去[3]。71歳没。

脚注

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関連項目

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