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* 1929年 - [[東京大学|東京帝国大学]]文学部国文科に入学、[[マルクス主義]]に近づく。
* 1929年 - [[東京大学|東京帝国大学]]文学部国文科に入学、[[マルクス主義]]に近づく。
* 1930年 - [[ロシア革命]]記念日のデモに参加し検挙される。
* 1930年 - [[ロシア革命]]記念日のデモに参加し検挙される。
* 1932年 - 東大を卒業、卒論は「[[森外]]研究」、大学院に進学する。
* 1932年 - 東大を卒業、卒論は「[[森外]]研究」、大学院に進学する。
* 1933年 - [[治安維持法]]違反で検挙される。
* 1933年 - [[治安維持法]]違反で検挙される。
* 1934年 - 釈放され郷里に帰る。長兄について[[満州]]を訪問。
* 1934年 - 釈放され郷里に帰る。長兄について[[満州]]を訪問。

2020年6月18日 (木) 10:46時点における版

本多 秋五(ほんだしゅうご、1908年明治41年)9月22日 - 2001年平成13年)1月13日)は、愛知県西加茂郡猿投村(現:豊田市)出身の文芸評論家である。

経歴

トルストイ武者小路実篤志賀直哉など、白樺派とその周辺の作家を論じた。1978年、日本の敗戦は無条件降伏ではなかったとする江藤淳とこれを支持する柄谷行人に反論し、無条件降伏論争を行った。

人間関係

  • 代議士の本多鋼治(1895-1964)、実業家であり陶芸研究家である本多静雄は兄。
  • 本多静雄と出身地である豊田市に資料を寄贈した。これは豊田市中央図書館の一角に『本多兄弟文庫』として展示してある。
  • 平野謙、藤枝静男とは八高時代に知り合った。
  • 友人である藤枝静男のペンネームは、本多が命名した。
  • 同じく文芸評論家の菊池仁は明大の教え子。

著書

  • 『「戦争と平和」論』鎌倉文庫 1947
  • 小林秀雄論』近代文学社 1949
  • 『「白樺」派の文学』大日本雄弁会講談社 1954 のち新潮文庫で新版
  • 『転向文学論』未來社 1957
  • 『トルストイ論』河出書房新社 1960
  • 『物語戦後文学史』正・続・完結編 新潮社 1960-1965
全3巻で、岩波同時代ライブラリー 1992、岩波現代文庫 2005
  • 『有効性の上にあるもの』未來社 1963
  • 『戦時戦後の先行者たち』晶文社 1963
  • 『「白樺」派の作家と作品』未來社 1968
  • 『遠望近思 鬼石谷戸から』筑摩書房 1970
  • 『戦後文学史論』新潮社 1971
  • 『戦後文学の作家と作品』冬樹社 1971
  • 『古い記憶の井戸』武蔵野書房 1982、講談社文芸文庫 1992
  • 『トルストイ論集』武蔵野書房 1988
  • 『志賀直哉』岩波新書 上・下 1990
  • 『一閃の光』筑摩書房 1993
  • 本多秋五全集』全16巻別巻2 菁柿堂 1994-2002

編著

  • 宮本百合子研究』 新潮社(作家研究叢書) 1957
  • 『武者小路実篤読本 その生涯と作品』 学習研究社 1959
  • 有島武郎研究』瀬沼茂樹共編 右文書院 1972

翻訳

  • カラージン『つるは南へ行く』本多治子共訳 東洋書館 1953

関連項目

外部リンク