コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

瀬沼茂樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

瀬沼 茂樹(せぬま しげき、1904年10月6日 - 1988年8月14日)は、日本の文芸評論家翻訳家。本名は鈴木忠直。

来歴

[編集]

東京府生まれ。1929年、東京商科大学(現一橋大学)卒。金子鷹之助ゼミでノヴァーリスを学んだ。在学中伊藤整と知り合い終生の親友となる。出版社に勤め、1930年、伊藤の『文芸レビュー』同人となり、谷川徹三の知遇を得て評論活動を始める。1932年、イポリット・テーヌの『文学史の方法』を翻訳、岩波文庫から刊行。唐木順三藤原定らと季刊『理論』を創刊、1933年、最初の著書『現代文学』を上梓、1934年、埼玉県立商業学校教師、1935年、川越中学校教師、1937年から化粧品会社に勤め、執筆活動を一時休止。

1946年、『新日本文学』に拠って評論活動を再開、小田切秀雄猪野謙二と知遇を得る。 1949年に日本大学講師となるが結核を患い、文筆に専念することに決心する。その後、稲垣達郎、猪野、川副国基と親しく交わる。 1960年、日本大学芸術学部教授。1963年に日本近代文学館が創立されると理事に就任。 1965年、大正大学講師となる。1967年、日本ペンクラブ理事。1969年、大正大学教授。同年11月に旧友伊藤整が死去。 1971年から伊藤の未完の連載『日本文壇史』の続きを執筆開始。 1975年、文学博士号取得、大正大学を退任。1976年、勲四等瑞宝章受章。 1979年、『日本文壇史』全6巻で読売文学賞受賞。 1953年、当時、早川書房編集者であった宮田昇のブレインとして「翻訳ミステリの安価なシリーズ」を奨め、これがハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊につながった[1]。 瀬沼自身にもミステリ等の翻訳がある。

1988年死去。墓所は港区光林寺。没後、蔵書の一部が日本近代文学館に収められ、1997年に『瀬沼茂樹文庫目録』が出版された。

著書

[編集]

単著

[編集]
  • 『現代文学』(木星社書院) 1933
  • 島崎藤村 その生涯と作品』(世界評論社) 1949
  • 『近代日本文学のなりたち 家と自我』(河出書房) 1951
  • 『近代日本の作家と作品』(要書房) 1955
  • 『文章作法』(河出書房) 1956
  • 『若い日の小説鑑賞』(角川書店) 1959、青春新書 1961
  • 『近代日本の文学 西欧文学の影響』(社会思想研究会出版部、現代教養文庫) 1959
  • 『評伝 島崎藤村』(実業之日本社) 1959
  • 『文章の作り方・書き方』(実業之日本社) 1960
  • 『現代文学の条件』(河出書房新社) 1960
  • 『本の選び方・読み方』(実業之日本社) 1961
  • 『日本文学世界周遊紀行 第1』(角川書店) 1962
  • 夏目漱石』(東京大学出版会) 1962、新版1970、改訂版2007
  • 『近代日本文学の構造 Ⅰ・Ⅱ』(集英社) 1963
  • 『本の百年史 ベスト・セラーの今昔』(出版ニュース社) 1965
  • 『戦後文学の動向』(明治書院) 1966
  • 伊藤整』(冬樹社) 1971
  • 『仮面と素面 瀬沼茂樹随想集』(冬樹社) 1971
  • 『木曽路と島崎藤村』(平凡社) 1972
  • 『展望・現代日本文学』(集英社) 1972
  • 『龍の落し子』(時事通信社) 1973
  • 『明治文学研究』(法政大学出版局) 1974
  • 『戦後文壇生活ノート』(河出書房新社) 1975
  • 『作家の素顔』(河出書房新社) 1975
  • 『完本・昭和の文学』(冬樹社) 1976
  • 『日本文壇史』19 - 24(講談社) 1977 - 1978
    新編 講談社文芸文庫 1997 - 1998
  • 野上彌生子の世界』(岩波書店) 1984

翻訳

[編集]

記念論集

[編集]
  • 『現代作家・作品論』(瀬沼茂樹古稀記念論文集刊行会、河出書房新社) 1974

脚注

[編集]
  1. ^ 宮田昇『戦後「翻訳」風雲録』(本の雜誌社)P.209

参考

[編集]
  • 『日本文壇史』(講談社文芸文庫)附載年譜