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{{Redirect|シュール}}'''シュルレアリスム<ref>日本では「超現実主義」のほか、カタカナ表記はフランス語と英語の発音が混同され「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」などの表記揺れがある。</ref>'''({{lang-fr-short|surréalisme}}<ref>{{IPA-fr|sy(ʁ)ʁealism}}</ref>、{{lang-en-short|surrealism}}<ref>{{IPA-en|səˈri(ə)lɪz(ə)m}}</ref>)は、[[戦間期]]に[[フランス]]で起こった作家[[アンドレ・ブルトン]]を中心とする文学・芸術運動である。すでに1919年から最初のシュルレアリスムの試みである[[自動記述]]が行われていたが、1924年にブルトンが『[[第一宣言|シュルレアリスム宣言]]』を発表し、運動が本格的に始まった。ブルトンはこの宣言でシュルレアリスムを「口頭、記述、その他のあらゆる方法によって、思考の真の動きを表現しようとする純粋な心的[[オートマティスム]]。[[理性]]による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」と定義した<ref>{{Cite book|title=Manifestes du surréalisme|date=|year=1985|publisher=Gallimard|author=André Breton|series=Folio|language=fr|page=36}}</ref>。シュルレアリスムは[[ジークムント・フロイト]]の[[精神分析学|精神分析]]と[[カール・マルクス]]の[[革命]]思想を思想的基盤とし、[[無意識]]の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した。ブルトンのほか、[[ルイ・アラゴン]]、[[ポール・エリュアール]]、[[フィリップ・スーポー]]、[[バンジャマン・ペレ]]らの[[詩人]]を中心とする文学運動として始まったが、[[ジョルジョ・デ・キリコ]]、[[マックス・エルンスト]]らの[[画家]]や[[マン・レイ]]らの[[写真家]]が参加し、1920年代末頃から[[スペイン]]や[[ベルギー]]からも[[サルバドール・ダリ]]、[[ルイス・ブニュエル]]、[[ルネ・マグリット]]、{{仮リンク|カミーユ・ゲーマンス|fr|Camille Goemans}}らが参加。分野もダリとブニュエルの『[[アンダルシアの犬]]』に代表される[[映画]]などを含む多岐にわたる芸術運動に発展した。 |
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{{出典の明記|date=2012年12月}} |
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'''シュルレアリスム'''({{lang-fr-short|surréalisme}}<ref>{{IPA-fr|sy(ʁ)ʁealism}}</ref>、{{lang-en-short|surrealism}}<ref>{{IPA-en|səˈri(ə)lɪz(ə)m}}</ref>)は、フランスの詩人[[アンドレ・ブルトン]]が提唱した思想活動。一般的には[[芸術]]の形態、主張の一つとして理解されている。[[日本語]]で'''超現実主義'''と訳されている。シュルレアリスムの[[芸術家]]を'''シュルレアリスト'''({{lang-fr-short|surréaliste}})と呼ぶ。 |
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一方、フランスのシュルレアリスムが日本において前衛芸術として発展を遂げたのは1930年代以降のことであり、以後、ブルトンが提唱した無意識の探求という本来の目的から離れ、「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という意味で「シュール」という日本独自の概念・表現が生まれることになった<ref>{{Cite web|url=https://www.polamuseum.or.jp/sp/surrealism/o_20191215_1/|title=シュルレアリスムと絵画|accessdate=2020-03-11|publisher=[[ポーラ美術館]]|date=2019-11-14}}</ref>。 |
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日本ではフランス語と英語の発音が混同され「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」といったバリエーションがあり、日本語のカタカナ表記においては様々である。<br> |
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「'''シュール'''」は「非現実的」「現実離れ」の意味によく使われる。又、1970年代前後に「シュール」が日本の広告媒体で頻繁に使用された例がある。いずれにせよアンドレ・ブルトンが提唱したシュルレアリスム自体とは意味が異なる。 |
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== 歴史 == |
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上記のように、日本語のシュールの用法、または「超現実」という日本語訳によって現実と完全に隔離された非現実を表現することと誤解されることが多い。 |
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1910年代に詩集『アルコール』(1913年)によってフランス詩を大きく変え<ref>[[浅野晃]]「解説」、浅野晃編『フランス詩集』白鳳社、1986年、200頁。</ref>、美術評論『[[キュビスム]]の画家たち』(1913年)によって[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]、[[ジョルジュ・ブラック|ブラック]]、[[フランシス・ピカビア|ピカビア]]、[[マルセル・デュシャン|デュシャン]]らの前衛芸術家を支持した[[ギヨーム・アポリネール]]は、アンドレ・ブルトン、[[フィリップ・スーポー]]、[[ピエール・ルヴェルディ]]ら、後にシュルレアリスト運動を牽引することになる若手作家をつなぐ役割を果たした<ref>{{Cite web|title=歴史 - 1887-1930 カフェ・ド・フロールでのシュルレアリスムの誕生|url=https://cafedeflore.fr/%e6%ad%b4%e5%8f%b2/?lang=ja|website=Café de Flore|accessdate=2020-03-12|language=ja|publisher=}}</ref>。1917年に初演され、一大スキャンダルを巻き起こした、[[ジャン・コクトー]]の[[台本]]、[[エリック・サティ]]の音楽、[[パブロ・ピカソ]]の[[舞台芸術]]、[[レオニード・マシーン]]の[[振付師|振付]]による前衛[[バレエ]]『[[パラード (バレエ)|パラード]]』を支持し、プログラムを書いたのもアポリネールであった。彼はこのプログラムで初めて「シュルレアリスム」という言葉を用いた<ref name=":12">{{Cite web|title=アポリネール|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%AB-27064|website=[[コトバンク]]|accessdate=2020-03-16|language=ja|publisher=|author=[[窪田般彌]]|work=小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』}}</ref>。さらに、翌1918年にはシュルレアリスム[[演劇]]の先駆となった彼自身の[[戯曲]]『ティレジアスの乳房』が上演された<ref>{{Cite web|title=《ティレジアスの乳房》|url=https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B9%B3%E6%88%BF%E3%80%8B-1372021|website=コトバンク|accessdate=2020-03-16|language=ja|publisher=}}</ref>。 |
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シュルレアリスムという名詞自体は詩人[[ギョーム・アポリネール]]の作品から引用された造語の固有名詞である。 |
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[[ファイル:Exposition_Max_Ernst_Paris_1921.jpg|リンク=https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Exposition_Max_Ernst_Paris_1921.jpg|代替文=|サムネイル|290x290ピクセル|オ・サン・パレイユ社で開催されたマックス・エルンスト展(1921年5月2日):左から創設者ルネ・イルソム、バンジャマン・ペレ、{{仮リンク|セルジュ・シャルシューヌ|fr|Serge Charchoune|label=}}フィリップ・スーポー(上部)、{{仮リンク|ジャック・リゴー|fr|Jacques Rigaut|label=}}(逆さま)、アンドレ・ブルトン]] |
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シュルレアリスム運動を牽引したブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、バンジャマン・ペレらは1910年代末から1920年代初頭にかけて起こった文学・芸術運動[[ダダイスム]]にも参加していた。ブルトン、アラゴン、スーポーが創刊した「反文学」の文学雑誌『{{仮リンク|リテラチュール|fr|(Littérature (revue)}}(文学)』には、1920年に[[トリスタン・ツァラ]]をはじめとし多くのダダイストが寄稿し、ダダイスムの機関誌の役割を担っていたが<ref>{{Cite web|title=Littérature. Edited by Louis Aragon, Andre Breton, and Philippe Soupault. Paris, 1919-1924. 20 numbers; new series, 13 numbers|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-12|publisher=University of Iowa|language=en}}</ref>、1921年頃からブルトンとツァラが対立し、運動内部の分裂につながった。根本的には、既成の秩序を破壊し、すべてを無意味化しようとするダダイストと、むしろ無意味、あるいは従来無意味とされてきた[[夢]]や無意識のなかに意味を見いだそうとする後のシュルレアリストの思想的な対立であった<ref>{{Cite journal|last=Carassus|author=|first=Émilien|year=|date=1985|title=De quelques surréalistes et du «Procès Barrés» Lettres inédites de Louis Aragon et de Pierre Drieu la Rochelle à Maurice Barrés|url=https://www.persee.fr/doc/litts_0563-9751_1985_num_13_1_1370|journal=Littératures|volume=13|issue=1|page=|pages=151–168|language=fr|doi=10.3406/litts.1985.1370}}</ref>。 |
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1924年10月に[[パリ7区]]の{{仮リンク|グルネル通り|fr|Rue de Grenelle|label=}}に「シュルレアリスム研究所」が設立され、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が刊行された。彼は本書で初めて「シュルレアリスム」に明確な定義を与えた(上述)。シュルレアリスムの思想的基盤はフロイトとマルクスにあった。フロイト『[[夢判断]]』が発表されたのは1900年のことであり、医学生であったブルトンは、フロイトの精神分析における夢の世界と現実の世界、睡眠状態と覚醒状態の関係に関心を抱き、無意識の探求に人間の全体性の回復、人間解放の可能性を見いだした<ref>{{Cite book|title=André Breton|date=|year=1999|publisher=Gallimard|author=Mark Polizzotti|language=fr}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0-78441|title=シュルレアリスム|accessdate=2020-03-12|publisher=[[コトバンク]]}}</ref>。同年12月にブルトン、アラゴン、ペレ、{{仮リンク|ピエール・ナヴィル|fr|Pierre Naville}}によって機関誌『[[シュルレアリスム革命]]』が創刊された。本誌では、[[催眠]]実験、[[自動記述]]、[[夢]]の記述などによる無意識の表現、「[[優美な屍骸]]」、[[コラージュ]]、[[フロッタージュ]]、[[デカルコマニー]]、[[デペイズマン]]の技法など、シュルレアリスムの主なテーマがすべて取り上げられた<ref name=":1">{{Cite web|title=La Révolution surréaliste - 6 années disponibles - Gallica|url=https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb34381250f/date|website=gallica.bnf.fr|accessdate=2020-03-12|publisher=Bibliothèque nationale de France|language=fr}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=LA RÉVOLUTION SURRÉALISTE|url=http://melusine-surrealisme.fr/site/Revolution_surrealiste/Revol_surr_index.htm|website=melusine-surrealisme.fr|accessdate=2020-03-12|publisher=Mélusine|language=fr}}</ref>。参加した文学者はブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、ペレのほか、[[アントナン・アルトー]]、[[レーモン・クノー]]、[[ルネ・クルヴェル]]、[[ルネ・シャール]]、[[ロベール・デスノス]]、[[ミシェル・レリス]]、芸術家は[[ルイス・ブニュエル]]、[[ジャン・アルプ]]、[[マックス・エルンスト]]、[[ジョルジョ・デ・キリコ]]、[[パウル・クレー]]、[[オスカー・ココシュカ]]、[[サルバドール・ダリ]]、[[イヴ・タンギー]]、[[パブロ・ピカソ]]、[[フランシス・ピカビア]]、[[ジョルジュ・ブラック]]、[[ルネ・マグリット]]、[[アンドレ・マッソン]]、[[ジョアン・ミロ]]、[[マン・レイ]]、[[ピエール・ロワ]]らであった<ref name=":1" /><ref name=":2" />。 |
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== 概要 == |
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[[ファイル:Sade Eluard.jpg|サムネイル|280x280ピクセル|『シュルレアリスム革命』誌第8号の表紙(1926年12月)- [[フォトモンタージュ|フォト・モンタージュ]]または「寄せ絵」による作品<ref name=":3" />]] |
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[[芸術運動]]のシュルレアリスムでは、その多くが現実を無視したかのような世界を絵画や文学で描き、まるで夢の中を覘いているような独特の非現実感は見る者に混乱、不可思議さをもたらす。 |
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『シュルレアリスム革命』誌は、ブルトンの「シュルレアリスム[[第二宣言]]」が掲載された1929年12月15日付の第12号をもって終刊となった。この時点までに、運動内部での方針の不一致や対立によって脱会する者、あるいはブルトンに除名された者が少なくなかった。スーポー、デスノス、レリス、アルトーらであり、彼らは、アラゴン、エリュアール、ブルトン、ペレらが1927年に[[フランス共産党]]に入党したのに対して、政党に関わることは拒否した<ref>{{Cite journal|last=Bridet|first=Guillaume|date=2011-12-01|title=Tensions entre les avant-gardes : le surréalisme et le Parti communiste|url=http://journals.openedition.org/itineraires/1366|journal=Itinéraires. Littérature, textes, cultures|issue=2011-4|pages=23–45|language=fr|doi=10.4000/itineraires.1366|issn=2100-1340}}</ref>。こうして、共産主義への傾倒を深めたシュルレアリストは、『シュルレアリスム革命』誌終刊翌年の1930年に後続誌『{{仮リンク|革命に奉仕するシュルレアリスム|fr|Le Surréalisme au service de la révolution}}』誌を創刊した。だが、この雑誌は1933年にわずか6号で終刊となった。内部対立が激化したからであり、その一因は、アラゴンが[[社会主義リアリズム]]に転向したことであった。運動自体は左傾化したものの、シュルレアリスムが文学・芸術革命に留まるか、社会革命に発展させるか、[[ファシズム]]が台頭した[[第二次世界大戦]]前夜にあって状況は一層複雑であった<ref name=":0">{{Cite web|title=Louis Aragon|url=http://www.larousse.fr/encyclopedie/personnage/Louis_Aragon/105904|website=www.larousse.fr|accessdate=2020-03-12|language=fr|publisher=Éditions Larousse - Encyclopédie Larousse en ligne}}</ref><ref name=":5">[[大島博光]]『アラゴン』新日本新書、1990年 - 抜粋「[http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-2956.html 『赤色戦線』・アラゴン事件(下)]」(大島博光記念館公式ウェブサイト)。</ref>。 |
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また、『革命に奉仕するシュルレアリスム』誌の後続誌で、シュルレアリスムの美術雑誌としても重要なのは『{{仮リンク|ミノトール|fr|Minotaure (revue)|label=}}』であった。{{仮リンク|アルベール・スキラ|fr|Albert Skira|label=}}を発行人、{{仮リンク|テリアード|fr|Tériade|label=}}を美術主幹として1933年6月に創刊された同誌は、1937年の第10号からブルトン、エリュアール、デュシャンらが編集委員として参加し、事実上、シュルレアリスムの雑誌となり、[[オーストリア]]の画家[[ヴォルフガング・パーレン]]、[[ドイツ]]の[[人形]]作家・写真家[[ハンス・ベルメール]]、[[ベルギー]]の画家[[ポール・デルヴォー]]、[[チリ]]の画家[[ロベルト・マッタ]]、[[スイス]]の[[彫刻]]家[[アルベルト・ジャコメッティ]]らの作品が掲載された<ref name=":3" /><ref>{{Cite web|title=Minotaure (1933-1939)|url=https://www.revues-litteraires.com/articles.php?lng=fr&pg=1326|website=www.revues-litteraires.com|accessdate=2020-03-16|publisher=Revues littéraires|language=fr}}</ref>。 |
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芸術運動としてのシュルレアリスムのはじまりは、[[シュルレアリスム宣言]]が発せられた[[1924年]]であるが(なお、それ以前でも、アルフレート・クービン([[:en:Alfred Kubin|Alfred Kubin]])などシュルレアリスム的な作品は存在する)、その終わりには諸説ある。例えば、[[第二次世界大戦]]が終わった[[1945年]]までとする説、シュルレアリスム運動のリーダーであり「帝王」であった'''[[アンドレ・ブルトン]]''' (André Breton, [[1896年]]-[[1966年]])が他界した1966年までとする説があり、さらには、ブルトンの死以降も続いていたとする説もある。また、[[第二次世界大戦]]以降も続いていたという説の中には、大きく分けて、第二次世界大戦以前の運動に参加した者の戦後の活動のみをシュルレアリスムと認める説と、戦後に活動を開始した者も含める説の2つがある。後者の説については、いわゆる[[幻想絵画]]との境界線につき、さらにいろいろな説がある。 |
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第二次大戦が勃発し、[[ナチス・ドイツ]]がフランスを占領すると、多くのシュルレアリストが[[アメリカ合衆国|米国]]に亡命した。これは、フランスの[[ユダヤ人]]、[[反ナチ運動]]家らを[[アメリカ合衆国|米国]]に疎開させるために結成された緊急救助委員会 (ERC) によって派遣された{{仮リンク|ヴァリアン・フライ|fr|Varian Fry}}の尽力によるものであり<ref>{{Cite web|title=La villa d’Air Bel à La Pomme à Marseille|url=http://museedelaresistanceenligne.org/media1697-La-villa-da|website=Musée de la résistance en ligne|accessdate=2019-09-28|publisher=Fondation de la Résistance (Département AERI)|language=fr}}</ref>、エルンストやデュシャンのように、美術品蒐集家・資産家の{{仮リンク|ペギー・グッゲンハイム|fr|Peggy Guggenheim|label=}}から個人的な支援を受けて渡米したシュルレアリストもいた<ref>{{Cite web|title=Peggy Guggenheim, collectionneuse d'art et d'hommes, célébrée par un documentaire|url=https://www.rtbf.be/culture/cinema/detail_peggy-guggenheim-collectionneuse-d-art-et-d-hommes-celebree-par-un-documentaire?id=9133579|website=RTBF Culture|date=2015-11-12|accessdate=2020-03-12|language=fr|publisher=|quote=Le film retrace la vie de celle qui eut pour amants des artistes aussi exceptionnels que Samuel Beckett, Max Ernst et Marcel Duchamp.}}</ref>。彼らは戦時中にニューヨークを拠点として活動することになり、米国の画家らもシュルレアリスムの運動に参加した。アメリカで広がりを見せたシュルレアリスムは、[[抽象表現主義]]の誕生において重要な役割を果たすことになった<ref>{{Cite web|title=Chapter 4. シュール「その後」 {{!}} シュルレアリスムと絵画 - ダリ、エルンストと日本の「シュール」|url=https://www.polamuseum.or.jp/sp/surrealism/o_20191215_6/|accessdate=2020-03-15|language=ja|publisher=ポーラ美術館}}</ref>。 |
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シュルレアリスムは、思想的には[[ジークムント・フロイト]]の[[精神分析]]の強い影響下に、視覚的には[[ジョルジョ・デ・キリコ]]の[[形而上絵画]]作品の影響下にあり、個人の意識よりも、[[無意識]]や集団の意識、[[夢]]、[[偶然]]などを重視した。このことは、シュルレアリスムで取られる[[オートマティスム]](自動筆記)や[[デペイズマン]]、[[コラージュ]]など偶然性を利用し主観を排除した技法や手法と、深い関係にあると考えられることが多い。 |
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1946年に亡命先の米国から帰国したブルトンは、1947年7月7日から9月30日までパリの{{仮リンク|マーグ画廊|fr|Galerie Maeght|label=}}で第6回国際シュルレアリスム展を開催した<ref name=":3">{{Cite journal|和書|author=久保田有寿|month=3|year=2018|title=シュルレアリストのアルチンボルド受容に関する一考察 ― ニューヨーク近代美術館「幻想美術、ダダ、シュルレアリスム」展を起点に|url=http://id.nii.ac.jp/1263/00000718/|journal=国立西洋美術館研究紀要|volume=|issue=22|page=|pages=13-30|publisher=[[国立西洋美術館]]|issn=0919-0872}}</ref>。この展覧会には、デュシャン、エルンスト、タンギー、ミロ、アルプ、ピエール・ロワ、パウル・クレー、[[ヴィクトル・ブローネル]]、ヴォルフガング・パーレン、[[ハンス・ベルメール]]、ロベルト・マッタら戦前からのシュルレアリストのほか、[[ヴィフレド・ラム]]、[[アーシル・ゴーキー]]、{{仮リンク|マルセル・ジャン (画家)|fr|Marcel Jean (peintre)|label=マルセル・ジャン}}、[[フレデリック・キースラー]]、[[ケイ・セージ]]、[[ドロテア・タニング]]、[[トワイヤン]]らの作品が多数展示され、シュルレアリスムの大規模な回顧展となった<ref>{{Cite web|title=« LE SURRÉALISME EN 1947 », PARIS, GALERIE MAEGHT, 7 JUILLET-30 SEPTEMBRE 1947|url=http://mediation.centrepompidou.fr/education/ressources/ENS-Surrealisme/#1947|website=mediation.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-12|publisher=Centre Pompidou|language=fr}}</ref>。 |
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シュルレアリスムを先導したのは詩人である。[[アンドレ・ブルトン]]はもちろんのこと、[[ルイ・アラゴン]]、[[フィリップ・スーポー]]、[[ロベール・デスノス]]、[[ポール・エリュアール]]、[[バンジャマン・ペレ]]、[[アントナン・アルトー]]、[[ルネ・シャール]]、[[ジャック・プレヴェール]]、[[レイモン・クノー]]など一度はかじるものという時代の雰囲気だったといえる。 |
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1966年にブルトンが死去した。これにより、シュルレアリスムの詩人{{仮リンク|ジャン・シュステル|fr|Jean Schuster}}が、1969年に『[[ル・モンド]]』紙に「第四のうた」と題する記事を掲載して運動の終結を宣言した<ref>{{Cite news|title=LE SURRÉALISME AUJOURD'HUI|url=https://www.lemonde.fr/archives/article/1969/10/04/le-surrealisme-aujourd-hui_2417500_1819218.html|work=Le Monde.fr|date=1969-10-04|accessdate=2020-03-16|language=fr|author=Jean Gaudon}}</ref><ref>{{Cite news|title=Jean Schuster|url=https://www.lemonde.fr/archives/article/1995/10/20/jean-schuster_3892518_1819218.html|work=Le Monde.fr|date=1995-10-20|accessdate=2020-03-16|language=fr|author=Pierre Drachline}}</ref>。この宣言は、日本でも「第四のうた - 宣言の形で」として1970年12月の『[[美術手帖]]』第336号に邦訳が掲載された<ref>{{Cite journal|author=ジャン・シュステル|year=|date=1970-12-00|title=第四のうた--宣言の形で|url=https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I261607-00|journal=美術手帖|volume=|page=|pages=82~86|language=ja}}</ref>。だが、シュステルのこの宣言に反対するシュルレアリスムの詩人{{仮リンク|ヴァンサン・ブーヌール|fr|Vincent Bounoure}}、[[美術評論家]]・[[造形作家]]の{{仮リンク|ジャン=ルイ・ベドゥアン|fr|Jean-Louis Bédouin}}らは活動を継続した。以後も個々の制作活動とは別に機関誌の刊行などを続け、他のシュルレアリストに受け継がれている<ref>ジャン=ルイ・ベドゥアンの邦訳には、著書『シュルレアリスムの20年 1939-1959』([[三好郁朗]]訳、[[法政大学出版局]](りぶらりあ選書)1971年)のほか、彼が編纂した『アンドレ・ブルトン』([[稲田三吉]]・[[笹本孝]]共訳、[[思潮社]](セリ・ポエティク)1969年)、『ブルトン詩集』(稲田三吉・笹本孝共訳、思潮社、1974年)がある。</ref>。一方、他国に広がったシュルレアリスムはシュステルの宣言の影響を受けることなく、独自の活動を展開した。 |
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なお、[[ダダイスム|ダダ]]とシュルレアリスムの関係であるが、ダダに参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移っているという事実からもうかがえるように、既成の秩序や常識等に対する反抗心という点においては、思想的に接続している。 |
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== 各国のシュルレアリスム == |
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日本におけるシュルレアリスムの詩人として有名な人物に[[瀧口修造]]がいる。瀧口は美術では[[池田龍雄]]、音楽では[[武満徹]]と親交をもっていたが、まだまだ日本のシュルレアリスムが語られる機会は少ない。 |
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=== スペイン === |
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1920年代にはフランス国外でもブルトンらの影響のもとに、あるいは独自に前衛文学・芸術運動が起こった。1927年に[[スペイン]]の詩人[[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]、[[ラファエル・アルベルティ]]、[[ビセンテ・アレイクサンドレ]]、{{仮リンク|ルイス・セルヌーダ|es|Luis Cernuda}}らによって結成された[[27年世代]]や<ref>{{Cite web|url=https://www.universalis.fr/encyclopedie/generation-de-1927/|title=GÉNÉRATION DE 1927|accessdate=2020-03-16|publisher=Encyclopédie Universalis|language=fr}}</ref>、[[隠喩]]や[[諧謔]]を用いた新しい表現形式「{{仮リンク|グレゲリーア|es|Greguería}}」を生み出した{{仮リンク|ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ|es|Ramón Gómez de la Serna}}は<ref>ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナの邦訳には、『グレゲリーア抄』(2007年)、『乳房抄』(2008年)、『サーカス ― えも言われぬ美しさの、きらびやかにして、永遠なる』(2018年)などがある。いずれも平田渡訳、関西大学出版部([[関西大学]]東西学術研究所訳注シリーズ)。</ref>、しばしばシュルレアリスムの影響が指摘されるが、直接運動に関わったわけではない<ref>{{Cite journal|author=Laurie-Anne Laget|year=|date=2008-11-15|title=À la croisée des ismos. Ramonismo et surréalisme, un exemple de métissage culturel ?|url=http://journals.openedition.org/mcv/712|journal=Mélanges de la Casa de Velázquez. Nouvelle série|volume=38|issue=2|page=|pages=39–58|language=fr|doi=10.4000/mcv.712|issn=0076-230X}}</ref>。スペインからは、彼らと親交の深かった画家のサルバドール・ダリ、映画監督のルイス・ブニュエルが1920年代末頃にシュルレアリスムの運動に参加し、さらに画家の[[オスカル・ドミンゲス]]は1930年代に入ってから参加した。フロイトがダリに出会ったのは1938年のことであった。この出会いは、シュルレアリスムに対するフロイトの認識を変えるほどのものであり、彼は[[シュテファン・ツヴァイク]]への手紙に「私はシュルレアリストに[[守護聖人]]と仰がれていたが、それまでは彼らのことをまったくの狂人だと思っていた(アルコール含有量で言うなら狂気95%程度)。このスペイン人の若者の純真で熱狂的なまなざし、そして疑う余地のない卓越した技術力が私の認識を変えた」と書いている<ref>{{Cite book|title=Les Éditions Québec Amérique|date=|year=2003|publisher=Freud en question|author=Ginette Pelland|language=fr}}</ref>。 |
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シュルレアリスムに属する主たる[[画家]]としては、[[マックス・エルンスト]]、[[サルバドール・ダリ]]、[[ルネ・マグリット]]、[[イヴ・タンギー]]、[[ポール・デルヴォー]]、[[エドガー・エンデ]] などがいる。ダリは[[ルイス・ブニュエル]]のシュルレアリスムの代表的映画で、二人が実際に見た夢をモチーフにした『[[アンダルシアの犬]]』([[1928年]])にも参加している。[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]も後にシュルレアリスムに傾倒している。 |
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=== スペイン - メキシコ - オーストリア === |
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ダダにも参加しているシュルレアリスム[[写真家]]・[[画家]]・[[オブジェ]][[作家]]として、実験[[映画]]も作っている[[マン・レイ]](Man Ray, [[1890年]]-[[1976年]])も挙げられる。画家でもある写真家の[[アンリ・カルティエ=ブレッソン]]もこの頃シュルレアリスムの影響を受けているとも言われる(後には構成主義の影響も見られる)。ドイツ出身の[[ハンス・ベルメール]]も自身の手による[[球体関節人形]]を撮影した写真集を1934年に発表し、ブルトンらパリのシュルレアリストに高い評価を得た。 |
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一方、1936年に[[スペイン内戦]]下の[[バルセロナ]]でバンジャマン・ペレに出会って渡仏し、シュルレアリスムの運動に参加した画家[[レメディオス・バロ|レメディオス・ヴァロ]]は、第二次大戦中にペレとともに[[メキシコ]]に亡命し、同地で知り合った[[イングランド]]生まれの画家・小説家の[[レオノーラ・キャリントン]]とともに神秘思想や先住民の[[神話]]・[[伝説]]の影響の強い画風によって1940年代以降のメキシコのシュルレアリスムを牽引した<ref>{{Cite news|title=Female Surrealists Re-emerge in 2 Startling Shows|url=https://www.nytimes.com/2019/06/13/arts/design/leonora-carrington-paintings.html|work=The New York Times|date=2019-06-13|accessdate=2020-03-16|issn=0362-4331|language=en-US|author=Roberta Smith}}</ref>。一方、メキシコ文学におけるシュルレアリスムを代表するのは[[ノーベル文学賞]]を受賞した詩人[[オクタビオ・パス]]である<ref name=":7">{{Cite web|url=https://www.ac-clermont.fr/disciplines/fileadmin/user_upload/Lettres-Histoire/formations/Lettres/presentation_du_cote_de_l_imaginaire.pdf|title=Mise au point scientifique : LE SURRÉALISME|accessdate=2020-03-16|publisher=Académie Clermont-Ferrand|language=fr}}</ref>。また、大戦中にメキシコに亡命し、同地を拠点として活動した画家に、オーストリア出身のヴォルフガング・パーレンがいる。独自のシュルレアリスム技法「[[フュマージュ]]」を生み出したパーレンは1930年代後半にパリでブルトンらと活動を共にし、37年から38年にかけて国際シュルレアリスム展などに代表作を発表し<ref name=":6">{{Cite web|title=Wolfgang Paalen (1905–1959) - An Austrian Surrealist in Paris and Mexico|url=https://www.belvedere.at/en/wolfgang-paalen-1905-1959|website=www.belvedere.at|accessdate=2020-03-16|publisher=Österreichische Galerie Belvedere|author=Andreas Neufert, Franz Smola}}</ref><ref name=":13">{{Cite web|url=https://www.guggenheim.org/artwork/artist/wolfgang-paalen|title=Wolfgang Paalen|accessdate=2020-03-16|publisher=Solomon R. Guggenheim Foundation|language=en}}</ref>、シュルレアリスムの美術雑誌『ミノトール』にも作品を発表した。 |
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このほか、大戦中のシュルレアリストの亡命により、[[アルゼンチン]]、[[チリ]]、[[ブラジル]]など南米各国にシュルレアリスムの運動が広がった。 |
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シュルレアリスム絵画には大きく二つの画風がある。 |
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#自動筆記やデペイズマン、コラージュなどを使い、自意識が介在できない状況下で絵画を描くことで、無意識の世界を表現しようとした画家たち。彼らの絵画は具象的な形態がなくさまざまな記号的イメージにあふれ、'''[[抽象画]]'''に近づいてゆくことになる。マックス・エルンスト、[[ジョアン・ミロ]]、[[アンドレ・マッソン]]ら。 |
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#不条理な世界、事物のありえない組み合わせなどを'''写実的'''に描いた画家たち。[[夢]]や無意識下でしか起こりえない奇妙な世界が描かれたが、彼らの絵の中に出てくる人物や風景はあくまで具象的であった。サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットら。 |
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無意識を偶然性の強い手法で造形化するというエルンストらの実験的な手法は美術関係者に大きな影響を与え、後に[[抽象表現主義]]などに受け継がれた。一方、奇妙な世界を写実的に描くダリやマグリットらは、見るものに強い混乱を起こす内容と、対照的に親しみやすい写実的な画風から一躍人気作家となった。特にダリはアメリカで大人気を博し、後にかつてのシュルレアリスム関係者から『ドルの亡者』と非難されるに至った。 |
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=== イングランド - メキシコ === |
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一般的にシュルレアリスムの中で知名度の高いものは後者であり、後に続く[[イラストレーター]]や広告美術によって多くの模倣が行われているほか、「[[シュール]]」という言葉の表すものの起源となっているとも考えられる。 |
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キャリントンがシュルレアリスム運動に参加するきっかけとなったのは、1936年にロンドンのニューバーリントン・ギャラリーで開催された{{仮リンク|ロンドン国際シュルレアリスム展|en|London International Surrealist Exhibition|label=国際シュルレアリスム展}}で、エルンスト、ダリ、デ・キリコ、マグリットらの作品に出会ったこと、特に同展覧会の英国側の主催者の一人[[ハーバート・リード]]が編纂した『シュルレアリスム』に掲載されたエルンストの作品《ナイチンゲールに脅かされる二人の子供》に衝撃を受けたことであった<ref name=":4">{{Cite web|title=LEONORA CARRINGTON|url=http://www.universalis.fr/encyclopedie/leonora-carrington/|website=Encyclopædia Universalis|accessdate=2019-10-06|language=fr-FR|publisher=}}</ref><ref>{{Cite book|title=Max Ernst and Alchemy: A Magician in Search of Myth|date=|year=2001|publisher=University of Texas Press|author=M. E. Warlick|language=en|series=Surrealist Revolution Series}}</ref>。彼女は翌1937年に渡仏して、エルンストのもとに身を寄せた。国際シュルレアリスム展に出展するほか、文学作品は1940年にブルトンが編纂したシュルレアリスムの傑作集『黒いユーモア選集』に掲載された<ref>{{Cite web|url=http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0165-4.html|title=書籍紹介 - 黒いユーモア選集 下巻|accessdate=2019-10-06|publisher=国文社|language=ja}}</ref><ref>「レオノーラ・カリントン」[[有田忠郎]]訳、アンドレ・ブルトン編著『黒いユーモア選集』(下巻、[[山中散生]]・[[窪田般彌]]・[[小海永二]]編、[[国文社]]、1969年; [[河出書房新社]] / [[河出文庫]]、2007年)所収。</ref>。 |
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なお、国際シュルレアリスム展は、1936年のロンドン、大規模な回顧展となった1947年のパリのほか、1938年にパリおよびアムステルダム、1940年にメキシコで開催された<ref name=":7" />。 |
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=== ベルギー === |
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==シュルレアリスム絵画の系譜== |
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ベルギーのフランス語圏では、1924年、『シュルレアリスム革命』誌創刊とほぼ同時に、「ベルギーのブルトン」とも言われる詩人{{仮リンク|ポール・ヌージェ|fr|Paul Nougé}}が<ref name=":8">{{Cite journal|和書|author=宮林寛|month=3|year=2011|title=「私はひとつの行為である」 : ポール・ヌジェ試論(その一)|url=http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN10030184-20110318-0129|journal=慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学|volume=52|page=|pages=129-144|publisher=[[慶應義塾大学]]日吉紀要刊行委員会|ISSN=09117199}}</ref>、詩人{{仮リンク|マルセル・ルコント|fr|Marcel Lecomte}}、作家カミーユ・ゲーマンスとともにシュルレアリスムの機関誌『{{仮リンク|コレスポンダンス|fr|Correspondance - Nougé, Goemans, Lecomte}}』を創刊した<ref name=":8" />。これに先立って、別の機関誌の創刊を企てていた画家のルネ・マグリットと作家・画家の{{仮リンク|E・L・T・メザンス|fr|E. L. T. Mesens}}、および詩人{{仮リンク|ポール・コリネ|fr|Paul Colinet}}や{{仮リンク|ルイ・スキュトネール|fr|Louis Scutenaire}}<ref>{{Cite journal|和書|author=佐野有沙|year=2019|title=『ジャックマン大通り』、偽名の楽しみ|url=http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA11413507-20191205-0001|journal=慶應義塾大学フランス文学研究室紀要|volume=24|page=|pages=1-16|publisher=慶應義塾大学フランス文学研究室}}</ref>、作曲家[[アンドレ・スーリー]]<ref>{{Cite journal|author=Sébastien Arfouilloux|year=|date=2005-04-15|title=Surréalisme et musique : les écrits d’André Souris|url=http://journals.openedition.org/textyles/581|journal=Textyles. Revue des lettres belges de langue française|volume=|issue=26-27|page=|pages=87–93|language=fr|doi=10.4000/textyles.581|issn=0776-0116}}</ref>、作家・写真家{{仮リンク|マルセル・マリエン|fr|Marcel Mariën}}らがヌージュらと合流し、{{仮リンク|ベルギー・シュルレアリスム|fr|Surréalisme belge}}を牽引した。画家のポール・デルヴォーもこの運動に一時期参加するが、直接フランスのシュルレアリスム運動に参加したマグリットと違って、ベルギーで活動を続けながら、シュルレアリスム展に出展していた<ref>{{Cite web|title=Une année Delvaux célébrée sur les terres natales du peintre surréaliste|url=https://www.rtbf.be/culture/arts/detail_une-annee-delvaux-celebree-sur-les-terres-natales-du-peintre-surrealiste?id=9710737|website=RTBF Culture|date=2017-09-18|accessdate=2020-03-16|language=fr}}</ref>。 |
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[[image:Atropos o Las Parcas.jpg|thumb|300px|right|運命の三女神 [[フランシスコ・デ・ゴヤ]] 1819-1823]] |
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[[image:Pablo_de_Valladolid,_by_Diego_Velázquez.jpg|thumb|120px|left|Pablo de Valladolid [[ディエゴ・ベラスケス]] 1632-1635]] |
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[[image:Hieronymus Bosch - The Garden of Earthly Delights - Hell.jpg|left|120px|thumb|『[[快楽の園]]』地獄の部分 16世紀 [[ヒエロニムス・ボス]]]] |
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[[image:El_Greco,_The_Vision_of_Saint_John_(1608-1614).jpg|thumb|120px|right|第五の封印 [[エル・グレコ]] 1608-1614]] |
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[[image:Pieter Bruegel the Elder - The Tower of Babel (Vienna) - Google Art Project - edited.jpg|right|120px|thumb|バベルの塔 Pieter Bruegel 1563]] |
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[[プラド美術館]]では、シュルレアリスム絵画と抽象主義絵画のルーツを[[ディエゴ・ベラスケス|ベラスケス]]や[[エル・グレコ]]、[[フランシスコ・デ・ゴヤ|ゴヤ]]など、スペインの[[宮廷画家]]に求めている。ベラスケスはすでに17世紀に、背景を大胆に省略した[[肖像画]]を数多く残している。肖像画の背景は肖像人物の地位や経済力を表す重要なアイテムで、画家の嗜好で省略できるものではない。背景の省略は当時のスペイン人の気質による一種の[[表現主義]]的な描画だが、当時の人々にとっては十分に超現実的な視覚表現であった。左のベラスケスによる肖像画では床と壁の境界まで省略され、人物はあたかも宙に浮かぶがの如くである<!--当時、背景を省略するのは黒くするのが一般的だが、図のように明るく、また影まで落とすのは斬新な表現に入る。写実的表現からの離脱という意味でプラド美術館ではシュルレアリスムの先駆けとしている。-->(フランスでこのような表現が見られるのは、19世紀末から始まる[[ジャポニスム]]以降である)。 |
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一方、共産主義との関わりにおいては、1932年にブルトンに出会ってシュルレアリスムに「啓示」を見いだした詩人{{仮リンク|アシール・シャヴェ|fr|Achille Chavée}}が1934年に[[ラ・ルヴィエール]]でシュルレアリストのグループ「{{仮リンク|リュプチュール|fr|Rupture (groupe surréaliste)}}(分裂)」を結成した。これは詩作と社会改革による人間の解放を目指す運動であった<ref>{{Cite web|title=Achille Chavée|url=http://connaitrelawallonie.wallonie.be/fr/wallons-marquants/dictionnaire/chavee-achille#.Xm66HHL7SUk|website=connaitrelawallonie.wallonie.be|accessdate=2020-03-16|publisher=Connaître la Wallonie|language=fr|author=Paul Delforge}}</ref>。 |
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右のゴヤの絵は「[[モイラ (ギリシア神話)|運命の三女神]]」という伝統的な神話のモチーフによっている<ref>[[プラド美術館]]鑑賞案内 ゴヤ(黒い絵) バレリヤ・ボザール</ref>が、それと説明しないと分からないほど伝統的な絵画表現からかけ離れた絵となっている。ぽっかりと宙に浮かぶ、さして美しくもない人物群の表現は、それまでの神話絵画と一線を画し、確かにシュルレアリスム的なインスピレーションを与える。これが描かれた年代は19世紀初頭で、パリではロココや新古典主義の流行が続いており、印象派など影も形も無い時代である。 |
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=== チェコスロバキア === |
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シュルレアリスムの巨匠ダリ、抽象主義のピカソ、ミロも共にスペイン出身であり、スペイン絵画におけるこれらのシュルレアリスムと抽象主義の系譜は、フランスを中心とした[[写実主義]]~[[印象派]]~[[抽象画]]とは異なる流れとして捉えることができる。 |
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[[ファイル:Soupault_and_Nezval_1928.jpg|リンク=https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Soupault_and_Nezval_1928.jpg|代替文=|サムネイル|219x219ピクセル|スーポー(左)とネズヴァル(プラハにて、1927年)]] |
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[[チェコスロバキア]]では、1924年、フランスの『シュルレアリスム革命』誌、ベルギーの『コレスポンダンス』誌の創刊と機を一にして、芸術家連盟{{仮リンク|デヴィエトシル|fr|Devětsil}}に参加していた美術評論家・[[コラージュ]]作家の[[カレル・タイゲ]]と{{仮リンク|ヴィーチェスラフ・ネズヴァル|fr|Vítězslav Nezval}}<ref>ヴィーチェスラフ・ネズヴァルは『性の夜想曲 - チェコ・シュルレアリスムの〈エロス〉と〈夢〉』(赤塚若樹訳、風濤社、2015年)や[[ゴシック小説]]『少女ヴァレリエと不思議な一週間』(赤塚若樹訳、風濤社、2014年)を著している。</ref>が中心となって前衛芸術運動「{{仮リンク|ポエティスム|fr|Poétisme}}」が起こった<ref>{{Cite web|title=Poétisme / poetismus|url=https://www.larousse.fr/encyclopedie/litterature/po%C3%A9tisme/176117|website=www.larousse.fr|accessdate=2020-03-16|language=fr|publisher=Éditions Larousse - Encyclopédie Larousse en ligne}}</ref>。1927年には、フィリップ・スーポーが[[プラハ]]で[[ロートレアモン伯爵|ロートレアモン]]に関する講演を行い、これに深い感銘を受けたタイゲがスーポーの協力を得て、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の[[チェコ語]]訳を出版することになった<ref>{{Cite journal|和書|author=河上春香|year=2016|title=戦間期チェコスロヴァキアにおけるシュルレアリスムのポリティクス ― 政治的イデオロギーと真理による自己統治をめぐって ─|url=https://doi.org/10.20631/bigaku.67.2_49|journal=美学|volume=67|issue=2|page=|pages=49-60|publisher=[[美学会]]}}</ref><ref>最初の邦訳は、1952年に[[青柳瑞穂]]の翻訳により木馬社から刊行された。</ref>。スーポーはすでに前年、フランス共産党への入党をめぐってブルトンらと対立し、「文学的すぎる」という理由で除名されていたが<ref>{{Cite web|title=La muse et son poète - Anthologie 2D|url=https://www.calameo.com/read/001894862c43e12bae880|website=calameo.com|accessdate=2020-03-16|publisher=Calaméo|language=fr|page=35}}</ref>、無名のまま没した詩人ロートレアモンの『マルドロールの歌』を最初に発掘し、ブルトン、アラゴンに紹介したのはスーポーであり<ref name=":02">{{Cite book|title=Philippe Soupault. Qui êtes-vous ?|date=|year=1988|publisher=La Manufacture|author=Bernard Morlino|language=fr}}</ref>、こうして、ポエティスムの運動はシュルレアリスムの運動と連動することになった。 |
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=== ルーマニア === |
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もう一つのシュルレアリスムの源流として[[フランドル]]、ドイツを中心とした流れがある。16世紀のベルギーの画家[[ヒエロニムス・ボス]]は、カトリックの説く天国や地獄を具象的に描いた。農民をユーモラスに描いたことで知られる[[ピーテル・ブリューゲル]]らブリューゲル一族も、神話や死後の世界を具象的に描いた。これらは当然シュルレアリスムではないが、現実には無い光景を具象的に強調して描き出す画風は、同じゲルマン系の画家であるマグリットやポール・デルヴォーに色濃く見ることができる。 |
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ルーマニアで詩人{{仮リンク|イラリエ・ヴォロンカ|ro|Ilarie Voronca}}とともにダダイスムの雑誌『75 H.P』を創刊した画家ヴィクトル・ブローネルは、同国の前衛詩人らが結成したドイツ[[表現主義]]、[[ロシア構成主義]]、ダダイスム、シュルレアリスムなどの前衛芸術運動に参加し、この運動の機関誌『ウヌ ([[:ro:Unu (revistă)|''Unu'']])』(1928年創刊、1935年終刊)に作品を掲載していた<ref>{{Cite web|title=Unu (1928-1932)|url=http://dspace.bcucluj.ro/jspui/handle/123456789/32703|website=dspace.bcucluj.ro|accessdate=2020-03-16|publisher=Biblioteca Digitala BCU Cluj|language=ro}}</ref><ref>{{Cite web|title=BRAUNER -- PANA, Sasa (1902-1981). Sadismul Adevarului [Le Sadisme de la vérité]. Ilustratil de Victor Brauner, Marcel Iancu, Alfred Jarry, Kapralik, S. Perahim, Picasso, Man Ray, si Jacques Vaché. Bucarest: Steaua Artei pour Editura Unu, 1936.|url=https://www.christies.com/lotfinder/lot_details.aspx?intObjectID=5509583|website=www.christies.com|accessdate=2020-03-16|language=en|publisher=Christie's}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://bibliothequekandinsky.centrepompidou.fr/clientBookline/service/reference.asp?INSTANCE=incipio&OUTPUT=PORTAL&DOCID=0468785&DOCBASE=CGPP|title=Unu (REVUE) : avantgarda literara / réd. Sasa Pana, Moldov|accessdate=2020-03-16|publisher=La Bibliothèque Kandinsky - Centre Pompidou|language=fr}}</ref>。すでに1903年に渡仏し、フランスで美術教育を受けた同郷人の[[コンスタンティン・ブランクーシ]]と出会ったのは1930年に渡仏したときのことであり、このときイヴ・タンギーを介してデ・キリコとブルトンに出会った彼は、1931年にシュルレアリスムに参加した。第二次大戦中もユダヤ人であるにもかかわらず亡命が叶わず、ニューヨークでの活動には参加せず、やがてブルトンを中心とする運動からは離れるが、生涯にわたってシュルレアリストであった<ref name=":9">{{Cite web|title=Victor Brauner|url=https://www.ofpra.gouv.fr/fr/histoire-archives/galeries-d-images/les-refugies-celebres/victor-brauner|website=www.ofpra.gouv.fr|accessdate=2020-03-16|publisher=Office français de protection des réfugiés et apatrides (OFPRA)|language=fr}}</ref><ref>{{Cite web|title=Victor Brauner, itinéraire d'un peintre juif sous l'Occupation|url=https://www.telerama.fr/scenes/victor-brauner-itineraire-d-un-peintre-juif-sous-l-occupation,88284.php|website=Télérama.fr|accessdate=2020-03-16|language=fr|publisher=|author=Yasmine Youssi}}</ref>。 |
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=== ユーゴスラビア === |
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19世紀後半になると、アカデミズムへの反発運動として、パリを中心に従来の作画技法や画面構成を刷新した印象派が起こるが、その一方で古典的技法を継承しつつも新しいモチーフに挑む[[象徴主義]]や[[新古典主義]]が生まれる。これらの画風がシュルレアリスムに影響したこと、あるいはシュルレアリスムそのもの、またあるいはその一部であったことは絵を見れば説明無用だろう。<!--はるかな古代から、無数の画家たちが非現実を具象的に表現しようとした。むしろ普遍的な表現手法だったとも言える。-->1924年のシュルレアリスム宣言は単にシュルレアリスム的表現の再発見をしたに過ぎない。写実主義から現代絵画の潮流の起点として印象派だけが強調されがちだが、シュルレアリスムの静かで力強い系譜を知れば、印象派が決してその中心ではないことが分かるだろう。 |
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[[ユーゴスラビア]]では詩人・画家の{{仮リンク|マルコ・リスティッチ|en|Marko Ristić (surrealist)}}が早くも1925年に『シュルレアリスム革命』誌に詩を寄稿した<ref>{{Cite web|title=La Révolution surréaliste|url=https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5845102r|website=Gallica|date=1925-10-15|accessdate=2020-03-16|language=FR|publisher=Bibliothèque nationale de France}}</ref>。1926年から27年にかけてパリに滞在してブルトンらシュルレアリストと親交を深め、コラージュ作品を発表し、帰国後にシュルレアリスム運動を開始し、複数の機関誌を創刊。ユーゴスラビアを代表するシュルレアリストとして文学・芸術作品を発表し続けた<ref>{{Cite web|title=MARKO RISTIĆ|url=https://www.avantgarde-museum.com/en/museum/collection/authorsmarko-ristic~pe4456/|website=Avantgarde Museum|accessdate=2020-03-16|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|title=Marko Ristić|url=https://www.ubugallery.com/gallery/artists/marko-ristic/|accessdate=2020-03-16|language=en-US|publisher=Ubu Gallery}}</ref>。 |
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=== 日本 === |
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[[Image:Arnold Böcklin - Die Toteninsel V (Museum der bildenden Künste Leipzig).jpg|thumb|left|120px|死の島(1883) Arnold Böcklin[1827–1901]<br />ベルリン美術館]] |
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日本におけるシュルレアリスムの紹介は、1927年に[[瀧口修造]]が刊行したシュルレアリスム詩の[[アンソロジー]]が最初とされる<ref name=":7" />。また、ブルトン、エリュアールらと交友のあった[[山中散生]]が1933年に巴里東京新興美術展を開催し、1937年に瀧口修造との共同企画、『みづゑ』の後援による海外超現実主義作品展を開催した。これは、エルンスト、タンギー、ミロ、ピカソ、ハンス・ベルメール、マン・レイ、マグリット、デ・キリコ、{{仮リンク|インドリヒ・スティルスキー|fr|Jindřich Štyrský}}、[[ヘンリー・ムーア]]、[[ポール・ナッシュ]]など各国のシュルレアリストの作品377点を集めた大規模な展覧会であり、日本のシュルレアリスム運動における重要な契機となった<ref>{{Cite web|url=https://artscape.jp/artword/index.php/%E6%B5%B7%E5%A4%96%E8%B6%85%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BD%9C%E5%93%81%E5%B1%95|title=海外超現実主義作品展|accessdate=2020-03-27|publisher=artscape|author=足立元|language=ja}}</ref>(「日本におけるシュルレアリスム」参照)。 |
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[[Image:Redon.eye-balloon.jpg|thumb|left|120px|眼=気球(1878) Odilon Redon[1840–1916]<br />[[ニューヨーク近代美術館]]]] |
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なお、とりわけ'''ドイツ'''ではファシズムの台頭に伴って多くの作家がフランスに亡命した。ドイツから亡命したシュルレアリスムの画家のうち、エルンストとハンス・ベルメールの作品は1937年にドイツ各地を巡回した[[退廃芸術展]]に出品されたうえに、[[ゲシュタポ]]により一時[[レ・ミル収容所]]に拘留された<ref>{{Cite web|title=1937 / 1940 : Max Ernst, à Saint-Martin d'Ardèche et au camp des Milles|url=https://www.galerie-alain-paire.com/index.php?option=com_content&view=article&id=156&Itemid=6|website=Galerie d'art Alain Paire - Aix en provence|accessdate=2020-03-18|language=fr-fr|publisher=|author=Alain Paire}}</ref><ref>{{Cite web|title=Hans Bellmer, peintre surréaliste allemand|url=https://www.galeriedesannonciades.ch/oeuvres-en-vente/estampes-modernes/bellmer-hans-detail|website=www.galeriedesannonciades.ch|accessdate=2020-03-18|publisher=Galerie des Annonciades - Saint-Ursanne|language=fr}}</ref>。 |
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== その他シュルレアリスムの画家 == |
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== 概念・技法 == |
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*[[マックス・ワルター・スワンベルク]] |
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シュルレアリスムの主な概念を知る上で重要なのは、1938年にパリで国際シュルレアリスム展が開催された際にブルトンとエリュアールの共編によって刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』である<ref>邦訳:『シュルレアリスム簡約辞典』江原順編訳、[[現代思潮社]]、1971年。</ref>。 |
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*[[ポール・ナッシュ]] |
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*[[ピエール・ロワ]] |
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*[[ドロテア・タニング]] |
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*[[トワイヤン]] |
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*[[インジフ・シュティルスキー]] |
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*[[レメディオス・バロ]] |
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*{{仮リンク|マックス・ビュカイユ|fr|Max Bucaille}} |
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*[[レオノール・フィニ]] |
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*[[ロベルト・マッタ]] |
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*[[ヤン・シュヴァンクマイエル]] |
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=== オートマティスム === |
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== シュルレアリスムと評価される写真作品を制作した作家 == |
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シュルレアリスムの基本概念はオートマティスムであり、オートマティスムは本来、[[生理学]]・[[精神医学]]用語であったが、ブルトンは「理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」という心的オートマティスムとして再定義した。これは言語の自動記述だけでなく、絵画表現においても同様であり、たとえば、アンドレ・マッソンは人為的な[[トランス (意識)|トランス]]状態で「自動デッザン」を制作し<ref name=":10">{{Cite web|title=オートマティスム/オートマティズム {{!}} 現代美術用語辞典|url=https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0%EF%BC%8F%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0|website=artscape.jp|accessdate=2020-03-18|language=ja|publisher=|author=中嶋泉}}</ref>(1924年から25年にかけて『シュルレアリスム革命』誌に発表)<ref>{{Cite web|title=La Révolution surréaliste|url=https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb34381250f/date|website=gallica.bnf.fr|accessdate=2020-03-18|publisher=Bibliothèque nationale de France - Gallica|language=fr}}</ref>、イヴ・タンギーは、制作時に完全に自由になって思いがけない表現が生まれるように、事前に下絵を描くことはなかった<ref name=":11">{{Cite web|title=La Révolution surréaliste, parcours découverte et pistes pédagogiques|url=http://mediation.centrepompidou.fr/education/ressources/ENS-surrealisme-pistes/ENS-surrealisme-pistes.htm|website=mediation.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|publisher=Centre Pompidou|author=Danièle Rousselier|year=2002|language=fr}}</ref>。また、偶然性を狙ったコラージュ、フロッタージュ、デカルコマニーなどの技法も意識の介入を排除して、無意識を表出させようという試みである<ref name=":11" />。実際、言語の自動記述が直接的であるのに対して、絵画の場合は描く行為・イメージ化において意識が介在するため、ピエール・ナヴィルは「絵画のオートマティスムは不可能である」と語っていた<ref name=":10" />。 |
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{{単一の出典|section=1|date=2012年12月}} |
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シュルレアリスムの写真作品を制作した作家の範囲を概観するため、次に掲げる参考文献に掲載されている図版の作家名を列挙する。(作家名のあとのカッコ内は生没年、各行の最後に記載した年数は作品の制作年) |
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最初の自動記述の試みは、シュルレアリスムの運動が本格的に始まる前の1919年にブルトンとスーポーによって行われた。フロイトの[[自由連想法]]の影響を受けた自動記述は、理性に制御されない純粋な思考を表現するために、できるだけ無意識に近い状態で浮かんでくる言葉を書き付けて行った。次第にその速度を上げることで、主語(主体性)が排除され、内容も前後の脈絡のない抽象的な言葉やイメージの連続になる。スーポーとブルトンはこの実験を毎日8時間から10時間にわたって行った<ref name=":62">{{Cite book|和書|title=フランス詩集|date=|year=1986|publisher=白鳳社|editor=浅野晃|page=162|series=青春の詩集・外国篇}}</ref><ref name=":82">{{Cite journal|和書|author=坪川達也|month=2|year=2018|title=脳とイマージュ ― 朝吹亮二『アンドレ・ブルトンの詩的世界』に基づくシュルレアリスムの詩作と脳の機構に関する一考察|url=http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00062752-00000139-0091|journal=教養論叢|volume=|issue=139|page=|publisher=[[慶應義塾大学]]法学研究会|issn=04516087}}</ref>。この結果は同年10月から12月の『リテラチュール』誌(第8号から第10号)に「磁場」として発表され<ref>{{Cite web|title=Littérature No. 8|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/8/pages/00cover2.htm|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-18|publisher=University of Iowa Libraries}}</ref><ref>{{Cite web|title=Littérature No. 9|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/9/pages/00cover2.htm|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-18|publisher=University of Iowa Libraries}}</ref><ref>{{Cite web|title=Littérature No. 10|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/10/pages/00cover2.htm|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-18|publisher=University of Iowa Libraries}}</ref>、翌1920年にシュルレアリスムの出版社{{仮リンク|オ・サン・パレイユ|fr|Au sans pareil|label=}}(「同じ意味で」の意)社から刊行された<ref>邦訳:『磁場』[[阿部良雄]]訳『アンドレ・ブルトン集成(第3巻)』([[人文書院]]、1970年)所収。</ref>。自動記述の著書としては、1930年にエリュアールとブルトンによって発表された『無原罪の御宿り』も重要である<ref>邦訳:『処女懐胎』服部伸六訳、[[思潮社]]、1963年、1971年、1994年、</ref>。ここには自動記述の試みとして、[[神経衰弱 (精神疾患)|神経衰弱]]疑似症の実験、強烈な[[偏執病|偏執狂]]の疑似症の実験、[[全身麻酔]]疑似症の実験、表現錯乱疑似症の実験、[[早発性痴呆]]症疑似症の実験などについて記述され<ref>ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン共著『[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000156031-00 処女懐胎]』(服部伸六訳、[[思潮社]]、1994年) 参照。</ref>、表紙にはダリのエロティックな絵が掲載された<ref name=":14">{{Cite journal|和書|author=松岡茂雄|year=|date=2018-07-11|title=シュルレアリストたちの反カトリシズムと、ダリの《聖心》―アンドレ・ブルトンへの「痙攣」がダリに家族との断絶をもたらした|url=http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81010404|journal=美術史論集|volume=9|page=|pages=94-125|publisher=[[神戸大学]]美術史研究会}}</ref>。だが、一方で、こうした自動記述の試みは、多くの場合、催眠状態で行われたため、危険を伴うものであった。1922年9月に行われた催眠実験は、バンジャマン・ペレ、ルネ・クルヴェル、ロベール・デスノスが被験者になり、催眠状態に入った3人が他の参加者の質問に答えるという[[霊媒]]実験([[心霊主義|心霊]]実験)を模した試みであった。この様子についてブルトンが「霊媒の登場」と題する一種の報告書を書き、『リテラチュール』誌第2シリーズ第6号(1922年11月)に掲載した<ref>{{Cite web|title=Littérature No. 6 (New Series)|url=http://sdrc.lib.uiowa.edu/dada/litterature/6ns/pages/00cover2.htm|website=sdrc.lib.uiowa.edu|accessdate=2020-03-18|publisher=University of Iowa|language=fr}}</ref><ref>アンドレ・ブルトン著「霊媒の登場」[[巖谷國士|巌谷國士]]訳『[[現代詩手帖]]』(第14巻第8号、8-18頁、1971年8月、思潮社)、および『アンドレ・ブルトン集成6』「失われた足跡」(人文書院、1974年) 所収。</ref>。だが、催眠実験(睡眠実験)がエスカレートすると、被験者が自分自身や参加者に危害を加える恐れがでてきた。クルヴェルは[[自殺]]を企てようとし、デスノスは周囲の友人に[[ナイフ]]を持って襲いかかったという<ref>{{Cite journal|和書|author=泉谷安規|month=8|year=2010|title=アンドレ・ブルトン『通定器』における夢の記述の一読解の試み(I)|journal=人文社会論叢(人文科学篇)|volume=24|page=|pages=1-24|publisher=[[弘前大学]]人文学部}}</ref>。こうした危険性は、[[離人症]]や[[幻覚]]に伴う死の危険とともに、ブルトン自らが1934年の『ミノトール』誌第3・4合併号掲載の「自動メッセージ」と題する記事で明らかにし<ref>{{Cite web|title=Minotaure (1933-1939)|url=https://www.revues-litteraires.com/articles.php?lng=fr&pg=1326|website=www.revues-litteraires.com|accessdate=2020-03-18|publisher=Revues littéraires|language=fr}}</ref>、事実上、これ以後、自動記述の実験は行われなくなった<ref>{{Cite journal|author=Jenny Laurent|year=1988|date=|title=Les aventures de l'automatisme|url=https://www.persee.fr/doc/litt_0047-4800_1988_num_72_4_1463|journal=Littérature|volume=72|issue=4|page=|pages=3–11|language=fr|doi=10.3406/litt.1988.1463}}</ref>。 |
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参考文献:La photographie surréaliste (Photo Poche 116) |
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=== 不気味なもの === |
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フロイトが1919年に著した小論「ウンハイムリッヒ」({{仮リンク|不気味なもの|de|Unheimlich}})は、「驚愕をもたらすもの、不安をかき立てるもの、ぞっとするような恐ろしさを与えるもの」として<ref>{{Cite journal|和書|author=植朗子|year=|date=2015-03-31|title=ドイツ民間伝説における死者の帰還 : 「不気味」という概念と伝承の事実性|url=http://hdl.handle.net/11094/70068|journal=文芸学研究|volume=19|page=|pages=26–42|doi=}}</ref>、シュルレアリスムの重要な概念の一つである。フロイトはこの論文で、ドイツ・[[ロマン主義|ロマン派]]の作家[[E.T.A.ホフマン|E・T・A・ホフマン]]の短編[[小説]]『[[砂男 (小説)|砂男]]』を例に挙げて分析している<ref>{{Cite journal|author=Olivier Rey|year=2002|title=Science, fantasme et Homme au sable|url=https://halshs.archives-ouvertes.fr/halshs-00935059|journal=Conférence|volume=14|page=|pages=101-151|language=fr}}</ref>。ハンス・ベルメールが手足を切断された不気味で魅力的な人形([[球体関節人形]])を作るきっかけとなったのも、ホフマンのこの作品に基づいて[[ジャック・オッフェンバック]]が作曲したオペラ『[[ホフマン物語]]』に登場する自動人形オランピアに触発されてのことであった<ref>{{Cite journal|author=Rouquette Sylvie|year=2006|title=Hans Bellmer, la femme et la poupée|url=https://www.cairn.info/revue-cahiers-jungiens-de-psychanalyse-2006-1-page-17.htm|journal=Cahiers jungiens de psychanalyse|volume=117|page=|pages=17-24|language=fr|DOI=10.3917/cjung.117.0017}}</ref>。マグリットの最初のシュルレアリスム作品とされるのは1926年制作の《迷える[[騎手]]》であるが<ref>{{Cite web|title=1926 : "Le Jockey perdu", premier tableau surréaliste de René Magritte {{!}} Connaître la Wallonie|url=http://connaitrelawallonie.wallonie.be/fr/histoire/timeline/1926-le-jockey-perdu-premier-tableau-surrealiste-de-rene-magritte#.Xm4CsHL7SUk|website=connaitrelawallonie.wallonie.be|accessdate=2020-03-18|publisher=Connaître la Wallonie|language=fr|author=Marie Dewez}}</ref>、1926年から27年にかけて制作された作品《鳥を食べる少女》や《殺意の空》には「気持ちをかき乱すような」鳥のイメージ<ref name=":18" />、特に血を流す鳥や死んだ鳥が多く描かれている。また、《鳥を食べる少女》の副題は「快楽」であり、同郷人の詩人ヌージェは、マグリットはこの作品でフロイトの[[快楽原則]]をさらに探求し、「快楽の残虐さ」を描いているという<ref name=":18">{{Cite web|title=Le ciel meurtrier|url=https://www.centrepompidou.fr/id/c6bz6q/rdKX6n5/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou|author=Didier Ottinger}}</ref>。 |
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*1. Félix Nadar (1820-1910) Intérieur du Géant, 1863 |
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*2. Eugène Atget (1857-1927) vers 1898-1900 |
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*3. Anonyme, sans date |
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*4. Man Ray (1890-1976) 1922 |
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*5. Man Ray (1890-1976) 1922 |
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*6. Man Ray (1890-1976) 1922 |
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*7. Jean Moral (1906-1999) 1925 |
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*8. Maurice Tabard (1897-1984) 1931 |
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*9. Jean Painlevé (1902-1989) assisté d'Eli Lotar (1905-1969) 1929 |
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*10. Eli Lotar (1905-1969) 1929 |
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*11. Roger Parry/Fabien Loris, 1930 |
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*12. Roger Parry (1905-1977) 1930 |
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*13. Heinz Hajek-Halke (1898-1983) 1930 |
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*14. Jacques-André Boiffard (1902-1961) 1930 |
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*15. Brassaï, Gyula Halász (dit) (1899-1984) 1934 |
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*16. Max Ernst (1891-1976) 1931 |
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*17. Herbert Bayer (1900-1985) 1932 |
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*18. Aurel Bauh (1900-1964) 1931 |
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*19. Roger Parry (1905-1977) 1932 |
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*20. Brassaï, Gyula Halász (dit) (1899-1984) 1932 |
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*21. Jindrich Styrsky (1899-1942) 1933 |
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*22. Salvador Dalí (1904-1989) 1933 |
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*23. Brassaï, Gyula Halász (dit) (1899-1984) sans date |
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*24. Georges Hugnet (1906-1974) 1936 |
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*25. André Kertész (1894-1985) 1933 |
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*26. Jindrich Styrsky (1899-1942) vers 1945 |
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*27. André Steiner (1901-1978) 1934 |
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*28. André Steiner (1901-1978) 1934 |
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*29. Hans Bellmer (1902-1975) 1934 |
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*30. Jacques-André Boiffard (1902-1961) sans date |
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[[アルフレッド・ジャリ]]が[[ソポクレス]]の『[[オイディプス王]]』に着想を得て書いた演劇『[[ユビュ王]]』(1896年刊行)は、シュルレアリスムの先駆、[[不条理演劇]]の先駆とされる作品であり<ref>{{Cite web|url=http://www.cndp.fr/crdp-reims/fileadmin/documents/preac/culture_salmanazar/Ubu_Roi/15_DPeda_Ubu_Roi.pdf|title=UBU ROI. Dossier pédagogique|accessdate=2020-03-18|publisher=Réseau Canopé|language=fr}}</ref>、ミロの一連の「ユビュ」作品<ref>{{Cite web|title=Miró & Tériade, l'aventure d'Ubu|url=https://www.dessinoriginal.com/news/article/miro-teriade-l-aventure-d-ubu-279.html|website=www.dessinoriginal.com|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=DessinOriginal|date=2009-12-21}}</ref>、エルンストの《オイディプス王》(1922年)、《ユビュ皇帝》(1923年)など、人間の心の混沌とした未知の領域、グロテスクで不気味な形象としてシュルレアリストが繰り返し取り上げた題材である<ref>{{Cite web|title=Ubu Imperator|url=https://www.centrepompidou.fr/id/c9njGoa/rp9oEp/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou|author=Didier Ottinger}}</ref>。写真家[[ドラ・マール]]のフォト・モンタージュ作品《ユビュ王の肖像》(1936年)では、[[アルマジロ]]の[[胎児]]を撮った[[ネガフィルム]]を使い、[[象]]のような形象により不気味さが強調されている<ref>{{Cite web|url=https://www.culture.gouv.fr/Sites-thematiques/Musees/Nos-musees/Valorisation-des-collections/Les-femmes-artistes-sortent-de-leur-reserve/Icones/Maar-Dora|title=Maar Dora|accessdate=2020-03-18|publisher=Ministère de la Culture|language=fr}}</ref>。ヴィクトル・ブローネルの水彩《K氏の奇妙な事例》(1934年)も「ユビュ王」に着想を得た作品で、当時、欧州で台頭しつつあった独裁者の不気味な形象としてブルトンに絶賛された(同じ年に油彩《ヒトラー》も発表している)<ref name=":9" /><ref name=":32">{{Cite web|title=VICTOR BRAUNER|url=http://www.universalis.fr/encyclopedie/victor-brauner/|website=Encyclopædia Universalis|accessdate=2020-03-18|language=fr-FR|publisher=|author=Gérard Legrand}}</ref><ref>{{Cite web|title=L'étrange cas de Monsieur K.|url=https://www.centrepompidou.fr/id/cBAe979/rb5xykj/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou|author=Camille Morando}}</ref>。同じく1934年制作の油彩《K氏の集中力》ではさらに太った男性の裸体に[[セルロイド]]製の小さい人形をたくさん貼り付けて不気味さを強調している<ref>{{Cite web|title=Force de concentration de Monsieur K.|url=https://www.centrepompidou.fr/id/cLrjMa7/r8r4Gza/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou|author=Camille Morando}}</ref>。 |
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このほか、ピカソが描いた牛頭人身の怪物「[[ミーノータウロス|ミノタウロス]]」、アンドレ・マッソンの同じく「ミノタウロス」や恍惚状態で神託を告げた「[[ピューティアー]]」、または[[迷宮]]のモチーフ、ミロが1935年から1936年にかけて制作した一連の絵画『[[変身 (絵画)|変身]]』などの神話・伝説の形象・モチーフが無意識の表象として取り上げられている。 |
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*31. E. L. T. Mesens (1903-1971) 1926 |
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*32. Dora Maar (1907-1997) 1935 |
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*33. Hans Bellmer (1902-1975) 1935-1938 |
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*34. Herbert Bayer (1900-1985) 1936 |
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*35. Brassaï, Gyula Halász (dit) (1899-1984) 作品制作年の記載なし(sans dateとも書いていない) |
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*36. Henri Cartier-Bresson (1908-2004) 1934 |
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*37. Erwin Blumenfeld (生没年記載なし) vers 1936 |
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*38. Claude Cahun (1894-1954) 1936 |
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*39. Hans Bellmer (1902-1975) 1938-1949 |
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*40. Nush Eluard (1906-1946) vers 1936 |
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*41. Dora Maar (1907-1997) 1936 |
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*42. Dora Maar (1907-1997) vers 1936 |
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*43. René Magritte (1898-1967) 1937 |
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*44. Raoul Ubac (1910-1985) 1937 |
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*45. Wols (1913-1951) 作品制作年の記載なし(sans dateとも書いていない) |
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*46. Raoul Ubac (1910-1985) 1937 |
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*47. Karel Teige (1900-1951) 1942 |
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*48. Raoul Ubac (1910-1985) sans date |
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*49. Georges Hugnet (1906-1974) 1936 |
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*50. Grete Stern (1904-1999) 1949 |
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*51. Christian Schad (生没年記載なし) 1919 |
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*52. Meret Oppenheim (生没年記載なし) 1952 |
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*53. Pierre Molinier (1900-1976) vers 1970 |
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*54. Joan Fontcuberta (né en 1955) 1987 |
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*55. Joel-Peter Witkin (né en 1939) 1990 |
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*56. Joan Fontcuberta (né en 1955) 2004 |
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*57. Sandy Skoglund (né en 1946) 1989 |
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*58. Lucien Lorelle (1894-1968) sans date |
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*59. Lee Miller (1908-1977) 1930 |
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*60. Joan Fontcuberta (né en 1955) 1987 |
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また、女性の眼球を剃刀で切るシーンで始まるブニュエルとダリの『[[アンダルシアの犬]]』(1928年)は、「不気味なもの」を最も強力に表現した映画として、後の[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]監督の作品、特に『[[鳥 (映画)|鳥]]』(1963年)などに影響を与えることになる<ref>{{Cite journal|author=Bonnefon Gérard|year=|date=2005|title=Personnages sur grand écran|url=https://doi.org/10.3917/reli.017.0080|journal=Reliance|volume=17|issue=3|page=|pages=80|language=fr|doi=10.3917/reli.017.0080|issn=1774-9743}}</ref>。 |
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=== 客観的偶然 === |
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*表紙 Maurice Cloche (1907-1990) 1928 |
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==== デペイズマン ==== |
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シュルレアリストによって発掘されたロートレアモンの『マルドロールの歌』(1868年)の一節「解剖台上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い(のように美しい)」は、デペイズマン(異なった環境で生じる違和感、不安感、驚異)の例として挙げられることが多く、シュルレアリスムではデ・キリコ、マグリット、エルンストの作品の特徴とされる<ref name=":15">{{Cite web|title=デペイズマン {{!}} 現代美術用語辞典ver.2.0|url=https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%87%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%9E%E3%83%B3|website=artscape.jp|accessdate=2020-03-18|language=ja|publisher=|author=成相肇}}</ref>。一方で、[[ロシア・フォルマリズム]]の[[ヴィクトル・シクロフスキー|シクロフスキー]]によって提唱された[[異化]]に近い概念でもあり<ref name=":15" />、ブルトンはこれを「{{仮リンク|客観的偶然|fr|Hasard objectif}}」の概念として提唱した。すなわち、偶然による2つのものの接近・出会いによって「現実の中に潜む超現実が露呈し、不可思議(驚異)が現出する」瞬間である<ref>{{Cite journal|和書|author=藤本恭比古|year=1979|date=1979|title=アンドレ ブルトンの《客観的偶然》について|url=https://doi.org/10.20767/elfk.14.0_1|journal=フランス文学論集|volume=14|page=|pages=1–9|publisher=九州フランス文学会}}</ref>。 |
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==== コラージュ ==== |
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エルンストが《近づく思春期……(昴)》(1921年)など多くの作品で用いたコラージュの技法もこのような発想に基づいている。キュビスムのコラージュ([[パピエ・コレ]])とシュルレアリスムのコラージュの違いは、パピエ・コレでは、あらかじめ意図された視覚的効果があり、そのために複数の要素の組み合わせるのに対して、エルンストのコラージュは、あらかじめ意図されたものではなく、既存の[[印刷物]]や[[写真]]を組み合わせることで、その偶然性によって生み出される驚きや詩的イメージが重要になることである<ref name=":16">{{Cite web|title=ÉCRITS SUR L'ART MODERNE|url=https://www.universalis.fr/encyclopedie/ecrits-sur-l-art-moderne/|website=Encyclopædia Universalis|accessdate=2020-03-18|language=fr-FR|publisher=|author=Marianne Jakobi}}</ref>。エルンストは絵画としてだけでなく、コラージュ作品と小説を組み合わせて「ロマン・コラージュ(コラージュ小説)」として発表した<ref>邦訳に『百頭女』(1996年)、『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(1996年)、『慈善週間または七大元素』(1997年)がある。いずれも、[[巌谷国士]]訳、[[河出書房新社]]([[河出文庫]])刊。</ref>。こうしたエルンストのコラージュについてアラゴンは「挑戦する絵画」と題する評論を発表した<ref name=":16" />。パピエ・コレ、コラージュの発想から後に[[モンタージュ]]、[[アサンブラージュ]]の技法が生まれることになる<ref>{{Cite web|title=パピエ・コレ:現代美術用語辞典|url=https://artscape.jp/dictionary/modern/1198428_1637.html|website=artscape.jp|accessdate=2020-03-18|publisher=陳岡めぐみ|language=ja}}</ref>。 |
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==== フロッタージュ、グラッタージュ ==== |
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「客観的偶然」の概念に基づいてエルンストが生み出した技法は、この他にもフロッタージュ(こすり出し)、グラッタージュ(削り出し)などがある。フロッタージュは、木目の浮いた床板から着想を得た技法で、板や石などの表面に直接紙を当てて、その[[凹凸]]を[[鉛筆]]などでこすり出す方法である。《全都市》(1934年)などがこの技法で描かれている<ref>{{Cite web|title=Frottage – Art Term|url=https://www.tate.org.uk/art/art-terms/f/frottage|website=Tate|accessdate=2020-03-18|language=en-GB|publisher=}}</ref>。 |
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フロッタージュの応用であるグラッタージュは、[[キャンバス]]上に数種類の[[絵具]]を層状に塗り重ね、これを凹凸のある物体の上に載せ、次にパレットナイフで絵具層を削って、地塗層に物体の模様を写し出す技法である。代表作に《森と鳩》(1927年)がある<ref>{{Cite web|title=Grattage – Art Term|url=https://www.tate.org.uk/art/art-terms/g/grattage|website=Tate|accessdate=2020-03-18|language=en-GB|publisher=}}</ref>。 |
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==== デカルコマニー ==== |
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同様の発想によるデカルコマニー(転写)は、1936年の『ミノトール』誌に発表されたオスカル・ドミンゲスの作品が最初のものとされる<ref>{{Cite web|title=(DOMINGUEZ Oscar). JEAN Marcel. GRISOU. Le Lion La Fenêtre. Paris, J.L.M. 1990|url=https://www.gazette-drouot.com/lots/2363792|website=www.gazette-drouot.com|accessdate=2020-03-18|publisher=Gazette Drouot|language=fr}}</ref>。2つ折りにした紙に絵具を入れ、再び紙を開いて偶発的な模様を得る方法であり、これを絵画に応用すると、[[支持体]](基底材)や絵具の性質によって異なった効果が生じる<ref>{{Cite web|title=《用語解説》デカルコマニー(転写) {{!}} シュルレアリスムと絵画 - ダリ、エルンストと日本の「シュール」|url=https://www.polamuseum.or.jp/sp/surrealism/o_20191215_20/|accessdate=2020-03-18|language=ja|publisher=ポーラ美術館}}</ref>。 |
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==== 優美な屍骸 ==== |
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「優美な屍骸」は絵画と文学の両方において行われた共同制作である。言葉による場合は、たとえば4人がそれぞれ任意に選んだ[[主語]]、[[述語]]、[[目的語]]、[[補語]]を組み合わせる。素描の場合は、紙を4つ折りにしてつなぎ目の印だけ付け、各自が先に描かれた絵を見ないで順番に(つなぎ目の印から)続きを描いていくという方法である。「優美な屍骸」という言葉は、5人がそれぞれ選んだ言葉を組み合わせてできた「優美な屍骸は新しい[[葡萄酒]]を飲む(Le cadavre / exquis / boira / le vin / nouveau)」によるものである<ref name=":17">{{Cite web|title=Cadavre exquis|url=https://www.larousse.fr/encyclopedie/peinture/cadavre_exquis/151379|website=www.larousse.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Éditions Larousse - Encyclopédie Larousse en ligne}}</ref>。『シュルレアリスム革命』誌の第9・10合併号(1927年10月、テーマ「自動記述」)には、言葉による「優美な屍骸」作品のほか、素描作品も5点掲載され<ref>{{Cite web|title=La Révolution surréaliste|url=https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5845141v|website=Gallica|date=1927-10-01|accessdate=2020-03-18|language=FR|publisher=Bibliothèque nationale de France}}</ref>、これ以後、主にエルンスト、マッソン、ブルトン、タンギー、ブローネル、{{仮リンク|マックス・モリーズ|fr|Max Morise}}、{{仮リンク|ジャック・エロルド|fr|Jacques Hérold}}らによって制作された<ref name=":17" /><ref>{{Cite web|title=Cadavre Exquis, André Breton, Jacques Hérold, Yves Tanguy, Victor Brauner. Figure. 1934|url=https://www.moma.org/collection/works/36772|website=The Museum of Modern Art|accessdate=2020-03-18|language=en|publisher=MoMA}}</ref>。また、1948年には[[ポルトガル]]のシュルレアリスムの画家アントニオ・ドミンゲス、フェルナンド・アゼヴェド、アントニオ・ペドロ、モニーツ・ペレイラによって[[油彩]]による「優美な屍骸」の大作(150 x 180 cm)が発表された<ref>{{Cite web|title=Cadavre exquis|url=https://gulbenkian.pt/museu/works_cam/cadavre-exquis-156480/|website=Museu Calouste Gulbenkian|accessdate=2020-03-18|language=pt-pt}}</ref>。 |
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さらに[[造形]]においても、テーブルに女性の頭部、切断された手、[[ヴェール]]、[[多面体]]を配置したジャコメッティの《テーブル》<ref>{{Cite web|title=Table|url=https://www.centrepompidou.fr/id/cojj58/rKMEg6/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou}}</ref>、[[オオカミ]](実際には[[キツネ]])の[[剥製]]の頭部と尾部をテーブルの前後に固定したブローネルの代表作《狼-テーブル》(1939年)など、客観的偶然、デペイズマン、あるいは「不気味なもの」を表わす作品が制作された<ref>{{Cite web|title=Loup-table|url=https://www.centrepompidou.fr/id/cqrjab/r68Rnk/fr|website=www.centrepompidou.fr|accessdate=2020-03-18|language=fr|publisher=Centre Pompidou|author=Camille Morando}}</ref>。 |
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=== その他の技法 === |
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シュルレアリスムの技法としては、このほか、ヴォルフガング・パーレンが考案した[[フュマージュ]]、ダリ独自の「{{仮リンク|偏執狂的批判的方法|fr|Méthode paranoïaque-critique}}」、また、シュルレアリスム独自の技法ではないがダリやマグリットの作品の特徴として挙げられる[[トロンプ・ルイユ]](だまし絵)<ref>{{Cite web|title=トロンプ=ルイユ:現代美術用語辞典|url=https://artscape.jp/dictionary/modern/1198584_1637.html|website=artscape.jp|accessdate=2020-03-18|publisher=|author=暮沢剛巳|language=ja}}</ref>などがある。'''フュマージュ'''は濡れたキャンバス(後に[[水彩]]絵具で描いたキャンバス)の表面を[[ろうそく]]の[[煙]]で燻して黒い跡を付ける技法であり、幻影、亡霊、夢などを表現するオートマティスムの技法として、ダリも作品の一部に使用している<ref>{{Cite web|title=Fumage – Art Term|url=https://www.tate.org.uk/art/art-terms/f/fumage|website=www.tate.org.uk|accessdate=2020-03-18|language=en-GB|publisher=Tate}}</ref><ref>{{Cite web|title=‘The Messenger’, Wolfgang Paalen, 1941|url=https://www.tate.org.uk/art/artworks/paalen-the-messenger-t02392|website=www.tate.org.uk|accessdate=2020-03-18|language=en-GB|publisher=Tate}}</ref>。 |
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ダリの'''偏執狂的批判的方法'''は、フロイトの精神分析や[[リヒャルト・フォン・クラフト=エビング]]の『性的精神病質([[:fr:Psychopathia sexualis|Psychopathia sexualis]])』に深い関心を抱いていたダリが、これらを独自に解釈して1930年代に絵画理論として提唱したものであり、オートマティスムとは対照的に、技巧的で緻密な表現である<ref>{{Cite web|title=SALVADOR DALÍ - La méthode « paranoïaque-critique »|url=https://www.universalis.fr/encyclopedie/salvador-dali/|website=Encyclopædia Universalis|accessdate=2020-03-18|language=fr-FR|publisher=|author=Guitemie Maldonado}}</ref>。 |
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'''トロンプ・ルイユ'''の作品を多数制作したのは16世紀[[イタリア]]の画家[[ジュゼッペ・アルチンボルド]]であり、その奇抜さ、独創性によって20世紀になってから、主にシュルレアリストによって発掘・再評価された画家である<ref name=":3" />。 |
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なお、絵画におけるオートマティスムは、後の抽象表現主義、[[アンフォルメル]]などの絵画運動、さらには[[アクション・ペインティング]]などの表現様式を生むきかっけとなった<ref name=":10" />。 |
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== シュルレアリスムの先駆者 == |
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シュルレアリスムの先駆者、シュルレアリスムに影響を与えた作家・画家、またはシュルレアリストによって発掘・再評価された作家・画家は、主に[[ロマン主義#ドイツ|ドイツ・ロマン主義]]、[[幻想文学]]・[[幻想絵画]]、[[象徴主義]]、[[ゴシック]]美術や[[ゴシック小説]]の作家または画家、および当時は異色とされたイタリア・[[ルネサンス]]の一部の画家である。文学については、『シュルレアリスム革命』誌、『ミノトール』誌などのシュルレアリスム運動の機関誌、およびブルトンが1940年に編纂した『{{仮リンク|黒いユーモア選集|fr|Anthologie de l'humour noir}}』で紹介された。画家についてもこれらの機関誌のほか、各作家が評論・随筆を発表している。たとえばスーポーの『ウィリアム・ブレイク』(1928年)、『パオロ・ウッチェロ』(1929年)、『ロートレアモン』(1946年)、エリュアールの『芸術論集』(全3巻、1952-54年)<ref>邦訳:『芸術論集』(全2巻)江原順・康敏星共訳、[[未來社]]、1955年、1958年。</ref>、ブルトンの『超現実主義と絵画』(1928年)などである<ref>邦訳:『超現実主義と絵画』滝口修造訳、人文書院、1997年。</ref>。 |
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=== 作家 === |
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* {{仮リンク|フィリップ・ド・ボーマノワール|fr|Philippe de Beaumanoir (1250-1296)}}(1252~1254-1296)- フランスの[[法学者]]、{{仮リンク|ファトラジー|fr|Fatrasie}}(13世紀フランスで流行した支離滅裂な詩)で知られる。 |
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* [[マルキ・ド・サド]](1740-1814)- フランス[[性愛文学]]の作家 |
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* [[ジャン・パウル]](1763-1825)- ドイツの小説家、反古典主義的長編小説 |
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* [[E.T.A.ホフマン|E・T・A・ホフマン]](1776-1822)- ドイツ幻想文学の作家、短編小説『[[砂男 (小説)|砂男]]』 |
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* [[ジェラール・ド・ネルヴァル]](1808-1855)- フランス[[象徴主義|象徴派]]の詩人 |
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* [[グザヴィエ・フォルヌレ]](1809-1884)- フランスの詩人、小説家、[[劇作家]] |
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* [[シャルル・ボードレール]](1821-1867)- フランス象徴派の詩人 |
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* [[ステファヌ・マラルメ]](1842-1898)- フランス象徴派の詩人 |
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* [[シャルル・クロス|シャルル・クロ]](1842-1888)- フランスのユーモア詩人 |
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* [[ロートレアモン伯爵|ロートレアモン]](1846-1870)- フランスの詩人、『マルドロールの歌』 |
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* [[アルチュール・ランボー]](1854-1891)- フランスの詩人、『[[地獄の季節]]』、『[[イリュミナシオン]]』 |
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* [[アルフレッド・ジャリ]](1873-1907)フランスの小説家・劇作家、戯曲『ユビュ王』 |
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* [[レーモン・ルーセル]](1877-1933)- フランスの詩人・小説家 |
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* [[ギヨーム・アポリネール]](1880-1918)- フランスの詩人、詩集『アルコール』、演劇『ティレジアスの乳房』、性愛小説『[[若きドン・ジュアンの冒険]]』 |
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=== 画家 === |
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* [[パオロ・ウッチェロ]](1397-1475)- イタリア初期ルネサンスの画家 |
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* [[ヒエロニムス・ボス]](ca.1450-1516)- ルネサンス期の[[ネーデルラント]]の画家、幻想絵画 |
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* [[ピエロ・ディ・コジモ]](ca.1462-1521)- イタリア[[盛期ルネサンス]]の画家 |
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* [[ハンス・バルドゥング]](1484-1545)- ルネサンス期のドイツの画家・[[版画家]] |
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* [[ジュゼッペ・アルチンボルド]](1526-1593)- [[マニエリスム]]を代表する[[イタリア]]の[[画家]]、モンタージュ(寄せ絵)、トロンプ=ルイユ |
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* [[ピーテル・ブリューゲル]](ca.1525-1569)- [[ブラバント公国]](現[[オランダ]])の画家 |
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* [[フランシスコ・デ・ゴヤ]](1746-1828)- スペインの画家([[宮廷画家]])、『黒い絵』 |
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* [[ウィリアム・ブレイク]](1757-1827)- イギリスの詩人・画家 |
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* [[シャルル・メリヨン]](1821-1868)- フランスの版画家 |
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* {{仮リンク|ロドルフ・ブレスダン|fr|Rodolphe Bresdin}}(1822-1885)フランスの版画家 |
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* [[ギュスターヴ・モロー]](1826-1898)- フランス象徴主義の画家 |
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* [[アルノルト・ベックリン]](1827-1901)- [[スイス]]象徴主義の画家 |
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* [[オディロン・ルドン]](1840-1916)- フランスの画家、幻想絵画 |
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* [[アンリ・ルソー]](1844-1910)- フランスの[[素朴派]]の画家 |
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* [[マックス・クリンガー]](1857-1920)- ドイツの画家、版画家、[[彫刻家]] |
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<gallery perrow="5"> |
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File:Jheronimus Bosch 023.jpg|ヒエロニムス・ボス《[[快楽の園]]》1490-1510年、[[プラド美術館]]蔵 |
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File:Piero di Cosimo 013.jpg|ピエロ・ディ・コジモ《プロクリスの死》1495年頃、[[ナショナル・ギャラリー_(ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]蔵 |
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File:Hans Baldung 025.jpg|ハンス・バルドゥング《死と乙女》1518-20年、[[バーゼル市立美術館]]蔵 |
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File:Giuseppe Arcimboldo - Summer, 1573.jpg|ジュゼッペ・アルチンボルド《夏》1573年、[[ルーヴル美術館]]蔵 |
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File:Brooklyn Museum - The Good Samaritan (Le bon samaritain) - Rodolphe Bresdin.jpg|ロドルフ・ブレスダン《[[善きサマリア人のたとえ|善きサマリア人]]》1861年頃、[[ブルックリン美術館]]蔵 |
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File:Gustave Moreau 003.jpg|ギュスターヴ・モロー《[[ヘラクレスとレルネのヒュドラ]]》1876年、[[シカゴ美術館]]蔵 |
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File:Redon.eye-balloon.jpg|オディロン・ルドン《眼=気球》1878年、[[ニューヨーク近代美術館]]蔵 |
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File:Arnold Böcklin - Die Toteninsel V (Museum der bildenden Künste Leipzig).jpg|アルノルト・ベックリン《[[死の島 (ベックリン)|死の島]]》1880年、バーゼル市立美術館蔵 |
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File:Klinger - Ängste - 1893.jpeg|マックス・クリンガー《手袋 : 不安》1893年、[[アルベルティーナ]]蔵 |
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File:Henri Rousseau - Il sogno.jpg|アンリ・ルソー《[[夢 (アンリ・ルソーの絵)|夢]]》1910年、ニューヨーク近代美術館蔵 |
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== 日本におけるシュルレアリスム == |
== 日本におけるシュルレアリスム == |
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[[ファイル:Kamo 1938.jpg|thumb|200px|[[尾澤辰夫]]筆『鴨』[[1938年]]。]] |
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=== 概要 === |
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[[ファイル:Kamo 1938.jpg|thumb|200px|right|[[尾澤辰夫]]筆『鴨』[[1938年]]。]] |
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[[日本]]におけるシュルレアリスムは1920年代後半にまずは詩において開花し、1930年代に美術へと波及した。 |
[[日本]]におけるシュルレアリスムは1920年代後半にまずは詩において開花し、1930年代に美術へと波及した。 |
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詩人では[[冨士原清一]]、[[西脇順三郎]]、[[瀧口修造]]、[[北園克衛]]、[[友部正人]]、[[友川かずき]]など。小説家では[[安部公房]]が優れた作品を残している。 |
詩人では[[冨士原清一]]、[[西脇順三郎]]、[[瀧口修造]]、[[北園克衛]]、[[友部正人]]、[[友川かずき]]など。小説家では[[安部公房]]が優れた作品を残している。 |
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画家には、[[古賀春江]] |
画家には、[[古賀春江]] (1895年-1933年)、[[福沢一郎]] (1898年-1992年)、[[北脇昇]] (1901年-1951年)、[[靉光]](1907年-1946年)などがいる。写真家では、[[山本悍右]](1914年-1987年)などがいる。 |
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[[漫画]]界では、[[つげ義春]]の[[ねじ式]]([[1968年]]月刊『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』6月増刊号に発表)によって初めてシュルレアリスム的表現の可能性が切り開かれ、漫画界のみならず多くの[[知識人]]、[[芸術家]]などに多大な影響を与えるとともに[[全共闘世代]]の圧倒的支持を得た。 |
[[漫画]]界では、[[つげ義春]]の[[ねじ式]]([[1968年]]月刊『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』6月増刊号に発表)によって初めてシュルレアリスム的表現の可能性が切り開かれ{{要出典|date=2020年3月}}、漫画界のみならず多くの[[知識人]]、[[芸術家]]などに多大な影響を与えるとともに[[全共闘世代]]の圧倒的支持を得た{{要出典|date=2020年3月}}。 |
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日本におけるシュルレアリスムは、ネオ・ダダの系譜にある雑誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(1924年-1926年)から[[北園克衛]]、[[稲垣足穂]]、[[宇留河泰呂]]が、[[冨士原清一]]の『列』に合流して日本最初のシュルレアリスム専門雑誌『薔薇・魔術・学説』(1927年-1928年、[[冨士原清一]]が主宰)が創刊されるなど、初期においてダダからの流れが重要な役割を果した。 |
日本におけるシュルレアリスムは、ネオ・ダダの系譜にある雑誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(1924年-1926年)から[[北園克衛]]、[[稲垣足穂]]、[[宇留河泰呂]]が、[[冨士原清一]]の『列』に合流して日本最初のシュルレアリスム専門雑誌『薔薇・魔術・学説』(1927年-1928年、[[冨士原清一]]が主宰)が創刊されるなど、初期においてダダからの流れが重要な役割を果した。 |
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また、[[愛知県]]では[[文化人]]の間でシュルレアリスムが流行し<ref name="toyama">陶山伊知郎「医学博士・俳人馬場駿吉×『アイチアートクロニクル 1919-2019』」『[https://artexhibition.jp/topics/features/20190528-AEJ79245/ 医学博士・俳人 馬場駿吉 ×「アイチアートクロニクル 1919-2019」【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 - 美術展ナビ|アート・エキシビション・ジャパン]』[[読売新聞グループ本社]]・[[読売新聞東京本社]]・[[読売新聞大阪本社]]・[[読売新聞西部本社]]。</ref>、特に愛知県[[名古屋市]]はシュルレアリストの拠点となっていた。その理由として、愛知県在住の詩人である[[山中散生]]がフランスのシュルレアリストと書簡で交流しており<ref name="toyama"/>、愛知県にはフランスのシュルレアリスムの[[情報]]が直接もたらされていたことが挙げられる<ref name="toyama"/>。同じく愛知県在住の画家であった[[下郷羊雄]]も、山中散生に感化されてシュルレアリスムに傾倒し<ref name="toyama"/>、やがて愛知県のシュルレアリストの中心人物となっていった<ref name="toyama"/>。当地におけるシュルレアリスムの興隆は、のちに「名古屋のシュルレアリスム」と称される一大ムーブメントとなった。名古屋のシュルレアリスムの系譜に連なる者としては、画家の[[尾澤辰夫]]らがいる。 |
また、[[愛知県]]では[[文化人]]の間でシュルレアリスムが流行し<ref name="toyama">陶山伊知郎「医学博士・俳人馬場駿吉×『アイチアートクロニクル 1919-2019』」『[https://artexhibition.jp/topics/features/20190528-AEJ79245/ 医学博士・俳人 馬場駿吉 ×「アイチアートクロニクル 1919-2019」【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 - 美術展ナビ|アート・エキシビション・ジャパン]』[[読売新聞グループ本社]]・[[読売新聞東京本社]]・[[読売新聞大阪本社]]・[[読売新聞西部本社]]。</ref>、特に愛知県[[名古屋市]]はシュルレアリストの拠点となっていた。その理由として、愛知県在住の詩人である[[山中散生]]がフランスのシュルレアリストと書簡で交流しており<ref name="toyama"/>、愛知県にはフランスのシュルレアリスムの[[情報]]が直接もたらされていたことが挙げられる<ref name="toyama"/>。同じく愛知県在住の画家であった[[下郷羊雄]]も、山中散生に感化されてシュルレアリスムに傾倒し<ref name="toyama"/>、やがて愛知県のシュルレアリストの中心人物となっていった<ref name="toyama"/>。当地におけるシュルレアリスムの興隆は、のちに「名古屋のシュルレアリスム」と称される一大ムーブメントとなった。名古屋のシュルレアリスムの系譜に連なる者としては、画家の[[尾澤辰夫]]らがいる。 |
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== 俗語としてのシュルレアリスム == |
=== 俗語としてのシュルレアリスム === |
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1990年代末期頃から、日本のメディアや[[俗語]]において「シュール」であるということは、超現実主義の意味から逸脱して「ナンセンス」「不条理」であるという意味で使われるようになった。あくまで「シュールな」「シュールだ」というように略称でのみ使われ、 |
1990年代末期頃から、日本のメディアや[[俗語]]において「シュール」であるということは、超現実主義の意味から逸脱して「ナンセンス」「不条理」であるという意味で使われるようになった。あくまで「シュールな」「シュールだ」というように略称でのみ使われ、本来のシュルレアリスムからは独立した別の概念として扱われている。 |
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=== 研究 === |
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== 研究 == |
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* 近年の日本においてシュールレアリスム研究及び大学におけるシュールレアリスムの講義並びに実技(自由連想法を用いたディスカッションを含む)を行っている人物として[[多田夏雄]]が挙げられる。著書としてシュールレアリスム論(文星芸術大学紀要)。 |
* 近年の日本においてシュールレアリスム研究及び大学におけるシュールレアリスムの講義並びに実技(自由連想法を用いたディスカッションを含む)を行っている人物として[[多田夏雄]]が挙げられる。著書としてシュールレアリスム論(文星芸術大学紀要)。 |
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* シュールレアリスム研究家 [[黒沢義輝]]は戦前の日本におけるシュールレアリスム研究の第一人者である。 |
* シュールレアリスム研究家 [[黒沢義輝]]は戦前の日本におけるシュールレアリスム研究の第一人者である。 |
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* メディアアートの講義においてデペイズマンなどシュルレアリスムの技法の解説を行っている人物として中野圭がいる。 |
* メディアアートの講義においてデペイズマンなどシュルレアリスムの技法の解説を行っている人物として中野圭がいる。 |
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== 技法など == |
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* [[オートマティスム]](自動筆記) |
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* [[デペイズマン]] |
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* [[夢の書き取り]] |
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* [[優美な屍骸]] |
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* [[フロッタージュ]] |
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* [[コラージュ]] |
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* [[デカルコマニー]] |
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* [[トロンプ・ルイユ]] |
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ただし、シュルレアリスムは必ずしも特定の技法のみに頼って表現されるわけではない。 |
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== 関連文献 == |
== 関連文献 == |
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* 鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、2007)ISBN 9784582702743 |
* 鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、2007)ISBN 9784582702743 |
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* 巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002)ISBN 4480086781 |
* 巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002)ISBN 4480086781 |
||
* アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992)ISBN 4003259017 |
* アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992)ISBN 4003259017 |
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* アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、2003)ISBN 4003259025 |
* アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、2003)ISBN 4003259025 |
||
* アンドレ・ブルトン『魔術的芸術 普及版』(巖谷國士・谷川渥ほか訳、[[河出書房新社]]、2002、新版2017)ISBN 430927904X |
* アンドレ・ブルトン『魔術的芸術 普及版』(巖谷國士・谷川渥ほか訳、[[河出書房新社]]、2002、新版2017)ISBN 430927904X |
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* アンドレ・ブルトン『超現実主義宣言』(生田耕作訳、中央公論新社〈中公文庫〉、1999)ISBN 412203499X |
* アンドレ・ブルトン『超現実主義宣言』(生田耕作訳、中央公論新社〈中公文庫〉、1999)ISBN 412203499X |
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* 『水声通信:20 思想史のなかのシュルレアリスム 』([[水声社]]、2007年) |
* 『水声通信:20 思想史のなかのシュルレアリスム 』([[水声社]]、2007年) |
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* 『水声通信:23 シュルレアリスム美術をどう語るか』(水声社、2008年) |
* 『水声通信:23 シュルレアリスム美術をどう語るか』(水声社、2008年) |
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* 『水声通信:25 シュルレアリスム美術はいかにして可能か』(水声社、2008年) |
* 『水声通信:25 シュルレアリスム美術はいかにして可能か』(水声社、2008年) |
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* 巖谷國士編 『ユリイカ 詩と批評 総特集ダダ・シュルレアリスムの21世紀』、2016年8月臨時増刊号、[[青土社]] |
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* 巌谷國士編 『ユリイカ シュルレアリスム』、1993年8月臨時増刊号、青土社 |
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* 澤正宏/和田博文編『日本のシュールレアリスム』(世界思想社、1995年) |
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*澤正宏/和田博文編『日本のシュールレアリスム』(世界思想社、1995年) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[ダダイスム]] |
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* [http://artscape.jp/dictionary/modern/1198053_1637.html シュルレアリスム:現代美術用語辞典] - artscape |
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* [http://melusine-surrealisme.fr/wp/ Mélusine (le Centre de Recherches sur le Surréalisme de Paris III)] - [[パリ大学|パリ第3大学]]シュルレアリスム研究所 |
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* [http://www.theatrales.uqam.ca/TheatreSurr.html Répertoire du théâtre surréaliste, son amont, son aval], André-Gilles Bourassa - ケベックの作家{{仮リンク|アンドレ=ジル・ブラッサ|fr|André-Gilles Bourassa}}によるシュルレアリスム演劇 |
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* [http://melusine-surrealisme.fr/site/Surr-ts-pays/somsurr-ts-pays.htm Surréalistes de tous les pays] - 世界各国のシュルレアリスト(日本のシュルレアリスト50人を含む、フランス語)- Mélusine |
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2020年3月27日 (金) 21:35時点における版
シュルレアリスム[1](仏: surréalisme[2]、英: surrealism[3])は、戦間期にフランスで起こった作家アンドレ・ブルトンを中心とする文学・芸術運動である。すでに1919年から最初のシュルレアリスムの試みである自動記述が行われていたが、1924年にブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表し、運動が本格的に始まった。ブルトンはこの宣言でシュルレアリスムを「口頭、記述、その他のあらゆる方法によって、思考の真の動きを表現しようとする純粋な心的オートマティスム。理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」と定義した[4]。シュルレアリスムはジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した。ブルトンのほか、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、フィリップ・スーポー、バンジャマン・ペレらの詩人を中心とする文学運動として始まったが、ジョルジョ・デ・キリコ、マックス・エルンストらの画家やマン・レイらの写真家が参加し、1920年代末頃からスペインやベルギーからもサルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル、ルネ・マグリット、カミーユ・ゲーマンスらが参加。分野もダリとブニュエルの『アンダルシアの犬』に代表される映画などを含む多岐にわたる芸術運動に発展した。
一方、フランスのシュルレアリスムが日本において前衛芸術として発展を遂げたのは1930年代以降のことであり、以後、ブルトンが提唱した無意識の探求という本来の目的から離れ、「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という意味で「シュール」という日本独自の概念・表現が生まれることになった[5]。
歴史
1910年代に詩集『アルコール』(1913年)によってフランス詩を大きく変え[6]、美術評論『キュビスムの画家たち』(1913年)によってピカソ、ブラック、ピカビア、デュシャンらの前衛芸術家を支持したギヨーム・アポリネールは、アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポー、ピエール・ルヴェルディら、後にシュルレアリスト運動を牽引することになる若手作家をつなぐ役割を果たした[7]。1917年に初演され、一大スキャンダルを巻き起こした、ジャン・コクトーの台本、エリック・サティの音楽、パブロ・ピカソの舞台芸術、レオニード・マシーンの振付による前衛バレエ『パラード』を支持し、プログラムを書いたのもアポリネールであった。彼はこのプログラムで初めて「シュルレアリスム」という言葉を用いた[8]。さらに、翌1918年にはシュルレアリスム演劇の先駆となった彼自身の戯曲『ティレジアスの乳房』が上演された[9]。
シュルレアリスム運動を牽引したブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、バンジャマン・ペレらは1910年代末から1920年代初頭にかけて起こった文学・芸術運動ダダイスムにも参加していた。ブルトン、アラゴン、スーポーが創刊した「反文学」の文学雑誌『リテラチュール(文学)』には、1920年にトリスタン・ツァラをはじめとし多くのダダイストが寄稿し、ダダイスムの機関誌の役割を担っていたが[10]、1921年頃からブルトンとツァラが対立し、運動内部の分裂につながった。根本的には、既成の秩序を破壊し、すべてを無意味化しようとするダダイストと、むしろ無意味、あるいは従来無意味とされてきた夢や無意識のなかに意味を見いだそうとする後のシュルレアリストの思想的な対立であった[11]。
1924年10月にパリ7区のグルネル通りに「シュルレアリスム研究所」が設立され、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が刊行された。彼は本書で初めて「シュルレアリスム」に明確な定義を与えた(上述)。シュルレアリスムの思想的基盤はフロイトとマルクスにあった。フロイト『夢判断』が発表されたのは1900年のことであり、医学生であったブルトンは、フロイトの精神分析における夢の世界と現実の世界、睡眠状態と覚醒状態の関係に関心を抱き、無意識の探求に人間の全体性の回復、人間解放の可能性を見いだした[12][13]。同年12月にブルトン、アラゴン、ペレ、ピエール・ナヴィルによって機関誌『シュルレアリスム革命』が創刊された。本誌では、催眠実験、自動記述、夢の記述などによる無意識の表現、「優美な屍骸」、コラージュ、フロッタージュ、デカルコマニー、デペイズマンの技法など、シュルレアリスムの主なテーマがすべて取り上げられた[14][15]。参加した文学者はブルトン、アラゴン、エリュアール、スーポー、ペレのほか、アントナン・アルトー、レーモン・クノー、ルネ・クルヴェル、ルネ・シャール、ロベール・デスノス、ミシェル・レリス、芸術家はルイス・ブニュエル、ジャン・アルプ、マックス・エルンスト、ジョルジョ・デ・キリコ、パウル・クレー、オスカー・ココシュカ、サルバドール・ダリ、イヴ・タンギー、パブロ・ピカソ、フランシス・ピカビア、ジョルジュ・ブラック、ルネ・マグリット、アンドレ・マッソン、ジョアン・ミロ、マン・レイ、ピエール・ロワらであった[14][15]。
『シュルレアリスム革命』誌は、ブルトンの「シュルレアリスム第二宣言」が掲載された1929年12月15日付の第12号をもって終刊となった。この時点までに、運動内部での方針の不一致や対立によって脱会する者、あるいはブルトンに除名された者が少なくなかった。スーポー、デスノス、レリス、アルトーらであり、彼らは、アラゴン、エリュアール、ブルトン、ペレらが1927年にフランス共産党に入党したのに対して、政党に関わることは拒否した[17]。こうして、共産主義への傾倒を深めたシュルレアリストは、『シュルレアリスム革命』誌終刊翌年の1930年に後続誌『革命に奉仕するシュルレアリスム』誌を創刊した。だが、この雑誌は1933年にわずか6号で終刊となった。内部対立が激化したからであり、その一因は、アラゴンが社会主義リアリズムに転向したことであった。運動自体は左傾化したものの、シュルレアリスムが文学・芸術革命に留まるか、社会革命に発展させるか、ファシズムが台頭した第二次世界大戦前夜にあって状況は一層複雑であった[18][19]。
また、『革命に奉仕するシュルレアリスム』誌の後続誌で、シュルレアリスムの美術雑誌としても重要なのは『ミノトール』であった。アルベール・スキラを発行人、テリアードを美術主幹として1933年6月に創刊された同誌は、1937年の第10号からブルトン、エリュアール、デュシャンらが編集委員として参加し、事実上、シュルレアリスムの雑誌となり、オーストリアの画家ヴォルフガング・パーレン、ドイツの人形作家・写真家ハンス・ベルメール、ベルギーの画家ポール・デルヴォー、チリの画家ロベルト・マッタ、スイスの彫刻家アルベルト・ジャコメッティらの作品が掲載された[16][20]。
第二次大戦が勃発し、ナチス・ドイツがフランスを占領すると、多くのシュルレアリストが米国に亡命した。これは、フランスのユダヤ人、反ナチ運動家らを米国に疎開させるために結成された緊急救助委員会 (ERC) によって派遣されたヴァリアン・フライの尽力によるものであり[21]、エルンストやデュシャンのように、美術品蒐集家・資産家のペギー・グッゲンハイムから個人的な支援を受けて渡米したシュルレアリストもいた[22]。彼らは戦時中にニューヨークを拠点として活動することになり、米国の画家らもシュルレアリスムの運動に参加した。アメリカで広がりを見せたシュルレアリスムは、抽象表現主義の誕生において重要な役割を果たすことになった[23]。
1946年に亡命先の米国から帰国したブルトンは、1947年7月7日から9月30日までパリのマーグ画廊で第6回国際シュルレアリスム展を開催した[16]。この展覧会には、デュシャン、エルンスト、タンギー、ミロ、アルプ、ピエール・ロワ、パウル・クレー、ヴィクトル・ブローネル、ヴォルフガング・パーレン、ハンス・ベルメール、ロベルト・マッタら戦前からのシュルレアリストのほか、ヴィフレド・ラム、アーシル・ゴーキー、マルセル・ジャン、フレデリック・キースラー、ケイ・セージ、ドロテア・タニング、トワイヤンらの作品が多数展示され、シュルレアリスムの大規模な回顧展となった[24]。
1966年にブルトンが死去した。これにより、シュルレアリスムの詩人ジャン・シュステルが、1969年に『ル・モンド』紙に「第四のうた」と題する記事を掲載して運動の終結を宣言した[25][26]。この宣言は、日本でも「第四のうた - 宣言の形で」として1970年12月の『美術手帖』第336号に邦訳が掲載された[27]。だが、シュステルのこの宣言に反対するシュルレアリスムの詩人ヴァンサン・ブーヌール、美術評論家・造形作家のジャン=ルイ・ベドゥアンらは活動を継続した。以後も個々の制作活動とは別に機関誌の刊行などを続け、他のシュルレアリストに受け継がれている[28]。一方、他国に広がったシュルレアリスムはシュステルの宣言の影響を受けることなく、独自の活動を展開した。
各国のシュルレアリスム
スペイン
1920年代にはフランス国外でもブルトンらの影響のもとに、あるいは独自に前衛文学・芸術運動が起こった。1927年にスペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ、ラファエル・アルベルティ、ビセンテ・アレイクサンドレ、ルイス・セルヌーダらによって結成された27年世代や[29]、隠喩や諧謔を用いた新しい表現形式「グレゲリーア」を生み出したラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナは[30]、しばしばシュルレアリスムの影響が指摘されるが、直接運動に関わったわけではない[31]。スペインからは、彼らと親交の深かった画家のサルバドール・ダリ、映画監督のルイス・ブニュエルが1920年代末頃にシュルレアリスムの運動に参加し、さらに画家のオスカル・ドミンゲスは1930年代に入ってから参加した。フロイトがダリに出会ったのは1938年のことであった。この出会いは、シュルレアリスムに対するフロイトの認識を変えるほどのものであり、彼はシュテファン・ツヴァイクへの手紙に「私はシュルレアリストに守護聖人と仰がれていたが、それまでは彼らのことをまったくの狂人だと思っていた(アルコール含有量で言うなら狂気95%程度)。このスペイン人の若者の純真で熱狂的なまなざし、そして疑う余地のない卓越した技術力が私の認識を変えた」と書いている[32]。
スペイン - メキシコ - オーストリア
一方、1936年にスペイン内戦下のバルセロナでバンジャマン・ペレに出会って渡仏し、シュルレアリスムの運動に参加した画家レメディオス・ヴァロは、第二次大戦中にペレとともにメキシコに亡命し、同地で知り合ったイングランド生まれの画家・小説家のレオノーラ・キャリントンとともに神秘思想や先住民の神話・伝説の影響の強い画風によって1940年代以降のメキシコのシュルレアリスムを牽引した[33]。一方、メキシコ文学におけるシュルレアリスムを代表するのはノーベル文学賞を受賞した詩人オクタビオ・パスである[34]。また、大戦中にメキシコに亡命し、同地を拠点として活動した画家に、オーストリア出身のヴォルフガング・パーレンがいる。独自のシュルレアリスム技法「フュマージュ」を生み出したパーレンは1930年代後半にパリでブルトンらと活動を共にし、37年から38年にかけて国際シュルレアリスム展などに代表作を発表し[35][36]、シュルレアリスムの美術雑誌『ミノトール』にも作品を発表した。
このほか、大戦中のシュルレアリストの亡命により、アルゼンチン、チリ、ブラジルなど南米各国にシュルレアリスムの運動が広がった。
イングランド - メキシコ
キャリントンがシュルレアリスム運動に参加するきっかけとなったのは、1936年にロンドンのニューバーリントン・ギャラリーで開催された国際シュルレアリスム展で、エルンスト、ダリ、デ・キリコ、マグリットらの作品に出会ったこと、特に同展覧会の英国側の主催者の一人ハーバート・リードが編纂した『シュルレアリスム』に掲載されたエルンストの作品《ナイチンゲールに脅かされる二人の子供》に衝撃を受けたことであった[37][38]。彼女は翌1937年に渡仏して、エルンストのもとに身を寄せた。国際シュルレアリスム展に出展するほか、文学作品は1940年にブルトンが編纂したシュルレアリスムの傑作集『黒いユーモア選集』に掲載された[39][40]。
なお、国際シュルレアリスム展は、1936年のロンドン、大規模な回顧展となった1947年のパリのほか、1938年にパリおよびアムステルダム、1940年にメキシコで開催された[34]。
ベルギー
ベルギーのフランス語圏では、1924年、『シュルレアリスム革命』誌創刊とほぼ同時に、「ベルギーのブルトン」とも言われる詩人ポール・ヌージェが[41]、詩人マルセル・ルコント、作家カミーユ・ゲーマンスとともにシュルレアリスムの機関誌『コレスポンダンス』を創刊した[41]。これに先立って、別の機関誌の創刊を企てていた画家のルネ・マグリットと作家・画家のE・L・T・メザンス、および詩人ポール・コリネやルイ・スキュトネール[42]、作曲家アンドレ・スーリー[43]、作家・写真家マルセル・マリエンらがヌージュらと合流し、ベルギー・シュルレアリスムを牽引した。画家のポール・デルヴォーもこの運動に一時期参加するが、直接フランスのシュルレアリスム運動に参加したマグリットと違って、ベルギーで活動を続けながら、シュルレアリスム展に出展していた[44]。
一方、共産主義との関わりにおいては、1932年にブルトンに出会ってシュルレアリスムに「啓示」を見いだした詩人アシール・シャヴェが1934年にラ・ルヴィエールでシュルレアリストのグループ「リュプチュール(分裂)」を結成した。これは詩作と社会改革による人間の解放を目指す運動であった[45]。
チェコスロバキア
チェコスロバキアでは、1924年、フランスの『シュルレアリスム革命』誌、ベルギーの『コレスポンダンス』誌の創刊と機を一にして、芸術家連盟デヴィエトシルに参加していた美術評論家・コラージュ作家のカレル・タイゲとヴィーチェスラフ・ネズヴァル[46]が中心となって前衛芸術運動「ポエティスム」が起こった[47]。1927年には、フィリップ・スーポーがプラハでロートレアモンに関する講演を行い、これに深い感銘を受けたタイゲがスーポーの協力を得て、ロートレアモンの『マルドロールの歌』のチェコ語訳を出版することになった[48][49]。スーポーはすでに前年、フランス共産党への入党をめぐってブルトンらと対立し、「文学的すぎる」という理由で除名されていたが[50]、無名のまま没した詩人ロートレアモンの『マルドロールの歌』を最初に発掘し、ブルトン、アラゴンに紹介したのはスーポーであり[51]、こうして、ポエティスムの運動はシュルレアリスムの運動と連動することになった。
ルーマニア
ルーマニアで詩人イラリエ・ヴォロンカとともにダダイスムの雑誌『75 H.P』を創刊した画家ヴィクトル・ブローネルは、同国の前衛詩人らが結成したドイツ表現主義、ロシア構成主義、ダダイスム、シュルレアリスムなどの前衛芸術運動に参加し、この運動の機関誌『ウヌ (Unu)』(1928年創刊、1935年終刊)に作品を掲載していた[52][53][54]。すでに1903年に渡仏し、フランスで美術教育を受けた同郷人のコンスタンティン・ブランクーシと出会ったのは1930年に渡仏したときのことであり、このときイヴ・タンギーを介してデ・キリコとブルトンに出会った彼は、1931年にシュルレアリスムに参加した。第二次大戦中もユダヤ人であるにもかかわらず亡命が叶わず、ニューヨークでの活動には参加せず、やがてブルトンを中心とする運動からは離れるが、生涯にわたってシュルレアリストであった[55][56]。
ユーゴスラビア
ユーゴスラビアでは詩人・画家のマルコ・リスティッチが早くも1925年に『シュルレアリスム革命』誌に詩を寄稿した[57]。1926年から27年にかけてパリに滞在してブルトンらシュルレアリストと親交を深め、コラージュ作品を発表し、帰国後にシュルレアリスム運動を開始し、複数の機関誌を創刊。ユーゴスラビアを代表するシュルレアリストとして文学・芸術作品を発表し続けた[58][59]。
日本
日本におけるシュルレアリスムの紹介は、1927年に瀧口修造が刊行したシュルレアリスム詩のアンソロジーが最初とされる[34]。また、ブルトン、エリュアールらと交友のあった山中散生が1933年に巴里東京新興美術展を開催し、1937年に瀧口修造との共同企画、『みづゑ』の後援による海外超現実主義作品展を開催した。これは、エルンスト、タンギー、ミロ、ピカソ、ハンス・ベルメール、マン・レイ、マグリット、デ・キリコ、インドリヒ・スティルスキー、ヘンリー・ムーア、ポール・ナッシュなど各国のシュルレアリストの作品377点を集めた大規模な展覧会であり、日本のシュルレアリスム運動における重要な契機となった[60](「日本におけるシュルレアリスム」参照)。
なお、とりわけドイツではファシズムの台頭に伴って多くの作家がフランスに亡命した。ドイツから亡命したシュルレアリスムの画家のうち、エルンストとハンス・ベルメールの作品は1937年にドイツ各地を巡回した退廃芸術展に出品されたうえに、ゲシュタポにより一時レ・ミル収容所に拘留された[61][62]。
概念・技法
シュルレアリスムの主な概念を知る上で重要なのは、1938年にパリで国際シュルレアリスム展が開催された際にブルトンとエリュアールの共編によって刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』である[63]。
オートマティスム
シュルレアリスムの基本概念はオートマティスムであり、オートマティスムは本来、生理学・精神医学用語であったが、ブルトンは「理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取り」という心的オートマティスムとして再定義した。これは言語の自動記述だけでなく、絵画表現においても同様であり、たとえば、アンドレ・マッソンは人為的なトランス状態で「自動デッザン」を制作し[64](1924年から25年にかけて『シュルレアリスム革命』誌に発表)[65]、イヴ・タンギーは、制作時に完全に自由になって思いがけない表現が生まれるように、事前に下絵を描くことはなかった[66]。また、偶然性を狙ったコラージュ、フロッタージュ、デカルコマニーなどの技法も意識の介入を排除して、無意識を表出させようという試みである[66]。実際、言語の自動記述が直接的であるのに対して、絵画の場合は描く行為・イメージ化において意識が介在するため、ピエール・ナヴィルは「絵画のオートマティスムは不可能である」と語っていた[64]。
最初の自動記述の試みは、シュルレアリスムの運動が本格的に始まる前の1919年にブルトンとスーポーによって行われた。フロイトの自由連想法の影響を受けた自動記述は、理性に制御されない純粋な思考を表現するために、できるだけ無意識に近い状態で浮かんでくる言葉を書き付けて行った。次第にその速度を上げることで、主語(主体性)が排除され、内容も前後の脈絡のない抽象的な言葉やイメージの連続になる。スーポーとブルトンはこの実験を毎日8時間から10時間にわたって行った[67][68]。この結果は同年10月から12月の『リテラチュール』誌(第8号から第10号)に「磁場」として発表され[69][70][71]、翌1920年にシュルレアリスムの出版社オ・サン・パレイユ(「同じ意味で」の意)社から刊行された[72]。自動記述の著書としては、1930年にエリュアールとブルトンによって発表された『無原罪の御宿り』も重要である[73]。ここには自動記述の試みとして、神経衰弱疑似症の実験、強烈な偏執狂の疑似症の実験、全身麻酔疑似症の実験、表現錯乱疑似症の実験、早発性痴呆症疑似症の実験などについて記述され[74]、表紙にはダリのエロティックな絵が掲載された[75]。だが、一方で、こうした自動記述の試みは、多くの場合、催眠状態で行われたため、危険を伴うものであった。1922年9月に行われた催眠実験は、バンジャマン・ペレ、ルネ・クルヴェル、ロベール・デスノスが被験者になり、催眠状態に入った3人が他の参加者の質問に答えるという霊媒実験(心霊実験)を模した試みであった。この様子についてブルトンが「霊媒の登場」と題する一種の報告書を書き、『リテラチュール』誌第2シリーズ第6号(1922年11月)に掲載した[76][77]。だが、催眠実験(睡眠実験)がエスカレートすると、被験者が自分自身や参加者に危害を加える恐れがでてきた。クルヴェルは自殺を企てようとし、デスノスは周囲の友人にナイフを持って襲いかかったという[78]。こうした危険性は、離人症や幻覚に伴う死の危険とともに、ブルトン自らが1934年の『ミノトール』誌第3・4合併号掲載の「自動メッセージ」と題する記事で明らかにし[79]、事実上、これ以後、自動記述の実験は行われなくなった[80]。
不気味なもの
フロイトが1919年に著した小論「ウンハイムリッヒ」(不気味なもの)は、「驚愕をもたらすもの、不安をかき立てるもの、ぞっとするような恐ろしさを与えるもの」として[81]、シュルレアリスムの重要な概念の一つである。フロイトはこの論文で、ドイツ・ロマン派の作家E・T・A・ホフマンの短編小説『砂男』を例に挙げて分析している[82]。ハンス・ベルメールが手足を切断された不気味で魅力的な人形(球体関節人形)を作るきっかけとなったのも、ホフマンのこの作品に基づいてジャック・オッフェンバックが作曲したオペラ『ホフマン物語』に登場する自動人形オランピアに触発されてのことであった[83]。マグリットの最初のシュルレアリスム作品とされるのは1926年制作の《迷える騎手》であるが[84]、1926年から27年にかけて制作された作品《鳥を食べる少女》や《殺意の空》には「気持ちをかき乱すような」鳥のイメージ[85]、特に血を流す鳥や死んだ鳥が多く描かれている。また、《鳥を食べる少女》の副題は「快楽」であり、同郷人の詩人ヌージェは、マグリットはこの作品でフロイトの快楽原則をさらに探求し、「快楽の残虐さ」を描いているという[85]。
アルフレッド・ジャリがソポクレスの『オイディプス王』に着想を得て書いた演劇『ユビュ王』(1896年刊行)は、シュルレアリスムの先駆、不条理演劇の先駆とされる作品であり[86]、ミロの一連の「ユビュ」作品[87]、エルンストの《オイディプス王》(1922年)、《ユビュ皇帝》(1923年)など、人間の心の混沌とした未知の領域、グロテスクで不気味な形象としてシュルレアリストが繰り返し取り上げた題材である[88]。写真家ドラ・マールのフォト・モンタージュ作品《ユビュ王の肖像》(1936年)では、アルマジロの胎児を撮ったネガフィルムを使い、象のような形象により不気味さが強調されている[89]。ヴィクトル・ブローネルの水彩《K氏の奇妙な事例》(1934年)も「ユビュ王」に着想を得た作品で、当時、欧州で台頭しつつあった独裁者の不気味な形象としてブルトンに絶賛された(同じ年に油彩《ヒトラー》も発表している)[55][90][91]。同じく1934年制作の油彩《K氏の集中力》ではさらに太った男性の裸体にセルロイド製の小さい人形をたくさん貼り付けて不気味さを強調している[92]。
このほか、ピカソが描いた牛頭人身の怪物「ミノタウロス」、アンドレ・マッソンの同じく「ミノタウロス」や恍惚状態で神託を告げた「ピューティアー」、または迷宮のモチーフ、ミロが1935年から1936年にかけて制作した一連の絵画『変身』などの神話・伝説の形象・モチーフが無意識の表象として取り上げられている。
また、女性の眼球を剃刀で切るシーンで始まるブニュエルとダリの『アンダルシアの犬』(1928年)は、「不気味なもの」を最も強力に表現した映画として、後のヒッチコック監督の作品、特に『鳥』(1963年)などに影響を与えることになる[93]。
客観的偶然
デペイズマン
シュルレアリストによって発掘されたロートレアモンの『マルドロールの歌』(1868年)の一節「解剖台上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い(のように美しい)」は、デペイズマン(異なった環境で生じる違和感、不安感、驚異)の例として挙げられることが多く、シュルレアリスムではデ・キリコ、マグリット、エルンストの作品の特徴とされる[94]。一方で、ロシア・フォルマリズムのシクロフスキーによって提唱された異化に近い概念でもあり[94]、ブルトンはこれを「客観的偶然」の概念として提唱した。すなわち、偶然による2つのものの接近・出会いによって「現実の中に潜む超現実が露呈し、不可思議(驚異)が現出する」瞬間である[95]。
コラージュ
エルンストが《近づく思春期……(昴)》(1921年)など多くの作品で用いたコラージュの技法もこのような発想に基づいている。キュビスムのコラージュ(パピエ・コレ)とシュルレアリスムのコラージュの違いは、パピエ・コレでは、あらかじめ意図された視覚的効果があり、そのために複数の要素の組み合わせるのに対して、エルンストのコラージュは、あらかじめ意図されたものではなく、既存の印刷物や写真を組み合わせることで、その偶然性によって生み出される驚きや詩的イメージが重要になることである[96]。エルンストは絵画としてだけでなく、コラージュ作品と小説を組み合わせて「ロマン・コラージュ(コラージュ小説)」として発表した[97]。こうしたエルンストのコラージュについてアラゴンは「挑戦する絵画」と題する評論を発表した[96]。パピエ・コレ、コラージュの発想から後にモンタージュ、アサンブラージュの技法が生まれることになる[98]。
フロッタージュ、グラッタージュ
「客観的偶然」の概念に基づいてエルンストが生み出した技法は、この他にもフロッタージュ(こすり出し)、グラッタージュ(削り出し)などがある。フロッタージュは、木目の浮いた床板から着想を得た技法で、板や石などの表面に直接紙を当てて、その凹凸を鉛筆などでこすり出す方法である。《全都市》(1934年)などがこの技法で描かれている[99]。
フロッタージュの応用であるグラッタージュは、キャンバス上に数種類の絵具を層状に塗り重ね、これを凹凸のある物体の上に載せ、次にパレットナイフで絵具層を削って、地塗層に物体の模様を写し出す技法である。代表作に《森と鳩》(1927年)がある[100]。
デカルコマニー
同様の発想によるデカルコマニー(転写)は、1936年の『ミノトール』誌に発表されたオスカル・ドミンゲスの作品が最初のものとされる[101]。2つ折りにした紙に絵具を入れ、再び紙を開いて偶発的な模様を得る方法であり、これを絵画に応用すると、支持体(基底材)や絵具の性質によって異なった効果が生じる[102]。
優美な屍骸
「優美な屍骸」は絵画と文学の両方において行われた共同制作である。言葉による場合は、たとえば4人がそれぞれ任意に選んだ主語、述語、目的語、補語を組み合わせる。素描の場合は、紙を4つ折りにしてつなぎ目の印だけ付け、各自が先に描かれた絵を見ないで順番に(つなぎ目の印から)続きを描いていくという方法である。「優美な屍骸」という言葉は、5人がそれぞれ選んだ言葉を組み合わせてできた「優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲む(Le cadavre / exquis / boira / le vin / nouveau)」によるものである[103]。『シュルレアリスム革命』誌の第9・10合併号(1927年10月、テーマ「自動記述」)には、言葉による「優美な屍骸」作品のほか、素描作品も5点掲載され[104]、これ以後、主にエルンスト、マッソン、ブルトン、タンギー、ブローネル、マックス・モリーズ、ジャック・エロルドらによって制作された[103][105]。また、1948年にはポルトガルのシュルレアリスムの画家アントニオ・ドミンゲス、フェルナンド・アゼヴェド、アントニオ・ペドロ、モニーツ・ペレイラによって油彩による「優美な屍骸」の大作(150 x 180 cm)が発表された[106]。
さらに造形においても、テーブルに女性の頭部、切断された手、ヴェール、多面体を配置したジャコメッティの《テーブル》[107]、オオカミ(実際にはキツネ)の剥製の頭部と尾部をテーブルの前後に固定したブローネルの代表作《狼-テーブル》(1939年)など、客観的偶然、デペイズマン、あるいは「不気味なもの」を表わす作品が制作された[108]。
その他の技法
シュルレアリスムの技法としては、このほか、ヴォルフガング・パーレンが考案したフュマージュ、ダリ独自の「偏執狂的批判的方法」、また、シュルレアリスム独自の技法ではないがダリやマグリットの作品の特徴として挙げられるトロンプ・ルイユ(だまし絵)[109]などがある。フュマージュは濡れたキャンバス(後に水彩絵具で描いたキャンバス)の表面をろうそくの煙で燻して黒い跡を付ける技法であり、幻影、亡霊、夢などを表現するオートマティスムの技法として、ダリも作品の一部に使用している[110][111]。
ダリの偏執狂的批判的方法は、フロイトの精神分析やリヒャルト・フォン・クラフト=エビングの『性的精神病質(Psychopathia sexualis)』に深い関心を抱いていたダリが、これらを独自に解釈して1930年代に絵画理論として提唱したものであり、オートマティスムとは対照的に、技巧的で緻密な表現である[112]。
トロンプ・ルイユの作品を多数制作したのは16世紀イタリアの画家ジュゼッペ・アルチンボルドであり、その奇抜さ、独創性によって20世紀になってから、主にシュルレアリストによって発掘・再評価された画家である[16]。
なお、絵画におけるオートマティスムは、後の抽象表現主義、アンフォルメルなどの絵画運動、さらにはアクション・ペインティングなどの表現様式を生むきかっけとなった[64]。
シュルレアリスムの先駆者
シュルレアリスムの先駆者、シュルレアリスムに影響を与えた作家・画家、またはシュルレアリストによって発掘・再評価された作家・画家は、主にドイツ・ロマン主義、幻想文学・幻想絵画、象徴主義、ゴシック美術やゴシック小説の作家または画家、および当時は異色とされたイタリア・ルネサンスの一部の画家である。文学については、『シュルレアリスム革命』誌、『ミノトール』誌などのシュルレアリスム運動の機関誌、およびブルトンが1940年に編纂した『黒いユーモア選集』で紹介された。画家についてもこれらの機関誌のほか、各作家が評論・随筆を発表している。たとえばスーポーの『ウィリアム・ブレイク』(1928年)、『パオロ・ウッチェロ』(1929年)、『ロートレアモン』(1946年)、エリュアールの『芸術論集』(全3巻、1952-54年)[113]、ブルトンの『超現実主義と絵画』(1928年)などである[114]。
作家
- フィリップ・ド・ボーマノワール(1252~1254-1296)- フランスの法学者、ファトラジー(13世紀フランスで流行した支離滅裂な詩)で知られる。
- マルキ・ド・サド(1740-1814)- フランス性愛文学の作家
- ジャン・パウル(1763-1825)- ドイツの小説家、反古典主義的長編小説
- E・T・A・ホフマン(1776-1822)- ドイツ幻想文学の作家、短編小説『砂男』
- ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)- フランス象徴派の詩人
- グザヴィエ・フォルヌレ(1809-1884)- フランスの詩人、小説家、劇作家
- シャルル・ボードレール(1821-1867)- フランス象徴派の詩人
- ステファヌ・マラルメ(1842-1898)- フランス象徴派の詩人
- シャルル・クロ(1842-1888)- フランスのユーモア詩人
- ロートレアモン(1846-1870)- フランスの詩人、『マルドロールの歌』
- アルチュール・ランボー(1854-1891)- フランスの詩人、『地獄の季節』、『イリュミナシオン』
- アルフレッド・ジャリ(1873-1907)フランスの小説家・劇作家、戯曲『ユビュ王』
- レーモン・ルーセル(1877-1933)- フランスの詩人・小説家
- ギヨーム・アポリネール(1880-1918)- フランスの詩人、詩集『アルコール』、演劇『ティレジアスの乳房』、性愛小説『若きドン・ジュアンの冒険』
画家
- パオロ・ウッチェロ(1397-1475)- イタリア初期ルネサンスの画家
- ヒエロニムス・ボス(ca.1450-1516)- ルネサンス期のネーデルラントの画家、幻想絵画
- ピエロ・ディ・コジモ(ca.1462-1521)- イタリア盛期ルネサンスの画家
- ハンス・バルドゥング(1484-1545)- ルネサンス期のドイツの画家・版画家
- ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593)- マニエリスムを代表するイタリアの画家、モンタージュ(寄せ絵)、トロンプ=ルイユ
- ピーテル・ブリューゲル(ca.1525-1569)- ブラバント公国(現オランダ)の画家
- フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)- スペインの画家(宮廷画家)、『黒い絵』
- ウィリアム・ブレイク(1757-1827)- イギリスの詩人・画家
- シャルル・メリヨン(1821-1868)- フランスの版画家
- ロドルフ・ブレスダン(1822-1885)フランスの版画家
- ギュスターヴ・モロー(1826-1898)- フランス象徴主義の画家
- アルノルト・ベックリン(1827-1901)- スイス象徴主義の画家
- オディロン・ルドン(1840-1916)- フランスの画家、幻想絵画
- アンリ・ルソー(1844-1910)- フランスの素朴派の画家
- マックス・クリンガー(1857-1920)- ドイツの画家、版画家、彫刻家
-
ピエロ・ディ・コジモ《プロクリスの死》1495年頃、ナショナル・ギャラリー蔵
-
ハンス・バルドゥング《死と乙女》1518-20年、バーゼル市立美術館蔵
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ジュゼッペ・アルチンボルド《夏》1573年、ルーヴル美術館蔵
-
ギュスターヴ・モロー《ヘラクレスとレルネのヒュドラ》1876年、シカゴ美術館蔵
-
オディロン・ルドン《眼=気球》1878年、ニューヨーク近代美術館蔵
-
アルノルト・ベックリン《死の島》1880年、バーゼル市立美術館蔵
-
マックス・クリンガー《手袋 : 不安》1893年、アルベルティーナ蔵
-
アンリ・ルソー《夢》1910年、ニューヨーク近代美術館蔵
日本におけるシュルレアリスム
概要
日本におけるシュルレアリスムは1920年代後半にまずは詩において開花し、1930年代に美術へと波及した。
詩人では冨士原清一、西脇順三郎、瀧口修造、北園克衛、友部正人、友川かずきなど。小説家では安部公房が優れた作品を残している。
画家には、古賀春江 (1895年-1933年)、福沢一郎 (1898年-1992年)、北脇昇 (1901年-1951年)、靉光(1907年-1946年)などがいる。写真家では、山本悍右(1914年-1987年)などがいる。
漫画界では、つげ義春のねじ式(1968年月刊『ガロ』6月増刊号に発表)によって初めてシュルレアリスム的表現の可能性が切り開かれ[要出典]、漫画界のみならず多くの知識人、芸術家などに多大な影響を与えるとともに全共闘世代の圧倒的支持を得た[要出典]。
日本におけるシュルレアリスムは、ネオ・ダダの系譜にある雑誌『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(1924年-1926年)から北園克衛、稲垣足穂、宇留河泰呂が、冨士原清一の『列』に合流して日本最初のシュルレアリスム専門雑誌『薔薇・魔術・学説』(1927年-1928年、冨士原清一が主宰)が創刊されるなど、初期においてダダからの流れが重要な役割を果した。
また、愛知県では文化人の間でシュルレアリスムが流行し[115]、特に愛知県名古屋市はシュルレアリストの拠点となっていた。その理由として、愛知県在住の詩人である山中散生がフランスのシュルレアリストと書簡で交流しており[115]、愛知県にはフランスのシュルレアリスムの情報が直接もたらされていたことが挙げられる[115]。同じく愛知県在住の画家であった下郷羊雄も、山中散生に感化されてシュルレアリスムに傾倒し[115]、やがて愛知県のシュルレアリストの中心人物となっていった[115]。当地におけるシュルレアリスムの興隆は、のちに「名古屋のシュルレアリスム」と称される一大ムーブメントとなった。名古屋のシュルレアリスムの系譜に連なる者としては、画家の尾澤辰夫らがいる。
俗語としてのシュルレアリスム
1990年代末期頃から、日本のメディアや俗語において「シュール」であるということは、超現実主義の意味から逸脱して「ナンセンス」「不条理」であるという意味で使われるようになった。あくまで「シュールな」「シュールだ」というように略称でのみ使われ、本来のシュルレアリスムからは独立した別の概念として扱われている。
研究
- 近年の日本においてシュールレアリスム研究及び大学におけるシュールレアリスムの講義並びに実技(自由連想法を用いたディスカッションを含む)を行っている人物として多田夏雄が挙げられる。著書としてシュールレアリスム論(文星芸術大学紀要)。
- シュールレアリスム研究家 黒沢義輝は戦前の日本におけるシュールレアリスム研究の第一人者である。
- メディアアートの講義においてデペイズマンなどシュルレアリスムの技法の解説を行っている人物として中野圭がいる。
関連文献
- 鈴木雅雄、林道郎『シュルレアリスム美術を語るために』(水声社、2011)ISBN 9784891768348
- 酒井健『シュルレアリスム : 終わりなき革命』(中央公論新社〈中公新書〉、 2011)ISBN 9784121020949
- 谷川渥『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房、2009)ISBN 9784622074090
- 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本 : イメージの受容と創造』(日本放送出版協会、2009)ISBN 9784140911358
- 鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、2007)ISBN 9784582702743
- 巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002)ISBN 4480086781
- アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992)ISBN 4003259017
- アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士訳、岩波書店〈岩波文庫〉、2003)ISBN 4003259025
- アンドレ・ブルトン『魔術的芸術 普及版』(巖谷國士・谷川渥ほか訳、河出書房新社、2002、新版2017)ISBN 430927904X
- アンドレ・ブルトン『超現実主義宣言』(生田耕作訳、中央公論新社〈中公文庫〉、1999)ISBN 412203499X
- 『水声通信:20 思想史のなかのシュルレアリスム 』(水声社、2007年)
- 『水声通信:23 シュルレアリスム美術をどう語るか』(水声社、2008年)
- 『水声通信:25 シュルレアリスム美術はいかにして可能か』(水声社、2008年)
- 巖谷國士編 『ユリイカ 詩と批評 総特集ダダ・シュルレアリスムの21世紀』、2016年8月臨時増刊号、青土社
- 巌谷國士編 『ユリイカ シュルレアリスム』、1993年8月臨時増刊号、青土社
- 澤正宏/和田博文編『日本のシュールレアリスム』(世界思想社、1995年)
脚注
- ^ 日本では「超現実主義」のほか、カタカナ表記はフランス語と英語の発音が混同され「シュールレアリスム」、「シュールリアリスム」、「シュールレアリズム」、「シュールリアリズム」、「シュルレアリズム」、「シュルリアリズム」、「シュルリアリスム」などの表記揺れがある。
- ^ フランス語発音: [sy(ʁ)ʁealism]
- ^ 英語発音: [səˈri(ə)lɪz(ə)m]
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- ^ a b c d e 陶山伊知郎「医学博士・俳人馬場駿吉×『アイチアートクロニクル 1919-2019』」『医学博士・俳人 馬場駿吉 ×「アイチアートクロニクル 1919-2019」【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 - 美術展ナビ|アート・エキシビション・ジャパン』読売新聞グループ本社・読売新聞東京本社・読売新聞大阪本社・読売新聞西部本社。
関連項目
外部リンク
- Czech and Slovak Surrealist Group
- The Surrealist Movement in the United States
- Surrealist group of Stockholm
- Serbian Surrealism
- シュルレアリスム:現代美術用語辞典 - artscape
- Mélusine (le Centre de Recherches sur le Surréalisme de Paris III) - パリ第3大学シュルレアリスム研究所
- The AHRB Centre for Studies of Surrealism and its Legacies - マンチェスター大学AHRBシュルレアリスムとその遺産研究所
- Répertoire du théâtre surréaliste, son amont, son aval, André-Gilles Bourassa - ケベックの作家アンドレ=ジル・ブラッサによるシュルレアリスム演劇
- Surréalistes de tous les pays - 世界各国のシュルレアリスト(日本のシュルレアリスト50人を含む、フランス語)- Mélusine