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「夜ノ森駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 03:08時点における版

夜ノ森駅
駅舎(2009年2月)
よのもり
Yonomori
富岡 (5.2 km)
(4.9 km) 大野

地図

夜ノ森駅の位置(福島県内)
夜ノ森駅
夜ノ森駅
夜ノ森駅位置図(福島県)
福島県双葉郡富岡町夜の森北一丁目33[1]
北緯37度21分56.85秒 東経140度59分31.30秒 / 北緯37.3657917度 東経140.9920278度 / 37.3657917; 140.9920278座標: 北緯37度21分56.85秒 東経140度59分31.30秒 / 北緯37.3657917度 東経140.9920278度 / 37.3657917; 140.9920278
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 常磐線
キロ程 253.0 km(日暮里起点)
電報略号 ヨモ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線[1]
乗車人員
-統計年度-
359人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1921年大正10年)3月15日[1]
備考 簡易委託駅[1]
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夜ノ森駅(よのもりえき)は、福島県双葉郡富岡町夜の森北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線である[1]

2011年3月11日東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故により営業休止中である[1]

概要

当駅は富岡町の北部に位置し、夜ノ森公園の最寄り駅である。

前述のように当駅は東日本大震災の影響で営業休止中である。2020年(令和2年)3月14日に、当駅を含む富岡 - 浪江間の復旧に伴い営業再開予定[2]

当駅における運行形態(震災前)

  • 上り(富岡・いわき日立水戸方面)
    • 日中は概ね1 - 2時間に1本の割合で普通列車(いわき行、一部水戸行)が停車していた。
  • 下り(浪江・原ノ町相馬仙台方面)
    • 日中は概ね1 - 2時間に1本の割合で普通列車(原ノ町行、一部仙台行)が停車していた。

当駅における運行形態(復旧後)

  • 上り(富岡・いわき・日立・水戸方面)
    • 日中は概ね2 - 3時間に1本の割合で普通列車(いわき行、一部水戸行)が停車する〈予定〉[3]
  • 下り(浪江・原ノ町・相馬・仙台方面)
    • 日中は上り同様、概ね2 - 3時間に1本の割合で普通列車(原ノ町行)が停車する〈予定〉[3]

歴史

夜ノ森に駅と水利をもたらした但野芳蔵の顕彰碑

大正7年頃、[要出典]日本鉄道の基本計画は富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って大野へ接続する路線が計画された。また、当時川内村から産出される木材を輸送するために、富岡駅まで運ぶ必要があった。このため、上岡村(現富岡町夜ノ森)周辺に住む但野芳蔵[4][5]を中心とした有志一同により、1907年明治40年)頃からおおよそ2年に渡り、駅設置の請願がなされた[6]。但野は有志数人をつれて度々、鉄道省水戸局や東京に請願に赴いている。あわせて、当地の憲政会代議士であった半谷清壽の助力もあり、駅敷地の寄付などの五条件を満たすことにより、当地への駅設置が許可された[6]

駅の設置で一番の問題となったのが工費の負担と蒸気機関車への水の供給である。但野は富岡川から熊川の範囲を自費で建設することと水を供給する井戸(現夜ノ森駅駐輪場)、機関車に水を提供するための引込み線の提供を承諾し夜ノ森駅の建設の承諾をとりつける。但野が提供した人夫は1日1000人であった。

当初、誘致活動に熱心であった半谷は夜ノ森駅の道路建設に際して但野と対立し夜ノ森駅開発から完全に手をひく。1922年(大正11年)には夜ノ森駅開設に関わった殉職者のために慰霊祭が執り行われた。但野芳蔵の功績は夜ノ森駅駐車場に建てられた顕彰碑に刻まれている。

年表

駅構造

島式ホーム1面2線を有する地上駅になっている。ホームは切り通しの中に置かれ、駅舎は切り通しの東側に設けられている。ホーム上には待合所が置かれている。以前は外側両方に側線があった。

震災前は富岡駅管理の簡易委託駅で、実際には受託者の富岡町がJR水戸鉄道サービス(当時)に再委託していた。毎年5月のツツジの時期には日中時間帯に管理駅から富岡駅員が派遣され、ホームでの旅客整理にあたっていた。

なお、駅舎は避難指示に伴い老朽化が進んだことや、除染後も線量が下がらない可能性から[17]、運転再開に当たって、先行して東西自由通路を設けた橋上駅へ改築を予定している[14]。富岡町では、新たな待合室は可能な限り現在の駅舎の姿に近づけ、駅舎内の備品を配置するなど震災遺構としての機能を備えるとしている[17]。広場も整備されるとのこと[18]

のりば

番線 路線 方向 行先
1 常磐線 上り いわき水戸方面
2 下り 原ノ町仙台方面

利用状況

JR東日本によると、2010年度(平成22年度)の1日平均乗車人員は359人である[利用客数 1]

近年の推移は以下のとおりである。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
備考 出典
2000年(平成12年) 401   [利用客数 2]
2001年(平成13年) 401   [利用客数 3]
2002年(平成14年) 383   [利用客数 4]
2003年(平成15年) 383   [利用客数 5]
2004年(平成16年) 386   [利用客数 6]
2005年(平成17年) 380   [利用客数 7]
2006年(平成18年) 382   [利用客数 8]
2007年(平成19年) 391   [利用客数 9]
2008年(平成20年) 378   [利用客数 10]
2009年(平成21年) 380   [利用客数 11]
2010年(平成22年) 359   [利用客数 1]
2011年(平成23年)   2011年3月11日以降、営業休止  
2012年(平成24年)    
2013年(平成25年)    
2014年(平成26年)    
2015年(平成27年)    
2016年(平成28年)    
2017年(平成29年)    
2018年(平成30年)    

駅周辺

桜の季節になると、公園周辺の公道は歩行者天国となり、ライトアップされた夜桜を堪能できる。(2008年4月12日)

福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域に位置するため、駅構内およびロータリー付近への立入は禁止されている。当駅付近の常磐線より西側の区域は避難指示を解除されており、駅構内の様子を帰還困難区域外から見ることは可能。

なお、現駅舎のある東側の区域も運転再開前の2020年3月10日に特例的に避難指示を解除する。

路線バス

駅前「夜の森駅前」バス停から新常磐交通が発着していたが、現在は休止中。

ツツジ

改札外から夜ノ森駅ホームを望む 2009年6月14日撮影

夜ノ森の名所として有名であるが、当駅はツツジの名所として有名である。ホームの両側1kmほどの範囲に約6000株のツツジが植えられており、1981年(昭和56年)には「花と緑の駅コンクール」最優秀賞[19]1986年にはツツジが富岡町の花となり[20]2002年(平成14年)に東北の駅百選に選定された[1]。ツツジが咲く季節である5月には、線路両側の斜面がツツジの花で覆われた。

起源・震災前

ツツジの移植の起源は当時東京で暮らしていた半谷が東京の山手線駒込駅の土手[20]に植えられたツツジを見て「夜ノ森」という暗いイメージを「花の森」にしたいと1939年(昭和14年)からツツジを移植したのがはじまりである。その後、但野芳美・田中武雄をはじめとする有志が再移植[要検証]し現在にいたっている。地域住民により年1度、下草刈りなどのボランティア活動も行われている[19]。 ツツジのシーズンには「スーパーひたち」が当駅を減速して通過した[21][19]。簡易委託駅であったため、発券できる券種は限定されていたため、通常は入場券の発売をしていないが、ツツジ花見客のために花のシーズンのみに限り入場券を発売した。

伐採・再生

震災後、福島第一原子力発電所からおよそ7㎞の地点にある当駅構内は帰還困難区域に含まれた。このため当駅を含む富岡 - 浪江間は比較的高い放射線量の区間がある(空間線量率平均4.1μSv/h 当駅付近もほぼ同等[22])。

2016年(平成28年)3月18日より順次着手している除染・復旧工事ではバラストやまくらぎの交換のほか、除草・伐採、のり面・路盤のすきとり、モルタル・植生基材吹付がおこなわれる[23][24][25]。この除染に当たり、2016年8月にJR東日本からツツジの伐採の方針が示され[19]、富岡町は再考を求めた。JR側は一部を駅舎北側に移植する案を示したが、樹皮や周辺土壌の放射性物質濃度は1キロ当たり数万ベクレルに及ぶため、町では風評を考え移設を断念し、高圧洗浄しても枯れる可能性が高いことから伐採・現地再生と植樹を行う方針となった[20]

これにより既存のものは幹10cmを残して伐採し、表土剥ぎ取り、被覆材吹付を行うほか、新たな花壇を設け、避難指示解除時期にあわせ新たな苗木を植える計画である[26]。なお富岡町で樹木医に相談したところ開花まで伐採後5年かかると見込んでいる[20][26]

隣の駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
常磐線
富岡駅 - 夜ノ森駅(休止中) - 大野駅(休止中)

脚注

記事本文

  1. ^ a b c d e f g 『週刊 JR全駅・全車両基地』 50号 郡山駅・会津若松駅・三春駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年8月4日、21頁。 
  2. ^ a b c d "常磐線(富岡駅~浪江駅間)の運転再開について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 17 January 2020. 2020年1月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年1月17日閲覧
  3. ^ a b c "常磐線(富岡駅〜浪江駅間)の運転再開及びおトクなきっぷの発売等について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道水戸支社. 17 January 2020. 2020年1月20日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年1月20日閲覧
  4. ^ 但野芳蔵翁伝 富岡町教育委員会
  5. ^ わたしたちの町とみおか-024 4.きょうどを開いた人々 - 富岡町教育委員会
  6. ^ a b 富岡町史編纂委員会、「富岡町史 第一巻 通史」、富岡町、1988年、929頁
  7. ^ 大蔵省印刷局、『官報 1921年03月02日(第二千五百七十一號) 鐵道省告示第十九號』、1921年、34頁
  8. ^ a b 富岡町史編纂委員会、「富岡町史 第一巻 通史」、富岡町、1988年、930頁
  9. ^ “「夜ノ森駅」解体へ 1世紀にわたり富岡町民らの生活支える”. 福島民友 みんゆうNet. (2018年6月8日). http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180608-277857.php 2018年6月17日閲覧。 
  10. ^ JR常磐線夜ノ森駅舎の解体について”. 富岡町 (2019年1月15日). 2019年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月8日閲覧。
  11. ^ “JR常磐線の夜ノ森駅駅舎の解体工事開始 福島第1原発事故後の不通区間”. 毎日新聞. (2019年1月21日). オリジナルの2019年1月21日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/DLc9A 2019年1月21日閲覧。 
  12. ^ "常磐線(富岡駅〜浪江駅間)の試運転の実施について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道水戸支社. 4 December 2019. 2019年12月6日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年1月22日閲覧
  13. ^ “JR常磐線が3月14日全線復旧 震災で不通、最後の区間再開”. 共同通信. (2019年12月14日). オリジナルの2019年12月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191214071900/https://this.kiji.is/578413828761355361?c=39546741839462401 2019年12月14日閲覧。 
  14. ^ a b “<富岡・夜ノ森駅>自由通路 来年度末までに整備”. 河北新報. (2018年6月8日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180612140831/https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201806/20180608_61059.html 2018年6月8日閲覧。 
  15. ^ "常磐線夜ノ森駅東西自由通路及び橋上駅舎新設工事について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道水戸支社. 15 February 2019. 2019年2月15日閲覧
  16. ^ “常磐線3月14日全線再開”. 読売新聞. (2020年1月18日). オリジナルの2020年1月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200118164913/https://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20200118-OYTNT50043/ 2020年1月21日閲覧。 
  17. ^ a b 「夜ノ森駅舎」解体へ 1世紀にわたり富岡町民らの生活支える”. 福島民友 (2018年6月8日). 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月8日閲覧。
  18. ^ 高速道など『交通網』整備加速 常磐線は20年3月・全線再開通へ - 福島民友新聞、2019年9月12日
  19. ^ a b c d 消える富岡のシンボル 夜ノ森駅のツツジ撤去へ”. 福島民報社. p. 東日本大震災「福島第一原発事故」アーカイブ (2016年10月4日). 2016年12月14日閲覧。
  20. ^ a b c d 曽根田和久 (2017年1月27日). “ツツジ、また咲くか…除染で伐採、住民ら再生へ”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/articles/20170128/k00/00e/040/271000c 2017年1月30日閲覧。 
  21. ^ ツツジの構内を低速運転 福島・JR夜ノ森駅”. 産経新聞 (2010年5月7日). 2010年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月7日閲覧。
  22. ^ 原子力被災者生活支援チーム水・大気環境局・環境省 (2015年3月27日). “資料3-1 JR常磐線の空間線量調査結果”. 浜通りの復興に向けたJR常磐線復旧促進協議会 第2回 議事次第. 国土交通省. 2016年12月13日閲覧。
  23. ^ "JR常磐線の全線開通の見通しについて" (Press release). 国土交通省. 10 March 2016. 2016年3月10日閲覧
  24. ^ "常磐線の全線運転再開の見通しについて" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 10 March 2016. 2016年3月10日閲覧
  25. ^ “常磐線、20年3月までに全線再開 JR東が発表”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年3月10日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H85_Q6A310C1CR8000/ 2016年3月14日閲覧。 
  26. ^ a b 夜ノ森駅ツツジ現地再生 除染伐採後の幹活用 JRに要望”. 福島民報社 (2016年11月25日). 2016年12月14日閲覧。

利用状況

  1. ^ a b 各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  2. ^ 各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  3. ^ 各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  4. ^ 各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  5. ^ 各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  6. ^ 各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  7. ^ 各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  8. ^ 各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  9. ^ 各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  10. ^ 各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。
  11. ^ 各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年3月4日閲覧。

関連項目

外部リンク