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* 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 904 |
* 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 904 |
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2019年10月29日 (火) 00:16時点における版
藤原 苡子 | |
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第74代天皇母 | |
皇太后 | 嘉承2年(1108年)12月13日(追贈) |
誕生 | 承保3年(1076年) |
崩御 |
康和5年1月25日(1103年3月5日) |
陵所 | 宇治陵 |
諱 | 苡子(いし/しげこ) |
氏族 | 藤原氏(北家・閑院流) |
父親 | 藤原実季 |
母親 | 藤原睦子(藤原経平の娘) |
配偶者 | 堀河天皇 |
入内 | 承徳2年(1098年)10月 |
身位 | 女御 |
藤原 苡子(ふじわら の いし/しげこ、承保3年(1076年) - 康和5年1月25日(1103年3月5日))は平安時代後期の皇妃。第73代堀河天皇女御、第74代鳥羽天皇生母。父は大納言藤原実季、母は藤原睦子(藤原経平女)。同母兄に藤原公実がいる。
生涯
承徳2年(1098年)堀河天皇に入内、女御の宣旨を受ける。康和2年(1100年)従四位下。
康和5年(1103年)第一皇子宗仁親王(鳥羽天皇)を出産するが、難産のため死去。同年従二位を追贈。嘉承2年(1108年)鳥羽天皇の即位で皇太后を追贈。
苡子は白河院の従姉妹(院の生母茂子の姪)で、入内に当たっては院自ら世話をしたという。中宮篤子内親王は高齢で子女に恵まれず、皇子出産の期待をかけられた苡子は宗仁親王を産んだが、産後の肥立ちが悪く28歳で死去した。なお、苡子の兄公実は鳥羽天皇の外戚に、また姪の璋子は鳥羽天皇の中宮となるなど、閑院流発展の元となった。
参考文献
- 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 904