藤原実季
表示
時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 長元8年(1035年) |
死没 | 寛治5年12月24日(1092年2月4日) |
別名 | 後閑院贈太政大臣 |
官位 |
正二位、大納言 贈正一位、太政大臣 |
主君 | 後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流 |
父母 | 父:藤原公成、母:藤原定佐の娘 |
兄弟 | 実季、慶信、頼仁、茂子 |
妻 | 藤原睦子(藤原経平の娘) |
子 | 公実、保実、仲実、苡子(堀河天皇女御) |
特記 事項 | 鳥羽天皇の外祖父 |
藤原 実季(ふじわら の さねすえ)は、平安時代後期の公卿。藤原北家閑院流、権中納言・藤原公成の次男。官位は正二位・大納言、贈正一位・太政大臣。後閑院贈太政大臣と呼ばれた。
経歴
[編集]曾祖父は閑院流の祖太政大臣藤原公季だが、実季の代になると閑院流は藤原氏の嫡流からは大きく外れており、28歳で参議となった父公成に対し、30歳にして官位は正五位下と実季の昇進は遅々として進まなかった。
しかしながら、妹の茂子が藤原能信の養女として皇太子・尊仁親王の妃になり、第一皇子の貞仁親王を始めとして一男四女を産んでいたことで、実季は尊仁親王の信任を得ていた。そして、治暦4年(1068年)に尊仁親王が即位(後三条天皇)すると、実季は翌延久元年(1069年)に蔵人頭に、延久4年(1072年)には参議と、天皇の近臣として急速に昇進し、一躍公卿の仲間入りをした。
後三条天皇の死後、貞仁親王が即位(白河天皇)した後も、実季は実の外伯父として天皇の信任を得て、正二位・大納言にまで昇った。
死後、娘の藤原苡子が堀河天皇に入内し鳥羽天皇の生母となったことにより、天皇の外祖父として正一位・太政大臣を追贈された。
官歴
[編集]- 永承元年(1046年)従五位下
- 永承6年(1051年)侍従
- 天喜6年(1058年)従五位上
- 康平4年(1061年)左近衛少将
- 康平5年(1062年)備前権介
- 康平7年(1064年)正五位下
- 治暦2年(1066年)従四位下
- 治暦4年(1068年)備中介、従四位上
- 延久元年(1069年)左中将、蔵人頭、兼左京大夫
- 延久2年(1070年)正四位下、兼美作権守、右中将、
- 延久4年(1072年)右兵衛督、参議
- 延久5年(1073年)検非違使別当、左兵衛督、従三位
- 延久6年(1074年)兼中宮権大夫、兼近江権守、正三位、権中納言
- 承保2年(1075年)従二位、右衛門督、正二位
- 承暦3年(1079年)左衛門督
- 承暦4年(1080年)権大納言、兼春宮大夫
- 永保3年(1083年)大納言