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「リーゼングロス」の版間の差分

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'''リーゼングロス'''(欧字名:{{Lang|en|Riesengross}}、[[1979年]][[5月4日]] - [[2007年]][[3月31日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|title=リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000116514/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-06}}</ref>。
'''リーゼングロス'''は、[[日本]]で生産・調教された[[競走馬]]・[[繁殖牝馬]]。第42回[[桜花賞]]の優勝馬。そのほかのおもな勝鞍に[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]などがある。[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半妹]]に[[マーサレッド]](1983年優駿賞最優秀3歳牝馬)や[[タケノベルベット]]([[エリザベス女王杯]]優勝馬)がいる。


1982年の[[桜花賞]]優勝馬である。[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半妹]]に、1983年度優駿賞最優秀3歳牝馬[[マーサレッド]]、エリザベス女王杯を制した[[タケノベルベット]]がいる。
馬名のRiesengroß(登録上の表記はRiesengross)は、[[ドイツ語]]で「巨大な〜」という意味を表す言葉を二つ重ねた (riese、groß) ものである。


== 戦績 ==
== 生涯 ==
=== 3歳時 ===
当時の[[リーディングサイアー]]であった[[アローエクスプレス]]の産駒で、のちの桜花賞馬と期待されて当時新鋭の新関力厩舎に入厩。初夏の[[札幌競馬場|札幌]]のダート戦でデビューし、2着に10馬身差をつけ圧勝した。


=== デビューまで ===
その後、[[札幌2歳ステークス|北海道3歳ステークス]](当時はダート1200mで開催されていた)に進むが9着に惨敗。ここで陣営はダートに見切りをつけ、芝に路線変更。条件戦3戦目の黒松賞に勝ち、暮れの3歳牝馬ステークスに1番人気として駒を進めるものの8着に破れた。勝ったのは当時5連勝中で良血の[[ビクトリアクラウン]]であった。
タケノダンサーは、[[チャイナロック]]を父に持つ牝馬で、競走馬としてデビューすることなく、1974年に[[繁殖牝馬]]となった<ref>{{Cite web|title=タケノダンサー|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000043534/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-07}}</ref>。不受胎などしばらく産駒生産には至らなかったが、1978年にようやく初仔の牝馬(父:ラフィンゴラ<ref group="注釈">後の[https://www.jbis.or.jp/horse/0000108237/ エクセルレディ]。[[地方競馬]]に登録され12戦0勝の成績を残した。</ref>)を産んだ<ref name="優駿1989-8-22">『優駿』1989年8月号 22頁</ref>。続いて[[内国産馬|内国産種牡馬]]の[[アローエクスプレス]]が配合され、翌1979年5月4日、[[北海道]][[静内町]]の武岡牧場にて2番仔の牝馬(後のリーゼングロス)が誕生した<ref name="優駿1989-8-22" />。


牧場では「'''福舞'''」と呼ばれ、当歳時はおとなしく、人の手がかからない馬であった<ref name="優駿1989-8-23">『優駿』1989年8月号 23頁</ref>。2歳の春に首が「夏癬」という皮膚病に見舞われ、雨の時は痒みが止まらなかった<ref name="優駿1989-8-23" />。ある日放牧されたころに雨が降ってしまい、痒さに暴れていたところを他の馬に押し倒され、牧場の柵に激突<ref name="優駿1989-8-23" />。倒れた福舞が全く動かなくなったことから、周囲は死亡したと認識して[[獣医師]]の派遣を要請したが、やがて立ち上がり、普段通りに動き始めた。この一件から気性が荒くなるなど、福舞の性格が変化した<ref name="優駿1989-8-23" />。
=== 4歳時 ===
[[クイーンカップ]]も勝ち牝馬クラシック不動の中心になると思われたビクトリアクラウンが剥離骨折のため休養し、混戦模様となった春の[[クラシック (競馬)|クラシック]]。[[フィリーズレビュー|阪神4歳牝馬特別]]から始動したリーゼングロスは、[[清水英次]]との新コンビで2着を確保し、無事に出走権を確保した。


福舞は、三島武が所有することが決定し、三島により[[ドイツ語]]で「大いなるもの」を意味する「'''リーゼングロス'''」という競走馬名が与えられた<ref name="優駿1989-8-23" />。
そして迎えた本命不在の[[桜花賞]]。前走の結果が評価されて21頭立ての2番人気に推された。レースでは好位の外目から進出し、1頭だけ抜けた強さで後続を突き放し、2着のメジロカーラ(後に4歳牝馬で[[京都大賞典]]勝ち)に5馬身をつける快勝でクラシック制覇。後の桜花賞馬という陣営の期待に強い競馬で応えた。続く[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]では堂々の1番人気に応えて勝利。不動の大本命として[[優駿牝馬]](オークス)をむかえた。


=== 競走馬時代 ===
24頭立ての1番人気で迎えた優駿牝馬。しかし本馬場入場時に突如驚いて飛び跳ね、按上の清水を振り落としたリーゼングロスはレース直前に[[空馬|カラ馬]]のままコースを丸々1周分走ってしまう。その後の馬体検査で異常はなかったためそのまま出走した。レースは直線早め先頭から先に抜け出した[[シャダイアイバー]]を捕えきろうとするが、捕えきれずに0.1秒差の2着に敗れ、2冠はならなかった。


==== 3歳(1981年) ====
その後、[[函館記念]]に出走したが、優駿牝馬での激走の影響もあってか惨敗。疲れの取れないリーゼングロスは秋を全休し翌春まで休養した。さらにシャダイアイバーも[[屈腱炎]]を発症したため離脱し、春のクラシックホース2頭がいなくなった[[エリザベス女王杯]]は復活したビクトリアクラウンが制し、[[JRA賞最優秀3歳牝馬|最優秀4歳牝馬]]の座も同馬の手に渡った。
[[美浦トレーニングセンター]]の新関力厩舎に入厩した<ref name="優駿1989-8-24">『優駿』1989年8月号 24頁</ref>。


3歳夏の1981年6月6日、[[札幌競馬場]]の[[新馬戦]](ダート1000メートル)に[[中野渡清一]]が騎乗し、単勝2番人気でデビューを果たした。最終コーナーで先頭に立つとそれから差を広げ、後方に10馬身離して優勝した<ref name="優駿1989-8-24" />。続く[[札幌2歳ステークス|北海道3歳ステークス]]では2番人気の支持も、馬群で砂を被り走る気を失い9着、本州に戻り[[中山競馬場]]のカンナ賞、[[東京競馬場]]の黄菊賞では1番人気に推されながらそれぞれ敗退した<ref name="優駿1989-8-24" />。
=== 5歳時 ===
復帰後は、勝つことはできなかったが、[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]で5着に入着するなど牡馬に混じって善戦し、[[目黒記念#目黒記念(秋)|目黒記念(秋)]]を最後に、5歳いっぱいで引退した。


11月28日、5戦目の黒松賞で後方からの追い込みが決まり2勝目。12月12日、中山競馬場の3歳牝馬ステークスでは、[[新潟3歳ステークス]]を制した[[ビクトリアクラウン]]との対決に注目が集まった<ref name="優駿1989-8-24" />。リーゼングロスが1番人気に推されたが、両隣から挟まれる不利を受け、8着に敗退、一方のビクトリアクラウンは連勝を果たした<ref name="優駿1989-8-24" />。以後、笹針治療を受けるなど休養に入り、3歳を終えた<ref name="優駿1989-8-24" />。
== 引退後 ==

引退後は繁殖牝馬として代表産駒に優駿牝馬3着のアインリーゼンや[[七夕賞]]勝ちのリーゼンシュラーク、エンゲルリーゼン(重賞優勝馬エンゲルグレーセの母)などがいた。繁殖引退後も繋養先のマツケン農場で悠々自適の生活を送っていたが、[[2007年]][[3月31日]]に老衰のため死亡。28歳の大往生であった。しかしアインリーゼンは現役中に死亡し、ほかに5頭残した牝馬産駒のうちただ一頭繁殖入りしたエンゲルリーゼンも後継牝馬を残せないまま死亡しており、リーゼングロスの血は絶えてしまった。
==== 4-5歳(1982-83年) ====
4歳となる1982年の初戦には、[[桜花賞]]の[[トライアル競走]]である[[阪神4歳牝馬特別]]を選択。脚への不安から満足に調教できず飼葉を加減し、馬体重はマイナス14キログラム、さらに鞍上が初騎乗となる[[清水英次]]だったことから、人気を落とし7番人気の支持であった。担当[[厩務員]]の長谷部謙司は、この時の状態を「6分ぐらいの出来」と評している<ref name="優駿1989-8-25">『優駿』1989年8月号 25頁</ref>。不良馬場の中後方待機を選択し、直線では内側に持ち出して伸び、2着を確保した。逃げたツキマリーがそのまま優勝し、その1馬身4分の1遅れての入線であった<ref name="優駿1989-8-25" />。清水は、不良馬場で35秒台の末脚を見せたことを高く評価し「最後の100メートルでは勝てるかなと思ったほどだ<ref name="優駿1989-8-25" />」とも話した。

続いて4月11日の[[桜花賞]]に出走。3歳牝馬ステークス勝利後、さらに[[クイーンカップ]]も制したビクトリアクラウンが桜花賞直前に左膝骨折、出走を回避したことから、本命不在となる「混戦ムード<ref name="優駿1989-8-25" />」(横尾一彦)の状態が生まれた。そんな中、リーゼングロスは前走負かしたマンジュデンレディに1番人気を譲った2番人気に支持された。

スタートからツキマリーが逃げる中、リーゼングロスはその7,8馬身後ろの7番手くらいに位置した。残り600メートル地点で3番手まで進出し、最終コーナーで逃げるツキマリーに、外から並びかけると、まもなくかわして先頭となった。独走して後方との差を広げ、先頭で入線<ref name="優駿1989-8-25" />。外から追い込んだメジロカーラに5馬身差の勝利は、1975年の[[テスコガビー]]が記録した[[大差勝ち|大差]]に次ぐ史上2番目<ref group="注釈">当時</ref>の着差を記録した<ref name="優駿1989-8-25" />。清水は、[[クラシック (競馬)|クラシック競走]]初優勝となり、最終コーナー時点で勝利を確信していたと明かしている<ref name="優駿1989-8-25" />。

二冠目の[[優駿牝馬]](オークス)に向けて、トライアル競走の[[東京4歳牝馬特別]]に1番人気の支持で出走<ref name="優駿1989-8-25" />。第2コーナーで両隣に挟まれて失速する不利を受け、一時最後方に位置した。しかし、直線で位置を上げ、半馬身差で先頭で入線した<ref name="優駿1989-8-25" />。この勝利に、横尾一彦は「まるで調教をつけているように馬なりのままの楽勝<ref name="優駿1989-8-25" />」と表している。清水は、前哨戦のため全力で追うことを避けたが、追えば桜花賞並みの着差が期待できたとしており「オークスも自信がありますよ<ref name="優駿1989-8-25" />」と話した。

4月23日の[[優駿牝馬]](オークス)に参戦。リーゼングロスに人気が集まり、優駿牝馬史上初めてとなる[[単枠指定制度]]の対象となった<ref name="優駿1989-8-26">『優駿』1989年8月号 26頁</ref>。ところが、馬場入場後の返し馬にて、通路の切れ目に驚いて飛んでしまい、騎手を落として放馬<ref name="優駿1989-8-26" />。向こう正面の通路から正反対の直線コース坂上まで1200メートルを[[空馬]]状態で走ってしまった<ref name="優駿1989-8-26" />。やがて捕獲されて馬体検査が行われたが異状なく、落馬した清水も軽い[[脳震盪]]に留まり、人馬とも出走することとなった<ref name="優駿1989-8-26" />。

スタートから先行して4番手に位置し、直線では先に抜け出していた[[シャダイアイバー]]目がけて追い上げた<ref name="優駿1989-8-26" />。馬体を併せて200メートル以上競り合ったが、半馬身届かず2着敗退、二冠を逃した<ref name="優駿1989-8-26" />。清水は敗因を、直前の放馬というより短距離血統の父アローエクスプレスに求めていた<ref name="優駿1989-8-26" />。

3か月間の休養を挟んで、[[函館記念]]で復帰したものの12着。その直後に、右前脚に[[屈腱炎]]をきたして9か月間の長期離脱となった<ref name="優駿1989-8-26" />。療養中に[[古馬]]となり、1983年5月21日のエメラルドステークスで復帰を果たすも9着敗退。それから秋まで出走し続けたが、勝利を挙げることができなかった。年末の[[有馬記念]]出走前に脚部不安をきたして回避し、競走馬を引退した<ref name="優駿1989-8-26" />。

=== 繁殖牝馬時代 ===
引退後は、北海道[[浦河町]]の小笠原隆牧場で[[繁殖牝馬]]となった。初仔の鹿毛の牝馬(父:[[ブレイヴェストローマン]])はアインリーゼンと命名され、中央競馬でデビューし、優駿牝馬3着<ref group="注釈">1989年5月、調教中に肺臓破裂で死亡、5歳没。</ref><ref name="優駿1989-8-26" />。2番仔リーゼンシュラーク(父:[[ハードツービート]])は1992年の[[七夕賞]]({{GIII}})を優勝した<ref>{{Cite web|title=リーゼンシュラーク|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000200647/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-07}}</ref>。さらにマツケン農場に移動後に産んだ4番仔のエンゲルリーゼンは、競走馬として16戦3勝の成績を残し<ref>{{Cite web|title=エンゲルリーゼン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000230917/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-07}}</ref>、2001年の[[エルムステークス]]({{GIII}})、2005年の[[クラスターカップ]](統一{{GIII}})を制したエンゲルグレーセの母となった<ref>{{Cite web|title=エンゲルグレーセ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000315658/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-07}}</ref><ref>{{Cite web|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|エンゲルリーゼン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000230917/broodmare/info/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-07}}</ref>。[[2007年]][[3月31日]]に[[老衰]]のため28歳で死亡<ref name="死亡">{{Cite web|title=桜花賞馬リーゼングロスが死亡|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=21203|website=netkeiba.com|accessdate=2021-07-07|language=ja}}</ref>。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=リーゼングロスの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1979102909/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-07-06|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000116514/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-06}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
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(馬場)
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!1着馬(2着馬)
|-
|[[1981年|1981]].{{0}}[[6月6日|6.{{0}}6]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|ダ1000m(良)
|8
|2
|2
|{{00}}4.7{{0}}(2人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:01.6
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|53
|(トクズイホウ)
|-
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|
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|16
|3
|5
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|1:15.7
|{{0}}中野渡清一
|53
|コウチオウショウ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月12日|9.12]]
|[[中山競馬場|中山]]
|カンナ賞
|4下
|芝1200m(不)
|11
|6
|6
|{{00}}3.0{{0}}(1人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:11.5
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|53
|ジャパンラッド
|-
|{{0|0000.}}[[11月7日|11.{{0}}7]]
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|4下
|芝1400m(不)
|9
|3
|3
|{{00}}3.5{{0}}(1人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:25.8
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|53
|クボノボル
|-
|{{0|0000.}}[[11月28日|11.28]]
|中山
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|4下
|芝1600m(重)
|14
|7
|11
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|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:36.7
|{{0}}大崎昭一
|53
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|-
|{{0|0000.}}[[12月12日|12.12]]
|中山
|3歳牝馬S
|
|芝1600m(良)
|14
|8
|13
|{{00}}4.6{{0}}(1人)
|{{0}}8着
|1:37.1
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|53
|[[ビクトリアクラウン]]
|-
|[[1982年|1982]].{{0}}[[3月21日|3.21]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神4歳牝馬特別]]
|
|芝1400m(不)
|18
|4
|8
|{{0}}15.3{{0}}(7人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:25.8
|{{0}}[[清水英次]]
|54
|ツキマリー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月11日|4.11]]
|阪神
|[[桜花賞|'''桜花賞''']]
|
|芝1600m(良)
|22
|5
|11
|{{00}}7.8{{0}}(2人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:36.3
|{{0}}清水英次
|55
|(メジロカーラ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月2日|5.{{0}}2]]
|東京
|[[東京4歳牝馬特別]]
|
|芝1800m(良)
|17
|6
|11
|{{00}}3.5{{0}}(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:50.3
|{{0}}清水英次
|54
|(ユーセコクイン)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月23日|5.23]]
|東京
|[[優駿牝馬|'''優駿牝馬''']]
|
|芝2400m(良)
|24
|4
|10
|{{00}}3.7{{0}}(1人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:28.7
|{{0}}清水英次
|55
|[[シャダイアイバー]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月29日|8.29]]
|[[函館競馬場|函館]]
|[[函館記念]]
|
|芝2000m(良)
|14
|6
|10
|{{0}}19.1{{0}}(6人)
|12着
|2:02.3
|{{0}}[[東信二]]
|54
|カズシゲ
|-
|[[1983年|1983]].{{0}}[[5月21日|5.21]]
|東京
|エメラルドS
|
|芝1800m(良)
|9
|4
|4
|{{00}}8.4{{0}}(4人)
|{{0}}9着
|1:52.3
|{{0}}東信二
|57
|カミノグレース
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月3日|7.{{0}}3]]
|札幌
|[[札幌記念]]
|
|ダ2000m(良)
|16
|2
|4
|{{0}}57.3(11人)
|14着
|2:10.3
|{{0}}東信二
|55
|オーバーレインボー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月21日|8.21]]
|函館
|函館記念
|
|芝2000m(不)
|13
|4
|4
|{{0}}16.1(10人)
|{{0}}8着
|2:06.5
|{{0}}[[安田富男]]
|54
|[[ドウカンヤシマ]]
|-
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|中山
|[[オールカマー]]
|
|芝2000m(不)
|9
|6
|6
|{{0}}15.0{{0}}(6人)
|{{0}}6着
|2:04.9
|{{0}}[[菅原泰夫]]
|56
|スイートカーソン
|-
|{{0|0000.}}[[10月9日|10.{{0}}9]]
|東京
|[[毎日王冠]]
|
|芝2000m(不)
|8
|1
|1
|{{0}}22.8{{0}}(7人)
|{{0}}4着
|2:03.4
|{{0}}菅原泰夫
|55
|タカラテンリュウ
|-
|{{0|0000.}}[[10月30日|10.30]]
|東京
|[[天皇賞(秋)|'''天皇賞(秋)''']]
|
|芝3200m(良)
|12
|7
|9
|{{0}}25.9{{0}}(7人)
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|3:23.4
|{{0}}菅原泰夫
|56
|[[キョウエイプロミス]]
|-
|{{0|0000.}}[[11月20日|11.20]]
|東京
|[[目黒記念(秋)]]
|
|芝2500m(良)
|15
|7
|13
|{{0}}12.7{{0}}(5人)
|{{0}}7着
|2:35.9
|{{0}}菅原泰夫
|54
|[[モンテファスト]]
|}

* 表中の'''太字強調'''は、[[八大競走]]を示す。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
83行目: 395行目:


半妹に[[タケノベルベット]](父[[パドスール]]、[[エリザベス女王杯]]勝ち)、従兄弟に史上最年長重賞制覇で知られる[[オースミダイナー]]がいる。
半妹に[[タケノベルベット]](父[[パドスール]]、[[エリザベス女王杯]]勝ち)、従兄弟に史上最年長重賞制覇で知られる[[オースミダイナー]]がいる。

== 脚注 ==

=== 注釈 ===
<references group="注釈" />

=== 出典 ===
<references />

== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1989年8月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 42】アローの名花 リーゼングロス」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2021年7月7日 (水) 05:25時点における版

リーゼングロス
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1979年5月4日[1]
死没 2007年3月31日(28歳没)[2]
アローエクスプレス[1]
タケノダンサー[1]
母の父 チャイナロック[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 武岡牧場[1]
馬主 三島武[1]
調教師 新関力[1]美浦
厩務員 長谷部謙司[3]
競走成績
生涯成績 18戦4勝[1]
獲得賞金 1億4304万7100円[1]
勝ち鞍
八大競走 桜花賞 1982年
オープン 東京4歳牝馬特別 1982年
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リーゼングロス(欧字名:Riesengross1979年5月4日 - 2007年3月31日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1982年の桜花賞優勝馬である。半妹に、1983年度優駿賞最優秀3歳牝馬マーサレッド、エリザベス女王杯を制したタケノベルベットがいる。

生涯

デビューまで

タケノダンサーは、チャイナロックを父に持つ牝馬で、競走馬としてデビューすることなく、1974年に繁殖牝馬となった[4]。不受胎などしばらく産駒生産には至らなかったが、1978年にようやく初仔の牝馬(父:ラフィンゴラ[注釈 1])を産んだ[5]。続いて内国産種牡馬アローエクスプレスが配合され、翌1979年5月4日、北海道静内町の武岡牧場にて2番仔の牝馬(後のリーゼングロス)が誕生した[5]

牧場では「福舞」と呼ばれ、当歳時はおとなしく、人の手がかからない馬であった[6]。2歳の春に首が「夏癬」という皮膚病に見舞われ、雨の時は痒みが止まらなかった[6]。ある日放牧されたころに雨が降ってしまい、痒さに暴れていたところを他の馬に押し倒され、牧場の柵に激突[6]。倒れた福舞が全く動かなくなったことから、周囲は死亡したと認識して獣医師の派遣を要請したが、やがて立ち上がり、普段通りに動き始めた。この一件から気性が荒くなるなど、福舞の性格が変化した[6]

福舞は、三島武が所有することが決定し、三島によりドイツ語で「大いなるもの」を意味する「リーゼングロス」という競走馬名が与えられた[6]

競走馬時代

3歳(1981年)

美浦トレーニングセンターの新関力厩舎に入厩した[7]

3歳夏の1981年6月6日、札幌競馬場新馬戦(ダート1000メートル)に中野渡清一が騎乗し、単勝2番人気でデビューを果たした。最終コーナーで先頭に立つとそれから差を広げ、後方に10馬身離して優勝した[7]。続く北海道3歳ステークスでは2番人気の支持も、馬群で砂を被り走る気を失い9着、本州に戻り中山競馬場のカンナ賞、東京競馬場の黄菊賞では1番人気に推されながらそれぞれ敗退した[7]

11月28日、5戦目の黒松賞で後方からの追い込みが決まり2勝目。12月12日、中山競馬場の3歳牝馬ステークスでは、新潟3歳ステークスを制したビクトリアクラウンとの対決に注目が集まった[7]。リーゼングロスが1番人気に推されたが、両隣から挟まれる不利を受け、8着に敗退、一方のビクトリアクラウンは連勝を果たした[7]。以後、笹針治療を受けるなど休養に入り、3歳を終えた[7]

4-5歳(1982-83年)

4歳となる1982年の初戦には、桜花賞トライアル競走である阪神4歳牝馬特別を選択。脚への不安から満足に調教できず飼葉を加減し、馬体重はマイナス14キログラム、さらに鞍上が初騎乗となる清水英次だったことから、人気を落とし7番人気の支持であった。担当厩務員の長谷部謙司は、この時の状態を「6分ぐらいの出来」と評している[3]。不良馬場の中後方待機を選択し、直線では内側に持ち出して伸び、2着を確保した。逃げたツキマリーがそのまま優勝し、その1馬身4分の1遅れての入線であった[3]。清水は、不良馬場で35秒台の末脚を見せたことを高く評価し「最後の100メートルでは勝てるかなと思ったほどだ[3]」とも話した。

続いて4月11日の桜花賞に出走。3歳牝馬ステークス勝利後、さらにクイーンカップも制したビクトリアクラウンが桜花賞直前に左膝骨折、出走を回避したことから、本命不在となる「混戦ムード[3]」(横尾一彦)の状態が生まれた。そんな中、リーゼングロスは前走負かしたマンジュデンレディに1番人気を譲った2番人気に支持された。

スタートからツキマリーが逃げる中、リーゼングロスはその7,8馬身後ろの7番手くらいに位置した。残り600メートル地点で3番手まで進出し、最終コーナーで逃げるツキマリーに、外から並びかけると、まもなくかわして先頭となった。独走して後方との差を広げ、先頭で入線[3]。外から追い込んだメジロカーラに5馬身差の勝利は、1975年のテスコガビーが記録した大差に次ぐ史上2番目[注釈 2]の着差を記録した[3]。清水は、クラシック競走初優勝となり、最終コーナー時点で勝利を確信していたと明かしている[3]

二冠目の優駿牝馬(オークス)に向けて、トライアル競走の東京4歳牝馬特別に1番人気の支持で出走[3]。第2コーナーで両隣に挟まれて失速する不利を受け、一時最後方に位置した。しかし、直線で位置を上げ、半馬身差で先頭で入線した[3]。この勝利に、横尾一彦は「まるで調教をつけているように馬なりのままの楽勝[3]」と表している。清水は、前哨戦のため全力で追うことを避けたが、追えば桜花賞並みの着差が期待できたとしており「オークスも自信がありますよ[3]」と話した。

4月23日の優駿牝馬(オークス)に参戦。リーゼングロスに人気が集まり、優駿牝馬史上初めてとなる単枠指定制度の対象となった[8]。ところが、馬場入場後の返し馬にて、通路の切れ目に驚いて飛んでしまい、騎手を落として放馬[8]。向こう正面の通路から正反対の直線コース坂上まで1200メートルを空馬状態で走ってしまった[8]。やがて捕獲されて馬体検査が行われたが異状なく、落馬した清水も軽い脳震盪に留まり、人馬とも出走することとなった[8]

スタートから先行して4番手に位置し、直線では先に抜け出していたシャダイアイバー目がけて追い上げた[8]。馬体を併せて200メートル以上競り合ったが、半馬身届かず2着敗退、二冠を逃した[8]。清水は敗因を、直前の放馬というより短距離血統の父アローエクスプレスに求めていた[8]

3か月間の休養を挟んで、函館記念で復帰したものの12着。その直後に、右前脚に屈腱炎をきたして9か月間の長期離脱となった[8]。療養中に古馬となり、1983年5月21日のエメラルドステークスで復帰を果たすも9着敗退。それから秋まで出走し続けたが、勝利を挙げることができなかった。年末の有馬記念出走前に脚部不安をきたして回避し、競走馬を引退した[8]

繁殖牝馬時代

引退後は、北海道浦河町の小笠原隆牧場で繁殖牝馬となった。初仔の鹿毛の牝馬(父:ブレイヴェストローマン)はアインリーゼンと命名され、中央競馬でデビューし、優駿牝馬3着[注釈 3][8]。2番仔リーゼンシュラーク(父:ハードツービート)は1992年の七夕賞GIII)を優勝した[9]。さらにマツケン農場に移動後に産んだ4番仔のエンゲルリーゼンは、競走馬として16戦3勝の成績を残し[10]、2001年のエルムステークスGIII)、2005年のクラスターカップ(統一GIII)を制したエンゲルグレーセの母となった[11][12]2007年3月31日老衰のため28歳で死亡[2]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[13]およびJBISサーチ[14]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1981.06.06 札幌 3歳新馬 ダ1000m(良) 8 2 2 004.70(2人) 01着 1:01.6 0中野渡清一 53 (トクズイホウ)
0000.07.26 札幌 北海道3歳S ダ1200m(良) 16 3 5 008.90(2人) 09着 1:15.7 0中野渡清一 53 コウチオウショウ
0000.09.12 中山 カンナ賞 4下 芝1200m(不) 11 6 6 003.00(1人) 02着 1:11.5 0大崎昭一 53 ジャパンラッド
0000.11.07 東京 黄菊賞 4下 芝1400m(不) 9 3 3 003.50(1人) 03着 1:25.8 0大崎昭一 53 クボノボル
0000.11.28 中山 黒松賞 4下 芝1600m(重) 14 7 11 003.60(1人) 01着 1:36.7 0大崎昭一 53 (ジャイアンツシチー)
0000.12.12 中山 3歳牝馬S 芝1600m(良) 14 8 13 004.60(1人) 08着 1:37.1 0大崎昭一 53 ビクトリアクラウン
1982.03.21 阪神 阪神4歳牝馬特別 芝1400m(不) 18 4 8 015.30(7人) 02着 1:25.8 0清水英次 54 ツキマリー
0000.04.11 阪神 桜花賞 芝1600m(良) 22 5 11 007.80(2人) 01着 1:36.3 0清水英次 55 (メジロカーラ)
0000.05.02 東京 東京4歳牝馬特別 芝1800m(良) 17 6 11 003.50(1人) 01着 1:50.3 0清水英次 54 (ユーセコクイン)
0000.05.23 東京 優駿牝馬 芝2400m(良) 24 4 10 003.70(1人) 02着 2:28.7 0清水英次 55 シャダイアイバー
0000.08.29 函館 函館記念 芝2000m(良) 14 6 10 019.10(6人) 12着 2:02.3 0東信二 54 カズシゲ
1983.05.21 東京 エメラルドS 芝1800m(良) 9 4 4 008.40(4人) 09着 1:52.3 0東信二 57 カミノグレース
0000.07.03 札幌 札幌記念 ダ2000m(良) 16 2 4 057.3(11人) 14着 2:10.3 0東信二 55 オーバーレインボー
0000.08.21 函館 函館記念 芝2000m(不) 13 4 4 016.1(10人) 08着 2:06.5 0安田富男 54 ドウカンヤシマ
0000.09.25 中山 オールカマー 芝2000m(不) 9 6 6 015.00(6人) 06着 2:04.9 0菅原泰夫 56 スイートカーソン
0000.10.09 東京 毎日王冠 芝2000m(不) 8 1 1 022.80(7人) 04着 2:03.4 0菅原泰夫 55 タカラテンリュウ
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) 芝3200m(良) 12 7 9 025.90(7人) 05着 3:23.4 0菅原泰夫 56 キョウエイプロミス
0000.11.20 東京 目黒記念(秋) 芝2500m(良) 15 7 13 012.70(5人) 07着 2:35.9 0菅原泰夫 54 モンテファスト

血統表

リーゼングロス血統グレイソヴリン系ナスルーラ系) / Fairway5×5=6.25%) (血統表の出典)

アローエクスプレス
1967 鹿毛
父の父
*スパニッシュイクスプレス
Spanish Express
1962 鹿毛
Sovereign Path Grey Sovereign
Mountain Path
Sage Femme Le Sage
Sylvia's Grove
父の母
*ソーダストリーム
Soda Stream
1953 栃栗毛
Airborne Precipitation
Bouquet
Pangani Fair Trial
Clovelly

タケノダンサー
1971 栗毛
* チャイナロック
China Rock
1953 栃栗毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
母の母
* ラダンスーズ
La Danseuse
1964 鹿毛
Le Levanstell Le Lavandou
Stella's Sister
Star Dancer Arctic Star
Dancing Time F-No.2-f


半妹にタケノベルベット(父パドスールエリザベス女王杯勝ち)、従兄弟に史上最年長重賞制覇で知られるオースミダイナーがいる。

脚注

注釈

  1. ^ 後のエクセルレディ地方競馬に登録され12戦0勝の成績を残した。
  2. ^ 当時
  3. ^ 1989年5月、調教中に肺臓破裂で死亡、5歳没。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ a b 桜花賞馬リーゼングロスが死亡”. netkeiba.com. 2021年7月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』1989年8月号 25頁
  4. ^ タケノダンサー”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
  5. ^ a b 『優駿』1989年8月号 22頁
  6. ^ a b c d e 『優駿』1989年8月号 23頁
  7. ^ a b c d e f 『優駿』1989年8月号 24頁
  8. ^ a b c d e f g h i j 『優駿』1989年8月号 26頁
  9. ^ リーゼンシュラーク”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
  10. ^ エンゲルリーゼン”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
  11. ^ エンゲルグレーセ”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
  12. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|エンゲルリーゼン”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
  13. ^ リーゼングロスの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年7月6日閲覧。
  14. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月6日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1989年8月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 42】アローの名花 リーゼングロス」

外部リンク