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「ノート:地元にあって合一である立場に立つ教会」の版間の差分

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::::{{返信|Strangesnowさん}} 草稿の反映、宜しくお願い致します。ささやかですが加筆出来て嬉しく思います。--[[利用者:Solidrock0327|Solidrock0327]]([[利用者‐会話:Solidrock0327|会話]]) 2019年5月21日 (火) 15:13 (UTC)
::::{{返信|Strangesnowさん}} 草稿の反映、宜しくお願い致します。ささやかですが加筆出来て嬉しく思います。--[[利用者:Solidrock0327|Solidrock0327]]([[利用者‐会話:Solidrock0327|会話]]) 2019年5月21日 (火) 15:13 (UTC)
:::{{返信|Strangesnow様}}おっしゃるとおり「論争の歴史」を「論争」節にすることに賛成いたします。その上で「歴史」節と切り離して、節の順番を入れ替えてはどうでしょうか?それとは別に、実は私は健康上の理由でしばらくWikipediaを離れようかと思っております。昨日同僚に激やせしたと言われるまで私はあまり自分自身のことを顧みておらず、このままの状態でここに参加するのは無理であると判断いたしました。妻も心配しております。これからは通知やウオッチリストのみを確認しつつ、Strangesnow様が何か必要な資料を探す必要がある時に呼びかけて頂ければ資料集めの補助に入ったり、また、記事の用語で「教会」で申しました様な曖昧さを回避する必要がある言葉があれば少し提言させて頂く程度にさせて頂けましたら幸いです。あと、「呼喊派」についての記述ですが、昨日、複数の友人から、何か台湾で報道があって、地方召会は呼喊派とは別の団体であるという宣言を、地方召会がキリスト教諸教派代表のサイン入りで行ったと聞きました。私は中国語がさっぱりで、どう調べて良いか分かりませんが、もし、地方召会の別称に「呼喊派」という言葉を入れようかと言う検討をされる際は、慎重にされる方が良いかもしれません。重ね重ね、Strangesnow様の仲裁の労に感謝いたします。必要の際はお声がけ下さい。なるべく早く対応するようにいたします。
:::{{返信|Strangesnow様}}おっしゃるとおり「論争の歴史」を「論争」節にすることに賛成いたします。その上で「歴史」節と切り離して、節の順番を入れ替えてはどうでしょうか?それとは別に、実は私は健康上の理由でしばらくWikipediaを離れようかと思っております。昨日同僚に激やせしたと言われるまで私はあまり自分自身のことを顧みておらず、このままの状態でここに参加するのは無理であると判断いたしました。妻も心配しております。これからは通知やウオッチリストのみを確認しつつ、Strangesnow様が何か必要な資料を探す必要がある時に呼びかけて頂ければ資料集めの補助に入ったり、また、記事の用語で「教会」で申しました様な曖昧さを回避する必要がある言葉があれば少し提言させて頂く程度にさせて頂けましたら幸いです。あと、「呼喊派」についての記述ですが、昨日、複数の友人から、何か台湾で報道があって、地方召会は呼喊派とは別の団体であるという宣言を、地方召会がキリスト教諸教派代表のサイン入りで行ったと聞きました。私は中国語がさっぱりで、どう調べて良いか分かりませんが、もし、地方召会の別称に「呼喊派」という言葉を入れようかと言う検討をされる際は、慎重にされる方が良いかもしれません。重ね重ね、Strangesnow様の仲裁の労に感謝いたします。必要の際はお声がけ下さい。なるべく早く対応するようにいたします。
::::{{返信}} 節名はなにかしらの内容が記載されてから改善点があれば検討したら良いかもしれませんね。教会の特徴的に、そのへんの見解は各教会で統一されていないのだろうなあと思っています。中国で広まった運動、台湾で広まった運動、アメリカから中国へと逆輸入された運動、それぞれ異なる部分があるのかな?と想像していますが、現在の私は「[[WP:RS]]の資料も無いしぼくには特に書けることが無いな……」といったところです。お体大切になさってください。また、ウィキペディアは逃げませんので、気が向いたときに無理の無い範囲でご参加ください。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2019年5月22日 (水) 04:36 (UTC)
:::{{返信|Solidrock0327殿}}私は健康上の理由で一旦Wikipediaから離れようと思っています。貴方とはいろいろとありましたが私はここで一旦あなたと和解することを望みます。あなたが今回の草案に加筆された部分は良い加筆だと思います(多少そんな言い回しなのかが気になる所ですが)。貴方が調べられた通り、地方召会の二次資料は驚くほど少ないと思います。おそらく、フラー神学校の声明文およびWe Were Wrong発刊後、英語を含め主要言語において地方召会に対する批判を論文や報道記事で見つけるのはとても難しいのではないかと思います。ほとんどの批判は1980年代あたりのもので、「[[https://contendingforthefaith.org/en/defense/the-mindbenders/ The Mindbenders]]」や「[[https://contendingforthefaith.org/en/the-god-men-by-neil-t-duddy-and-scp-history/ The God-Men]]」から派生したものばかりだと思います。地方召会はいずれの書物についてもアメリカの裁判で勝訴して、裁判所が内容のデタラメさを判決文で言及しています。少し想像して頂きたいのですが、日本語の二次資料が驚くほど少ないのは、地方召会が日本で研究者の再評価をまだ受けていない段階で、東京基督教大学も判断材料となる二次資料、特に日本語の資料が調達できておらず、判断保留のまま現状維持にされている可能性があると言うことではないでしょうか?アメリカの神学者、とりわけ組織神学に関するPh.D研究者は日本とは比べものにならないくらい多いと思います。それはクリスチャン人口から見て当然の開きだと思いますが、研究者の数に開きがあれば、地方召会なんていう小さなグループの再評価が遅れるのも当然のことであると思います。フラー神学校はとても有名な神学校で、東京基督教大学の元学長の方もフラ-出身の方がおられたと思います。日本とは比べものにならないほどの研究者がいるアメリカの神学校が安易に声明文を出すとは思えません。そのあたりを勘案いただければと思います。貴方が新宗教を嫌っている理由は存じませんが、地方召会は貴方が知っている新宗教とは少し毛色が違うと思います。アメリカの研究者で地方召会に詳しいJG Melton氏の著書「Encyclopedic handbook of cults in America」はアメリカのカルトに関する本ですが、そこの10ページには「From this perspective, it is also felt that at least one group should not have been included in this volume. The Local Church is included because・・・」という言葉が添えられています。著者は序文においてこの様に言及した上で、冷静な評価をその紙面上で行っています。さわりの部分しかgoogle scholarで読めませんが、一度読んでみて下さい。貴方の知っている新宗教の内で地方召会は格段に評価が難しい団体だと思います。一次資料は優に400冊を超え、一文読むのにどれだけ聖書の引用箇所を入れるのか?と思えるくらいに、引用聖句を挿入します[[https://church-in-tokyo.com/#002 東京に在る教会]]。その様な団体の再評価が簡単に済むわけがありません。貴方がネットで見つけた「人が神となる」と言うのは[[神成_(正教会)]]の教えをも参考に、アレクサンドリアのアタナシオスによる「神が人となったのは、人が神になるためであった」という言葉を地方召会は用いていますし、「様態論」に関しては[[ディスペンセーション主義]]の神学の説明から地方召会が「様態論」でない事が一次資料から分かります。二次資料はWe Were Wrongが一番分かりやすいです。地方召会はそれが聖書の内容にかなっていると言うことであれば、正教会やブレザレンなどの諸宗派の神学を取り入れています。その様な団体の再評価が難しくないわけがないのです。どうか、地方召会の評価をもう少し長い目で見ることはできませんでしょうか?おそらく、日本においても少しずつ再評価が行われ、あなたが思う「新宗教」の枠組みには地方召会は入らなくなると思います。
:::{{返信|Solidrock0327殿}}私は健康上の理由で一旦Wikipediaから離れようと思っています。貴方とはいろいろとありましたが私はここで一旦あなたと和解することを望みます。あなたが今回の草案に加筆された部分は良い加筆だと思います(多少そんな言い回しなのかが気になる所ですが)。貴方が調べられた通り、地方召会の二次資料は驚くほど少ないと思います。おそらく、フラー神学校の声明文およびWe Were Wrong発刊後、英語を含め主要言語において地方召会に対する批判を論文や報道記事で見つけるのはとても難しいのではないかと思います。ほとんどの批判は1980年代あたりのもので、「[[https://contendingforthefaith.org/en/defense/the-mindbenders/ The Mindbenders]]」や「[[https://contendingforthefaith.org/en/the-god-men-by-neil-t-duddy-and-scp-history/ The God-Men]]」から派生したものばかりだと思います。地方召会はいずれの書物についてもアメリカの裁判で勝訴して、裁判所が内容のデタラメさを判決文で言及しています。少し想像して頂きたいのですが、日本語の二次資料が驚くほど少ないのは、地方召会が日本で研究者の再評価をまだ受けていない段階で、東京基督教大学も判断材料となる二次資料、特に日本語の資料が調達できておらず、判断保留のまま現状維持にされている可能性があると言うことではないでしょうか?アメリカの神学者、とりわけ組織神学に関するPh.D研究者は日本とは比べものにならないくらい多いと思います。それはクリスチャン人口から見て当然の開きだと思いますが、研究者の数に開きがあれば、地方召会なんていう小さなグループの再評価が遅れるのも当然のことであると思います。フラー神学校はとても有名な神学校で、東京基督教大学の元学長の方もフラ-出身の方がおられたと思います。日本とは比べものにならないほどの研究者がいるアメリカの神学校が安易に声明文を出すとは思えません。そのあたりを勘案いただければと思います。貴方が新宗教を嫌っている理由は存じませんが、地方召会は貴方が知っている新宗教とは少し毛色が違うと思います。アメリカの研究者で地方召会に詳しいJG Melton氏の著書「Encyclopedic handbook of cults in America」はアメリカのカルトに関する本ですが、そこの10ページには「From this perspective, it is also felt that at least one group should not have been included in this volume. The Local Church is included because・・・」という言葉が添えられています。著者は序文においてこの様に言及した上で、冷静な評価をその紙面上で行っています。さわりの部分しかgoogle scholarで読めませんが、一度読んでみて下さい。貴方の知っている新宗教の内で地方召会は格段に評価が難しい団体だと思います。一次資料は優に400冊を超え、一文読むのにどれだけ聖書の引用箇所を入れるのか?と思えるくらいに、引用聖句を挿入します[[https://church-in-tokyo.com/#002 東京に在る教会]]。その様な団体の再評価が簡単に済むわけがありません。貴方がネットで見つけた「人が神となる」と言うのは[[神成_(正教会)]]の教えをも参考に、アレクサンドリアのアタナシオスによる「神が人となったのは、人が神になるためであった」という言葉を地方召会は用いていますし、「様態論」に関しては[[ディスペンセーション主義]]の神学の説明から地方召会が「様態論」でない事が一次資料から分かります。二次資料はWe Were Wrongが一番分かりやすいです。地方召会はそれが聖書の内容にかなっていると言うことであれば、正教会やブレザレンなどの諸宗派の神学を取り入れています。その様な団体の再評価が難しくないわけがないのです。どうか、地方召会の評価をもう少し長い目で見ることはできませんでしょうか?おそらく、日本においても少しずつ再評価が行われ、あなたが思う「新宗教」の枠組みには地方召会は入らなくなると思います。
:::Wikipediaではふさわしくない会話ですが、最後に二点だけ貴方に質問と提案があります。質問は貴方はクリスチャンでしょうか?と言う質問です。私は信仰歴31年のクリスチャンです。あなたがもし、クリスチャンであるならば、同じ信仰を持つ者同士のお願いですが、あまり言葉を読み替えたり、発行を書き換えたり等の行為をしないようお願いします。それは、自分の恥だけでなく、主イエスの御名に恥をかかせる行為だと思います。もしクリスチャンでなくとも、そういった行為は社会的信用をなくします。批判するなら正々堂々、小細工なしで、できれば『クリスチャンライフテキストブック』のような主観が入った本でなく、ちゃんとした神学上の議論がされている資料で行うことをおすすめします。『クリスチャンライフテキストブック』は内容からおそらく、知人や同じ教派の人が地方召会に移籍する際に一悶着あったのではないかと思います。
:::Wikipediaではふさわしくない会話ですが、最後に二点だけ貴方に質問と提案があります。質問は貴方はクリスチャンでしょうか?と言う質問です。私は信仰歴31年のクリスチャンです。あなたがもし、クリスチャンであるならば、同じ信仰を持つ者同士のお願いですが、あまり言葉を読み替えたり、発行を書き換えたり等の行為をしないようお願いします。それは、自分の恥だけでなく、主イエスの御名に恥をかかせる行為だと思います。もしクリスチャンでなくとも、そういった行為は社会的信用をなくします。批判するなら正々堂々、小細工なしで、できれば『クリスチャンライフテキストブック』のような主観が入った本でなく、ちゃんとした神学上の議論がされている資料で行うことをおすすめします。『クリスチャンライフテキストブック』は内容からおそらく、知人や同じ教派の人が地方召会に移籍する際に一悶着あったのではないかと思います。

2019年5月22日 (水) 04:36時点における版

項目『「異端」とする見解』を削除した理由

項目『「異端」とする見解』を削除した理由:この項目に引用されている文献には「地元にあって合一である立場に立つ教会」あるいはウィットネス・リーの教えを「異端」とする見解が述べられていない。 ①東京基督教大学 国際宣教センター・日本宣教リサーチの『JMR調査レポート(2017年4月)』が述べているのは、『「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会』であって「異端」とは述べていない。このレポートをもって「異端」とすることはできない。本来、ある団体を「異端」と定義するには神学的にキリスト教の信条のどの項目に反するかを明確に述べなければならないが、上記のレポートはその明示がない。よって、このレポートをもって『「異端」とする見解』とは言えない。 ②神戸キリスト栄光教会牧師・菅原亘による著書を元に『「ウィットネス・リー」を取り上げ「既成の教会のあり方を攻撃」し「無意味であるように教え」「自分たちのグループに誘う」と言及している』ことを理由とし、この言及をもって『「異端」とする見解』は成立しない。先にも述べたとおり、「異端」とするには神学的にキリスト教の信条のどの項目に反するかを明確に述べなければならない。ある意味、キリスト教の歴史は「既成の教会のあり方を攻撃」することで多くの教派を生み出す歴史であり、新しく生まれた教派は「(既成の教会のあり方を)無意味であるように教え」ることで教派としての教えを確立し、「(既成の教会に属する信者を)自分たちのグループに誘う」ことで教派を大きくしてきた。この3項目をもって「異端」と定義するならば、現在存在するキリスト教の教派全ては「異端」とされてしまう。よって、この著書の言及をもって『「異端」とする見解』とは言えない。--以上の署名のないコメントは、Happy jubilee会話投稿記録)さんが 2019年3月23日 (土) 16:59 (UTC) に投稿したものです。[返信]

項目『「異端」とする見解』はWikipedia:規則の概要の2項目目に抵触しています。 "2.検証可能性。記事には信頼できる情報源によって公表された情報だけが書かれていなければなりません。編集者は、情報源を尋ねられた、あるいは尋ねられるかもしれない情報について、信頼できる情報源を出典として示さなければなりません。出典が示されない場合、そのような記述は誰でも取り除くことができます。信頼できる情報源を示す義務があるのは、その記述を追加しようとする側であって、除去しようとする側でないことに注意してください。" 「記事には信頼できる情報源によって公表された情報だけが書かれていなければなりません」しかし、項目『「異端」とする見解』に引用されている情報源には「異端」とする見解が宣べられていません。どこに「地元にあって合一である立場に立つ教会」が異端とされる見解が公表されているのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、Happy jubilee会話投稿記録)さんが 2019年4月23日 (火) 08:00‎(UTC) に投稿したものです。

Wikipedia:署名をお読み下さり、次回以降は発言の末尾に署名してください。基本的なエチケットです。上記に私が追記名したのに気づいていないのでしょうか?
>『「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会』であって「異端」とは述べていない。
これが詭弁でなくてなんでしょうか。上記文章がいわゆる「異端」に相当する表現であることはあきらかでしょう。
>本来、ある団体を「異端」と定義するには神学的にキリスト教の信条のどの項目に反するかを明確に述べなければならないが、
誰がそれを言っているのでしょうか。その出典を示して下さい。それは貴殿の見解にすぎません。自分の見解を元に編集することをwikipediaでは「独自研究」といいます(Wikipedia:独自研究は載せない)。
>よって、このレポートをもって『「異端」とする見解』とは言えない。
言えます。記述できます。「信頼できる情報源」による出典を元に、wikipediaは記述されます。「東京基督教大学附属の研究機関、国際宣教センターは異端とする見解を公表している」のは「信頼できる情報源」による特筆すべき事項として記事に記述するのは正当な編集です。
>ある意味、キリスト教の歴史は「既成の教会のあり方を攻撃」することで多くの教派を生み出す歴史であり、新しく生まれた教派は「(既成の教会のあり方を)無意味であるように教え」ることで教派としての教えを確立し、「(既成の教会に属する信者を)自分たちのグループに誘う」ことで教派を大きくしてきた。
これも同上です。誰がそれを言っているのでしょうか。その出典を示して下さい。
>この3項目をもって「異端」と定義するならば、現在存在するキリスト教の教派全ては「異端」とされてしまう。
されません。誰がそれを言っているのでしょうか。その出典を示して下さい。
>項目『「異端」とする見解』はWikipedia:規則の概要の2項目目に抵触しています。
Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用には以下の記載があります。キリスト教専門の大学機関である東京基督教大学附属の研究機関、国際宣教センターの公表物が信頼できる情報源にあたるのは言うまでもないでしょう。
>一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。
貴殿の主張は私論の展開にすぎず、かつwikipediaのガイドライン(基本的な決まり)を理解していないと言わざるを得ません。この続きについては貴殿の編集姿勢の問題となりますので貴殿のノートページにて言及します。--Solidrock0327会話2019年4月23日 (火) 15:14 (UTC)[返信]
>これが詭弁でなくてなんでしょうか。上記文章がいわゆる「異端」に相当する表現であることはあきらかでしょう。
あなたこそ「異端」の定義を出典をもって示す必要があります。『教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会』を「異端」とするのは論理の飛躍があります。先ず、あなたの示す「異端」の定義を出典をもって明らかにしてください。Wikipediaに記載されている異端の定義は https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%95%B0%E7%AB%AF#%E7%8F%BE%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%95%B0%E7%AB%AF%E8%A6%8F%E5%AE%9A にありますが、現行の異端規定について、『「異端」を定義する基準は、多くの教派で共有できる、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条など基本信条からの逸脱である。』とあります。もしあなたがこの項目に『「異端」とする見解』を加えたいのであれば、地元にあって合一である立場に立つ教会がどの信条を逸脱しているかの出典を示す必要があります。でなければあなたの主張は私論の展開にすぎず、かつwikipediaのガイドライン(基本的な決まり)を理解していないと言わざるを得ません。

Happy jubilee会話2019年4月24日 (水) 08:14 (UTC)[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用も、Wikipedia:独自研究は載せないも明らかに理解していない(恐らく読んですらいない)方針の無理解や、それを棚に上げ「私論の展開」「wikipediaのガイドライン(基本的な決まり)を理解していない」などと私の発言をオウム返しする極めて自己中心的編集態度がコミュニティでどう受け止められるかよくお考え下さい。
>「異端」の定義を出典をもって示す必要があります。
国際宣教センターの公表物での「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という言及=「キリスト教でない」ということです。それを「キリスト教とする見解」だと判断するのは困難です(あくまで国際宣教センターの見解の話)。あなたがwikipediaに記載されている異端の定義文言を持ち出すのは、国際宣教センターの公表物を否定したいからであって、この公表物の存在も記述も記事から削除する根拠にはなりません。また現時点での再編集も極めて宣伝広告的・偏向的であり、中立的な観点に対する重大な疑義が生じています。現時点で貴殿のノートページへの返答がないことを合わせると、目的外利用であるという疑念は極めて大きいと言えます。--Solidrock0327会話) 2019年4月24日 (水) 12:57 (UTC)文言追記--Solidrock0327会話2019年4月24日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

まず、あなたが引用している『JMR調査レポート(2017年4月)』と 菅原亘『クリスチャンライフ テキストブック』プレイズ出版,2003年について、本記事に記載する資料として信頼できる情報源であるかどうかを議論すべきです。Wikipedia:検証可能性によると、記事の編集には「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」資料を使うべきではありません。また、Wikipedia:信頼できる情報源によると、「自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には、個人のウェブサイト、また自費出版によって出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません」とあります。それをふまえ『JMR調査レポート(2017年4月)』と 菅原亘『クリスチャンライフ テキストブック』プレイズ出版,2003年について、検証してみましょう。

---『JMR調査レポート(2017年4月)』について---

『日本宣教リサーチは、「現代の日本におけるキリストの教会のあるべき姿をめざし、広く日本宣教に従事する教会・団体・個人との連携により活動し、教勢データの分析と日本宣教の研究を行い、日本の教会が直面する課題について根本的かつ現実的な提言を行う」ことを目的として発足し』たと書かれています。そして、『1項の「全国キリスト教会の教勢」は、『データブック』の「第1 章 日本宣教200 年の推移と展望」の続編として、特に日本のキリスト教全体の教勢と教団・教派別の教勢データを中心にまとめたものです』とあります。要は『JMR調査レポート(2017年4月)』は「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であるという議論をするために書かれた資料ではないと言うことです。このレポートをもって「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」である見解とできない、一番の理由は「地元にあって合一である立場に立つ教会」の教理について何一つ言及がなく、またその教理がキリスト教のどの正統な教義に反しているかの、真偽を検証できる出典が何一つ記されていない点にあります。『JMR調査レポート(2017年4月)』は単にキリスト教全体の教勢と教団・教派別の教勢データを中心にまとめたものですから、その資料をもって「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であると言う見解として記事を編集することはできません。それは「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」資料だからです。もし、『JMR調査レポート(2017年4月)』に追加資料として、「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であるという学術的議論がなされた資料があるならば、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができ」る資料となりますが、その様な資料は『JMR調査レポート(2017年4月)』にはありません。この資料をもって「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」である見解とする出典として使用することは、資料の目的外使用となります。Wikipedia:検証可能性には『一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。』とあります。『JMR調査レポート(2017年4月)』には「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であると言う検証・分析が紙面上でなされているでしょうか?『JMR調査レポート(2017年4月)』は紙面上において「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であると言う精密な調査を報告しているでしょうか?もしあなたが、『JMR調査レポート(2017年4月)』の関係者もしくは関係者に直接、「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であると言う論拠を聞いた人間であったとしても、それが信頼できる情報源として公表されていなければ、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」のです。もし、あなたが「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」である見解を記事に追加したければ、『JMR調査レポート(2017年4月)』ではなく、『JMR調査レポート(2017年4月)』の著者が「地元にあって合一である立場に立つ教会」を「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会」とするに至った学術的資料を出典として用いるべきです。

---菅原亘『クリスチャンライフ テキストブック』プレイズ出版,2003年について---

Wikipedia:信頼できる情報源によると、「自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には、個人のウェブサイト、また自費出版によって出版された本が含まれます。誰でも、ウェブサイトを作ったり本が出版されるように金を支払い、そしてある分野の専門家であると主張できます。こうした理由から、自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません」とあります。『クリスチャンライフ テキストブック』の「地元にあって合一である立場に立つ教会」の記述は「自己公表された情報源」となります。『クリスチャンライフ テキストブック』に記載されている「既成の教会のあり方を攻撃」し「無意味であるように教え」「自分たちのグループに誘う」と言う記述は、 「独立した事実の確認を受け」た記述でしょうか?この記述について「著者と公表作業との間に誰」かが立ち会ったのでしょうか?最も深刻なのはこの資料にも「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」とする学術的な検証できる出典が示されていない点です。容疑者を有罪とするには客観的に検証可能な証拠の提出と、どの法律に容疑者が抵触したかの慎重な議論が必要です。「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」である客観的に検証可能な証拠を『クリスチャンライフ テキストブック』は示しているのでしょうか?キリスト教の権威ある資料に基づき「地元にあって合一である立場に立つ教会」の教義がどの重要な教義に抵触したのかを『クリスチャンライフ テキストブック』は示しているのでしょうか?そして、それを見たウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が、「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であるかないかを満足に検証することができるのでしょうか?Wikipedia:信頼できる情報源によると、『その資料は論点や問題関心における対立、強硬な見解、そのほか報告内容を特徴付ける偏見を含んでいませんか?問題関心における対立は明示的に顕わされているとは限りませんし、偏見はいつも自明ではないということを覚えておいてください』とあります。『クリスチャンライフ テキストブック』の著者が「論点や問題関心における対立、強硬な見解、そのほか報告内容を特徴付ける偏見を」持っていないとする客観的証拠はあるのでしょうか?加えてWikipedia:信頼できる情報源によると、『権威の詐称に注意してください。議論している分野の専門知識があるのか確認してください。高い学位は、その学位の専門分野においてのみ権威を与えます。脚注が多数あるウェブサイトでも全く信頼できないかもしれません。まず自問すべきなのは「ウェブサイトに責任を持つ人々の資格証明や専門知識はどのようなものか」ということです』とあります。著者である菅原亘はキリスト教の異端研究の権威なのでしょうか?著者はキリスト教の異端研究に関して十分な専門知識があるのでしょうか?もし、菅原亘が権威ある学術誌に「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であると言う研究論文を提出し、その分野で権威ある学者の査読を通してその論文を発表したならば、それは記事を編集する際に使用できる信頼できる情報源となるでしょうが、『クリスチャンライフ テキストブック』がその様な権威ある専門家の査読を経ていないならば、「地元にあって合一である立場に立つ教会」を「異端」とする見解としての出典として、『クリスチャンライフ テキストブック』は不適切であると言わざるを得ません。

キリスト教の教会にとって「異端」であるかないかと言うことは重大なことです。Christian Research Instituteは「Christian Research Journal」にて、中国共産党支配下にある中国大陸にて長年刑務所に入れられた「地元にあって合一である立場に立つ教会」の信者に対し、「We Were Wrong」と言って謝罪したと記載しています。それは中国共産党はキリスト教のある団体を弾圧する根拠に「異端」であるかないかと言う基準を指標の一つとして用いているからです。Christian Research Instituteは過去の研究発表において「地元にあって合一である立場に立つ教会」を「異端」とする見解を誤って発表した故に、全く正常なクリスチャンを長年刑務所に入れ、命さえも失わせたことを深く悔いていることを表明しました。あなたどの様な気持ちをもってWikipediaに「地元にあって合一である立場に立つ教会」を「異端」とする見解を記事に追加したかは分かりませんが、「異端」と言う言葉を使うことにもっと重みを持つ必要があります。あなたが「地元にあって合一である立場に立つ教会」を「異端」とする見解を不用意に編集することは、中国共産党支配下にある「地元にあって合一である立場に立つ教会」の信者を危険にさらすこととなるからです。Wikipedia:投稿ブロックの方針には「利用者を危険にさらす個人攻撃(他の利用者の安全を脅かす攻撃)」の項目があり、『ウィキペディアの他の投稿者に対して、政府、雇い主、その他による政治的、宗教的その他の迫害を受けるような脅迫や中傷を行ったり、または実際の行動(攻撃)が(ウィキペディアの内外を問わず)行われた場合、投稿ブロックの対象となります。このような場合、発見され次第速やかに任意の管理者によって、無期限を含む任意の期間ブロックされます』とあります。あなたが今回行った編集は、正に「政治的、宗教的その他の迫害を受けるような脅迫や中傷を行」う行為です。もし、あなたが中立的立場に立って誰にでも検証できる様な信頼できる情報源をもって「異端」とする見解を編集するのならこの記事編集は正統なものでしょう。しかし、そうでないならば、あなたはWikipedia:投稿ブロックの方針に抵触しているだけではなく、実際に他者の命を脅かしているのです。私はWikipediaの編集方針のみならず人道的見地にも立って、議論が十分にされない記事編集は看過できません。もし、あなたが上記の事柄を無視し、なおも信頼できる情報源を示すことなく再び「異端」とする見解を編集するのなら、Wikipedia:投稿ブロックの方針に則り、投稿ブロックの申請をいたします。

あなたは、『国際宣教センターの公表物での「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という言及=「キリスト教でない」』ことがすなわち「異端」であるという論理がどれほど稚拙な飛躍した論理であるか理解していないのでしょうか?なぜ、国際宣教センターは「異端」という言葉を用いず、「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という回りくどい言い方をしているかを理解していないのではないですか?「異端」という言葉を用いることは非常に重大な責任が伴う事を理解していないのではないでしょうか?あなたが特定の団体を「異端」とするには時間をかけた綿密な調査が必要なのです。国際宣教センターはそれをふまえ、「異端」とはせず「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という表現に止めているのです。これを日本語の単語ごとの意味を検証することで分析してみましょう。ここの「見なす」という言葉は重要な言葉です。三省堂の大辞林によると「見なす」の第一の意味は「見て,これこれだ,と判定したり仮定したりする」ことです。すなわち、「見なす」には綿密な検証を行うと言う意味が含まれていないのです。また、「困難」という言葉もキーワードです。「困難」とは「簡単にはなしとげられないこと。実現・実行がむずかしいこと。また、そのさま」と言う意味です。「困難」には客観的な意味は無く、主観的に「自分」には簡単にはなしとげられないという意味です。すなわち、これは国際宣教センターにとって「困難」なのであり、客観的、普遍的な意味で「不可能」ではないと言うことです。正直言ってあなたは本当に日本語を理解しているのか疑問に思います。「見なすことが困難」という言葉自体がもはや国際宣教センターが列挙した団体から追求を受けた際に言い逃れするための言葉であるとなぜ見抜けないのでしょうか?

Wikipedia:信頼できる情報源には『優れた情報源を見つけるには、いくらか手間がいるかもしれない』とあります。あなたが「異端」とする見解を加えたいのならば、手間を惜しまず、まず検証と議論ができる優れた情報源を見つける作業を行ってください。日本教会新報社『新キリスト教ガイドブック』2001年の「異端とキリスト教 異端の主張と聖書の違い」の「異端とは」の項目には、「異端とは聖書で教える真理、また使徒たちが教えた基本的な信条(使徒信条やニカヤ信条など)に反する教えをもち、キリスト教の一派を自称するものを異端といいます」とあります。また、異端の判断基準として同書は「異端はキリストの神性をを否定する」「異端はキリストの受肉を否定する」「異端はキリストの十字架のあがないを否定する」という項目を挙げ、また真理を否定する事は「三位一体の神、キリストの復活、目に見える方としての再臨、最後の審判、神の国の完成などの重要な教理も否定することなので注意深く見る必要がある」としています。時間がありませんから、あと数冊用意した辞書の記事は後ほどとしますが、あなたが説明した『国際宣教センターの公表物での「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という言及=「キリスト教でない」』ことがすなわち「異端」であるという論理とこの『新キリスト教ガイドブック』の差を見比べてください。少なくともあなたが次に編集する際に「異端」とする見解で用いる出典はこれらの項目を検証できる出典である必要があります。あなたは優れた情報源を見つけるために、手間を惜しまず見つける作業を行う必要があります。 Happy jubilee会話) 2019年4月24日 (水) 19:47 (UTC) /追記--Happy jubilee会話2019年4月25日 (木) 07:39 (UTC)[返信]

このノートで行うのは組織が異端であるかないかの議論ではありません。しかし貴殿はそれを混同させています。該当の記述は、「国際宣教センターが」、「MR調査レポート(2017年4月)」で、「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」としている、という客観的事実を記載しているに過ぎません。「異端に関する研究資料」などと記載しているわけでもなく、この資料を元に記事で異端と断定しているわけでも全くない。ましてや断罪など全くしていません。たとえばある人物が「〇〇教は邪教である」と言ったり、見解を表明したからといって、それが事実と確定するわけでもない。あくまで視点と見解の話です。
>『JMR調査レポート(2017年4月)』は「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」であるという議論をするために書かれた資料ではないと言うことです。
そもそも記事に「『異端』であるという議論をするために書かれた資料」などと記載も言及もしていないのに貴殿が飛躍して解釈しているだけです。
>このレポートをもって「地元にあって合一である立場に立つ教会」が「異端」である見解とできない
見解できないのはあなたや一般読者(自分も含め)です。これをもってwikipediaの見解としているわけでは全くないのに、貴殿はそれをもって「異端は事実であると確定してしまう」、「読者や第三者の理解が確定してしまう」と思うのは理解の飛躍です。
その飛躍は貴殿が関係者、なんらかの係わりがある方だからと推測し、そのような方が編集に参加するのは不適切ですと繰り返し申し上げていますが、全く無視されています。
関係者が全く議論に参加できないわけではありません。ノートで議論したうえで第三者に執筆を依頼することは許容されています。しかし貴殿は、一方的に質問には応えず編集を強行し、合意を得る行為をしようとはしないのは、目的外利用と言わざるをえません。自己都合でルールを守らずwikipediaを私利に利用しようとするのは、ウィキペディアの方針を侵害してると判断されます。
Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源による議論はもちろん結構だが、貴殿はそれ以前の前提を飛び越えており、ご自分の私利のために言いたいことだけを強硬に、かつ執拗に主張し続ける一方、他者による都合の悪い質問には全く答えずコミュニティにおけるルールを完全無視する方に、人のことを違反者呼ばわりされる筋合いは全くありません。--Solidrock0327会話) 2019年4月25日 (木) 14:49 (UTC)文言追記・修正--Solidrock0327会話) 2019年4月25日 (木) 15:32 (UTC)セクションのタイトルを追記--Solidrock0327会話2019年4月30日 (火) 14:10 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:スリー・リバート・ルールを適用して両者をブロックしようか迷いましたが、今回はひとまず記事の全保護とします。
  • お二方の見解が衝突していて、このノートページでも意見が対立したまま着地点が見いだせないことはわかります。ですが、その状態で記事の編集を強行しても、相手が納得するわけがありません。結局ただの編集合戦・リバート合戦になります。現時点でも3rv違反として両者をブロックしてもいいのですが、それだとお二方の話し合いが進みませんので記事の全保護としました。
  • 期間はひとまず1週間と設定しましたので、冷静に合意形成に専念してください。
  • とはいえ、現状ではお二方だけで話し合いをしてもすぐに合意点が見いだせそうな感じではないです。コメント依頼を行うなどして第三者の見解を募ると良いでしょう。(ふつう、いまのまま二人で話し合いをしても「自分が正しい、相手が悪い」と互いに相手を非難するだけで、建設的な進展は見込めないかもしれないせんよね。)
  • 1週間経てば記事は自動的に編集できる状態になりますが、冷静な話し合いがすすまず、また編集合戦が再開するようだと、次は当事者のブロックに移る可能性があります。--柒月例祭会話2019年4月25日 (木) 16:47 (UTC)[返信]

保護解除後の記事について

まず、RVが繰り返された版についての雑感です。

  • まず、2019年4月24日 (水) 08:07時点における版に関して.
    • 「「地元にあって合一である立場に立つ教会」の教義はひどく歪曲され、誤解されてきた」という節名は団体の百科事典の記事に用いるには不適切です。節の概要としては、地方召会の立場から、異端であるとの批判に反論する内容となっています。地方召会の立場と見解を書くのは別に良いのですが、この節の書き方はよろしくありませんでした。まず、ウィキペディアそのものを出典としていたり、文中には出典が用いられているが、結論が独自研究となっているもの(たとえば「しかし、「地元にあって合一である立場に立つ教会」についての批判~その明確な基準と調査方法を述べていない。」)、出典と逆の結論となっているもの(「また、*神戸キリスト栄光教会牧師の~と言う独自の見解を展開している。」)があります。こういうのはダメです。節名もそうですが、信頼できる情報源を用いて中立的観点に留意して編集してください。このとき、どの視点からの主張であるか明確にしたほうがよろしいでしょう。"フラー神学大学の声明文"を出典にしてある程度かけるのではないですか(和訳版も英文版も地方召会のサイト以外にあるものを出典に使ってしてほしいなとは思いますが)。適切な出典を用いて中立的に記述されていれば、Solidrock0327さんも除去しなかった(意地悪な言い方をすればできなかった)のではないかなと思います。
    • また、この版で「「異端」とする見解」節が除去されましたが、「地元にあって合一である立場に立つ教会」の教義はひどく歪曲され、誤解されてきた」節は批判などに対する応答として成立するもので、現状の「歴史」節の内容だと「「異端」とする見解」の節が無いと不十分であるように思えます。というのも、歴史節の内容がそもそも「地方召会の実行が攻撃された」から始まるのに、じゃあ具体的に何が批判されたの?というのがさっぱり見えないからです。歴史説を加筆せずに、単に「「異端」とする見解」節を除去するのでは、記事として不十分でしょう。
    • 「フラー神学大学の声明文(和文訳)」の節ははっきりと不要です。WP:NOTADVERTISINGとの指摘を受けているのはそういうところです。
  • 次に2019年4月24日 (水) 13:03時点における版について。
    • 「「異端」とする見解」節そのものについては、大きな問題を感じていないのですが、強いて言えば「キリスト教界において」ではちょっとばかり主語が大きくないですか。
    • 歴史節でも概要節でもいいのですが、結局どうやって成立して、どういう特色があってという部分がさっぱり見えてこないまま、批判と反論について書かれているので、地方召会と批判者の喧嘩にしか見えないのが一番の問題です。批判やその反論について記述するよりも、そちらを充実させたほうが良いのではないかなあと思います。

どちらもまず、結論有りきでの編集は行わないよう心がけて欲しいです。Solidrock0327さんとHappy jubileeさんが立場を入れ替えてそれぞれ批判と反論を書いたらどうなるのかな、と少し思っています。冗談ですけど。

とりあえずの提案なのですが、異端云々に関しては「論争」節と「批判」「応答」小節をつくり、それぞれの内容を書くのはいかがでしょう。このとき批判節の内容は「「異端」とする見解」節の内容になるでしょう。 応答では信頼できる情報源(フラー神学大学の声明文など)を用いればある程度書ける気がします。

それよりも歴史や概要節を充実させていただきたいなあというのが正直な気持ちで、現在の記事だと主題が中国で発展しているとかさっぱりわからないです……。「中国プロテスタンティズムの変容と土着化論の問題 : 上海の事例を中心に」あたりは記事の充実に役立つ気がします。--Strangesnow会話2019年4月26日 (金) 02:54 (UTC)[返信]

Strangesnow様、コメントありがとうございます。私としては節名として『「異端」とする見解』を用いるのは適切でないと思います。Google検索においては末尾に節名が表示されるので、検索のみでページを開いて説明を読まない人にとってはいささか強すぎる印象を与えてしまいます。『歴史』節の小節に『論争の歴史』を加え、そこに「批判」「応答」を加えれば良いかと思います。あと、フラーはもちろんですが、「Christian Research Institute」と「地元にあって合一である立場に立つ教会」の和解するまでの経緯(神学的にどの点を争い和解したか)をジャーナル紙の記事を用いて内容に加える必要があると思っています(英文なので時間がかかりますが)。この場は「神学」を論議する場ではありませんが、神学的にどの様な議論があったのかを明示しないと正確な情報は提示できないと思います。--Happy jubilee会話2019年4月26日 (金) 04:33 (UTC)[返信]
いささか強い言葉であることには同意しますので、節名を「論争の歴史」とすることに反対はありません。ですが、歴史節にいれることには消極的ですが反対です。これは今の記事の歴史節の改稿を期待しているからです。歴史節では教会の成り立ちから発展までの大まかな流れが分かる必要がありますが、現在はそうなっていません。外部団体の批判やそれへの対応、個別の批判やそれにたいする反論を書くのにふさわしい節では無いでしょう。--Strangesnow会話2019年4月26日 (金) 04:48 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。では、『歴史』と『論争の歴史』を分ける方向で。加えて、『基本的な教え』を別の節として設ける方が良いかもしれません。そうしないと論争ばかりで、この団体がどの様な特徴を持っているか分かりませんし、バランスが悪いと思いますので。--Happy jubilee会話2019年4月26日 (金) 05:16 (UTC)[返信]
教会の特徴こそ簡潔に概要に書いたほうがよろしいでしょう。現状の概要節は全く概要になっていません。まずは、この教会についての知識がない閲覧者にもわかるように(せめて教派が異なるキリスト者には理解できる程度に)、出典を用いてわかりやすい特徴を記載したほうが親切だと思いますよ。今の内容は詳しい人が詳しい人のために主題の教会の主張と体制の説明を独自研究で行っているようにしか読めませんので(と出典がついていないために辛辣な言い方になってしまいます)これは明らかに改善する必要があります。--Strangesnow会話2019年4月26日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
(追記)「『歴史』と『論争の歴史』を分ける方向で」についてですが、批判と応答については節名も含め、意見が対立しているSolidrock0327さんとの合意が必要ですので、性急に決める必要はありません。--Strangesnow会話2019年4月26日 (金) 12:24 (UTC)[返信]
Strangesnowさん、建設的にご意見いただき誠に感謝いたします。「キリスト教界において」という文言の再考や『論争の歴史』を加え、そこに「批判」「応答」を加える点、異論は全くありません。貴殿から複数の意見をいただいていますが、私も同意しますし、Happy jubileeさんも概ね異論はないのではと思われます。概要節等、もし私の資料等で貢献できれば案を出したり参加したいと思っております。客観的な百科事典に相応しい構成や文言になることを願っております。
Happy jubileeさん、貴殿は教団のイメージが悪くならないように、良くなるように、戦っているというお気持ちなのかも知れませんが、ここは編集姿勢についての話題に相応しくありませんので、その姿勢について貴殿のノートページにて再度言及します。今まで全く返信いただけなく、あるいは全く目を通されていないかも知れませんが、ぜひとも目を通し、賢明な判断をされることを願っております。--Solidrock0327会話) 2019年4月26日 (金) 16:09 (UTC)文言追記・修正--Solidrock0327会話2019年4月26日 (金) 16:29 (UTC)[返信]
誠に勝手ながら、この二日間は多忙につき、コメントは来週月曜以降にさせて頂きます。Strangesnow様、Solidrock0327氏との議論の仲裁を頂き誠にありがとうございました。では、また来週に。--Happy jubilee会話2019年4月27日 (土) 02:24 (UTC)[返信]

皆様こんにちは。この二日間で少しクールダウンしまして、少し考えを整理して参りましたので、私なりの提案を皆様にしたくコメントいたします。

【提案1】まず、Solidrock0327氏との直接の会話ですが、私はWikipediaの初心者で、規則は読めば分かりますがWikipedia上の不文律というものを知りませんので、やはり一対一の会話では知らない間に言わなくても良いことを言ってしまう様な危機感を感じます。また、柒月例祭様のおっしゃられるように、直接会話では再度「意見が対立したまま着地点が見いだせない」状況に陥り、共に無駄な時間を消費することとなる可能性が大きいと考えますので、Solidrock0327氏との会話は第三者、特にこの場で仲介の労を執っていただいているStrangesnow様の立ち会いの場のみで会話させていただき、Strangesnow様には随所でご指導を受けつつ、会話を進めて参りたいと思い、提案いたします。しかし、これも会話拒否に当たるのかもStrangesnow様にご指導いただければと思いますので、よろしくご教授下さい。経験の浅い者ですので、先輩編集者としてどうぞ、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。

【提案2】次にこの記事における直接編集の権利(これが正しい言葉かも分かりませんが)についてですが、私はこの権利を放棄し、今後はこのノート上で随時提案をして、最終的な編集は中立的な立場であるStrangesnow様に依頼することを提案いたします。その上で、提案として、Solidrock0327氏にも同条件をお受けいただければと願っております。私はSolidrock0327氏の行動を制限するつもりはありませんが、これまでの経緯も鑑み、願わくはSolidrock0327氏も直接編集を行わずStrangesnow様に記事投稿を依頼していただけることを願います。

【提案3】私はWikipediaのコミュニティにおいては初心者で、編集において随時、諸先輩方に指導を受ける必要があると思っております。そして、この記事における編集上、頭の整理をしつつ編集を学んでいくためにも「方針」「ガイドライン」「私論」を明記頂きたく思っております。以下は提案に則り私が作成したものですので、Wikipediaの常識に照らすと逸脱しているかもしれませんので、この点もStrangesnow様にご指導いただければと願っております。

方針

【方針提案1】先ず大前提として当然のことながらWikipediaの編集規則に則り、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができない」資料を使用しないこと。特に「異端」や「カルト」それに類する強い意味を持つ単語を用いる際の資料は検証性を最重視することを提案いたします。理由は「地元にあって合一である立場に立つ教会」には中国共産党支配下で生活する多くの信者がおり、中国共産党は「異端」、「カルト」を撲滅すると言う大義名分をもって信者を弾圧してきた歴史があるためです。この記事は日本語の記事ですが、インターネットは世界中どこでも閲覧できます。中国共産党はインターネット対策に非常に大きく力を注いでいる事はよく知られています。この記事は日本語のWikipediaですが、Christian Research Instituteは過去、英語で「地元にあって合一である立場に立つ教会」を攻撃し、それを根拠にして中国共産党は「地元にあって合一である立場に立つ教会」を弾圧しました。Wikipediaはそうなる可能性は無いなどと誰も言うことはできないかと思います。この方針は「地元にあって合一である立場に立つ教会」に反対する意見を押さえ込むための提案ではなく、人命のかかった内容なので慎重に資料を精査する提案です。

【方針提案2】使用に問題のある資料例を示しておくことを提案します。上記をふまえ、使用に問題のある資料例を挙げ、所見を述べます。

問題のある資料例①『JMR調査レポート(2017年4月)』 同紙の記載では、「地元にあって合一である立場に立つ教会」についてどの様な調査が行われたかが分からない。どの程度の文献を読み、どのくらいの時間をかけて調査し、どの点でその結論に至ったかが全く分からない。また、調査を行った人物とその人物の思想、立場、偏見のあるなしが全く分からない。 【Happy jubilee所見】裁判の判決文を記事にできるのは、その判決に至った経緯が調査できるからです。Solidrock0327氏は「客観的事実を記載しているに過ぎません」と言いましたが、Wikipedia:検証可能性の冒頭の言葉は『ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です』という言葉です。これを重視することは編集の方針として当然の前提であると思います。

問題のある資料例②菅原亘著『クリスチャンライフ テキストブック』 同書は「自己公表された情報源」に当たります。同書はプレイズ出版の『印刷』となっていますが、『発行』は神戸キリスト栄光教会となっており、いわば自費出版に当たります。また、著者である菅原亘氏の経歴欄から見るに、異端研究の権威ではなく。また、同紙には一切、神学者の監修が付いておらず、同紙は異端研究の権威の査読を経た研究資料ではありません。また、菅原亘氏もどの程度の文献を読み、どのくらいの時間をかけて調査し、どの点でその結論に至ったかが全く分からない。神学的議論が十分なされている資料ではなく、彼が「地元にあって合一である立場に立つ教会」に偏見を持っているなしの検証ができません。

【Happy jubilee所見】ここでも最重要なのはWikipedia:検証可能性です。同紙の152ページ本文は以下のように書かれており、ウイットネス・リーの出典はおろか、神学的議論もありません。これでは菅原亘氏の私的な意見と見なされても仕方ありません。

4.そのほかにも異端と呼ばれている小さなグループがあります。 <中略>「ウイットネスリー」の教えは既成の教会のあり方を攻撃します。そして既成の教会が無意味であるような教えをします。そして自分たちのグループに誘います。

ガイドライン

【ガイドライン提案1】言葉の読み替えをしない

言葉の読み替えをしないことをガイドラインとして提案します。今回Solidrock0327氏は2回言葉の読み替えをしました。一つ目は、『国際宣教センターの公表物での「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という言及=「キリスト教でない」』と言う読み替えです。二つ目は『「キリスト教でない」=「異端」』という言葉の読み替えです。私たち編集者は言葉を読み替える権利を持っていません。ですから今回、Solidrock0327氏が行ったような言葉の読み替えは編集者としての基本姿勢に問題があるとしか思えません。記事を編集する際には資料に使用されている言葉をそのまま使用することを重視すべきです。その意味で英語を日本語訳する際にも当然、英文の出典を明記するよう注意が必要だと思います。

私論

【私論提案1】略語を使う 「地元にあって合一である立場に立つ教会」は長いためLocal churchesを略しここのノート上では『LC』と表記することを提案します。


今のところ以上が私の提案ですが、皆さんのご意見をお聞かせいただけましたら幸いです。また【提案】は皆様の合意のより【決定】と表記を改めると分かりやすいと思いますが、いかがでしょうか?

なお勝手ながら、本日午後からは多忙につき私の次のコメントは明日となります。ご了承ください。それではまた。--Happy jubilee会話2019年4月29日 (月) 03:11 (UTC)[返信]

連休中は議論に参加するのは避けようと思っていたのですが、続けてコメントされていらっしゃるようなので、とりあえず返信しますね。
  • 提案についてですが、Happy jubileeさんがこの項目に興味がお有りなのですから、ぜひご自身で編集してはいかがでしょうか。最初はだれもが初心者ですが、ウィキペディアでは初心者の編集も歓迎しています。私はこの項目主題に対しての「批判や主張を書くこと」に多くの時間を使いたくないですし、WP:NOTREQUIREDに「ウィキペディアはボランティアのコミュニティであり、利用者に対して、本人が望む以上の時間と労力の提供を求めません」ともあり、申し訳ないのですがあまり乗り気ではありません。また、直接このページを編集するのではなく、利用者ページの下に草案を作るとか、加筆の前にノートで提案するなどして、対話と合意の上で進めていけばよろしいのではないかと思います。なんにせよウィキペディアは逃げませんので、もう少し落ち着いてゆっくり編集を進めてはいかがでしょう。誰もが毎日ログインして議論するわけではありませんので、「明日になります」とか「来週月曜以降」と、まだ気が急いているように見受けられます。
  • Happy jubileeさんの方針提案についてですが、「Wikipedia:検証可能性」について少し誤解されているところがあるのではないかな、と思っています。「Wikipedia:検証可能性」で求められているのは「広く信頼されている発行元からすでに公開されている」かどうかです。キリスト教分野において、東京基督教大学名義で発行されるレポートは信頼できる情報源と扱われるものです。「Wikipedia:検証可能性」には次のように例示された説明があります。「編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。」。「信頼できる情報源」名義で発表されている以上、それを検証するのは編集者の役割ではありません。これはウィキペディアの方針なので、原則的に受け入れられません。もちろん書籍や論文の信頼性については段階があるとも思いますし、わざわざ信頼性が低いかもしれないと危惧されるような資料を使う理由もないのですが、視点を明記することで何かを決めつける記事となるのは避けられるものと思います。
  • 言葉の読み替えについては、問題がある言い換えだと気が付いた都度、その編集者に確認するしかないように思います。重要な語句かどうかで、問題が分かれていきますので。ただ、ご指摘の通り「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」とあるのを「キリスト教でない」と断言してしまう表現に変えるのは避けたほうがよろしいでしょうね。
  • 略語をLCとすることについてですが、ご自身で使われる分にはお好きにされればよろしいと思います。記事の定義で「略称:地方教会または地方召会」とあるので私はその通りにしています。--Strangesnow会話2019年4月29日 (月) 14:20 (UTC)[返信]
Strangesnowさん、コメントありがとうございます。恐らくStrangesnowさんがこの記事にかかりっきりになるのは現実的ではないと思いますので、適宜アドバイス宜しくお願い致します。
Happy jubilee様、まずはご提案お疲れ様です。貴殿がルール無視をしていないことを確認し安堵しております。また、まずお詫び申し上げます。「ウィキペディアは規則主義ではありません(WP:BURO)」、「Wikipedia:善意にとる」に欠けた言動となりました点を反省しております。貴殿の心情に立つなら自身の信頼する教えに対する、いわれなき誹謗をする人物に思われたことを想起すれば、自身には抑制すべき点があったと反省いたします。
通常、関係者が編集に参加することは推奨されませんが、貴殿による強行編集の恐れがなくなったことや、Strangesnowさんの提言も聞いて下さるということですから、貴殿に少しづつ加筆・修正いただいてもよろしいかと思います。
なお、私については、本件で同意なき編集をすることはルール違反であり全く考えておらず、またStrangesnowさんに追記していただく点は異論ございません。記述案はこのノートにて提案させて頂きます。
また、貴殿の今回の本ノートページでの提案等について、内容は変えずに貴殿の記載の体裁を修正させていただきたく思いますがよろしいでしょうか?ノートページでは1つの話題(セクション)ごとに大きいタイトルをつけ、その中に小さい見出し(サブセクション)をつけるようになっています。
編集内容の議論はStrangesnowさんのご意見を伺いつつ、宜しくお願い致します。Strangesnowさんも仰せですが、あせったりせず、慎重に記述していただいた方がよい記事になるのではないでしょうか。今後編集合戦等の杞憂はなくなったかと思いますので、時間がかかっても良い記事になることを願っております。--Solidrock0327会話2019年4月29日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
Strangesnow様、Solidrock0327様、両氏のご指導に感謝します。Wikipedia:締め切りなんてないを参考に「いつかは私たちの標準にたどり着く」という記事の編集方針を取りたいと思います。略称に関してはStrangesnow様が言われる通り「略称:地方教会または地方召会」としたいと思いますが、Solidrock0327様はいかがでしょうか?また、Solidrock0327様が言われるとおり「貴殿の今回の本ノートページでの提案等について、内容は変えずに貴殿の記載の体裁を修正」についてはStrangesnow様がよろしければ、それでお願いしたく思います。
Strangesnow様にご質問ですが、検証可能性についての議論に関して、私の理解では「検証可能性」とはニューヨーク・タイムズの記事が真実であるかどうかが重要でなく、ニューヨーク・タイムズが『何を根拠にこの様な記事を書いたかが分かることが重要』なのだと言う理解なのですがいかがでしょうか?例えばニューヨーク・タイムズがある犯罪者の有罪を報じたときに、私たちはその犯罪者が有罪となるまでの裁判記録を遡ることができます。「ニューヨーク・タイムズ」が「信頼できる情報源」とされるのは、真偽は脇において読者へ検証可能な情報を提供しているからだと思います。すなわち「検証可能性」とは「点」としての情報ではなく「線」としての情報なのだと理解しますがいかがでしょうか?
今回の『JMR調査レポート(2017年4月)』は東京基督教大学名義で発行されるレポートではあるものの、東京基督教大学が何を基準にこの様に『見なしたか』が分からず、読者は検証可能性をそこで失ってしまうのではないかと思います。『JMR調査レポート(2017年4月)』の目的は「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」なものを明らかにすることではなく、「日本のキリスト教全体の教勢と教団・教派別の教勢データを」示すことで「現代の日本におけるキリストの教会のあるべき姿をめざし、広く日本宣教に従事する教会・団体・個人との連携により活動し、教勢データの分析と日本宣教の研究を行い、日本の教会が直面する課題について根本的かつ現実的な提言を行う」ことです。『JMR調査レポート(2017年4月)』の議事録が公開されていれば、まだこれは検証可能な情報とできますが、わずか数行の出典のない文言、それも目的が別にある資料をもって「検証可能性」のある資料とするのは無理があるのではないでしょうか?Wikipedia:検証可能性の「何を信頼できる情報源とするかWP:SOURCES」の「何を信頼できる情報源とするか」には「情報源は記事で執筆された内容を直接的に裏付けるものであり、その主題を適切に論じたものでなければなりません」とあります。また、続けて「一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。」とあります。『JMR調査レポート(2017年4月)』は直接的に地方召会を「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」であると裏付けておらず、その主題を適切に論じたものでもありません。また、東京基督教大学は専門家でありますが、地方召会のについて「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」である検証・分析を同報告書上で行っておらず、調査が精密であったかどうかも分かりません。これと対比できるのは、フラー神学学校の声明文ですが、これには声明文に続く論文が発表されており、この声明文の記述から、検証できる論文が存在することが分かり、その主題を適切に論じたものと言えるでしょう。私はこれが「検証可能性」なのだと理解しております。今後の編集のため私が間違った認識のまま編集を進めないよう、ご指導いただければ幸いです。
両氏のご指導に重ねてお礼申し上げます。追伸、Strangesnow様、ご返答は急ぎませんので連休をゆっくりとお過ごし下さい。Solidrock0327様もコメントのお返事は連休明けでも結構です。わたしもゆっくりしたいと思っております。--Happy jubilee会話) 2019年4月30日 (火) 02:47 (UTC)/追伸--Happy jubilee会話) 2019年4月30日 (火) 02:57 (UTC)/加筆・修正--Happy jubilee会話) 2019年4月30日 (火) 07:53 (UTC)/引用文を削除--Happy jubilee会話2019年4月30日 (火) 08:00 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee宛) Happy jubileeさん。お返事送れたこと申し訳なく思います。例に挙げられたニューヨーク・タイムズなどの新聞記事が信頼される情報源であるのは、単純に、専門家など、執筆者以外による査読を受けていると考えられるからです。そして、東京基督教大学名義の『JMR調査レポート(2017年4月)』では、専門家による査読プロセスはほぼ確実に受けられているであろうと考えられます。このレポートを元に「東京基督教大学名義の『JMR調査レポート(2017年4月)』では地方召会を「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会」に分類している。」と書くことは問題ないと考えています。除去された記述に含まれていた、直接関係のない他の教会名をも列挙する必要性が私にはあまり感じられませんが、それについての強い意見はありません。(記事上ではほとんどわからないですが)他の教派から、その聖書や三位一体論などが一風特殊なものであると見られているのはわりと知られている事実なので、教派や大学等によって見解が分かれているということが知れるのは、百科事典として大切なのではないかなと考えています。フラー神学大学との対話とカルト性を否定した声明文が出されたことや『We Were Wrong』のことは、もちろん書いてあるべきですが、結論を出すのはウィキペディアの役割ではありません。中立性を達成するためには良質な研究をより重視するのは当然ですが(地方召会のサイト上にある)『フラー神学学校の声明文』だけでは「~ではない」と言い切れるほどではないと考えています。仰るとおり、論文が存在するのであれば、そちらを利用されたほうがよろしいでしょうし、教会の特徴についてなども充実されるのではないでしょうか。--Strangesnow会話2019年5月7日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
(追記) やはり私としては、批判と応答よりも概要節と歴史節をなんとか改善して欲しいです。キリスト教専門の研究者ではありませんが、藤野陽平『台湾キリスト教の歴史的展開 : プロテスタント教会を中心に』があり、台湾ではプロテスタントとして受容され三大教派の一だとする論文があります。この、p.321には以下のような内容が記載されています。
  • 中国大陸で成立した。
  • 団体名称が無い。
  • 各地方の教会は独立し、区会総会などは無い。
  • 浸礼を採用している。
  • 1927年「上海に在る教会」がウォッチマンによって設立される。
この辺の内容をわかりやすく概要に盛り込んだほうが読者に親切であろうと思います…。
他の教派と比較される点などはen:Local Church controversiesに三位一体論の違いなどが出典つきで良くまとまっているように思われます(斜め読みしかしてませんが)。すべてに触れる必要はありませんが、ざっくりと特徴は示せるでしょう。--Strangesnow会話2019年5月7日 (火) 05:53 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow宛) Strangesnow様、連休明けのお忙しい時期にお時間を割いていただき、誠にありがとうございます。仲裁の件を含めまして、嘘偽りなく心より感謝いたしております。この様に感謝の言葉を述べた後に手を返すような発言をして申し訳ありませんが、『JMR調査レポート(2017年4月)』の件ではStrangesnow様のご返信を見てやはりこの資料を使用する限界というものが見えました。私よりもはるかに編集経験があるStrangesnow様にして「専門家による査読プロセスはほぼ確実に受けられているであろうと考えられます」としか言いようがない資料であることが本資料の検証可能性の限界です。なぜ、「専門家による査読プロセスを経ています」と言えないかはStrangesnow様ご自身が一番よくお分かりではないでしょうか?一般の研究雑誌ならば査読は当然受けていることが前提となりますが、本レポートはあくまで東京基督教大学名義で出されたレポートであるため通常の査読プロセスを経ているかが不明であり、どの様な基準で地方召会が除外されたかの基準も不明であるため、それらの点が確信がお持ちになれずに、このような発言となっておられるのではないでしょうか?その様な確信のない発言で「検証可能性」のある資料と言われましても、どう読んでも無理筋の説明だと思われます。私感でありますが、本レポートにつきましてはこれ以上わたしたちで議論しても時間だけが失われる様に感じます。Wikipedia:締め切りなんてないの方針に準じ、本レポートの検証可能性につきましてはまた時間をかけ、機会を見つけて第三者の意見も聞いてみると言うことでいかがでしょうか?
フラー神学大学の声明文に関しましてはフラーのホームページ上で掲載されていたことがWebアーカイブで確認できております。→Fuller and Living Stream Ministries in ConversationFuller’s Statement 日本語については地方召会側のサイトしかありませんが、この声明文がフラーから発表されたことは確実に確認できます。
藤野陽平『台湾キリスト教の歴史的展開 : プロテスタント教会を中心に』の資料をご提示いただきましたこと、深く感謝申し上げます。私も読ませていただきます。en:Local Church controversiesにつきましては、私ももっと英語が堪能であれば直ぐにでも訳して使用したいと思うところであります。『We Were Wrong』も含め、英語、中国語の資料が多すぎて何から手を付けたものかと悩ましいところであります。しかし、Strangesnow様のご助言を参考に準備をいたしたいと思います。
あと、参考となる資料としまして、Christianity TodayのLoose Cult Talkと言う記事。また、『We Were Wrong』に記載がありますが、地方召会の出版機関であるLiving Stream Ministryが2002年、ECPAに加入した件も客観的資料になるかと思われます(Living Stream Ministry - ECPA)。
Strangesnow様にはお忙しいところお付き合いいただき、重ねてお礼申し上げます。今後ともご指導を賜りたくお願い申し上げます。--Happy jubilee会話2019年5月7日 (火) 12:33 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee宛) Happy jubileeさん、私からは各論の記述に関しての議論の前に、まず総論的な部分を申し上げます。
貴殿の上記発言「直接編集の権利(これが正しい言葉かも分かりませんが)についてですが、私はこの権利を放棄し」を読み、今まで接してきた偏向編集者とは違い、ガイドラインを守る意思がある、と判断しました。つまり編集の強行などの恐れがなくなったとの判断です。その点においては、現状Happy jubileeさんを信頼しています。
そのうえで、以下が気になる点です。
①貴殿の編集履歴はすべて「地元にあって合一である立場に立つ教会」関連記事のみ。
 地方教会召会ウイットネス・リー地元にあって合一である立場に立つ教会回復訳聖書異端
②すべて教団の見解にそった編集。
③記事の編集内容ではなく、「異端ではない」という意見をノートで展開した。
例えば、教団に属している人は、その教団に対し「異端ではない」という見解で当然ではないでしょうか。それは「中立的観点」とは言えないはずです。
これは「本人にそのつもりがなくても」、結果的に
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません
に該当してしまうことになります。
Wikipedia:中立的な観点」からの抜粋
>「中立的な観点とは」
>ある特定の観点を他方に優先して推進するものではありませんし、ある特定の観点を除外するものでもありません。
>「なぜウィキペディアが中立的であるべきか」
>私たちは、ひとりひとりが、そして全体としても、競合する諸理論が公正に提示されるように、特定の立場が主張されないように、努力するべきです。
上記を踏まえ以下のガイドラインがあります。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」からの抜粋
>ウィキペディアの中立性を保ち、かたよった観点を押し付けないようにするためには、自分が関わっている事柄についての記事の編集をするときには特に注意する必要がありますし、時にはそれを我慢することも、とても大切なことなのです。
>「自分自身の記事を書くことの問題点」
>自分について書いた情報には、しばしば主観が入り込み、その主観はふつうは自分に都合のよいようにものごとをとらえがちです。
私は貴殿のこれまでの主張が「JMR調査レポート(2017年4月)」「クリスチャンライフ テキストブック」を削除するために、ガイドラインを必死で読み、自身の主張に合う部分を引っ張ってきている様にしか思えないのです。貴殿の目的は教団側の見解に立って当記事から上記の2点を削除することであるのかと残念に思ってしまいます。
それはwikipediaでは「目的外利用」として、ガイドライン違反とされる行為です。
上記は貴殿のノートページですでにご説明差し上げていますが、第三者を交えることを理由に本ノートページでの会話を希望されていますので、やや場違いではありますが、記載させて頂きます。
私は返事を急がれることを求めませんので、時間をかけ、じっくり上記各ガイドラインを精読していただけませんでしょうか。そのうえで貴殿が良心に基づき、適切な判断をされることを願っております。--Solidrock0327会話2019年5月7日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
返信 (Solidrock0327宛) 何か書こうと思いましたが、もはや何を書いても貴方は読まないで持論を通され、またもや際限なく言い合いになり、他の方の迷惑になるような確信がありますので止めておきます。私の意図は、特に人命や人の生存権に関わる言葉を用いる際にはWikipediaの規則に沿って慎重な議論をしましょうと言うことだけです。人権を重んじるのはWikipediaの編集者以前に人として当たり前のことだと思いますが間違っておりますでしょうか?これ以上は言いません。詳細は上に書いた通りです。--Happy jubilee会話2019年5月9日 (木) 01:29 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee宛) Happy jubileeさんへ。何故私が「専門家による査読プロセスを経ています」と断言しないかは単に私が東京基督教大学に関連していないからであり、常識的には査読を受けているものと考えてよいものでしょうし、これが一切の査読を受けていないと考えるのは特殊な主張でしょう。それはそれとして、該当のレポートを出典に利用しても書けることは「~は地方召会を「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会」に分類している。」の批判ですらない一文だけなので、私はあまり重要な資料だとは考えておらず、もっと他に良い資料が他にあるのではないかと考えています(たとえばGoogle Scholarで 2009年以降に絞り込んで「The Local churches heresy cult」みたいな意地悪な検索をするといくつか見ることができます。もちろんCRIなどの好意的な資料も見つかります)。声明文がフラー神学校から発表されたことは疑っていませんが、出典にはWebArchiveを用いたほうがよろしいでしょう。フラー神学校理解を示す声名文を出されたことを記載するのに充分な資料になると思います。Evangelical Christian Publishers Associationに加入した件は、その通りに書けばよろしいのではないでしょうか。
Happy jubileeさん、Solidrock0327さん。異端の概念は立場による相対的なものなので、ウィキペディア上では有る無しを言い切らないことを目指したいです。それを踏まえたうえで、批判があるのであれば視点を明記してそれを淡々と記載すればよいですし、どこかの神学校の調査ではカルトでないよとあれば同じようにそれを書けば良いでしょう(どちらも分量を守った上で、です)。これはお二人も理解されているものだと信じています。ですが、現状では批判やそれへの応答について書かれている内容が多いですし、記事の構成が異常になっています。たとえば歴史節で成立に触れられないまま、批判されて和解したと書いてあるのは明らかに異常です。歴史の中で批判や応答に触れるのは良いのですが、それが主となるのはおかしいです。以前も申し上げていますが、まずは定義・概要・歴史を見直すことは出来ませんでしょうか。その際、利用者:Happy jubilee/地元にあって合一である立場に立つ教会などに下書きを作成していただければ、両者の合意も得られやすいであろうと思います。各教派からの批判やその応答について(前述していた現在除去されている内容を元にした「批判の歴史」節のことです)記述するのはそれからではいけないでしょうか。(改めてen:Local churches (affiliation)から訳し、それに付け加えていったほうが良いのではないかとすら思ってしまいます)--Strangesnow会話2019年5月9日 (木) 02:47 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow宛) Strangesnow様へ、ご返信ありがとうございます。本日は多忙につき詳細なお返事はまた明日以降にいたします。と言いますか、もう少し当方の返信のペースを緩めて良いでしょうか?Strangesnow様には毎日のようにコメントを頂きありがたいばかりなのですが、少し忙しい時期に入ってしまいましたので、可能な限り毎日入りたいのですが、少々厳しい状況です。大変お世話になっておきながら、勝手なことを申しまして大変申し訳ございません。--Happy jubilee会話2019年5月10日 (金) 04:06 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee殿宛) Happy jubileeさん、まずは率直に貴殿への信頼が裏切られた点を大変残念に思います。貴殿の良心に基づいた発言が上記であることに大変失望しました。当方は「各論の記述に関しての議論の前に、まず総論的な部分を申し上げます。」と書きました。貴殿の文章を読まずに書くようなことがあり得るでしょうか。各論は総論の疑念を解決せずに答えるのはおかしいのではないですか?私は当初から「貴殿の編集目的」に疑念を持っており、それにより貴殿への「編集参加の正当性」を尋ねる重大な質問をしました。各論は貴殿の「編集参加の正当性」に対し説明がなされた上でなければ答える意味はないはずです。「もはや何を書いても貴方は読まないで持論を通され、」(①)とは随分ではないでしょうか。貴殿は貴殿個人のノートページへの当方の質問に最後まで一言も返答しませんでした。
「対話拒否」はブロック対象にすらなり得ると言われても、です。その際理由として「Solidrock0327氏との会話は第三者、特にこの場で仲介の労を執っていただいているStrangesnow様の立ち会いの場のみで会話させていただき、」(②)としていました。そのため、本来の場ではないけれども貴殿の要望に沿いこの場で質問したところ、①により、「編集参加の正当性」に全く回答しようとしません。なぜ回答しないのでしょうか。①②が理由でしょうか。②の理由に沿って対応すると①を言う。結局答えたくない(答えられない)としか判断しようがありません。
「対話拒否」はブロック対象にすらなり得ると言われても答えない、というのは普通の状態ではありません。
「編集参加の正当性」について自分の考えを説明することも、間違っていた点を認めることもどちらもしない。
このままの姿勢で編集参加をするなら、看過することは到底できません。貴殿のここ数回の発言をみる限りにおいて、編集強行の恐れすらあり得ると考えます。なぜなら自分の都合の悪いガイドラインは完全に無視しているからです。
<<今までの姿勢>>
基本的に、主張を変える、ということを全くしていません。自身の編集への反省などは全くなし。貴殿は「目的」を遂行するだけで、他者の意見を認めようとしません。
<<各論への指摘>>
<JMR調査レポート>
「JMR調査レポート(2017年4月)」について、私論の展開も甚だしいと言わざるを得ません。
>通常の査読プロセスを経ているかが不明であり、
大学の研究機関がレポートを対外的に表明して、査読プロセスを得ていないなど、あり得るでしょうか?一般常識の範疇です。
>どの様な基準で地方召会が除外されたかの基準も不明であるため、
それはレポートを出典として不適切とする理由に全くならないです。当記事における該当の記述は、「国際宣教センターが」、「MR調査レポート(2017年4月)」で、「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」としている、という客観的事実を記載しているに過ぎません。
<【方針提案1】への指摘>
>この方針は「地元にあって合一である立場に立つ教会」に反対する意見を押さえ込むための提案ではなく、人命のかかった内容なので
要するに、wikipediaで「異端」という言葉を使うと人命にかかわる、という主張のようですが、wikipediaの編集者でこの意見に同意する方は一人もいないでしょう。
<【方針提案2】への指摘>
JMR調査レポートについては説明済のため、「クリスチャンライフ テキストブック」について。とにかく貴殿はこの出典を削除したくてしょうがない様子です。「自費出版」を理由に挙げていますが、「Wikipedia:信頼できる情報源」の「自主公表された情報源」には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。」とあります。菅原亘氏がある程度、著名なキリスト教牧師である点は異論ないはずです。
>これでは菅原亘氏の私的な意見と見なされても仕方ありません。
当たり前です。すべて著者の私的な意見で当然です。団体の著作でないのですから。どんな専門家でも私的な意見です。
>異端研究の権威ではなく
記事内で一言でも著者を「異端研究の権威」と記載しているでしょうか。「どの立場から」を明記してあれば、客観的事実として何ら問題のない記述です。
<【ガイドライン提案1】言葉の読み替えをしない への指摘>
>私たち編集者は言葉を読み替える権利を持っていません。
「キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難」という言及=「キリスト教である」と読めるのでしょうか。また「キリスト教かどうかわからない」と読めるでしょうか。「キリスト教でない」以外に読めないはずです。もちろん、「国際宣教センターからの視点」という限定的なものです。しかも、タイトルだけで、個別の記載では原文のまま掲載しています。当方はこの件では「読み替え」とは考えません。が、Strangesnowさんが仰せの
>「キリスト教でない」と断言してしまう表現に変えるのは避けたほうがよろしいでしょうね。
を尊重し、これについてはStrangesnowさんに一任します。
<自分自身の記事を書くことによるwikipediaと読者への影響>
私自身の体験を話すと、ある教団について「日本でも主流の教派からはキリスト教会として認められている」というwikipediaの記述を鵜呑みにしてしまった苦い経験があります。wikipediaの記述を検証もせず、ろくに調べもせず信じてしまった私に非があるのは確かです。しかしそのwikipediaの編集者はなぜそのような編集を行なったのでしょうか。その記事には批判について全く記載がありませんでした。しかも批判への言い訳の様な記述が延々と記載されていました。ある新聞Xに「A総理は歴代の総理でxxの点が最もすばらしい」と書かれたら、読者は「新聞Xはそのように評価するんだな」「A総理はすばらしいんだな」と思う事でしょう。しかしその記事をA総理の事務所の職員が記述しているとしたら。その新聞Xの信頼性は揺らぐでしょう。新聞XはA総理と利害関係があるのでは、とされかねません。wikipediaは特定の組織、団体の下部組織なのでしょうか。新聞のような「PR」と記載された宣伝記事も存在しないはずです。関係者による記述はwikipediaの信頼性の低下と読者への悪影響を与えることになります。宣伝広告は他のそれが認められているWEBサイトにてお願いできませんでしょうか。wikipediaのガイドラインを無視し、wikipediaを私利に利用するのは迷惑です。
<第三者により執筆されないならその団体は特筆性がない>
wikipediaで関係者が執筆することによるメリットはなく、弊害だけがあります。特筆性があれば、誰かがその記事を立稿するでしょう。逆に言えば、それがないなら、はっきり言ってwikipediaでは必要がない記事、記述です。教団を称賛する記事を作成したいなら、コミュニティのルールを破ってwikipediaに迷惑をかけて自画自賛するのではなく、第三者にそれをしてもらえる教団になればよいのです。
今回の件を貴殿への「編集参加の正当性」最終質問とし、誠意ある回答がいただけない場合、数日中に貴殿の編集姿勢に対するコメント依頼を提出させて頂きます。
返信 (Strangesnow殿宛) Strangesnowさんへ。ここまで労を取って頂いている点に深くお礼申し上げます。--Solidrock0327会話) 2019年5月10日 (金) 13:21 (UTC)文言修正--Solidrock0327会話2019年5月10日 (金) 13:31 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow宛) Strangesnow様、先ずは当方の都合でご返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。私自身のことはあまり語りたくはないのですが、私も学会と言うものに少なからず関わってきましたので、今回の『JMR調査レポート(2017年4月)』の件では、学会で言う『査読』と大学が出すレポートの『査読』では査読の意味合いが違うのではないかと言う気がしてなりません。
例証を挙げますが、STAP細胞は理化学研究所の小保方晴子さんを代表とする共同研究者らがネイチャーに投稿しましたが、その後、世界中の研究者および、小保方晴子さんらが論文に発表された実験手法に則り追加実験を行いましたが、再現性がなく研究は打ち切られました。Wikipediaの編集上で重要なのはSTAP細胞の再現性のあるなし(客観的事実)ではなく、ネイチャーに発表された実験手法に基づき世界中の研究者が追加実験を行い、再現性を検証した点にあります(検証可能性)。
話しを『JMR調査レポート(2017年4月)』に戻して対比しますと、このレポートは理化学研究所がネイチャーに投稿する前の段階にあります。論文誌に掲載されるためには学会ごとに定められた「査読規定」に従い、論文発表者たちに利害関係の無い第三者の研究者たちが(通常匿名でだと思います)査読を行います。そして、その査読者らの質問に発表者たちが適切に答え、論文誌に載せるのに適切と確認されたならば、それは初めて査読付き論文というかたちで論文誌に掲載されます。しかし、事はここで終わりではありません。もし、この時点の一つの論文をもって私たちがこの一次資料を用いて客観的事実があると主張し、Wikipediaの記事を編集したならばSTAP細胞はあると言う偏った記事を書いてしまいます。ここで重要なのは検証可能性です。論文誌には必ず第三者がそれを再現できるよう科学であれば実験手法、文系であればその結論に至った出典資料が付記されます。STAP細胞に関する記事を書く時には必ずその再現性を検証した検証論文が付記される必要があります。私はその点に関し、『JMR調査レポート(2017年4月)』は査読規定がある論文誌に掲載されたレポートでもなく、また、その結論に至った出典資料が付記されたものでもない点から、検証可能性のない資料ではないかと申し上げています。
私も『JMR調査レポート(2017年4月)』が全く価値なしなどとは思っておりません。おそらく、学内研究者間でのチェックは少なからず行っているでしょうし、もしかしたら学外の研究者にも意見を聞いているかと思いますが、それは通常学会で言う査読規定付きの『査読』ではないと思われます。もし、『JMR調査レポート(2017年4月)』作成時の査読規定があるならば(内部規定なので部外秘となっていると思いますが)それを示されることで多少の信頼性のレベルが上がると思います。私は大学が発表した本レポートの価値を認めますが、それは二次資料としての価値であり、一次資料の提示なしに、本記事編集で「~は地方召会を「教義上あるいは信仰の実践上、キリスト教もしくはプロテスタントの一派と見なすことが困難とされるグループや教会」に分類している」と書くことは検証性を欠くこととなると考えます。
さはさりながら、Strangesnow様のおっしゃる通り現在の記事には欠陥があり、それを是正することが必要だと思います。ご提案の通り、まずは定義・概要・歴史を見直すことから始めることに賛成します。記事の下書きを作成することもお受けいたします。上記にもありますように、私はこの記事における直接編集の権利を放棄し、このノート上で随時提案をして、最終的な編集は中立的な立場であるStrangesnow様(他の中立的な方々が参加されましたらその方々)に依頼します(記事の編集を強行することはありません)。この姿勢を私は変えないと約束いたします。私が提案する資料については随時この場でWikipediaの規則に則り資料としての妥当性を検証して頂ければ結構です。これでこの記事に対する中立性は確保できているかと思いますが、Strangesnow様のご意見はいかがでしょうか?申し訳ありませんが、今日はここでタイムオーバーとなります。あと、これも手前勝手で申し訳ございませんが、Strangesnow様に直ぐにご返信を頂きましても、次のご返信は三日後くらいになります。Strangesnow様のご指導とご助言に重ね重ねお礼を申し上げます。
返信 (Solidrock0327宛) 貴方へのご返信についてはStrangesnow様からのご助言を待ってからにさせて頂きます。貴方とも感情的にならず、冷静で理論的な話し合いができればと切に願うところであります。貴方のページにある「新宗教の信者と争う意図はなく、新宗教の信者は宗教団体の「被害者」という認識でいます」という言葉から、貴方も貴方なりの正義感によって記事を編集しているのでしょうが、貴方が持っている価値観によって正常な信仰を持つ者が傷つくこともあることを知って頂きたいと思います。貴方が自分の価値観を大切にしているように、他の利用者も大切にしている価値観があります。それを互いに尊重し合うことはできませんでしょうか?聖書の言葉を引用して終わりたいと思います。
”マタイ13:27-30 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。”--Happy jubilee会話2019年5月13日 (月) 04:13 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee宛) Happy jubileeさんへ。我々は研究者ではなく編集者です。論文を元に「小保方晴子はSTAP細胞があるとした」と書くのは許容されるというのが私の理解です。その論文の妥当性を検証するのは我々編集者ではありません。その上で、件のレポートは発行元が「信頼できる情報源」であるので利用はできるが、資料としての評価は高くないし(他に多くの二次資料があれば省かれる程度の資料だと思っています)、中立性には問題があるので、例の一文を書くのであれば視点を明記した上で、単純な事実しか書けないでしょう。そのために~でないとする表現は避けたいところです。日本語文献以外にはもう少し説明されている文献があるでしょうし、私はあまり重要視していない資料ですが、なんにせよ、主題が~である~でないを言い切るための分類ではないし、そうなる一文ではなくなるように思えます。Solidrock0327さんも利用可能な部分を最低限だけ利用するよう「「キリスト教でない」と断言してしまう表現」を避けることに同意されているではないですか。
「直接編集の権利を放棄」する必要は今のところまったく無いと私は考えていますが、合意が得られやすいようにまずは「下書き」を使われることには大いに賛成です。まずは概要や歴史節の下書きを記事同様に出典付で作成していただければ、そちらを拝読させて頂きますので、そのとき資料に疑問があれば質問させてください(一般的な概要や歴史節でそれほど問題になるような資料はでてこないと思っています)。
返信や編集は急がなくても結構です。一週間程度ならまったく気にしません。(私もここ数ヶ月わりあい忙しく、小さな編集しかできていないですし……。「en:Local churches (affiliation)」を翻訳して提案しようとも考えたのですが、訳語選びで時間がかりそうなのでやめてしまいました)。--Strangesnow会話2019年5月13日 (月) 06:14 (UTC)[返信]
返信 (Happy jubilee殿宛)
>貴方が持っている価値観によって正常な信仰を持つ者が傷つく
Happy jubileeさん、貴殿が「傷付いた」というのでしたら遺憾なのですが、あくまで出典の内容を記述しているだけであり、ありとあらゆる団体、人物で批判を受けないということがほぼ皆無(特に宗教関係は)な現代社会において、自身にやましい点がないなら、傷付く必要がないというのが私の考えであります。つまり間違っていたり、事実無根、あるいは考えの違う人々からの批判をされたからと言って、いちいち気にする意味がないということです。
さて、まずは率直に貴殿が再度「編集参加の正当性」について返答しなかった点を大変残念に思います。
貴殿は
>「もはや何を書いても貴方は読まないで持論を通され、」
と仰せであるにもかかわらず、再度当方への返信はせずに貴殿の言いたいことのみを仰せです。この自己矛盾をどうお考えでしょうか。
このノートページは百科事典の記事編集の議論をする場であり、宗教関係の記事であるとはいえ、聖書の言葉を引用するなどの「宗教的な考え」を記述するのはやはり相応しくないと思います(WP:NOTOPINION)。わたしが個人のページで書いていることはwikipediaのガイドラインで赦されている範囲の「余興」であることを申し添えておきます。
私はこの記事における直接編集の権利を放棄し、このノート上で随時提案をして、最終的な編集は中立的な立場であるStrangesnow様(他の中立的な方々が参加されましたらその方々)に依頼します(記事の編集を強行することはありません)
これをもって貴殿の「編集参加の正当性」は担保されません。
私が上記で「『私はこの権利を放棄し』を読み、(中略)Happy jubileeさんを信頼しています。」と言ったのは、その時点でガイドラインを守る意思がある、と判断したからですが、その判断はもはや間違っていたと結論せざるを得ません。
貴殿がこのままwikipediaの「地元にあって合一である立場に立つ教会」関連記事の編集に(間接的にでも)参加する資格は、私は「ない」と確信します。
上記でも指摘していますが、貴殿は一貫してご自分の主張を変えようとしません。仮に間接的であろうが、仮に編集強行をしないとしても、貴方の参加はただひたすら(貴殿にそのつもりがなくても)「編集妨害」でしかありません(中立的観点からの編集を関係者の視点から反対し続ける)。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」は、「究極的には」全く中立な編集をするなら、関係者であろうが適用する必要はないのです。問題なのは「偏向編集」です。その点において、現時点でまったく改善の見込みはないし、将来もまずあり得ないと考えています。
上記にあげた2つの出典「JMR調査レポート(2017年4月)」「クリスチャンライフ テキストブック」を「熟練した編集者の丁寧な繰り返しの説明」にもかかわらず否定する時点で、貴殿の編集履歴(①「地元にあって合一である立場に立つ教会」関連記事のみの教団の視点からの編集、②本記事での繰り返しの該当記述削除強行)と合わせ、私の見解としては(おそらく他の編集者も)「目的外利用」確定です。
上記でも申しましたが、「wikipediaで関係者が執筆することによるメリットはなく、弊害だけがある」というのは私の確信であると同時に、wikipediaの基本スタンスと一致するものです。
きつい言い方になって、申し訳ないのですが(あくまで編集の話であって貴殿個人に悪意があるわけではありません、念の為)ストレートに言えば、関係者の視点からの貴殿の「地元にあって合一である立場に立つ教会」関連記事への編集参加は「wikipediaにとって有害」です(関連がない記事への編集参加は問題ありません)。
このノートページは全世界から閲覧することができ、該当教団に関心のある方が多数読んでおられるし、これからもwikipediaが存続する限り読まれ続けるでしょう。今後貴殿が取るべき態度は以下①②③のいずれかになります。熟慮の上、良心に基づきご判断下さい。
①このまま当方を無視し、Strangesnow氏と編集を進める。
⇒その場合、即コメント依頼を提出します。
②中立的観点で当記事の編集に参加する(と宣言、主張する)。
現時点では(将来的にも恐らく)到底無理。
なぜなら、「個人の考え」に「編集」を合わせようとしている。
先に「ガイドライン」「編集」があり、「個人の考え」で客観的な「編集」を左右してはいけないのがwikipediaの基本であるため。
wikipediaは「個人の考え」や「関係者による主観的記述」を記事にするのではなく、第三者による、社会的視点・客観的視点からの記述を「(二・三次資料を中心とした)信頼できる情報源を元に」行う、議論のある内容は両論併記、などの基本を全く理解していない。
>信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません(「Wikipedia:信頼できる情報源」)。
関係者による編集はごく一部のわずかな例外を除いて、ほとんどの場合中立的観点が保てないため「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」という重要なガイドラインがある。
⇒当然、上記同様、即コメント依頼を提出します。
③「地元にあって合一である立場に立つ教会」と無関係の記事(「無関係であれば」宗教関係も可能)のみで編集する。
⇒wikipediaにおいて歓迎され、かつwikipediaへ貢献することになります。--Solidrock0327会話) 2019年5月13日 (月) 15:21 (UTC)文言追記・修正--Solidrock0327会話2019年5月13日 (月) 21:43 (UTC)[返信]
返信 (Solidrock0327宛) 貴方のページにある「新宗教の信者と争う意図はなく、新宗教の信者は宗教団体の「被害者」という認識でいます」という言葉を引用した意図は、貴方がWikipediaの編集を行う動機、目的がここに現れ出ているからです。貴方は「信者と争う意図はなく」と言う中で、何かとは争う意図があることを現しています。そして、その後半の「新宗教の信者は宗教団体の「被害者」という認識」という発言の中で貴方の争う意図は何に向けられているかが明らかにされています。貴方は信者は新宗教の宗教団体の「被害者」だと言う認識を持っており、貴方は明らかに新宗教の宗教団体と争う意図を持っていると言うことです。別段、ここがWikipediaでなければ、私は貴方の目的に干渉しませんが、ここはWikipediaであり、貴方の正義感を満足させる場では無いと言うことです。貴方の編集に使用された資料は地方召会を攻撃する意図を持ったものばかりで、Strangesnow様のようにバランスの取れた質の良い資料ではありません。貴方はここの編集に加わった時点でこの団体を攻撃すると言う意図を持ったバイアスがかかっており、到底、中立的な立場の編集者ではありません。貴方は私の中立性を疑いますが、貴方は読まずに私の編集を消してしまったので、気づいていないでしょうが、私は少なくても対論として、『2007年1月9日、プレスリリースが「七カ国以上、六十人以上の福音派クリスチャンの学者と伝道団体の指導者たちが前例のない「公開書簡」に署名して、「地方教会」とリビング・ストリーム・ミニストリーの指導者たちに、設立者ウイットネス・リーの非正統的な発言を撤回するよう要求した」と報道した。』と言う資料を編集時に使用しています。私は少なくてもこの報道の内容は十分検証可能性がある資料として認めています。私は人道的立場から「異端」と言う言葉が軽々しく使われるべきでは無いことは主張しますが、これはあくまでWikipediaの規則の範囲内において検証可能性がある資料を差し止める意図があっての事ではありません。私は貴方が提出した資料は全て目を通しています。『クリスチャンライフテキストブック』もわざわざ購入してまで読みました。はたして、貴方は私が提示した資料を読んでいるのでしょうか?編集の議論に参加する者として、たとえ価値観の合わない者が提出した資料であっても最低限、議論できる程度には目を通すことは礼儀ではないでしょうか?私は『We were wrong』という資料を提出しましたが、この資料は地方召会に対する対論の集大成です。これに目を通すだけで検証可能性がある対論の資料がどこにあるかを知ることができます。貴方はこれまで終始、私の編集参加資格のみを攻撃し、私の提出した資料を読んでいないのではないですか?私が地方召会に都合の悪い資料を隠そうとするならば、『We were wrong』なんて資料を提出しません。なぜなら、そこには地方召会を悪く言ってきた人たちについての記事が載っているからです。私が隠す意図を持つならそんな資料の存在さえ悟らせないようにするでしょう。しかし、私は『We were wrong』を中立的で、検証可能性がある資料として提出しました。一方あなたはどうでしょうか?貴方がここで中立的な立場で編集を行いたいのならば、少なくとも中立的な立場で議論が行える資料を提出せねばなりません。貴方の提出した資料は明らかに『攻撃』の意図を持った資料のみであり、とてもではありませんが、貴方が中立的な立場の編集者とは見なせません。ここで対論に関する記事を編集したいのならば、両論に関して記載されている資料集めに貴方も協力すべきです。貴方の方こそ地方召会のネガティブキャンペーンを行う意図ありとして、「目的外利用」確定です。
私が聖書の言葉を用いたのは、最後の最後まで貴方との会話を試みるためでした。貴方はどの程度か分かりませんが、聖書を読んでおり、自分のハンドル名まで聖書に由来する名前にしているため、聖書は貴方との会話において共通言語になるのではないかと考えたのです。しかし、貴方は私との対話を拒否し、当初からの私の参加資格に対する疑義のみを攻撃し、私の出した検証可能性や、信頼できる情報源や、自己発表にあたる資料についての十分な議論に参加しようとしませんでした。貴方は後に言い訳ができる程度に回答を上記に書いていますが、全く足りません。[Wikipedia:検証可能性]「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」という言葉を貴方は読んだことがないのですか?本来、『JMR調査レポート(2017年4月)』と『クリスチャンライフテキストブック』の資料としての適切性を説明しないといけないのは、貴方であるはずです。しかし、貴方の説明は議論を行う意思を全く感じさせない断定的な自己の意見ばかりで、全く理論的ではありません。
私が繰り返しStrangesnow様に検証可能性について質問したのは、私がWikipediaにおける初心者であり、Wikipediaの不文律というものを知らないからです。私は規則を熟読しましたが、はっきり言ってここの議論に参加していると、どこからどこまでがWikipediaの言う検証可能性がある資料なのかがさっぱり分かりません。規則にない事で分からないことは、知っている人から聞いて学ぶしかないので、繰り返しStrangesnow様に質問しているのです。Wikipediaは初心者を歓迎していないのでしょうか?熟練の編集者から聞いて学ぶことが中立的な立場を逸することならば、Wikipediaはどうやって初心者を成長させるのでしょうか?貴方の態度は明らかに気に入らない、価値観の合わない初心者を煽り、攻撃し、Wikipediaから追い出そうとする態度です。その様なことをWikipediaは推奨しているのでしょうか?私はすでに提出されている[コメント依頼/Solidrock0327]に協力しようかと検討中です。しかし、私も忙しい時期にあり、できれば参加したくありません。しかし、貴方の態度が変わらない限り、私はWikipediaの秩序に従い、貴方の行為を利用者の方々に知ってもらう努力をするつもりです。
返信 (Strangesnow宛) Strangesnow様、以上の様な状況ですので、私はここでの編集作業を一旦休止し、柒月例祭様のような管理者の方に意見を伺ってはどうかと考えます。ただし、現状の記事は我ながら出典が無く、リンク切れがあるひどい状態であると思いますので、その点は微修正することを提案いたします。私も多忙な時期ですのでこの様な前に進まない議論ばかりでは記事の作成は到底できません。他に何か良いアドバイスがありましたらお教えください。--Happy jubilee会話2019年5月16日 (木) 03:24 (UTC)[返信]

返信 (Happy jubilee宛) 返信 (Solidrock0327宛) (インデント戻します)Happy jubileeさん、Solidrock0327さんへ。 どちらも態度が硬化しているようです。記事全般についての進行がみられないので「利用者:Strangesnow/sandbox/地元にあって合一である立場に立つ教会 (草案) 」に草案として現在の記事を整理のうえ概要・歴史等を整理しました(訳語選びが面倒なので、一部英語のままです)。これまでの概要は歴史節の中の一部に移し、要出典箇所を残しています。編集可能(AllowEdit)としておいたので、おかしな部分があれば修正してください。完成していない「批判の歴史節」をのぞいて刷新したいと考えています。--Strangesnow会話2019年5月16日 (木) 06:02 (UTC)[返信]

返信 (Happy jubilee殿宛)
本来は個人のノートページでお知らせするのですが、貴殿がご自分のノートページでの会話を拒否されるという「独自ルール」を主張されているため、ここで「Wikipedia:コメント依頼/Solidrock0327、Happy jubilee 20190517」の提出をご報告いたします。貴殿の主張なども自由にご追記下さい。
すでに上記直近の2回のコメントで私の主張は言い尽くされているのでやたらと書くと論点がぼけます。
またこれ以上ここで書いても貴殿が納得されないでしょうからざっくり申し上げておきます。①貴殿の主張はあいかわらず教団の視点からの主張・擁護する見解ばかりです。②当方の編集を批判していますが、両論併記であって、記事全体が偏向しないように追記しているに過ぎません。③「全く足りません。」は貴方の主張であり、第三者の意見を求めましょう。すでにStrangesnowさんから繰り返し丁寧に説明されているにもかかわらず、納得されないようです。100人ぐらいから言われたら納得されるのでしょうか?
返信 (Strangesnow殿宛)
草稿誠にありがとうございます。もし可能なら本件が落ち着いたら私も参加させていただきたく思います。他に執筆されたい記事も多数ある中で草稿を作成して下さったことを感謝いたします。--Solidrock0327会話) 2019年5月16日 (木) 15:02 (UTC)文言追記--Solidrock0327会話2019年5月16日 (木) 15:39 (UTC)[返信]
返信 (Solidrock0327宛) Solidrock0327さん、参加お待ちしております。草案は概要や歴史など主題についての大まかな内容について改善することを目的としています。このため、草案では批判の歴史節について記載する予定はありませんので、Happy jubileeさんとの対立の原因となっている件のレポートを元にした分類や他教派・会派からの視点についての議論などは、この草案とは別途に行うことを考えています。他の節や定義部について、草案反映後に中立的でないとか宣伝的であるなどの判断があり、本文が修正されることもありえるだろうと考えていますが、以前より申し上げている通り、とりあえず現行の記事よりは、定義や概要、歴史の面で百科事典的な記事にしたいという考えです。--Strangesnow会話2019年5月17日 (金) 02:51 (UTC)[返信]
報告利用者:Strangesnow/sandbox/地元にあって合一である立場に立つ教会 (草案) 」を更新しました。--Strangesnow会話2019年5月17日 (金) 07:29 (UTC)[返信]
報告利用者:Strangesnow/sandbox/地元にあって合一である立場に立つ教会 (草案) 」を再度更新しました。団体名が無いことについて信仰節に追記、会合->集会へ変更。団体名が無いことの理由中に出てくる「教会」が教会堂を指さないことと脚注に追加。軽微なスタイルや内部リンクの修正等を行いました。--Strangesnow会話2019年5月18日 (土) 15:38 (UTC)[返信]
報告利用者:Strangesnow/sandbox/地元にあって合一である立場に立つ教会 (草案) 」が更新されました。歴史節に追加されています(台湾での発展や、中国名、特徴など)。そろそろ草案の修正を完了したいと考えています。--Strangesnow会話2019年5月21日 (火) 01:50 (UTC)[返信]
草案のノートでHappy jubileeさんより「質問ですが、論争の歴史の部分は何も出典が付かないままですが、出典なしのまま草案は終了と言うことでしょうか?」(差分)とのご質問があったので、こちらで返答します。
論争の歴史については当初から「完成していない「批判の歴史節」をのぞいて」としていた通りです。批判的な記述については、議論が終了していないのでターゲットにしておりません。草案の本記事反映後に各人が出典を元に記載するものだと考えています。--Strangesnow会話2019年5月21日 (火) 03:52 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow様宛) つまり、「論争の歴史」の部分は議論が終了していないと言うことで、草案の「論争の歴史」の部分は抜いた形でひとまず本記事に反映と言うことでしょうか?それとも、現状の草案のまま、出典なしの状態(未完成のまま)本記事に反映と言うことになるのでしょうか?--Happy jubilee会話2019年5月21日 (火) 04:53 (UTC)[返信]
返信 草案には単純な事実が一行あるだけなので、そのまま「節スタブ」とするつもりです。--Strangesnow会話2019年5月21日 (火) 05:27 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow様宛) 批判と否定論が入っていますが、歴史なので、時系列的な並びになりますから、年代を挿入して年代ごとに両論を併記するスタイルの方が良くはないでしょうか?--Happy jubilee会話2019年5月21日 (火) 06:23 (UTC)[返信]
返信 そもそもの私の提案は「論争」節であったとおり、そのように思いません。年代別に書くほど内容が充実しないだろうと予測しています。小節の「批判」と「否定論」は仮に入れてあるだけなので、スタブに不要であれば除去しても良いでしょう。節中に記載する内容については本記事への反映後に出典を用いて編集し、必要に応じてノートで対話してください。内容が無いうちに年代別にといわれても答えることができません。--Strangesnow会話2019年5月21日 (火) 06:52 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnowさん宛) 草稿の反映、宜しくお願い致します。ささやかですが加筆出来て嬉しく思います。--Solidrock0327会話2019年5月21日 (火) 15:13 (UTC)[返信]
返信 (Strangesnow様宛) おっしゃるとおり「論争の歴史」を「論争」節にすることに賛成いたします。その上で「歴史」節と切り離して、節の順番を入れ替えてはどうでしょうか?それとは別に、実は私は健康上の理由でしばらくWikipediaを離れようかと思っております。昨日同僚に激やせしたと言われるまで私はあまり自分自身のことを顧みておらず、このままの状態でここに参加するのは無理であると判断いたしました。妻も心配しております。これからは通知やウオッチリストのみを確認しつつ、Strangesnow様が何か必要な資料を探す必要がある時に呼びかけて頂ければ資料集めの補助に入ったり、また、記事の用語で「教会」で申しました様な曖昧さを回避する必要がある言葉があれば少し提言させて頂く程度にさせて頂けましたら幸いです。あと、「呼喊派」についての記述ですが、昨日、複数の友人から、何か台湾で報道があって、地方召会は呼喊派とは別の団体であるという宣言を、地方召会がキリスト教諸教派代表のサイン入りで行ったと聞きました。私は中国語がさっぱりで、どう調べて良いか分かりませんが、もし、地方召会の別称に「呼喊派」という言葉を入れようかと言う検討をされる際は、慎重にされる方が良いかもしれません。重ね重ね、Strangesnow様の仲裁の労に感謝いたします。必要の際はお声がけ下さい。なるべく早く対応するようにいたします。
返信 節名はなにかしらの内容が記載されてから改善点があれば検討したら良いかもしれませんね。教会の特徴的に、そのへんの見解は各教会で統一されていないのだろうなあと思っています。中国で広まった運動、台湾で広まった運動、アメリカから中国へと逆輸入された運動、それぞれ異なる部分があるのかな?と想像していますが、現在の私は「WP:RSの資料も無いしぼくには特に書けることが無いな……」といったところです。お体大切になさってください。また、ウィキペディアは逃げませんので、気が向いたときに無理の無い範囲でご参加ください。--Strangesnow会話2019年5月22日 (水) 04:36 (UTC)[返信]
返信 (Solidrock0327殿宛) 私は健康上の理由で一旦Wikipediaから離れようと思っています。貴方とはいろいろとありましたが私はここで一旦あなたと和解することを望みます。あなたが今回の草案に加筆された部分は良い加筆だと思います(多少そんな言い回しなのかが気になる所ですが)。貴方が調べられた通り、地方召会の二次資料は驚くほど少ないと思います。おそらく、フラー神学校の声明文およびWe Were Wrong発刊後、英語を含め主要言語において地方召会に対する批判を論文や報道記事で見つけるのはとても難しいのではないかと思います。ほとんどの批判は1980年代あたりのもので、「[The Mindbenders]」や「[The God-Men]」から派生したものばかりだと思います。地方召会はいずれの書物についてもアメリカの裁判で勝訴して、裁判所が内容のデタラメさを判決文で言及しています。少し想像して頂きたいのですが、日本語の二次資料が驚くほど少ないのは、地方召会が日本で研究者の再評価をまだ受けていない段階で、東京基督教大学も判断材料となる二次資料、特に日本語の資料が調達できておらず、判断保留のまま現状維持にされている可能性があると言うことではないでしょうか?アメリカの神学者、とりわけ組織神学に関するPh.D研究者は日本とは比べものにならないくらい多いと思います。それはクリスチャン人口から見て当然の開きだと思いますが、研究者の数に開きがあれば、地方召会なんていう小さなグループの再評価が遅れるのも当然のことであると思います。フラー神学校はとても有名な神学校で、東京基督教大学の元学長の方もフラ-出身の方がおられたと思います。日本とは比べものにならないほどの研究者がいるアメリカの神学校が安易に声明文を出すとは思えません。そのあたりを勘案いただければと思います。貴方が新宗教を嫌っている理由は存じませんが、地方召会は貴方が知っている新宗教とは少し毛色が違うと思います。アメリカの研究者で地方召会に詳しいJG Melton氏の著書「Encyclopedic handbook of cults in America」はアメリカのカルトに関する本ですが、そこの10ページには「From this perspective, it is also felt that at least one group should not have been included in this volume. The Local Church is included because・・・」という言葉が添えられています。著者は序文においてこの様に言及した上で、冷静な評価をその紙面上で行っています。さわりの部分しかgoogle scholarで読めませんが、一度読んでみて下さい。貴方の知っている新宗教の内で地方召会は格段に評価が難しい団体だと思います。一次資料は優に400冊を超え、一文読むのにどれだけ聖書の引用箇所を入れるのか?と思えるくらいに、引用聖句を挿入します[東京に在る教会]。その様な団体の再評価が簡単に済むわけがありません。貴方がネットで見つけた「人が神となる」と言うのは神成_(正教会)の教えをも参考に、アレクサンドリアのアタナシオスによる「神が人となったのは、人が神になるためであった」という言葉を地方召会は用いていますし、「様態論」に関してはディスペンセーション主義の神学の説明から地方召会が「様態論」でない事が一次資料から分かります。二次資料はWe Were Wrongが一番分かりやすいです。地方召会はそれが聖書の内容にかなっていると言うことであれば、正教会やブレザレンなどの諸宗派の神学を取り入れています。その様な団体の再評価が難しくないわけがないのです。どうか、地方召会の評価をもう少し長い目で見ることはできませんでしょうか?おそらく、日本においても少しずつ再評価が行われ、あなたが思う「新宗教」の枠組みには地方召会は入らなくなると思います。
Wikipediaではふさわしくない会話ですが、最後に二点だけ貴方に質問と提案があります。質問は貴方はクリスチャンでしょうか?と言う質問です。私は信仰歴31年のクリスチャンです。あなたがもし、クリスチャンであるならば、同じ信仰を持つ者同士のお願いですが、あまり言葉を読み替えたり、発行を書き換えたり等の行為をしないようお願いします。それは、自分の恥だけでなく、主イエスの御名に恥をかかせる行為だと思います。もしクリスチャンでなくとも、そういった行為は社会的信用をなくします。批判するなら正々堂々、小細工なしで、できれば『クリスチャンライフテキストブック』のような主観が入った本でなく、ちゃんとした神学上の議論がされている資料で行うことをおすすめします。『クリスチャンライフテキストブック』は内容からおそらく、知人や同じ教派の人が地方召会に移籍する際に一悶着あったのではないかと思います。
そして提案ですが、この草案が本文に投入された後に、このノートにおいての貴方と私のやり取り、および貴方が納得されるなら、現在貴方が出されているコメント依頼も無くしてはどうでしょうか?その方が、今後、このノートも見やすくなると思いますし、編集に集中できると思います。Orion Path様はどうされるか分かりません。でも、彼はあなたの良いお目付役ではないでしょうか?批判する中で我を失う時に、外から声をかけてくれる人はむしろ貴重だと思います。長くなりましたが、私は貴方に恨みをもって去るのではないことを知っておいてください。貴方に神の平安がありますように。--Happy jubilee会話2019年5月22日 (水) 02:56 (UTC)[返信]

草案の反映

提案 利用者:Strangesnow/sandbox/地元にあって合一である立場に立つ教会 (草案) の本記事への反映を提案します。議論の中心であったHappy jubileeさん、Solidrock0327さんにご協力いただき草案が出来上がりました。本提案から一週間程度反対意見が無いようでしたら、反映したいと考えています。ノートで議論されている内容が主になるであろう「論争の歴史」節については、草案の記述のまま節スタブとする予定です。本記事への反映後に改善をお願いします。--Strangesnow会話2019年5月22日 (水) 00:40 (UTC)[返信]

上記、「論争」に名前変更意外に異存ありません。--Happy jubilee会話2019年5月22日 (水) 02:56 (UTC)[返信]