コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「フェルナンド・ムスレラ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
特別:投稿記録/2405:3800::/37の編集を取り消し。サッカー関連記事で「分かりにくい荒らし」を繰り返すマレーシアのIP
タグ: 取り消し
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
11行目: 11行目:
|原語名=
|原語名=
|原語表記=
|原語表記=
|国={{URU}}<br />{{ITA}}
|国={{URU}}<br />{{MAS}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1986|6|16}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1986|6|16}}
|出身地=[[モンテビデオ]]
|出身地=[[モンテビデオ]]

2019年4月29日 (月) 09:53時点における版

フェルナンド・ムスレラ
ウルグアイ代表でのムスレラ (2018年)
名前
本名 ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル
Néstor Fernando Muslera Micol
ラテン文字 Fernando MUSLERA
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
マレーシアの旗 マレーシア
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(38歳)
出身地 モンテビデオ
身長 190cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ガラタサライ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
2001-2004 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 44 (0)
2006-2007 ウルグアイの旗 ナシオナル (loan) 5 (0)
2007-2011 イタリアの旗 ラツィオ 97 (0)
2011- トルコの旗 ガラタサライ 233 (1)
代表歴2
2009- ウルグアイの旗 ウルグアイ 88 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017-18シーズン終了現在。
2. 2017年3月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、1986年6月16日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身のプロサッカー選手スュペル・リグガラタサライ所属。ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー

なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]

経歴

クラブ

ウルグアイ時代

モンテビデオ・ワンダラーズFCの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナル・モンテビデオ期限付き移籍した。

ラツィオ

2007年8月28日SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日カリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日ACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われる[2]

翌2008-09シーズンは、背番号を1から自身の生年である86に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断する[3]

ガラタサライ

2011年7月19日トルコガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。

2012年11月24日エラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急きょキーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]

代表

2009年10月10日エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。

2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[6]

コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[7]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。

タイトル

クラブ

ナシオナル・モンテビデオ[8]
  • プレーオフ:1回 (2007)
SSラツィオ[8]
ガラタサライSK[8]

代表

ウルグアイ代表[8]

脚注

  1. ^ Fernando Muslera: il colpaccio di LotitoTUTTOmercatoWEB.com 2007年9月2日
  2. ^ 44歳ラツィオGKバロッタ現役続行へ nikkansports.com 2008年4月12日
  3. ^ ムスレラ、ラツィオとは契約延長せず Goal.com 2011年6月3日
  4. ^ ガラタサライ、ムスレラ獲得を正式発表 Goal.com 2011年7月20日
  5. ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ Goal.com 2012年11月25日
  6. ^ あの手この手でウルグアイ4強/準々決勝 nikkansports.com 2010年7月4日
  7. ^ ウルグアイ代表GKムスレラ、ガラタサライへ”. UEFA.com (2011年7月20日). 2016年10月4日閲覧。
  8. ^ a b c d F. Muslera”. Soccerway. 30 December 2015閲覧。

外部リンク