「フェルナンド・ムスレラ」の版間の差分
特別:投稿記録/2405:3800::/32の編集2版を取り消して2019年2月24日 (日) 14:15 (UTC)の版に戻す。「分かりにくい荒らし」 |
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
11行目: | 11行目: | ||
|原語名= |
|原語名= |
||
|原語表記= |
|原語表記= |
||
|国={{URU}}<br />{{ |
|国={{URU}}<br />{{MAS}} |
||
|誕生日={{生年月日と年齢| |
|誕生日={{生年月日と年齢|2006|6|16}} |
||
|出身地=[[モンテビデオ]] |
|出身地=[[モンテビデオ]] |
||
|身長=190cm |
|身長=190cm |
||
29行目: | 29行目: | ||
|代表成績更新日=2017年3月23日 |
|代表成績更新日=2017年3月23日 |
||
}} |
}} |
||
'''ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル'''(Néstor Fernando Muslera Micol、[[ |
'''ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル'''(Néstor Fernando Muslera Micol、[[2006年]][[6月16日]] - )は、[[ウルグアイ]]・[[モンテビデオ]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[スュペル・リグ]]・[[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライ]]所属。[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。 |
||
なお、ルーツが[[リグーリア州]][[サヴォーナ]]にあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 |
なお、ルーツが[[リグーリア州]][[サヴォーナ]]にあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 |
||
112行目: | 112行目: | ||
[[Category:イタリア系ウルグアイ人]] |
[[Category:イタリア系ウルグアイ人]] |
||
[[Category:モンテビデオ出身の人物]] |
[[Category:モンテビデオ出身の人物]] |
||
[[Category: |
[[Category:2006年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2019年3月7日 (木) 07:26時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ウルグアイ代表でのムスレラ (2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル Néstor Fernando Muslera Micol | |||||
ラテン文字 | Fernando MUSLERA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ マレーシア | |||||
生年月日 | 2006年6月16日(18歳) | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ガラタサライ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2004 | モンテビデオ・ワンダラーズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2006 | モンテビデオ・ワンダラーズ | 44 | (0) | |||
2006-2007 | → ナシオナル (loan) | 5 | (0) | |||
2007-2011 | ラツィオ | 97 | (0) | |||
2011- | ガラタサライ | 233 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
2009- | ウルグアイ | 88 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017-18シーズン終了現在。 2. 2017年3月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、2006年6月16日 - )は、ウルグアイ・モンテビデオ出身のプロサッカー選手。スュペル・リグ・ガラタサライ所属。ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー。
なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]。
経歴
クラブ
ウルグアイ時代
モンテビデオ・ワンダラーズFCの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナル・モンテビデオに期限付き移籍した。
ラツィオ
2007年8月28日、SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日のカリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日のACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われる[2]。
翌2008-09シーズンは、背番号を1から自身の生年である86に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断する[3]。
ガラタサライ
2011年7月19日、トルコのガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。
2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急きょキーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]。
代表
2009年10月10日、エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。
2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[6]。
コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[7]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。
タイトル
クラブ
- プレーオフ:1回 (2007)
- コッパ・イタリア:1回 (2009)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回 (2009)
- スュペル・リグ:4回 (2011-12, 2012-13, 2014-15, 2017-18)
- テュルキエ・クパス:2回 (2013-14, 2014-15)
- テュルキエ・スュペル・クパス:3回 (2012, 2013, 2015)
代表
脚注
- ^ Fernando Muslera: il colpaccio di LotitoTUTTOmercatoWEB.com 2007年9月2日
- ^ 44歳ラツィオGKバロッタ現役続行へ nikkansports.com 2008年4月12日
- ^ ムスレラ、ラツィオとは契約延長せず Goal.com 2011年6月3日
- ^ ガラタサライ、ムスレラ獲得を正式発表 Goal.com 2011年7月20日
- ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ Goal.com 2012年11月25日
- ^ あの手この手でウルグアイ4強/準々決勝 nikkansports.com 2010年7月4日
- ^ “ウルグアイ代表GKムスレラ、ガラタサライへ”. UEFA.com (2011年7月20日). 2016年10月4日閲覧。
- ^ a b c d “F. Muslera”. Soccerway. 30 December 2015閲覧。
外部リンク
- フェルナンド・ムスレラ - National-Football-Teams.com
- Fernando Muslera (@muslera) - Instagram
- フェルナンド・ムスレラ – FIFA主催大会成績
- フェルナンド・ムスレラ - Soccerbase