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「キングコング (お笑いコンビ)」の版間の差分

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2001年に『[[はねるのトびら]]』が放送を開始し東京に進出。10年以上続くロングラン番組となりキングコングを全国的な知名度に押し上げることとなった。
2001年に『[[はねるのトびら]]』が放送を開始し東京に進出。10年以上続くロングラン番組となりキングコングを全国的な知名度に押し上げることとなった。


M-1グランプリには初出場した2001年大会以降も参加していたが、以降はテレビで活動の幅を広げたのに反して縁のない存在だった(2002~04年までは準決勝敗退、2005~06年は参加見送り)。しかし2007年大会で3年ぶりに参加すると決勝進出を果たし、決勝ファーストラウンドを2位で通過したものの最終決戦では3位に終わった。2008年大会では梶原が「優勝を逃せば離婚」を宣言し並々ならぬ思いで再び決勝に進んだものの<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/55941/full/ キンコン・梶原が“M-1”優勝を宣言「優勝できなかったら離婚します!」
M-1グランプリには初出場した2001年大会以降も参加していたが、以降はテレビで活動の幅を広げたのに反して縁のない存在だった(2002~04年までは準決勝敗退、2005~06年は参加見送り)。しかし2007年大会で3年ぶりに参加すると決勝進出を果たし、決勝ファーストラウンドを2位で通過したものの最終決戦では3位に終わった。2008年大会では梶原が「優勝を逃せば離婚」を宣言し並々ならぬ思いで再び決勝に進んだものの<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/55941/full/ キンコン・梶原が“M-1”優勝を宣言「優勝できなかったら離婚します!」] - ORICON NEWS 2008年7月1日</ref>、9組中8位に終わりファーストラウンドで敗退した。なお2008年大会で優勝したのは同期の[[NON STYLE]]だったが、その翌日に収録された『[[キンコンヒルズ]]』では偶然にもNON STYLEがゲストで、2人とも祝福しつつも終始敗退の自虐コメントやNON STYLEに対する僻みや悔しさをぶつけていた。2008年大会で敗退した理由を2人は自身のラジオで「今年は[[爆笑レッドカーペット|レッドカーペット]]の客が来ていたから仕方ない」と観客と自らの漫才に温度差があった、と総括している。ラストチャンスであった2009年大会は準決勝で敗退した。また、M-1グランプリで優勝を逃したことについて、『はねるのトびら』をはじめ様々な出演番組でいじられていた。
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2008年より、日本全国ライブツアー「KING KONG LIVE」をスタート。2010年からは、夏季にかけて年に1度開催している。
2008年より、日本全国ライブツアー「KING KONG LIVE」をスタート。2010年からは、夏季にかけて年に1度開催している。

2019年2月11日 (月) 01:31時点における版

キングコング
KING KONG
メンバー 西野亮廣
梶原雄太
別名 キンコン
結成年 1999年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1999年 -
出身 吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校22期
出会い NSC
現在の活動状況 テレビ、ライブなど
芸種 漫才
ネタ作成者 西野亮廣
過去の代表番組 はねるのトびら
キンコンヒルズ
大キングコング 情熱!しゃべり隊!!
キングコングのガッチャガッチャ
キングコングのほにゃらじお
音楽戦士 MUSIC FIGHTER
キングコングのあるコトないコト
熱血!人情派コメディ しゃかりき駐在さんなど
同期 ナイツ
NON STYLE
ピース
タイムマシーン3号
流れ星
オードリー
平成ノブシコブシ
U字工事
山里亮太南海キャンディーズ
村本大輔(ウーマンラッシュアワー
ダイアン
ミサイルマン
スーパーマラドーナ
なかやまきんに君
大西ライオン
中山功太
ネゴシックス
受賞歴
2000年 NHK上方漫才コンテスト最優秀賞
2001年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
2001年 上方漫才大賞新人賞
2001年 上方お笑い大賞最優秀新人賞
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キングコングは、日本漫才師お笑いコンビである。吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。1999年9月に結成された。略称は「キンコン」。

メンバー

来歴

NSC在学中の1999年、梶原が別の研修生とコンビを解散したばかりの西野をバイクで神戸六甲山に誘い、大阪平野を眺めながら、西野が「これだけの人を笑わせなあかんねんな」と話すと、梶原が「俺たちやったらできるんちゃう?」と返しコンビを結成[1]。同期の芸人はNON STYLE山里亮太南海キャンディーズ)、平成ノブシコブシダイアンスーパーマラドーナピースとろサーモンなどがいる。

NSC在学中の翌年2000年にはNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。結成5カ月かつ19歳での受賞であった。NSC在学中に関西の賞を受賞したのは過去にキングコングのみである。また、M-1グランプリ2001には芸歴2年3か月で決勝進出を果たし7位の結果を残した。この記録はプロとして大会史上最短記録であり、2019年現在に至るまで一度も破られていない[2]。以後も関西の賞を獲得するが、同時にダンスユニットのWEST SIDEに参加するなど様々な分野での活動も見られるようになる。

2001年に『はねるのトびら』が放送を開始し東京に進出。10年以上続くロングラン番組となりキングコングを全国的な知名度に押し上げることとなった。

M-1グランプリには初出場した2001年大会以降も参加していたが、以降はテレビで活動の幅を広げたのに反して縁のない存在だった(2002~04年までは準決勝敗退、2005~06年は参加見送り)。しかし2007年大会で3年ぶりに参加すると決勝進出を果たし、決勝ファーストラウンドを2位で通過したものの最終決戦では3位に終わった。2008年大会では梶原が「優勝を逃せば離婚」を宣言し並々ならぬ思いで再び決勝に進んだものの[3]、9組中8位に終わりファーストラウンドで敗退した。なお2008年大会で優勝したのは同期のNON STYLEだったが、その翌日に収録された『キンコンヒルズ』では偶然にもNON STYLEがゲストで、2人とも祝福しつつも終始敗退の自虐コメントやNON STYLEに対する僻みや悔しさをぶつけていた。2008年大会で敗退した理由を2人は自身のラジオで「今年はレッドカーペットの客が来ていたから仕方ない」と観客と自らの漫才に温度差があった、と総括している。ラストチャンスであった2009年大会は準決勝で敗退した。また、M-1グランプリで優勝を逃したことについて、『はねるのトびら』をはじめ様々な出演番組でいじられていた。

2008年より、日本全国ライブツアー「KING KONG LIVE」をスタート。2010年からは、夏季にかけて年に1度開催している。

『はねるのトびら』終了以降、西野は絵本作家や講演、梶原はYouTuberと別々の活動が増えているが、劇場などで漫才を続けており、他にも『毎週キングコング』内で動画をアップするなどしている。

特徴

M-1グランプリ2007年大会ではそのテンポの速い漫才を、中田カウスより「ジェットコースターのような漫才」、また同じくヒップホップを聴いているかのようにテンポが速いので「漫才ラッパー」と評された。

必ず漫才の始まりには「こんにちは、キングコングです!イェイ!イェイ!」と西野は右足、梶原は左足を上げてダブルピースというポーズをデビュー当時から続けている。その後梶原が「しゃかりき頑張ります!」と言うまでが一連の流れであったが、2017年頃には行わなくなっている[4]。しかし、コンビ結成当時にこの流れはなく、M-1グランプリ2001年大会では梶原の髪型をつかみにしていた。オチの後には「おおきに!」と言って「まいど!」というときのジェスチャーに似たポーズをとる。

過去にはテレビ番組ではカメラが回っていても喧嘩を始めるときがあった。大喧嘩をしたのはデビュー1年目と梶原が2003年に復帰してから初めてネタづくりをしたとき。「昔は『ボケ』『コラ』と叫んだりしたが、最近は二人とも言葉を選ぶようになった」と西野が自身のブログで語っている。

受賞歴

出囃子

劇場出番の際はBay City Rollersの「Saturday Night」。 かつてはコンビ名にちなんで「キングコングのテーマ」を使用していた。

独演会や単独ライブ等では忘れらんねえよの「CからはじまるABC」。

略歴

1999年
  • NSC22期の同期生として出会い、別々のコンビを解消して9月に結成。
2000年
2001年
  • 1月24日 - WEST SIDEとして、デビューシングル「WEST LOVE SHINE」リリース。
  • 4月 - ABCお笑い新人グランプリ副賞として『百万馬力・キングコングと12人の怒れる師匠たち』スタート。初の冠番組となった。
  • 4月 - 『はねるのトびら』が月曜深夜にスタート。
  • 4月 - 『キングコングのほにゃらじお』(朝日放送)放送開始。
  • 4月 - 第36回OBC上方漫才大賞新人賞を受賞。
  • 11月7日 - WEST SIDEとして、「Right Here, Right Now」リリース。
  • 11月21日 - 「中川家・ルート33・キングコング in ZAIMAN 」発売。
  • 11月23日 - WEST SIDEとして、ルミネtheよしもとでライブ。
  • 12月12日 - WEST SIDEとして、アルバム『WS』リリース。
  • 12月 - 第30回YTV上方お笑い大賞最優秀新人賞を受賞。
  • 12月25日 - M-1グランプリ2001決勝進出(7位)。
2002年
  • 2月 - WEST SIDEとして、写真集発売。
  • 2月20日 - WEST SIDEとして、DVD・ビデオ「story」発売。
  • 2月23日 - WEST SIDEとして、Zepp Osakaでライブ。
  • 5月9日 - WEST SIDEとして、ライブDVD・ビデオ「Live at Zepp Osaka E・Y・E 」発売。
2003年
  • 2月 - 梶原がストレス等で体調を崩し、約3か月間休養。
  • 5月 - 梶原『キングコングのほにゃらじお』にて復帰。休養中に梶原は結婚するが、約1年後の2004年4月に離婚。
  • 8月 - baseよしもとを卒業、うめだ花月へ。
  • 8月11日 - 復活ライブ「KING KONG LIVE」をルミネtheよしもとで開催。
  • 8月31日 - 「第1回MBS新世代漫才アワード」決勝出場。
  • 9月 - 『森田一義アワー 笑っていいとも!』の火曜日に隔週レギュラーとして出演開始。
  • 11月8日 - ガキンチョ★ROCKのCD「夢へまっすぐに」を発売(ガキンチョ★ROCKサントラも発売)。
  • 11月23日 - 大人限定イベント「キングコングのオールナイトロケット」開催。
2004年
  • 1月6日 - 『はねるのトびら』が火曜23時に枠移動、全国ネットに。
  • 1月18日 - R-1ぐらんぷりに西野、梶原共に2回戦進出。
  • 3月頃 - 東京に移住。
  • 7月 - ガキンチョ★ROCKのDVD発売。
  • 10月3日 - ラジオ番組『YOUNG PARK』(MBSラジオ)にてバンド「難波兄弟」を結成、インディーズでCDデビュー。
2005年
2006年
  • 2月22日 - 西野亮廣とおかめシスターズ「逢いたくて五反田」発売。
  • 3月19日 - 梶原が「蜂窩織炎」で入院。
  • 3月26日 - この日の放送で、『横丁へよ〜こちょ!』レギュラー卒業。
  • 4月8日 - 梶原、仕事復帰。
  • 4月27日 - フジテレビ社屋内にて、映画『キング・コング』DVD発売記念除幕式の司会を行う。
  • 5月10日 - 約1年ぶりにうめだ花月で漫才を演じる[5]
  • 10月 - 新番組『キンコンヒルズ』開始。『笑っていいとも!』隔週から毎週レギュラーに昇格。木曜日に出演。
2007年
  • 6月23日 - 梶原が再婚(すでに婚姻届を提出していた)。挙式、披露宴を行う。尚、司会は西野が務めた。
  • 10月4日 - 西野、『笑っていいとも!』にて初の単独司会のコーナー、「ただいま、考え中 私の脳内こんなカンジ!」がスタート。
  • 12月10日 - M-1グランプリ2007決勝進出が決定する。大会史上最長ブランクである6年ぶりの決勝進出[6]
  • 12月23日 - M-1グランプリ2007決勝進出(3位)。ファーストラウンドのネタは2位だったが、最終決戦の得票数の差で3位となった。
2008年
  • 3月17日 - キングコング初のオフィシャルサイトが立ち上がる。
  • 3月27日 - 『笑っていいとも!』レギュラーを卒業。
  • 4月 - 漫才ライブ「KING KONG LIVE」を開始。二週間に一度日本各地で公演中。
  • 7月15日 - 8月26日の毎火曜日 - 新宿7キャンプシアターの一環で舞台「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」を公演。
  • 9月末 - ラジオ番組『ガッチャx3』終了。
  • 12月21日 - M-1グランプリ2008決勝進出(8位)。
2009年
  • 1月26日 - にしのあきひろとして、絵本「Dr.インクの星空キネマ」を発売。
  • 10月3日 - デビューからのレギュラーラジオ番組であった『キングコングのほにゃらじお』が放送開始8年半で終了。
  • 10月26日 - 『キングコングのあるコトないコト』開始。
2010年
  • 7月 - 「KING KONG LIVE」が、年に一度の開催となる。
2011年
  • 7月 - 「KING KONG LIVE」初のDVDが発売される。(内容は「KING KONG LIVE 2010」東京公演の様子)
2012年
2013年
  • 8月7日 - 『毎日キングコング』の配信を開始する。
2014年
  • 3月27日 - 『キングコングのあるコトないコト』が終了。
2016年
  • 6月28日 - 西野が芸人引退を発表し、以降は絵本作家を肩書きとすることを宣言した。「肩書だけの問題」として芸能活動は継続する。
2018年
  • 10月1日、梶原が「カジサック」名義でYouTuberとして活動を開始。

出演

メンバー個々の活動は各項目を参照。

現在の出演作品

テレビ番組

2019年2月現在、コンビで出演する番組はない。

インターネット番組

インターネット動画サイト「YouTube」において「毎週キングコング」というチャンネルを開設し、毎週日曜22:00より20分前後のトーク動画を公開している。

過去の出演番組

テレビ番組

ラジオ番組

CM

ドラマ

舞台

映画

関連作品

DVD・ビデオ

  • baseよしもと2000大図鑑
  • 中川家・ルート33・キングコング in ZAIMAN
  • baseよしもと2001大図鑑
  • (WEST SIDEとして) LIVE at Zepp Osaka E・Y・E
  • (WEST SIDEとして) story
  • はねるのトびら
  • baseよしもと2002大図鑑
  • はねるのトびらII
  • メッセンジャー・シャンプーハット・ブラックマヨネーズ・フットボールアワー・ビッキーズ・ロザン in ZAIMAN(コーナー出演)
  • baseよしもと2003大図鑑
  • キンコン☆ロザン 〜青春パンクな1ヶ月〜(映画「ガキンチョ☆ROCK」メイキング)
  • ガキンチョ☆ROCK
  • はねるのトびらIII
  • 喜劇王しんべえす
  • 喜劇王しんべえすII
  • うめだ花月2周年記念DVD A級保存版
  • はねるのトびらIV
  • はねるのトびら DVD-BOX
  • M-1グランプリ2001完全版
  • 子ぎつねヘレンとゆかいな仲間 たち 「カメラマン梶原雄太50キロ」
  • ジャッカス・ザ・ムービー 日本特別コメンタリー版
  • 永久保存版 吉本ギャグ100連発4
  • 永久保存版 吉本ギャグ100連発5
  • 「YOSHIMOTO PRESENTS LIVE STAND 07」0429
  • 「M-1グランプリ the BEST 2001-2003」
  • 「M-1グランプリ2007完全版 敗者復活から頂上(てっぺん)へ-波乱の完全記録-」
  • 「LIVE STAND 08」〈0427〉
  • 「LIVE STAND 08」〈0429〉
  • M-1グランプリ2008完全版-ストリートから涙の全国制覇!!-
  • YOSHIMOTO PRESENTS LIVE STAND 09 〜男前祭り〜
  • キングコングのあるコトないことDVD 〜芸人オールスター戦・1回表〜
  • KING KONG LIVE 2010
  • KING KONG LIVE 2011

音楽CD

  • WEST SIDEとして
  • ガキンチョ☆ROCKとして
    • 夢へまっすぐに
  • 難波兄弟として
  • キングコング梶原として
    • おかん
    • New Horizon〜戦え!星の戦士たち〜
  • Variety Various×キングコング梶原
    • Friends
  • 塚地武雅・堤下敦・梶原雄太として
    • 言いたいことも言えずに
  • 西野亮廣とおかめシスターズとして
    • 逢いたくて五反田

脚注

  1. ^ キングコング・西野の個人活動を大絶賛する相方・梶原。深い“コンビ愛”に感動! - エキサイトニュース 2016年11月8日
  2. ^ 2006年に決勝進出を果たした変ホ長調はアマチュアであり、当然芸歴は「0年」となるため、これを含めると彼女らが最短記録である。
  3. ^ キンコン・梶原が“M-1”優勝を宣言「優勝できなかったら離婚します!」 - ORICON NEWS 2008年7月1日
  4. ^ 梶原がしゃかりき頑張るのをやめた理由 - YouTube
  5. ^ その時の感想は、二人とも「緊張した」。しかし、「やっぱ大阪あったかいな!」とも言っている。
  6. ^ それまでの記録はチュートリアルの第1回 - 第5回の4年。

関連項目

外部リンク