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「牛久シャトー」の版間の差分

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{{商業施設
{{出典の明記|date=2010年12月}}[[File:Chateau Kamiya 2010.jpg|thumb|250px|right|シャトーカミヤ本館(事務室)]]
|名称 = 牛久シャトー
'''シャトーカミヤ'''は、[[茨城県]][[牛久市]]にある[[ワイン]]醸造施設である。通称「牛久シャトー」であるが[[平成29年]][[9月1日]]より正式名称を「牛久シャトー」に変更する<ref>[https://twitter.com/chateaukamiya/status/893029463570563072 シャトーカミヤ (公式)のツイート]</ref>。「シャトー」は一貫生産醸造所に対する称号で、原料を生産するブドウ畑は大部分がなくなったが、極僅かに継続している。事務室(現・本館)など3棟の建物が日本国の[[重要文化財]]に指定されている。
|外国語表記 = Ushiku Chateau
|画像 = Ushiku Chateau main building 2021-12 ac (1).jpg
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 本館(旧事務室)
|地図 = {{Maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=12|frame-align=center|frame-width=300|coord={{coord|35|58|42.5|N|140|8|49.6|E}} }}
|所在地郵便番号 = 300-1234
|所在地 = [[茨城県]][[牛久市]]中央3-20-1
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 58 | 緯度秒 = 42.5 | N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 140 |経度分 = 8 | 経度秒 = 49.6 | E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = JP
|開業日 =
|閉業日 =
|店番号 =
|正式名称 =
|建物名称 =
|土地所有者 =
|施設所有者 = [[オエノンホールディングス]]株式会社
|施設管理者 =
|設計者 = 岡田時太郎
|施工者 =
|敷地面積 = |敷地面積脚注 = |敷地面積備考 =
|建築面積 = |建築面積脚注 = |建築面積備考 =
|延床面積 = |延床面積脚注 = |延床面積備考 =
|商業施設面積 = |商業施設面積脚注 = |商業施設面積備考 =
|店舗数 =
|中核店舗 =
|営業時間 =
|駐車台数 = 280+大型バス40 |駐車台数脚注=<ref name="アクセス">{{Cite web|和書|title=アクセス・ご利用案内|url=http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/information/|website=牛久シャトー公式サイト|publisher=オエノンホールディングス|accessdate=2018-07-11}}</ref>
|駐輪台数 = |駐輪台数脚注 = |駐輪台数備考 =
|後身 =
|商圏人口 =
|最寄駅 = [[牛久駅]]
|最寄IC = [[つくば牛久IC]]
|外部リンク = http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/
}}
'''牛久シャトー'''(うしくシャトー)は、[[茨城県]][[牛久市]]にある[[ワイナリー|ワイン醸造場]]<ref name="茨城1804">{{Cite news|title=ワイン醸造の牛久シャトー 日本遺産認定目指す|url=http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15243962906777|author1=綿引正雄|author2=秋葉凌|newspaper=[[茨城新聞]]クロスアイ|date=2018-04-23|accessdate=2018-07-09}}</ref>。所有者は[[オエノンホールディングス]]株式会社。2017年(平成29年)までの名称は'''シャトーカミヤ'''<ref>{{Cite web|和書|title=お知らせ|website=Twitter|url=https://twitter.com/chateaukamiya/status/893029463570563072|author=牛久シャトー(公式)|date=2017-08-03|accessdate=2018-07-09}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|2008年の中野らの論文では旧称が「牛久醸造場」「牛久シャトー」となっており、「シャトーカミヤ」表記が使用されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1617}}。}}。


1903年(明治36年)に[[神谷傳兵衛]]が牛久醸造場の名で創業した<ref name="茨城1804"/>。[[フランス]]種の[[ブドウ]]と[[ボルドーワイン|ボルドーの高級ワイン]]製造法を取り入れた日本初の本格的な[[ワイン]]醸造場である{{Sfn|METI|2007|p=64}}。2008年(平成20年)6月、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の[[重要文化財]]に指定された<ref name="産経1605">{{Cite news|title=「シャトーカミヤ旧醸造場」復旧工事完了 震災5年「感無量の思い」 茨城|url=https://www.sankei.com/article/20160528-SBLNG5KZJBI3ZIQNLJF5Z5HWRM/|newspaper=[[産経新聞社|産経ニュース]]|date=2016-05-28|accessdate=2018-07-09}}</ref>。
== 沿革・概要 ==
創設者の[[神谷伝兵衛]](1856年 - 1922年)は、[[三河国]](現・愛知県)出身の実業家。十代の時、横浜でフランス人の経営する会社に就職し、洋酒醸造場で働いたことがきっかけで、酒造業をめざすようになった。明治13年(1880年)、東京・浅草に「みかはや銘酒店」([[神谷バー]]の前身)を開店。のち、日本国内産葡萄によるワイン醸造を国内事業化することを考え、養子の伝蔵を[[フランス]]・[[ボルドー]]に渡航させて、葡萄栽培やワイン醸造の技術を学ばせた。伝蔵は3年後に帰国。伝兵衛は茨城県[[稲敷郡]]岡田村(現・牛久市)に葡萄畑とシャトー用に広大な土地を購入。明治31年(1898年)には伝蔵がフランスから持ち帰った葡萄の苗木の栽培を始めた。


== 沿革 ==
伝兵衛はワインの本場、フランス・ボルドー地方のワイン製造方法を採り入れようと、フランスのボルドー・カルボンブラン村醸造場を手本に、120町歩の神谷ぶどう園の中心にレンガ造りの牛久醸造場を建設した。建物は明治34年(1901年)から建設に着手し、明治36年(1903)に完成した。ブドウ栽培、醸造、瓶詰め、出荷まで一貫生産する日本初の本格的ワイン醸造所となった<ref> [http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/pdf/isangun.pdf#page=65 「近代化産業遺産群33」経済産業省]</ref>。
=== 背景 ===
{{See also|日本のワイン#近代}}
[[明治政府]]は[[日本酒]]の消費量削減による[[米]]不足の緩和、輸出産業の創出のためにワイン製造を奨励していた{{Sfn|METI|2007|p=64}}。官営事業として[[1876年]]に現在の[[北海道]]で[[開拓使]][[葡萄酒]]醸造所が、[[1880年]]に現在の[[兵庫県]]で[[播磨国|播州]]葡萄園が開設されたものの、どちらも1880年代に民間に払い下げられた{{Sfn|METI|2007|p=64}}。一方、現在の[[山梨県]]では[[明治]]初期からワインの製造に取り組んでおり、[[1877年]]に県立葡萄酒醸造所が完成、大日本山梨葡萄酒会社が設立されるなど早くからワインの製造に成功していた{{Sfn|METI|2007|p=64}}{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1617}}。山梨県の官営事業は明治中期に終わりを迎えたものの、それ以降も近代的なワイン製造を目指す取り組みが民間で継続しており、日本を代表するワイン産地としての基礎が築かれることになった{{Sfn|METI|2007|p=64}}。その一方で、明治中期以降には山梨県以外でも民間でワイン製造の取り組みが進んでおり、その代表例が1903年に開設された「牛久醸造場」だった{{Sfn|METI|2007|p=64}}。


=== 創業までの経緯 ===
[[1996年]]、ビール製造の事前免許を取得したことを契機にシャトー内に地ビールレストランを建設、オープンし、ビールの醸造、提供を行うようになった<ref>{{cite book|和書|title=Discover Japan 2015年7月号 Vol.45|publisher=[[エイ出版]]|year=2015|page=170}}</ref>。
{{See also|神谷傳兵衛}}
牛久シャトーの創業者、神谷傳兵衛<ref group="注釈">公式サイト等では旧字の「傳」表記を使用しているが、ここでは「伝」表記で統一する。</ref>は1856年に[[三河国]](現在の[[愛知県]]東部)で生まれた<ref name="年表">{{Cite web|和書|title=神谷傳兵衛の足跡 年表で見る|url=http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/history/chateaukamiya/chronology.html|website=牛久シャトー公式サイト|publisher=オエノンホールディングス|accessdate=2018-07-09}}</ref>。1873年、彼は[[横浜市|横浜]]の[[外国人居留地]]でフランス人が経営するフレッレ商会で労働者として働き始め、ここでワインを知ることになった<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。1880年、独立した傳兵衛は[[東京]]・[[浅草]]で[[濁り酒]]の一杯売屋「みかはや銘酒店」を開業した<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。これは日本初の[[洋酒]][[バー (酒場)|バー]]「[[神谷バー]]」の前身であった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。当時の日本ではワインが一般には普及していなかったが、傳兵衛は1881年から輸入ワインに[[蜂蜜]]などを添加した甘味葡萄酒の販売を始め、1886年に「蜂印香竄葡萄酒」として[[商標登録]]したこの再生葡萄酒は人気商品となった<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。


[[File:Kamiya03.jpg|thumb|left|200px|1902年の醗酵室(左奥)と建築中の事務室(右手前){{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1619}}]]
シャトーカミヤの事務室(現・本館)、醗酵室(現・神谷傳兵衛記念館)、貯蔵庫(現・レストラン)の3棟は平成20年(2008年)6月、文部科学大臣から国の[[重要文化財]]に指定された。
明治20年代になると日本国内で輸入葡萄酒が流通し始め、傳兵衛は葡萄酒の醸造に向けて動き始めた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。1894年、傳兵衛は養子の伝蔵をフランスの[[ボルドー]]へ留学させた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。牛久シャトー公式サイトによれば、傳兵衛は兄の娘を自身の養女とし、伝蔵は養女と結婚して婿養子に入り、結婚の3日後にフランスへと出立したという<ref name="足跡">{{Cite web|和書|title=神谷傳兵衛の足跡|url=http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/history/chateaukamiya/|website=牛久シャトー公式サイト|publisher=オエノンホールディングス|accessdate=2018-07-09}}</ref>。伝蔵はデュボア商会が所有するカルボンブラン村醸造場でブドウの栽培法、機械の操作、醸造技術を学び、1897年1月に帰国して関連書籍、醸造用具、土壌サンプルなどを持ち帰った{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。


同年4月、傳兵衛は[[東京府]][[豊多摩郡]]東大久保村(現在の[[東京都]][[新宿区]])でボルドー産のブドウの苗木6000本の試作を始めた<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。同年10月、醸造場の建設地を探していた傳兵衛は茨城県[[稲敷郡]]の女化原{{Refnest|group="注釈"|牛久シャトー公式サイトでは「稲敷郡'''岡田村'''の女化原」<ref name="足跡"/>、中野茂夫らの論文では「稲敷郡'''牛久村'''の女化原」{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}と記載されている。}}の原野120[[町歩]]を購入した{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。女化原はブドウの栽培に適した土壌で広い土地をまとめて購入することができ<ref group="注釈">中野らの論文によれば、この土地は元々は[[津田出]]が所有していた18の大規模農場の1つ、700町歩を有する第7農場の一部だったという。</ref>、また前年1896年に開通した[[日本鉄道会社]]土浦線(現在の[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]])の[[牛久駅]]の近くに位置しており、交通の便にも優れていた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1618, 1624}}。傳兵衛は1898年3月までに購入した土地のうち23[[町 (単位)#面積の単位|町歩]]を開墾して試作していた苗木を移植し、「神谷葡萄園」を開設した<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。また設置した仮醸造場で[[白ワイン]]、[[赤ワイン]]の醸造に成功し、[[1901年]]3月からフランスの醸造場をモデルとして醸造場の建築を開始した{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1618, 1619}}。[[旧三笠ホテル|三笠ホテル]]の設計などで知られる[[岡田時太郎]]が事務室、醗酵室<ref group="注釈">論文中では「醸造場」と書かれているが、この記事では重要文化財としての名称に合わせて「醗酵室」もしくは「旧醗酵室」表記で統一する。</ref>、貯蔵庫、倉庫の工事設計を担当し、総工費3万強を費やして1903年9月に「牛久醸造場」が完成した{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1619}}{{Refnest|group="注釈"|中野らの論文によれば、岡田が牛久シャトーを設計した経緯や意図などに関する詳細な資料は見つかっていないという{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1617}}。}}。これにより、神谷葡萄園および牛久醸造場はブドウの栽培からワインの醸造、貯蔵、瓶詰出荷までの一貫した製造工程を有する日本初の本格的なワイン醸造施設となった<ref name="STORY2">{{Cite web|和書|title=WINE STORY2 日本初のシャトー建築と一貫した大規模生産体制|url=https://wine-history.com/story/story2.html|website=日本ワインの歴史ロマン薫る風景|publisher=ワイン文化日本遺産認定推進協議会|accessdate=2018-07-10}}</ref>。
現在は総合酒造メーカグループであるオエノングループ傘下の合同酒精の事業所(牛久ワイナリー)となっている。


=== 明治・大正時代 ===
== レンガ造り本館(事務室) ==
[[File:Kamiya05.jpg|thumb|200px|1913年の醗酵室と[[トロッコ]]]]
国の[[重要文化財]]のシャトー本館(事務室)は、岡田工務所(軽井沢の[[旧三笠ホテル]](重要文化財)を設計した[[岡田時太郎]]が代表者)が、フランスの醸造場をモデルにして設計したもので、明治36年(1903年)に完成した。フレンチ・ルネッサンスを基調とする2階建て洋風レンガ造りで、1階中央には半円アーチの開口部を設け、通路とする。かつては正面入口から裏側の醸造場を結ぶトロッコがこの通路を通っていた。屋根上の左右端にはマンサード屋根を上げ、中央やや右よりに時計塔がある。1階西側は事務所(現在の喫茶アベイユ)で、東側は和室になっている。2階には、西に大広間、東に貴賓室があり、当時の調度品や絵画等が残されている。大広間は、迎賓館としても使われ、[[板垣退助]]や[[榎本武揚]]などの政財界の著名人達が招かれ、パーティが開かれていた。
牛久醸造場のワインは国内外でいくつかの賞を獲得した。1903年に[[イギリス]]の[[水晶宮]]で開催された万国衛生食料品博覧会では、名誉金牌を受賞した<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1624}}。1904年に[[パリ]]で開催されたチュイルク博覧会では金賞牌を受賞した<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1624}}。また、1907年の[[東京勧業博覧会]]でも一等金賞牌を受賞した<ref name="年表"/>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1624}}。ワインの年間生産量は1902年の50[[石 (単位)|石]]から1904年には180石に増加した{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1620, 1621}}。しかし、当時の日本ではまだ本格的な葡萄酒の需要は医薬品としてのものがほとんどであり、生産量は明治・[[大正]]時代を通じて150石から180石程度で安定し、生産規模をさらに拡大することはなかった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。


神谷葡萄園は160町歩に拡大され、1920年時点で赤ワイン、白ワイン用の数種類のブドウの木が約13万本植えられていた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。葡萄園は牛久醸造場の南北に広がっており、両端の道路の間が約1.9キロメートルに及ぶ細長い形状の土地だった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。園内には牛久駅と醸造場、南北の葡萄園を結ぶ形で総延長4.8キロメートルの[[トロッコ]]が敷設されていた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1618}}。当時、葡萄園でブドウを積み込んだトロッコは事務室のアーチをくぐり、中庭を通過して醸造場へとブドウを運んでいた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1621, 1623}}。また、醸造場も増改築が続けられ、[[1921年]]頃までに一通りの施設が揃っていた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1619}}。
== 旧醗酵室(醸造場) ==
[[File:Chateau Kamiya 201001.jpg|thumb|250px|right|旧醗酵室(醸造場)]]
ワインの醗酵室(醸造場)は、地下室付の2階建で、現在は「神谷傳兵衛記念館」になっている。明治中期のレンガ造り建築としての価値と、当時の醸造方式を理解する上で産業技術史での価値が高いことから2008年6月に[[文部科学大臣]]から「最初期の本格的ワイン醸造施設」として本館・貯蔵庫と共に国の重要文化財に指定された。
醗酵室2階は、ぶどうを機械でしぼり、果汁を1階におろす作業場である。2階中央部分の大きな開口部分には手動式の小型起重機があり、トロッコで運ばれたぶどうを入れていた。2階床面にはトロッコのレールの跡と、ぶどう果汁を1階におろすための大小の落し口が多数残っている。


=== 昭和・平成・令和以降 ===
醸造場1階には大樽が並べられて、2階からぶどう果汁を直接注ぎ込み、醗酵させていた。現在も当時の大樽が並んでいる様子を見ることができる。
[[太平洋戦争]]の終戦後に[[農地改革]]が行われ、戦時中に既に荒廃していた神谷葡萄園は[[小作地]]として解放されることになった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1619}}。敷地の多くは後に宅地として分譲されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1619}}。牛久醸造場も規模を縮小することになった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。1948年、[[オエノンホールディングス#合同酒精の設立|合同酒精株式会社]]の子会社として旭商会株式会社が設立され、牛久シャトーの営業を開始した<ref name="オエノン">{{Cite web|和書|title=オエノングループ 沿革|url=http://www.oenon.jp/company/history.html|website=オエノングループ公式サイト|accessdate=2018-07-13}}</ref>。1969年以降にシャトーの敷地内でワインの販売所やレストランの建設が進められ、食のレジャー施設として活用されることになった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。また、旧事務室はシャトーの本館、旧醗酵室は神谷傳兵衛記念館に転用され、1976年には旧貯蔵庫を転用したレストラン「キャノン」が開店した{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1621, 1624}}。


1992年、旭商会株式会社が株式会社牛久シャトーガーデンに商号変更した<ref name="オエノン"/>。また、1996年にシャトー内に地ビール工場を設置<ref name="オエノン"/>、地ビールレストランを建設・オープンして、ビールの醸造、提供を行うようになった<ref>{{Cite book|和書|title=Discover Japan 2015年7月号 Vol.45|publisher=[[エイ出版]]|year=2015|page=170}}</ref>。
地下室は、ぶどう酒を詰めた小樽が当時のまま横置きに並べられている。全体として、当時のワイン醸造の工程を知る上で貴重な遺構として良く残されている。


2003年に親会社の合同酒精が[[持株会社]]化に伴いオエノンホールディングス株式会社に[[商号]]変更して旧称と同名の子会社が新たに設立され、牛久シャトーガーデンは2006年に子会社の合同酒精に吸収合併された<ref name="オエノン"/>。
== 旧貯蔵庫 ==
シャトーの旧貯蔵庫は、昭和51年(1976年)にレストランに改築された。昭和17年(1942年)に撮影された写真では、建物の入口部分が木造になっているが、この部分はレンガ造りにリフォームされた。


2007年、[[経済産業省]]が「[[近代化産業遺産|近代化産業遺産群33]]」を公表し<ref>{{Cite web|和書|title=近代化産業遺産|url=http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/nipponsaikohsangyouisan.html|publisher=経済産業省|accessdate=2018-07-12}}</ref>、牛久シャトーは「牛久醸造場関連遺産」として山梨県、兵庫県の遺産と共に「18. 官民の努力により結実した[[関東甲信越]]地域などにおけるワイン製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として認定された{{Sfn|METI|2007|pp=64 - 66}}。
昭和40年代に撮影されたシャトーの航空写真を見ると、当時の旧貯蔵庫は2連に拡張されていた。貯蔵庫の前には、高い煙突があったが、昭和40年代の写真にはなくなっている。


2008年6月9日、明治中期の[[レンガ]]造り建築、醸造方法といった歴史的、産業技術史的な価値の高さから、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が[[重要文化財]]に指定された<ref name="産経1605"/><ref name="事務室">{{Cite web|和書|title=シャトーカミヤ旧醸造場施設 事務室|url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/203139|website=文化遺産データベース|publisher=[[文化庁]]|accessdate=2018-07-09}}</ref><ref name="醗酵室">{{Cite web|和書|title=シャトーカミヤ旧醸造場施設 醗酵室|url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/196870|website=文化遺産データベース|publisher=文化庁|accessdate=2018-07-09}}</ref><ref name="貯蔵庫">{{Cite web|和書|title=シャトーカミヤ旧醸造場施設 貯蔵庫|url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/149411|website=文化遺産データベース|publisher=文化庁|accessdate=2018-07-09}}</ref>。
明治38年(1905年)頃の写真では、貯蔵庫の外壁には小さな丸窓が連続しているが、レストランへの改造の時に大きな窓に作り変えられた。


2011年3月に発生した[[東日本大震災]]では、旧事務室が半壊するなど重文指定されている3棟が被害に遭った<ref name="産経1605"/>。内外壁に亀裂やレンガ脱落などの被害が生じ、3棟で合計約115万個あるレンガのうち約1万5千個の交換が必要となった<ref name="産経1605"/>。同年12月、国や地方自治体の補助を受けて復旧工事が着工した<ref name="茨城1605">{{Cite news|title=シャトーカミヤ復旧 被災の重文 7月から公開 牛久|url=http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14643419258229|author=鈴木里未|newspaper=茨城新聞クロスアイ|date=2016-05-28|accessdate=2018-07-09}}</ref>。壁の外観を維持するため、交換用のレンガ約1万5千個は愛知県の窯元に特注したものを使用したという<ref name="産経1605"/><ref name="茨城1605"/>。また、旧発酵室は地下のワイン貯蔵庫の温度や[[湿度]]といった条件を維持するため、建物の外部から補強する工事が行われた<ref name="産経1605"/><ref name="茨城1605"/>。[[2014年]]3月に旧醗酵室と旧貯蔵庫の復旧工事が完了、2016年3月30日に旧事務室の工事が完了した<ref name="産経1605"/>。震災から5年、工事費用は総額約15億円であった<ref name="産経1605"/>。
旧貯蔵庫は、昭和51年(1976年)にレストランとして改築した時に、一部改変が加えられたが、全体として建設当時の状態が良く保存され、国の重要文化財に指定された(内装は指定対象外)。
 
== 神谷ぶどう園 ==
かつてぶどう園のあった場所は女化原と呼ばれる広大な原野の北のはずれに位置していた。シャトーが建設された頃には、シャトーから遠く離れた[[女化神社]]の木々が見えたと言われており、広々とした低木と草地の原野だった。


2016年(平成28年)頃の年間来場者数は約40万人<ref name="産経1605"/>。2018年1月、山梨県[[甲州市]]と共同でワイン製造遺産として「日本ワインの歴史ロマン薫る風景 近代化と先人たちのワイン醸造140年」と題して[[日本遺産]]に申請した<ref name="茨城1804"/>。だが、同年5月24日に不認定となった<ref>{{Cite news|title=茨城関係3件、日本遺産不認定 肩落とす関係者|url=http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15271673248772|author1=秋葉凌|author2=溝口正則|author3=平野有紀|newspaper=茨城新聞クロスアイ|date=2018-05-25|accessdate=2018-07-09}}</ref>。
[[明治維新]]の後、新政府の大久保内務卿は、政府[[御雇い外国人]]として農業の専門家のD.W.ジョンズから助言を得て、茨城県と千葉県の18か所の原野を開拓する決定をした。日本で最大規模(合計3千町歩)のアメリカ式開拓は、元陸軍少将であった[[津田出]]が引き受けたが、開拓は思ったように進まず、やがて女化原の農場は転売されることになった。女化原の内、南側の500町歩(現在の女化地区)は、開拓農民たちに払い下げられ、北側の120町歩は、神谷伝兵衛に払い下げられた。


牛久シャトーは同年12月28日を以って、飲食施設を閉店することを発表(見学と園内散策は引き続き可能)<ref>[https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/ 牛久シャトー公式サイト](2018年12月13日閲覧)の「牛久シャトー 一部施設閉鎖のお知らせ」による。</ref>。これに対して、牛久市の[[商工会]]や64ある行政区の区長全員が嘆願書を送り、市役所とともに存続を働きかけるに至った<ref>牛久シャトー のめない「閉鎖」『[[東京新聞]]』朝刊2018年12月12日(特報面)。</ref>。牛久市は2019年3月1日、牛久シャトーへの関与を強めるため、オエノンと包括連携協定を提携<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41929970R00C19A3L60000/ 「茨城・牛久市とオエノンHDが協定 牛久シャトー保存など連携」][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2019年3月1日配信)2019年3月7日閲覧。</ref>。同年7月31日には市が賃借することで基本合意したと発表した<ref>[https://www.sankei.com/article/20190801-YKCYUQLMS5JBHAM5AAUPPNSKUU/ 「牛久シャトー、賃貸借契約へ 市と所有会社が基本合意」]産経新聞ニュース(2019年8月1日)2019年11月16日閲覧。</ref>。2020年6月、山梨県甲州市の[[宮光園]]と共に日本遺産に認定された。
神谷伝兵衛は、明治30年(1897年)に津田出から購入した120町歩の農地にフランス産ぶどう苗6000本を植え付けて(大正9年には13万本が植えつけられていたと記録されている)神谷ぶどう園と呼ばれるようになった。ぶどう園は、後に160町歩に広げられて、周囲には土手が築かれ、シャトーを中心に北側と南側のぶどう畑と牛久駅までのトロッコ道が作られた。


== 施設 ==
神谷ぶどう園は北端が国道6号の柏田町の「[[カスミ]]」の手前で、南端が「神谷小学校」の手前までの範囲に当り、南北総延長1.9kmになる。その後大部分が現在住宅地に、1990年代まであったところの大半は駐車場になっている。その一部には「神谷」の地名が付されている。
[[野球]]の本塁のような五角形の敷地であり、南東の辺に正門があり牛久駅東口方面へと延びる「ぶどう園通り」に面している{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}<ref name="地図">{{Cite web|和書|title=園内を楽しむ|url=http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/|website=牛久シャトー公式サイト|publisher=オエノンホールディングス|accessdate=2018-07-13}}</ref>。敷地の南東部には旧牛久醸造場の建物が現存しており{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}、レジャー施設として転用するにあたり増改築がなされているものの醸造場の主な建物3棟が状態よく保存されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。正門からアプローチ道路を約40メートル進んだ地点に本館(旧事務室)が南向きで建っており、その北側には中庭を挟んで約70メートルほどの位置に神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)が本館と向かい合う形で建っている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。また、本館と記念館の間には、記念館の西端から南へ伸びる形でレストラン「キャノン」(旧貯蔵庫)が建っている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。加えて、記念館とレストランの作る角の内側には1905年から1911年の間に増築された煉瓦造の建物があり、ワインセラーとして使用されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1620, 1621}}<ref name="地図"/>。敷地の東端、東門の前には1977年に建設されたスーベニアショップがある{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1621, 1624}}<ref name="地図"/>。


[[File:Kamiya04.jpg|thumb|200px|1913年に本館2階で開かれたパーティ]]
== トロッコ道 ==
;本館(旧事務室)
神谷ぶどう園には、収穫したぶどうを運ぶために、シャトーの南と北にトロッコ道が敷設(総延長4.8Km)されていた。
:[[ルネサンス建築|ルネサンス様式]]で煉瓦造の2階建である{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。屋根は元々は[[瓦葺き|桟瓦葺]]だったが後に銅板葺に変えられており、東西両端は[[マンサード屋根]]で各所に屋根窓が開けられている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。中央部の1階部分は中庭へと抜ける通路となっており、通路を飾る半円状のアーチは白漆喰塗りで「CHATEAU D.KAMIYA」と書かれている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。その上の2階部分では窓に2本の{{仮リンク|トスカナ式|en|Tuscan order}}の円柱が配置され、その上に小さな半円状アーチをのせた[[パッラーディオ建築|パラディアン・モチーフ]]となっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。柱とアーチ、その上の[[ペディメント]]も白漆喰塗であり、ペディメントには[[こて絵]]で「蜂印香竄葡萄酒」を示す[[ミツバチ|蜂]]とブドウが描かれている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。また、中央部の東隣にはクリーム色の[[漆喰]]が塗られた時計塔があり、各面に時計が設置されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。
また、シャトーから牛久駅にもトロッコ道が敷設され、ぶどう酒が駅まで運ばれた。シャトーが建設されたのと同時期に鉄道が開通し、牛久駅にはぶどう酒の積込みのための専用ホームが作られていた。
:本館内部、1階東側は建築当初より和室となっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。西側は以前から事務室として利用されていた部分であり、突出部分が増築されているものの4本の円柱とカウンター台に当時の面影が残されている<ref group="注釈">2008年の中野らの論文によれば喫茶室として利用されているという。</ref>{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。2階は全て洋室であり、大ホール、貴賓室および前室、洋室、階段室、バルコニーなどがある{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。かつては2階で賓客を招いてワインパーティが開催されており、迎賓館としての性質が建物の構造に反映されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。かつては東側部分の北側に「日本館」と呼ばれる和式の建物があり、その前には日本庭園が設けられていた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。1921年には完成していたこの建物は140坪弱で和室4部屋、食堂、浴室などがあり、かつては食堂から本館2階へ食事を提供していた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。日本館は1976年以降に失われており、現存していない{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。
シャトーの醸造場跡にある「[[神谷伝兵衛]]記念館」には当時のトロッコが展示されている。また、シャトー正面の駐車場の中程から、南に向かってまっすぐの道がある。この道と駐車場は、生垣で切られているが、ここには神谷ぶどう園の中央を南北に結んだトロッコ道が敷設されていた。


[[File:Kamiya Denbe Memorial Hall 2021-12 ac (2).jpg|thumb|left|200px|神谷傳兵衛記念館]]
== 神谷伝兵衛記念碑 ==
[[File:Kamiya06.jpg|thumb|200px|1907年の醗酵室1階{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1622}}]]
神谷伝兵衛が死去した後、神谷ぶどう園の中に墓がつくられた。シャトーから神谷小学校へ行く途中(歩いて10分位)にあり、この墓は、その後、神谷家の墓がある東京谷中の墓地に移されたが、現在も[[神谷伝兵衛]]記念碑として残されている。
;神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)
[[神谷伝兵衛]]記念碑の近くには、シャトーの稲荷社や競馬場があり、シャトーからトロッコがここまでつながっていた。
:本館と同じく、煉瓦造の2階建で屋根は桟瓦葺から銅板葺に変えられており、1階中央にアーチ状の入り口が設けられている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。また、その上の2階部分にはアーチの架かった開口部があり、扉が設置されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1621}}。パラディアン・モチーフにはなっていないものの、煉瓦部分の柱型、アーチとその上のペディメントという構造は本館と共通性が見られる{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。かつては入口にトロッコが到着すると、手動の小型起重機で2階の扉からブドウを建物内に運び込んでいた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|pp=1621, 1623}}。2階内部は[[トラス|木造トラス小屋組]]、キングポストトラスと呼ばれる三角形の構造が露出しており、間仕切りがなく2階全体が1つの部屋になっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。牛久醸造場の頃は、ここで機械を用いて葡萄の果汁を搾り、1階に下ろしていたと考えられている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。床には当時敷かれていたレールの痕跡、果汁を階下に下ろすための落とし口が多数残っている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。1階は2階同様間仕切りがなく、当時は大樽を立てて並べ、2階の落とし口から直接搾った果汁を[[樽]]に注ぎ込んで発酵させるという手法をとっていた(右写真){{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。また、西側部分は1911年までに増築された部分だが、既存の建物同様に煉瓦造の銅板葺屋根になっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。地下室は短手方向の煉瓦壁で仕切られており、それぞれの壁の中央および左右にはアーチ状の開口部が設けられている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。また、1905年から1911年の間に壁面を共有する形で平屋の煉瓦造の建物が増築されており、旧醗酵室とは階段を通じて地下室でつながっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。
:旧醗酵室は神谷傳兵衛記念館として転用されており、2階には写真、機械・道具、葡萄酒瓶、ラベルなどが展示されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。1階西の増設部分はワインのボトリングに使用されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。地下室は壁中央のアーチを通る通路の両脇にワインを詰める小樽が横向きに並べられており、当時の様子を伝えている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。また、平屋の建物はワインセラーおよびワイン販売所として使用されている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。
[[File:Kamiya09.jpg|thumb|200px|1905年頃の貯蔵庫]]
;レストラン「キャノン」(旧貯蔵庫)
:平屋建で屋根は桟瓦葺から銅板葺に変えられており、[[妻側|南妻]]の屋根は[[寄棟]]になっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。当初は東側の外壁は一部のみ煉瓦造の木造だった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。また、その他の外壁は煉瓦造になっており、内部は木造トラス小屋組を見せる構造になっている{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。かつては強い光が内部に差し込まないよう東西の窓は小さかった{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。1976年9月にレストラン「キャノン」として開店しており、それに伴い西側の丸窓を出入口や大きな窓にするなどの改築が行われた{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。また、北側西部に厨房の一部が増築された{{Sfn|中野茂夫 et al.|2008|p=1623}}。
;ラ・テラス・ドゥ・オエノン
:「ラ・テラス・ドゥ・オエノン」はシャトー内に設置されている直営のビア[[レストラン]]である{{R|極}}。牛久ブリュワリーで醸造されている地ビールと和洋折衷料理を提供している{{R|極}}。
[[File:Chateau Kamiya Vineyard01.jpg|thumb|200px|シャトーのブドウ畑]]
;ブドウ畑
:2018年現在、シャトー内には約1000本のブドウの木が植えられている<ref name="茨城1804"/>。


== 牛久ワリー ==
== 牛久ワイナー・ブルワリー ==
牛久ワイナリー、牛久ブルワリーはオエノンホールディングスの子会社、合同酒精株式会社の生産拠点である<ref>{{Cite web|和書|title=合同酒精株式会社|url=http://www.oenon.jp/company/group/godo.html#anc02|publisher=オエノンホールディングス|accessdate=2018-07-17}}</ref>。2017年には約2トン、約2000本のワインを生産した<ref name="茨城1804"/>。「牛久シャトービール」の主な製品として[[ヘレス]]、[[デュンケル]]、[[ピルスナー]]があり、うちヘレスは[[インターナショナル・ビアカップ]](旧称インターナショナル・ビアコンペティション)で複数回入賞している<ref name="極">{{Cite book|title=『地ビールを極める本』|publisher=[[ぴあ]]|year=2014|pages=43}}</ref>。
;主な製品<ref name="極">{{cite book|title=地ビールを極める本|publisher=[[ぴあ]]|year=2014|pages=43}}</ref>
:*「牛久シャトービール」
:**[[ヘレス]] - [[インターナショナル・ビアコンペティション]]で複数回入賞している{{R|極}}。
:**[[デュンケル]]
:**[[ピルスナー]]


=== 受賞歴 ===
2016年の[[ワールド・ビア・カップ]]ではハーブ&スパイスビール部門で「桜満開ラガー」が金賞を獲得している<ref>{{cite web|url=http://www.jbja.jp/archives/12882|date=2016-05-07|title=ワールド・ビア・カップ2016受賞ビール速報 日本のブルワリーは9社が入賞|publisher=[[日本ビアジャーナリスト協会]]|accessdate=2017-02-15}}</ref>。
;2014年

*インターナショナル・ビアカップで「ベルジャン ホワイト」がベルジャンスタイル・ヴィットビールの銀賞、「ピルスナー」がジャーマンスタイル・ピルスナーの銅賞、「秋あがり」がジャーマンスタイル・メルツェンの銅賞、「デュンケル」がヨーロピアンスタイル・ダーク/ミュンヒナー・デュンケルの銅賞、「バーレイワイン」がバーレイワイン・スタイル・エールの銅賞を受賞した<ref>{{Cite paper|title=インターナショナル・ビアカップ2014 受賞ビール一覧|url=http://www.beertaster.org/medal/ibc2014_award.pdf|publisher=[[日本地ビール協会]]クラフトビア・アソシエーション|accessdate=2018-07-18|pages=17, 18, 20, 22}}</ref>。
== ラ・テラス・ドゥ・オエノン ==
;2015年
'''ラ・テラス・ドゥ・オエノン'''はシャトー内に設置されている直営ビア[[レストラン]]{{R|極}}。上記の牛久ブリュワリーで醸造されている地ビールと和洋折衷料理が楽しめる{{R|極}}。
*インターナショナル・ビアカップで「牛久ホワイト」がアメリカンスタイル・酵母入りウィートビールの金賞、「ピルスナー」がジャーマンスタイル・ピルスナーの金賞、「ブロンシュ」がその他のベルジャンスタイル・エールの銀賞、「デュンケル」がヨーロピアンスタイル・ダーク/ミュンヒナー・デュンケルの銅賞を受賞した<ref>{{Cite paper|title=インターナショナル・ビアカップ2015 受賞ビール一覧|url=http://www.beertaster.org/medal/ibc2015_award.pdf|publisher=日本地ビール協会クラフトビア・アソシエーション|accessdate=2018-07-18|pages=21, 23, 24, 27}}</ref>。
;2016年
*[[ワールド・ビア・カップ]]で「桜満開ラガー」がハーブ&スパイスビール部門の金賞を受賞した<ref>{{Cite paper|title=Winners List|url=https://www.worldbeercup.org/wp-content/uploads/2016/05/WBC-winners-2016.pdf|publisher=World beer Cup|accessdate=2018-07-17}}</ref>。
*アジア・ビアカップで「ホワイトIPA」がフリースタイルの金賞、「バーレイワイン」が[[ダークエール]]の銅賞、「ヴァイツェンボック」が[[ヴァイツェン|ヴァイスビール]]の銅賞を受賞した<ref>{{Cite news|title=「アジア・ビアカップ2016」でシャトーカミヤ 牛久ブルワリーの「ホワイトIPA」が初出品で金賞受賞!|url=http://www.oenon.jp/news/2016/0614-1.html|publisher=オエノンホールディングス|date=2016-06-14|accessdate=2018-07-17}}</ref>。
*{{仮リンク|ワールド・ビア・アワード|nl|World Beer Awards}}で「[[ヘレス]]」が[[ラガー (ビール)|ラガー]]部門のWorld's Best Helles / Münchner<ref>{{Cite web|title=World Beer Awards 2016|url=http://www.worldbeerawards.com/winner/beer/2016/worlds-best-lager-world-beer-awards-2016|publisher=World Beer Awards|accessdate=2018-07-17}}</ref>、「IPL」が[[ペールエール|ペールビール]]部門のWorld's Best Golden Aleに選出され<ref>{{Cite web|title=World Beer Awards 2016|url=http://www.worldbeerawards.com/winner/beer/2016/worlds-best-pale-beer-world-beer-awards-2016|publisher=World Beer Awards|accessdate=2018-07-17}}</ref>、2つのスタイルで「ワールドベスト・スタイル」を受賞した<ref>{{Cite news|title=「ワールド・ビア・アワード 2016」でシャトーカミヤ 牛久ブルワリーの「ヘレス」「IPL」が「ワールドベスト・スタイル」受賞!|url=http://www.oenon.jp/news/2016/1004-1.html|publisher=オエノンホールディングス|date=2016-10-04|accessdate=2018-07-17}}</ref>。
*インターナショナル・ビアカップで「牛久ホワイト」がアメリカンスタイル・酵母入りウィートビールの銀賞、「ヘレス」がミュンヒナースタイル・ヘレスの銀賞、「ファームハウスセゾン」がベルジャンおよびフレンチスタイル・セゾンの銀賞、「秋あがり」がジャーマンスタイル・メルツェンの銅賞を受賞した<ref>{{Cite paper|title=インターナショナル・ビアカップ2016 受賞ビール一覧|url=http://www.beertaster.org/medal/ibc2016_award.pdf|publisher=日本地ビール協会クラフトビア・アソシエーション|accessdate=2018-07-17|pages=18, 23, 25}}</ref>。
;2017年
*アジア・ビアカップで「牛久ホワイト」がニュージェネレーションビールの金賞、ベルギービールでは「桜酵母ビール」が銀賞、「セゾンIPA」が銅賞、「ヴァイツェンボック」がヴァイスビールの銅賞を受賞した<ref>{{Cite paper|title=アジア・ビアカップ2017 受賞ビール一覧|url=http://www.beertaster.org/medal/abc2017_award.pdf|publisher=日本地ビール協会クラフトビア・アソシエーション|accessdate=2018-07-17|pages=20, 22, 25}}</ref><ref>{{Cite news|title=「アジア・ビアカップ 2017」で、初出品の牛久シャトービール「牛久ホワイト」が金賞受賞!|url=http://www.oenon.jp/news/2017/0615-2.html|publisher=オエノンホールディングス|date=2017-06-15|accessdate=2018-07-17}}</ref>。


== アクセス ==
== アクセス ==
所在地:茨城県牛久市中央3-20-1
〒300-1234 茨城県牛久市中央3-20-1<ref name="アクセス"/>
;電車
:JR[[常磐線]][[牛久駅]]東口から徒歩約8分<ref name="アクセス"/>。
;車
:[[首都圏中央連絡自動車道]][[つくば牛久IC]]から[[国道408号]]経由で約15分<ref name="アクセス"/>。
== 関連項目 ==
* [[花のあすか組!#テレビドラマ|花のあすか組!]] - 1988年放送のテレビドラマ第11話と第23話に「全中裏本部」として牛久シャトーがロケに使用された。


== 脚注 ==
*[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]][[つくば牛久インターチェンジ]]より約10分
=== 注釈 ===
*JR[[常磐線]][[牛久駅]]より徒歩8分
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*{{Cite paper|title=平成19年度「近代化産業遺産群 33」|url=http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/pdf/isangun.pdf|publisher=経済産業省|year=2007|pp=1 - 121|accessdate=2018-07-12|ref= {{SfnRef|METI|2007}} }}
*斎藤英俊「神谷伝兵衛とシャトーカミヤ」『月刊文化財』538号、第一法規、2008
*{{Cite journal|和書|title=シャトーカミヤの建設経緯と建築的特徴|url=https://doi.org/10.3130/aija.73.1617|author1=中野茂夫|author2=斎藤英俊|author3=中島伸|journal=日本建築学会計画系論文集|volume=73|issue=629|year=2008|pages=1617-1624|doi=10.3130/aija.73.1617|accessdate=2018-07-10|ref= {{SfnRef|中野茂夫 et al.|2008}} }}
* [http://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/pdf/isangun.pdf#page=65 「近代化産業遺産群33」経済産業省,2007]

== 脚注 ==
<references />

== 関連項目 ==
{{commonscat}}
*[[神谷伝兵衛]]
*[[神谷バー]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [http://www.ch-kamiya.jp/ シャトーカミヤ]
* [http://www.ibarakiguide.jp/db-kanko/kamiya.html 牛久シャトー(牛久市)] - 茨城県観光物産協会ウェブサイト「観光いばらき」


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[[Category:日本のビールメーカー]]
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[[Category:近代化遺産]]
[[Category:オエノングループ]]

2023年11月28日 (火) 01:07時点における最新版

牛久シャトー
Ushiku Chateau
本館(旧事務室)
地図
地図
店舗概要
所在地 300-1234
茨城県牛久市中央3-20-1
座標 北緯35度58分42.5秒 東経140度8分49.6秒 / 北緯35.978472度 東経140.147111度 / 35.978472; 140.147111 (牛久シャトー)座標: 北緯35度58分42.5秒 東経140度8分49.6秒 / 北緯35.978472度 東経140.147111度 / 35.978472; 140.147111 (牛久シャトー)
施設所有者 オエノンホールディングス株式会社
設計者 岡田時太郎
駐車台数 280+大型バス40台[1]
最寄駅 牛久駅
最寄IC つくば牛久IC
外部リンク http://www.oenon.jp/ushiku-chateau/
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牛久シャトー(うしくシャトー)は、茨城県牛久市にあるワイン醸造場[2]。所有者はオエノンホールディングス株式会社。2017年(平成29年)までの名称はシャトーカミヤ[3][注釈 1]

1903年(明治36年)に神谷傳兵衛が牛久醸造場の名で創業した[2]フランス種のブドウボルドーの高級ワイン製造法を取り入れた日本初の本格的なワイン醸造場である[5]。2008年(平成20年)6月、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が国の重要文化財に指定された[6]

沿革

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背景

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明治政府日本酒の消費量削減による不足の緩和、輸出産業の創出のためにワイン製造を奨励していた[5]。官営事業として1876年に現在の北海道開拓使葡萄酒醸造所が、1880年に現在の兵庫県播州葡萄園が開設されたものの、どちらも1880年代に民間に払い下げられた[5]。一方、現在の山梨県では明治初期からワインの製造に取り組んでおり、1877年に県立葡萄酒醸造所が完成、大日本山梨葡萄酒会社が設立されるなど早くからワインの製造に成功していた[5][4]。山梨県の官営事業は明治中期に終わりを迎えたものの、それ以降も近代的なワイン製造を目指す取り組みが民間で継続しており、日本を代表するワイン産地としての基礎が築かれることになった[5]。その一方で、明治中期以降には山梨県以外でも民間でワイン製造の取り組みが進んでおり、その代表例が1903年に開設された「牛久醸造場」だった[5]

創業までの経緯

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牛久シャトーの創業者、神谷傳兵衛[注釈 2]は1856年に三河国(現在の愛知県東部)で生まれた[7]。1873年、彼は横浜外国人居留地でフランス人が経営するフレッレ商会で労働者として働き始め、ここでワインを知ることになった[7][8]。1880年、独立した傳兵衛は東京浅草濁り酒の一杯売屋「みかはや銘酒店」を開業した[7][8]。これは日本初の洋酒バー神谷バー」の前身であった[8]。当時の日本ではワインが一般には普及していなかったが、傳兵衛は1881年から輸入ワインに蜂蜜などを添加した甘味葡萄酒の販売を始め、1886年に「蜂印香竄葡萄酒」として商標登録したこの再生葡萄酒は人気商品となった[7][8]

1902年の醗酵室(左奥)と建築中の事務室(右手前)[9]

明治20年代になると日本国内で輸入葡萄酒が流通し始め、傳兵衛は葡萄酒の醸造に向けて動き始めた[8]。1894年、傳兵衛は養子の伝蔵をフランスのボルドーへ留学させた[8]。牛久シャトー公式サイトによれば、傳兵衛は兄の娘を自身の養女とし、伝蔵は養女と結婚して婿養子に入り、結婚の3日後にフランスへと出立したという[10]。伝蔵はデュボア商会が所有するカルボンブラン村醸造場でブドウの栽培法、機械の操作、醸造技術を学び、1897年1月に帰国して関連書籍、醸造用具、土壌サンプルなどを持ち帰った[8]

同年4月、傳兵衛は東京府豊多摩郡東大久保村(現在の東京都新宿区)でボルドー産のブドウの苗木6000本の試作を始めた[7][8]。同年10月、醸造場の建設地を探していた傳兵衛は茨城県稲敷郡の女化原[注釈 3]の原野120町歩を購入した[8]。女化原はブドウの栽培に適した土壌で広い土地をまとめて購入することができ[注釈 4]、また前年1896年に開通した日本鉄道会社土浦線(現在のJR常磐線)の牛久駅の近くに位置しており、交通の便にも優れていた[11]。傳兵衛は1898年3月までに購入した土地のうち23町歩を開墾して試作していた苗木を移植し、「神谷葡萄園」を開設した[7][8]。また設置した仮醸造場で白ワイン赤ワインの醸造に成功し、1901年3月からフランスの醸造場をモデルとして醸造場の建築を開始した[12]三笠ホテルの設計などで知られる岡田時太郎が事務室、醗酵室[注釈 5]、貯蔵庫、倉庫の工事設計を担当し、総工費3万強を費やして1903年9月に「牛久醸造場」が完成した[9][注釈 6]。これにより、神谷葡萄園および牛久醸造場はブドウの栽培からワインの醸造、貯蔵、瓶詰出荷までの一貫した製造工程を有する日本初の本格的なワイン醸造施設となった[13]

明治・大正時代

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1913年の醗酵室とトロッコ

牛久醸造場のワインは国内外でいくつかの賞を獲得した。1903年にイギリス水晶宮で開催された万国衛生食料品博覧会では、名誉金牌を受賞した[7][14]。1904年にパリで開催されたチュイルク博覧会では金賞牌を受賞した[7][14]。また、1907年の東京勧業博覧会でも一等金賞牌を受賞した[7][14]。ワインの年間生産量は1902年の50から1904年には180石に増加した[15]。しかし、当時の日本ではまだ本格的な葡萄酒の需要は医薬品としてのものがほとんどであり、生産量は明治・大正時代を通じて150石から180石程度で安定し、生産規模をさらに拡大することはなかった[16]

神谷葡萄園は160町歩に拡大され、1920年時点で赤ワイン、白ワイン用の数種類のブドウの木が約13万本植えられていた[8]。葡萄園は牛久醸造場の南北に広がっており、両端の道路の間が約1.9キロメートルに及ぶ細長い形状の土地だった[8]。園内には牛久駅と醸造場、南北の葡萄園を結ぶ形で総延長4.8キロメートルのトロッコが敷設されていた[8]。当時、葡萄園でブドウを積み込んだトロッコは事務室のアーチをくぐり、中庭を通過して醸造場へとブドウを運んでいた[17]。また、醸造場も増改築が続けられ、1921年頃までに一通りの施設が揃っていた[9]

昭和・平成・令和以降

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太平洋戦争の終戦後に農地改革が行われ、戦時中に既に荒廃していた神谷葡萄園は小作地として解放されることになった[9]。敷地の多くは後に宅地として分譲されている[9]。牛久醸造場も規模を縮小することになった[16]。1948年、合同酒精株式会社の子会社として旭商会株式会社が設立され、牛久シャトーの営業を開始した[18]。1969年以降にシャトーの敷地内でワインの販売所やレストランの建設が進められ、食のレジャー施設として活用されることになった[16]。また、旧事務室はシャトーの本館、旧醗酵室は神谷傳兵衛記念館に転用され、1976年には旧貯蔵庫を転用したレストラン「キャノン」が開店した[19]

1992年、旭商会株式会社が株式会社牛久シャトーガーデンに商号変更した[18]。また、1996年にシャトー内に地ビール工場を設置[18]、地ビールレストランを建設・オープンして、ビールの醸造、提供を行うようになった[20]

2003年に親会社の合同酒精が持株会社化に伴いオエノンホールディングス株式会社に商号変更して旧称と同名の子会社が新たに設立され、牛久シャトーガーデンは2006年に子会社の合同酒精に吸収合併された[18]

2007年、経済産業省が「近代化産業遺産群33」を公表し[21]、牛久シャトーは「牛久醸造場関連遺産」として山梨県、兵庫県の遺産と共に「18. 官民の努力により結実した関東甲信越地域などにおけるワイン製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として認定された[22]

2008年6月9日、明治中期のレンガ造り建築、醸造方法といった歴史的、産業技術史的な価値の高さから、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が重要文化財に指定された[6][23][24][25]

2011年3月に発生した東日本大震災では、旧事務室が半壊するなど重文指定されている3棟が被害に遭った[6]。内外壁に亀裂やレンガ脱落などの被害が生じ、3棟で合計約115万個あるレンガのうち約1万5千個の交換が必要となった[6]。同年12月、国や地方自治体の補助を受けて復旧工事が着工した[26]。壁の外観を維持するため、交換用のレンガ約1万5千個は愛知県の窯元に特注したものを使用したという[6][26]。また、旧発酵室は地下のワイン貯蔵庫の温度や湿度といった条件を維持するため、建物の外部から補強する工事が行われた[6][26]2014年3月に旧醗酵室と旧貯蔵庫の復旧工事が完了、2016年3月30日に旧事務室の工事が完了した[6]。震災から5年、工事費用は総額約15億円であった[6]

2016年(平成28年)頃の年間来場者数は約40万人[6]。2018年1月、山梨県甲州市と共同でワイン製造遺産として「日本ワインの歴史ロマン薫る風景 近代化と先人たちのワイン醸造140年」と題して日本遺産に申請した[2]。だが、同年5月24日に不認定となった[27]

牛久シャトーは同年12月28日を以って、飲食施設を閉店することを発表(見学と園内散策は引き続き可能)[28]。これに対して、牛久市の商工会や64ある行政区の区長全員が嘆願書を送り、市役所とともに存続を働きかけるに至った[29]。牛久市は2019年3月1日、牛久シャトーへの関与を強めるため、オエノンと包括連携協定を提携[30]。同年7月31日には市が賃借することで基本合意したと発表した[31]。2020年6月、山梨県甲州市の宮光園と共に日本遺産に認定された。

施設

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野球の本塁のような五角形の敷地であり、南東の辺に正門があり牛久駅東口方面へと延びる「ぶどう園通り」に面している[16][32]。敷地の南東部には旧牛久醸造場の建物が現存しており[16]、レジャー施設として転用するにあたり増改築がなされているものの醸造場の主な建物3棟が状態よく保存されている[33]。正門からアプローチ道路を約40メートル進んだ地点に本館(旧事務室)が南向きで建っており、その北側には中庭を挟んで約70メートルほどの位置に神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)が本館と向かい合う形で建っている[16]。また、本館と記念館の間には、記念館の西端から南へ伸びる形でレストラン「キャノン」(旧貯蔵庫)が建っている[16]。加えて、記念館とレストランの作る角の内側には1905年から1911年の間に増築された煉瓦造の建物があり、ワインセラーとして使用されている[15][32]。敷地の東端、東門の前には1977年に建設されたスーベニアショップがある[19][32]

1913年に本館2階で開かれたパーティ
本館(旧事務室)
ルネサンス様式で煉瓦造の2階建である[16]。屋根は元々は桟瓦葺だったが後に銅板葺に変えられており、東西両端はマンサード屋根で各所に屋根窓が開けられている[16]。中央部の1階部分は中庭へと抜ける通路となっており、通路を飾る半円状のアーチは白漆喰塗りで「CHATEAU D.KAMIYA」と書かれている[16]。その上の2階部分では窓に2本のトスカナ式英語版の円柱が配置され、その上に小さな半円状アーチをのせたパラディアン・モチーフとなっている[16]。柱とアーチ、その上のペディメントも白漆喰塗であり、ペディメントにはこて絵で「蜂印香竄葡萄酒」を示すとブドウが描かれている[16]。また、中央部の東隣にはクリーム色の漆喰が塗られた時計塔があり、各面に時計が設置されている[16]
本館内部、1階東側は建築当初より和室となっている[16]。西側は以前から事務室として利用されていた部分であり、突出部分が増築されているものの4本の円柱とカウンター台に当時の面影が残されている[注釈 7][16]。2階は全て洋室であり、大ホール、貴賓室および前室、洋室、階段室、バルコニーなどがある[16]。かつては2階で賓客を招いてワインパーティが開催されており、迎賓館としての性質が建物の構造に反映されている[16]。かつては東側部分の北側に「日本館」と呼ばれる和式の建物があり、その前には日本庭園が設けられていた[16]。1921年には完成していたこの建物は140坪弱で和室4部屋、食堂、浴室などがあり、かつては食堂から本館2階へ食事を提供していた[16]。日本館は1976年以降に失われており、現存していない[16]
神谷傳兵衛記念館
1907年の醗酵室1階[34]
神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)
本館と同じく、煉瓦造の2階建で屋根は桟瓦葺から銅板葺に変えられており、1階中央にアーチ状の入り口が設けられている[16]。また、その上の2階部分にはアーチの架かった開口部があり、扉が設置されている[16]。パラディアン・モチーフにはなっていないものの、煉瓦部分の柱型、アーチとその上のペディメントという構造は本館と共通性が見られる[33]。かつては入口にトロッコが到着すると、手動の小型起重機で2階の扉からブドウを建物内に運び込んでいた[17]。2階内部は木造トラス小屋組、キングポストトラスと呼ばれる三角形の構造が露出しており、間仕切りがなく2階全体が1つの部屋になっている[33]。牛久醸造場の頃は、ここで機械を用いて葡萄の果汁を搾り、1階に下ろしていたと考えられている[33]。床には当時敷かれていたレールの痕跡、果汁を階下に下ろすための落とし口が多数残っている[33]。1階は2階同様間仕切りがなく、当時は大樽を立てて並べ、2階の落とし口から直接搾った果汁をに注ぎ込んで発酵させるという手法をとっていた(右写真)[33]。また、西側部分は1911年までに増築された部分だが、既存の建物同様に煉瓦造の銅板葺屋根になっている[33]。地下室は短手方向の煉瓦壁で仕切られており、それぞれの壁の中央および左右にはアーチ状の開口部が設けられている[33]。また、1905年から1911年の間に壁面を共有する形で平屋の煉瓦造の建物が増築されており、旧醗酵室とは階段を通じて地下室でつながっている[33]
旧醗酵室は神谷傳兵衛記念館として転用されており、2階には写真、機械・道具、葡萄酒瓶、ラベルなどが展示されている[33]。1階西の増設部分はワインのボトリングに使用されている[33]。地下室は壁中央のアーチを通る通路の両脇にワインを詰める小樽が横向きに並べられており、当時の様子を伝えている[33]。また、平屋の建物はワインセラーおよびワイン販売所として使用されている[33]
1905年頃の貯蔵庫
レストラン「キャノン」(旧貯蔵庫)
平屋建で屋根は桟瓦葺から銅板葺に変えられており、南妻の屋根は寄棟になっている[33]。当初は東側の外壁は一部のみ煉瓦造の木造だった[33]。また、その他の外壁は煉瓦造になっており、内部は木造トラス小屋組を見せる構造になっている[33]。かつては強い光が内部に差し込まないよう東西の窓は小さかった[33]。1976年9月にレストラン「キャノン」として開店しており、それに伴い西側の丸窓を出入口や大きな窓にするなどの改築が行われた[33]。また、北側西部に厨房の一部が増築された[33]
ラ・テラス・ドゥ・オエノン
「ラ・テラス・ドゥ・オエノン」はシャトー内に設置されている直営のビアレストランである[35]。牛久ブリュワリーで醸造されている地ビールと和洋折衷料理を提供している[35]
シャトーのブドウ畑
ブドウ畑
2018年現在、シャトー内には約1000本のブドウの木が植えられている[2]

牛久ワイナリー・ブルワリー

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牛久ワイナリー、牛久ブルワリーはオエノンホールディングスの子会社、合同酒精株式会社の生産拠点である[36]。2017年には約2トン、約2000本のワインを生産した[2]。「牛久シャトービール」の主な製品としてヘレスデュンケルピルスナーがあり、うちヘレスはインターナショナル・ビアカップ(旧称インターナショナル・ビアコンペティション)で複数回入賞している[35]

受賞歴

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2014年
  • インターナショナル・ビアカップで「ベルジャン ホワイト」がベルジャンスタイル・ヴィットビールの銀賞、「ピルスナー」がジャーマンスタイル・ピルスナーの銅賞、「秋あがり」がジャーマンスタイル・メルツェンの銅賞、「デュンケル」がヨーロピアンスタイル・ダーク/ミュンヒナー・デュンケルの銅賞、「バーレイワイン」がバーレイワイン・スタイル・エールの銅賞を受賞した[37]
2015年
  • インターナショナル・ビアカップで「牛久ホワイト」がアメリカンスタイル・酵母入りウィートビールの金賞、「ピルスナー」がジャーマンスタイル・ピルスナーの金賞、「ブロンシュ」がその他のベルジャンスタイル・エールの銀賞、「デュンケル」がヨーロピアンスタイル・ダーク/ミュンヒナー・デュンケルの銅賞を受賞した[38]
2016年
  • ワールド・ビア・カップで「桜満開ラガー」がハーブ&スパイスビール部門の金賞を受賞した[39]
  • アジア・ビアカップで「ホワイトIPA」がフリースタイルの金賞、「バーレイワイン」がダークエールの銅賞、「ヴァイツェンボック」がヴァイスビールの銅賞を受賞した[40]
  • ワールド・ビア・アワードオランダ語版で「ヘレス」がラガー部門のWorld's Best Helles / Münchner[41]、「IPL」がペールビール部門のWorld's Best Golden Aleに選出され[42]、2つのスタイルで「ワールドベスト・スタイル」を受賞した[43]
  • インターナショナル・ビアカップで「牛久ホワイト」がアメリカンスタイル・酵母入りウィートビールの銀賞、「ヘレス」がミュンヒナースタイル・ヘレスの銀賞、「ファームハウスセゾン」がベルジャンおよびフレンチスタイル・セゾンの銀賞、「秋あがり」がジャーマンスタイル・メルツェンの銅賞を受賞した[44]
2017年
  • アジア・ビアカップで「牛久ホワイト」がニュージェネレーションビールの金賞、ベルギービールでは「桜酵母ビール」が銀賞、「セゾンIPA」が銅賞、「ヴァイツェンボック」がヴァイスビールの銅賞を受賞した[45][46]

アクセス

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〒300-1234 茨城県牛久市中央3-20-1[1]

電車
JR常磐線牛久駅東口から徒歩約8分[1]
首都圏中央連絡自動車道つくば牛久ICから国道408号経由で約15分[1]

関連項目

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  • 花のあすか組! - 1988年放送のテレビドラマ第11話と第23話に「全中裏本部」として牛久シャトーがロケに使用された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 2008年の中野らの論文では旧称が「牛久醸造場」「牛久シャトー」となっており、「シャトーカミヤ」表記が使用されている[4]
  2. ^ 公式サイト等では旧字の「傳」表記を使用しているが、ここでは「伝」表記で統一する。
  3. ^ 牛久シャトー公式サイトでは「稲敷郡岡田村の女化原」[10]、中野茂夫らの論文では「稲敷郡牛久村の女化原」[8]と記載されている。
  4. ^ 中野らの論文によれば、この土地は元々は津田出が所有していた18の大規模農場の1つ、700町歩を有する第7農場の一部だったという。
  5. ^ 論文中では「醸造場」と書かれているが、この記事では重要文化財としての名称に合わせて「醗酵室」もしくは「旧醗酵室」表記で統一する。
  6. ^ 中野らの論文によれば、岡田が牛久シャトーを設計した経緯や意図などに関する詳細な資料は見つかっていないという[4]
  7. ^ 2008年の中野らの論文によれば喫茶室として利用されているという。

出典

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  1. ^ a b c d アクセス・ご利用案内”. 牛久シャトー公式サイト. オエノンホールディングス. 2018年7月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e 綿引正雄; 秋葉凌 (2018年4月23日). “ワイン醸造の牛久シャトー 日本遺産認定目指す”. 茨城新聞クロスアイ. http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15243962906777 2018年7月9日閲覧。 
  3. ^ 牛久シャトー(公式) (2017年8月3日). “お知らせ”. Twitter. 2018年7月9日閲覧。
  4. ^ a b c 中野茂夫 et al. 2008, p. 1617.
  5. ^ a b c d e f METI 2007, p. 64.
  6. ^ a b c d e f g h i “「シャトーカミヤ旧醸造場」復旧工事完了 震災5年「感無量の思い」 茨城”. 産経ニュース. (2016年5月28日). https://www.sankei.com/article/20160528-SBLNG5KZJBI3ZIQNLJF5Z5HWRM/ 2018年7月9日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f g h i 神谷傳兵衛の足跡 年表で見る”. 牛久シャトー公式サイト. オエノンホールディングス. 2018年7月9日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 中野茂夫 et al. 2008, p. 1618.
  9. ^ a b c d e 中野茂夫 et al. 2008, p. 1619.
  10. ^ a b 神谷傳兵衛の足跡”. 牛久シャトー公式サイト. オエノンホールディングス. 2018年7月9日閲覧。
  11. ^ 中野茂夫 et al. 2008, pp. 1618, 1624.
  12. ^ 中野茂夫 et al. 2008, pp. 1618, 1619.
  13. ^ WINE STORY2 日本初のシャトー建築と一貫した大規模生産体制”. 日本ワインの歴史ロマン薫る風景. ワイン文化日本遺産認定推進協議会. 2018年7月10日閲覧。
  14. ^ a b c 中野茂夫 et al. 2008, p. 1624.
  15. ^ a b 中野茂夫 et al. 2008, pp. 1620, 1621.
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 中野茂夫 et al. 2008, p. 1621.
  17. ^ a b 中野茂夫 et al. 2008, pp. 1621, 1623.
  18. ^ a b c d オエノングループ 沿革”. オエノングループ公式サイト. 2018年7月13日閲覧。
  19. ^ a b 中野茂夫 et al. 2008, pp. 1621, 1624.
  20. ^ 『Discover Japan 2015年7月号 Vol.45』エイ出版、2015年、170頁。 
  21. ^ 近代化産業遺産”. 経済産業省. 2018年7月12日閲覧。
  22. ^ METI 2007, pp. 64–66.
  23. ^ シャトーカミヤ旧醸造場施設 事務室”. 文化遺産データベース. 文化庁. 2018年7月9日閲覧。
  24. ^ シャトーカミヤ旧醸造場施設 醗酵室”. 文化遺産データベース. 文化庁. 2018年7月9日閲覧。
  25. ^ シャトーカミヤ旧醸造場施設 貯蔵庫”. 文化遺産データベース. 文化庁. 2018年7月9日閲覧。
  26. ^ a b c 鈴木里未 (2016年5月28日). “シャトーカミヤ復旧 被災の重文 7月から公開 牛久”. 茨城新聞クロスアイ. http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14643419258229 2018年7月9日閲覧。 
  27. ^ 秋葉凌; 溝口正則; 平野有紀 (2018年5月25日). “茨城関係3件、日本遺産不認定 肩落とす関係者”. 茨城新聞クロスアイ. http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15271673248772 2018年7月9日閲覧。 
  28. ^ 牛久シャトー公式サイト(2018年12月13日閲覧)の「牛久シャトー 一部施設閉鎖のお知らせ」による。
  29. ^ 牛久シャトー のめない「閉鎖」『東京新聞』朝刊2018年12月12日(特報面)。
  30. ^ 「茨城・牛久市とオエノンHDが協定 牛久シャトー保存など連携」日本経済新聞ニュースサイト(2019年3月1日配信)2019年3月7日閲覧。
  31. ^ 「牛久シャトー、賃貸借契約へ 市と所有会社が基本合意」産経新聞ニュース(2019年8月1日)2019年11月16日閲覧。
  32. ^ a b c 園内を楽しむ”. 牛久シャトー公式サイト. オエノンホールディングス. 2018年7月13日閲覧。
  33. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 中野茂夫 et al. 2008, p. 1623.
  34. ^ 中野茂夫 et al. 2008, p. 1622.
  35. ^ a b c 『地ビールを極める本』. ぴあ. (2014). pp. 43 
  36. ^ 合同酒精株式会社”. オエノンホールディングス. 2018年7月17日閲覧。
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  41. ^ World Beer Awards 2016”. World Beer Awards. 2018年7月17日閲覧。
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  43. ^ “「ワールド・ビア・アワード 2016」でシャトーカミヤ 牛久ブルワリーの「ヘレス」「IPL」が「ワールドベスト・スタイル」受賞!”. オエノンホールディングス. (2016年10月4日). http://www.oenon.jp/news/2016/1004-1.html 2018年7月17日閲覧。 
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  45. ^ アジア・ビアカップ2017 受賞ビール一覧. 日本地ビール協会クラフトビア・アソシエーション. pp. 20, 22, 25. http://www.beertaster.org/medal/abc2017_award.pdf 2018年7月17日閲覧。. 
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参考文献

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外部リンク

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