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* [http://www.jf-santa.org/ 日本・フィンランドサンタクロース協会]
* [http://www.jf-santa.org/ 日本・フィンランドサンタクロース協会]
* [http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/nikorai.htm ミラ・リキヤの奇跡者 聖ニコライのイコン] - [http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/ 大阪ハリストス正教会]内のページ
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2018年1月29日 (月) 00:02時点における版

サンタクロース: Santa Claus[1])は、クリスマス・イブに良い子のもとへプレゼントを持って訪れる人物。

サンタクロース

各国での違い

イギリスではファザークリスマス[2]と言い、緑色の(近年は赤が主流)の服を着ている。オーストラリアニュージーランドでもファーザークリスマスと言う。

オランダではクリスマスが1シーズンに2回あり、プレゼントがもらえるのは12月6日の「聖ニコラスの日」の前日と、25日のクリスマスである。

イタリアではクリスマスが1月6日まで続き、5日に魔女が来て、良い子にお菓子を、悪い子に石炭をくれるという伝説がある。

ドイツでは、悪い子は「悪い子に罰する黒いサンタ(クネヒト・ループレヒト)」にさらわれるという言い伝えがある。しかし現在では、ドイツの子供たちは「クリスマス男」と「クリストキント」(クリスマス子)とのどちらかを信じているといわれており、どちらが持ってくるかで学校では論争があるという。なおドイツでは、サンタクロースは商業主義だとしてカトリックによるサンタクロース排撃事件があり神父たちが襲われる事件もあった。

ロシアではジェド・マロース(マロースおじいさん)が孫娘のスニェグーラチカを連れて、プレゼントを配るという風習がある。

南半球に位置するオーストラリアでは、クリスマスが夏になることから、サンタクロースは海からサーフボードで、サーフィンをしながらやって来るとされる。

由来

『ミラの聖ニコライ、無実の三人を死刑から救う』(画:イリヤ・レーピン主教の祭服を身につけた姿で描かれている)
シンタクラース

4世紀頃の東ローマ帝国小アジアミラ司教主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。「ニコラオス」の名はギリシア語表記。ラテン語ではニコラウスイタリア語スペイン語フランス語ではサン・ニコライタリア語ではニコラオとも。ロシア語ではニコライ

以下のような伝説のほか、右に挙げる絵画のように無実の罪に問われた死刑囚を救った聖伝も伝えられている。

「ある時ニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入ったという。この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。この逸話が由来となり、「夜中に家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という[3]、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれている。また、ニコラウスの遺骸はイタリア南部の都市であるバーリに移されたとも言われている。

煙突から入ることになったのは1822年にアメリカの学者クレメント・クラーク・ムーア英語版フィンランドの言い伝えを伝承した「聖ニクラウスの訪(おとな)い(英語)という詩「キラ星のなか、屋根から降るのは/小さい蹄の立てる爪音/引っこめ振り向いて見ると/聖なるニコラウス煙突からどすん」を書いたからと考えられる[4]

また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。

正教会系の国では、サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祭日は12月6日である(聖名祝日の項目を参照)。子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。尚、クリスマスである12月25日聖体礼儀に行く日で、プレゼントはない。

ユリウス暦を採用している正教会(エルサレム総主教庁ロシア正教会など)の聖ニコラオスの祭日は12月19日であり、主の降誕祭(クリスマス)は、現行の暦に換算すると1月7日である(2008年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差があるため)。ロシアでは1月7日にジェド・マロースДед мороз, マロース爺さん:マロースとはロシア語で「吹雪」「寒波」という意味)と孫のスネグーラチカСнегурочка, 雪娘)がプレゼントを運んでくる。

なおニコラオスは、商人の守護聖人でもある[5]

サンタクロースの姿・特徴

ドイツの聖ニコラウス(右)。左の茶色の服は悪い子を懲らしめるクネヒト・ループレヒト

常に笑顔の、白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担いでいる。19世紀の初出では一頭立てのトナカイそりを引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。

欧米諸国などのサンタは「Ho Ho Ho」(ホゥホゥホゥ)と特徴的な笑い声をあげる事がある。伝統文化として定着している面もあり、カナダではサンタクロース宛専用の郵便番号「H0H0H0」がある(同国の郵便番号の書式は"A1B2C3"のようなアルファベットと数字の組み合わせのため、アルファベットの"O"(オー)の代わりに数字の"0"(ゼロ)を使用している)。

ドイツの古い伝承では、サンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをする(クネヒト・ループレヒトを参照)。容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。現在、ドイツでは聖ニコラウスは「シャープ」と「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。

スペインイタリアポーランドメキシコなどのカトリック教徒が多い国では、顕現節という祝祭があり、伝統的にはこの日(1月6日)に子供たちはプレゼントをもらう。イタリアでは良い子にはプレゼントやお菓子、悪い子には炭を配って歩く魔女ベファーナの伝承がある。ハイチではトントン・ノエル(サンタクロース)と一緒にトントン・マクート(麻袋おじさん)が回り、悪い子はトントン・マクートが袋に入れてさらってゆくとされる。

ロシアのジェド・マロースは青い服を着ている。

アイスランドでは、サンタクロースに相当する妖精として13人のユールラッズがいる。「スプーンを舐めるサンタ」など13人に明確なキャラ付け、名前などの設定が決められているほか、父(グリーラ)、母(レッパルージ)、そしてペットのユール・キャット(クリスマス猫)などもいる。エーシャ山に五千年住んでおり、12月12日から毎日ひとりずつおりてきて、良い子にはお菓子、悪い子には生のジャガイモを靴のなかにいれていく。24日に勢揃いし、25日からひとりずつ山に戻る、という。[6][7]

サンタクロース(シンタクラース)の服装はキリスト教の司祭服に由来する。

年表

1881年にトーマス・ナストによって描かれたサンタクロース。ナストはクレメント・クラーク・ムーアの詩と共に、現代に通じるサンタクロースのイメージを生みだした。
  • 1821年、『子供たちのお友達 (The children's friend)』(作者不詳)という絵本が出版され、この絵本の中で1頭のトナカイが引くソリに乗ったサンタクロース (santeclause) の姿が描かれた[8]
  • 1822年、ニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーア(コロンビア大学教授)が病身の子供のために作ったと言われる詩「聖ニコラウスの訪問」の中で、8頭のトナカイに引かれたソリに乗るサンタクロースの姿が表現された[9]。ただし、この年代ならびに作者については異説がある。次項目参照。
  • 1823年、米国トロイの新聞「トロイ・センティネル」に「聖ニコラスの訪問記(クリスマスの前の晩)」という詩が神学者クレメント・クラーク・ムーアの友人の手によって、作者名を明らかにしない形で掲載された。これは長らくクレメント・クラーク・ムーア教授 (Clement C. Moore) によるものであると紹介されてきた。一方、2000年のニューヨーク・タイムスの報道により、ヘンリー・リヴィングストン・ジュニアが本当の作者ではないか、という説が提示された[10]
  • 1849年、米国コロンビア大学のクレメント・クラーク・ムーア教授名義で「クリスマスの前の晩」が出版され、その挿絵として赤い服を着たサンタクロースがテオドア・C・ボイドによって描かれた。
  • 1862年、週刊誌「ハーパーズ・ウィークリー」においてトーマス・ナストが「丸々太ってニコニコ顔」のサンタクロースを描いた。
  • 1886年、トーマス・ナストは聖ニコラウスの姿を参考にして、サンタクロースが北極で暮らしている姿を詳細に描いた。
『子供之友』1914年12月号
  • 1914年、この頃から日本の子供雑誌『子供之友』を中心に、赤い帽子に赤い服を着て太いベルトを腰に巻いた、現代と同じイメージのサンタクロースが盛んに描かれるようになった。
  • 1920年代、トーマス・ナストが描いたイメージのサンタクロースが、著名な画家ノーマン・ロックウェルに受け継がれた。
  • 1923年東京日日新聞は、「Xマス近づく」との見出しの記事において「坊ちゃん嬢ちゃんに歓迎されるクリスマス・プレゼントは、年々盛んになるばかりだ。」と報じた。同記事の中で、人気のクリスマスプレゼントの一つとして「サンタクロース人形」が取り上げられた。
  • 1926年大正天皇が12月25日に崩御。休日となる先帝祭が翌1927年より12月25日に移行されて大正天皇祭となった(~1947年)。これが日本でのクリスマス普及に大きな役割を果たしたとされる[11]
  • 1927年、「民族断篇」という著作に、「どんな子供でもサンタクロースが白い羊毛の縁を取った赤い衣を着て、大きな袋を背負ってトナカイの橇に乗ってやってきて、煙突から室内に入ってよい子に玩具や何かをくれてゆくことは知っている。」と記載された。
  • 1928年朝日新聞で「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」との記事が掲載された。[11]

コカ・コーラとの関係

コカ・コーラ社のコーポレートカラーはサンタクロースの衣装と同じ赤と白であり、現代の赤い服を着て白ひげを蓄えた笑顔のサンタクロースのイメージ全世界で共通化したのはコカ・コーラの広告に由来している。

米国コカ・コーラの広告にサンタクロースが初めて採用されたのは1931年。日本では1907年に「緋羅紗の服」(『朝日新聞』1907.12.17)、「身に赤衣を纏ひ」(『朝日新聞』1907.12.28)、「真っ赤な服をつけて白髪の赤い面を冠りサンタクロースに装ひ」(『読売新聞』1914.12.13)との記述がある。日本では今とそう変わりのないイメージだが、緑や茶の服を着ていると考えられる国や地域もあった中、バラバラだったサンタクロースのイメージを世界に統一したのはコカ・コーラのキャンペーン広告が役割を果たした[12]

トナカイ

サンタクロースの乗る空飛ぶソリを引くトナカイは8頭おり、「サンタクロースがきた(クリスマスの前の晩)」によれば、それぞれ以下の名前である。

  • ダッシャー (Dasher)
  • ダンサー (Dancer)
  • プランサー (Prancer)
  • ヴィクセン (Vixen)
  • ダンナー (Donner)
  • ブリッツェン (Blitzen)
  • キューピッド (Cupid)
  • コメット (Comet)

また、「赤鼻のトナカイ」の歌(原題:Rudolph the Red-Nosed Reindeer|Rudolph the Red-Nosed Reindeer )で有名な9頭目のルドルフ (Rudolph) は、ロバート・L・メイ著の「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」(1939年)から8頭の先導役として先頭を走る1頭で足されている。

NORADによる追跡

1955年にNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の前身であるCONADに間違い電話がかかってきた。百貨店シアーズ・ローバックが「サンタへのホットライン」を設けたのだが、電話番号が間違っていたためである。機転をきかせた当時の司令官が"レーダーで確認させて"、電話を掛けてきた子供たちにサンタの最新情報を順次伝え、その後、NORADの職員やその家族・友人たちのボランティアによってサンタとトナカイの最新情報が流されている。詳しくはノーラッド・トラックス・サンタを参照。

公認サンタクロース

グリーンランドに住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、グリーンランド国際サンタクロース協会1957年に設立された。グリーンランド国際サンタクロース協会が認定する公認サンタクロースは現在世界に120人。クリスマスに自宅ですごすことができない子どもたちのため、クリスマスより一足早く福祉施設や小児病棟などを訪問する。

毎年7月、デンマークコペンハーゲンで世界サンタクロース会議が開かれている。公認サンタクロースは、自宅からサンタクロースの衣裳で参加することが義務づけられている。

日本からは、1998年マンボミュージシャンパラダイス山元がグリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースになっている[13]。彼はその本で絵本「ねすごしたサンタクロース」を「サンタが寝過ごして魔女に助けてもらうなんてあり得ない。作者はサンタクロースを知らないと思うと情けなくなる」と批判した(本では作者や出版社に考慮してタイトルを書いていない)。

サンタクロースが主題の作品

音楽に関しては、クリスマスの音楽一覧を参照。

文学

映画

ドラマ

漫画

  • 「わしはサンタじゃ!!」(光原伸『アウター・ゾーン』の1エピソード)
  • 「サンタクロース アカデミー」(河内美雪『借金王キャッシュ』第2巻に同時収録。)

アニメ

脚注

  1. ^ 英語発音: [ˈsæntə klɔːz]
  2. ^ ファザークリスマスとサンタクロースは別物であった。後者はヴァイキングたちが厳冬に「冬」の格好をさせ、厚くもてなしたもので、これがイギリス人が真似たものだという。後に混同が起きた。以上の出典:デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』(扶桑社)「4 クリスマスの父とは誰か?」。
  3. ^ デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』(扶桑社)「6 子どもたちはなぜクリスマスに靴下を吊るすのか?」。
  4. ^ トナカイの伝説もこれで定着した。以上の出典:デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』(扶桑社)「7 ファザー・クリスマスはなぜ煙突からやってくるのか?」
  5. ^ アト・ド・ヴリース 『イメージ・シンボル事典』
  6. ^ 『アイスランド 旅名人ブックス59』212頁。ISBN 9784861304439
  7. ^ 『アイスランド紀行 氷と火の島から』36頁。ISBN 9784779112812
  8. ^ 葛野浩昭 『サンタクロースの大旅行』80頁岩波新書 ISBN 978-4004305910
  9. ^ 『サンタクロースの大旅行』岩波新書72頁
  10. ^ Literary Sleuth Casts Doubt on the Authorship of an Iconic Christmas Poem, October 26, 2000。
  11. ^ a b 『クリスマス~どうやって日本に定着したか』(クラウス・クラハト、克美・タテノクラハト、1999年角川書店ISBN 4-04-883598-X
  12. ^ http://j.cocacola.co.jp/info/faq/detail.htm?faq=17977
  13. ^ パラダイス山元著『サンタクロース、ライフ。』

参考文献

関連項目

  • フランシス・チャーチ - 新聞記者、ヴァージニア・オハンロンの「サンタクロースは実在するのか」への返答記事を執筆。
  • ノースポール (アラスカ州) - フェアバンクスの郊外に計画的に作られた町で、「サンタクロースの家」で知られる。
  • かまど神 - 煙突から入るなどの特徴が日本のかまど神のような火を司る福の神と共通している。
  • オーディン - 北欧の神。葛野浩昭、アト・ド・ヴリースによれば、サンタクロースの原型で、近代のサンタクロースが影響を受ける。
  • トール - タングリスニとタングニョーストと呼ばれるヤギに引かせた車で天空を飛翔し、訪問する家々でヤギを屠り振舞う様が、サンタクロースと共通する。
  • ウァレンティヌス - ローマではクリスマスに家々を訪れることになっている。
  • 空海 - 柳田國男によれば、愛知県~岐阜県辺りで、11月24日ごろに「弘法大師が家々を回って福を授ける」と言う伝承があったらしい。また、嘗てオホイコと呼ばれる、11月頃に生まれた神の長子を祝う風習があり、後にオホイコの字大子がダイシと読まれ、弘法大師が11月に拝まれる大師講になったと言い、冬至に神の子の生誕を祝う祭りと共通するという。
  • クリスト・キントChristkind - マルチン・ルターが聖人崇拝を禁止した後のプロテスタントの間で、クリスマスに来るとされる「神の子」。元来は幼子イエスであったらしいが後に妖精のような女性になったらしい。なお21世紀のドイツでは、プロテスタントの家にサンタクロースが訪れ、カトリックの家にクリストキントが現れる。
  • 上地雄輔 - 2010年12月24日放送の番組『アナザースカイ』の企画で、黄色いサンタコスチュームで、スウェーデンの北極圏のイェリヴァーレに住むサンタクロースから「イェリヴァーレのサンタクロース」として認められている[1]

外部リンク

  1. ^ パラダイス山元公式ブログ 2010.12.24