「南常盤台」の版間の差分
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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html|title=板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内|publisher=板橋区|date=2017-07-31|accessdate=2017-12-11}}</ref>。 |
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!丁目!!番地!!小学校!!中学校 |
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2017年12月29日 (金) 00:36時点における版
南常盤台 | |
---|---|
天祖神社 | |
北緯35度45分28.29秒 東経139度41分18.95秒 / 北緯35.7578583度 東経139.6885972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 板橋区 |
地域 | 上板橋地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.311 km2 |
人口 | |
• 合計 | 7,185人 |
• 密度 | 23,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
174-0072[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
南常盤台(みなみときわだい)は、東京都板橋区の町名[4][5]。現行行政地名は南常盤台一丁目および南常盤台二丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は174-0072[2]。
地理
板橋区の南部に位置する。南東端で石神井川に接する。北で常盤台、東で石神井川を隔てて弥生町、南で東山町、南西で東新町と隣接する。北辺を東武東上線、南辺を国道254号(川越街道)、一丁目東部を東京都道318号環状七号線(環七通り)が通じている。町域の東側が南常盤台一丁目、西側が同二丁目である。一丁目はときわ台駅北口ロータリーと川越街道を結ぶ道沿いの商店街を中心として、主に商業地域である。二丁目は主に住宅地である。
地形
- 武蔵野台地成増台の高台に属する。一丁目東部で石神井川に向けて下り勾配となっている他は、ほぼ平坦である。
河川
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、南常盤台2-25-5の地点で43万7000円/m2となっている[6]。
歴史
廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡上板橋村。南常盤台地域は字原(はら)、字向屋敷(むかいやしき)などであった。
沿革
- 天祖神社の創建年代は明らかになっていない。一説では、後深草天皇の時代(13世紀中ごろ)に、伊勢神宮に祭られている天照大御神を勧請したと伝えられている。
- 1457年(長禄元年)ごろ:太田道灌により、川越街道が開かれる。
- 1639年(寛永16年):川越城主松平信綱の命により、川越街道が中山道脇往還として整備される。
- 1871年(明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡上板橋村となる。
- 1914年(大正3年):東上鉄道開通。当地に駅は設置されなかった。
- 昭和初期:現在の川越街道(国道254号線)の整備が行われる。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区(旧)上板橋町二・三・四丁目となる。(1943年8月1日 東京都制施行)
- 1935年(昭和10年)10月20日:東武東上線武蔵常盤駅開業。
- 1945年(昭和20年)6月10日:米軍爆撃機B29による空襲を受け、天祖神社の狛犬のひとつに穴が開く。
- 1947年(昭和22年):上板橋第一中学校開校。
- 1949年(昭和24年):駅南口設置のため、天祖神社境内のおよそ半分が割譲される。南口は1950年竣工。
- 1951年(昭和26年):武蔵常盤駅がときわ台駅に改称される。
- 1960年(昭和35年):地番整理により、(旧)上板橋町二・三・四丁目の一部が東京都板橋区南常盤台一丁目~二丁目に再編される。
- 1964年(昭和39年):東京都道318号環状七号線(環七通り)開通。
- 1972年(昭和47年):よしや常盤台店開店。
地名の由来
1960年の地番整理時にできた町名である。東武東上線の線路を隔てて、常盤台住宅地の南側に位置することから名づけられた。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
南常盤台一丁目 | 2,481世帯 | 3,870人 |
南常盤台二丁目 | 1,942世帯 | 3,315人 |
計 | 4,423世帯 | 7,185人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
南常盤台一丁目 | 4~19番 33~39番 |
板橋区立上板橋小学校 | 板橋区立上板橋第一中学校 |
1~3番 20~32番 40番 |
板橋区立常盤台小学校 | ||
南常盤台二丁目 | 1~4番 15~17番 |
板橋区立上板橋第三中学校 | |
5~14番 | 板橋区立上板橋小学校 | ||
18~27番 | 板橋区立上板橋第四小学校 |
交通
鉄道
バス
道路
- 国道254号(川越街道)
- 東京都道318号環状七号線(環七通り)
- 環七通りの南常盤台バス停留所から、スーパーマーケットよしや常盤台店に向かって上がる坂は、かつて旧川越街道下頭橋から天祖神社に至る脇道であったが、木立ちが生い茂り、昼間でも暗いため「暗闇坂」と呼びならわされていた。
施設
一丁目
- 板橋区立上板橋第一中学校
- よしや常盤台店:出店前は緑屋が営業していた。
- 板橋南常盤台郵便局
二丁目
- 天祖神社
- 板橋消防署常盤台出張所