「大谷口北町」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
tmpの修正、小・中学校の学区、世帯数と人口の追加 |
m cewbot: ウィキ文法修正 104: Unbalanced quotes in ref name |
||
57行目: | 57行目: | ||
== 小・中学校の学区 == |
== 小・中学校の学区 == |
||
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name=" |
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html|title=板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内|publisher=板橋区|date=2017-07-31|accessdate=2017-12-11}}</ref>。 |
||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
!番地!!小学校!!中学校 |
!番地!!小学校!!中学校 |
2017年12月29日 (金) 00:34時点における版
大谷口北町 | |
---|---|
大谷口北町こどもの池 | |
北緯35度44分57.63秒 東経139度41分17.56秒 / 北緯35.7493417度 東経139.6882111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 板橋区 |
地域 | 上板橋地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.266 km2 |
人口 | |
• 合計 | 6,009人 |
• 密度 | 23,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
173-0031[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
大谷口北町(おおやぐちきたちょう)は、東京都板橋区の町名[4]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0031[2]。
地理
東京都板橋区の南部に位置し、町域の北西辺を石神井川が流れる。北東辺は国道で画す。北は石神井川を隔てて対岸に東山町、北東は弥生町、東は大谷口上町、南は一部で大谷口および向原、西は小茂根に隣接する。
歴史
当該エリアは上板橋村の小名であった大谷口の一部であり1871年(明治4年)11月14日に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1932年時点では板橋区大谷口町の一部であった。1971年(昭和46年)に大谷口町から分かれて大谷口北町が成立、住居表示が実施された。
この節の加筆が望まれています。 |
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大谷口北町 | 3,126世帯 | 6,009人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~5番 9~15番 44~48番 |
板橋区立大谷口小学校 | 板橋区立上板橋第一中学校 |
6~8番 16~43番 49~90番 |
板橋区立上板橋第二中学校 |
交通
鉄道
バス
- 国際興業バス
- 板橋区ではコミュニティバスの構想があり、大谷口北町も検討地域に含まれているが、未だ板橋区議会で議論中であり、運行開始の目途は立っていない。
道路・橋梁
施設
- 商業施設・商店街
- 入浴施設
かつて政の湯、宮の下湯があったが何れも現在では廃業しているため、東新町一丁目の富の湯または大谷口上町の第二富士の湯の何れかを利用する必要がある。
史跡
この節の加筆が望まれています。 |