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== 政策・主張 ==
== 政策・主張 ==
* [[2003年]]、[[静岡空港]]の建設に反対する署名運動に名を連ねた<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2003年]]、[[静岡空港]]の建設に反対する署名運動に名を連ねた<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[在日米軍]]による[[V-22_(航空機)|オスプレイ]]の日本への配備に反対し、日本共産党内に設置されたオスプレイ配備対策運動本部の本部長を務めている<ref>[http://jcpakamine.jugem.jp/?eid=1578 オスプレイ 防衛省 「違反ない」 赤嶺氏「315件の飛行で違反」 | 赤嶺政賢トピックス]</ref>。
* [[在日米軍]]による[[V-22_(航空機)|オスプレイ]]の日本への配備に反対し、日本共産党内に設置されたオスプレイ配備対策運動本部の本部長を務めている<ref>[http://jcpakamine.jugem.jp/?eid=1578 オスプレイ 防衛省 「違反ない」 赤嶺氏「315件の飛行で違反」 | 赤嶺政賢トピックス]</ref>。
* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/242418 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」]、西日本新聞、2016年4月30日。</ref><ref>選択夫婦別姓アンケート、mネット、2014年</ref><ref>第166回国会 請願1272号</ref>。
* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/242418 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」]、西日本新聞、2016年4月30日。</ref><ref>選択夫婦別姓アンケート、mネット、2014年</ref><ref>第166回国会 請願1272号</ref>。

2017年9月4日 (月) 21:11時点における版

赤嶺 政賢
あかみね せいけん
生年月日 (1947-12-18) 1947年12月18日(76歳)
出生地 日本の旗 沖縄県那覇市
出身校 東京教育大学文学部
前職 那覇市議会議員
現職 日本共産党沖縄県委員長
日本共産党幹部委員会委員
所属政党 日本共産党
称号 文学士
教育職員免許高等学校
公式サイト 日本共産党衆議院議員 赤嶺政賢のホームページ

選挙区比例九州ブロック→)
沖縄1区
当選回数 6回
在任期間 2000年6月25日 - 現職

当選回数 3回
在任期間 1985年 - 1997年
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赤嶺 政賢(あかみね せいけん、1947年12月18日 - )は、日本政治家日本共産党所属の衆議院議員(6期)。元那覇市議会議員(3期)。

来歴

沖縄県那覇市の農家に生まれる。那覇市立高良小学校、那覇市立小禄中学校、沖縄県立那覇高等学校東京教育大学(現筑波大学文学部卒業。東京教育大学在学中の1967年日本共産党に入党[1]

1971年、東京教育大学を卒業。沖縄県石垣市沖縄県立八重山高等学校沖縄県立八重山商工高等学校で教師を務める。

1985年那覇市議会議員選挙に出馬し、初当選。那覇市議会議員を3期務めた後、2000年第42回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で沖縄1区から出馬。沖縄1区では公明党前職の白保台一に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、当選[2]

2003年第43回衆議院議員総選挙では、沖縄1区で再び白保に敗れ、得票数は無所属下地幹郎民主党の島尻昇をも下回る最下位であったが、比例復活により再選。2005年第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風が吹く中無所属の下地が公明党の白保を破って沖縄1区で当選し、得票数3位の赤嶺は比例復活により3選。

第45回衆議院議員総選挙では比例九州ブロック単独で出馬し、4選。日本共産党は沖縄1区で沖縄社会大衆党からも推薦を受ける新人を擁立したが、国民新党公認の下地幹郎が当選した。

2012年第46回衆議院議員総選挙では再び沖縄1区から出馬し、得票数では自由民主党國場幸之助、国民新党の下地幹郎(落選)の後塵を拝したが、比例九州ブロックで復活し、5選。

2014年第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が推薦する「オール沖縄」の候補として沖縄1区から出馬。社会民主党生活の党沖縄社会大衆党緑の党、そして基地の県内移設に反対して自民党を除名された「新風会」の支援を受け、國場幸之助、下地幹郎を破り小選挙区で初当選し、6選。日本共産党が小選挙区で議席を獲得するのは第41回衆議院議員総選挙以来18年ぶりである[3]

イラク戦争に関する発言

イラク戦争に関し、国会での質問で「党は米軍自衛隊イラクから撤退させろと主張しているわけではない」と発言し、国会対策委員会名義で「党の見解とは著しく異なる発言である」として訂正させられた[4]

政策・主張

所属団体・議員連盟

脚注

外部リンク