「稲葉大和」の版間の差分
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2017年9月4日 (月) 18:27時点における版
稲葉 大和 いなば やまと | |
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生年月日 | 1943年11月12日(81歳) |
出生地 | 東京都神田区(現・東京都千代田区) |
出身校 | 中央大学 |
所属政党 | 自由民主党(山崎派) |
称号 | 法学士 |
親族 | 父・稲葉修(元衆議院議員・元法務大臣) |
選挙区 |
(旧新潟2区→) 新潟3区 |
当選回数 | 5回 |
稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 ‐ )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。
概要
東京都神田区(現在の千代田区)生まれ。駒場東邦高校を経て、1966年、中央大学法学部を卒業し、父・稲葉修衆院議員秘書となる。その後、木部佳昭建設大臣秘書を経て、1990年に旧新潟2区から父の地盤を継いで第39回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。
渡辺美智雄の秘書を務めた後、1993年に再び第40回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に安倍晋三・野田佳彦・高市早苗・岸田文雄・塩崎恭久・石井啓一・茂木敏充・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・など)。渡辺派に属す。以後、連続5期当選。科学技術政務次官、文部科学副大臣などを歴任。
1997年、佐藤孝行の入閣問題で、佐藤の入閣を強く後押しした派閥オーナーの中曽根康弘らを批判し、所属する旧渡辺派を脱会した。ちなみに、父・修はロッキード事件で佐藤逮捕時に三木内閣の法務大臣を務めていた。1998年、旧渡辺派の流れを汲む山崎派結成に参加。2000年の加藤の乱で、森内閣不信任決議に対して山崎派が欠席する方針を示した際、現職閣僚で身動きの取れなかった保岡興治を除き、山崎派で唯一本会議に出席して森内閣に信任票を投じた。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で民主党の黒岩宇洋に敗れ、比例でも届かず落選した。
所属していた主な団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会
- 日本教職員組合問題究明議員連盟
- 日本人妻等自由往来促進議員連盟(会長)
関連項目
外部リンク
- 元衆議院議員いなば大和 - 閉鎖。(2010年5月28日時点のアーカイブ)
- いなば大和のきまぐれブログ
議会 | ||
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先代 山岡賢次 |
衆議院農林水産委員長 2005年 - 2006年 |
次代 西川公也 |
公職 | ||
先代 原田義昭 宮本一三 |
文部科学副大臣 原田義昭、小野晋也と共同 2004年 |
次代 小島敏男 塩谷立 |