「デレク・リー」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
144行目: | 144行目: | ||
== プロジェクト3000 == |
== プロジェクト3000 == |
||
2006年シーズン終盤に、娘のジャーダが[[レーバー先天性黒内障]]を患ったことで失明の危機にあることが判明し、残り13試合を全て欠場した<ref>[http://web.archive.org/web/20061114010846/http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/benchi/archive/news/2006/20060919ddm035050161000c.html 米大リーグ 奇跡祈り グッバイ、リー] - MSN毎日インタラクティブ 2006年9月19日(2006年11月14日時点の[[インターネット |
2006年シーズン終盤に、娘のジャーダが[[レーバー先天性黒内障]]を患ったことで失明の危機にあることが判明し、残り13試合を全て欠場した<ref>[http://web.archive.org/web/20061114010846/http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/benchi/archive/news/2006/20060919ddm035050161000c.html 米大リーグ 奇跡祈り グッバイ、リー] - MSN毎日インタラクティブ 2006年9月19日(2006年11月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。その後、[[NBA]][[ボストン・セルティックス]]の共同オーナーを務める[[:en:Wycliffe Grousbeck|Wycliffe Grousbeck]]らとともに、同病を根絶させるための "プロジェクト3000" という慈善事業を立ち上げた。当時のチームメイトである[[マイケル・バレット]]は50,000ドル+1[[本塁打]]につき10,000ドルの寄付を<ref>Carrie Muskat / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070302&content_id=1822403&vkey=spt2007news&fext=.jsp Cubs' Barrett donates to Lee's charity / 'Swinging for Sight' campaign helps Project 3000 fight LCA]," ''MLB.com'', March 2, 2007. 2009年9月19日閲覧。</ref>、[[ライアン・デンプスター]]も50,000ドル+1[[セーブ]]につき1,000ドルの寄付を<ref>Carrie Muskat / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070314&content_id=1842830&vkey=spt2007news&fext=.jsp Saving grace: Dempster teams with Lee / Closer gives $50,000 to Project 3000, plus $1,000 for each save]," ''MLB.com'', March 14, 2007. 2009年9月19日閲覧。</ref>、それぞれ発表してリーに協力している。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2017年9月4日 (月) 16:43時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州サクラメント |
生年月日 | 1975年9月6日(49歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 240 lb =約108.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1994年 MLBドラフト1巡目(全体14位)でサンディエゴ・パドレスから指名 |
初出場 | 1997年4月28日 |
最終出場 | 2011年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国 |
WBC | 2006年 |
この表について
|
デレク・レオン・リー(Derrek Leon Lee, 1975年9月6日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント出身の元野球選手。一塁手、右投右打。
父親は日本プロ野球でも活躍したレオン・リー、伯父はレロン・リーである。
経歴
子供のころは、日本プロ野球ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)等で活躍した父親と一緒に10年ほど日本に住んでいた。東京都世田谷区および神奈川県横浜市のインターナショナル・スクールに通いながら暮らし[1]、ロッテの本拠地・川崎球場で球団関係者と鬼ごっこするなど遊んでいた[2]。その後アメリカ合衆国に戻り、カリフォルニア州サクラメントのEl Camino Fundamental High School に進学。バスケットボールに熱中していたこともあったが、それでも家に帰れば父と一緒に野球の打撃練習をしていたという[3]。
サンディエゴ・パドレス、フロリダ・マーリンズ
1994年のドラフトでサンディエゴ・パドレスから1巡目(全体14位)指名され入団。1995年・1996年と2年連続でパドレス傘下マイナーリーグの最優秀選手に選出された。特に1996年はAA級サザンリーグでも最優秀選手に選出されており、『ベースボール・アメリカ』の有望株ランキングでもアンドリュー・ジョーンズに次ぐ2位となった[4]。
1997年4月28日にマーリンズ戦でメジャーデビューを果たす。同日から5月12日までメジャーに在籍し、その後一旦はマイナーに降格されたが9月2日に再昇格[5]。計22試合に出場し打率.259という成績を残した。シーズン終了後の12月、ケビン・ブラウンとのトレードで他2選手とともに、デビュー戦の相手だったフロリダ・マーリンズ(現:マイアミ・マーリンズ)に移籍。以後6年間在籍することとなる。
移籍1年目の1998年は17本塁打・74打点を記録。新人王受賞資格を持つ選手の中では、打点はリーグ2位、本塁打は同3位の好成績だった[6]。続く1999年は試合出場数が70にとどまったが、2000年には158試合に出場して打率.281・28本塁打・70打点を記録した。2002年には球団史上2人目となる全試合出場を達成し[7]、打率.270・27本塁打・86打点という成績を残した。
2003年にはチームの中軸として、自身初となる30本塁打・20盗塁を記録。この年にこれを達成したのは、リーの他にはアルフォンソ・ソリアーノしかいない[8]。マーリンズはワイルドカードとしてポストシーズンに進出し、ワールドシリーズに出場。同シリーズでもヤンキースを4勝2敗で下し、世界一となった。リーはリーグ優勝決定戦で打率.188・OPS.579、ワールドシリーズでは打率.208・OPS.448と不振に陥ったが、自身初の世界一を経験したうえ、シーズン終了後にはゴールドグラブ賞も初めて受賞した。
しかしその後、低予算球団のマーリンズは年俸総額削減のためにリーをトレードでシカゴ・カブスに放出した。リーは移籍直後、カブスと3年総額2,250万ドルという新たな契約を結んだ[4]。
シカゴ・カブス
移籍1年目の2004年は開幕直後からスランプに陥り、3・4月の月間打率が.233と低迷したため「(トレード相手の)崔煕渉のままの方がよかった」という声も出たが、次第に調子を上げて雑音を封じた[9]。シーズン終了時には、本塁打は2年連続で30の大台を上回り、自己最高となる39二塁打・98打点をマークしていた。2005年は前年から一転して開幕から好調。4月の月間MVPに選出され、4月・6月は4割を上回る月間打率を記録。オールスターにも初めて選出された。最終的には打率.335で首位打者のタイトルを獲得し、二塁打もリーグ最多の50本を記録。シルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞を同時受賞した。MVP投票でも3位になった。
翌2006年3月には、国際大会の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にアメリカ合衆国代表の一員として出場。2次リーグの日本戦で清水直行から同点の2点本塁打を放つなど[10]、4試合で3本塁打・8打点の活躍を見せた。WBCが終了しMLBレギュラーシーズンも開幕していた4月11日には、この年が最終年になっていた契約を破棄した上で新たに5年総額6,500万ドルの大型契約をカブスと締結している[11]。しかし、その2週間後のドジャース戦でラファエル・ファーカルと衝突し、手首を骨折。長期欠場を余儀なくされ、この年の成績は打率.286・8本塁打・30打点に終わった。
2007年には150試合に出場し、2度目の打率3割を記録するなど復調。オールスターにも2度目の選出を果たすなど活躍した。ただ1番・2番の打者がチャンスメーカーとして機能しなかったため、得点圏打率.364とチャンスでよく打ったにもかかわらず打点は82にとどまっている[12]。2008年は前年を超える90打点を挙げたが、7月以降は本塁打をわずか5本しか放てず、シーズン通算でも20本に終わった。2009年は4年ぶりの30本塁打・100打点を記録。OPS.972もリーグ4位と、2005年以来の打撃好調なシーズンとなった。
アトランタ・ブレーブス
5年契約最終年の2010年、7月20日の時点で43勝52敗と負け越していたカブスはリーのトレード交渉を進めた。結果、ケンドリー・モラレスを故障で欠き一塁手の補強を目指していたロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとカブスとの間でトレードが合意に達する。ところがこれをリーが承諾しなかったため、トレードは成立せずに終わった。エンゼルスへの移籍を断った理由についてリーは「家族も僕もシカゴの街が気に入ってるし、チームメイトにも恵まれてるから」と説明した[13]。それでもカブスは他球団との交渉を継続させ、8月18日に今度はマイナー3投手との交換でアトランタ・ブレーブスと取引成立。今度はリーも「シーズンが残り6週間の時点でブレーブスは(ナショナルリーグ東地区)首位にいる。彼らのプレイぶりは素晴らしい」と移籍を受け入れた[14]。
ブレーブスでは39試合で打率.287・OPS.849と、カブスにいたときより打撃成績を向上させた。チームは順位を1つ落としたものの、ワイルドカードで5年ぶりのポストシーズン進出を決める。だがジャイアンツとの地区シリーズに1勝3敗で敗れ、ワールドシリーズまで進むことはできず。リーもティム・リンスカムらジャイアンツ強力投手陣の前に、第2戦を除く3試合で無安打に封じ込まれた。
ボルチモア・オリオールズ
シーズン終了後にFAとなり、2011年1月6日にボルチモア・オリオールズと1年725万ドルで契約[15]。前年のチーム総得点がアメリカンリーグ14球団中13位という少なさだったオリオールズは、リーのほかにもブラディミール・ゲレーロやマーク・レイノルズらを補強して打線の強化を目指した。しかしこの年、リーは前半戦終了時点で70試合に出場しながら打率.235・9本塁打・28打点・OPS.666と低調で、オリオールズもその時点で36勝52敗の東地区最下位だった。
ピッツバーグ・パイレーツ
7月30日、オリオールズがテキサス・レンジャーズからクリス・デイビスを獲得すると、同じ一塁手のリーはデイヴィスに押し出される形でピッツバーグ・パイレーツへトレードされることになった[16]。オフにFAに。
その後、2012年は、FAのままどこの球団にも所属しなかった。2013年に現役引退を発表した。
その他
スコット・ローレンやデレク・ジーターらと共に、ベースランニングのうまい選手でもある[17]。守備面では、ゴールドグラブ賞を3度獲得している。
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | SD | 22 | 63 | 54 | 9 | 14 | 3 | 0 | 1 | 20 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 24 | 1 | .259 | .365 | .370 | .735 |
1998 | FLA | 141 | 513 | 454 | 62 | 106 | 29 | 1 | 17 | 188 | 74 | 5 | 2 | 0 | 2 | 47 | 1 | 10 | 120 | 12 | .233 | .318 | .414 | .732 |
1999 | 70 | 236 | 218 | 21 | 45 | 9 | 1 | 5 | 71 | 20 | 2 | 1 | 0 | 1 | 17 | 1 | 0 | 70 | 3 | .206 | .263 | .326 | .589 | |
2000 | 158 | 546 | 477 | 70 | 134 | 18 | 3 | 28 | 242 | 70 | 0 | 3 | 0 | 2 | 63 | 6 | 4 | 123 | 14 | .281 | .368 | .507 | .875 | |
2001 | 158 | 625 | 561 | 83 | 158 | 37 | 4 | 21 | 266 | 75 | 4 | 2 | 0 | 6 | 50 | 1 | 8 | 126 | 18 | .282 | .346 | .474 | .820 | |
2002 | 162 | 688 | 581 | 95 | 157 | 35 | 7 | 27 | 287 | 86 | 19 | 9 | 0 | 4 | 98 | 8 | 5 | 164 | 14 | .270 | .378 | .494 | .872 | |
2003 | 155 | 643 | 539 | 91 | 146 | 31 | 2 | 31 | 274 | 92 | 21 | 8 | 0 | 6 | 88 | 7 | 10 | 131 | 9 | .271 | .379 | .508 | .887 | |
2004 | CHC | 161 | 688 | 605 | 90 | 168 | 39 | 1 | 32 | 305 | 98 | 12 | 5 | 2 | 5 | 68 | 4 | 8 | 128 | 14 | .278 | .356 | .504 | .860 |
2005 | 158 | 691 | 594 | 120 | 199 | 50 | 3 | 46 | 393 | 107 | 15 | 3 | 0 | 7 | 85 | 23 | 5 | 109 | 12 | .335 | .418 | .662 | 1.080 | |
2006 | 50 | 204 | 175 | 30 | 50 | 9 | 0 | 8 | 83 | 30 | 8 | 4 | 0 | 4 | 25 | 1 | 0 | 41 | 11 | .286 | .368 | .474 | .842 | |
2007 | 150 | 650 | 567 | 91 | 180 | 43 | 1 | 22 | 291 | 82 | 6 | 5 | 0 | 3 | 71 | 8 | 9 | 114 | 15 | .317 | .400 | .513 | .913 | |
2008 | 155 | 698 | 623 | 93 | 181 | 41 | 3 | 20 | 288 | 90 | 8 | 2 | 0 | 4 | 71 | 3 | 0 | 119 | 27 | .291 | .361 | .462 | .823 | |
2009 | 141 | 615 | 532 | 91 | 163 | 36 | 2 | 35 | 308 | 111 | 1 | 0 | 0 | 4 | 76 | 6 | 3 | 109 | 12 | .306 | .393 | .579 | .972 | |
2010 | 109 | 475 | 418 | 63 | 105 | 21 | 0 | 16 | 174 | 56 | 1 | 3 | 0 | 3 | 52 | 1 | 2 | 101 | 16 | .251 | .335 | .416 | .751 | |
ATL | 39 | 151 | 129 | 17 | 37 | 14 | 0 | 3 | 130 | 24 | 0 | 0 | 0 | 1 | 21 | 0 | 0 | 33 | 7 | .287 | .384 | .465 | .849 | |
'10計 | 148 | 626 | 547 | 80 | 142 | 35 | 0 | 19 | 234 | 80 | 1 | 3 | 0 | 4 | 73 | 1 | 2 | 134 | 23 | .260 | .347 | .428 | .774 | |
2011 | BAL | 85 | 364 | 334 | 39 | 82 | 15 | 1 | 12 | 135 | 41 | 2 | 1 | 0 | 2 | 25 | 2 | 3 | 83 | 13 | .246 | .302 | .404 | .706 |
PIT | 28 | 113 | 101 | 16 | 34 | 2 | 1 | 7 | 59 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 3 | 27 | 1 | .337 | .398 | .584 | .982 | |
'11計 | 113 | 477 | 435 | 55 | 116 | 17 | 2 | 19 | 194 | 59 | 2 | 1 | 0 | 3 | 33 | 2 | 6 | 110 | 14 | .267 | .325 | .446 | .771 | |
通算:15年 | 1942 | 7963 | 6962 | 1081 | 1959 | 432 | 30 | 331 | 3444 | 1078 | 104 | 48 | 2 | 55 | 874 | 72 | 70 | 1622 | 199 | .281 | .365 | .495 | .859 |
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰
- ナショナルリーグ首位打者 1回:2005年
- ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 3回:2003年、2005年、2007年
- ナショナルリーグ シルバースラッガー賞 1回:2005年
- オールスターゲーム選出 2回:2005年、2007年
プロジェクト3000
2006年シーズン終盤に、娘のジャーダがレーバー先天性黒内障を患ったことで失明の危機にあることが判明し、残り13試合を全て欠場した[18]。その後、NBAボストン・セルティックスの共同オーナーを務めるWycliffe Grousbeckらとともに、同病を根絶させるための "プロジェクト3000" という慈善事業を立ち上げた。当時のチームメイトであるマイケル・バレットは50,000ドル+1本塁打につき10,000ドルの寄付を[19]、ライアン・デンプスターも50,000ドル+1セーブにつき1,000ドルの寄付を[20]、それぞれ発表してリーに協力している。
脚注
- ^ 瀬戸口仁 「勤勉の果ての栄光 レオン&デレク・リー親子」 『All About』、2008年4月2日。2009年10月10日閲覧。
- ^ 鉄矢多美子 「鉄矢多美子『Field of Dreams』第238幕 デリック・リーの家族…懐かしい顔との再会」 『nikkanports.com』、2009年9月28日。2009年10月10日閲覧。
- ^ 阿部寛子 「インタビュー/父と伯父は日本で活躍 開花した遺伝子 デレク・リー[カブス]」 『月刊スラッガー』2005年8月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-8、42-43頁。
- ^ a b "Derrek Lee Biography," JockBio.com. 2009年9月19日閲覧。
- ^ "1997 Career Highlights," cubs.com. 2009年9月19日閲覧。
- ^ "1998 Career Highlights," cubs.com. 2009年9月19日閲覧。
- ^ "2002 Career Highlights," cubs.com. 2009年9月19日閲覧。
- ^ "2003 Career Highlights," cubs.com. 2009年9月19日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、334頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3。
- ^ Barry M. Bloom / MLB.com, "A-Rod lifts USA past Japan / Clutch hit in bottom of ninth delivers dramatic victory," MLB.com, March 13, 2006. 2011年7月31日閲覧。
- ^ ESPN.com news services, "Derrek Lee agrees to new five-year, $65M deal," ESPN.com, April 11, 2006. 2009年9月19日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、324頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ Bruce Levine, "Derrek Lee to remain a Cub," ESPN Chicago, July 28, 2010. 2011年7月31日閲覧。
- ^ Bruce Levine, "Cubs trade Derrek Lee to Braves," ESPN Chicago, August 19, 2010. 2011年7月31日閲覧。
- ^ Associated Press, "Derrek Lee signs with Orioles," ESPN.com, January 6, 2011. 2011年7月31日閲覧。
- ^ Jenifer Langosch / MLB.com, "Pirates acquire first baseman Lee from Orioles," MLB.com, July 31, 2011. 2011年7月31日閲覧。
- ^ 「スカウト部長が選ぶ スペシャリスト部門別ランキング」 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、42-43頁。
- ^ 米大リーグ 奇跡祈り グッバイ、リー - MSN毎日インタラクティブ 2006年9月19日(2006年11月14日時点のアーカイブ)
- ^ Carrie Muskat / MLB.com, "Cubs' Barrett donates to Lee's charity / 'Swinging for Sight' campaign helps Project 3000 fight LCA," MLB.com, March 2, 2007. 2009年9月19日閲覧。
- ^ Carrie Muskat / MLB.com, "Saving grace: Dempster teams with Lee / Closer gives $50,000 to Project 3000, plus $1,000 for each save," MLB.com, March 14, 2007. 2009年9月19日閲覧。
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Project3000(英語)