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怪我が癒えた2009年シーズンも序盤はサブメンバーであったが、相次ぐ主力の怪我によりスタメンでの試合出場機会が多くなった。[[ランコ・ポポヴィッチ]]監督就任以降は、それまでのレギュラーであった[[鈴木慎吾]]に代わり左WBとして、その後[[高橋大輔 (サッカー選手)|高橋大輔]]が左WBとなると、[[ミッドフィールダー|ボランチ]]としてレギュラー起用された。 |
怪我が癒えた2009年シーズンも序盤はサブメンバーであったが、相次ぐ主力の怪我によりスタメンでの試合出場機会が多くなった。[[ランコ・ポポヴィッチ]]監督就任以降は、それまでのレギュラーであった[[鈴木慎吾]]に代わり左WBとして、その後[[高橋大輔 (サッカー選手)|高橋大輔]]が左WBとなると、[[ミッドフィールダー|ボランチ]]としてレギュラー起用された。 |
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[[2010年]][[1月8日]]、[[セレッソ大阪]]へ期限付き移籍し<ref>[https://web.archive.org/web/20100111041649/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=2012 MF家長昭博選手 2010年シーズン セレッソ大阪へ期限付き移籍](2010年1月11日時点の[[インターネット |
[[2010年]][[1月8日]]、[[セレッソ大阪]]へ期限付き移籍し<ref>[https://web.archive.org/web/20100111041649/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=2012 MF家長昭博選手 2010年シーズン セレッソ大阪へ期限付き移籍](2010年1月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年1月8日</ref><ref>[http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10002791 ガンバ大阪 家長昭博選手 移籍加入のお知らせ] セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2010年1月8日</ref>、自身最多となるリーグ31試合4得点10アシスト<ref group="注釈">Jリーグ公式記録ではアシストを集計していない。</ref> で、C大阪のACL出場権獲得に貢献した。 |
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=== 海外移籍 === |
=== 海外移籍 === |
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2010年12月16日、G大阪から[[リーガエスパニョーラ]]の[[RCDマヨルカ]]への完全移籍が発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20131211183732/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=2747&y=2010&m=12&pageID=4 家長昭博選手 スペイン1部リーグ「RCDマジョルカ」への移籍発表記者会見](2013年12月11日時点の[[インターネット |
2010年12月16日、G大阪から[[リーガエスパニョーラ]]の[[RCDマヨルカ]]への完全移籍が発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20131211183732/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=2747&y=2010&m=12&pageID=4 家長昭博選手 スペイン1部リーグ「RCDマジョルカ」への移籍発表記者会見](2013年12月11日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年12月21日</ref><ref>[http://www.rcdmallorca.info/principal_new.php?nombreModulo=noticiasDetalle&idnoticia=29392 El RCD Mallorca formaliza el contrato de Akihiro Ienaga] Web Oficial RCD Mallorca{{Es icon}}</ref>。2015年までの複数年契約で、マヨルカとの契約解除に必要な違約金として、1800万ユーロ(約20億円)に設定された。 |
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入団からおよそ1カ月ほど、ヨーロッパ外国籍の選手保有制限により登録されなかったが、冬の移籍期間中に放出したブラジル人DFラチーニョに代わり、2011年2月1日に登録名「AKI」で登録された。5日、第22節[[CAオサスナ]]戦でトップ下で出場しリーガエスパニョーラデビューを飾り、3月13日の[[レバンテUD]]戦でトップ下として移籍後初先発を果たす。4月9日の[[セビージャFC]]戦でリーガ初得点を決めた。4月24日の[[ヘタフェ]]戦では移籍後2得点目となるヘディングシュートを決めた。6月のキリンカップでは、G大阪時代の2007年以来、約4年ぶりの代表復帰を果たした。しかし、2011-12シーズンは[[ホアキン・カパロス]]監督の構想外となり、前半戦のリーグ戦出場はわずか4試合にとどまった。 |
入団からおよそ1カ月ほど、ヨーロッパ外国籍の選手保有制限により登録されなかったが、冬の移籍期間中に放出したブラジル人DFラチーニョに代わり、2011年2月1日に登録名「AKI」で登録された。5日、第22節[[CAオサスナ]]戦でトップ下で出場しリーガエスパニョーラデビューを飾り、3月13日の[[レバンテUD]]戦でトップ下として移籍後初先発を果たす。4月9日の[[セビージャFC]]戦でリーガ初得点を決めた。4月24日の[[ヘタフェ]]戦では移籍後2得点目となるヘディングシュートを決めた。6月のキリンカップでは、G大阪時代の2007年以来、約4年ぶりの代表復帰を果たした。しかし、2011-12シーズンは[[ホアキン・カパロス]]監督の構想外となり、前半戦のリーグ戦出場はわずか4試合にとどまった。 |
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2012年2月、出場機会を求め[[Kリーグ]]・[[蔚山現代FC]]へ1年間の期限付き移籍。登録名は引き続き「아키」(アキ)となった。しかし、蔚山ではあまり出場機会を得られなかった。 |
2012年2月、出場機会を求め[[Kリーグ]]・[[蔚山現代FC]]へ1年間の期限付き移籍。登録名は引き続き「아키」(アキ)となった。しかし、蔚山ではあまり出場機会を得られなかった。 |
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2012年7月30日、古巣のG大阪へ期限付き移籍<ref>[https://web.archive.org/web/20120802033700/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=4109 MF家長昭博選手 蔚山現代(韓国)より期限付き移籍加入のお知らせ](2012年8月2日時点の[[インターネット |
2012年7月30日、古巣のG大阪へ期限付き移籍<ref>[https://web.archive.org/web/20120802033700/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=4109 MF家長昭博選手 蔚山現代(韓国)より期限付き移籍加入のお知らせ](2012年8月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012年7月30日</ref>。加入当初は、途中出場がほとんどであったが、シーズン終盤はスタメン起用され途中加入ながらG大阪在籍シーズンでは最多の得点を記録した。しかしチームは成績不振で史上初のJ2降格となってしまった。 |
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2013年、複数のJ1クラブからオファーが届いたがG大阪と契約を延長した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/10/kiji/K20130110004945520.html 家長 G大阪と6月末までの契約延長で合意] スポニチ、2013年1月10日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20130129224406/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=4536 MF 家長 昭博選手 期限付き移籍延長のお知らせ](2013年1月29日時点の[[インターネット |
2013年、複数のJ1クラブからオファーが届いたがG大阪と契約を延長した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/01/10/kiji/K20130110004945520.html 家長 G大阪と6月末までの契約延長で合意] スポニチ、2013年1月10日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20130129224406/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=4536 MF 家長 昭博選手 期限付き移籍延長のお知らせ](2013年1月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月21日</ref>。2013年6月、期限付き移籍満了により退団した。 |
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2013年7月、約1年半ぶりにマヨルカに復帰したが、特筆すべき活躍はできなかった。 |
2013年7月、約1年半ぶりにマヨルカに復帰したが、特筆すべき活躍はできなかった。 |
2017年9月4日 (月) 16:39時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | アキ | |||||
カタカナ | イエナガ アキヒロ | |||||
ラテン文字 | IENAGA Akihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年6月13日(38歳) | |||||
出身地 | 京都府長岡京市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 川崎フロンターレ | |||||
ポジション | MF (SH,OH) / FW (WG,ST) | |||||
背番号 | 41 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1998 | 長岡京サッカースポーツ少年団[1] | |||||
1999-2003 | ガンバ大阪ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2010 | ガンバ大阪 | 87 | (5) | |||
2008-2009 | →大分トリニータ (loan) | 30 | (1) | |||
2010 | →セレッソ大阪 (loan) | 31 | (4) | |||
2011-2013 | RCDマヨルカ | 25 | (2) | |||
2012 | →蔚山現代FC (loan) | 12 | (1) | |||
2012-2013 | →ガンバ大阪 (loan) | 29 | (6) | |||
2014-2016 | 大宮アルディージャ | 92 | (28) | |||
2017- | 川崎フロンターレ | |||||
代表歴2 | ||||||
2005 | 日本 U-20 | 4 | (0) | |||
2006-2007 | 日本 U-23 | 10 | (1) | |||
2007-2011 | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月6日現在。 2. 2011年8月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
家長 昭博(いえなが あきひろ、1986年6月13日 - )は、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。
来歴
プロ入り前
地元長岡京市の長岡京サッカースポーツ少年団からガンバ大阪ジュニアユースに入団。ガンバ大阪ユースチームではエースとして活躍し、高校2年時にトップ昇格、高校3年時には完全にユースを卒業し、2004年7月にガンバ大阪とプロ契約を結ぶ。同年6月26日のアルビレックス新潟戦でJリーグ史上初となる2種登録選手によるデビュー戦初得点を挙げた。
ガンバ大阪
当時のオシム日本代表監督からA代表に選ばれるほどの才能を持ちながらも、G大阪では遠藤保仁や二川孝広らの牙城を崩せずなかなか定位置をつかめずにいた。2008年に出場機会を求めて大分トリニータへ期限付き移籍したが、2008年2月、実戦形式の練習中、右膝前十字靭帯損傷により全治6ヶ月の重傷を負った。同年12月、入団テストを兼ねてイングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部リーグ)のプリマス・アーガイルFCの練習に約2週間参加。クラブ首脳陣から高い評価を受け獲得を検討されたが、翌2009年1月に労働許可証取得の申請が却下され、プリマスへの移籍は消滅[2] したので、大分へのレンタル期間を1年間延長した。
怪我が癒えた2009年シーズンも序盤はサブメンバーであったが、相次ぐ主力の怪我によりスタメンでの試合出場機会が多くなった。ランコ・ポポヴィッチ監督就任以降は、それまでのレギュラーであった鈴木慎吾に代わり左WBとして、その後高橋大輔が左WBとなると、ボランチとしてレギュラー起用された。
2010年1月8日、セレッソ大阪へ期限付き移籍し[3][4]、自身最多となるリーグ31試合4得点10アシスト[注釈 1] で、C大阪のACL出場権獲得に貢献した。
海外移籍
2010年12月16日、G大阪からリーガエスパニョーラのRCDマヨルカへの完全移籍が発表された[5][6]。2015年までの複数年契約で、マヨルカとの契約解除に必要な違約金として、1800万ユーロ(約20億円)に設定された。
入団からおよそ1カ月ほど、ヨーロッパ外国籍の選手保有制限により登録されなかったが、冬の移籍期間中に放出したブラジル人DFラチーニョに代わり、2011年2月1日に登録名「AKI」で登録された。5日、第22節CAオサスナ戦でトップ下で出場しリーガエスパニョーラデビューを飾り、3月13日のレバンテUD戦でトップ下として移籍後初先発を果たす。4月9日のセビージャFC戦でリーガ初得点を決めた。4月24日のヘタフェ戦では移籍後2得点目となるヘディングシュートを決めた。6月のキリンカップでは、G大阪時代の2007年以来、約4年ぶりの代表復帰を果たした。しかし、2011-12シーズンはホアキン・カパロス監督の構想外となり、前半戦のリーグ戦出場はわずか4試合にとどまった。
2012年2月、出場機会を求めKリーグ・蔚山現代FCへ1年間の期限付き移籍。登録名は引き続き「아키」(アキ)となった。しかし、蔚山ではあまり出場機会を得られなかった。
2012年7月30日、古巣のG大阪へ期限付き移籍[7]。加入当初は、途中出場がほとんどであったが、シーズン終盤はスタメン起用され途中加入ながらG大阪在籍シーズンでは最多の得点を記録した。しかしチームは成績不振で史上初のJ2降格となってしまった。
2013年、複数のJ1クラブからオファーが届いたがG大阪と契約を延長した[8][9]。2013年6月、期限付き移籍満了により退団した。
2013年7月、約1年半ぶりにマヨルカに復帰したが、特筆すべき活躍はできなかった。
大宮アルディージャ
2014年1月、大宮アルディージャへ完全移籍[10]。J1序盤戦はゴールを量産し、第3節川崎戦であげた加入後初のゴールは、J1通算17,500ゴールとなった。
シーズン中盤以降はゲームキャプテンを任されるなど移籍1年目にして存在感を見せたが、それと反比例するようにチームは降格圏に低迷。終盤も低調なチームの中で気を吐いたが状況は変わらず。チームはJ2リーグへ降格することとなった。
シーズン終了後、ヴィッセル神戸や古巣のG大阪などが獲得に動いたが大宮と契約を延長した。
2015年はガンバ所属の2013年以来2年ぶりにJ2の舞台で戦うこととなったが、攻守の要としてチーム2位の11得点を挙げた。 第29節のアウェイ愛媛戦においてスポンサー看板を蹴ったことで2試合の出場停止を受けたこともあったが、同年の6月と7月にはJリーグ月間MVPを史上初めて2カ月連続で獲得している。 勝利で自力優勝が決まるホーム最終戦の第41節大分戦では、0-2のビハインドから後半にドラガン・ムルジャの2得点、並びに家長自身のPKにより逆転し、クラブ初となるJ2優勝のタイトル獲得に貢献した。
2016年もチームに残留。シーズン中盤は故障に悩むも、引き続きチームの攻守の要となり、J1で2桁得点を記録したチーム初の日本人選手となった。
川崎フロンターレ
2017年、川崎フロンターレに完全移籍で加入。シーズン開始前の怪我で出遅れたものの、7月12日、天皇杯3回戦のザスパクサツ群馬戦でヘディングによる移籍後初得点を決めた。8月13日、第22節の鹿島アントラーズ戦でリーグ戦初得点を決めた。
人物
ガンバ大阪ユースの出身で、若くから期待を寄せられ「天才」の名を欲しいままにしていた。ユースチーム在籍中にトップ昇格を果たしている。ユース在籍中の昇格は稲本潤一、新井場徹に次いでクラブ史上3人目。
本田圭佑、東口順昭とはG大阪ジュニアユース時代の同期。本田とは小学校時代に対戦し、一緒にプレーしたいと思ったことがG大阪ジュニアユース入りを選んだ理由と話している。2人は共に攻撃的なポジションの選手であり、生年月日と利き足が同じである。1年後輩に当たる安田理大のブログによれば、G大阪ジュニアユース時代の家長と本田はよく喧嘩をしていたとのこと[11]。
家族構成は、雑誌の専属モデルでもある妻 ・長男・次男。猫のジェンバ・ジェンバ[12]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 1993年 - 1998年 長岡京サッカースポーツ少年団 (長岡京市立長岡第五小学校)
- 1999年 - 2001年 ガンバ大阪ジュニアユース (長岡京市立長岡第四中学校)
- 2002年 - 2004年 ガンバ大阪ユース (金光大阪高等学校→向陽台高等学校)
- プロ経歴
- 2004年 - 2010年 ガンバ大阪
- 2011年 - 2014年1月 RCDマヨルカ
- 2012年2月 - 同年7月 蔚山現代FC (レンタル移籍)
- 2012年7月 - 2013年6月 ガンバ大阪 (レンタル移籍)
- 2014年 - 2016年 大宮アルディージャ
- 2017年 - 川崎フロンターレ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | G大阪 | 28 | J1 | 8 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 13 | 1 |
2005 | 14 | 24 | 0 | 5 | 1 | 3 | 0 | 32 | 1 | ||
2006 | 28 | 2 | 2 | 0 | 4 | 2 | 34 | 4 | |||
2007 | 8 | 27 | 2 | 7 | 1 | 3 | 0 | 37 | 3 | ||
2008 | 大分 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | |
2009 | 26 | 1 | 6 | 2 | 1 | 0 | 33 | 3 | |||
2010 | C大阪 | 31 | 4 | 6 | 0 | 3 | 0 | 40 | 4 | ||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010-11 | マヨルカ | 14 | プリメーラ | 14 | 2 | - | - | 14 | 2 | ||
2011-12 | 4 | 0 | 1 | 0 | - | 5 | 0 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 蔚山現代 | 28 | Kリーグ | 12 | 1 | - | 2 | 0 | 14 | 1 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | G大阪 | 41 | J1 | 12 | 5 | 1 | 0 | 6 | 1 | 19 | 6 |
2013 | J2 | 17 | 1 | - | - | 17 | 1 | ||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013-14 | マヨルカ | 22 | セグンダ | 7 | 0 | 1 | 0 | - | 8 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | 大宮 | 41 | J1 | 33 | 6 | 5 | 0 | 3 | 0 | 41 | 6 |
2015 | J2 | 33 | 11 | - | 3 | 0 | 36 | 11 | |||
2016 | J1 | 26 | 11 | 2 | 1 | 3 | 1 | 31 | 13 | ||
2017 | 川崎 | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 193 | 21 | 37 | 5 | 20 | 3 | 248 | 27 | |
日本 | J2 | 50 | 12 | - | 3 | 0 | 53 | 12 | |||
スペイン | プリメーラ | 18 | 2 | 1 | 0 | - | 19 | 2 | |||
スペイン | セグンダ | 7 | 0 | 1 | 0 | - | 8 | 0 | |||
韓国 | Kリーグ | 12 | 1 | - | 2 | 0 | 14 | 1 | |||
総通算 | 280 | 36 | 37 | 4 | 25 | 3 | 342 | 42 |
その他の公式戦
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2006 | G大阪 | 14 | 6 | 1 |
2012 | 蔚山現代 | 28 | 5 | 0 |
2017 | 川崎 | 41 | ||
通算 | AFC | 11 | 1 |
- その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
- 2009年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合0得点
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 2004年6月26日 J1 1st第15節 vs アルビレックス新潟 (新潟スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 同上
- リーガ・エスパニョーラ初出場 - 2011年2月5日 第22節 vs CAオサスナ (レイノ・デ・ナバーラ)
- リーガ・エスパニョーラ初得点 - 2011年4月9日 第31節 vs セビージャFC (オノ・エスタディ)
代表歴
出場大会
- U-20日本代表
- 2005年 FIFAワールドユース
- U-22日本代表
- 2007年 北京オリンピックアジア予選
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点 (2007 - 2011)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 1 | 0 |
2011 | 2 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪ユース
- Jユースカップ:1回 (2002年)
- ガンバ大阪
- Jリーグ ディビジョン1:1回 (2005年)
- ナビスコカップ:1回 (2007年)
- ゼロックススーパーカップ:1回 (2007年)
- 大分トリニータ
- ナビスコカップ:1回 (2008年)
- 大宮アルディージャ
個人
- Jリーグ月間MVP:2回 (2015年6月、2015年7月)
- Jリーグ・優秀選手賞:1回(2016年)
出演
CM
脚注
注釈
- ^ Jリーグ公式記録ではアシストを集計していない。
出典
- ^ “長岡京サッカースポーツ少年団 団のあゆみ”. Nagaokakyo SS. (27 June 2011). オリジナルの2011年8月21日時点におけるアーカイブ。 27 June 2011閲覧。
- ^ “プリマス、家長獲得見送り=英労働許可証下りず-イングランド・サッカー”. Yahoo!ニュース. 時事通信 (Yahoo Japan). (2009年1月17日). オリジナルの2009年1月17日時点におけるアーカイブ。 2009年1月17日閲覧。
- ^ MF家長昭博選手 2010年シーズン セレッソ大阪へ期限付き移籍(2010年1月11日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年1月8日
- ^ ガンバ大阪 家長昭博選手 移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2010年1月8日
- ^ 家長昭博選手 スペイン1部リーグ「RCDマジョルカ」への移籍発表記者会見(2013年12月11日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年12月21日
- ^ El RCD Mallorca formaliza el contrato de Akihiro Ienaga Web Oficial RCD Mallorca
- ^ MF家長昭博選手 蔚山現代(韓国)より期限付き移籍加入のお知らせ(2012年8月2日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012年7月30日
- ^ 家長 G大阪と6月末までの契約延長で合意 スポニチ、2013年1月10日
- ^ MF 家長 昭博選手 期限付き移籍延長のお知らせ(2013年1月29日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月21日
- ^ RCDマジョルカ 家長 昭博選手 大宮アルディージャ加入のお知らせ 大宮アルディージャオフィシャルサイト、2014年1月15日
- ^ 本田圭佑という男。 安田理大公式ブログ - 2008/06/19付記事
- ^ カラ。 家長昭博公式ブログ - 2010/11/30付記事
関連項目
- サッカー日本代表出場選手
- ガンバ大阪の選手一覧
- 大分トリニータの選手一覧
- セレッソ大阪の選手一覧
- 大宮アルディージャの選手一覧
- 川崎フロンターレの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧