長岡京市立長岡第四中学校
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長岡京市立長岡第四中学校 | |
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北緯34度55分02秒 東経135度40分42秒 / 北緯34.917306度 東経135.678306度座標: 北緯34度55分02秒 東経135度40分42秒 / 北緯34.917306度 東経135.678306度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長岡京市 |
校訓 | 自分を大切に 人を大切に 物を大切に |
設立年月日 | 1985年(昭和60年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C126210001061 |
所在地 | 〒617-0845 |
京都府長岡京市下海印寺西山田1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長岡京市立長岡第四中学校(ながおかきょうしりつ ながおかだいよんちゅうがっこう)は、京都府長岡京市下海印寺西山田にある公立中学校。長岡京市南西部の丘陵地帯に位置する。愛称は「四中」(よんちゅう)、「長四中」(ながよんちゅう)。
沿革
[編集]1971年に策定された「長岡町総合計画」では、1960年代から始まった人口急増の結果、将来的に町立中学校が4校必要であるとの計画を立てていた。1970年代に長岡京市立長岡第二中学校、長岡京市立長岡第三中学校の2校が長岡京市立長岡中学校の分離校として開校した。1980年代には市西部の人口増加に対応するため、下海印寺に第四中学校が建設されることになった。それが現在の長岡第四中学校である。1984年4月に開校する予定で1982年末に用地買収が完了したが、周辺地域住民の一部が工事車両の通過や工事騒音を懸念して「建設反対同盟」を結成したため、1年遅れた1985年4月の開校となった。総工費は約42億円(土地買収費用30億円、建設費用12億円)である。グラウンドには開校当初から夜間照明設備が設置されている。1988年4月には制服が現在採用されているブレザーへ変更が行われた。[要出典]
年表
[編集]- 1982年(昭和57年)11月 - 用地買収を完了
- 1985年(昭和60年)4月 - 開校(生徒数691人・19学級)
- 1986年(昭和61年)
- 2月 - 校歌発表会を挙行
- 5月 - アーリントン使節団来校
- 1988年(昭和63年)4月 - 新制服(ブレザー)を制定
- 1990年(平成2年)9月 - LL教室設置
- 1993年(平成5年)8月 - コンピューター教室設置
- 1998年(平成10年)
- 3月 - 武道場竣工
- 4月 - 心の教室相談員配置
- 1999年(平成11年)4月 - スクールカウンセラー配置
- 2000年(平成12年)9月 - コンピューター機器を更新
- 2006年(平成18年)
- 4月 - 学校選択制度開始
- 10月 - コンピューター機器を更新
- 2008年(平成20年)9月 - 普通教室にエアコンを設置
- 2010年(平成22年)3月 - 校務用コンピューターを導入
主な面積
[編集]- 敷地:27,577㎡(市立中学校第1位)
- グラウンド:9,810㎡(市立中学校第3位)
- プール:400㎡
- 体育館:999㎡
- 武道場:250㎡
部活動
[編集]体育系
- 陸上競技部
- 野球部
- 卓球部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- 水泳部
- バドミントン部
- サッカー部
- 剣道部
文化系
- 吹奏楽部
- 美術部
著名な出身者
[編集]基本的な通学区域
[編集]- 長岡京市立長岡第四小学校の校区(阪急京都本線以西の地域)
- 長岡京市立長岡第五小学校の校区(全域)
周辺施設
[編集]- 高台3号公園
交通アクセス
[編集]校区が隣接している学校
[編集]脚注
[編集]- ^ “平成23年7月3日 家長選手・宇佐美選手を応援 | 長岡京市公式ホームページ”. www.city.nagaokakyo.lg.jp. 2020年7月11日閲覧。
- ^ “三代目JSB・山下さん、母校に 京都でダンス指導”. 京都新聞 (2017年5月24日). 2017年5月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 長岡京市「平成22年度長岡京市の教育」2010年
- 長岡京市立長岡第四中学校「創立10周年記念誌『未来に向かって翔び立つ長四中』」1994年12月20日
- 長岡京市史編さん委員会『長岡京市史 本文編 二』1997年3月31日、681頁