コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「鶴間政行」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:インターネットアーカイブ - log
125行目: 125行目:
* [http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00215384 鶴間, 政行, 1954-] - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
* [http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00215384 鶴間, 政行, 1954-] - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
* [http://www.hagimoto-kikaku.co.jp/sakka/index.html 萩本企画ウェブサイト内所属放送作家一覧]
* [http://www.hagimoto-kikaku.co.jp/sakka/index.html 萩本企画ウェブサイト内所属放送作家一覧]
* [http://web.archive.org/web/20020321194304/http://www.aii.co.jp/contents/rajiame/personality/ インターネットラジオ『斉藤洋美のラジオはアメリカン』ウェブサイト内パーソナリティ紹介ページ] - [[インターネットアーカイブ]]2002年3月21日付保存キャッシュより。
* [http://web.archive.org/web/20020321194304/http://www.aii.co.jp/contents/rajiame/personality/ インターネットラジオ『斉藤洋美のラジオはアメリカン』ウェブサイト内パーソナリティ紹介ページ] - [[インターネットアーカイブ]]2002年3月21日付保存キャッシュより。


{{コサキン}}
{{コサキン}}

2017年9月4日 (月) 16:22時点における版

鶴間 政行
(つるま まさゆき)
誕生 (1954-08-25) 1954年8月25日(70歳)
日本の旗 日本埼玉県熊谷市
職業 放送作家著作家
最終学歴 東洋大学経営学部商学科卒業
活動期間 1970年代後半? - (放送作家)
ジャンル テレビ・ラジオ番組の構成
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

鶴間 政行(つるま まさゆき、1954年8月25日[1] - )は、日本の放送作家(構成作家)、著作家ラジオパーソナリティである。埼玉県熊谷市生まれ[1][2][1]埼玉県立熊谷商業高等学校東洋大学経営学部商学科卒業[1]萩本企画所属。放送作家集団「サラダ党」の一員[3]。愛称「ケロヨン[2]

構成を担当するラジオ番組においては出演もしており、『ラジオはアメリカン』(ラジアメ)ではメインパーソナリティの引き立て役、『コサキンDEワァオ!』では裏の進行役として、それぞれの番組に欠くべからざる存在となっていた。

萩本欽一(以下、萩本)のブレーン[4]または欽ちゃんファミリーの放送作家[4]と紹介される場合もある。

来歴・人物

中学時代は野球部に所属し、3年生の時はレギュラー部員。高校でも最初は野球部に入部しようとしていたが、県内有数の野球強豪校であり、近隣からの野球エリートが入部しているので入部しなかった。新入生への入部勧誘で先輩より声を掛けられ、その先輩が優しそうな感じがしたので新聞部に入部した。

1970年代には、ラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう』(ニッポン放送)の常連投稿者であった[5]1974年、非売品として発行された番組本『欽ちゃんのドンといってみよう』(番組リスナーの希望者に全員プレゼント)には、高校時代の投稿作品が掲載されている。

放送作家を志し、大学在学中に萩本の住み込み弟子となったが、萩本からは何も教えられず、ひたすら将棋麻雀の相手だけをさせられる日々が5年間近く続いた[6]。萩本は、鶴間が耐え切ったことを見届けた上で、放送作家としてデビューさせた。

鶴間は『欽ドン!』の構成を担当していた大岩賞介らの放送作家集団「パジャマ党」に参加し、のちに大倉利晴君塚良一とともに「サラダ党」を結成した(のちに益子強との二人組となる)。

1991年、鶴間の発案した[7]サイコロトークが、テレビ番組『ごきげんよう』の夏休み企画に採り入れられた。同番組の視聴率は1桁から12%程度へと上昇し、サイコロトークはレギュラーコーナーとして定着。

緑色が好きで、服も緑のものを好んで着ていたことから、長らく自身が出演していた『ラジアメ』『コサキン』のリスナーや出演者には、カエルのキャラクターをもじって「ケロヨン鶴間さん」と親しまれていた。また、独身であったことをラジオ番組内で揶揄されていたこともあったが、1997年に結婚[2]

構成担当・出演番組

特記ない限り、構成担当番組。一部のみを列挙する。過去に担当していた番組を含む。

テレビ

ラジオ

インターネットラジオ

  • 斉藤洋美のラジオはアメリカン(AII) ※構成・出演(パーソナリティ[2]

著書

電子書籍

  • 有名芸能人が身近に感じるうちわ話(オリオンブックス)[17]
オーディオブック
  • 有名芸能人が身近に感じるうちわ話(オリオンブックス) ※鶴間本人が朗読[11]。収録時間:28分、容量:26.4MB[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『コサキンのひとみと悦子』P112に掲載された鶴間のプロフィール。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 外部リンク(インターネットラジオ『斉藤洋美のラジオはアメリカン』ウェブサイト内パーソナリティ紹介ページ)を参照。
  3. ^ a b c d e f g h i j 外部リンク(萩本企画ウェブサイト内所属放送作家一覧)を参照。
  4. ^ a b c d e f g 2008年1月31日(木)[#348]森山直太朗、鶴間政行、西川史子 - 2008年1月31日にゲスト出演した、ラジオ番組『ヤンピース』公式サイト内放送後記。
  5. ^ 外部リンク(インターネットラジオ『斉藤洋美のラジオはアメリカン』ウェブサイト内パーソナリティ紹介ページ)より、「高校時代に萩本欽一氏のラジオ番組で“ハガキ職人”をしていたことをキッカケに、萩本氏に師事。放送作家となる。」という記述あり。
  6. ^ 『毎日新聞』東京夕刊 1993年1月6日 10面
  7. ^ 『スポーツ報知』2007年2月14日 20面、報知新聞社
  8. ^ 『コサキンのひとみと悦子』P112に掲載された鶴間のプロフィールより、『欽ちゃんの全日本仮装大賞』と明記。
  9. ^ 外部リンク(萩本企画ウェブサイト内所属放送作家一覧)では、『欽ちゃんの全日本仮装大賞』と明記。
  10. ^ 『コサキンの4548』でも、当時の映像を確認することができる。
  11. ^ a b c d e f オーディオブック版『有名芸能人が身近に感じるうちわ話』商品情報(鶴間のプロフィールも明記)
  12. ^ 外部リンク(インターネットラジオ『斉藤洋美のラジオはアメリカン』ウェブサイト内パーソナリティ紹介ページ)では、「やまかつ」と明記。
  13. ^ 2009年3月21日放送分の情報ページ(『日本の、これから』ウェブサイト内) - インターネット・アーカイブ2009年3月28日付保存キャッシュより。
  14. ^ 『コサキンDEワァオ!』終了後(2009年4月当時)の公式ウェブサイト - インターネット・アーカイブ2009年4月1日付保存キャッシュより。
  15. ^ 参考:『コサキンのひとみと悦子』目次内制作スタッフクレジット(P3)。
  16. ^ 『コサキンのひとみと悦子』P112に掲載された鶴間のプロフィールより、『斉藤洋美のラジオはアメリカン』と明記。
  17. ^ 『有名芸能人が身近に感じるうちわ話』商品情報 - 電子書店パピルスより

参考資料

  • コサキンのひとみと悦子(1992年、発行:日音、発売:シンコー・ミュージックISBN 4401613619 ※TBSラジオの番組『コサキン』シリーズ(当時のタイトルは『コサキン怪傑アドレナリン』)開始10周年記念に発行された書籍。
  • コサキンの4548(2001年、興陽館ISBN 4877231366 ※『コサキン』シリーズ(当時のタイトルは『コサキンDEワァオ!』)開始20周年記念に発行された書籍。
  • 各種外部リンク

関連項目

外部リンク