「等々力陸上競技場」の版間の差分
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等々力緑地の南側の小杉十字路では[[国道409号]]([[府中街道]]、「市営等々力グランド入口」バス停は同道路に設置)と[[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線|神奈川県道45号]]([[中原街道]])が交差し、同競技場を利用する自動車の大半はこれらの幹線道路を通る。{{要出典範囲|date=2014年1月|しかし、両道路とも2車線、それも幅が狭く改良工事が待たれる部分が多く、通常時でも渋滞が多いため、同競技場での試合終了後には同緑地周辺から抜けるのに数十分以上待たされる例がある}}。{{要出典範囲|date=2014年1月|また、等々力緑地周辺には高速道路が無く、[[第三京浜道路]]の[[京浜川崎インターチェンジ]]まで約3km、[[東名高速道路]]の[[東名川崎インターチェンジ]]や[[首都高速道路]][[首都高速2号目黒線|2号目黒線]]の[[荏原出入口]]までは約10kmと離れている。}} |
等々力緑地の南側の小杉十字路では[[国道409号]]([[府中街道]]、「市営等々力グランド入口」バス停は同道路に設置)と[[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線|神奈川県道45号]]([[中原街道]])が交差し、同競技場を利用する自動車の大半はこれらの幹線道路を通る。{{要出典範囲|date=2014年1月|しかし、両道路とも2車線、それも幅が狭く改良工事が待たれる部分が多く、通常時でも渋滞が多いため、同競技場での試合終了後には同緑地周辺から抜けるのに数十分以上待たされる例がある}}。{{要出典範囲|date=2014年1月|また、等々力緑地周辺には高速道路が無く、[[第三京浜道路]]の[[京浜川崎インターチェンジ]]まで約3km、[[東名高速道路]]の[[東名川崎インターチェンジ]]や[[首都高速道路]][[首都高速2号目黒線|2号目黒線]]の[[荏原出入口]]までは約10kmと離れている。}} |
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フロンターレの試合の際には自転車での来場も多く、2013シーズンよりフロンターレの試合開催時は等々力緑地内プール横に臨時駐輪場を設けている<ref name="frontale-ticketing" />。{{要出典範囲|date=2014年1月|緑地周辺は比較的平坦な地形で(一部に旧堤防の名残の坂がある)、多摩川の堤防上に整備された[[多摩川サイクリングロード]]などを利用した長距離移動が可能である}}。なお、同ロードは同競技場をスタート・ゴールとする「川崎国際多摩川マラソン」の会場ともなり、最長で[[ハーフマラソン]]のコースが設定されている<ref>[http://web.archive.org/web/20080930042656/http://www.city.kawasaki.jp/88/88sports/home/homepage/08home.htm 平成20年11月16日(日)開催 等々力陸上競技場〜多摩川マラソンコース] - 川崎市(2008年9月30日時点の[[インターネット |
フロンターレの試合の際には自転車での来場も多く、2013シーズンよりフロンターレの試合開催時は等々力緑地内プール横に臨時駐輪場を設けている<ref name="frontale-ticketing" />。{{要出典範囲|date=2014年1月|緑地周辺は比較的平坦な地形で(一部に旧堤防の名残の坂がある)、多摩川の堤防上に整備された[[多摩川サイクリングロード]]などを利用した長距離移動が可能である}}。なお、同ロードは同競技場をスタート・ゴールとする「川崎国際多摩川マラソン」の会場ともなり、最長で[[ハーフマラソン]]のコースが設定されている<ref>[http://web.archive.org/web/20080930042656/http://www.city.kawasaki.jp/88/88sports/home/homepage/08home.htm 平成20年11月16日(日)開催 等々力陸上競技場〜多摩川マラソンコース] - 川崎市(2008年9月30日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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=== 将来構想 === |
=== 将来構想 === |
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川崎市の北部(西部)と南部(東部)をつなぐ[[川崎縦貫高速鉄道]](川崎市営地下鉄)計画を2005年に見直した際、1期整備区間の中に「等々力緑地駅」を設置し、[[小田急小田原線]]・[[小田急多摩線]](同線との直通運転構想あり)の[[新百合ヶ丘駅]](途中で東急田園都市線[[宮前平駅]]を経由)や武蔵小杉駅とつなぐ案が川崎市から提示された<ref>[http://web.archive.org/web/20120307204358/http://www.city.kawasaki.jp/82/82tetudo/home/ 川崎縦貫高速鉄道線整備事業] - 川崎縦貫高速鉄道線整備事業ホームページ(2012年3月7日時点の[[インターネット |
川崎市の北部(西部)と南部(東部)をつなぐ[[川崎縦貫高速鉄道]](川崎市営地下鉄)計画を2005年に見直した際、1期整備区間の中に「等々力緑地駅」を設置し、[[小田急小田原線]]・[[小田急多摩線]](同線との直通運転構想あり)の[[新百合ヶ丘駅]](途中で東急田園都市線[[宮前平駅]]を経由)や武蔵小杉駅とつなぐ案が川崎市から提示された<ref>[http://web.archive.org/web/20120307204358/http://www.city.kawasaki.jp/82/82tetudo/home/ 川崎縦貫高速鉄道線整備事業] - 川崎縦貫高速鉄道線整備事業ホームページ(2012年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。これは同競技場やとどろきアリーナなどの等々力緑地内各施設への利用客を取り込もうとした計画で、等々力緑地駅は同競技場から最も近い鉄道駅(1km以内)になる。しかし、2012年度をもって川崎縦貫高速鉄道の会計が廃止され、この計画は事実上頓挫した(詳細は[[川崎縦貫高速鉄道]]の記事を参照)。 |
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==緑地内その他の施設== |
==緑地内その他の施設== |
2017年9月4日 (月) 14:15時点における版
等々力陸上競技場 | |
---|---|
施設情報 | |
所在地 | 神奈川県川崎市中原区等々力1-1 |
位置 | 北緯35度35分7.93秒 東経139度39分9.71秒 / 北緯35.5855361度 東経139.6526972度座標: 北緯35度35分7.93秒 東経139度39分9.71秒 / 北緯35.5855361度 東経139.6526972度 |
開場 | 1962年 |
拡張 | 1986年、1994年、1995年、2015年改修 |
取り壊し | 2013年旧メインスタンド取り壊し |
所有者 | 川崎市 |
運用者 | 公益財団法人川崎市公園緑地協会 |
グラウンド | 天然芝 |
大型映像装置 | オーロラビジョン 2基 |
使用チーム、大会 | |
川崎フロンターレ(Jリーグ)(1999年-) ゴールデングランプリ川崎 (2011年-2012年、2015年) 第92回日本陸上競技選手権大会(2008年) 第37回皇后杯 (2015年) ヴェルディ川崎(Jリーグ)(1993年-2000年) | |
収容人員 | |
27,495人 | |
アクセス | |
#アクセスを参照 |
川崎市等々力陸上競技場(かわさきし とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区の等々力緑地内にある陸上競技場。球技場としても使用される。施設は川崎市が所有し、公益財団法人川崎市公園緑地協会が指定管理者として運営管理を行っている。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)などのサッカー大会、日本陸上競技選手権大会などの陸上競技大会などが開催されている。
施設概要
- 日本陸上競技連盟第3種公認
- 施設面積:35,048m2
- 陸上トラック:400m×8レーン
- フィールド:天然芝
- 収容人員:27,495人
メインの陸上競技場は8レーンの陸上トラックを保有している。2階席の下には、室内用の走路もある。2008年までは、補助競技場が300mトラックの日本陸上競技連盟第3種公認であり、全天候舗装ではなくクレー舗装で、メンテナンスは余り行き届いていなかった。補助競技場のトラックは400mでないと、メインの陸上競技場は第1種認定を受けられない。そこで、2008年の第92回日本陸上競技選手権大会の会場決定を受け、川崎市が10億円を超える予算で改修工事を行うことになった。補助陸上競技場を400mの全天候舗装トラックに改修した上で、日本陸上競技連盟の第1種公認競技場として再認証を受けた。
メインスタンド中央部にある平型の屋根はスタンド全体を覆っていないが、小さな半円形の構造物が連続するバックスタンド2階席の屋根はスタンド下段にある観客通路の後方部分、全体の半分以上の席を覆い、1階席の半分以上も上部に2階席がせり出す構造になっていて、ともに降雨から観客を保護する。そのため、雨天時にはメインスタンドよりバックスタンドの方が混雑する現象が起きるが[要出典]、記者席や一部の座席は屋根の下での観戦が可能である。記者席の後ろには貴賓席やガラス張りの放送ブースもあり、国際中継を含むテレビの生放送が複数チャンネルで可能となっている。
バリアフリー設備としては、正面入口のスロープ、メインスタンド端のエレベーター、多目的対応トイレなどの整備が行われ、メインスタンドやバックスタンドの1階通路前などに車いす用の観戦スペースが確保されている。ただし、階段を使わないと上がれないバックスタンド2階席はバリアフリー非対応である。[2]また、バックスタンド2階席にはトイレや売店が無く[3]、観戦視野の広さという利点と引き換えの欠点となっている[要出典]。2015年3月の改修では新メインスタンドのトイレに一方通行の動線を作るなどの工夫がなされた。15分の間に全員が観客席まで戻れることを目標として設計したという[4]。
2005年J1最終節で、フロンターレを下したガンバ大阪が初のJ1優勝を果たした。この試合、試合終了間際にアラウージョがゴールを決めた際、ガンバのサポーター数十人がゴール裏(サイドスタンド)1階席から陸上トラックに侵入してアラウージョと抱き合って喜んだため、以後のフロンターレの試合ではバックスタンドや両サイドスタンドの前に可動式の柵が置かれるようになった。
2002年から2004年までのフロンターレ戦はJ2所属のためそれほど観客が見込めなかったことから[要出典]、ゴール裏2階席は特に大勢の観客が見込める試合や雨天時を除いて開放せず、概ね18000人程度を収容する形で[要出典]スタンドを開放した。なお、2013-14年はメインスタンドの撤去・再新築のため、仮設席が既存席の前に設置される関係で、Jリーグ届出の収容人員は20,693人となっている。
これまでフロンターレの主催試合ではJ2時代は22試合、J1は17試合ある中で1試合の入場者数で2万人台を記録しているのは僅か37回(2002年に1回、2003年に2回、2004年に1回、2005年に2回、2006年に3回、2007年に4回、2008年に7回、2009年に6回、2010年に4回、2011年に2回、2012年に3回、2013年に2回、2014年は0回)と数える程しかなく、しかもフロンターレがJリーグに加盟した1999年から再びJ2の生活を余儀なくされた2001年にかけての時期に至っては1万人台を割る事もざらにあったが、メインスタンドが新しくなった2015年は17試合あったホームゲームで2万人台を割ったのは4試合とフロンターレの強みであるサッカークラブらしからぬ斬新なプロモーションに充実したイベント企画力や2012年に途中就任した風間八宏監督が掲げるフロンターレの魅力ある楽しいサッカーを提供した事が実を結びつつある。
最多入場者数記録は、長らく2005年3月12日のフロンターレ対浦和レッズ戦の24,332人だったが、10年後の2015年4月12日のフロンターレ対レッズ戦で24,992人、その翌年2016年4月24日のフロンターレ対レッズ戦で25,450人を動員し、2年続けて同じカードで最多観客動員数を更新し[5]、同年6月25日のフロンターレ対大宮アルディージャ戦は鹿島アントラーズの勝敗結果でフロンターレのファーストステージ優勝が決まる一戦ということもあり、過去最高の最多観客動員数の26,612人を記録した。
利用状況
サッカー競技場として
ヴェルディ川崎(移転)
1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時には、読売クラブが改名したヴェルディ川崎がホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であった。また、ピッチに敷設された天然芝の剥がれや枯れを隠すため、緑色に塗装した砂をピッチに散布した。
当時、人気チームであったヴェルディのチケットは入手が困難となり、チームの高い人気にそぐわない小さなスタジアムであるとしてヴェルディやそのサポーターからの不満を更に強める結果を招いた[要出典]。一方、ヴェルディはJリーグ発足前から東京都への移転を希望しており、チームを引き留めるためにも施設整備は急務で、川崎市の長期構想では川崎区臨海部に国際級スタジアム(5-7万人規模)を建設する構想まで盛り込まれた。[要出典] 1994年から1995年にかけて観客席の改築(2万5000人収容へ拡大)、大型映像装置の設置を行った(「歴史」節を参照)。
ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシップでの主催試合をいずれも東京都内の国立霞ヶ丘陸上競技場で開催し、川崎市との関係が一層疎遠になる原因となった[要出典]。なおこのうち1994年は、一度等々力でヴェルディ主催の第2戦が開催される予定になっていたが、芝生コンディションの問題とスタンド増築の絡みから急きょ国立での開催に変更された[要出典]。この頃からヴェルディの観客動員数が減少に転じた。
2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転し当競技場からは撤退。移転後のホームスタジアムは東京都調布市の東京スタジアム(2003年より「味の素スタジアム」の呼称を利用)となっている。
川崎フロンターレ
1997年に川崎フロンターレが富士通サッカー部を母体にクラブチームとして発足し、等々力をホームタウンとした。フロンターレは2000年にJ1に昇格し、ヴェルディとの公式戦4試合が全て等々力で開催された(川崎ダービー)。リーグ戦はヴェルディの1勝1分、ナビスコカップ準々決勝はフロンターレの1勝1分。
なお、フロンターレは2001年からJ2に降格し、2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転したため、川崎ダービーは2000年が最後となった。また、フロンターレが2005年にJ1へ昇格するまで当競技場でJ1の試合は開催されなかった。
フロンターレは2006年・2008年・2009年の3度リーグ戦で2位に入り、2013年にはレッズに続いてリーグ2位の65得点を誇る攻撃陣の頑張りで終盤8試合で7勝を挙げ3位になったため、2007年・2009年・2010年・2014年は等々力でAFCチャンピオンズリーグの試合も実施された。チーム成績の上昇と共に観客動員も増加し、1試合で2万人以上の動員をたびたび記録するようになっている。また2008年には署名運動を受けた川崎市による再整備計画が示された(「施設整備計画」の節を参照)。
フロンターレは2005年のJ1再昇格以降2016年シーズン終了時点で通算748ゴールを挙げているが、そのうちの171ゴールが試合終了まで残り15分の段階で稼いでいる事から、フロンターレの試合でしばしば劇的なゴールを挙げる事があり、ファンやサポーターはおろか一部の選手(中村憲剛を含む)からも等々力劇場と呼ばれる。
近年起こった3コンペティションの等々力劇場
- 2009年 ヤマザキナビスコカップ準々決勝第2戦(対鹿島アントラーズ)
- 敵地での第1戦を0-1で落としたフロンターレは、準々決勝敗退が濃厚となった後半ロスタイムの4分にジュニーニョが起死回生の同点弾を挙げ2試合合計1-1にした。その後、延長前半で当時フロンターレに在籍していたレナチーニョ、鄭大世のゴールが決まり、準決勝に進出した。
- 2011年 Jリーグディビジョン1第13節(対ガンバ大阪)
- 激しい雨の中行われ、前半を0-0で折り返した後半51分にアドリアーノによるペナルティーキックでガンバが先制。その10分後に中村のミドルシュートで追いつくと、後半ロスタイムの4分にフリーキックを獲得、中村が直接フリーキックを決めたプレーが最後のプレーとなり逆転勝利を収めた。
- 2013年 Jリーグディビジョン1第34節(対横浜F・マリノス)
- 2013年シーズン最終節。この試合はF・マリノスは前々節優勝に王手をかけながら前節は日産スタジアムでアルビレックス新潟に敗れて優勝を決められず。勝てば文句なしの優勝、引き分け以下は他会場(アントラーズ対サンフレッチェ広島)の結果次第ではタイトルの行方が決まる試合となった。
- また、前節終了時5位だったフロンターレも勝てばアントラーズ(同3位)対サンフレッチェとレッズ(同4位)対セレッソ大阪(同6位)戦如何では、ACL出場権を獲得出来る上、フロンターレ一筋であった伊藤宏樹のラストゲーム。更にはF・マリノスとの神奈川ダービーという事もあり、注目を集めていた。
- 試合は54分に中村憲剛が中村俊輔からボールを奪い自陣深くからカウンターを開始、大久保嘉人のシュートは榎本哲也に阻まれるが、フォローした大島僚太のラストパスにレナトが合わせて先制。このリードを守ったフロンターレが1-0で勝利。サンフレッチェがアントラーズを2-0で、セレッソがレッズを5-2でそれぞれ破った為、F・マリノスはあと1勝が出来ずに優勝を逃して中村俊輔がピッチで崩れたのに対し、フロンターレが逆転でACL出場権を獲得し、中村憲剛がガッツポーズを表した様に両チームの明暗が分かれる結果となった。
- 2016年 Jリーグディビジョン1第1ステージ第2節(対湘南ベルマーレ)
- 等々力での開幕戦にして最初の神奈川ダービー。試合はノーガードの打ち合いとなり、大久保が一足早く達成した佐藤寿人(当時サンフレッチェ)に続いてJ1通算157ゴールを決めて先制するが、20分、38分と続け様にベルマーレにゴールを決められて逆転される。それでも小林悠が1分後に追いつき、コーナーキックから2014年にフロンターレに在籍したパウリーニョに竹箆返しのゴールを奪われ再びリードされるも、大島のフライスルーパスに完璧なトラップで反応した小林が2ゴール目を決めて同点で前半を折り返す。後半32分に勝ち越しゴールを決められ三度ビハインドを背負うがロスタイム、車屋紳太郎のロングボールにこの日2ゴールの小林がヘディングで折り返した所に合わせたのが後半途中出場の森本貴幸。J1では11年ぶりのゴールを挙げて敗色濃厚だったムードを一掃して4-4の引き分けに持ち込んだ。
- 2016年 Jリーグディビジョン1第1ステージ第6節(対サガン鳥栖)
- スコアレスのまま後半ロスタイムに突入。中村のヘディングから途中出場の原川力、田坂祐介と繋ぎ小林のクロスにヘディングで合わせたのは再三決定機を決めきれなかった大久保。中村の第3子誕生を祝う揺り籠ダンスも披露し、フロンターレは勝利を収めて首位に再浮上。そして大久保はJ1通算最多得点単独トップの159とし、佐藤を抜いて最多得点記録保持者となった。
- 2016年 Jリーグディビジョン1第2ステージ第3節(対アルビレックス新潟)
- 前半35分にサンフレッチェからレンタル移籍し、7月1日に発表されたリオデジャネイロ五輪メンバーから選ばれなかった(バックアップメンバー)野津田岳人の移籍後初ゴールで先制されるも、その3分後にリオデジャネイロ五輪メンバーに選ばれた大島僚太の見事なミドルシュートで追いつく。後半19分に大島のパスが当時の主審だった榎本一慶に当たった所でショートカウンターを喰らいラファエル・シルバのスルーパスに反応したレオ・シルバに決められ、勝ち越されるも後半39分に橋本晃司と大島の小気味よいパス回しから小林裕紀のオウンゴールで同点に追いつく。そして4分間与えられた後半ロスタイム4分に車屋のクロスのこぼれ球に小林がヒールで決めて3-2と逆転し3連勝を飾った。
- 2016年 Jリーグディビジョン1第2ステージ第13節(対横浜F・マリノス)
- 前半14分に小林のクロスに狩野健太が合わせ、リーグ戦は移籍後初ゴール。後半もF・マリノスの攻撃に耐えながら後半39分に田坂のスルーパスにこの年のAFC U-19選手権で優勝に貢献、ユースから昇格して2年目の三好康児が中澤佑二、栗原勇蔵という日本を代表するセンターバックを振り切って、ループシュートで追加点を奪いシーズン3点目。これで勝負ありかと思いきや、後半20分に鄭成龍の代わりに入った新井章太が負傷した関係でロスタイムが9分。途中出場の天野純に右サイドを突破されクロスに合わせた伊藤翔のヘッドはその新井に代わって入った高木駿がナイスセーブを見せるもこぼれ球に中町公祐に押し込まれ1点差とされると、三好のパスをペナルティーエリア手前で齋藤学に奪われた後高木も躱され、ラストパスを伊藤に詰められて折角奪ったリードを吐き出してしまう。しかしロスタイムも目安の9分を過ぎた所で得たコーナーキックから田坂の折り返しに小林がヘディングシュートで勝ち越しシーズン15点目。その直後に試合終了を迎え、フロンターレは3位以上が確定。既に出場を決めているアントラーズに続いてJリーグチャンピオンシップ出場を果たした。
その他
- 全国高等学校サッカー選手権大会(高校サッカー選手権)の全国大会1-3回戦や神奈川県予選の準決勝などが開催されている。高校サッカー選手権は年末年始に行われるため、管理者である中部公園事務所は休業しているが、陸上競技場のみは開放されている。
- 東芝サッカー部(現・北海道コンサドーレ札幌)も1995年まで当競技場を本拠としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)を戦っていた。移転前に札幌市からの本拠オファーの依頼があり、それを受けて1996年に札幌市に移転しコンサドーレ札幌となった。
- 2015年12月、第37回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会の準決勝・決勝が開催された。
- 2017年10月20日、J2第38節・横浜FCvsFC町田ゼルビアの開催が予定されている。
陸上競技場として
- 川崎市内の学校などの競技会や、高校や大学の記録会などで使用されているが、使用日程ではフロンターレ戦が優先されるので、トラックの頻度はそれほど高くはない。ただし、予定のない平日の日中などは市民への個人開放も実施されている。
- 2008年の第92回日本陸上競技選手権大会を開催し、更にセイコースーパー陸上競技会を開催した。同年のスーパー陸上は北京オリンピックで銅メダルを獲得した朝原宣治の引退試合となり、引退セレモニーでは同オリンピックで3つの金メダルを獲得したウサイン・ボルトが登場した。同大会は2010年まで毎年9月に等々力で開催された後、2011年に「セイコーゴールデングランプリ川崎」と改変され、開催時期を5月に変更した上で、日本国内で唯一国際陸上競技連盟(IAAF)が公認するIAAFワールドチャレンジミーティングスに含まれる大会として開催される事になった。
アメリカンフットボール競技場として
- 2007年にはアメリカンフットボール・ワールドカップ第3回川崎大会の開幕戦と決勝戦が行われた。日本は過去2回のワールドカップで連覇を果たしていたが、この大会では決勝戦でアメリカにタイブレークの末、敗れた。
- 川崎にはアメリカンフットボール・Xリーグのチーム富士通フロンティアーズとアサヒビールシルバースターが本拠地を構えており、通常は川崎球場で試合を行っているものの、2012年は等々力で開催した。ピッチの広さが120ヤードに満たないため、45ヤードハーフ+エンドラインの110ヤードで試合を行った[6]。
歴史
1941年の内務省の等々力緑地の都市計画に基づき、整備中の等々力緑地内に1964年より陸上競技場の建設が開始され、1966年より供用を開始した。メインスタンドに観客席が配置され、バックスタンドとサイドスタンドは芝生が貼られた。等々力緑地の整備の進展に合わせ、1968年に競技場の外周道路が整備され、1969年に競技場前広場が整備された。
当初より多目的競技場として、陸上競技の他に、トラック内の芝生コートでサッカー、ラグビー、アメリカンフットボールといった球技場としても活用された。
1981年にはメインスタンドの一部に屋根が設けられると共に、サッカー・ラグビー兼用のスコアボードが設置された。
1993年よりヴェルディ川崎が当競技場を本拠地としたため(前述)収容客数拡大のための改築が行われた。1994年秋にサイドスタンドを立見に、バックスタンドを二層スタンドに改築し、1万6000人収容となった。1995年にゴール裏を二層式に改築して2万5000人収容となった。また、オーロラビジョンを北側サイドスタンド、得点掲示が出来る電光掲示板を南側サイドスタンドにそれぞれ設置した。日本リーグ、及びJリーグ開始当初は第3・4コーナー付近の北側サイドスタンドに磁気反転(チーム名表示は手書きパネル)スコアボードがあったが、改修で取り壊され1995年の仮オープン時はトラックに仮設の電光得点盤(これもチーム名表示は手書きパネル)を設置した。
川崎市が2002 FIFAワールドカップのサッカークロアチア代表のキャンプ誘致を目指し、芝生の全面張り替えやスタンドの一部改修などを実施したが(このため、等々力は2001年10月から翌年2月まで閉鎖)、結局キャンプ誘致には失敗した。しかし、その改良は現在でも効果を発揮しており、東京・横浜へのアクセスや練習設備の良さから[要出典]トヨタカップやFIFAクラブワールドカップに出場するクラブの練習場としても使用された。2011年度のJリーグアウォーズでは、初めてベストピッチ賞を受賞した。
施設整備計画
2008年、川崎市は『等々力緑地再編整備検討委員会』を設けると、川崎フロンターレはサポーター有志らと「等々力陸上競技場の全面改修を推進する会」を発足させ、22万1216人の署名を集めた。約2年間をかけて関係各方面での検討が行われた結果、川崎市側がこの程纏めた『新総合計画川崎再生フロンティアプラン』の2011年~2013年計画に等々力陸上競技場の再整備などが盛り込まれることになった。計画では等々力陸上競技場を建て替え、3万5千人収容の新スタジアムとすることなどが掲げられている[7][8]。
整備計画は以下の通り[9]
- 2012年-2015年:第1期整備
- 2012年12月-2013年3月末:現メインスタンドと陸上トラックの間に仮設メインスタンドを設置する。仮設メインスタンドでの運営期間中、フロンターレホームゲームの場合、約2500席の減少となる。[10]。
- 2013年4月-2015年2月:現メインスタンド取り壊しおよび新メインスタンド整備。
- 2014年-2015年2月:大型映像装置、メインスタンド前広場整備。
- 実勢収容人員(Jリーグ公式届出[11])は26,530人(メイン7,281人、バック・ゴール裏19,249人)[12]
- 第1期工事のメインスタンド建て替えのために設置した仮設スタンドは、メインスタンド最前列にある走り幅跳び用コースを閉鎖して設置した[13]。このため前述の通り、一時的に第1種公認が充足できなくなったため2013年に第3種公認に降格された。
- また、今回の改修では、大型映像装置の更新も行われ、ホーム(北)側の従来のビジョンに加え、これまで得点掲示のみ表示していたアウェー(南)側スタンドにもビジョンが設置されることになった[13]。
- 照明設備についても一部変更がなされ、メインスタンドはこれまでの鉄塔式2基が撤去される代わりに、メインスタンドに新設される屋根にインサートする形で、LED方式のものを、Jリーグ開催スタジアムとして初めて設置した[13]。
- 時期未定:第2期整備
- サイドスタンド・バックスタンドの整備を行う。時期に関しては第1期工事終了後に行う川崎市等々力球場の改修終了後としている。なお、1993年からの増築の際に発行した市債の繰上償還が必要とされている。
改修にあたっては、Jリーグ各会場のスタンドやスロープの角度が測定され、さらに1998 FIFAワールドカップ決勝会場のスタッド・ド・フランスや広島東洋カープの本拠地MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が参考にされた。
なお当初は、トラックのレーンをレンガ色からフロンターレのチームカラーの青色に変更する予定であったが、日本陸上競技連盟から「この大会が出場選手選考会となる北京オリンピックと同じ、選手の慣れ親しんだ色にしてほしい」と要請を受け、この計画は断念された[14]。フロンターレサポーターの一部は、2009年の世界陸上選手権の主会場になるベルリン・オリンピアシュタディオンのトラックが青い事から、「主要国際大会は全てレンガ色トラックで開催」とも述べた陸連の主張は根拠不十分と反論したが、計画の復活は行われない見込みである[要出典]。この他、メインスタンドとバックスタンド(サイド部分)が途切れた部分、スタジアム全体の南西側に高さ9mの防風壁を設置し、直線を走ってゴールに向かう選手や跳躍を行う選手への向かい風を弱めようとした[15]。
メインスタンドは高齢者や子供連れの家族が多いことから、下層部は傾斜を緩やかに設計され、さらに子供をステージで遊ばせられるファミリーシートや、2人1組のペアシートなどJリーグ初の席種が採用された。一方、上層部は徐々に傾斜が急になるように設計されており、トラック部分までせり出したスタンドからの眺めは圧巻である。完成したメインスタンドを見た中村憲剛は「カンプ・ノウみたい」と呟き、川崎フロンターレ関係者は「あり得ない光景」と驚嘆した[16]。
バックスタンドについては、当初は上記のとおり第2期大規模改修の時に整備する予定になっていたが、AFCチャンピオンズリーグにフロンターレが出場した場合、アジアサッカー連盟の取り決めで「AFC主催の国際公式戦に出場するクラブのスタジアムの観客席は、背もたれが30㎝以上あること」「ACLの場合は5000席以上、AFCカップの場合は3000席以上の背もたれ付椅子が必要。立見・芝生席は使用不可」が2017年から厳格化[17]されることになっており、現在のスタジアムではバックスタンド、及びゴール裏スタンドの1階席の10402人分の背もたれが設けられておらず、このままでは使用不可となる可能性が高くなるため、同市長・福田紀彦は2016年10月17日の定例記者会見で2階席の背もたれ付の座席1243席と、1階席のバックスタンドの一部の背もたれなしの椅子席を交換して、改修費約1000万円程度で改修する意向を決定し、12月上旬から着工、2017年1月末までに終了することを目指している。
福田は「第2期改修との二重投資にならないように、必要最低限の予算でご理解いただけるのでは」としている。[18]
このため、2017年度のシーズンシート販売に際して、ACL進出が決まった場合は、バックスタンドホームA自由席・およびバックスタンド車いす席の大半が使用できなくなることによりシーズンシートの販売可能席数が2016年度のシーズンシートの販売実績を下回ることになるため、この箇所に関してはシーズンシートの観戦対象から外す処置をとることにし、代わってカップ戦(ACL)のグループステージで使用することができる全席共通の500円割引優待券を付けることにした(なおシーズンシートはACLノックアウトステージ、及びJリーグYBCルヴァンカップのノックアウトステージ、並びに天皇杯全日本サッカー選手権大会については元々から対象とはしていないが、購入特典として天皇杯を除くカップ戦対象の先行入場券、及びSSS、メインSS指定席、バックSS指定席のチケット購入者を対象とした当該席種と同じ座席の入場券の購入権利が与えられている)[19]。
その後、アジアサッカー連盟に対し、今回の一部座席交換工事と第2期大規模改修の計画が進行中であることを踏まえ、今回の工事個所以外の座席の使用について認めてもらうよう交渉した結果、アジアチャンピオンズリーグ2017年度の大会に関しては、バックスタンド1階席全体の使用が認められることになった[20]。
2017年5月末、川崎市は、当スタジアムの第2期整備の基本方針案をまとめ、「2020年ルール」といわれるJリーグの新しい要綱に沿って、収容人員を35000人程度に増やすものとしており、バック・ゴール裏の1階席を改修、2階席はそのまま残したうえで、新たに3階席を設け、すべての観客席を個別背もたれ付きの屋根付きにする。まず6月12日から約1か月、市民からの意見を求めるパブリックコメントを募集し、2018年3月に整備計画を策定。2020年度以後の着工を目指すが、大会の中断などがないように、段階を追って工事を行えるように検討していくという。このほか、南風が吹き抜けるため、陸上競技の公認記録の影響も考えられることから、南側の走路に風対策を施すほか、バリアフリー対策も進めていくとしている[21][22]
アクセス
鉄道
バス
- JR南武線・横須賀線・湘南新宿ライン・東急東横線・目黒線 武蔵小杉駅北口からバス「溝の口方面」行で「市営等々力グランド入口」下車、徒歩5分[23][24]
- 東急田園都市線・大井町線 溝の口駅、またはJR南武線 武蔵溝ノ口駅北口よりバス「武蔵小杉方面」行で「市営等々力グランド入口」下車、徒歩5分[23]
- なお、「溝の口駅」と「武蔵小杉駅」の間で運転される系統には、東急田園都市線・高津駅を経由するものもある。
道路交通
等々力緑地内には4ヶ所の駐車場があり、中央駐車場(収容可能乗用車数135台)は同競技場の正面入口にほど近い所、東駐車場(同158台)はバックスタンドのすぐ裏側、市民ミュージアム前駐車場(同323台)は道なりで約1km離れた場所、南駐車場(同71台)は互助会館とどろきの裏手に位置する[25]。しかし、中央駐車場はフロンターレ戦開催時には関係者専用となり、また駐車場の台数に限りがあることから、フロンターレでは観客に自動車ではなく公共交通機関での来場を呼びかけている[26]。なお、車椅子利用者向けならびにバスで来場の団体客向けの専用駐車場は事前予約制にて設定している[2][27]。
タクシーは武蔵小杉駅から競技場まで1000円前後である[26]。なお、競技場のメインスタンド正面に面した2車線の市道が通行可能となっている[26](駐車は禁止)[要出典]。
等々力緑地の南側の小杉十字路では国道409号(府中街道、「市営等々力グランド入口」バス停は同道路に設置)と神奈川県道45号(中原街道)が交差し、同競技場を利用する自動車の大半はこれらの幹線道路を通る。しかし、両道路とも2車線、それも幅が狭く改良工事が待たれる部分が多く、通常時でも渋滞が多いため、同競技場での試合終了後には同緑地周辺から抜けるのに数十分以上待たされる例がある[要出典]。また、等々力緑地周辺には高速道路が無く、第三京浜道路の京浜川崎インターチェンジまで約3km、東名高速道路の東名川崎インターチェンジや首都高速道路2号目黒線の荏原出入口までは約10kmと離れている。[要出典]
フロンターレの試合の際には自転車での来場も多く、2013シーズンよりフロンターレの試合開催時は等々力緑地内プール横に臨時駐輪場を設けている[26]。緑地周辺は比較的平坦な地形で(一部に旧堤防の名残の坂がある)、多摩川の堤防上に整備された多摩川サイクリングロードなどを利用した長距離移動が可能である[要出典]。なお、同ロードは同競技場をスタート・ゴールとする「川崎国際多摩川マラソン」の会場ともなり、最長でハーフマラソンのコースが設定されている[28]。
将来構想
川崎市の北部(西部)と南部(東部)をつなぐ川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)計画を2005年に見直した際、1期整備区間の中に「等々力緑地駅」を設置し、小田急小田原線・小田急多摩線(同線との直通運転構想あり)の新百合ヶ丘駅(途中で東急田園都市線宮前平駅を経由)や武蔵小杉駅とつなぐ案が川崎市から提示された[29]。これは同競技場やとどろきアリーナなどの等々力緑地内各施設への利用客を取り込もうとした計画で、等々力緑地駅は同競技場から最も近い鉄道駅(1km以内)になる。しかし、2012年度をもって川崎縦貫高速鉄道の会計が廃止され、この計画は事実上頓挫した(詳細は川崎縦貫高速鉄道の記事を参照)。
緑地内その他の施設
- 川崎市市民ミュージアム
- 川崎市とどろきアリーナ
- プール(夏季のみ)
- テニスコート
- 釣り堀
- サッカー場
- 川崎市等々力球場
周辺施設
- 多摩川河川敷
- まんが寺(常楽寺、日本まんが博物館)
- 富士通川崎工場
フォトギャラリー
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改修中のメインスタンド。前方が仮設スタンド。後方が取り壊し中の旧スタンド
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選手入場時のビッグフラッグ
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ホーム側からアウェイバックスタンドを見る
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アウェイ側からホームバックスタンドを見る
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西側上空より 2015年2月
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南側上空より 2015年2月
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メインスタンド全景
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2階席から見るメインスタンド
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メインスタンド外観
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バックスタンド側から
出典
- ^ 等々力緑地概要(P9「主な施設」、P10「等々力陸上競技場」の各項参照)
- ^ a b “車椅子をご利用の方へ”. 川崎フロンターレ. 2014年2月25日閲覧。
- ^ “スタジアム案内図”. 川崎フロンターレ. 2014年2月25日閲覧。
- ^ こんなトイレがあった! 等々力競技場、ハーフタイムの行列を解消 (1/4ページ) - 日経ビジネスオンライン 「キーパーソンに聞く」、2015年4月7日
- ^ ちなみに、フロンターレの観客動員数トップ10の中に4試合レッズ戦が含まれている。
- ^ 【お知らせ】10/22(月)富士通戦 フィールド長の変更について
- ^ 等々力陸上競技場の専用サッカー場案消える、現在位置で建て替えへ/川崎 神奈川新聞 2010年9月30日閲覧
- ^ 川崎F3万人本拠 等々力5000席を増築 日刊スポーツ 2010年10月23日閲覧
- ^ 等々力陸上競技場整備計画策定について: 川崎市公式サイト 2012年10月4日
- ^ お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:等々力陸上競技場メインスタンド改築「工事概要・仮設スタンドでの試合開催」について: 川崎フロンターレ公式サイト 2012年10月4日閲覧
- ^ これはスタジアムの施設所有者(この場合は川崎市)の定める公称収容人員である27,495人から、Jリーグの定める実勢入場可能人数の考え方に沿って、見切り席や記者席・来賓席など、一般発売しない座席などを省いた数値。なお当日の実際の収容可能人数は、ホームとアウェーの緩衝地帯(一部立ち入り禁止区域)などにより、若干変動が生じる
- ^ 等々力陸上競技場「新メインスタンド」について(第6弾)
- ^ a b c 等々力陸上競技場・新メインスタンドについて(第5弾)
- ^ “等々力競技場「青いトラック」変更、川崎市が断念”. Yahoo!ニュース. 読売新聞 (2007年2月27日). 2007年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月26日閲覧。
- ^ 等々力10億円かけ高速トラックに変身 日刊スポーツ 2008年6月21日閲覧
- ^ NEW等々力「カンプノウみたい」14日川崎ホーム開幕戦でお披露目 スポーツ報知 2015年3月11日
- ^ 2016年度までは、「個別席を完備したスタジアムの使用を強く勧告する」としていた
- ^ 等々力陸上競技場の座席改修 年明けのACL向け(東京新聞2016年10月18日 12月21日閲覧)・川崎フロンターレ、ACLのルール厳格化により等々力陸上競技場の観客席を一部改修へ 1階バックスタンド観客は1243席のみに。(川崎フロンターレ応援ブログ「フロスキ」2016年10月18日 12月21日閲覧)
- ^ 「2017シーズンチケット」販売のお知らせ
- ^ AFCチャンピオンズリーグ2017 グループステージの席割および入場料について(2017年1月30日 川崎F 2017年2月23日閲覧)
- ^ 川崎の等々力陸上競技場 3万5000人規模に増築へ(2017年5月31日 東京新聞)
- ^ まちづくり委員会資料「等々力陸上競技場第2期整備「整備の基本方針」(案)の策定について」
- ^ a b c d “スタジアム(等々力陸上競技場)”. Jリーグ. 2014年1月17日閲覧。
- ^ a b c “アクセス”. チケットぴあ. 2014年1月17日閲覧。
- ^ “等々力緑地”. 川崎市. 2014年2月25日閲覧。
- ^ a b c d “チケット・観戦”. 川崎フロンターレ. 2014年2月25日閲覧。
- ^ “[http://www.frontale.co.jp/tickets/tickets_guide/bus_parking.html バス専用駐車場について�(事前申込制)]”. 川崎フロンターレ. 2014年2月25日閲覧。
- ^ 平成20年11月16日(日)開催 等々力陸上競技場〜多摩川マラソンコース - 川崎市(2008年9月30日時点のアーカイブ)
- ^ 川崎縦貫高速鉄道線整備事業 - 川崎縦貫高速鉄道線整備事業ホームページ(2012年3月7日時点のアーカイブ)
関連項目
外部リンク
先代 長居陸上競技場 (大阪市) |
日本陸上競技選手権大会 会場 第92回 |
次代 広島広域公園陸上競技場 (広島市) |