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2017年8月29日 (火) 11:40時点における版

マリオ・ゲッツェ
バイエルンでのゲッツェ (2015年)
名前
ラテン文字 Mario Götze
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1992-06-03) 1992年6月3日(32歳)
出身地 メミンゲン
身長 176cm[1]
体重 64kg[1]
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
ポジション MF (OMF)
背番号 10
利き足 右足
ユース
1995-1998 ドイツの旗 SCロンスベルク
1998-2001 ドイツの旗 FCアイントラハト・ハンブルク
2001-2009 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2013 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 83 (22)
2013-2016 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 73 (22)
2016- ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 11 (1)
代表歴2
2007 ドイツの旗 ドイツ U-15 2 (0)
2007-2008 ドイツの旗 ドイツ U-16 8 (3)
2008-2009 ドイツの旗 ドイツ U-17 13 (5)
2009 ドイツの旗 ドイツ U-21 2 (0)
2010- ドイツの旗 ドイツ 62 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月20日現在。
2. 2016年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリオ・ゲッツェ(Mario Götze, 1992年6月3日 - )は、ドイツバイエルン州メミンゲン出身のサッカー選手ブンデスリーガボルシア・ドルトムント所属。ドイツ代表。ポジションはミッドフィールダー

経歴

クラブ

ドルトムント

ドルトムントでプレイするゲッツェ

ボルシア・ドルトムントのユース出身の選手であり、8歳の時からドルトムントに所属している。ブンデスリーガデビューとなったのは2009年11月21日に行われ、0-0で引き分けたマインツ戦であり、ヤクプ・ブワシュチコフスキと交代で88分から出場した。2010-11シーズンのブンデスリーガでは香川真司が怪我でチームを離脱して以降、ユルゲン・クロップはゲッツェを重用し、期待に応えたゲッツェは中心選手としてチームのリーグ優勝に貢献した。シーズンを通して6ゴール15アシストを記録し、2004-05シーズン以降のブンデスリーガにおいて、18歳の選手として最高の記録を残した。

同チーム所属の香川も「今期(2011-2012)はゲッツェが核となる」と高評価している。2011年8月31日に日本円にして44億円のアーセナルからのオファーをドルトムント側が断った[2]

バイエルン・ミュンヘン

2013年4月に2013-14シーズンよりバイエルン・ミュンヘンへ移籍することが発表された[3]。この移籍は単にライバル間の移籍だけでなく、UEFAチャンピオンズリーグの決勝前の移籍発表であり、またゲッツェはバイエルン州出身とはいえドルトムントユース育ちでもあったため、ドルトムントサポーターはこの移籍を「裏切り」ととらえ激しい怒りを買った。背番号はドイツ代表で着ていた番号と同じ19番である。

7月に行われたバイエルン・ミュンヘン入団の記者会見の席上で、バイエルンのスポンサーであるアディダスライバル企業のTシャツを着用して出席する失態を演じた。 同様の行為を行ったマリオ・ゴメスヤン・キルヒホフと共に後日バイエルンより罰金の処分を受けた[4]

2013年11月23日、ブンデスリーガ第13節のドルトムント戦に56分から途中出場。66分にトーマス・ミュラーのパスからアウトサイドでゴールをきめて、古巣のドルトムントから勝越し弾を上げた。

ドルトムント復帰

2016年7月21日、バイエルンからドルトムントに移籍金2600万ユーロで、さらにボーナスをつける待遇で完全移籍で復帰する[5]ことを発表した。 ドルトムント復帰後は、体重オーバーや筋肉系のトラブルに悩まされてパフォーマンスが上がらず、出場機会が得られない状態が続いた。2017年2月27日、内科医による精密検査の結果、代謝異常が発覚し、無期限のチーム離脱が発表された。

代表

2014 FIFAワールドカップ・決勝アルゼンチン戦での決勝ゴール(2014年7月13日 エスタジオ・ド・マラカナン)

各年代の代表を経験し、U-17代表ではUEFA U-17欧州選手権の優勝に貢献し、FIFA U-17ワールドカップでは、チームトップの3ゴールを記録した。

2010年11月17日に行われたスウェーデン代表戦で初めてA代表に招集され、その試合でチームメイトのケヴィン・グロスクロイツと78分から交代で出場し[6]ウーヴェ・ゼーラー以来となる18歳の若さでA代表デビューを果たした選手となった[7]。また、この試合に出場したアンドレ・シュールレともに、東西統一後のドイツで生まれた選手として初めてドイツ代表でプレーした選手となった。

2014年7月13日リオデジャネイロマラカナンで行われた2014 FIFAワールドカップ・決勝アルゼンチン代表戦で、途中出場のゲッツェは、0-0のまま迎えた延長後半8分に左サイドから上がったアンドレ・シュールレのクロスボールにトラップをして左足で押し込み決勝点を挙げ、ドイツ代表を6大会ぶり4度目の優勝、ドイツ再統一(東西統一)後は初めてのタイトル獲得に貢献した。

人物

個人成績

クラブ

所属クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 UEFA主催 シーズン通算成績
出場数 ゴール アシスト 出場数 ゴール アシスト 出場数 ゴール アシスト 出場数 ゴール アシスト
ボルシア・ドルトムント 2009-10 31 5 0 0 ––– ––– 5 0 0
2010-11 33 6 15 2 0 0 6 2 0 41 8 15
2011-12 11 17 6 5 2 1 1 6 0 2 25 7 8
2012-13 10 28 10 8 5 4 0 9 2 5 41 16 13
バイエルン・ミュンヘン 2013-14 19 27 10 9 4 1 3 11 3 1 42 14 13
2014-15 32 9 2 4 2 0 11 4 1 47 15 3
2015-16 14 3 - 2 1 - 4 2 - 20 6 -
ボルシア・ドルトムント 2016-17 10 3 0 - 0 0 0 1 1 - 4 1 -
合計 164 44 39 19 9 4 48 14 9 231 67 52

代表

出場大会

試合数

国際Aマッチ 50試合 17得点(2010年- )


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
2011 11 2
2012 8 1
2013 6 3
2014 15 7
2015 7 3
2016 3 0
通算 51 17

ゴール

タイトル

クラブ

ボルシア・ドルトムント
バイエルン・ミュンヘン

代表

U-17ドイツ代表
ドイツ代表

個人

脚注

外部リンク