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エリック・マキシム・シュポ=モティング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マキシム・シュポ=モティング
カメルーン代表でのシュポ=モティング(2022年)
名前
本名 ジャン=エリック・マキシム・シュポ=モティング
Jean-Eric Maxim Choupo-Moting
愛称 チュポンドフスキ
ラテン文字 Maxim Choupo-Moting
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1989-03-23) 1989年3月23日(35歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツハンブルク
身長 189cm
体重 82kg
選手情報
在籍チーム 無所属
ポジション FW
背番号 13
利き足 右足
ユース
1995-2000 ドイツの旗 テウトニア
2000-2003 ドイツの旗 アルトナ
2003-2004 ドイツの旗 ザンクトパウリ
2004-2007 ドイツの旗 ハンブルガー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2011 ドイツの旗 ハンブルガーⅡ 31 (1)
2007-2011 ドイツの旗 ハンブルガー 23 (2)
2009-2010 ドイツの旗 ニュルンベルク (loan) 25 (5)
2011-2014 ドイツの旗 マインツ 74 (20)
2013 ドイツの旗 マインツII 2 (0)
2014-2017 ドイツの旗 シャルケ 82 (18)
2017-2018 イングランドの旗 ストーク・シティ 30 (5)
2018-2020 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 31 (6)
2020-2024 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 61 (17)
代表歴2
2006-2007  ドイツ U-18 6 (4)
2007-2008  ドイツ U-19 6 (3)
2009  ドイツ U-20 2 (0)
2009-2010  ドイツ U-21 5 (2)
2010- カメルーンの旗 カメルーン 72 (20)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月18日現在。
2. 2023年4月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャン=エリック・マキシム・シュポ=モティングJean-Eric Maxim Choupo-Moting, 1989年3月23日 - )は、西ドイツハンブルク出身のサッカー選手カメルーン代表所属。ポジションはFW

チュポ=モティングと表記されることもある。

経歴

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ユース

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ハンブルクで生まれたシュポ=モティングは、ハンブルク・オッテンセンを拠点とするFCテウトニア・オッテンセン05英語版の下部組織からキャリアを始めた。2000年にアルトナ93へ移動し、ハンブルガー・ポカールで優勝。2003年にFCザンクト・パウリに加入した。

ハンブルガー

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2004年から地元のハンブルガーSVの下部組織に移籍。2006-07シーズン冬の中断期間にリザーブチームに登録されると、2007年5月5日にプロ契約を2010年まで結び、2008-09シーズンのトップチームに登録された。2007年8月1日にユヴェントスFCとの親善試合(1-0)で初得点を挙げ、それから4日後のDFBポカールホルシュタイン・キール戦(5-0)でプロデビューを果たした。8月11日のハノーファー96戦で69分から出場し、ブンデスリーガデビュー。2008年2月1日に契約を2011年6月30日まで延長した。

ニュルンベルク

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2009年8月下旬に1.FCニュルンベルクへ1年間貸し出され[1]、9月19日のバイエルン・ミュンヘン戦(1-2)で移籍後初得点を挙げた[2]。前半戦は10試合でフル出場が僅か2試合、第24節までは1得点のみだったものの、第25節のバイエル・レバークーゼン戦で当時無敗を誇っていた相手に2得点を決める活躍を見せたことで以降はレギュラーを掴み取り、このシーズンで昇降格プレーオフを含め27試合6得点を記録。また、2部降格危機にある中でFCアウクスブルクとのプレーオフ第2戦で得点を挙げ、残留に貢献した[3]

ハンブルガー復帰

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ドイツ・ブンデスリーガ2010-2011に復帰し、前半戦はリーグ戦で10試合(2得点), ポカールで2試合に出場。後半戦に1.FCケルンへ貸し出されることで合意に達したものの、FAX機の故障が原因で書類の提出期限に間に合わず受理されなかった[4]。ケルン側は、FAXの技術的な問題を理由にドイツサッカーリーグ機構 (DFL)に許可を求めたが、最終的に移籍することは出来なかった[5]。この契約が破断したことでハンブルガーに戻るも、トップチームに居場所はなく、4部のリザーブチームでプレーすることになり、2011年6月30日に契約満了に伴い退団した。

マインツ

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2011年5月18日に自由移籍で1.FSVマインツ05へ3年契約で加入[6]し、1年目にチーム最多の10得点を挙げた。

ストーク

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2017年8月7日、ストーク・シティFCと3年契約を結ぶ[7]

パリ・サンジェルマン

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2018年8月31日、マインツ時代の監督トーマス・トゥヘル率いるパリ・サンジェルマンFCと2年契約を結ぶ[8]リーグ・アンデビュー戦となった9月23日のスタッド・レンヌ戦ではPSGでの初得点を記録。しかし、先発出場の機会は限られ、特に2019年4月6日のRCストラスブール戦で、クリストファー・エンクンクのシュートをゴールライン上で誤って止めてしまった場面は「サッカー史上最悪のミス」と評されるなど、信頼を掴めたとは言えなかった[9]

バイエルン・ミュンヘン

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2020年10月5日、FCバイエルン・ミュンヘンと2021年6月30日までの契約を締結[10]。2021年6月4日には2023年までの契約延長に合意した[11]。加入後2シーズンはロベルト・レヴァンドフスキのバックアッパーだったが、2022-23シーズンにレヴァンドフスキがFCバルセロナに移籍すると、監督のユリアン・ナーゲルスマンの信頼を掴み1トップに抜擢された。

代表

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シュポ=モティングは、ユース時代はドイツ代表としてU-19及びU-21でプレーし、2007年9月12日にドイツサッカー連盟 (DFB)が選定する最優秀選手賞・フリッツ・ヴァルター・メダルの銀メダルを受賞した。

A代表は、父の母国であるカメルーン代表でプレーすることを決意し、ポール・ル・グエン監督の下で2010 FIFAワールドカップに向けた候補30人に選出された[12][13]。6月5日のセルビア戦(3-4)で初得点を記録。その後、本大会23人のメンバーに選出され、日本戦とオランダ戦で出場(共に先発)したが、共に得点を挙げることは出来ずに最下位で敗退した。

2022年、ワールドカップカタール大会ではグループリーグ第2戦のセルビア戦で、2-3から同点とするゴールを挙げた[14]

タイトル

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クラブ

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パリ・サンジェルマン
バイエルン・ミュンヘン

脚注

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外部リンク

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