コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アレクサンドル・ソング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレックス・ソング
名前
本名 アレクサンドル・ディミトリ・ソング・ビロング
Alexandre Dimitri Song Billong
愛称 アレックス
ラテン文字 Alexandre Song
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
フランスの旗 フランス
生年月日 (1987-09-09) 1987年9月9日(37歳)
出身地 ドゥアラ
身長 184cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム ジブチの旗 アルタ・ソラール7
ポジション MF (DMF)
利き足 右足
ユース
2001-2004 フランスの旗 SCバスティア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 フランスの旗 SCバスティア 32 (0)
2005-2006 イングランドの旗 アーセナルFC (loan) 5 (0)
2006-2012 イングランドの旗 アーセナルFC 138 (7)
2007 イングランドの旗 チャールトン・アスレティックFC (loan) 12 (0)
2012-2016 スペインの旗 FCバルセロナ 39 (1)
2014-2015 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッドFC (loan) 28 (0)
2015-2016 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッドFC (loan) 12 (0)
2016-2018 ロシアの旗 FCルビン・カザン 22 (1)
2018-2020 スイスの旗 FCシオン 20 (0)
2020-2023 ジブチの旗 アルタ・ソラール7
代表歴2
2002-2003 フランスの旗 フランス U-16 6 (0)
2003-2004 カメルーンの旗 カメルーン U-17 3 (0)
2008 カメルーンの旗 カメルーン U-23 3 (0)
2005-2014 カメルーンの旗 カメルーン 49 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月9日現在。
2. 2015年8月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレクサンドル・ディミトリ・ソング・ビロングAlexandre Dimitri Song Billong, 1987年9月9日 - )は、カメルーンドゥアラ出身の元サッカー選手。元カメルーン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

元カメルーン代表のリゴベール・ソングは叔父。

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

SCバスティアでプロとしてのキャリアをスタート。2005年アーセナルFCのトライアウトを受験し、これに合格した。2007年1月からシーズン終了まで、チャールトン・アスレティックへレンタル移籍。07-08シーズンからはアーセナルへ戻った。

08-09シーズンは退団したマチュー・フラミニの後釜として期待されるも、序盤戦ではミスを連発。安定感を欠くプレーで経験不足を露呈した。しかしながらシーズン終盤へかけて急激にパフォーマンスが向上し、次のシーズンへの飛躍が期待されるようになった。

09-10シーズン、アーセナルが伝統の4-4-2のフォーメーションを4-3-3へ変更。その中でソングは中盤の底という重要なポジションを任されることとなった。シーズン前は懐疑的な声も多かったが、ソングも新しいシステムに見事順応。才能を開花させ不動のスタメンとなり、見事にその評価を覆している。

11-12シーズン、不動のレギュラーとして活躍する。優れたボディバランスとボール奪取能力、さらには成長したパスの能力でエヴァートン戦、リヴァプール戦でのファンペルシーのビューティフルゴールを演出するなどセスクの穴を埋める活躍を見せた。

2012年8月、FCバルセロナに移籍する。移籍金は1900万ポンドで契約は5年間。2013-14シーズンから背番号を25番からアーセナルで着用していた17番に変更した。

2014年8月30日、出場機会を求めてウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍した[1]。2014-15シーズン終了後に一度はFCバルセロナに復帰するも、2015年9月1日に再びウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍することを発表した[2]

2016年8月1日、ロシアサッカー・プレミアリーグFCルビン・カザンに移籍した。

2018年8月15日、FCシオンへ移籍[3]。だが2020年3月、新型コロナウイルス感染症の影響により給与カットを打診され、それを断ったことで解雇された[4]

2020年11月8日、ジブチ・プレミアリーグアルタ・ソラール7と2年契約を結んだ[5]

代表

[編集]

アフリカネイションズカップ2008ではカメルーン代表初招集ながら初戦のエジプト戦の後半から出場し、以降スタメンに定着する。チームを準優勝へ導き、大会ベストイレブンに選出された。

2014 FIFAワールドカップでは対クロアチア戦で40分にマリオ・マンジュキッチに対してわざと肘打ちをしたため、レッドカードを提示され一発退場となった。チームも0-4で敗れ、カメルーン代表のグループリーグ敗退の一因となった。

2015年1月6日、カメルーン代表からの引退を発表した[6]

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
FCバルセロナ

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]