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『'''JFK'''』(''{{en|JFK}}'')は[[1991年]]の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]。[[ケネディ大統領暗殺事件]]の捜査に執念を燃やす地方検事[[ジム・ギャリソン]]([[ケビン・コスナー]])を中心に描いた現代史ミステリー。大統領暗殺をめぐる唯一の訴訟である[[:en:Trial of Clay Shaw|クレイ・ショー裁判]]にいたる捜査を題材として描いている。 |
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2017年8月28日 (月) 12:18時点における版
JFK | |
---|---|
JFK | |
監督 | オリバー・ストーン |
脚本 |
オリバー・ストーン ザカリー・スクラー |
原案 |
ジム・ギャリソン ジム・マース |
製作 |
A・キットマン・ホー オリバー・ストーン |
製作総指揮 | アーノン・ミルチャン |
ナレーター | マーティン・シーン |
出演者 |
ケビン・コスナー トミー・リー・ジョーンズ ゲイリー・オールドマン ケヴィン・ベーコン |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ロバート・リチャードソン |
編集 |
ジョー・ハッシング ピエトロ・スカリア |
製作会社 | リージェンシー・エンタープライズ |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 |
1991年12月20日 1992年3月21日 |
上映時間 |
189分 206分(ディレクターズ・カット版) |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | 4000万米ドル |
興行収入 |
7040万5498米ドル[1] $205,405,498[1] |
配給収入 | 17億5000万円[2] |
『JFK』(JFK)は1991年のアメリカ映画。ケネディ大統領暗殺事件の捜査に執念を燃やす地方検事ジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)を中心に描いた現代史ミステリー。大統領暗殺をめぐる唯一の訴訟であるクレイ・ショー裁判にいたる捜査を題材として描いている。
第64回アカデミー賞で撮影賞と編集賞を受賞した。
劇場公開版の時点で、上映時間3時間を超える大作だった[3]。公開と同じ1991年、さらに長いディレクターズ・カット版(約206分)がビデオ発売された。
主として、リー・ハーヴェイ・オズワルド、CIA、マフィアや大物政治家がケネディ暗殺の犯人あるいは黒幕らしいとして語られるが、この映画は独自の説に基づいて展開されている。この独自の説の材料は1980年代に発表されていたものの、この映画により一躍知名度を高めた[4]。
あらすじ
ニューオーリンズの地方検事であるジム・ギャリソンは、昼食中に大統領暗殺の第一報を受けた。しかし、直後に逮捕されるリー・ハーヴェイ・オズワルドという人物に、彼は大多数のアメリカ人とは別のショックを受ける。ニューオーリンズの法曹関係者の間ではオズワルドという男は有名人であったからである。 オズワルドは不思議な過去を持ち、奇行を繰り返し、キューバ人の団体とトラブルを起こしていた人物だった。彼はすぐにこの人物の調査を始めるも、大統領暗殺事件の二日後にさらに事件が起こった。マスコミや大勢の警官がいるさなか、オズワルドが警察署の中でジャック・ルビーという男に射殺されたのだ。 それから約3年後、ギャリソンはウォーレン委員会の報告書を何度も読破し、調べれば調べるほど事件の矛盾点や疑問点という名の霧が彼を包む。そしてその霧が一気に雹となって彼の体を叩く。この瞬間、仕事も名誉も捨て去ることになる、彼と合衆国との長い戦いが始まったのだった。
典拠
原案はジム・ギャリソン(Jim Garrison)の『On the Trail of the Assassins: My Investigation and Prosecution of the Murder of President Kennedy』(邦訳: ジム・ギャリソン『JFK ケネディ暗殺犯を追え』、岩瀬孝雄訳、ハヤカワ文庫NF:早川書房 1992年)及びジム・マース(Jim Marrs)の『Crossfire: The Plot That Killed Kennedy』。ジム・ギャリソンは実在の元検事、ジム・マースはケネディ暗殺事件の研究家(映画は事実に虚構を織り交ぜたフィクションである)。
参考書籍は、オリバー・ストーン、ザカリー・スクラー 『JFK ケネディ暗殺の真相を追って』(テンプリント 1993年)。映画を巡る論争、注釈付シナリオを収録している。
スタッフ
- 製作総指揮:アーノン・ミルチャン
- 製作:A・キットマン・ホー、オリヴァー・ストーン
- 監督:オリヴァー・ストーン
- 原案:ジム・ギャリソン、ジム・マース
- 脚色:オリヴァー・ストーン、ザカリー・スクラー
- 撮影:ロバート・リチャードソン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 提供:ワーナー・ブラザース
キャスト
メインキャスト
()内は日本語吹替完声版の追加録音時のキャスト
カメオ
原案者であり主人公のモデルであるジム・ギャリソン本人が、大統領暗殺事件調査委員会(ウォーレン委員会)委員長であるアール・ウォーレン最高裁長官役で出演している。
日本語吹き替え版
ソフト版
ワーナー・ホーム・ビデオより発売されたVHSには、劇場公開版の日本語吹替音声を収録。 ワーナー・ホーム・ビデオ版のディレクターズ・カット版DVDには、日本語吹き替えは未収録(劇場公開版は、DVD・BDとも日本未発売)。
20世紀フォックスホームエンタテイメントより発売のBD・DVD版には、ディレクターズ・カット版本編の追加シーンに吹替音声を追加収録した「ディレクターズ・カット/日本語吹替完声版」として収録。
翻訳:進藤光太(追加シーン分:平田百合子)、演出:福永莞爾、録音・調整:山下裕康(山本隆行)、VTR編集:松村卓朗、音響制作:相原正之、中西真澄、日本語版制作:ワーナー・ホーム・ビデオ、プロセンスタジオ(東北新社、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)
その他の声の出演:有本欽隆、伊井篤史、磯辺万沙子、糸博、伊藤和晃、小室正幸、定岡小百合、佐藤しのぶ、鈴木勝美、辻親八、中多和宏、西宏子、藤生聖子、水野龍司
追加録音分その他キャスト:根本泰彦、茜部真弓、坂井恭子、町田政則、岡田栄美、西村太佑、こねり翔
テレビ朝日版
初回放送1994年10月9日(日)21:02-23:54「日曜洋画劇場」
翻訳:たかしまちせこ、演出:福永莞爾、調整:荒井孝、制作:東北新社、プロデューサー:圓井一夫
その他の声の出演:有本欽隆、岩田安生、池水通洋、伊井篤史、叶木翔子、瀬畑奈津子、火野カチコ、宝亀克寿、堀越真己、宮田光、幹本雄之
受賞歴
- 1991年アカデミー賞
- 撮影賞:ロバート・リチャードソン
- 編集賞:ジョー・ハッシング、ピエトロ・スカリア
モデル
ドナルド・サザーランド演ずる「X大佐」のモデルはフレッチャー・プラウティであるとされている。プラウティの著書『JFK: The Cia, Vietnam, and the Plot to Assassinate John F. Kennedy』(Citadel; Upd Sub edition, 2003)にはオリバー・ストーンが序文を寄せている。
反証
この映画は、いくつかの陰謀説の書籍をミックスして脚本を構成しているが、これに関しては、不確かな情報と、誇張・拡大解釈の為、反証も存在する。
- 変えられたパレードルート
- 映画では、ジム・ギャリソンが11月19日のダラス・モーニング・ニュース誌に掲載されたパレードルートを示して、当日と異なる事を指摘し、直前に組織的な陰謀により、パレードルートがテキサス教科書倉庫ビルの近くを通るように変更された事を仄めかしている。
- しかし、これは単なる地図の転記ミスが原因である事が判明しており、その証拠として、同じ新聞の別ページには、パレードルートの文章による説明で、ヒューストン通りから、エルム通りに曲がる事が明確に記載されている。さらに同日付けのダラス・ヘラルド誌にも、ヒューストン通りからエルム通りに曲がる当日のルートが掲載されている。
- 消えた「てんかん」患者
- 映画では、デイリープラザで、てんかん発作を起こした患者が現れ、救急車で運ばれるものの病院に着くと彼は名乗らずに消えたと、ジム・ギャリソンは主張している。これは、偽のてんかん患者が周囲の警官の注意を惹くためであると説明している。
- しかし、実際には、この患者は事件翌年の1964年5月26日にFBIにより、特定されている。
- 名前はジェリー・ベルクナップ、彼は子供の頃から、てんかん発作に悩まされており、その日の救急車の搬送代金として$12.50の領収書も提示している。彼は救急車でパークランド病院に運び込まれたが、発作がすぐに収まったため、休んでいたところ、狙撃された大統領が運び込まれ、病院は大混乱になり、医者に診察を受けるどころでは無くなったと証言している。
- コナリー知事のカウボーイ・ハット
- ザプルーダーフィルムを上映するシーンで、ジム・ギャリソンは、コナリー知事が銃撃されたタイミングを説明するのに、「手首を銃弾が打ち砕いたのなら、カウボーイ・ハットを持つ事はできない。」だからまだ銃弾が当たっていないと説明している。
- しかし、コナリー知事の妻、ネリー・コナリーがテキサス・マンスリー誌のインタビューに答えた際に、コナリー知事は病院に急行する際も、ずーっとカウボーイハットを手に持ったままだったと証言している。
- 51人の目撃者
- 劇中でのジム・ギャリソンは法廷で「51人の目撃者がグラシノールから銃撃があったと証言した」と人数を挙げているが、51人もの証言は実際の裏づけが無い数字である。この51人という数字は1965年3月に発行されたMinority of Oneという雑誌に掲載された記事がベースになっているが、記事中にも、根拠となる人名のリストはない。また、その後の陰謀説に基づくJosha Thompsonの書籍では31人になり、さらに下院の調査委員会で確認された数字は20人と記載されている。
- オズワルドは射撃は下手?
- 映画ではオズワルドは射撃が下手だったと描かれているが、実際は、オズワルドは海兵隊在籍中の1956年にM1ガーランドライフルを用いた速射(rapid-fire)で50点満点中の48点と、49点を記録して、一級射撃手sharpshooterのランクを与えられている。これは海兵隊員としては、中の上クラス。一般のアメリカ人の中では間違いなく上クラスである。
- ダラス市警は発見されたライフルが当日発射されたかどうかの検査をしなかった?
- ライフル等の銃砲が、最近発射されたかどうかを検証できる鑑識の検査方法は当時も現在も存在していない。
- オズワルドの供述調書
- ジムギャリソンが劇中で、「オズワルドは12時間も拘束されたのに、供述調書が存在しない」と陰謀を匂わせる台詞があるが、実際には、逮捕された週末のダラス市警における供述は、ウォーレン報告書の付録XIに収録されている。
- テキサス劇場での逮捕
- オズワルドがテキサス劇場(映画館)で逮捕されるシーンで、数十名の警官が殺到したと、あたかも逮捕があらかじめ予定されていたかのような印象を観客に与えている。しかし当時は、近所で発生した警官射殺事件で現場周辺の警察官は殺気立っており、別の通報でも近所の図書館に、数十名の警官が殺到して大騒ぎになっている。
- 見知らぬ作業員
- 劇中では、テキサス教科書倉庫ビルは当日は改装中で、見知らぬ作業員が数多く出入りしていたと説明しているが、実際には6名の教科書倉庫の従業員だけで構成されており、見知らぬ人物がビル内に出入りしている状態ではなかった。
- デイリープラザのオズワルドとジャック・ルビー
- ジュリア・マーサーは、パレード当日の朝、渋滞するデイリープラザでグラシノールの道路脇に止まっていたグリーンのピックアップトラックから、ライフルのような物を下ろす男を目撃した。後に、写真で確認したところ、運転手はジャック・ルビー、ライフルを下ろしていた男はオズワルドであったと警察にて証言したとの有名な話を映画では映像化している。
- しかし、このトラックはダラス市警により、地元の建設会社の物で故障で停車していたもので、後部から工具箱を出して修理していた事が判明している。また、この間、3名のダラス市警の警察官が立ち会っていた事も分かっている。
- ニュージーランドの新聞
- 映画では、1963年11月23日のニュージーランドの新聞の朝刊に、オズワルドの経歴が載ったのは、CIAによる事前の情報提供があったと、匂わせるシーンを挿入している。すなわち米国時間の午後3時、ニュージーランド時間の23日午前10時に発表があったので、時間差から言えば、朝刊に掲載されるのは不可能と描かれている。
- しかし、これは映画製作側の意図的なトリックで、1963年当時、ニュージーランドでは“朝刊”は発行されていなかった。通常、ニュージーランドでは、新聞は午後1時から2時に当日の日付の新聞が発行されるのだが。米国大統領暗殺という前代未聞の大事件に、通常オーストラリア経由で来るニュースをニュージーランド直通に切り替え、23日付けの新聞に間に合わせたと、当時の担当者は語っている。
映画では語られなかったいくつかの事実
- グラシノールの丘に落ちていた歯型の付いた薬莢の存在
- 劇中でも「グラシノールの丘から撃った人間がいる」という証言の描写があるが、「大統領は自分が撃ち、歯型の付いた薬莢(やっきょう)をグラシノールの丘に置いてきた」という証言をする男が後になって現れた。
- 映画の原作者であるJFK暗殺事件研究家のジム・マーズは歯型の付いた薬莢の存在を早くから知っていたが、確証が無く映画制作時でもこの事は公にはしていなかった。
- 見つかった薬莢は「レミントン・ファイヤーボール」という小型のライフル銃の物であり、火薬の量が少し多目の初期型の物であると断定されている。実行犯だと名乗り出た男も「グラシノールの丘からレミントン・ファイヤーボールで大統領を撃った」と証言している。
- ケネディ大統領のパレードの護衛を担当していた白バイ警官の無線通話記録に入っていた合計4発に聞える銃声と思しき一発が、日本音響研究所の鑑定により内一発が「レミントン・ファイヤーボール」の銃声に極めて近いとの鑑定結果が出ていた。
- 短すぎる2発目と3発目の銃声の間隔
- 白バイ警官の無線通信に記録された4発の銃声は一定の間隔で放たれているが、2発目と3発目の銃声の間だけ2秒以下という非常に短い間隔だった。3発目は2発目の銃声のこだまだとする意見もあるが、それならば1発目と3発目の銃声にもこだまが入っておらねばならず、この理論は成立しない。いかにオズワルドが射撃の名手であろうとも、作りの荒いカルカノで2秒以下の間隔で弾丸を連射するのはほぼ不可能である。
- ケネディの喉と頭部を撃ちぬいた弾丸の方向
- ウォーレン報告書では教科書倉庫ビルの6階からオズワルドがケネディを撃ったとされているが、ケネディの喉の銃創の射出口と射入口がほぼ水平に入っていたと検視で明らかになっている。
- 教科書ビル6階から撃ったとすると、弾の角度はやや上から下に入らねばならず、ケネディが少し前にかがみでもしない限り成立しない角度である。
- ザプルーダフィルムを見る限りでも、ケネディは喉を撃ちぬかれる直前は前にかがんでおらず、上半身をほぼ垂直にして座っていた。
- また、ケネディの頭部を撃ち抜いた弾はザプルーダフィルムを見る限りでは、「ケネディが後ろの方向に仰け反っているので前方からの射撃」と映画でも主張しているが、弾丸で撃ち抜かれた場合、射入口よりも射出口の傷が大きくなり、射出口の部分の向きとは反対方向に仰け反る場合もあると、実験結果により断定されている。
- しかし使用された弾丸がダムダム弾と思われる場合、弾が硬いものに当たった瞬間に砕けるので、その場合は撃たれた方向とは反対に仰け反るとの実験結果も出ている。
- コナリー知事の証言
- コナリ-知事は「ケネディ大統領の方を振り向いた時には大統領はすでに喉を撃たれており、自分はその直後に撃たれた」と、早い段階から本人の証言があったが、ウォーレン委員会の報告書ではこの証言はついに取り上げられなかった。この証言が事実だとするとケネディ大統領とコナリー知事は別々の弾丸で狙撃されたことになり、ケネディは2発目、コナリー知事は3発目で撃たれたことになり、致命傷となった頭部への銃撃は4発目となる。これらもウォーレン報告書の内容とは矛盾している。
- 大きく切開されたケネディの喉の傷
- パークランド病院で遺体を検視をした関係者の証言によると、ケネディの遺体の喉の傷はそれほど大きくはなく小さい穴が開いていただけであったと証言している。このことから当初は喉の傷は弾丸の射入口だと判断していた。しかし、ベセスダ海軍病院で検視をした検視官の証言によると、ケネディの遺体の喉の傷は大きく切開された跡があると、複数の検視官が証言している。これはウォーレン報告書の通りに、後方からの射撃になるように遺体の傷を捏造したとの説がある。
- ケネディの遺体の運送の空白
- ダラスのパークランド病院でケネディ大統領の遺体を棺に納めた人物の証言によると、暗殺事件後のケネディの遺体はパークランド病院で検視を受けた後、シーツで包まれ飾り付きの棺に納められワシントンのベセスダ海軍病院へ直接運送されたとある。しかし、ベセスダ海軍病院に到着した棺には飾りが無く、ケネディの遺体はシーツではなく灰色の遺体袋に入れられていた。飛行機の中でケネディの遺体を別の棺と遺体袋に入れ替えたという記録は無く、また、ケネディの遺体の傷の記録がパークランド病院の物とベセスダ海軍病院の物とで食い違いがあることから、ケネディの遺体はダラスからワシントンに運ばれるまでに一度別の場所に運ばれ、遺体になんらかの処置を施した後、ベセスダ海軍病院まで運ばれたのではないかとの疑惑がある。
- 教科書ビル6階に指紋を残した男
- 教科書ビル6階を捜査したときに、オズワルドやビルの従業員のものではない人間の指紋が検出されていた。その指紋はジョンソン大統領と親交のあった男のものと後に断定されている。
脚注
- ^ a b “JFK (1991)” (英語). Box Office Mojo. 2010年4月25日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)514頁
- ^ DVD『JFK コレクターズ・エディション 特別版』(2001年日本発売、ワーナー・ホーム・ビデオ)の特典ディスクに収録の“未公開シーン”に添えられた監督本人の音声解説によれば、本作制作中には中盤に“休憩”を挟んだ、より長い作品として劇場公開することも検討されていたという。
- ^ メアリー・モーマン(Mary Moorman、ジーン・ヒル(Jean Hill)の隣に立っていた女性)が大統領のリムジンとグラシー・ノール付近を撮影した写真(モーマン写真)にはオズワルド以外の暗殺犯とその発砲の瞬間が写っているとする説。研究家ゲーリー・マック(Gary Mack)はモーマン写真を拡大するとバッジを付けた人物と、煙かマズルフラッシュ(発射炎)のような像が確認できることを発見した。この説は1988年に England's Central Independent Television が製作したドキュメンタリー『The Men Who Killed Kennedy』でも紹介された。
- ^ ワーナー・ホーム・ビデオ発売のVHS・LD(DVDを除く)、20世紀フォックスホームエンタテイメント発売の「完声版」BD・DVD