「三島女子短大生焼殺事件」の版間の差分
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{{暴力的}} |
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'''三島女子短大生焼殺事件'''(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、[[2002年]][[1月22日]]に[[静岡県]][[三島市]]で発生した[[殺人]]事件。 |
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{{Infobox 事件・事故 |
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| 名称 = 三島女子短大生焼殺事件 |
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| 場所 = {{JPN}}・[[静岡県]]<ref name="静岡新聞2002-01-23"/><ref name="静岡新聞2002-01-24 朝刊"/> |
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* [[三島市]]青木・[[国道136号]]沿いの路上(拉致現場){{Refnest|group="注"|name="拉致現場"|被害者Aが拉致された現場(三島市青木・国道136号沿い)一帯は{{Sfn|上條|2003|p=103}}被害者A宅(三島市梅名)<ref name="読売新聞2002-01-25静岡朝刊"/>から約2 km地点{{Sfn|上條|2003|p=96}}。同所付近は事件後にコンビニエンスストア・炭火焼肉店などが進出して明るくなったが、事件当時は畑・空き地が広がり人気のない暗い地域だった{{Sfn|上條|2003|p=103}}。}}<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/> |
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* [[田方郡]][[函南町]]軽井沢字立洞地内(強姦現場){{Refnest|group="注"|name="強姦現場"|加害者Hが被害者を強姦した場所は畑に囲まれた山中の道路端で、夜間は真っ暗になる場所とされる{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。この場所は同地(函南町軽井沢)にあったHの勤務先の建設会社事務所(軽井沢事務所)から車で約10分弱走った場所で、Hはこの山中道路端を強姦場所に決めた理由について捜査段階で「『軽井沢事務所から社長の父親の仕事場(神奈川県[[足柄下郡]][[箱根町]])に向かう途中の山中なら誰にも見られない』と思って強姦場所に決めた」という趣旨の供述をした{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}} |
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* 三島市川原ケ谷字山田・山地内の道路拡幅工事現場(殺害・遺体発見現場){{Refnest|group="注"|name="殺害現場"|殺害現場は[[三島駅]]([[東海旅客鉄道|JR東海]]・[[伊豆箱根鉄道駿豆線]])から約3 km離れた「三島ジャンボゴルフセンター」北側の山道で<ref name="静岡新聞2002-01-23"/>、峠にあるゴルフ練習場から約100 m下った場所に位置する<ref name="朝日新聞2002-01-24 静岡朝刊">『[[朝日新聞]]』2002年1月23日東京朝刊静岡県版第一地方面31頁「三島の焼死体、茶髪10代後半~20代 被害者身元確認急ぐ/静岡」([[朝日新聞東京本社]]・静岡総局)</ref>。現場周辺には民家はなく、夜に出歩く人もほとんどいなかったが、三島市から[[御殿場市]]・[[裾野市]]方面への抜け道になっていたために昼夜ともに車の通りが絶えない場所だった<ref name="朝日新聞2002-01-24 静岡朝刊"/>。なお、当時は市道を拡幅する工事をしていたために道路の一部は未舗装だった<ref name="静岡新聞2002-07-28 朝刊"/>。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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| 緯度度 = 35 |緯度分 = 8 |緯度秒 = 32.4 |
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| 経度度 = 138 |経度分 = 56 |経度秒 = 35.8 |
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| 日付 = [[2002年]]([[平成]]14年)[[1月22日]] - [[1月23日]]{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}<ref name="静岡新聞2002-01-23"/> |
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| 開始時刻 = 23時ごろ(拉致時刻){{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}} |
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| 終了時刻 = 2時ごろ(殺害時刻){{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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| 時間帯 = [[UTC+9]]([[日本標準時]]) |
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| 概要 = 過去に[[少年院]]・[[日本の刑務所|刑務所]]に複数回服役して[[覚醒剤]]を常習的に乱用していた男が帰宅途中、偶然鉢合わせした通りすがりの女子短大生を[[拉致]]して函南町内の山中で[[強姦]]した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。<br>その後、男は「覚醒剤を打つ邪魔になった」という理由で女子短大生を殺害することを決意し、自宅から灯油を持参して三島市内の山中にて女子短大生の身体に[[灯油]]をかけて点火し、女子短大生を生きたまま焼き殺した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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| 武器 = [[灯油]]・[[ライター]]{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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| 攻撃側人数 = 1人 |
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| 標的 = 当時19歳・女子短大生A(三島市梅名在住・[[上智短期大学]]1年)<ref name="読売新聞2002-01-25朝刊"/><ref name="読売新聞2002-01-25静岡朝刊"/> |
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| 死亡 = 1人 |
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| 犯人 = 男H(事件当時29歳・逮捕当時30歳 / 三島市若松町在住・建築作業員)<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/> |
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| 動機 = 被害者Aを[[強姦]]後、「解放すると警察に通報される」と恐れたため{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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| 謝罪 = 第一審最終意見陳述にて謝罪<ref name="静岡新聞2003-10-30"/><br>上告審までに被害者遺族に対し謝罪の手紙<ref name="読売新聞2007-12-18"/> |
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| 対処 = 静岡県警が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊29面"/><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊28面"/>・静岡地検沼津支部が[[起訴]]<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.1"/> |
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| 刑事訴訟 = [[日本における死刑|死刑]]{{Sfn|東京高裁|2005|loc=主文}}(控訴審{{Sfn|東京高裁|2005|loc=主文}}<ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊1面no.1"/><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.1"/>・上告審判決<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/> / [[日本における被死刑執行者の一覧|執行済み]]<ref name="法務省2012-08-03"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.1"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.2"/>) |
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| 管轄 = [[静岡県警察]](県警[[刑事部|捜査一課]]・[[三島警察署]])<ref name="静岡新聞2002-01-23"/><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/><br>[[静岡地方検察庁]]沼津支部<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.1"/>・[[東京高等検察庁]] |
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}} |
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{{最高裁判例 |
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|事件名 = 三島女子短大生焼殺事件 |
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|事件番号 = 平成17年(あ)第959号 |
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|裁判年月日 = 2008年(平成20年)2月29日 |
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|判例集 = 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁 |
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|裁判要旨 = |
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# [[死刑合憲判決|死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない]]。 |
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# 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。 |
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|法廷名 = 第二小法廷 |
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|裁判長 = [[古田佑紀]] |
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|陪席裁判官 = [[津野修]]・[[今井功 (裁判官)|今井功]]・[[中川了滋]] |
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|多数意見 = 全員一致 |
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|意見 = なし |
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|反対意見 = なし |
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|参照法条 = [[逮捕・監禁罪|逮捕・監禁]]・[[強制性交等罪|強姦]]・[[殺人罪 (日本)|殺人]] |
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|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080564 |
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}} |
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'''三島女子短大生焼殺事件'''(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、[[2002年]]([[平成]]14年)1月に[[静岡県]][[三島市]]川原ケ谷の山中で発生した[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]・[[強制性交等罪|強姦]]・[[殺人罪 (日本)|殺人]]事件<ref name="静岡新聞2002-01-23">『[[静岡新聞]]』2002年1月23日夕刊第一社会面3頁「市道に焼死体、殺人で捜査 若い女性 後ろ手に縛られ 三島」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-01-24 朝刊">『静岡新聞』2002年1月24日朝刊第一社会面27頁「三島の女性殺害 生存中に火付ける 灯油の痕跡 身元確認急ぐ」(静岡新聞社)</ref>。 |
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[[被害者]]1名の事件の[[被告人]]に[[死刑]][[判決 (日本法)|判決]]が下ったことでも注目された。<!--{{要出典範囲|date=2014-06|単純に、「'''三島事件'''」と呼称されることもある}}<ref>単に三島事件といえば[[三島由紀夫]]が割腹自殺をした[[三島事件]]を指すことが多いため注意が必要</ref>。 |
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//この事件を単純に「三島事件」と呼称している新聞雑誌等の記事、もしくは警察資料等が発見された場合、その資料を出典として付記した上で、この部分のコメントアウトを解除してください。 |
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--> |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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加害者の男H(事件当時{{年数|1972|2|21|2002|1|22}}歳・逮捕当時{{年数|1972|2|21|2002|7|23}}歳)は2002年[[1月22日]]夜、帰宅途中に偶然鉢合わせした通りすがりの被害者・女子短大生A(当時19歳)を拉致・強姦した上、「[[覚醒剤]]を打つのに邪魔になった」という理由から被害者の殺害を決意し、翌[[1月23日|23日]]未明に三島市の山中を通る市道路肩にて被害者Aに生きたまま灯油をかけて焼き殺した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行の動機、経緯、態様等}}。 |
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2002年1月22日夜、静岡県三島市内でHは帰宅中の[[ナンパ|女子短大生に声をかけた]]が、相手にしてもらえなかったことに激昂し、自分の[[自動車|車]]に彼女を連れ込んで監禁し[[強姦]]した。その後車で数時間にわたり連れ回し、[[1月23日]]未明に市内の[[道路]]工事現場で女子短大生を縛り上げたうえ、[[灯油]]を浴びせ焼殺した。これを目撃した住民から[[静岡県警察|警察]]への通報があり、現場から女子短大生とみられる焼死体が発見されたことで事件が発覚し、焼死体は[[行方不明]]となっていた女子短大生であると判明。警察の[[捜査]]から事件当日に[[人身事故]]を起こしていたHが捜査線上に浮上。事件現場に残された[[DNA]]がHのものと一致したため、事件発生から約半年後の[[7月23日]]に[[逮捕]]された。 |
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[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]から1983年に[[永山則夫連続射殺事件]]の上告審判決において死刑適用基準を示した傍論「[[永山基準]]」が示されて以降では、殺害された[[被害者]]数が1人で、かつ経済的利欲目的ではない殺人事件の[[刑事訴訟法|刑事裁判]]において、殺人で服役した[[前科]]のなかった[[被告人]]に[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]が言い渡された事例は異例で<ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊1面no.1"/><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.1"/><ref name="読売新聞2005-03-29"/>、最高裁でその死刑判決が支持されて[[確定判決|確定]]した事例も極めて特異なものだった<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/>。 |
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女子短大生が帰宅途中に乗っていた[[自転車]]も無くなっていたが、Hの供述により、隣接する[[沼津市]]で発見された。さらに、監禁から殺害までの残忍な犯行が明らかとなった。 |
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== |
== 元死刑囚H == |
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本事件の加害者である男'''H・J'''(以下、姓のイニシャル「H」と表記)は[[1972年]]([[昭和]]47年)2月21日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=264}}{{Sfn|フォーラム90|2009|p=99}}{{Sfn|フォーラム90|2012|p=88}}(逮捕当時は{{年数|1972|2|21|2002|7|23}}歳・建設作業員)<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊28面"/>。[[本籍]]地の<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊28面">『静岡新聞』2002年7月24日朝刊第二社会面28頁「三島・短大生焼殺事件 H容疑者の自宅 現場からわずか2キロ 『こんな近く』住民驚き」(静岡新聞社)</ref>[[北海道]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[上川町]]で4人兄弟の第三子・次男{{Refnest|group="注"|Hの兄弟姉妹には姉・兄(長男)・弟がいる{{Sfn|上條|2003|p=110}}。}}として出生し、直後に[[静岡県]][[三島市]]{{Refnest|group="注"|[[1977年]](昭和52年) - [[1989年]](昭和64年・平成元年)ごろにかけ、H(当時5歳 - 17歳)は被害者を拉致した現場(三島市青木)からそれぞれ約500 m以内にある三島市南二日町・三島市富田町で生活していたことがあった<ref name="朝日新聞2002-07-24 静岡朝刊">『朝日新聞』2002年7月25日東京朝刊静岡県版第一地方面31頁「三島短大生の焼殺容疑者、現場近くに居住も /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>。}}へ移住した{{Sfn|上條|2003|p=110}}。実家は三島市若松町にあったが{{Refnest|group="注"|Hは16歳だった[[1988年]](昭和63年)に父母ら家族とともに三島市若松町へ移住したが、自身は仕事・婚姻などの理由で三島市・沼津市内などを転々としていた<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊28面"/>。Hは妻と離婚する前に実家で両親・妻・弟と一軒家で同居していたが、離婚後は近隣住民の前に姿を見せることは少なかった<ref name="読売新聞2002-07-24 静岡">『[[読売新聞]]』2002年7月24日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺 悲鳴、Aさんだった? 服役中の男を逮捕=静岡」([[読売新聞東京本社]]・静岡支局)</ref>。Hの両親は2002年7月(息子が本事件被疑者として逮捕される直前)まで若松町の実家に住んでいたが、逮捕直前に大家が「家賃滞納・家の荒廃状態・ごみ処分ルール違反」に加え、盗難されたオートバイ部品が数台分も裏庭に置いてあった状態だったことを理由に「本件賃貸借権を解除したい」と申し出て退去させており、家は事件後に解体された{{Sfn|上條|2003|p=113}}。}}、事件当時は[[沼津市]]内の団地に在住していた{{Refnest|group="注"|加害者Hの在住地について逮捕直後は「三島市若松町」と報道されていた一方<ref name="静岡新聞2002-03-01"/><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/>、公判中は『[[朝日新聞]]』(静岡県内版)および『[[毎日新聞]]』にて「沼津市大塚」と報道されていた<ref>『朝日新聞』2002年11月13日東京朝刊静岡県版第一地方面35頁「三島の女子短大生殺人初公判 詳細な拉致状況が明らかに /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref><ref name="朝日新聞2003-01-24"/><ref>『[[毎日新聞]]』2004年1月15日東京夕刊第一社会面11頁「静岡・三島の女子短大生焼殺 『人間の尊厳を無視』と無期判決--地裁沼津支部」([[毎日新聞東京本社]] 記者:古関俊樹)</ref><ref>『朝日新聞』2005年3月30日東京朝刊静岡県版第一地方面31頁「遺族ら『思い通じた』 短大生焼殺、控訴審で死刑判決 /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>。}}{{Sfn|上條|2003|p=112}}。 |
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*[[2002年]][[1月22日]] - 焼殺事件が発生。 |
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*2002年[[7月23日]] - Hが逮捕された。 |
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*[[2003年]][[10月23日]] - [[検察官|検察]]側がHに死刑を[[求刑]]した。 |
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*[[2004年]][[1月15日]] - [[静岡地方裁判所|静岡地裁沼津支部]]はHに[[無期懲役]]を言い渡した。 |
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*2004年[[1月29日]]<!--日にちが違う可能性もありますのでご存知の方は修正してください--> - 検察とHが東京高裁に[[控訴]]した。 |
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*[[2005年]][[1月18日]] - 控訴審結審。 |
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*2005年[[3月29日]] - [[東京高等裁判所|東京高裁]]は、一審の無期懲役判決を破棄し、Hに死刑を言い渡した。 |
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*2005年[[3月31日]] - Hは[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]へ[[上告]]した。 |
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*[[2008年]][[2月29日]] - 最高裁第2[[小法廷]]で上告が[[棄却]]され、Hの死刑が確定した。 |
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*[[2012年]][[8月3日]] - [[東京拘置所]]でHの死刑が執行された<ref>{{Cite news|title=2人の死刑執行 静岡の短大生殺害など 野田政権で2回目|newspaper=日本経済新聞|date=2012-08-03|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301K_T00C12A8CC0000/}}</ref>。 |
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[[死刑囚]]Hは[[法務省]]([[法務大臣]]:[[滝実]])の死刑執行命令により、[[2012年]](平成24年)8月3日に[[収監]]先・[[東京拘置所]]で[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑を執行された]]({{没年齢|1972|2|21|2012|8|3}})<ref name="法務省2012-08-03"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.1"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.2"/><ref name="読売新聞2012-08-03"/><ref name="日本経済新聞2012-08-03"/>。 |
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== 備考 == |
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*意識のあった被害者を縛り上げ、生きたまま焼き殺すという殺害方法が極めて残虐と判断された。 |
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*Hは[[1995年]]に[[強盗致傷罪]]で[[懲役]]7年の判決を受けており、[[仮釈放]]から約9ヵ月後の犯行であった。 |
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*この事件は、殺害人数が1人である。またHに[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]の[[前科]]はなかった。[[1983年]]の[[永山基準]]以降は、殺害人数が1人の場合、身代金目的誘拐殺人ではなく殺人の前科がない場合は、死刑判決を避ける傾向があった。 |
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*静岡地裁沼津支部は、事件が極めて残虐であったと事実を重視したものの、Hに殺人罪の前科なし、計画性、幼少時代の生活環境を理由に、検察の死刑求刑に対し無期懲役を言い渡した。 |
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*東京高裁は、事件が極めて残虐であった事実を重視し、また、この事件は計画性があったことの理由や、幼少時代の生活環境ではなく、H自身の性格が事件の原因となった理由を示し、殺害人数が1人で殺人罪の前科もなかったが、Hに死刑の判決を言い渡した。 |
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*最高裁小法廷は、「意識のある人間に火をつけて殺すという残虐な殺害方法などからすれば死刑はやむを得ない」と述べ、Hの上告を棄却し、死刑判決が確定した。 |
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*Hの死刑が執行された2012年8月3日には[[京都・神奈川親族連続殺人事件]]の[[死刑囚]]の死刑も執行された。 |
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=== 生い立ち === |
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Hは三島市内の小中学校で学んだが{{Refnest|group="注"|name="家庭環境"|静岡地裁沼津支部 (2004) は「Hは幼少期から貧困家庭で生育し、小学生時代には母親の財布から小銭を盗んでは[[体罰|父親から殴られ]]、中学生になってからは父親と口も利かないほど険悪な間柄になるなど、他の兄弟と比べ父母の愛情を受けることが少なかった。また中学在学当時[[喘息]]の持病を有していたが、中学時代に住んでいた家の中は独特の異臭が漂い、物が散乱してその上に埃が積もっている環境で、Hの母は[[育児放棄|子供の面倒を見ずに]][[パチンコ]]に[[ギャンブル依存症|狂い]]、パチンコで損をして帰宅しては息子Hに当たり散らすなどしていた」と認定している{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。しかし、東京高裁 (2005) は「Hの生育家庭は非常に貧困だったとまでは認められず、Hだけが他の兄弟と差別された育て方をされたり、父親から理由もなく虐待されたようなこともなかった。Hが父親から厳しい処遇を受けたことがあったとしても、それはH自身の性格・素行の悪さによるところが大きい」と認定している{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。}}、中学3年生の時に[[窃盗罪|窃盗]]の[[非行]]で初等[[少年院]]へ送致され{{Refnest|group="注"|Hはこれ以前から盗癖があり、近所ではかなりの問題児として知られていた{{Sfn|上條|2003|p=110}}。被告人Hの父親は検察官に対し「息子 (H) は成長するにつれ、盗みなど悪いことを繰り返し、欲しい物はどんなことをしても手に入れるようになった」と話していた<ref name="朝日新聞2003-01-24"/>。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}、少年院入院中に中学校を卒業した{{Sfn|上條|2003|p=111}}。少年院を仮退院してからは鉄筋工などとして働いたが、17歳の時に再び窃盗などの非行で中等少年院に送致された{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。 |
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{{Reflist}} |
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中等少年院仮退院後は姉が居住する[[沖縄県]]内に移住し、工員として約1年間働いた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。その後、三島市に戻ったHは[[スナックバー (飲食店)|スナック]]従業員・土木作業員として働いたが、窃盗の非行で[[保護観察]]処分を受けた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。Hは当時20歳だった[[1992年]](平成4年)8月に中学時代の同級生女性と結婚して2児をもうけたが、それから4か月後(1992年12月)には[[覚醒剤取締法]]違反・[[道路交通法]]違反の罪で[[懲役]]1年6月・[[執行猶予]]4年([[保護観察]]付)の有罪判決を受けた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。 |
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その執行猶予期間中に当たる{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}[[1995年]](平成7年)4月8日22時40分ごろ<ref name="静岡新聞1995-05-23"/><ref name="静岡新聞1995-06-13"/>、当時23歳だったHは男(当時21歳・[[田方郡]][[函南町]]生まれ、住所不定無職)と共謀して[[駿東郡]][[長泉町]]下土狩の路上で[[強盗致死傷罪|強盗致傷]]事件{{Refnest|group="注"|Hら2人は長泉町下土狩(JR東海・三島駅北口から約300 m地点)の路上で自転車に乗って帰宅途中の地方公務員男性(当時22歳・同町在住)を襲い、その目前に乗用車を急停車させることで行く手を阻んだ<ref name="静岡新聞1995-04-10"/>。そして停車した被害者に対し「金を出せ」と脅して木刀で殴りつけ、被害者に2週間の怪我を負わせるとともに財布<ref name="静岡新聞1995-04-10">『静岡新聞』1995年4月10日朝刊第二社会面22頁「長泉町で2人組が強盗 自転車の男性を襲う」(静岡新聞社)</ref>・現金約5,000円入りのリュックサック1個(6,500円相当)などを奪った<ref name="静岡新聞1995-05-23"/>。}}を起こした<ref name="静岡新聞1995-06-13"/>。同事件で被疑者Hは同年5月22日までに強盗致傷容疑で[[沼津警察署]]([[静岡県警察]])に逮捕され<ref name="静岡新聞1995-05-23">『静岡新聞』1995年5月23日朝刊第一社会面19頁「強盗致傷容疑で2容疑者を逮捕 沼津署」(静岡新聞社)</ref><ref name="朝日新聞1995-05-23">『朝日新聞』1995年5月23日東京朝刊静岡県版地方面「強盗致傷容疑で2人逮捕 沼津署 /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>、同年6月12日付で強盗致傷罪で[[静岡地方検察庁]]沼津支部から[[静岡地方裁判所]]沼津支部へ起訴された<ref name="静岡新聞1995-06-13">『静岡新聞』1995年6月13日朝刊第一社会面21頁「強盗致傷罪で起訴-地検沼津支部」(静岡新聞社)</ref>。被告人Hは強盗致傷・[[恐喝罪|恐喝]]・窃盗の罪{{Refnest|group="注"|Hは強盗致傷事件以前(1995年2月7日)18時ごろにも三島市若松町内で車上荒らし事件(被害額:8,000円相当)を起こして同年4月24日に三島署から窃盗容疑で逮捕されていた<ref name="静岡新聞1995-04-25">『静岡新聞』1995年4月25日朝刊第一社会面23頁「三島警察署が車上狙いの容疑で三島市の土木作業員を逮捕」(静岡新聞社)</ref>。}}に問われ{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}、同年10月26日に静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にて懲役4年6月(求刑:懲役7年)の実刑判決を受けた{{Refnest|group="注"|共犯の男は同年6月9日に強盗致傷罪で静岡地裁沼津支部へ起訴され<ref name="静岡新聞1995-06-10">『静岡新聞』1995年6月10日朝刊第一社会面23頁「静岡地検沼津支部が強盗致傷で函南町の共犯者を起訴」(静岡新聞社)</ref>、1995年10月26日(Hと同日)に懲役4年(求刑:懲役7年)の実刑判決を受けた<ref name="静岡新聞1995-10-26"/>。}}<ref name="静岡新聞1995-10-26">『静岡新聞』1995年10月26日夕刊第一社会面7頁「地裁沼津支部が長泉町の路上強盗2人に実刑判決」(静岡新聞社)</ref>。これにより、Hは前述の執行猶予も取り消されたことで[[併合罪|併せて刑の執行を受けた後]]、[[2001年]](平成13年)4月に[[仮釈放]]されたが、その服役期間中であった[[1999年]](平成11年)1月には妻と離婚した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。 |
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Hは仮釈放後に配送会社で働くなどしていたほか、2001年7月ごろからは離婚した元妻との関係を修復して沼津市内の元妻宅で同居していた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}。その上で2001年10月ごろからは以前働いたことのある三島市内の建設会社{{Refnest|group="注"|その建設会社の前社長は暴力団幹部だった{{Sfn|上條|2003|p=112}}。}}で土木作業員として働き{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}}、沼津市内の団地で元妻・子供2人と同居していた{{Sfn|上條|2003|p=112}}。 |
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== 事件の経緯 == |
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被害者:女子短大生A(当時19歳:[[上智大学短期大学部|上智短期大学]]1年生・三島市梅名在住){{Refnest|group="注"|被害者Aは三島市内の自宅から上智短期大([[神奈川県]][[秦野市]])まで[[東海道新幹線]]で[[新幹線通勤|通学]]しており<ref name="読売新聞2002-01-25朝刊">『読売新聞』2002年1月25日東京朝刊第一社会面35頁「静岡・三島の焼殺女性は短大生、アルバイトの帰り」(読売新聞東京本社)</ref>、同日22時50分ごろにアルバイト先(三島駅南口の居酒屋)を出て{{Sfn|上條|2003|p=94}}自転車{{Refnest|group="注"|name="自転車"|被害者Aの自転車は[[ブリヂストンサイクル]]製の女性向け車種「スリースター」で<ref name="読売新聞2002-01-29"/>、サドル下のフレームには{{Sfn|上條|2003|p=95}}Aが事件前年の春(2001年3月)に卒業した三島南高校のステッカーが貼られていた<ref name="読売新聞2002-01-29">『読売新聞』2002年1月29日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺 不明の自転車、特徴公開 三島南高のステッカー=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。}}で帰宅する途中だった<ref name="読売新聞2002-01-25静岡朝刊"/>{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。事件当日は居酒屋の客入りが少なかったため、被害者Aは店長から「今日はもう帰っていいよ」と申し出を受けていたが、自らトイレ掃除・テーブルの片づけをするために残業して23時近くまで店に残っていた{{Sfn|上條|2003|p=116}}。}}<ref name="読売新聞2002-01-25静岡朝刊">『読売新聞』2002年1月25日東京朝刊静岡県版地方面28頁「三島の短大生焼殺 バイト帰り、襲われる? 粘着テープで縛られ…静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref> - 1982年(昭和57年)に沼津市内で生まれ、[[静岡県立三島南高等学校]]商業科を卒業してから2001年4月に上智短期大学(英語科)へ入学していた{{Sfn|上條|2003|p=99}}。生前の人物像は「控えめだが優しく、誠実で誰からも好かれる人柄」とされ{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行の結果、被害感情等}}、交際範囲も広くはなく、対人関係のトラブルはなかった{{Sfn|上條|2003|pp=99-100}}。 |
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=== 被害者Aを拉致・強姦 === |
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Hは2002年1月22日深夜、仕事を終えた後で会社の同僚らと三島市内の[[居酒屋]]で飲食し{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}、22時40分過ぎに店を出て同僚1人を三島市内の家に送り{{Sfn|上條|2003|p=104}}、乗用車{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}([[スバル・レガシィ]]){{Refnest|group="注"|犯行に用いた車(レガシィ)は1990年式の黒い[[ステーションワゴン]]・[[車検]]切れ<ref name="読売新聞2002-07-25"/>。}}{{Sfn|上條|2003|p=95}}を運転して沼津市内の自宅へ帰宅しようとしていた{{Sfn|上條|2003|p=104}}。しかしその途中、従業員の集合場所{{Refnest|group="注"|会社のガレージ{{Sfn|上條|2003|p=104}}。}}に自分の弁当箱を忘れてきたことに気付いたため、弁当箱を取りに戻ろうと同市内の[[国道136号]]を南に向かって走行していた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。その途中となる同日23時ごろ{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}、三島市青木の国道136号沿い路上で<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/>同じ方向を自転車に乗って走行していた被害者Aを見つけて[[ナンパ|近づき、車の中から声を掛けた]]{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。AはHを全く相手にしなかったが、HはAを「若くてかわいい」と思ったことから「なんとか[[性行為|関係を持ちたい]]」と考えたため{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}、先回りして三島市青木の駐車場(国道136号沿い)<ref group="注" name="拉致現場"/>にレガシィを駐車して降車し、歩道に降りて被害者を待ち伏せた{{Sfn|上條|2003|p=102}}。そして被害者Aの前に立ち塞がって自転車を止めさせると、その前輪を跨ぎ自転車の前籠に両肘を突くなどして被害者に年齢・氏名・学校などを尋ねた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。さらにAの肩へ腕を回し、Aの背中を押して自転車ごと近くに駐車してあった自車の側まで連れて行ったほか、再び自転車の前輪をまたぎながら執拗にAを誘ったが、Aは自転車ともども倒れ込むと大声を上げて起き上がり、Hから逃げ出そうとした{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。Hは抵抗するAの後ろ襟を掴み、引き寄せることでAを引き倒したが{{Sfn|上條|2003|p=103}}、Aは手を振り回すなどして抵抗して悲鳴を上げた{{Refnest|group="注"|事件後、拉致現場の近隣住民は「(Aが拉致されたとされる)2002年1月22日23時過ぎに女性の悲鳴を聞いた」と証言した<ref name="読売新聞2002-02-23">『読売新聞』2002年2月23日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の女子短大生焼殺 11時過ぎ、女性の悲鳴=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。そのためHはAを[[強姦]]することを決意し、Aの頭部を右脇に抱え込みながら口を手で塞いで「静かにしろ」と脅し、チャイルドロックが設定された自車後部座席にAを素早く押し込み、被害者Aを車中に監禁した{{Refnest|group="注"|この時、被害者が乗っていた自転車を駐車場の奥に投げ捨てた{{Sfn|上條|2003|p=-103}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}([[逮捕・監禁罪]])。 |
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Hはそのまま自車を発進させてAを同県田方郡函南町[[軽井沢 (函南町)|軽井沢]]字立洞地内(強姦現場)<ref group="注" name="強姦現場"/>まで走らせ{{Refnest|group="注"|その途中、Hの同僚がHの携帯電話に電話を掛けて居場所を尋ねてきたため、Hは思わず「女と一緒に走ってる。山に向かってる」と述べた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。しかし同僚から「[[箱根山|箱根]]に向かっているのか?」と尋ねられたため、Hは「被害者を拉致して強姦しようとしていることがばれてしまうかもしれない」と思ったが、適当な場所が思い浮かばなかったため、とっさに「いや違う。函南の方だ」と答えた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。}}、その間には恐怖するAに対し「俺の顔を見ただろう。車のナンバープレートも見ているだろう。警察にチクるなよ。ぶっ殺すぞ」などと脅迫していた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}。その後、強姦現場に到着したHは同日23時40分過ぎごろに車を駐車して後部座席(Aの右横)へ移動し、再び「俺の顔を見ただろう。警察に通報したらぶっ殺すぞ」などと言ってAを脅迫した{{Sfn|上條|2003|p=105}}。そしてAが畏怖して抵抗する気力を失い、黙り込んでいるのを認めたHは車内後部座席で{{Sfn|上條|2003|p=105}}Aを全裸にして強姦した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}}([[強制性交等罪|強姦罪]])。 |
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=== 殺害を決意 === |
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被害者Aは強姦されたことで憔悴し、服を着るのが精一杯で声を出す気力もないほどの状態に陥った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。Hはそのような状態だった被害者Aに対し、再び「警察に通報すれば強姦したことを言いふらす」などと脅し{{Sfn|上條|2003|p=105}}、車内後部座席に監禁したまま再び三島市内まで戻った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。Hは当初「街中の人気のない場所で被害者を解放しよう」と考えながら適当な場所を探して走り回っていたが{{Refnest|group="注"|Hは当時「Aを解放する前に、自分の指紋が付いたAの自転車を処分しよう」と考え、拉致現場に戻って投げ捨てた自転車を車の荷台に積み込んでいた{{Sfn|上條|2003|p=105}}。}}、その途中で[[覚醒剤]]仲間{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}(沼津市内在住){{Sfn|上條|2003|p=109}}から「覚醒剤を注射するための[[注射器]]を持って来てほしい」と電話が入った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。Hは自分も覚醒剤を打ちたくなり、同時に「被害者の解放場所を早く見つけなければならない」と考えて焦る一方で「被害者を解放すれば、警察に通報されて逮捕され、刑務所に戻ることになる」と不安を募らせたことから、被害者Aを殺害することを考えついた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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Hは当初、殺害方法として「犯行が発覚しないようにAを山に埋めるか、海や川に沈めるなどして殺害・遺棄しよう」と考えたが、適当な場所が思い浮かばないままAを閉じ込めた車を走らせつつ、覚醒剤仲間から依頼された注射器を取るために実家(三島市若松町)に立ち寄った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。その際、実家の玄関先に[[灯油]]入りの[[ポリタンク]]が置いてあったため、これを目にしたHは「被害者に灯油を掛けて焼き殺そう」と思いつき{{Refnest|group="注"|「生きたまま灯油を掛けて焼き殺そう」と思い立った動機について、Hは検察官の取調に対し「『火を付けて燃やせば被害者の身元は分かりにくくなるし、証拠も残らないから遺体を遺棄する場所を改めて考えずに済む』と思った。人気のない場所が見つからずイライラしており、『早くAを片付けて同僚のところへ行き、注射器を渡して覚醒剤を打ちたい』と思った。焼殺という手段が被害者にとってどれだけ惨いことか全く考えておらず、それよりも『警察に逮捕されず、刑務所にも行かずに済む方法』を考えることで精一杯な心理状態だった」と供述した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}、ポリタンクを注射器とともに持ち出して車の助手席床上へ積み込んだ{{Sfn|上條|2003|p=106}}。そしてHは人気のない場所を求めて車で走り回った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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=== 山中で被害者Aを焼殺 === |
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日付が変わった2002年1月23日未明、Hは三島市川原ケ谷字山田山地内の「三島市道山田31号道路」拡幅工事現場<ref group="注" name="殺害現場"/>で被害者Aに生きたまま灯油を掛け、ライターで点火したことでAを生きたまま焼き殺した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}([[殺人罪 (日本)|殺人罪]])。 |
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同日2時ごろに現場へ到着し、車を駐車したHは被害者Aが逃げ出したり、声を上げたりしないよう、Aの両手首を後ろ手に縛り、口もガムテープで塞いだ{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。このようにして殺害の準備を整えると、HはAの腕を引っ張って降車させ、背中を押して歩かせ未舗装の道路に座らせた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。Hは車内助手席から灯油の入ったポリタンクを持ち出し、被害者Aの頭上から灯油を全身に浴びせかけ「火、つけちゃうぞ」などと言って脅したが、Aは身動きせず声も上げなかった{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。そのためHは「Aは警察に通報しようと考えているのではないか?」と不安に駆られ、「早く被害者を始末して覚醒剤仲間のところに向かい、自分も覚醒剤を打ちたい」と思った{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。その一方で「これだけ脅せば、Aは解放されても警察に通報しないのではないか」「殺せば大変なことになるから、解放した方が軽い罪で済むのではないか」とも考えたため、いったんは殺害を躊躇したが、結局は「刑務所に逆戻りしたくない」と恐れたことから改めてAの殺害を決断した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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Hは灯油の掛かったAの後頭部の[[毛髪|髪の毛]]にライターで点火し、炎が燃え広がっていく様子を確認した上で車に乗ってその場から逃走した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。火を点けられたAは火だるまになり、数メートル離れたコンクリートブロックの間に倒れ込んで息絶えた{{Refnest|group="注"|検察官は冒頭陳述で「被害者Aは頭部の火を消すために立ち上がり、コートを脱ぎ捨てたが、全身に炎が燃え移り、悶絶するうちにコンクリートブロック付近へ転倒して全身性火傷で焼死した」と述べている{{Sfn|上條|2003|pp=107-108}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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犯行後、Hは覚醒剤仲間と合流する前にいったん実家へ戻り、殺害に使用した灯油入りポリタンクを元の場所に戻した{{Refnest|group="注"|ポリタンクを持ち出して灯油を使用したことが両親に気付かれないように工作するため。}}ほか、手に付着した灯油の臭いが覚醒剤仲間らに気付かれないように灯油を洗い流した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。そして予定通り注射器を覚醒剤仲間に届け、自らも含めて覚醒剤を使用したが{{Refnest|group="注"|name="犯行後"|犯行後のHから覚醒剤を打つための注射器を受け取った覚醒剤仲間は、当時のHについて「被告人Hはやや元気がなく落ち込んでいるように見えた」と証言したが、その覚醒剤仲間とともに居合わせた別の覚醒剤仲間は「Hは至って冷静な状態で普通に話をしていた。手指が震えていたり、慌てたり取り乱したりした様子はなく、平然としていた」と証言した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}、覚醒剤仲間の家へ向かう途中で後続車からクラクションを鳴らされたことに立腹し、その運転手を殴打する事件を起こしていた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}。 |
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覚醒剤を使用したHは再び自宅へ戻り、事件翌日(2002年1月23日)には普段通り建設会社に出勤したが{{Sfn|上條|2003|p=109}}、退勤後には被害者Aの自転車を沼津市の狩野川河口付近に架かる「港大橋」<ref name="読売新聞2002-07-31"/>の中央付近から[[狩野川]]へ投げ捨てたり{{Refnest|group="注"|当初は自転車を海中に投棄して証拠隠滅を図るため[[沼津港]]外港に向かったが、外港入口が閉鎖されていたために「港大橋」へ移動し、人気のない時を見計らって橋の中央付近から自転車を投棄した{{Sfn|上條|2003|p=109}}。}}{{Sfn|上條|2003|p=109}}、その前後に<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.2"/>被害者の所持品(携帯電話<ref group="注" name="携帯電話"/>・財布など)を沼津市内のコンビニエンスストアのごみ箱に捨てたり、友人宅で燃やすなどして証拠隠滅を図っていた<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.2"/><ref name="読売新聞2002-09-04"/>。 |
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== 事件発覚 == |
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Hが被害者を殺害してから約30分後{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}(2002年1月23日2時35分ごろ)<ref name="静岡新聞2002-01-23"/>、現場付近を通りかかったトラック運転手{{Sfn|上條|2003|p=96}}が黒い塊から炎が立ち上がっているのを発見し、近づくと強い異臭がして炎の中から足が見えたため「人だ」と気付いて110番通報した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。通報を受けて駆け付けた[[三島警察署]](静岡県警)の署員が若い女性(身長155 - 160 [[センチメートル|cm]])の焼死体を発見した<ref name="静岡新聞2002-01-23"/>。遺体は毛髪が焼け焦げ、体の表面全体が着衣とともに炭化し、身を屈めるようにして横たわっていた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}}。 |
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事件当初は現場付近に争った形跡が確認できなかったため、三島署は自殺と事件の両面で調べていたが<ref name="読売新聞2002-01-23">『読売新聞』2002年1月23日東京夕刊第二社会面14頁「道路工事現場で若い女性が焼死/静岡・三島」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref><ref name="朝日新聞2002-01-24 静岡朝刊"/>、同日午後に同署および静岡県警捜査一課は本事件を殺人事件と断定して捜査を開始した<ref name="静岡新聞2002-01-24 朝刊"/>。その根拠は以下の通り。 |
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* 遺体付近には茶色のフード付きジャンパーが落ちており<ref name="静岡新聞2002-01-23"/>、その袖口には粘着テープで後ろ手に縛ったような跡が確認された{{Sfn|上條|2003|p=96}}。また遺体の口元にも粘着テープが残っていた<ref>『読売新聞』2002年1月24日東京夕刊第一社会面19頁「焼殺女性の身元、三島市内の19歳と判明」(読売新聞東京本社)</ref>。 |
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* 灯油の容器・着火装置などが周囲になかった{{Refnest|group="注"|また被害者が乗ってきたと推測される車・バイクなども周囲からは見つからなかった<ref name="静岡新聞2002-01-23"/>。}}<ref name="読売新聞2002-01-24 静岡">『読売新聞』2002年1月24日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の工事現場に女性焼死体 生きたまま焼く 住民、残忍犯行に驚き=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。 |
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* 焼け残った皮膚に生活反応{{Refnest|group="注"|火傷による水膨れなど{{Sfn|上條|2003|p=96}}。}}があることから「生きたまま全身に灯油のようなものを掛けられて焼き殺された」と推定できる<ref name="読売新聞2002-01-24">『読売新聞』2002年1月24日東京朝刊第一社会面35頁「静岡・三島の工事現場に女性遺体、全身に灯油? 生きたまま焼かれる」(読売新聞東京本社)</ref>。 |
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捜査本部は[[浜松医科大学]]で遺体を[[司法解剖]]したり<ref name="静岡新聞2002-01-24 朝刊"/>、現場付近で遺留品の捜索・聞き込みなどを行った<ref name="静岡新聞2002-01-24 夕刊">『静岡新聞』2002年1月24日夕刊第一社会面3頁「三島の女性殺害 焼死体は19歳短大生 指紋などから断定」(静岡新聞社)</ref>。一方で被害者・女子短大生Aの両親が同日午後になって「子供が前夜から帰宅せず、連絡が取れない」と捜査本部に連絡したため、捜査本部が被害者Aの学用品に残された指紋を調べたところ<ref name="静岡新聞2002-01-25 朝刊">『静岡新聞』2002年1月25日朝刊第一社会面31頁「三島の女子短大生殺害 アルバイト後、行方不明 遺体発見まで3時間半 自転車なくなる」「『残忍すぎる』 知人らショック」(静岡新聞社)</ref>、遺体から採取した指紋と一致したため、遺体の身元は女子短大生Aと断定された{{Refnest|group="注"|また、遺体の歯の治療痕も被害者Aと一致した<ref name="中日新聞2002-01-24">『[[中日新聞]]』2002年1月24日朝刊第一社会面31頁「若い女性焼殺される 生きたまま灯油まかれ? 静岡・三島」([[中日新聞社]])</ref>。}}<ref name="静岡新聞2002-01-24 夕刊"/>。 |
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一方で加害者Hは事件から2日後(2002年1月25日夜)、函南町塚本の国道136号で犯行に使用した車を[[無免許運転]]し、Uターンしようとして前から来た乗用車と接触し、相手の車に乗っていた男女2人にそれぞれ全治2週間の怪我を負わせ、そのまま逃走するひき逃げ事故を起こした{{Refnest|group="注"|当時、Hは覚醒剤を使用した上で運転していたところ、覚醒剤の副作用で「人に追いかけられるような幻想」を感じたことから事故を起こした{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}。またこの事故の約20分前、Hは三島市内でも別の当て逃げ事故を起こしていた<ref name="朝日新聞2003-01-24">『朝日新聞』2003年1月24日東京朝刊静岡県版第一地方面35頁「命日、現場に悼む花束 その日に公判 三島・短大生焼殺 /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>。}}<ref name="静岡新聞2002-03-01">『静岡新聞』2002年3月1日朝刊第三社会面29頁「事件・事故 車衝突、けが負わせた疑い」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-07-23 夕刊">『静岡新聞』2002年7月23日夕刊第一社会面3頁「三島・短大生焼殺 30歳の重要参考人聴取 事件との関係追及 捜査本部 ワゴン車処分経過も」(静岡新聞社)</ref>。Hはその後も警察の目を逃れて身を隠し{{Refnest|group="注"|Hは同年1月に大家の家を訪れて「車を買い替えるから車庫証明が欲しい」と申し出ていたが、大家は事件解決後に『読売新聞』記者の取材に対し「今思えば、車の買い替えは事件に関係していたかもしれない」と述べている<ref name="読売新聞2002-07-24 静岡"/>。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}、事故後の同年1月27日に<ref name="読売新聞2004-01-16 静岡"/>車を函南町内の自動車解体工場<ref name="朝日新聞2002-07-26 静岡朝刊">『朝日新聞』2002年7月26日東京朝刊静岡県版第一地方面29頁「容疑者、犯行使用の車処分 三島の短大生焼殺事件 /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>へ持ち込んだ{{Refnest|group="注"|name="粘着テープ"|車を処分する際、Hは知人に車の中の荷物(Hが被害者Aを監禁する際に使用されたものと同型の紙製粘着テープを含む)の処理を依頼していた<ref name="静岡新聞2002-07-30 夕刊"/>。}}<ref name="静岡新聞2002-07-26 朝刊">『静岡新聞』2002年7月26日朝刊第一社会面29頁「車の処分方法供述を拒否 ひき逃げで逮捕時-三島女子短大生焼殺事件のH容疑者」(静岡新聞社)</ref>。車はそのまま工場で解体され{{Refnest|group="注"|その後車体は沼津市内のスクラップ工場で圧縮処理され、製鋼工場([[愛知県]][[岡崎市]])に運ばれて破砕・製鋼された<ref name="朝日新聞2002-07-26 静岡朝刊"/>。また車のエンジンも同年2月下旬ごろ、長泉町内の製鋼工場で溶解処理されていた<ref name="朝日新聞2002-07-26 静岡朝刊"/>。}}<ref name="読売新聞2002-07-26"/>、後のひき逃げ事件の公判の際にも処分方法は明らかにされなかったが{{Refnest|group="注"|加害者Hは逮捕後も車を処分したことは認めたが、具体的な方法については取り調べを拒否したり、曖昧な供述をするなどして明かさなかったため、車の処分方法が解明されないままひき逃げ事件の公判が開かれる異例の事態になった<ref name="静岡新聞2002-07-26 朝刊"/>。}}<ref name="静岡新聞2002-07-26 朝刊"/>、三島署はナンバープレートの目撃証言から加害者Hの身元を特定した<ref name="静岡新聞2002-03-01"/>。 |
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結局、Hはひき逃げ事件の捜査の手が自分に迫ったことを察知し<ref name="静岡新聞2002-07-23 朝刊">『静岡新聞』2002年7月23日朝刊一面1頁「三島の短大生焼殺 重要参考人浮かぶ 県警、きょうにも聴取 遺体発見から半年」(静岡新聞社)</ref>、事故から約1か月後となる2002年2月28日に車検証を持って三島署へ出頭{{Refnest|group="注"|ナンバープレートも後日提出した<ref name="静岡新聞2002-07-26 朝刊"/>。}}し<ref name="静岡新聞2002-07-26 朝刊"/>、同日に三島署から[[業務上過失致死傷罪|業務上過失傷害]]・[[道路交通法]]違反容疑で逮捕された<ref name="静岡新聞2002-03-01"/><ref name="静岡新聞2002-07-23 夕刊"/>。結局、被告人Hは静岡地裁沼津支部で懲役1年6月の有罪判決{{Refnest|group="注"|2002年4月16日付で確定<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊28面"/>。}}を受け、本事件で逮捕される直前まで沼津拘置所([[静岡刑務所]]沼津拘置支所)に服役していた<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面"/>。 |
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== 捜査 == |
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捜査本部は事件当初、手口の残忍さから「怨恨による犯行の可能性がある」として被害者Aの交友関係などを調べたが{{Refnest|group="注"|捜査本部は被害者Aの携帯電話の通話記録を調べたが<ref name="読売新聞2002-01-25夕刊">『読売新聞』2002年1月25日東京夕刊第一社会面19頁「静岡・三島の女性焼殺 所持品なくなる」(読売新聞東京本社)</ref>、友人・家族以外の不審な通話記録は残っておらず、被害者と事件の接点はまったく推測できなかった<ref name="読売新聞2002-02-23"/>。}}、被害者Aの対人関係にトラブルは見当たらなかった{{Sfn|上條|2003|pp=99-100}}。そのため捜査本部は「[[通り魔]]的犯行」の可能性を視野に捜査を進めたが<ref name="読売新聞2002-07-23 朝刊">『読売新聞』2002年7月23日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺事件きょう半年 通り魔可能性も 不審者洗い出しに全力=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、捜査は難航し、事件発生から解決までに約半年を要した{{Refnest|group="注"|事件発生 - 殺人容疑での逮捕には約200日余りを要したが、捜査本部はその間に捜査員延べ10,000人余りを捜査に投入した<ref name="静岡新聞2002-08-14 no.3">『静岡新聞』2002年8月14日朝刊第一社会面23頁「『全容解明急ぐ』-三島市の女子短大生殺人事件、H容疑者再逮捕で県警会見」(静岡新聞社)</ref>。}}{{Sfn|上條|2003|p=100}}。 |
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被害者Aが乗っていた婦人用の自転車は遺体発見現場周辺から見つからず<ref name="読売新聞2002-01-26">『読売新聞』2002年1月26日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の女子短大生焼殺 自転車は婦人用=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、所持品(携帯電話{{Refnest|group="注"|name="携帯電話"|被害者Aは生前、普段はアルバイトが終わると携帯電話で自宅に「これから帰る」と帰宅予定を告げる電話連絡をしていたが、失踪当日の夜はその連絡がなかった<ref>『読売新聞』2002年1月28日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺事件 帰宅の電話連絡なし バイト先出た直後襲われる?=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。Aの携帯電話は事件当日0時30分ごろに帰宅が遅いことを心配した両親が電話してもつながらず<ref name="読売新聞2002-01-27">『読売新聞』2002年1月27日東京朝刊静岡県版地方面36頁「三島の短大生焼殺 発見2時間前に通話不能 携帯電話依然見つからず=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、事件後には電話を掛けても通話できない状態になっていた<ref name="読売新聞2002-01-26"/>。}}・財布・バッグなど)もすべて無くなっていた<ref name="読売新聞2002-01-25夕刊"/><ref name="読売新聞2002-01-27"/>。そのため捜査本部は「被害者Aの所持品は犯人が持ち去った可能性がある」と推測して捜査し、その所在{{Refnest|group="注"|事件現場([[箱根山]]系西麓)は[[粗大ごみ]]の[[不法投棄]]が問題となっていたため、三島署は三島市が2002年6月1日に実施したごみの一斉回収(地元住民・市職員ら計約1,000人が参加)に伴い、市に「事件の遺留品の捜索協力」を要請した<ref name="読売新聞2002-06-02">『読売新聞』2002年6月2日東京朝刊静岡県版地方面34頁「三島のごみ一斉回収に1000人 短大生焼殺の遺留品捜索も=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。この一斉回収では市内8か所で[[テレビジョン]]6台・[[冷蔵庫]]4台・[[洗濯機]]1台など計7トン余りの粗大ごみが回収されたが、遺留品は発見されなかった<ref name="読売新聞2002-06-02"/>。}}を探したが<ref name="読売新聞2002-01-25夕刊"/>、Aの所持品は加害者Hにより焼却されていたことが事件解決後に判明した<ref name="読売新聞2002-08-14"/>。また犯行に使われた灯油を分析して購入先の特定を進めたところ<ref name="読売新聞2002-01-31">『読売新聞』2002年1月31日東京朝刊静岡県版地方面28頁「三島の短大生焼殺 灯油の購入先特定へ分析急ぐ=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、三島市内のガソリンスタンド2軒で販売されていた灯油と成分が似ていることが判明したが、詳細な販売元は特定できなかった<ref name="読売新聞2002-02-23"/>。事件から半年が経過した2002年7月22日・23日にはそれぞれ地元新聞(『静岡新聞』および『読売新聞』静岡版)がそれぞれ朝刊にて「捜査は難航している」と報道したが<ref name="静岡新聞2002-07-22">『静岡新聞』2002年7月22日朝刊第一社会面27頁「三島の短大生殺害事件から半年 不審者割り出しに全力 県警」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2002-07-23 朝刊"/>、証拠資料の科学的な分析により周辺の地理に精通していた夜間徘徊者・不審者リストに挙がっていた加害者Hが捜査線上に浮上していた<ref name="静岡新聞2002-08-14 no.2"/>。 |
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2002年7月11日には警察官が服役中の男Hに対し本件犯行の嫌疑を告げた上で唾液の提出を求め{{Refnest|group="注"|これを受け、Hは兄に手紙で「当夜、会社の同僚らと飲酒した時間や覚醒剤仲間から電話が掛かってきた時刻などを確認してほしい」と手紙で依頼していた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}。}}{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}、Hは唾液を提出した<ref name="読売新聞2002-07-23夕刊"/>。捜査本部が提出された唾液を[[DNA型鑑定]]したところ、現場の遺留物と一致したため、捜査本部は同日午前にHを重要参考人として任意の事情聴取を開始し<ref name="読売新聞2002-07-23夕刊">『読売新聞』2002年7月23日東京夕刊第一社会面19頁「静岡・三島の短大生焼殺 別件で服役中の男聴取 現場遺留物とDNA一致」(読売新聞東京本社)</ref>、同日中に[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]・[[強盗罪|強盗]]などの容疑{{Refnest|group="注"|当初の逮捕容疑は事件当夜に自転車で帰宅途中の被害者Aを自社に押し込めて監禁し、殺害時刻(23日3時30分ごろ)まで市内周辺を車で連れ回した逮捕監禁容疑+被害者から現金約10,000円入りの財布・携帯電話などを奪った強盗容疑<ref name="読売新聞2002-07-24"/>。}}で[[被疑者]]Hを[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊1面">『静岡新聞』2002年7月24日朝刊一面1頁「三島の短大生焼殺 30歳建設作業員を逮捕 逮捕監禁、強盗容疑 殺人、遺棄でも追及」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-07-24 朝刊29面">『静岡新聞』2002年7月24日朝刊第一社会面29頁「三島・短大生焼殺事件 月命日、執念の捜査実る 『国道136で女性悲鳴』 土地勘ある不審者追う」「『友達戻ってこない』 声詰まらせる元同級生」(静岡新聞社)</ref>。逮捕当初、被疑者Hは取り調べに対し「事件の夜、被害者Aと[[コンビニエンスストア]]で会った」などと供述したが<ref name="読売新聞2002-07-24">『読売新聞』2002年7月24日東京朝刊第一社会面35頁「三島の短大生焼殺 30歳を監禁容疑で逮捕/静岡県警」(読売新聞東京本社)</ref>、「被害者とは合意の上で[[性行為]]をした」などと供述し強姦・殺害の容疑を否認した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}。その後、逮捕翌日(7月24日)には逮捕監禁容疑について容疑を認めたが<ref name="読売新聞2002-07-26"/>、殺害については「一緒にいた外国人がやった」などと供述して否認し続けた<ref name="読売新聞2002-07-31"/>。2002年7月25日、捜査本部は被疑者Hを逮捕監禁容疑などで[[静岡地方検察庁]]沼津支部に[[送検]]した<ref name="静岡新聞2002-07-25 朝刊">『静岡新聞』2002年7月25日朝刊第一社会面27頁「H容疑者きょう送検-三島の女子短大生焼殺事件」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-07-26 夕刊">『静岡新聞』2002年7月26日夕刊第一社会面3頁「逮捕監禁、強盗で送検-三島の女子短大生焼殺事件 H容疑者は否認」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2002-07-26">『読売新聞』2002年7月26日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺逮捕監禁 H容疑者、供述始める=静岡」(読売新聞東京本社)</ref>。 |
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また捜査本部は「事件後に処分されたHの車に証拠が残っている可能性が高い」として車を発見しようとしたが<ref name="読売新聞2002-07-25">『読売新聞』2002年7月25日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺 逮捕監禁容疑などで逮捕の男、連れ去った車処分か=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、前述のように車は既にスクラップにされていた<ref name="読売新聞2002-07-26"/>。しかしその車のタイヤは特定<ref name="静岡新聞2002-07-28 朝刊">『静岡新聞』2002年7月28日朝刊第一社会面27頁「県警が犯行車両のタイヤ押収-三島の女子短大生焼殺事件 走行ルート解明へ」(静岡新聞社)</ref>・産業廃棄物処理業者からの押収に成功し、現場付近に残されたタイヤ痕とそのタイヤの照合を行った<ref name="朝日新聞2002-07-29 静岡朝刊">『朝日新聞』2002年7月29日東京朝刊静岡県版第一地方面31頁「殺害当時現場に 三島焼殺事件で容疑者供述 /静岡」(朝日新聞東京本社・静岡総局)</ref>。これに加え、以下のような物証も発見された。 |
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* 被疑者Hが被害者Aを拉致した際に使用されたものと同型の紙製粘着テープの使いかけ<ref group="注" name="粘着テープ"/> - テープに残った指紋・テープの切り口などを調べた<ref name="静岡新聞2002-07-30 夕刊">『静岡新聞』2002年7月30日夕刊一面1頁「殺害認める供述始める-三島・短大生焼殺事件でH容疑者 捜査本部、粘着テープを押収」(静岡新聞社)</ref>。 |
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* 被害者Aが乗っていた自転車<ref group="注" name="自転車"/> - 被疑者Hが追及に対し 「犯行後に拉致現場へ被害者Aの自転車を取りに戻り、2002年1月23日夜に橋の上から投げ捨てた」と供述したため<ref name="読売新聞2002-08-14"/>、橋付近を捜索したところ、橋の下流(狩野川河口から約1 km上流地点 / 水深1.6 [[メートル|m]]・川幅約210 m)の川底から自転車を発見した<ref name="静岡新聞2002-07-31 朝刊">『静岡新聞』2002年7月31日朝刊第一社会面27頁「供述通り川底に自転車 H容疑者、単独犯行におわす-三島・短大生焼殺事件」(静岡新聞社)</ref>。また携帯電話などについて被疑者Hは「犯行後に焼いて処分した」と供述した<ref name="読売新聞2002-08-14"/>。 |
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* プラスチック製の灯油タンク<ref>『静岡新聞』2002年7月31日夕刊第一社会面3頁「灯油タンクを押収、有力物証とみて捜査-三島・短大生焼殺」(静岡新聞社)</ref> - 被疑者Hは「犯行に使った灯油は、被害者Aを車に乗せたままいったん家へ取りに帰った」と供述し<ref>『読売新聞』2002年8月13日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の焼殺 殺人容疑できょう再逮捕=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、それに基づいた捜索で発見された<ref name="読売新聞2002-08-01">『読売新聞』2002年8月1日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺 供述通り、容疑者宅から灯油タンク 捜査本部が押収=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref> |
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2002年7月30日までに<ref name="静岡新聞2002-07-30 夕刊"/>、被疑者Hはそれまでの否認から一転して「被害者に灯油をかけて焼いた」<ref name="読売新聞2002-07-31"/>などと述べ、殺害を認める具体的な供述を始めた<ref name="読売新聞2002-07-31">『読売新聞』2002年7月31日東京朝刊第一社会面35頁「静岡・三島の女子短大生焼殺 『灯油かけ焼いた』 H容疑者が供述」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2002-07-31 静岡">『読売新聞』2002年7月31日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺 狩野川から自転車 拘束用?粘着テープも押収=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。その後、さらに追及すると具体的な動機・手口について「顔を見られたので、灯油を掛けライターで火をつけて殺した」と供述した<ref name="読売新聞2002-08-03">『読売新聞』2002年8月3日東京朝刊第一社会面35頁「静岡・三島の短大生焼殺 『顔見られ殺した』 容疑者供述」(読売新聞東京本社)</ref>ため、捜査本部は供述の裏付け捜査を進め{{Refnest|group="注"|2002年8月2日が被疑者Hの勾留期限だったが<ref name="読売新聞2002-08-04">『読売新聞』2002年8月4日東京朝刊静岡県版地方面28頁「三島の短大生焼殺 H容疑者の拘置を延長=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、静岡地検沼津支部は同日付で「現段階では調べが不十分なため、10日間(2002年8月13日まで)の拘置延長が必要」と[[静岡地方裁判所]]沼津支部へ申請した<ref>『静岡新聞』2002年8月3日朝刊第一社会面29頁「H容疑者拘置延長を決定-三島の焼殺事件で地裁沼津支部」(静岡新聞社)</ref>。}}<ref name="静岡新聞2002-08-13">『静岡新聞』2002年8月13日朝刊一面1頁「殺人容疑できょうH容疑者を再逮捕-三島・短大生焼殺事件」(静岡新聞社)</ref>、2002年8月13日に被疑者Hを殺人容疑で再逮捕した<ref name="静岡新聞2002-08-14 no.1">『静岡新聞』2002年8月14日朝刊一面1頁「殺人容疑でH容疑者を再逮捕-三島の短大生焼殺 犯行、大筋認める」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-08-14 no.2">『静岡新聞』2002年8月14日朝刊第一社会面23頁「ち密な捜査、壁破る-県警捜査一課と三島署の捜査本部、三島の短大生焼殺事件でH容疑者を再逮捕 物証を丹念に重ね」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2002-08-14">『読売新聞』2002年8月14日東京朝刊静岡県版地方面24頁「三島の短大生焼殺 殺人容疑で建設作業員再逮捕 携帯電話焼いて処分?=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。 |
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捜査本部は2002年8月15日に被疑者Hを殺人容疑で静岡地検沼津支部に追送検し<ref>『静岡新聞』2002年8月15日夕刊第一社会面3頁「H容疑者を送検-三島の女子短大生焼殺事件」(静岡新聞社)</ref><ref>『読売新聞』2002年8月16日東京朝刊静岡県版地方面24頁「三島の短大生焼殺 容疑者を送検=静岡」(静岡新聞社)</ref>、静岡地検沼津支部は2002年9月3日に被疑者Hを殺人・逮捕監禁などの罪状で静岡地裁沼津支部へ起訴した{{Refnest|group="注"|ただし、事件があった時期に覚醒剤を使用していたことを認めたが、[[覚醒剤取締法]]違反容疑については物証が得られなかったため立件は見送られた<ref name="読売新聞2004-01-16"/>。また当初の逮捕容疑のうち1つだった強盗容疑についても[[起訴#不起訴処分|不起訴処分]]となった<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.1"/>。}}<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.1">『静岡新聞』2002年9月4日朝刊第一社会面27頁「三島の短大生焼殺 H容疑者を起訴-地検沼津支部」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2002-09-04">『読売新聞』2002年9月4日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺 『身元隠し』目的と供述 H容疑者を起訴=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。このころまでに、加害者Hは全面的に犯行を認めた上で「申し訳ないことをした」と反省の言葉を述べていた{{Refnest|group="注"|犯行を認めた理由について、被告人Hは第4回公判(2003年3月20日)で「被害者Aに申し訳ないと思ったから」と述べた<ref name="静岡新聞2003-03-21"/>。}}<ref name="静岡新聞2002-09-04 no.2">『静岡新聞』2002年9月4日朝刊第一社会面27頁「『刑務所戻りたくない』H被告-三島の短大生焼殺」(静岡新聞社)</ref>。 |
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== 刑事裁判 == |
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[[静岡地方裁判所]]沼津支部は2002年9月27日付で初公判開廷期日を「2002年11月12日午後1時10分」に指定し、同日午前には[[静岡県弁護士会]]に[[国選弁護制度|国選弁護人]]の選任を依頼した<ref name="静岡新聞2002-09-27">『静岡新聞』2002年9月27日夕刊第一社会面3頁「初公判は11月12日-三島の短大生焼殺」(静岡新聞社)</ref>。 |
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=== 事実誤認の主張について === |
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後述の第一審初公判以降、被告人Hは被害者Aを強姦した場所について{{Sfn|上條|2003|p=101}}、捜査段階から供述を翻し「起訴状では捜査段階で供述した『田方郡函南町軽井沢字立洞地内』<ref group="注" name="強姦現場"/>とされているが、正しくは『三島市芙蓉台北の農免道路からゴルフ場{{Refnest|group="注"|三島スプリングスカントリー倶楽部{{Sfn|上條|2003|p=101}}。}}側に約10 m入った辺りの路上』だ」と述べた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。同時に、捜査段階で「函南町内で被害者Aを強姦した」と供述した理由については第一審・控訴審それぞれの公判において「捜査段階で被害者の遺体を見せられてショックを受け、それを連想させる場所には行きたくなかったので、強姦場所について虚偽の供述をした」と証言した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。 |
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しかし静岡地裁沼津支部 (2004) は検察官の主張通り、強姦現場を「函南町軽井沢」と事実認定したほか、東京高裁 (2005) も以下の理由から「被告人Hの強姦場所に関する捜査段階における供述の信用性は高い。公判における被告人Hの供述は被告人Hの主張する農免道路の地理的状況は拉致途中に覚醒剤仲間と電話で交わした内容とも矛盾し、捜査段階の供述と対比して信用できない」として被告人Hの主張を退け、第一審の判断を是認した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}。 |
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* 「被告人Hは捜査段階で、逮捕翌日に『被害者と合意で肉体関係を持った』と初めて述べた際、その場所を『(函南町軽井沢にある勤務先建設会社の)軽井沢事務所から車で約10分弱走ったところ』と述べ、その直後に被害者を強姦したことを自供した際にも『函南町の山中道路端』と述べている。その後の本格的な取り調べでも拉致現場 - 強姦現場へ至る図面を描き、その経路について詳細に説明しながら『軽井沢事務所から箱根にある社長の父親の仕事場に行くことができる。その途中の山の中なら誰にも見られないと思って強姦場所に決めた』という趣旨の供述をしている」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}} |
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* 「警察官を現場に案内して実況見分に立ち寄った際には、現場の左側に人の背丈ほどに成長したトウモロコシ畑があったが、被告人Hは警察官に対し『事件当月(1月)にはその畑には何も栽培されていなかった』など、具体的で臨場感に富む供述をしている。これらの状況に加え、強姦場所に向かう途中には携帯電話に覚醒剤仲間から電話がかかってきたが、その際も当時の心理状態を交えつつ『函南町の山中に向かっている』などと供述していた。被害者を拉致した場所・強姦後に連れ回した場所(コンビニエンスストアの駐車場など)・さらには殺害現場まで警察官を案内して詳細に説明しながら、強姦場所には『遺体を連想させる場所には行きたくない』という理由で虚偽の供述をしたというのは甚だ不自然だ」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}} |
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=== 第一審・静岡地裁沼津支部 === |
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2002年11月12日に静岡地裁沼津支部([[高橋祥子]]裁判長)で被告人Hの初公判が開かれ<ref name="静岡新聞2002-11-12 no.1">『静岡新聞』2002年11月12日夕刊一面1頁「H被告、犯行事実大筋で認める-地裁沼津支部で短大生殺害事件初公判」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-11-12 no.2">『静岡新聞』2002年11月12日夕刊第一社会面3頁「『Aさんは戻らない』-三島の短大生殺人事件、両親ら初公判を傍聴 怒り新た」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-11-13 no.1">『静岡新聞』2002年11月13日朝刊一面1頁「帰宅時に焼殺決意 H被告、服役恐れ-三島・短大生殺害事件の初公判」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2002-11-13 no.2">『静岡新聞』2002年11月13日朝刊第一社会面31頁「H被告、表情も変えず-三島・短大生焼殺事件 じっと前方見つめ 傍聴席ではすすり泣き」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2002-11-13">『読売新聞』2002年11月12日東京夕刊第二社会面18頁「女子短大生焼殺、起訴事実認める/静岡地裁沼津支部」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2002-11-13 静岡">『読売新聞』2002年11月13日東京朝刊静岡県版地方面32頁「女子短大生焼殺初公判 偶然見かけ犯行、警察通報恐れ殺害=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、被告人Hは罪状認否で起訴事実を大筋で認めたが<ref name="静岡新聞2002-11-12 no.1"/><ref name="読売新聞2002-11-13"/>、車への監禁について高橋裁判長から「(被害者Aを)車に乗せる時点では強姦する気持ちはなかったのか」と確認されると「全くありません」と強い口調で答え、強姦目的の拉致を否認した<ref name="静岡新聞2002-11-13 no.1"/>。同日、被告人Hの[[弁護人]]側は「証拠が膨大で十分検討していない」として証拠採用についての意見を留保した<ref name="静岡新聞2002-11-13 no.1"/>。 |
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事件発生から1年となる[[2003年]](平成15年)1月24日に第2回公判が開かれ、検察官により同日に証拠採用された被害者遺族(被害者の両親)らの調書が朗読された<ref name="静岡新聞2003-01-24">『静岡新聞』2003年1月24日朝刊第一社会面27頁「遺族の調書を朗読-三島短大生殺人、第2回公判」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2003-01-24">『読売新聞』2003年1月24日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の短大生焼殺公判 両親らの調書朗読=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。第3回公判(2003年2月20日)では弁護人側が陳述し<ref name="静岡新聞2003-02-21">『静岡新聞』2003年2月21日朝刊第二社会面28頁「三島・焼殺事件で経路の違いを指摘-地裁沼津支部公判で弁護側」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2003-02-21">『読売新聞』2003年2月21日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺公判 弁護側が陳述=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、「被告人Hが被害者Aを拉致・殺害するまでの経路など{{Refnest|group="注"|弁護人は「被告人Hは被害者を強姦後、三島市長伏で被害者の適当な解放場所を探していたが、被害者が車から突然飛び降りて逃げようとしたために再び車に連れ戻した。この間に覚醒剤を自分で2度使用した」と主張した<ref name="静岡新聞2003-02-21"/>ほか、殺害時の状況については「灯油を掛けた時点では(検察官の主張と異なり)、被害者Aは気を失った状態で、正座をさせていたわけではない」などと主張した<ref name="読売新聞2003-02-21"/>。}}は検察官の主張とは異なる」と主張した<ref name="静岡新聞2003-02-21"/>。 |
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第4回公判(2003年3月20日)で被告人質問が行われ<ref name="静岡新聞2003-03-21">『静岡新聞』2003年3月21日朝刊第三社会面29頁「法廷=被告『脅すつもりも』-三島の焼殺事件で第4回公判」(静岡新聞社)</ref>、被告人Hは「犯行後に覚醒剤を使用していた」と認めた上で<ref name="読売新聞2003-03-21">『読売新聞』2003年3月21日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺公判 犯行後に覚せい剤使用認める=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、弁護人から「殺害の際に使用した灯油入りポリタンクを持ち出した段階における心情」を質問され「漠然と『(被害者Aが)いなくなればいい』と思ったり、脅す意図もあったが、(殺害しようという)明確な意識はなかった」と説明した<ref name="静岡新聞2003-03-21"/>。また「被害者Aが三島市内で一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した。(この事実をそれまでに自供しなかった理由は)罪が重くなると思ったからだ」と述べた<ref name="読売新聞2003-03-21"/>。 |
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第7回公判(2003年7月10日)では検察官が被害者女子短大生Aの両親を証人尋問し、両親からそれぞれ被告人Hへの極刑を望む旨の陳述<ref group="注" name="遺族の心情"/>を得た<ref>『静岡新聞』2003年7月11日朝刊第一社会面29頁「短大生両親が証言『娘返してほしい』-三島の女子短大生焼殺事件公判」(静岡新聞社)</ref>。さらに第8回公判(2003年8月26日)では検察官・弁護人がそれぞれ証人尋問を行い、検察官証人として召喚された被害者Aの姉は前回公判の両親と同様に被告人Hへの極刑を望む旨を述べた一方、弁護人証人として召喚された被告人Hの父親は「息子がやったことは取り返しのつかないことだが、どんな判決が下されても息子には生きていてほしい」と述べた<ref>『静岡新聞』2003年8月27日朝刊第一社会面29頁「短大生の姉証言-三島の焼殺事件公判」(静岡新聞社)</ref>。 |
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2003年10月9日に[[論告]]求刑公判が開かれ、静岡地検沼津支部の検察官は被告人Hに[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した{{Refnest|group="注"|静岡地裁などによれば、静岡県内の刑事裁判における死刑求刑は1966年6月に同県[[清水市]](現:[[静岡市]][[清水区]])で発生した「[[袴田事件]]」以来だった<ref name="静岡新聞2003-10-10 no.2"/>。}}<ref name="静岡新聞2003-10-10 no.1">『静岡新聞』2003年10月10日朝刊第一社会面31頁「H告に死刑求刑-三島・女子短大生焼殺事件、地裁沼津支部公判 『残虐極まりない』と論告」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2003-10-10 no.2">『静岡新聞』2003年10月10日朝刊第一社会面31頁「H被告、死刑求刑にも表情崩さず 地裁沼津支部」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2003-10-10">『読売新聞』2003年10月10日東京朝刊第一社会面39頁「静岡・三島の女子短大生焼殺 H被告に死刑求刑」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2003-10-10 静岡">『読売新聞』2003年10月10日東京朝刊静岡県版地方面32頁「女子短大生焼殺に死刑求刑 『非道、残虐』厳しく指弾 論告公判=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。審理は2003年10月30日の公判で結審し、同日に行われた最終弁論で弁護人は「強姦・殺害を目的とした計画的犯行ではなく、犯行当時は飲酒・覚醒剤使用により正常な判断能力を有していなかった。被告人Hは真摯に反省しており矯正の余地もある」と述べて死刑回避を求め<ref name="静岡新聞2003-10-30">『静岡新聞』2003年10月30日夕刊第一社会面3頁「『計画的犯行ではない』弁護側が最終弁論-三島・短大生焼殺事件、地裁沼津支部で公判」(静岡新聞社)</ref>、適切な[[量刑]]に関して「無期懲役か有期[[懲役]]が相当」と主張した{{Refnest|group="注"|弁護人は量刑面について「他の同種事件と本件を比較し、公平性が保証されているかどうかの検討が必要」と主張した<ref>『読売新聞』2004年1月15日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺きょう判決 残虐さ、社会に衝撃 犠牲1人、求刑は死刑=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。}}<ref name="静岡新聞2003-10-30"/><ref name="読売新聞2003-10-31">『読売新聞』2003年10月31日東京朝刊静岡県版地方面32頁「短大生焼殺事件結審 『矯正可能性ある』 弁護側『懲役刑が相当』と主張=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。最終意見陳述で被告人Hは「自分のしたことでたくさんの人に迷惑をかけて本当にすみませんでした」と述べ、犯行を謝罪した<ref name="静岡新聞2003-10-30"/>。 |
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==== 無期懲役判決 ==== |
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2004年1月15日に判決公判が開かれ{{Refnest|group="注"|判決公判期日は当初「2003年12月18日」とされていたが<ref name="静岡新聞2003-10-30"/>、その直前となる2003年12月12日までに「翌[[2004年]](平成16年)1月15日に延期する」と発表された<ref>『静岡新聞』2003年12月13日朝刊第三社会面29頁「法廷=『三島の短大生焼殺』来月15日に判決公判」(静岡新聞社)</ref>。}}、静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は被告人Hを[[懲役#無期懲役|無期懲役]]に処す[[判決 (日本法)|判決]]{{Refnest|group="注"|静岡県内ではこの時点までに、殺害された被害者数が1人の殺人事件で死刑判決が言い渡された事例はなく、いずれも無期懲役・有期懲役刑が言い渡されていた<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊3面"/>。[[静岡大学]]人文学部助教授・田淵浩二(刑事訴訟法)は『静岡新聞』夕刊(2004年1月15日)紙上で、本判決について「全国では『殺害された被害者が1人の殺人事件』でも死刑判決が出た事例がある(例:[[JT女性社員逆恨み殺人事件]])。本件において死刑が回避された決定的な事情は『殺害された被害者が1人だから』ではなく『計画性がなかったこと』など、死刑適用の条件が満たされていなかったためだろう」と解説した<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊3面"/>。}}を言い渡した<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊1面">『静岡新聞』2004年1月15日夕刊一面1頁「三島・女子短大生焼殺事件 H被告に無期判決─地裁沼津支部 周到な計画を否定、死刑を回避」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊3面">『静岡新聞』2004年1月15日夕刊第一社会面3頁「無期判決『悔しい』 すすり泣く遺族─三島の短大生焼殺事件判決 被告へ厳しい視線」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2004-01-16">『静岡新聞』2004年1月16日朝刊第一社会面29頁「三島・女子短大生焼殺無期判決 遺族の傷癒えず」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2004-01-16">『読売新聞』2004年1月15日東京夕刊第二社会面18頁「女子短大生焼殺に無期判決 反省考慮…遺族『悔しい』/静岡地裁」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref><ref name="読売新聞2004-01-16 静岡">『読売新聞』2004年1月16日東京朝刊静岡県版地方面26頁「三島の短大生焼殺に無期 天仰ぎ、遺族ため息 判決、反省など考慮=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。同地裁支部は[[判決理由]]で、争点となった被告人Hの「火を点けた時、被害者は既に死亡しているかもしれないと思った」とする主張を退け、検察官が主張した通り「犯行の発覚を恐れ、身元がわからないように焼殺した」と[[事実認定]]し<ref name="読売新聞2004-01-16"/>、確定的な殺意を認定した<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊1面"/>。その上で情状面について「(殺害方法は)焼殺という極めて異常・残虐なものだ。自己中心的な動機で酌量の余地はない」<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊1面"/>「被告人Hの人間的な思考に欠けた冷酷な性格による犯行で社会的影響は大きく、矯正教育をしても犯罪性向を改めることは困難である」と指摘したが、他方で「被告人Hが反省の態度を示していること」「犯行に計画性が窺えないこと」「劣悪な環境で育ったこと」などの情状を挙げ<ref name="読売新聞2004-01-16 静岡"/>、「規範的な人間性がわずかながら残されており、死刑とするにはなお躊躇いがある。終生、贖罪の日々を送らせるのが相当である」と結論付けた<ref name="読売新聞2004-01-16"/>。担当した裁判官3人のうち1人は2009年に『読売新聞』(読売新聞社)の取材に対し「公判の途中から死刑求刑を予想し、死刑か無期懲役かを前提に議論した結果、従来の量刑の傾向から見ると、ボーダーラインというよりは無期懲役に近いケースだと思い無期懲役刑を選択したが、被害者感情を重視する世論が高まっている時期だったため、裁判所には判決後に非難の電話が相次いだ」と述べている{{Refnest|group="注"|この裁判官はその後、東京高裁で原判決が破棄され死刑が言い渡された際には「高裁は別の見方をした。それもまた1つの判断だ」と受け止めていた<ref name="読売新聞2009-02-26"/>。}}<ref name="読売新聞2009-02-26"/>。 |
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静岡地検沼津支部は量刑不当を理由に2004年1月28日付で[[東京高等裁判所]]へ[[控訴]]した<ref>『静岡新聞』2004年1月29日朝刊第一社会面29頁「検察側が控訴-三島の短大生焼殺事件、地裁沼津支部の無期判決に不服」(静岡新聞社)</ref><ref>『読売新聞』2004年1月29日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の短大生焼殺に無期刑 検察が控訴=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>一方、被告人Hも量刑不当を理由に2004年2月10日までに東京高裁へ控訴した<ref>『静岡新聞』2004年2月11日朝刊第一社会面27頁「三島の女性焼殺、被告側も控訴 一審で無期判決」(静岡新聞社)</ref><ref>『読売新聞』2004年2月13日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島の女子短大生焼殺で被告側も控訴=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。 |
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=== 控訴審・東京高裁 === |
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[[東京高等裁判所]]第6刑事部{{Sfn|東京高裁|2005}}における控訴審で裁判長を務めた[[田尾健二郎]]{{Refnest|group="注"|田尾は(2004年時点で)裁判官に就任してから36年の豊富なキャリアを持ち、[[東京地方裁判所]]に所属していた際には[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]の被告人・[[宮崎勤]]に裁判長として死刑判決を言い渡すなど数多くの刑事裁判を手掛けていた<ref name="読売新聞2009-02-26"/>。}}は2004年初夏に第一審・静岡地裁沼津支部の判決文を読んで「何の落ち度もない被害者Aがアルバイトの帰り道で見ず知らずの男に拉致・乱暴されて惨殺されたあまりにもひどい事件だ。(死刑を回避して無期懲役を選択した)原判決は本当に正しいのだろうか?」と疑念を抱き、「死刑か無期懲役か、すべての情状を判断する必要がある」と考えていた<ref name="読売新聞2009-02-26"/>。 |
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なお本事件と同時期に静岡地裁沼津支部で審理され、死刑求刑に対し無期懲役が言い渡された事件には沼津市内で発生した女子高生へのストーカー殺人事件{{Refnest|group="注"|同事件の被告人は2000年4月19日にJR東海・[[沼津駅]]北口の駐輪場で交際相手だった女子高生(当時17歳)を包丁でめった刺しにして殺害したとして殺人罪などに問われ、検察官から死刑を求刑されたが、2004年1月29日に静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は「逆恨みによる犯行で刑事責任は重大だが、鑑定結果の境界性人格障害は量刑上考慮せざるを得ない」として無期懲役判決を言い渡した<ref name="静岡新聞2004-01-29">『静岡新聞』2004年1月29日夕刊一面1頁「沼津の女子高生ストーカー殺人事件 被告に無期判決 地裁沼津支部 死刑を回避」(静岡新聞社)</ref>。検察官は死刑を求め控訴したが、2005年12月22日に東京高裁(田尾健二郎裁判長)は無期懲役判決を支持して検察官の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="朝日新聞2005-12-22">{{Cite news|title=女子高校生殺害の被告、二審も無期 静岡ストーカー事件|newspaper=[[朝日新聞デジタル|asahi.com]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2005-12-22|url=http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200512220154.html|accessdate=2005年12月24日|language=ja|archivedate=2005-12-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20051224061236/http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200512220154.html}}</ref>。}}があるが、同事件の被告人は元婚約者への殺人未遂の前科があり{{Refnest|group="注"|沼津のストーカー殺人事件の被告人は1993年に恋愛感情を抱いていた女性を包丁で多数回刺した殺人未遂罪などで有罪判決を受け、1998年にも恋愛感情を抱いていた女性に交際を迫って包丁を突きつけた暴力行為等処罰法違反の罪で有罪判決を受け、それぞれ服役した前科がある<ref name="朝日新聞2005-12-22"/>。}}、被害者を駐輪場で待ち伏せて殺害していた{{Refnest|group="注"|ただし、同事件では第一審<ref name="静岡新聞2004-01-29"/>・控訴審とも殺害の計画性は認められなかった<ref name="朝日新聞2005-12-22"/>。}}{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。そのため控訴審で被告人Hの国選弁護人を担当した福島昭宏([[東京弁護士会]])は「本事件より沼津のストーカー殺人事件の方が凶悪で、より逆転死刑判決が言い渡される可能性が高い」と予想していたが{{Refnest|group="注"|福島は死刑囚Hの刑執行後、抗議集会で「自分は死刑事件に関わる自信がなかったから、もし本事件が特別案件に指定されていたら弁護を引き受けなかったはずだ」と述べている{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。}}{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}、結局は東京高裁(田尾裁判長)でも無期懲役判決が維持された<ref name="朝日新聞2005-12-22"/>。 |
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また東京弁護士会は東京高裁に対し「本事件を特別案件に指定してほしい」と申し出ていたが、担当部(東京高裁第6刑事部)はこれを認めなかった{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。そのため福島は「東京高裁は本事件をそこまで重要とは考えていないだろうし、死刑はあり得ないだろう。むしろ(本事件とほぼ同時期に東京高裁に係属していた)特別案件に指定された被害者2人の強盗殺人事件の被告人{{Refnest|group="注"|同事件の被告人も本事件と同様に死刑を求刑されたが、第一審では無期懲役判決が言い渡され、検察官が控訴していた{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。なお、この被告人とともに実行共同正犯とされた共犯者(主犯格)は死刑判決を受けていた{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。}}の方が死刑になる可能性が高い」とも予想していたが、本事件は死刑が言い渡された一方、特別案件指定事件は無期懲役判決が支持された{{Sfn|フォーラム90NEWS|2012|p=6}}。 |
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==== 控訴審の審理 ==== |
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東京高裁第6刑事部(田尾健二郎裁判長){{Sfn|東京高裁|2005}}で2004年10月14日に控訴審初公判が開かれ<ref name="読売新聞2004-10-15">『読売新聞』2004年10月15日東京朝刊静岡県版地方面32頁「三島短大生殺人控訴審 検察側『極刑回避しては司法への信頼揺らぐ』=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>、検察官は控訴趣意書で「本件犯行の諸事情に照らすと、被告人Hに対しては死刑をもって臨むほかないのに、原判決が被告人への死刑適用を回避して無期懲役の量刑を選択したのは著しく軽く不当である」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=量刑不当の主張について}}「冷酷・残虐な犯行で被告人Hには反省も見られない。殺人などの[[前科]]がなく殺害された被害者が1人であっても、本件で極刑を回避しては司法に対する信頼が揺らぐ」と述べた<ref name="読売新聞2004-10-15"/>。一方で弁護人は控訴趣意書で「被告人Hが被害者Aを強姦した場所は函南町内ではなく三島市芙蓉台北付近だ」と事実誤認の旨を主張したほか{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}、量刑面についても「途中で殺害を躊躇するなど計画性はなく、無期懲役は重すぎる」<ref name="読売新聞2004-10-15"/>(=有期懲役刑が妥当)と主張した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=量刑不当の主張について}}。 |
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続く第2回公判(2004年12月7日)で被告人質問が行われ、被告人Hは検察官からの「殺害時に使った灯油を実家から持ち出した理由」に関する質問に対し「被害者Aを脅すためで、その時点では殺そうと思っていなかった」などと述べた<ref name="静岡新聞2004-12-08">『静岡新聞』2004年12月8日朝刊第一社会面29頁「殺害理由『分からない』 三島の女子短大生焼殺事件で控訴審公判─東京高裁」(静岡新聞社)</ref>。その上で「被害者Aを殺害した理由」に関する質問には繰り返し「分からない」と述べた一方で<ref name="静岡新聞2004-12-08"/>、控訴理由については「少しでも刑を軽くしたかった」と述べた<ref name="読売新聞2005-03-29"/>。 |
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控訴審は第3回公判([[2005年]]〈平成17年〉1月18日)に結審した<ref name="静岡新聞2005-01-19">『静岡新聞』2005年1月19日朝刊第二社会面26頁「三島の短大生焼殺事件 被害者の父『極刑望む』-東京高裁で控訴審が結審」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2005-01-19">『読売新聞』2005年1月19日東京朝刊静岡県版地方面30頁「三島の女子短大生焼殺 判決は3月29日=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。同日は証人尋問が行われ、検察官側の証人として出廷した被害者Aの父親が被告人H本人に対し「娘がされたのと同じことをしてやりたい気持ちだ。発覚を恐れて殺すなど、人間のすることではない」と述べ{{Refnest|group="注"|name="遺族の心情"|被害者Aの遺族は検察官に対し「Hに対し『Aがどれだけ熱かったか、どれだけ怖かったか、どれだけ苦しかったか、身をもって知れ』と言いたい」と述べていた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行の結果、被害感情等}}。}}<ref name="静岡新聞2005-01-19"/>、第一審と同様に死刑を求めた<ref name="読売新聞2005-01-19"/>。結審後、裁判長を務めた田尾は第一審判決が死刑回避の事情として指摘した「周到な計画に基づく犯行ではない点」「被告人Hの前科に殺人などの犯罪は見当たらない点」などを改めて検証し、最終的には「どの情状も『被害者を生きたまま焼殺する』という残虐な犯行態様に比べれば、被告人Hに有利な情状とは認められない」という心証を固め、陪席裁判官2人<ref name="読売新聞2009-02-26"/>(鈴木秀行・山内昭善){{Sfn|東京高裁|2005}}とともに「死刑しかない」と結論を出した<ref name="読売新聞2009-02-26"/>。 |
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==== 死刑判決 ==== |
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東京高裁第6刑事部(田尾健二郎裁判長){{Sfn|東京高裁|2005}}は2005年3月29日に開かれた控訴審判決公判で原判決(第一審・静岡地裁沼津支部の)無期懲役判決を破棄し、被告人Hに検察官の求刑通り死刑判決を言い渡した<ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊1面no.1">『静岡新聞』2005年3月29日夕刊一面1頁「三島・短大生焼殺 H被告に死刑判決 『無法、無体の限り』 東京高裁、一審無期を破棄」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊1面no.2">『静岡新聞』2005年3月29日夕刊一面1頁「死刑判決に『参ったな』 H被告」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊3面no.1">『静岡新聞』2005年3月29日夕刊第一社会面3頁「三島・短大生焼殺 『死刑』 『なぜ娘を殺したのか』法廷、すすり泣く遺族 父親『当たり前の判決』」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-29 夕刊3面no.2">『静岡新聞』2005年3月29日夕刊第一社会面3頁「三島・短大生焼殺 『死刑』 『ようやくここまで』 高校時代の担任教諭」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.1">『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31頁「三島の短大生焼殺・死刑判決 『計画的犯行と同様』 高裁判断、遺族感情を重視」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.2">『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31頁「三島の短大生焼殺・死刑判決 癒えない悲しみ 現場、今も花や供物」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.3">『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31頁「三島の短大生焼殺・死刑判決 被告側、上告へ」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2005-03-30 no.4">『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31頁「三島の短大生焼殺・死刑判決 『主張認められた』静岡地検」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2005-03-29">『読売新聞』2005年3月29日東京夕刊第一社会面27頁「三島の短大生焼殺 東京高裁が無期破棄、死刑判決 『極めて残虐、非情』」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2005-03-30 静岡">『読売新聞』2005年3月30日東京朝刊静岡県版地方面32頁「遺族ら『思い通じた』 三島の女子短大生殺人、被告に死刑判決=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>。東京高裁 (2005) は被告人H・弁護人による事実誤認の主張を退け、第一審と同様に「被害者を強姦した場所は函南町内」と事実認定した上で{{Sfn|東京高裁|2005|loc=事実誤認の主張について}}、以下のような情状を指摘した。 |
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* 「被告人Hは少年時代から非行を繰り返し、少年院で2度にわたり矯正教育を受け、成人後も懲役刑に処され相当長期間服役したが、仮釈放を経て刑期満了後半年足らずで今回の犯行に及んだ。そのことを考慮すれば被告人Hの規範意識は著しく希薄で、更生意欲に乏しく、犯罪性行は根深いと言わざるを得ない。原判決は『被告人Hが幼少期に貧困家庭・劣悪な生活環境で生育したことがその人格形成に影響していることは否定し難く、量刑上考慮されるべきだ』と指摘している<ref group="注" name="家庭環境"/>が、Hと同じ家庭環境で育った兄弟に犯歴はない。被告人Hの犯罪性行は家庭・生育環境よりそれまでの生き方・考え方・生活の仕方に由来するところが大きい。加えてHは事件当時30歳に近い年齢で妻と子供2人を抱える身だったから、その生い立ちに同情すべき点があったとしても斟酌するには限界がある」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=被告人の生活歴、犯歴等}} |
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* 「原判決は『Hが強姦の犯意を生じたのは、被害者Aを待ち伏せした時点ではなく、Aが悲鳴を上げ逃げ出そうとしたことがきっかけだ。それまではAに言葉を掛けて誘い続けている』と指摘した上でその点をHにとって有利に斟酌しているが、『相手が自分の誘いに応じてくれるかもしれない』と考えたこと自体が自己中心的だ。その誘い方も強引・執拗で、体力に物を言わせてAを誘おうとしたことが拉致・強姦へ発展したのだから、犯行の悪質さは強姦の犯意を生じた時点がいつなのかでそれほど異なるものではない」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=逮捕・監禁、強姦について}} |
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* 「原判決は『被告人Hは当初、被害者Aを解放するための場所を探していた。実家からポリタンクを持ち出した時点でも殺意は強固ではなく、被害者Aに灯油を浴びせた時点でも殺害を躊躇していた。周到な計画に基づく殺人ではない』と指摘しているが、Hは『灯油を掛けて焼き殺そう』と思い立ってから殺害に至るまで手際よく、計画的な犯行に劣らぬ迅速な行動を取っている。また監禁後に被告人Hが殺害を躊躇したのは『殺害が発覚すれば重い罪で処罰される』と恐れたためでもっぱら自己保身に基づき、被害者に対する慈悲の心情によるものではない。『周到に殺害を計画していない』ことを強調するのは相当ではなく、『覚醒剤を打ちたい』と考えて被害者を生きたまま焼き殺すという人間性を欠いた被告人Hの行為には慄然とせざるを得ない」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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* 「原判決は『Hは被害者Aを殺害後、薬物を注射したり煙草を吸ったりした際に動揺して手指が震えていた<ref group="注" name="犯行後"/>事実が認められ、その事実からはなお規範的な人間性が残っているとみる余地がある』と指摘しているが、犯行後には証拠隠滅を図るため灯油入りポリタンクを元の場所に戻したり、被害者の自転車を狩野川に投棄しているなど、冷静・周到な行動を取っている。その点に照らせば原判決の説示にはたやすく賛同できない。また原判決は『被告人の前科には他人の生命を侵害しようとした犯罪(殺人など)は見当たらず、そのような犯罪傾向は顕著とまでは言い難い』と指摘しているが、少年院から何度も矯正教育を受け、前刑でかなり長期間服役したにも拘らず仮釈放から1年未満でこのような凶悪犯罪を犯している点を考慮すれば、特段に有利な事情とは認められない」{{Sfn|東京高裁|2005|loc=殺人について}} |
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そして「被害者Aは生前、誠実に生きて努力を重ねてきたにも拘らず、不幸にも被告人Hの目の留まってしまったばかりに犯行の犠牲になった。体を縛られた状態で焼き殺された被害者Aの無念・苦痛はいかばかりかと察せられ、深い哀れみを覚えざるを得ない{{Refnest|group="注"|田尾は2009年に『読売新聞』記者からの取材に対し「(死刑判決を言い渡したとはいえ)被害者遺族の処罰感情はそれほど重視しなかった。被害者の人物像を判決理由の中で述べた際も、感情的な言い回しを極力避けたが、『苦悶のうちに命を失うこととなった被害者の短い一生を思う時、深い哀れみを覚えざるを得ない』という一言だけは自分自身の心情を判決文に反映した」と回顧した<ref name="読売新聞2009-02-26">『読売新聞』2009年2月26日東京朝刊一面1頁「[死刑]選択の重さ(1)女性焼殺「無期でいいのか」(連載)」(読売新聞東京本社)</ref>。}}。被害者遺族が強く死刑を望む<ref group="注" name="遺族の心情"/>のは当然だ」と指摘し{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行の結果、被害感情等}}、「被告人Hには反省悔悟の情が窺われるが、Hにとって有利に斟酌すべき事情{{Refnest|group="注"|被告人Hは逮捕後10日目ごろ(事実を認め、犯行の詳細について自供したころ)からは兄に殺害現場での被害者Aへの焼香を依頼し、遺族に充てて謝罪の手紙を送るなどしていた{{Sfn|東京高裁|2005|loc=犯行後の被告人の行動等}}。}}を最大限に考慮しても、残虐な殺害方法・改善更生の乏しさなどから見れば罪責はあまりにも重大で、極刑をもって臨むほかない」と判断した{{Sfn|東京高裁|2005|loc=判断}}。 |
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[[1983年]](昭和58年)に死刑選択基準の[[判例]]として[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]から「[[永山基準]]」が示されて以降、「殺害された被害者数が1人の殺人事件」では[[身代金]][[誘拐]]<ref group="注">例:[[雅樹ちゃん誘拐殺人事件]]・[[吉展ちゃん誘拐殺人事件]]・[[名古屋女子大生誘拐殺人事件]]など。ただし、[[司ちゃん誘拐殺人事件]]・[[甲府信金OL誘拐殺人事件]]のように死刑求刑が退けられ、無期懲役が確定した事例もある。</ref>・[[保険金殺人]]・[[逆恨み]]を動機とした[[お礼参り]]殺人<ref group="注">例:[[JT女性社員逆恨み殺人事件]]</ref>など計画性が高い利欲目的の場合や、過去に無期懲役刑で服役したにも拘らず[[仮釈放]]中に再犯した場合<ref group="注">例:[[福山市独居老婦人殺害事件]]など。</ref>を除いて死刑を回避する傾向が強かった<ref name="読売新聞2005-03-29"/><ref group="注">同じく「永山基準」が示された1983年以降に発生した身代金誘拐・保険金殺人を除く殺害被害者数1人の殺人事件で、無期懲役刑の前科がない被告人に対し最高裁で死刑が確定したケースとしては、[[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華料理店主射殺事件]]・[[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]]・[[JT女性社員逆恨み殺人事件]]の3例が挙げられるが、1件目・2件目は強盗殺人事件で、2件目・3件目の死刑囚は殺人の前科(有期懲役刑が確定し服役、満期出所後の犯行)がある。また殺人の前科がない1件目の死刑囚も[[銃犯罪|銃を使用した犯行]]であり、強盗殺人事件とは別に強盗殺人未遂事件・放火事件を起こしていた上、3件目の死刑囚は「身代金誘拐・保険金殺人と変わらない高度な計画性に基づく犯行」と認定された。</ref>。そのため、利欲目的でなく殺人の前科もない被告人Hに死刑判決が言い渡された本判決は極めて異例なもので<ref name="読売新聞2005-03-29"/>、少なくとも静岡県内においてはこれが初の事例だった<ref name="静岡新聞2004-01-15 夕刊3面"/>。 |
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本判決について田淵浩二(当時:[[香川大学]][[大学教授|教授]]・刑事訴訟法)は『[[静岡新聞]]』(静岡新聞社)朝刊(2005年3月30日)紙上で「被害者遺族の処罰感情・社会的影響を重視した内容だ。今後もこうした判決が出る可能性がある」と<ref name="静岡新聞2005-03-30 no.2"/>、[[土本武司]](当時:[[帝京大学]]教授)は『[[読売新聞]]』([[読売新聞社]])朝刊紙上で「注目すべき判決。複数の命でないと犯人1人の命に匹敵しないというのは不自然。この判決は重要な先例となるだろう」とそれぞれ解説した<ref name="読売新聞2005-03-29"/>。また『静岡新聞』は2005年3月30日の朝刊コラムで「被害者Aの父親が『娘が帰ってくるわけではない』と言ったように、遺族には一つの区切りになっても心の深い傷が癒えることはない。しかしあまりにも惨い犯行で、死刑制度が存在する限りそれしか当てはまらない残虐な行為で、今回の判決は当然の結論だろう」と述べた<ref>『静岡新聞』2005年3月30日朝刊1面コラム「大自在(2005年3月30日・水曜日)=『法の裁きと被害感情』」(静岡新聞社)</ref>。 |
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弁護人は閉廷後に「被害者の数に言及しなかったのは残念。『死刑にはならない』と思っていたので不意打ちを受けた気分だ。判決は極めて重い」と述べた<ref name="静岡新聞2005-03-30 no.3"/>。その上で判例違反を主張し<ref name="読売新聞2005-03-29"/>、2005年3月30日付で最高裁へ[[上告]]した<ref>『静岡新聞』2005年3月31日夕刊第一社会面3頁「三島の女子短大生焼殺事件 H被告が上告」(静岡新聞社)</ref><ref>『読売新聞』2005年3月31日大阪夕刊第二社会面14頁「静岡・三島の短大生焼殺 死刑判決のH被告が上告」([[読売新聞大阪本社]])</ref>。 |
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=== 上告審・最高裁第二小法廷 === |
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[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷([[古田佑紀]]裁判長)は[[2007年]](平成19年)10月22日までに、本事件の上告審[[口頭弁論]]公判を開廷する期日を「2007年12月17日」に指定して関係者に通知した<ref>『静岡新聞』2007年10月23日朝刊第一社会面29頁「三島の短大生焼殺、二審死刑のH被告 12月に上告審弁論-最高裁」(静岡新聞社・共同通信社配信)</ref><ref>『[[産経新聞]]』2007年10月23日東京朝刊社会面「短大生焼殺被告の弁論は12月17日」([[産経新聞東京本社]])</ref>。 |
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最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2007年12月17日に上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は死刑回避を{{Refnest|group="注"|弁護人は最高裁で示された死刑適用基準(『永山基準』)を引用し、上告趣意書にて過去の焼殺事件の判例を挙げ「残虐な犯行だが、同種の事件では無期懲役判決が一般的であり、本件の死刑適用は均衡を害する判例違反だ。被害者1人の事件において死刑の適用は慎重な運用が必要だ。被害者遺族の悲嘆も理解できるが、過度の重視は罪刑の公平性を欠く」<ref name="静岡新聞2007-12-17"/>「本件以上に残虐で悪質な犯行があることも否定できず、死刑が誠にやむを得ないとまでは言えない」と指摘した<ref name="読売新聞2007-12-18"/>。}}、検察官は上告棄却を{{Refnest|group="注"|検察官は死刑回避を求める弁護人の弁論に対し「『永山基準』は『殺害された被害者が複数でなければ死刑を選択できない』と判断したものではない」と反論した<ref name="読売新聞2007-12-18"/><ref>『読売新聞』2008年2月29日東京朝刊静岡県版地方面33頁「三島の短大生死亡 『殺害1人で死刑』どう判断 きょう最高裁判決=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref>上で「自己中心的な動機・残虐な犯行態様などを考慮すれば、これまでの同種事件と比べても被告人Hの罪責は重く、死刑適用は免れない」と主張した<ref name="静岡新聞2007-12-17"/>。}}それぞれ求めた<ref name="静岡新聞2007-12-17">『静岡新聞』2007年12月17日夕刊第一社会面3頁「弁護側『死刑回避を』 検察は棄却求め結審-三島短大生焼殺上告審弁論」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2007-12-18">『読売新聞』2007年12月18日東京朝刊静岡県版地方面35頁「三島の短大生殺害 『2審死刑は判例違反』 弁護側、上告審弁論で主張=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref><ref name="産経新聞2007-12-17">『産経新聞』2007年12月17日大阪夕刊社会面「女性焼殺被告側 死刑回避求める 最高裁弁論」([[産経新聞大阪本社]])</ref><ref name="産経新聞2007-12-17 no.2">『産経新聞』2007年12月18日東京朝刊首都面「短大生焼殺で上告審弁論 最高裁」(産経新聞東京本社)</ref>。その後、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は[[2008年]](平成20年)2月12日までに上告審判決公判の期日を「2008年2月29日」に指定した<ref>『静岡新聞』2008年2月13日夕刊第一社会面3頁「三島・女子短大生焼殺事件 29日に最高裁判決」(静岡新聞社)</ref><ref>『産経新聞』2008年2月13日東京朝刊社会面「女子短大生焼殺、29日に判決」(産経新聞東京本社)</ref>。 |
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最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2008年2月29日に上告審判決公判が開かれ、同小法廷は控訴審の死刑判決を支持して被告人Hの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が[[確定判決|確定]]することとなった<ref name="静岡新聞2008-02-29">『静岡新聞』2008年2月29日夕刊一面1頁「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」(静岡新聞社)</ref><ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1">『静岡新聞』2008年3月1日朝刊一面1頁「三島・短大生焼殺死刑確定へ、残虐性や遺族感情重視-最高裁『更生可能性乏しい』」(静岡新聞社:社会部記者・薮崎拓也)</ref><ref name="静岡新聞2008-03-01 no.2">『静岡新聞』2008年3月1日朝刊第一社会面29頁「両親『娘は帰らない』 主文にうなずき涙、今も悲しみ癒えず-短大生焼殺『死刑』」(静岡新聞社)</ref><ref name="読売新聞2008-03-01">『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊第一社会面39頁「静岡・三島の短大生焼殺 元建設作業員の死刑確定へ」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2008-03-01 静岡">『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県版地方面33頁「短大生殺害上告審 残虐性重視の判決 死刑でも『娘は帰らぬ』=静岡」(読売新聞東京本社・静岡支局)</ref><ref name="産経新聞2008-03-01">『産経新聞』2008年3月1日東京朝刊社会面「短大生焼殺 死刑確定へ」(産経新聞東京本社)</ref>。被告人Hの弁護人は上告審判決を不服として2008年3月10日付で最高裁第二小法廷に判決の訂正を申し立てたが<ref>『静岡新聞』2008年3月11日朝刊第二社会面28頁「被告側、最高裁に判決訂正の申し立て-三島の短大生殺害事件」(静岡新聞社)</ref>、申し立ては同小法廷から2008年3月17日付で出された決定により棄却されたため<ref>『読売新聞』2008年3月20日東京朝刊静岡県版地方面35頁「三島の女子短大生焼殺 被告の死刑確定=静岡」(読売新聞東京本社)</ref><ref>『産経新聞』2008年3月19日東京朝刊社会面「H被告の死刑確定」(産経新聞東京本社)</ref>、<!--同日付で-->被告人Hの死刑判決が確定した<ref name="静岡新聞2008-03-19">『静岡新聞』2008年3月19日朝刊第一社会面27頁「三島の短大生焼殺事件 H被告、死刑確定-最高裁が訂正申し立て棄却」(静岡新聞社・[[共同通信社]]配信)</ref>。 |
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1983年に「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人の事件で死刑が確定した死刑囚の人数は本判決以前までに計24人だったが、うち23人は金銭利欲目的(強盗殺人・身代金目的誘拐・保険金殺人)か、もしくは殺人前科がある場合(無期懲役刑の仮釈放中に新たな殺人事件を起こした者を含む)に限られており、唯一の例外は2004年に発生した[[奈良小1女児殺害事件]]の死刑囚{{Refnest|group="注"|同事件の死刑囚は自ら死刑を望み、第一審<!--・[[奈良地方裁判所|奈良地裁]]-->で死刑判決を受けた後に自ら控訴を取り下げた<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/>(2013年に死刑執行)。}}だけだった<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/>。そのため、本事件は利欲目的・殺人前科ともになかった被告人に対し、最高裁で死刑判決が支持されて確定する極めて異例のケースとなった<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/><ref name="読売新聞2008-03-01"/>。また、静岡地裁管内で第一審が行われた刑事裁判において死刑判決が確定した事例は1980年に最高裁で死刑が確定した[[袴田事件]]の死刑囚・[[袴田巌]]以来28年ぶりだった<ref name="静岡新聞2008-03-01 no.1"/><ref>『静岡新聞』2008年3月25日夕刊第一社会面3頁「死刑、無期割れる判断 司法の安定求める声も-県内凶悪事件」(静岡新聞社)</ref>。<!--強盗殺人罪などに問われて1971年7月に静岡地裁沼津支部で死刑判決を受け、後に確定した死刑囚以来だった<ref name="読売新聞2008-03-01"/>。静岡新聞の報道と矛盾--> |
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上告審判決について[[渥美東洋]](当時:[[京都産業大学]]教授)は「拷問に等しいような犯行で死刑は当然だ。犯罪が多様化しており『被害者の数だけで量刑を決められるような時代』ではない。判決は『死刑適用の具体的事例』として『新たな1つの基準』が加わったと解釈することができる」と、[[石塚伸一]]([[龍谷大学]]教授)は「被告人Hの矯正可能性に触れつつ死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では死刑選択の理由に後向きな表現が目立つが、控訴審の死刑判決を破棄するまでには至らなかった」とそれぞれ評価した<ref name="読売新聞2008-03-01"/>。 |
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== 死刑執行 == |
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死刑囚Hは死刑執行まで[[東京拘置所]]に収監されていたが、死刑確定者らを対象に実施されたアンケートに対し以下のように回答していた。 |
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* 2008年(平成20年)7月 - 8月にかけて「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が実施したアンケート{{Sfn|フォーラム90|2009|p=13}} - 「何を言っても言い訳になるが、殺人という人として最も重い罪を犯してしまったからこそ、死刑囚となった自分は命の尊さ・大切さや、被害者や遺族の苦しみ・悲しみ・怒りを知ることができた。死刑囚こそ誰よりも命の大切さを知っていることをわかってほしい。外部交通権が制限されており、新しく改正された[[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律|刑事収容施設法]]も現状では自分たちのことを考えた新法とはいえず、役人にとって都合のいい新法でしかない」{{Sfn|フォーラム90|2009|p=99}} |
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* 2011年6月20日 - 8月31日に[[参議院議員]]・[[福島瑞穂]]が実施したアンケート{{Refnest|group="注"|2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している{{Sfn|フォーラム90|2012|p=10}}。}}{{Sfn|フォーラム90|2012|pp=10-12}} |
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** 「外部交通がかなり厳しく、文通・面会などの交流が自由にできない。[[再審]]請求のための支援者が死亡したが、新たな再審支援者の外部交通も許可されず、再審請求の邪魔ばかりされている」{{Sfn|フォーラム90|2012|p=88}} |
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** 「死刑囚は命の大切さを他の誰よりも知っている。死刑は国家が殺人を犯すのと同じで、死刑執行方法(絞首刑)もかなり残酷だ。自分が犯した罪の重さを理解した上で毎日反省・悔悟しているが、『いつ死刑を執行されて死ぬかわからない』という気持ちを与え続けることは精神的[[拷問]]と同じで、死刑執行だけはされたくない。被害者遺族には納得してもらえないかもしれないが、生きて償いたいし、できることなら被害者遺族と直接会って謝罪したいと思う。まだ被害者・遺族への謝罪・償いができていないうちに死ぬわけにはいかない」{{Sfn|フォーラム90|2012|pp=88-89}} |
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** 「(社会にいたら誘惑もあるが)『もし再び社会に出られたなら、一生犯罪を犯したり悪いことをしたりしない』という自信がある。死刑執行の恐怖に比べれば一般社会で真面目に生きることなど簡単だ。被害者遺族と同様に死刑囚も苦しんでいる。被害者遺族とは同じ立場ではないが『死刑囚の苦しみ』もわかってほしいし、『[[終身刑]]があれば被害者遺族への償いができる』ので死刑廃止を強く訴えたい。それが死刑囚ほとんどの総意だろう」{{Sfn|フォーラム90|2012|p=89}} |
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[[法務大臣]][[滝実]]が発した[[死刑執行命令]]により、死刑囚Hは[[2012年]](平成24年)[[8月3日]]{{Refnest|group="注"|同日には[[大阪拘置所]]で[[京都・神奈川親族連続殺人事件]](2007年1月)の死刑囚にも刑が執行された<ref name="法務省2012-08-03"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.1"/><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.2"/><ref name="読売新聞2012-08-03"/><ref name="日本経済新聞2012-08-03"/>。}}に収監先・[[東京拘置所]]で[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑を執行された]]({{没年齢|1972|2|21|2012|8|3}})<ref name="法務省2012-08-03">{{Cite web|和書|title=法務大臣臨時記者会見の概要|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[滝実]])|date=2012-08-03|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00321.html|accessdate=2015-05-10|archivedate=2017-08-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150510162002/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00321.html|language=ja}}</ref><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.1">『静岡新聞』2012年8月3日夕刊第一社会面3頁「2人の死刑執行 三島の短大生焼殺など-法務省(A版)」(静岡新聞社・共同通信社配信)</ref><ref name="静岡新聞2012-08-03 no.2">『静岡新聞』2012年8月3日夕刊第一社会面3頁「2人の死刑執行 三島の短大生焼殺など-法務省(B・C版)」(静岡新聞社・共同通信社配信)</ref><ref name="読売新聞2012-08-03">『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊一面1頁「2人の死刑執行 三島短大生焼殺事件など」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2012-08-03 解説">『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊第二社会面18頁「2人死刑 法相 執行に強い姿勢(解説)」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2012-08-04">『読売新聞』2012年8月4日東京朝刊静岡県版地方面33頁「『悲しく悔しい気持ちは今も』死刑執行で被害者の父=静岡」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="日本経済新聞2012-08-03">{{Cite news|title=2人の死刑執行 静岡の短大生殺害など 野田政権で2回目|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2012-08-03|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301K_T00C12A8CC0000|accessdate=2017年8月7日|language=ja|archivedate=2017-08-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170807112435/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301K_T00C12A8CC0000/}}</ref>。死刑執行後、Hの遺体は遺族に引き取られた([[無縁仏]]にはなっていない)とされる{{Refnest|group="注"|控訴審で被告人Hの弁護人を務めた福島昭宏は「Hの元妻は幼子2人を抱えており、夫Hが逮捕されてからも相変わらず愛情を抱き続けていたから、自分は『(Hを)妻子の元に帰してやりたい』と考えていたし、死刑確定でも反省の色が出てきたのなら『もう一度(社会復帰の)チャンスを与えても良かったのではないか』と考えた」と述べている{{Sfn|年報・死刑廃止|2017|pp=143-144}}。}}{{Sfn|年報・死刑廃止|2013|p=146}}。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"|30em}} |
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=== 出典 === |
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'''(※見出し名に元死刑囚・被害者の実名が含まれる場合、元死刑囚は姓のイニシャル「H」、被害者は仮名「A」にそれぞれ置き換えている。)''' |
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{{Reflist|30em}} |
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== 参考文献 == |
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=== 刑事裁判の判決文 === |
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* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[静岡地方裁判所]]沼津支部|裁判形式=判決|事件番号=平成14年(わ)第509号|事件名=[[逮捕・監禁罪|逮捕監禁]]・[[強制性交等罪|強姦]]・[[殺人罪 (日本)|殺人]]被告事件|裁判年月日=2004年(平成16年)1月15日|判例集=『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28175305。なおデータベースには収録されているものの判決文本文は未収録|判示事項=|裁判要旨=|url=}} |
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** 判決内容:無期懲役(検察官の求刑:死刑 / 検察官・被告人の双方とも控訴) |
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** [[裁判官]]:[[高橋祥子]]([[裁判長]]) |
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* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[東京高等裁判所]]第6刑事部|裁判形式=判決|事件番号=平成16年(う)第605号|事件名=逮捕監禁・強姦・殺人被告事件|裁判年月日=2005年(平成17年)3月29日|判例集=『[[判例時報]]』第1891号166頁、『[[判例集|高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号]]』71頁|判示事項=|裁判要旨=|url=|ref={{SfnRef|東京高裁|2005}}}} |
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<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
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; 『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234 |
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# 被害者を力ずくで自車に引き込み、逮捕・監禁して、山間の畑地に連れて行って強姦し、更に、被害者に灯油をかけて焼き殺した事案につき、被告人に無期懲役を言い渡した一審判決を破棄し、死刑を言い渡した事例。 |
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# 被害女性を自己の車内に押し込み逮捕・監禁したうえ強姦し、さらに犯行の発覚を恐れるなどして同女を殺害した事例につき、無期懲役を言い渡した原判決を破棄して死刑を言い渡した事例。 |
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; 『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105234 |
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:: 【事案の概要】被告人が、アルバイトを終え自転車で帰宅途中のA女を強姦目的で自己の車内に押し込んで逮捕監禁した上、山間の畑地に連れて行き、車内で同女を強姦し、更に、犯行の発覚を恐れ、かつ覚せい剤仲間のところに早く行きたいと考え、同女に灯油を浴びせ、頭髪にライターで点火して同女を焼き殺したことにつき、原判決が被告人を無期懲役に処したため、量刑不当を理由に双方が控訴した事案で、本件犯行が凶悪なものであること、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと等を考えると、被告人の罪責はあまりにも重大であるといわざるを得ず、被告人のために斟酌すべき事情を最大限考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないとして、原判決を破棄し、被告人を死刑に処した事例。 |
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; 『高等裁判所刑事裁判速報集』 |
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:: 【判示事項】殺人等の前科のない被告人による被殺者1名の逮捕・監禁、強姦、殺人被告事件につき、検察官の死刑求刑に対して被告人を無期懲役とした1審判決に関し、死刑をもって臨むほかない事案であり、1審判決は量刑判断を誤ったものであるとしてこれを破棄し、被告人に死刑を言渡した事例 |
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:: 【裁判要旨】本件が通りがかりの女性を車に拉致して強姦した上焼殺したという凶悪な犯行であること、被害者に何ら落ち度もなく、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと、処罰感情が峻烈で、地域社会に与えた影響も大きいこと等を考えると、被告人の罪責は余りにも重大であるといわざるを得ない。他方、被告人に有利に斟酌すべき事情、すなわち、被告人には殺人等の前科がないこと、被告人が本件各犯行を概ね認め、遺族に謝罪し、兄に依頼して殺害現場で焼香を行うなど、反省悔悟の様子が窺われることなどの事情も存するが、これらを最大限に考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないと判断される。したがって、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は著しく軽きに失し不当であり、原判決は破棄を免れない。 |
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</div> |
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:* 判決内容:原審破棄・死刑(被告人側上告) |
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:* [[裁判官]]:[[田尾健二郎]](裁判長)・鈴木秀行・山内昭善 |
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:* [[検察官]]・[[弁護人]] |
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:** [[静岡地方検察庁]]検察官:青木幹治 |
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:** [[東京高等検察庁]]検察官:南野聡 |
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:** 弁護人:[[福島昭宏]] |
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* {{Cite 判例検索システム|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]|裁判形式=判決|事件番号=平成17年(あ)第959号|事件名=逮捕監禁・強姦・殺人被告事件|裁判年月日=2008年(平成20年)2月29日|判例集=『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28145284、『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁、『判例時報』第1999号153頁、『[[判例タイムズ]]』第1265号154頁、裁判所ウェブサイト掲載判例|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080564}} |
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<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
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; 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28145284 |
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:: 【事案の概要】被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦後、被害者を縛って路上に座らせ、灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案の上告審で、動機の身勝手さ、犯行態様の残虐性、結果の重大性、遺族の峻烈な処罰感情、社会的影響の重大性、被告人の犯罪性向が進んでおり、改善更生の可能性が低いことなどから、原判決の死刑の科刑は是認せざるを得ないとして、被告人からの上告を棄却した事例。 |
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:: 【要旨】逮捕監禁、強姦、殺人被告事件判決に対する上告申し立てにおける弁護人の上告趣意のうち、死刑制度に関して[[日本国憲法第31条|憲法31条]], [[日本国憲法第36条|36条]]違反をいう点は、その執行方法を含む[[死刑合憲判決|死刑制度が憲法のこれらの規定に違反しないことは当裁判所の判例とするところである]]から、理由がない。 |
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; 『判例タイムズ』 |
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:: 【判示事項】被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例 |
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; 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)・裁判所ウェブサイト掲載判例 |
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:: 【判示事項】被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例(三島女子短大生焼殺事件) |
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:# [[死刑合憲判決|死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない。]] |
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:# 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。 |
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</div> |
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:* 判決内容:被告人側上告棄却(死刑判決確定) |
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:* [[最高裁判所裁判官]]:[[古田佑紀]](裁判長)・[[津野修]]・[[今井功 (裁判官)|今井功]]・[[中川了滋]] |
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:* 検察官・弁護人 |
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:** 検察官:青木幹治 |
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:** 弁護人:[[高場一博]] |
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=== 書籍 === |
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* {{Cite book|和書|author=上條昌史|editor=『新潮45』編集部|editor-link=新潮45|title=その時、殺しの手が動く 引き寄せた災、必然の9事件|series=[[新潮文庫]]|publisher=[[新潮社]]|date=2003-12-15|edition=五刷(発行:2003年6月15日)|pages=93-117|chapter=無抵抗の女に火を放った「三十男」の興味|isbn=978-4101239156|ref={{SfnRef|上條|2003}}}} |
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** 上條昌史が本事件について取材し『新潮45』2003年2月号に寄稿した記事を加筆・再録している。 |
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* {{Cite book|和書|author=死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90|title=命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/184|publisher=インパクト出版会|date=2009-04-10|edition=発行|editors=(編集委員:可知亮、国分葉子、中井厚、深田卓 / 協力=[[福島瑞穂|福島みずほ]]事務所)|pages=63-69|isbn=978-4755401978|ref={{SfnRef|フォーラム90|2009}}}} |
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* {{Cite book|和書|author=死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90|title=死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/208|publisher=インパクト出版会|date=2012-05-23|edition=発行|editors=(編集委員:可知亮、国分葉子、高田章子、中井厚、深瀬暢子、[[安田好弘]]、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所、死刑廃止のための大道寺幸子基金)|isbn=978-4755402241|ref={{SfnRef|フォーラム90|2012}}}} |
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* {{Cite book|和書|author=年報・死刑廃止編集委員会|title=極限の表現 死刑囚が描く 年報・死刑廃止2013|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/226|publisher=インパクト出版会|date=2013-10-25|isbn=978-4755402401|pages=140-146|ref={{SfnRef|年報・死刑廃止|2013}}}} |
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** {{Cite news|title=再審への道を断った不当な死刑執行(1 - 5頁) / 1審無期、控訴審で死刑判決に(6 - 8頁)|newspaper=フォーラム90 NEWS|date=2012-08-27|author=[[安田好弘]](前者記事)|author2=福島昭宏(後者記事)|url=http://forum90.net/app/webroot/shcnl/news/forum90/pdf/forum_125.pdf|accessdate=2020-06-22|format=PDF|publisher=死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90|publication-date=2012-09-07|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200622145200/http://forum90.net/app/webroot/shcnl/news/forum90/pdf/forum_125.pdf|archivedate=2020年6月22日|volume=125|ref={{SfnRef|フォーラム90NEWS|2012}}}} - 上述の書籍に収録されている死刑執行への抗議集会(2012年8月27日開催)における福島昭宏(控訴審における被告人Hの弁護人)・安田好弘の発言が掲載されている |
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* {{Cite book|和書|author=年報・死刑廃止編集委員会|title=オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/286|publisher=インパクト出版会|date=2019-10-25|edition=初版第1刷発行|editor=(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜)|page=264|isbn=978-4755402982|ref={{SfnRef|年報・死刑廃止|2019}}}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[ドラム缶女性焼殺事件]] - この事件 |
* [[ドラム缶女性焼殺事件]] - 2000年4月に[[愛知県]]([[名古屋市]][[千種区]]・[[瀬戸市]])で発生した強盗殺人事件(殺害された被害者は2人)。この事件でも被害者の殺害方法に焼殺が用いられ、主犯格2人の死刑が確定した。 |
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* [[江東マンション神隠し殺人事件]] - 2008年4月に[[東京都]][[江東区]]で発生した被害者1人の殺人事件。死刑を求刑した検察官が論告で「殺害された被害者が1人で、被告人に殺人前科はなかったが死刑が確定した事例」の一つとして本事件を挙げたが、一・二審とも無期懲役判決が言い渡され確定した。 |
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'''「永山基準」以降に最高裁で死刑判決が確定した「殺害された被害者数が1人」の事件''' |
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※過去に無期懲役刑に処された前科があるもの、[[身代金]][[誘拐]]・[[保険金殺人]]は含まない。 |
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* [[JT女性社員逆恨み殺人事件]] - 殺人前科あり。殺人で懲役10年に処された後、出所後に強姦した女性を恐喝したことで被害届を出されて逮捕されたが、その[[逆恨み]]から再出所後に[[お礼参り]]に及んだ高度な計画性に基づく犯行 |
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* [[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]] - 殺人前科あり、強盗殺人。前科は単純殺人ではあるが死刑に処された事件と経緯・手口が酷似した犯行 |
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* [[渋谷駅駅員銃撃事件|横浜中華料理店主射殺事件]] - 殺人前科なし。強盗殺人1件以外にも強盗殺人未遂・放火の余罪あり、[[銃社会|銃を使用した犯行]] |
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{{デフォルトソート:みしましよしたんたいせいしようさつしけん}} |
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{{Crime-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:みしましよしたんたいせいしようさつしけん}} |
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[[Category:平成時代の殺人事件]] |
[[Category:平成時代の殺人事件]] |
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[[Category:2002年の日本の事件]] |
[[Category:2002年の日本の事件]] |
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[[Category: |
[[Category:2002年1月]] |
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[[Category:日本の死刑確定事件]] |
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[[Category:日本の性犯罪]] |
[[Category:日本の性犯罪]] |
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[[Category: |
[[Category:静岡県の歴史]] |
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[[Category:三島市の歴史|しよしたんたいせいしようさつしけん]] |
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[[Category:函南町の歴史]] |
2024年10月3日 (木) 14:04時点における最新版
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
三島女子短大生焼殺事件 | |
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場所 | |
座標 | |
標的 | 当時19歳・女子短大生A(三島市梅名在住・上智短期大学1年)[12][4] |
日付 |
2002年(平成14年)1月22日 - 1月23日[8][11][1] 23時ごろ(拉致時刻)[8] – 2時ごろ(殺害時刻)[11] (UTC+9(日本標準時)) |
概要 |
過去に少年院・刑務所に複数回服役して覚醒剤を常習的に乱用していた男が帰宅途中、偶然鉢合わせした通りすがりの女子短大生を拉致して函南町内の山中で強姦した[8]。 その後、男は「覚醒剤を打つ邪魔になった」という理由で女子短大生を殺害することを決意し、自宅から灯油を持参して三島市内の山中にて女子短大生の身体に灯油をかけて点火し、女子短大生を生きたまま焼き殺した[11]。 |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | 灯油・ライター[11] |
死亡者 | 1人 |
犯人 | 男H(事件当時29歳・逮捕当時30歳 / 三島市若松町在住・建築作業員)[6] |
動機 | 被害者Aを強姦後、「解放すると警察に通報される」と恐れたため[11] |
対処 | 静岡県警が逮捕[6][13][14]・静岡地検沼津支部が起訴[15] |
謝罪 |
第一審最終意見陳述にて謝罪[16] 上告審までに被害者遺族に対し謝罪の手紙[17] |
刑事訴訟 | 死刑[18](控訴審[18][19][20]・上告審判決[21] / 執行済み[22][23][24]) |
管轄 |
静岡県警察(県警捜査一課・三島警察署)[1][6] 静岡地方検察庁沼津支部[15]・東京高等検察庁 |
最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 三島女子短大生焼殺事件 |
事件番号 | 平成17年(あ)第959号 |
2008年(平成20年)2月29日 | |
判例集 | 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁 |
裁判要旨 | |
| |
第二小法廷 | |
裁判長 | 古田佑紀 |
陪席裁判官 | 津野修・今井功・中川了滋 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
逮捕・監禁・強姦・殺人 |
三島女子短大生焼殺事件(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、2002年(平成14年)1月に静岡県三島市川原ケ谷の山中で発生した逮捕監禁・強姦・殺人事件[1][2]。
概要
加害者の男H(事件当時29歳・逮捕当時30歳)は2002年1月22日夜、帰宅途中に偶然鉢合わせした通りすがりの被害者・女子短大生A(当時19歳)を拉致・強姦した上、「覚醒剤を打つのに邪魔になった」という理由から被害者の殺害を決意し、翌23日未明に三島市の山中を通る市道路肩にて被害者Aに生きたまま灯油をかけて焼き殺した[25]。
最高裁判所から1983年に永山則夫連続射殺事件の上告審判決において死刑適用基準を示した傍論「永山基準」が示されて以降では、殺害された被害者数が1人で、かつ経済的利欲目的ではない殺人事件の刑事裁判において、殺人で服役した前科のなかった被告人に死刑判決が言い渡された事例は異例で[19][20][26]、最高裁でその死刑判決が支持されて確定した事例も極めて特異なものだった[21]。
元死刑囚H
本事件の加害者である男H・J(以下、姓のイニシャル「H」と表記)は1972年(昭和47年)2月21日生まれ[27][28][29](逮捕当時は30歳・建設作業員)[6][14]。本籍地の[14]北海道上川郡上川町で4人兄弟の第三子・次男[注 4]として出生し、直後に静岡県三島市[注 5]へ移住した[30]。実家は三島市若松町にあったが[注 6]、事件当時は沼津市内の団地に在住していた[注 7][39]。
死刑囚Hは法務省(法務大臣:滝実)の死刑執行命令により、2012年(平成24年)8月3日に収監先・東京拘置所で死刑を執行された(40歳没)[22][23][24][40][41]。
生い立ち
Hは三島市内の小中学校で学んだが[注 8]、中学3年生の時に窃盗の非行で初等少年院へ送致され[注 9][42]、少年院入院中に中学校を卒業した[43]。少年院を仮退院してからは鉄筋工などとして働いたが、17歳の時に再び窃盗などの非行で中等少年院に送致された[42]。
中等少年院仮退院後は姉が居住する沖縄県内に移住し、工員として約1年間働いた[42]。その後、三島市に戻ったHはスナック従業員・土木作業員として働いたが、窃盗の非行で保護観察処分を受けた[42]。Hは当時20歳だった1992年(平成4年)8月に中学時代の同級生女性と結婚して2児をもうけたが、それから4か月後(1992年12月)には覚醒剤取締法違反・道路交通法違反の罪で懲役1年6月・執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を受けた[42]。
その執行猶予期間中に当たる[42]1995年(平成7年)4月8日22時40分ごろ[44][45]、当時23歳だったHは男(当時21歳・田方郡函南町生まれ、住所不定無職)と共謀して駿東郡長泉町下土狩の路上で強盗致傷事件[注 10]を起こした[45]。同事件で被疑者Hは同年5月22日までに強盗致傷容疑で沼津警察署(静岡県警察)に逮捕され[44][47]、同年6月12日付で強盗致傷罪で静岡地方検察庁沼津支部から静岡地方裁判所沼津支部へ起訴された[45]。被告人Hは強盗致傷・恐喝・窃盗の罪[注 11]に問われ[42]、同年10月26日に静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にて懲役4年6月(求刑:懲役7年)の実刑判決を受けた[注 12][50]。これにより、Hは前述の執行猶予も取り消されたことで併せて刑の執行を受けた後、2001年(平成13年)4月に仮釈放されたが、その服役期間中であった1999年(平成11年)1月には妻と離婚した[42]。
Hは仮釈放後に配送会社で働くなどしていたほか、2001年7月ごろからは離婚した元妻との関係を修復して沼津市内の元妻宅で同居していた[42]。その上で2001年10月ごろからは以前働いたことのある三島市内の建設会社[注 13]で土木作業員として働き[42]、沼津市内の団地で元妻・子供2人と同居していた[39]。
事件の経緯
被害者:女子短大生A(当時19歳:上智短期大学1年生・三島市梅名在住)[注 15][4] - 1982年(昭和57年)に沼津市内で生まれ、静岡県立三島南高等学校商業科を卒業してから2001年4月に上智短期大学(英語科)へ入学していた[55]。生前の人物像は「控えめだが優しく、誠実で誰からも好かれる人柄」とされ[56]、交際範囲も広くはなく、対人関係のトラブルはなかった[57]。
被害者Aを拉致・強姦
Hは2002年1月22日深夜、仕事を終えた後で会社の同僚らと三島市内の居酒屋で飲食し[8]、22時40分過ぎに店を出て同僚1人を三島市内の家に送り[58]、乗用車[8](スバル・レガシィ)[注 16][53]を運転して沼津市内の自宅へ帰宅しようとしていた[58]。しかしその途中、従業員の集合場所[注 17]に自分の弁当箱を忘れてきたことに気付いたため、弁当箱を取りに戻ろうと同市内の国道136号を南に向かって走行していた[8]。その途中となる同日23時ごろ[8]、三島市青木の国道136号沿い路上で[6]同じ方向を自転車に乗って走行していた被害者Aを見つけて近づき、車の中から声を掛けた[8]。AはHを全く相手にしなかったが、HはAを「若くてかわいい」と思ったことから「なんとか関係を持ちたい」と考えたため[8]、先回りして三島市青木の駐車場(国道136号沿い)[注 1]にレガシィを駐車して降車し、歩道に降りて被害者を待ち伏せた[60]。そして被害者Aの前に立ち塞がって自転車を止めさせると、その前輪を跨ぎ自転車の前籠に両肘を突くなどして被害者に年齢・氏名・学校などを尋ねた[8]。さらにAの肩へ腕を回し、Aの背中を押して自転車ごと近くに駐車してあった自車の側まで連れて行ったほか、再び自転車の前輪をまたぎながら執拗にAを誘ったが、Aは自転車ともども倒れ込むと大声を上げて起き上がり、Hから逃げ出そうとした[8]。Hは抵抗するAの後ろ襟を掴み、引き寄せることでAを引き倒したが[3]、Aは手を振り回すなどして抵抗して悲鳴を上げた[注 18][8]。そのためHはAを強姦することを決意し、Aの頭部を右脇に抱え込みながら口を手で塞いで「静かにしろ」と脅し、チャイルドロックが設定された自車後部座席にAを素早く押し込み、被害者Aを車中に監禁した[注 19][8](逮捕・監禁罪)。
Hはそのまま自車を発進させてAを同県田方郡函南町軽井沢字立洞地内(強姦現場)[注 2]まで走らせ[注 20]、その間には恐怖するAに対し「俺の顔を見ただろう。車のナンバープレートも見ているだろう。警察にチクるなよ。ぶっ殺すぞ」などと脅迫していた[8]。その後、強姦現場に到着したHは同日23時40分過ぎごろに車を駐車して後部座席(Aの右横)へ移動し、再び「俺の顔を見ただろう。警察に通報したらぶっ殺すぞ」などと言ってAを脅迫した[63]。そしてAが畏怖して抵抗する気力を失い、黙り込んでいるのを認めたHは車内後部座席で[63]Aを全裸にして強姦した[8](強姦罪)。
殺害を決意
被害者Aは強姦されたことで憔悴し、服を着るのが精一杯で声を出す気力もないほどの状態に陥った[11]。Hはそのような状態だった被害者Aに対し、再び「警察に通報すれば強姦したことを言いふらす」などと脅し[63]、車内後部座席に監禁したまま再び三島市内まで戻った[11]。Hは当初「街中の人気のない場所で被害者を解放しよう」と考えながら適当な場所を探して走り回っていたが[注 21]、その途中で覚醒剤仲間[11](沼津市内在住)[64]から「覚醒剤を注射するための注射器を持って来てほしい」と電話が入った[11]。Hは自分も覚醒剤を打ちたくなり、同時に「被害者の解放場所を早く見つけなければならない」と考えて焦る一方で「被害者を解放すれば、警察に通報されて逮捕され、刑務所に戻ることになる」と不安を募らせたことから、被害者Aを殺害することを考えついた[11]。
Hは当初、殺害方法として「犯行が発覚しないようにAを山に埋めるか、海や川に沈めるなどして殺害・遺棄しよう」と考えたが、適当な場所が思い浮かばないままAを閉じ込めた車を走らせつつ、覚醒剤仲間から依頼された注射器を取るために実家(三島市若松町)に立ち寄った[11]。その際、実家の玄関先に灯油入りのポリタンクが置いてあったため、これを目にしたHは「被害者に灯油を掛けて焼き殺そう」と思いつき[注 22][11]、ポリタンクを注射器とともに持ち出して車の助手席床上へ積み込んだ[65]。そしてHは人気のない場所を求めて車で走り回った[11]。
山中で被害者Aを焼殺
日付が変わった2002年1月23日未明、Hは三島市川原ケ谷字山田山地内の「三島市道山田31号道路」拡幅工事現場[注 3]で被害者Aに生きたまま灯油を掛け、ライターで点火したことでAを生きたまま焼き殺した[11](殺人罪)。
同日2時ごろに現場へ到着し、車を駐車したHは被害者Aが逃げ出したり、声を上げたりしないよう、Aの両手首を後ろ手に縛り、口もガムテープで塞いだ[11]。このようにして殺害の準備を整えると、HはAの腕を引っ張って降車させ、背中を押して歩かせ未舗装の道路に座らせた[11]。Hは車内助手席から灯油の入ったポリタンクを持ち出し、被害者Aの頭上から灯油を全身に浴びせかけ「火、つけちゃうぞ」などと言って脅したが、Aは身動きせず声も上げなかった[11]。そのためHは「Aは警察に通報しようと考えているのではないか?」と不安に駆られ、「早く被害者を始末して覚醒剤仲間のところに向かい、自分も覚醒剤を打ちたい」と思った[11]。その一方で「これだけ脅せば、Aは解放されても警察に通報しないのではないか」「殺せば大変なことになるから、解放した方が軽い罪で済むのではないか」とも考えたため、いったんは殺害を躊躇したが、結局は「刑務所に逆戻りしたくない」と恐れたことから改めてAの殺害を決断した[11]。
Hは灯油の掛かったAの後頭部の髪の毛にライターで点火し、炎が燃え広がっていく様子を確認した上で車に乗ってその場から逃走した[11]。火を点けられたAは火だるまになり、数メートル離れたコンクリートブロックの間に倒れ込んで息絶えた[注 23][11]。
犯行後、Hは覚醒剤仲間と合流する前にいったん実家へ戻り、殺害に使用した灯油入りポリタンクを元の場所に戻した[注 24]ほか、手に付着した灯油の臭いが覚醒剤仲間らに気付かれないように灯油を洗い流した[11]。そして予定通り注射器を覚醒剤仲間に届け、自らも含めて覚醒剤を使用したが[注 25][11]、覚醒剤仲間の家へ向かう途中で後続車からクラクションを鳴らされたことに立腹し、その運転手を殴打する事件を起こしていた[67]。
覚醒剤を使用したHは再び自宅へ戻り、事件翌日(2002年1月23日)には普段通り建設会社に出勤したが[64]、退勤後には被害者Aの自転車を沼津市の狩野川河口付近に架かる「港大橋」[68]の中央付近から狩野川へ投げ捨てたり[注 26][64]、その前後に[69]被害者の所持品(携帯電話[注 27]・財布など)を沼津市内のコンビニエンスストアのごみ箱に捨てたり、友人宅で燃やすなどして証拠隠滅を図っていた[69][70]。
事件発覚
Hが被害者を殺害してから約30分後[11](2002年1月23日2時35分ごろ)[1]、現場付近を通りかかったトラック運転手[5]が黒い塊から炎が立ち上がっているのを発見し、近づくと強い異臭がして炎の中から足が見えたため「人だ」と気付いて110番通報した[11]。通報を受けて駆け付けた三島警察署(静岡県警)の署員が若い女性(身長155 - 160 cm)の焼死体を発見した[1]。遺体は毛髪が焼け焦げ、体の表面全体が着衣とともに炭化し、身を屈めるようにして横たわっていた[11]。
事件当初は現場付近に争った形跡が確認できなかったため、三島署は自殺と事件の両面で調べていたが[71][9]、同日午後に同署および静岡県警捜査一課は本事件を殺人事件と断定して捜査を開始した[2]。その根拠は以下の通り。
- 遺体付近には茶色のフード付きジャンパーが落ちており[1]、その袖口には粘着テープで後ろ手に縛ったような跡が確認された[5]。また遺体の口元にも粘着テープが残っていた[72]。
- 灯油の容器・着火装置などが周囲になかった[注 28][73]。
- 焼け残った皮膚に生活反応[注 29]があることから「生きたまま全身に灯油のようなものを掛けられて焼き殺された」と推定できる[74]。
捜査本部は浜松医科大学で遺体を司法解剖したり[2]、現場付近で遺留品の捜索・聞き込みなどを行った[75]。一方で被害者・女子短大生Aの両親が同日午後になって「子供が前夜から帰宅せず、連絡が取れない」と捜査本部に連絡したため、捜査本部が被害者Aの学用品に残された指紋を調べたところ[76]、遺体から採取した指紋と一致したため、遺体の身元は女子短大生Aと断定された[注 30][75]。
一方で加害者Hは事件から2日後(2002年1月25日夜)、函南町塚本の国道136号で犯行に使用した車を無免許運転し、Uターンしようとして前から来た乗用車と接触し、相手の車に乗っていた男女2人にそれぞれ全治2週間の怪我を負わせ、そのまま逃走するひき逃げ事故を起こした[注 31][34][78]。Hはその後も警察の目を逃れて身を隠し[注 32][67]、事故後の同年1月27日に[79]車を函南町内の自動車解体工場[80]へ持ち込んだ[注 33][82]。車はそのまま工場で解体され[注 34][83]、後のひき逃げ事件の公判の際にも処分方法は明らかにされなかったが[注 35][82]、三島署はナンバープレートの目撃証言から加害者Hの身元を特定した[34]。
結局、Hはひき逃げ事件の捜査の手が自分に迫ったことを察知し[84]、事故から約1か月後となる2002年2月28日に車検証を持って三島署へ出頭[注 36]し[82]、同日に三島署から業務上過失傷害・道路交通法違反容疑で逮捕された[34][78]。結局、被告人Hは静岡地裁沼津支部で懲役1年6月の有罪判決[注 37]を受け、本事件で逮捕される直前まで沼津拘置所(静岡刑務所沼津拘置支所)に服役していた[6]。
捜査
捜査本部は事件当初、手口の残忍さから「怨恨による犯行の可能性がある」として被害者Aの交友関係などを調べたが[注 38]、被害者Aの対人関係にトラブルは見当たらなかった[57]。そのため捜査本部は「通り魔的犯行」の可能性を視野に捜査を進めたが[86]、捜査は難航し、事件発生から解決までに約半年を要した[注 39][88]。
被害者Aが乗っていた婦人用の自転車は遺体発見現場周辺から見つからず[89]、所持品(携帯電話[注 27]・財布・バッグなど)もすべて無くなっていた[85][91]。そのため捜査本部は「被害者Aの所持品は犯人が持ち去った可能性がある」と推測して捜査し、その所在[注 40]を探したが[85]、Aの所持品は加害者Hにより焼却されていたことが事件解決後に判明した[93]。また犯行に使われた灯油を分析して購入先の特定を進めたところ[94]、三島市内のガソリンスタンド2軒で販売されていた灯油と成分が似ていることが判明したが、詳細な販売元は特定できなかった[61]。事件から半年が経過した2002年7月22日・23日にはそれぞれ地元新聞(『静岡新聞』および『読売新聞』静岡版)がそれぞれ朝刊にて「捜査は難航している」と報道したが[95][86]、証拠資料の科学的な分析により周辺の地理に精通していた夜間徘徊者・不審者リストに挙がっていた加害者Hが捜査線上に浮上していた[96]。
2002年7月11日には警察官が服役中の男Hに対し本件犯行の嫌疑を告げた上で唾液の提出を求め[注 41][67]、Hは唾液を提出した[97]。捜査本部が提出された唾液をDNA型鑑定したところ、現場の遺留物と一致したため、捜査本部は同日午前にHを重要参考人として任意の事情聴取を開始し[97]、同日中に逮捕監禁・強盗などの容疑[注 42]で被疑者Hを逮捕した[6][13]。逮捕当初、被疑者Hは取り調べに対し「事件の夜、被害者Aとコンビニエンスストアで会った」などと供述したが[98]、「被害者とは合意の上で性行為をした」などと供述し強姦・殺害の容疑を否認した[67]。その後、逮捕翌日(7月24日)には逮捕監禁容疑について容疑を認めたが[83]、殺害については「一緒にいた外国人がやった」などと供述して否認し続けた[68]。2002年7月25日、捜査本部は被疑者Hを逮捕監禁容疑などで静岡地方検察庁沼津支部に送検した[99][100][83]。
また捜査本部は「事件後に処分されたHの車に証拠が残っている可能性が高い」として車を発見しようとしたが[59]、前述のように車は既にスクラップにされていた[83]。しかしその車のタイヤは特定[10]・産業廃棄物処理業者からの押収に成功し、現場付近に残されたタイヤ痕とそのタイヤの照合を行った[101]。これに加え、以下のような物証も発見された。
- 被疑者Hが被害者Aを拉致した際に使用されたものと同型の紙製粘着テープの使いかけ[注 33] - テープに残った指紋・テープの切り口などを調べた[81]。
- 被害者Aが乗っていた自転車[注 14] - 被疑者Hが追及に対し 「犯行後に拉致現場へ被害者Aの自転車を取りに戻り、2002年1月23日夜に橋の上から投げ捨てた」と供述したため[93]、橋付近を捜索したところ、橋の下流(狩野川河口から約1 km上流地点 / 水深1.6 m・川幅約210 m)の川底から自転車を発見した[102]。また携帯電話などについて被疑者Hは「犯行後に焼いて処分した」と供述した[93]。
- プラスチック製の灯油タンク[103] - 被疑者Hは「犯行に使った灯油は、被害者Aを車に乗せたままいったん家へ取りに帰った」と供述し[104]、それに基づいた捜索で発見された[105]
2002年7月30日までに[81]、被疑者Hはそれまでの否認から一転して「被害者に灯油をかけて焼いた」[68]などと述べ、殺害を認める具体的な供述を始めた[68][106]。その後、さらに追及すると具体的な動機・手口について「顔を見られたので、灯油を掛けライターで火をつけて殺した」と供述した[107]ため、捜査本部は供述の裏付け捜査を進め[注 43][110]、2002年8月13日に被疑者Hを殺人容疑で再逮捕した[111][96][93]。
捜査本部は2002年8月15日に被疑者Hを殺人容疑で静岡地検沼津支部に追送検し[112][113]、静岡地検沼津支部は2002年9月3日に被疑者Hを殺人・逮捕監禁などの罪状で静岡地裁沼津支部へ起訴した[注 44][15][70]。このころまでに、加害者Hは全面的に犯行を認めた上で「申し訳ないことをした」と反省の言葉を述べていた[注 45][69]。
刑事裁判
静岡地方裁判所沼津支部は2002年9月27日付で初公判開廷期日を「2002年11月12日午後1時10分」に指定し、同日午前には静岡県弁護士会に国選弁護人の選任を依頼した[116]。
事実誤認の主張について
後述の第一審初公判以降、被告人Hは被害者Aを強姦した場所について[117]、捜査段階から供述を翻し「起訴状では捜査段階で供述した『田方郡函南町軽井沢字立洞地内』[注 2]とされているが、正しくは『三島市芙蓉台北の農免道路からゴルフ場[注 46]側に約10 m入った辺りの路上』だ」と述べた[7]。同時に、捜査段階で「函南町内で被害者Aを強姦した」と供述した理由については第一審・控訴審それぞれの公判において「捜査段階で被害者の遺体を見せられてショックを受け、それを連想させる場所には行きたくなかったので、強姦場所について虚偽の供述をした」と証言した[7]。
しかし静岡地裁沼津支部 (2004) は検察官の主張通り、強姦現場を「函南町軽井沢」と事実認定したほか、東京高裁 (2005) も以下の理由から「被告人Hの強姦場所に関する捜査段階における供述の信用性は高い。公判における被告人Hの供述は被告人Hの主張する農免道路の地理的状況は拉致途中に覚醒剤仲間と電話で交わした内容とも矛盾し、捜査段階の供述と対比して信用できない」として被告人Hの主張を退け、第一審の判断を是認した[7]。
- 「被告人Hは捜査段階で、逮捕翌日に『被害者と合意で肉体関係を持った』と初めて述べた際、その場所を『(函南町軽井沢にある勤務先建設会社の)軽井沢事務所から車で約10分弱走ったところ』と述べ、その直後に被害者を強姦したことを自供した際にも『函南町の山中道路端』と述べている。その後の本格的な取り調べでも拉致現場 - 強姦現場へ至る図面を描き、その経路について詳細に説明しながら『軽井沢事務所から箱根にある社長の父親の仕事場に行くことができる。その途中の山の中なら誰にも見られないと思って強姦場所に決めた』という趣旨の供述をしている」[7]
- 「警察官を現場に案内して実況見分に立ち寄った際には、現場の左側に人の背丈ほどに成長したトウモロコシ畑があったが、被告人Hは警察官に対し『事件当月(1月)にはその畑には何も栽培されていなかった』など、具体的で臨場感に富む供述をしている。これらの状況に加え、強姦場所に向かう途中には携帯電話に覚醒剤仲間から電話がかかってきたが、その際も当時の心理状態を交えつつ『函南町の山中に向かっている』などと供述していた。被害者を拉致した場所・強姦後に連れ回した場所(コンビニエンスストアの駐車場など)・さらには殺害現場まで警察官を案内して詳細に説明しながら、強姦場所には『遺体を連想させる場所には行きたくない』という理由で虚偽の供述をしたというのは甚だ不自然だ」[7]
第一審・静岡地裁沼津支部
2002年11月12日に静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)で被告人Hの初公判が開かれ[118][119][120][121][122][123]、被告人Hは罪状認否で起訴事実を大筋で認めたが[118][122]、車への監禁について高橋裁判長から「(被害者Aを)車に乗せる時点では強姦する気持ちはなかったのか」と確認されると「全くありません」と強い口調で答え、強姦目的の拉致を否認した[120]。同日、被告人Hの弁護人側は「証拠が膨大で十分検討していない」として証拠採用についての意見を留保した[120]。
事件発生から1年となる2003年(平成15年)1月24日に第2回公判が開かれ、検察官により同日に証拠採用された被害者遺族(被害者の両親)らの調書が朗読された[124][125]。第3回公判(2003年2月20日)では弁護人側が陳述し[126][127]、「被告人Hが被害者Aを拉致・殺害するまでの経路など[注 47]は検察官の主張とは異なる」と主張した[126]。
第4回公判(2003年3月20日)で被告人質問が行われ[115]、被告人Hは「犯行後に覚醒剤を使用していた」と認めた上で[128]、弁護人から「殺害の際に使用した灯油入りポリタンクを持ち出した段階における心情」を質問され「漠然と『(被害者Aが)いなくなればいい』と思ったり、脅す意図もあったが、(殺害しようという)明確な意識はなかった」と説明した[115]。また「被害者Aが三島市内で一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した。(この事実をそれまでに自供しなかった理由は)罪が重くなると思ったからだ」と述べた[128]。
第7回公判(2003年7月10日)では検察官が被害者女子短大生Aの両親を証人尋問し、両親からそれぞれ被告人Hへの極刑を望む旨の陳述[注 48]を得た[129]。さらに第8回公判(2003年8月26日)では検察官・弁護人がそれぞれ証人尋問を行い、検察官証人として召喚された被害者Aの姉は前回公判の両親と同様に被告人Hへの極刑を望む旨を述べた一方、弁護人証人として召喚された被告人Hの父親は「息子がやったことは取り返しのつかないことだが、どんな判決が下されても息子には生きていてほしい」と述べた[130]。
2003年10月9日に論告求刑公判が開かれ、静岡地検沼津支部の検察官は被告人Hに死刑を求刑した[注 49][132][131][133][134]。審理は2003年10月30日の公判で結審し、同日に行われた最終弁論で弁護人は「強姦・殺害を目的とした計画的犯行ではなく、犯行当時は飲酒・覚醒剤使用により正常な判断能力を有していなかった。被告人Hは真摯に反省しており矯正の余地もある」と述べて死刑回避を求め[16]、適切な量刑に関して「無期懲役か有期懲役が相当」と主張した[注 50][16][136]。最終意見陳述で被告人Hは「自分のしたことでたくさんの人に迷惑をかけて本当にすみませんでした」と述べ、犯行を謝罪した[16]。
無期懲役判決
2004年1月15日に判決公判が開かれ[注 51]、静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は被告人Hを無期懲役に処す判決[注 52]を言い渡した[139][138][140][114][79]。同地裁支部は判決理由で、争点となった被告人Hの「火を点けた時、被害者は既に死亡しているかもしれないと思った」とする主張を退け、検察官が主張した通り「犯行の発覚を恐れ、身元がわからないように焼殺した」と事実認定し[114]、確定的な殺意を認定した[139]。その上で情状面について「(殺害方法は)焼殺という極めて異常・残虐なものだ。自己中心的な動機で酌量の余地はない」[139]「被告人Hの人間的な思考に欠けた冷酷な性格による犯行で社会的影響は大きく、矯正教育をしても犯罪性向を改めることは困難である」と指摘したが、他方で「被告人Hが反省の態度を示していること」「犯行に計画性が窺えないこと」「劣悪な環境で育ったこと」などの情状を挙げ[79]、「規範的な人間性がわずかながら残されており、死刑とするにはなお躊躇いがある。終生、贖罪の日々を送らせるのが相当である」と結論付けた[114]。担当した裁判官3人のうち1人は2009年に『読売新聞』(読売新聞社)の取材に対し「公判の途中から死刑求刑を予想し、死刑か無期懲役かを前提に議論した結果、従来の量刑の傾向から見ると、ボーダーラインというよりは無期懲役に近いケースだと思い無期懲役刑を選択したが、被害者感情を重視する世論が高まっている時期だったため、裁判所には判決後に非難の電話が相次いだ」と述べている[注 53][141]。
静岡地検沼津支部は量刑不当を理由に2004年1月28日付で東京高等裁判所へ控訴した[142][143]一方、被告人Hも量刑不当を理由に2004年2月10日までに東京高裁へ控訴した[144][145]。
控訴審・東京高裁
東京高等裁判所第6刑事部[146]における控訴審で裁判長を務めた田尾健二郎[注 54]は2004年初夏に第一審・静岡地裁沼津支部の判決文を読んで「何の落ち度もない被害者Aがアルバイトの帰り道で見ず知らずの男に拉致・乱暴されて惨殺されたあまりにもひどい事件だ。(死刑を回避して無期懲役を選択した)原判決は本当に正しいのだろうか?」と疑念を抱き、「死刑か無期懲役か、すべての情状を判断する必要がある」と考えていた[141]。
なお本事件と同時期に静岡地裁沼津支部で審理され、死刑求刑に対し無期懲役が言い渡された事件には沼津市内で発生した女子高生へのストーカー殺人事件[注 55]があるが、同事件の被告人は元婚約者への殺人未遂の前科があり[注 56]、被害者を駐輪場で待ち伏せて殺害していた[注 57][149]。そのため控訴審で被告人Hの国選弁護人を担当した福島昭宏(東京弁護士会)は「本事件より沼津のストーカー殺人事件の方が凶悪で、より逆転死刑判決が言い渡される可能性が高い」と予想していたが[注 58][149]、結局は東京高裁(田尾裁判長)でも無期懲役判決が維持された[148]。
また東京弁護士会は東京高裁に対し「本事件を特別案件に指定してほしい」と申し出ていたが、担当部(東京高裁第6刑事部)はこれを認めなかった[149]。そのため福島は「東京高裁は本事件をそこまで重要とは考えていないだろうし、死刑はあり得ないだろう。むしろ(本事件とほぼ同時期に東京高裁に係属していた)特別案件に指定された被害者2人の強盗殺人事件の被告人[注 59]の方が死刑になる可能性が高い」とも予想していたが、本事件は死刑が言い渡された一方、特別案件指定事件は無期懲役判決が支持された[149]。
控訴審の審理
東京高裁第6刑事部(田尾健二郎裁判長)[146]で2004年10月14日に控訴審初公判が開かれ[150]、検察官は控訴趣意書で「本件犯行の諸事情に照らすと、被告人Hに対しては死刑をもって臨むほかないのに、原判決が被告人への死刑適用を回避して無期懲役の量刑を選択したのは著しく軽く不当である」[151]「冷酷・残虐な犯行で被告人Hには反省も見られない。殺人などの前科がなく殺害された被害者が1人であっても、本件で極刑を回避しては司法に対する信頼が揺らぐ」と述べた[150]。一方で弁護人は控訴趣意書で「被告人Hが被害者Aを強姦した場所は函南町内ではなく三島市芙蓉台北付近だ」と事実誤認の旨を主張したほか[7]、量刑面についても「途中で殺害を躊躇するなど計画性はなく、無期懲役は重すぎる」[150](=有期懲役刑が妥当)と主張した[151]。
続く第2回公判(2004年12月7日)で被告人質問が行われ、被告人Hは検察官からの「殺害時に使った灯油を実家から持ち出した理由」に関する質問に対し「被害者Aを脅すためで、その時点では殺そうと思っていなかった」などと述べた[152]。その上で「被害者Aを殺害した理由」に関する質問には繰り返し「分からない」と述べた一方で[152]、控訴理由については「少しでも刑を軽くしたかった」と述べた[26]。
控訴審は第3回公判(2005年〈平成17年〉1月18日)に結審した[153][154]。同日は証人尋問が行われ、検察官側の証人として出廷した被害者Aの父親が被告人H本人に対し「娘がされたのと同じことをしてやりたい気持ちだ。発覚を恐れて殺すなど、人間のすることではない」と述べ[注 48][153]、第一審と同様に死刑を求めた[154]。結審後、裁判長を務めた田尾は第一審判決が死刑回避の事情として指摘した「周到な計画に基づく犯行ではない点」「被告人Hの前科に殺人などの犯罪は見当たらない点」などを改めて検証し、最終的には「どの情状も『被害者を生きたまま焼殺する』という残虐な犯行態様に比べれば、被告人Hに有利な情状とは認められない」という心証を固め、陪席裁判官2人[141](鈴木秀行・山内昭善)[146]とともに「死刑しかない」と結論を出した[141]。
死刑判決
東京高裁第6刑事部(田尾健二郎裁判長)[146]は2005年3月29日に開かれた控訴審判決公判で原判決(第一審・静岡地裁沼津支部の)無期懲役判決を破棄し、被告人Hに検察官の求刑通り死刑判決を言い渡した[19][155][156][157][20][158][159][160][26][161]。東京高裁 (2005) は被告人H・弁護人による事実誤認の主張を退け、第一審と同様に「被害者を強姦した場所は函南町内」と事実認定した上で[7]、以下のような情状を指摘した。
- 「被告人Hは少年時代から非行を繰り返し、少年院で2度にわたり矯正教育を受け、成人後も懲役刑に処され相当長期間服役したが、仮釈放を経て刑期満了後半年足らずで今回の犯行に及んだ。そのことを考慮すれば被告人Hの規範意識は著しく希薄で、更生意欲に乏しく、犯罪性行は根深いと言わざるを得ない。原判決は『被告人Hが幼少期に貧困家庭・劣悪な生活環境で生育したことがその人格形成に影響していることは否定し難く、量刑上考慮されるべきだ』と指摘している[注 8]が、Hと同じ家庭環境で育った兄弟に犯歴はない。被告人Hの犯罪性行は家庭・生育環境よりそれまでの生き方・考え方・生活の仕方に由来するところが大きい。加えてHは事件当時30歳に近い年齢で妻と子供2人を抱える身だったから、その生い立ちに同情すべき点があったとしても斟酌するには限界がある」[42]
- 「原判決は『Hが強姦の犯意を生じたのは、被害者Aを待ち伏せした時点ではなく、Aが悲鳴を上げ逃げ出そうとしたことがきっかけだ。それまではAに言葉を掛けて誘い続けている』と指摘した上でその点をHにとって有利に斟酌しているが、『相手が自分の誘いに応じてくれるかもしれない』と考えたこと自体が自己中心的だ。その誘い方も強引・執拗で、体力に物を言わせてAを誘おうとしたことが拉致・強姦へ発展したのだから、犯行の悪質さは強姦の犯意を生じた時点がいつなのかでそれほど異なるものではない」[8]
- 「原判決は『被告人Hは当初、被害者Aを解放するための場所を探していた。実家からポリタンクを持ち出した時点でも殺意は強固ではなく、被害者Aに灯油を浴びせた時点でも殺害を躊躇していた。周到な計画に基づく殺人ではない』と指摘しているが、Hは『灯油を掛けて焼き殺そう』と思い立ってから殺害に至るまで手際よく、計画的な犯行に劣らぬ迅速な行動を取っている。また監禁後に被告人Hが殺害を躊躇したのは『殺害が発覚すれば重い罪で処罰される』と恐れたためでもっぱら自己保身に基づき、被害者に対する慈悲の心情によるものではない。『周到に殺害を計画していない』ことを強調するのは相当ではなく、『覚醒剤を打ちたい』と考えて被害者を生きたまま焼き殺すという人間性を欠いた被告人Hの行為には慄然とせざるを得ない」[11]
- 「原判決は『Hは被害者Aを殺害後、薬物を注射したり煙草を吸ったりした際に動揺して手指が震えていた[注 25]事実が認められ、その事実からはなお規範的な人間性が残っているとみる余地がある』と指摘しているが、犯行後には証拠隠滅を図るため灯油入りポリタンクを元の場所に戻したり、被害者の自転車を狩野川に投棄しているなど、冷静・周到な行動を取っている。その点に照らせば原判決の説示にはたやすく賛同できない。また原判決は『被告人の前科には他人の生命を侵害しようとした犯罪(殺人など)は見当たらず、そのような犯罪傾向は顕著とまでは言い難い』と指摘しているが、少年院から何度も矯正教育を受け、前刑でかなり長期間服役したにも拘らず仮釈放から1年未満でこのような凶悪犯罪を犯している点を考慮すれば、特段に有利な事情とは認められない」[11]
そして「被害者Aは生前、誠実に生きて努力を重ねてきたにも拘らず、不幸にも被告人Hの目の留まってしまったばかりに犯行の犠牲になった。体を縛られた状態で焼き殺された被害者Aの無念・苦痛はいかばかりかと察せられ、深い哀れみを覚えざるを得ない[注 60]。被害者遺族が強く死刑を望む[注 48]のは当然だ」と指摘し[56]、「被告人Hには反省悔悟の情が窺われるが、Hにとって有利に斟酌すべき事情[注 61]を最大限に考慮しても、残虐な殺害方法・改善更生の乏しさなどから見れば罪責はあまりにも重大で、極刑をもって臨むほかない」と判断した[162]。
1983年(昭和58年)に死刑選択基準の判例として最高裁判所から「永山基準」が示されて以降、「殺害された被害者数が1人の殺人事件」では身代金誘拐[注 62]・保険金殺人・逆恨みを動機としたお礼参り殺人[注 63]など計画性が高い利欲目的の場合や、過去に無期懲役刑で服役したにも拘らず仮釈放中に再犯した場合[注 64]を除いて死刑を回避する傾向が強かった[26][注 65]。そのため、利欲目的でなく殺人の前科もない被告人Hに死刑判決が言い渡された本判決は極めて異例なもので[26]、少なくとも静岡県内においてはこれが初の事例だった[138]。
本判決について田淵浩二(当時:香川大学教授・刑事訴訟法)は『静岡新聞』(静岡新聞社)朝刊(2005年3月30日)紙上で「被害者遺族の処罰感情・社会的影響を重視した内容だ。今後もこうした判決が出る可能性がある」と[158]、土本武司(当時:帝京大学教授)は『読売新聞』(読売新聞社)朝刊紙上で「注目すべき判決。複数の命でないと犯人1人の命に匹敵しないというのは不自然。この判決は重要な先例となるだろう」とそれぞれ解説した[26]。また『静岡新聞』は2005年3月30日の朝刊コラムで「被害者Aの父親が『娘が帰ってくるわけではない』と言ったように、遺族には一つの区切りになっても心の深い傷が癒えることはない。しかしあまりにも惨い犯行で、死刑制度が存在する限りそれしか当てはまらない残虐な行為で、今回の判決は当然の結論だろう」と述べた[163]。
弁護人は閉廷後に「被害者の数に言及しなかったのは残念。『死刑にはならない』と思っていたので不意打ちを受けた気分だ。判決は極めて重い」と述べた[159]。その上で判例違反を主張し[26]、2005年3月30日付で最高裁へ上告した[164][165]。
上告審・最高裁第二小法廷
最高裁判所第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2007年(平成19年)10月22日までに、本事件の上告審口頭弁論公判を開廷する期日を「2007年12月17日」に指定して関係者に通知した[166][167]。
最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2007年12月17日に上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は死刑回避を[注 66]、検察官は上告棄却を[注 67]それぞれ求めた[168][17][170][171]。その後、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は2008年(平成20年)2月12日までに上告審判決公判の期日を「2008年2月29日」に指定した[172][173]。
最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2008年2月29日に上告審判決公判が開かれ、同小法廷は控訴審の死刑判決を支持して被告人Hの上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった[174][21][175][176][177][178]。被告人Hの弁護人は上告審判決を不服として2008年3月10日付で最高裁第二小法廷に判決の訂正を申し立てたが[179]、申し立ては同小法廷から2008年3月17日付で出された決定により棄却されたため[180][181]、被告人Hの死刑判決が確定した[182]。
1983年に「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人の事件で死刑が確定した死刑囚の人数は本判決以前までに計24人だったが、うち23人は金銭利欲目的(強盗殺人・身代金目的誘拐・保険金殺人)か、もしくは殺人前科がある場合(無期懲役刑の仮釈放中に新たな殺人事件を起こした者を含む)に限られており、唯一の例外は2004年に発生した奈良小1女児殺害事件の死刑囚[注 68]だけだった[21]。そのため、本事件は利欲目的・殺人前科ともになかった被告人に対し、最高裁で死刑判決が支持されて確定する極めて異例のケースとなった[21][176]。また、静岡地裁管内で第一審が行われた刑事裁判において死刑判決が確定した事例は1980年に最高裁で死刑が確定した袴田事件の死刑囚・袴田巌以来28年ぶりだった[21][183]。
上告審判決について渥美東洋(当時:京都産業大学教授)は「拷問に等しいような犯行で死刑は当然だ。犯罪が多様化しており『被害者の数だけで量刑を決められるような時代』ではない。判決は『死刑適用の具体的事例』として『新たな1つの基準』が加わったと解釈することができる」と、石塚伸一(龍谷大学教授)は「被告人Hの矯正可能性に触れつつ死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では死刑選択の理由に後向きな表現が目立つが、控訴審の死刑判決を破棄するまでには至らなかった」とそれぞれ評価した[176]。
死刑執行
死刑囚Hは死刑執行まで東京拘置所に収監されていたが、死刑確定者らを対象に実施されたアンケートに対し以下のように回答していた。
- 2008年(平成20年)7月 - 8月にかけて「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が実施したアンケート[184] - 「何を言っても言い訳になるが、殺人という人として最も重い罪を犯してしまったからこそ、死刑囚となった自分は命の尊さ・大切さや、被害者や遺族の苦しみ・悲しみ・怒りを知ることができた。死刑囚こそ誰よりも命の大切さを知っていることをわかってほしい。外部交通権が制限されており、新しく改正された刑事収容施設法も現状では自分たちのことを考えた新法とはいえず、役人にとって都合のいい新法でしかない」[28]
- 2011年6月20日 - 8月31日に参議院議員・福島瑞穂が実施したアンケート[注 69][186]
- 「外部交通がかなり厳しく、文通・面会などの交流が自由にできない。再審請求のための支援者が死亡したが、新たな再審支援者の外部交通も許可されず、再審請求の邪魔ばかりされている」[29]
- 「死刑囚は命の大切さを他の誰よりも知っている。死刑は国家が殺人を犯すのと同じで、死刑執行方法(絞首刑)もかなり残酷だ。自分が犯した罪の重さを理解した上で毎日反省・悔悟しているが、『いつ死刑を執行されて死ぬかわからない』という気持ちを与え続けることは精神的拷問と同じで、死刑執行だけはされたくない。被害者遺族には納得してもらえないかもしれないが、生きて償いたいし、できることなら被害者遺族と直接会って謝罪したいと思う。まだ被害者・遺族への謝罪・償いができていないうちに死ぬわけにはいかない」[187]
- 「(社会にいたら誘惑もあるが)『もし再び社会に出られたなら、一生犯罪を犯したり悪いことをしたりしない』という自信がある。死刑執行の恐怖に比べれば一般社会で真面目に生きることなど簡単だ。被害者遺族と同様に死刑囚も苦しんでいる。被害者遺族とは同じ立場ではないが『死刑囚の苦しみ』もわかってほしいし、『終身刑があれば被害者遺族への償いができる』ので死刑廃止を強く訴えたい。それが死刑囚ほとんどの総意だろう」[188]
法務大臣滝実が発した死刑執行命令により、死刑囚Hは2012年(平成24年)8月3日[注 70]に収監先・東京拘置所で死刑を執行された(40歳没)[22][23][24][40][189][190][41]。死刑執行後、Hの遺体は遺族に引き取られた(無縁仏にはなっていない)とされる[注 71][192]。
脚注
注釈
- ^ a b 被害者Aが拉致された現場(三島市青木・国道136号沿い)一帯は[3]被害者A宅(三島市梅名)[4]から約2 km地点[5]。同所付近は事件後にコンビニエンスストア・炭火焼肉店などが進出して明るくなったが、事件当時は畑・空き地が広がり人気のない暗い地域だった[3]。
- ^ a b c 加害者Hが被害者を強姦した場所は畑に囲まれた山中の道路端で、夜間は真っ暗になる場所とされる[7]。この場所は同地(函南町軽井沢)にあったHの勤務先の建設会社事務所(軽井沢事務所)から車で約10分弱走った場所で、Hはこの山中道路端を強姦場所に決めた理由について捜査段階で「『軽井沢事務所から社長の父親の仕事場(神奈川県足柄下郡箱根町)に向かう途中の山中なら誰にも見られない』と思って強姦場所に決めた」という趣旨の供述をした[7]。
- ^ a b 殺害現場は三島駅(JR東海・伊豆箱根鉄道駿豆線)から約3 km離れた「三島ジャンボゴルフセンター」北側の山道で[1]、峠にあるゴルフ練習場から約100 m下った場所に位置する[9]。現場周辺には民家はなく、夜に出歩く人もほとんどいなかったが、三島市から御殿場市・裾野市方面への抜け道になっていたために昼夜ともに車の通りが絶えない場所だった[9]。なお、当時は市道を拡幅する工事をしていたために道路の一部は未舗装だった[10]。
- ^ Hの兄弟姉妹には姉・兄(長男)・弟がいる[30]。
- ^ 1977年(昭和52年) - 1989年(昭和64年・平成元年)ごろにかけ、H(当時5歳 - 17歳)は被害者を拉致した現場(三島市青木)からそれぞれ約500 m以内にある三島市南二日町・三島市富田町で生活していたことがあった[31]。
- ^ Hは16歳だった1988年(昭和63年)に父母ら家族とともに三島市若松町へ移住したが、自身は仕事・婚姻などの理由で三島市・沼津市内などを転々としていた[14]。Hは妻と離婚する前に実家で両親・妻・弟と一軒家で同居していたが、離婚後は近隣住民の前に姿を見せることは少なかった[32]。Hの両親は2002年7月(息子が本事件被疑者として逮捕される直前)まで若松町の実家に住んでいたが、逮捕直前に大家が「家賃滞納・家の荒廃状態・ごみ処分ルール違反」に加え、盗難されたオートバイ部品が数台分も裏庭に置いてあった状態だったことを理由に「本件賃貸借権を解除したい」と申し出て退去させており、家は事件後に解体された[33]。
- ^ 加害者Hの在住地について逮捕直後は「三島市若松町」と報道されていた一方[34][6]、公判中は『朝日新聞』(静岡県内版)および『毎日新聞』にて「沼津市大塚」と報道されていた[35][36][37][38]。
- ^ a b 静岡地裁沼津支部 (2004) は「Hは幼少期から貧困家庭で生育し、小学生時代には母親の財布から小銭を盗んでは父親から殴られ、中学生になってからは父親と口も利かないほど険悪な間柄になるなど、他の兄弟と比べ父母の愛情を受けることが少なかった。また中学在学当時喘息の持病を有していたが、中学時代に住んでいた家の中は独特の異臭が漂い、物が散乱してその上に埃が積もっている環境で、Hの母は子供の面倒を見ずにパチンコに狂い、パチンコで損をして帰宅しては息子Hに当たり散らすなどしていた」と認定している[42]。しかし、東京高裁 (2005) は「Hの生育家庭は非常に貧困だったとまでは認められず、Hだけが他の兄弟と差別された育て方をされたり、父親から理由もなく虐待されたようなこともなかった。Hが父親から厳しい処遇を受けたことがあったとしても、それはH自身の性格・素行の悪さによるところが大きい」と認定している[42]。
- ^ Hはこれ以前から盗癖があり、近所ではかなりの問題児として知られていた[30]。被告人Hの父親は検察官に対し「息子 (H) は成長するにつれ、盗みなど悪いことを繰り返し、欲しい物はどんなことをしても手に入れるようになった」と話していた[36]。
- ^ Hら2人は長泉町下土狩(JR東海・三島駅北口から約300 m地点)の路上で自転車に乗って帰宅途中の地方公務員男性(当時22歳・同町在住)を襲い、その目前に乗用車を急停車させることで行く手を阻んだ[46]。そして停車した被害者に対し「金を出せ」と脅して木刀で殴りつけ、被害者に2週間の怪我を負わせるとともに財布[46]・現金約5,000円入りのリュックサック1個(6,500円相当)などを奪った[44]。
- ^ Hは強盗致傷事件以前(1995年2月7日)18時ごろにも三島市若松町内で車上荒らし事件(被害額:8,000円相当)を起こして同年4月24日に三島署から窃盗容疑で逮捕されていた[48]。
- ^ 共犯の男は同年6月9日に強盗致傷罪で静岡地裁沼津支部へ起訴され[49]、1995年10月26日(Hと同日)に懲役4年(求刑:懲役7年)の実刑判決を受けた[50]。
- ^ その建設会社の前社長は暴力団幹部だった[39]。
- ^ a b 被害者Aの自転車はブリヂストンサイクル製の女性向け車種「スリースター」で[52]、サドル下のフレームには[53]Aが事件前年の春(2001年3月)に卒業した三島南高校のステッカーが貼られていた[52]。
- ^ 被害者Aは三島市内の自宅から上智短期大(神奈川県秦野市)まで東海道新幹線で通学しており[12]、同日22時50分ごろにアルバイト先(三島駅南口の居酒屋)を出て[51]自転車[注 14]で帰宅する途中だった[4][8]。事件当日は居酒屋の客入りが少なかったため、被害者Aは店長から「今日はもう帰っていいよ」と申し出を受けていたが、自らトイレ掃除・テーブルの片づけをするために残業して23時近くまで店に残っていた[54]。
- ^ 犯行に用いた車(レガシィ)は1990年式の黒いステーションワゴン・車検切れ[59]。
- ^ 会社のガレージ[58]。
- ^ 事件後、拉致現場の近隣住民は「(Aが拉致されたとされる)2002年1月22日23時過ぎに女性の悲鳴を聞いた」と証言した[61]。
- ^ この時、被害者が乗っていた自転車を駐車場の奥に投げ捨てた[62]。
- ^ その途中、Hの同僚がHの携帯電話に電話を掛けて居場所を尋ねてきたため、Hは思わず「女と一緒に走ってる。山に向かってる」と述べた[7]。しかし同僚から「箱根に向かっているのか?」と尋ねられたため、Hは「被害者を拉致して強姦しようとしていることがばれてしまうかもしれない」と思ったが、適当な場所が思い浮かばなかったため、とっさに「いや違う。函南の方だ」と答えた[7]。
- ^ Hは当時「Aを解放する前に、自分の指紋が付いたAの自転車を処分しよう」と考え、拉致現場に戻って投げ捨てた自転車を車の荷台に積み込んでいた[63]。
- ^ 「生きたまま灯油を掛けて焼き殺そう」と思い立った動機について、Hは検察官の取調に対し「『火を付けて燃やせば被害者の身元は分かりにくくなるし、証拠も残らないから遺体を遺棄する場所を改めて考えずに済む』と思った。人気のない場所が見つからずイライラしており、『早くAを片付けて同僚のところへ行き、注射器を渡して覚醒剤を打ちたい』と思った。焼殺という手段が被害者にとってどれだけ惨いことか全く考えておらず、それよりも『警察に逮捕されず、刑務所にも行かずに済む方法』を考えることで精一杯な心理状態だった」と供述した[11]。
- ^ 検察官は冒頭陳述で「被害者Aは頭部の火を消すために立ち上がり、コートを脱ぎ捨てたが、全身に炎が燃え移り、悶絶するうちにコンクリートブロック付近へ転倒して全身性火傷で焼死した」と述べている[66]。
- ^ ポリタンクを持ち出して灯油を使用したことが両親に気付かれないように工作するため。
- ^ a b 犯行後のHから覚醒剤を打つための注射器を受け取った覚醒剤仲間は、当時のHについて「被告人Hはやや元気がなく落ち込んでいるように見えた」と証言したが、その覚醒剤仲間とともに居合わせた別の覚醒剤仲間は「Hは至って冷静な状態で普通に話をしていた。手指が震えていたり、慌てたり取り乱したりした様子はなく、平然としていた」と証言した[11]。
- ^ 当初は自転車を海中に投棄して証拠隠滅を図るため沼津港外港に向かったが、外港入口が閉鎖されていたために「港大橋」へ移動し、人気のない時を見計らって橋の中央付近から自転車を投棄した[64]。
- ^ a b 被害者Aは生前、普段はアルバイトが終わると携帯電話で自宅に「これから帰る」と帰宅予定を告げる電話連絡をしていたが、失踪当日の夜はその連絡がなかった[90]。Aの携帯電話は事件当日0時30分ごろに帰宅が遅いことを心配した両親が電話してもつながらず[91]、事件後には電話を掛けても通話できない状態になっていた[89]。
- ^ また被害者が乗ってきたと推測される車・バイクなども周囲からは見つからなかった[1]。
- ^ 火傷による水膨れなど[5]。
- ^ また、遺体の歯の治療痕も被害者Aと一致した[77]。
- ^ 当時、Hは覚醒剤を使用した上で運転していたところ、覚醒剤の副作用で「人に追いかけられるような幻想」を感じたことから事故を起こした[67]。またこの事故の約20分前、Hは三島市内でも別の当て逃げ事故を起こしていた[36]。
- ^ Hは同年1月に大家の家を訪れて「車を買い替えるから車庫証明が欲しい」と申し出ていたが、大家は事件解決後に『読売新聞』記者の取材に対し「今思えば、車の買い替えは事件に関係していたかもしれない」と述べている[32]。
- ^ a b 車を処分する際、Hは知人に車の中の荷物(Hが被害者Aを監禁する際に使用されたものと同型の紙製粘着テープを含む)の処理を依頼していた[81]。
- ^ その後車体は沼津市内のスクラップ工場で圧縮処理され、製鋼工場(愛知県岡崎市)に運ばれて破砕・製鋼された[80]。また車のエンジンも同年2月下旬ごろ、長泉町内の製鋼工場で溶解処理されていた[80]。
- ^ 加害者Hは逮捕後も車を処分したことは認めたが、具体的な方法については取り調べを拒否したり、曖昧な供述をするなどして明かさなかったため、車の処分方法が解明されないままひき逃げ事件の公判が開かれる異例の事態になった[82]。
- ^ ナンバープレートも後日提出した[82]。
- ^ 2002年4月16日付で確定[14]。
- ^ 捜査本部は被害者Aの携帯電話の通話記録を調べたが[85]、友人・家族以外の不審な通話記録は残っておらず、被害者と事件の接点はまったく推測できなかった[61]。
- ^ 事件発生 - 殺人容疑での逮捕には約200日余りを要したが、捜査本部はその間に捜査員延べ10,000人余りを捜査に投入した[87]。
- ^ 事件現場(箱根山系西麓)は粗大ごみの不法投棄が問題となっていたため、三島署は三島市が2002年6月1日に実施したごみの一斉回収(地元住民・市職員ら計約1,000人が参加)に伴い、市に「事件の遺留品の捜索協力」を要請した[92]。この一斉回収では市内8か所でテレビジョン6台・冷蔵庫4台・洗濯機1台など計7トン余りの粗大ごみが回収されたが、遺留品は発見されなかった[92]。
- ^ これを受け、Hは兄に手紙で「当夜、会社の同僚らと飲酒した時間や覚醒剤仲間から電話が掛かってきた時刻などを確認してほしい」と手紙で依頼していた[67]。
- ^ 当初の逮捕容疑は事件当夜に自転車で帰宅途中の被害者Aを自社に押し込めて監禁し、殺害時刻(23日3時30分ごろ)まで市内周辺を車で連れ回した逮捕監禁容疑+被害者から現金約10,000円入りの財布・携帯電話などを奪った強盗容疑[98]。
- ^ 2002年8月2日が被疑者Hの勾留期限だったが[108]、静岡地検沼津支部は同日付で「現段階では調べが不十分なため、10日間(2002年8月13日まで)の拘置延長が必要」と静岡地方裁判所沼津支部へ申請した[109]。
- ^ ただし、事件があった時期に覚醒剤を使用していたことを認めたが、覚醒剤取締法違反容疑については物証が得られなかったため立件は見送られた[114]。また当初の逮捕容疑のうち1つだった強盗容疑についても不起訴処分となった[15]。
- ^ 犯行を認めた理由について、被告人Hは第4回公判(2003年3月20日)で「被害者Aに申し訳ないと思ったから」と述べた[115]。
- ^ 三島スプリングスカントリー倶楽部[117]。
- ^ 弁護人は「被告人Hは被害者を強姦後、三島市長伏で被害者の適当な解放場所を探していたが、被害者が車から突然飛び降りて逃げようとしたために再び車に連れ戻した。この間に覚醒剤を自分で2度使用した」と主張した[126]ほか、殺害時の状況については「灯油を掛けた時点では(検察官の主張と異なり)、被害者Aは気を失った状態で、正座をさせていたわけではない」などと主張した[127]。
- ^ a b c 被害者Aの遺族は検察官に対し「Hに対し『Aがどれだけ熱かったか、どれだけ怖かったか、どれだけ苦しかったか、身をもって知れ』と言いたい」と述べていた[56]。
- ^ 静岡地裁などによれば、静岡県内の刑事裁判における死刑求刑は1966年6月に同県清水市(現:静岡市清水区)で発生した「袴田事件」以来だった[131]。
- ^ 弁護人は量刑面について「他の同種事件と本件を比較し、公平性が保証されているかどうかの検討が必要」と主張した[135]。
- ^ 判決公判期日は当初「2003年12月18日」とされていたが[16]、その直前となる2003年12月12日までに「翌2004年(平成16年)1月15日に延期する」と発表された[137]。
- ^ 静岡県内ではこの時点までに、殺害された被害者数が1人の殺人事件で死刑判決が言い渡された事例はなく、いずれも無期懲役・有期懲役刑が言い渡されていた[138]。静岡大学人文学部助教授・田淵浩二(刑事訴訟法)は『静岡新聞』夕刊(2004年1月15日)紙上で、本判決について「全国では『殺害された被害者が1人の殺人事件』でも死刑判決が出た事例がある(例:JT女性社員逆恨み殺人事件)。本件において死刑が回避された決定的な事情は『殺害された被害者が1人だから』ではなく『計画性がなかったこと』など、死刑適用の条件が満たされていなかったためだろう」と解説した[138]。
- ^ この裁判官はその後、東京高裁で原判決が破棄され死刑が言い渡された際には「高裁は別の見方をした。それもまた1つの判断だ」と受け止めていた[141]。
- ^ 田尾は(2004年時点で)裁判官に就任してから36年の豊富なキャリアを持ち、東京地方裁判所に所属していた際には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被告人・宮崎勤に裁判長として死刑判決を言い渡すなど数多くの刑事裁判を手掛けていた[141]。
- ^ 同事件の被告人は2000年4月19日にJR東海・沼津駅北口の駐輪場で交際相手だった女子高生(当時17歳)を包丁でめった刺しにして殺害したとして殺人罪などに問われ、検察官から死刑を求刑されたが、2004年1月29日に静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は「逆恨みによる犯行で刑事責任は重大だが、鑑定結果の境界性人格障害は量刑上考慮せざるを得ない」として無期懲役判決を言い渡した[147]。検察官は死刑を求め控訴したが、2005年12月22日に東京高裁(田尾健二郎裁判長)は無期懲役判決を支持して検察官の控訴を棄却する判決を言い渡した[148]。
- ^ 沼津のストーカー殺人事件の被告人は1993年に恋愛感情を抱いていた女性を包丁で多数回刺した殺人未遂罪などで有罪判決を受け、1998年にも恋愛感情を抱いていた女性に交際を迫って包丁を突きつけた暴力行為等処罰法違反の罪で有罪判決を受け、それぞれ服役した前科がある[148]。
- ^ ただし、同事件では第一審[147]・控訴審とも殺害の計画性は認められなかった[148]。
- ^ 福島は死刑囚Hの刑執行後、抗議集会で「自分は死刑事件に関わる自信がなかったから、もし本事件が特別案件に指定されていたら弁護を引き受けなかったはずだ」と述べている[149]。
- ^ 同事件の被告人も本事件と同様に死刑を求刑されたが、第一審では無期懲役判決が言い渡され、検察官が控訴していた[149]。なお、この被告人とともに実行共同正犯とされた共犯者(主犯格)は死刑判決を受けていた[149]。
- ^ 田尾は2009年に『読売新聞』記者からの取材に対し「(死刑判決を言い渡したとはいえ)被害者遺族の処罰感情はそれほど重視しなかった。被害者の人物像を判決理由の中で述べた際も、感情的な言い回しを極力避けたが、『苦悶のうちに命を失うこととなった被害者の短い一生を思う時、深い哀れみを覚えざるを得ない』という一言だけは自分自身の心情を判決文に反映した」と回顧した[141]。
- ^ 被告人Hは逮捕後10日目ごろ(事実を認め、犯行の詳細について自供したころ)からは兄に殺害現場での被害者Aへの焼香を依頼し、遺族に充てて謝罪の手紙を送るなどしていた[67]。
- ^ 例:雅樹ちゃん誘拐殺人事件・吉展ちゃん誘拐殺人事件・名古屋女子大生誘拐殺人事件など。ただし、司ちゃん誘拐殺人事件・甲府信金OL誘拐殺人事件のように死刑求刑が退けられ、無期懲役が確定した事例もある。
- ^ 例:JT女性社員逆恨み殺人事件
- ^ 例:福山市独居老婦人殺害事件など。
- ^ 同じく「永山基準」が示された1983年以降に発生した身代金誘拐・保険金殺人を除く殺害被害者数1人の殺人事件で、無期懲役刑の前科がない被告人に対し最高裁で死刑が確定したケースとしては、横浜中華料理店主射殺事件・名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件・JT女性社員逆恨み殺人事件の3例が挙げられるが、1件目・2件目は強盗殺人事件で、2件目・3件目の死刑囚は殺人の前科(有期懲役刑が確定し服役、満期出所後の犯行)がある。また殺人の前科がない1件目の死刑囚も銃を使用した犯行であり、強盗殺人事件とは別に強盗殺人未遂事件・放火事件を起こしていた上、3件目の死刑囚は「身代金誘拐・保険金殺人と変わらない高度な計画性に基づく犯行」と認定された。
- ^ 弁護人は最高裁で示された死刑適用基準(『永山基準』)を引用し、上告趣意書にて過去の焼殺事件の判例を挙げ「残虐な犯行だが、同種の事件では無期懲役判決が一般的であり、本件の死刑適用は均衡を害する判例違反だ。被害者1人の事件において死刑の適用は慎重な運用が必要だ。被害者遺族の悲嘆も理解できるが、過度の重視は罪刑の公平性を欠く」[168]「本件以上に残虐で悪質な犯行があることも否定できず、死刑が誠にやむを得ないとまでは言えない」と指摘した[17]。
- ^ 検察官は死刑回避を求める弁護人の弁論に対し「『永山基準』は『殺害された被害者が複数でなければ死刑を選択できない』と判断したものではない」と反論した[17][169]上で「自己中心的な動機・残虐な犯行態様などを考慮すれば、これまでの同種事件と比べても被告人Hの罪責は重く、死刑適用は免れない」と主張した[168]。
- ^ 同事件の死刑囚は自ら死刑を望み、第一審で死刑判決を受けた後に自ら控訴を取り下げた[21](2013年に死刑執行)。
- ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[185]。
- ^ 同日には大阪拘置所で京都・神奈川親族連続殺人事件(2007年1月)の死刑囚にも刑が執行された[22][23][24][40][41]。
- ^ 控訴審で被告人Hの弁護人を務めた福島昭宏は「Hの元妻は幼子2人を抱えており、夫Hが逮捕されてからも相変わらず愛情を抱き続けていたから、自分は『(Hを)妻子の元に帰してやりたい』と考えていたし、死刑確定でも反省の色が出てきたのなら『もう一度(社会復帰の)チャンスを与えても良かったのではないか』と考えた」と述べている[191]。
出典
(※見出し名に元死刑囚・被害者の実名が含まれる場合、元死刑囚は姓のイニシャル「H」、被害者は仮名「A」にそれぞれ置き換えている。)
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参考文献
刑事裁判の判決文
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- 東京高等裁判所第6刑事部判決 2005年(平成17年)3月29日 『判例時報』第1891号166頁、『高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号』71頁、平成16年(う)第605号、『逮捕監禁・強姦・殺人被告事件』。
- 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28105234
- 被害者を力ずくで自車に引き込み、逮捕・監禁して、山間の畑地に連れて行って強姦し、更に、被害者に灯油をかけて焼き殺した事案につき、被告人に無期懲役を言い渡した一審判決を破棄し、死刑を言い渡した事例。
- 被害女性を自己の車内に押し込み逮捕・監禁したうえ強姦し、さらに犯行の発覚を恐れるなどして同女を殺害した事例につき、無期懲役を言い渡した原判決を破棄して死刑を言い渡した事例。
- 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105234
-
- 【事案の概要】被告人が、アルバイトを終え自転車で帰宅途中のA女を強姦目的で自己の車内に押し込んで逮捕監禁した上、山間の畑地に連れて行き、車内で同女を強姦し、更に、犯行の発覚を恐れ、かつ覚せい剤仲間のところに早く行きたいと考え、同女に灯油を浴びせ、頭髪にライターで点火して同女を焼き殺したことにつき、原判決が被告人を無期懲役に処したため、量刑不当を理由に双方が控訴した事案で、本件犯行が凶悪なものであること、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと等を考えると、被告人の罪責はあまりにも重大であるといわざるを得ず、被告人のために斟酌すべき事情を最大限考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないとして、原判決を破棄し、被告人を死刑に処した事例。
- 『高等裁判所刑事裁判速報集』
-
- 【判示事項】殺人等の前科のない被告人による被殺者1名の逮捕・監禁、強姦、殺人被告事件につき、検察官の死刑求刑に対して被告人を無期懲役とした1審判決に関し、死刑をもって臨むほかない事案であり、1審判決は量刑判断を誤ったものであるとしてこれを破棄し、被告人に死刑を言渡した事例
- 【裁判要旨】本件が通りがかりの女性を車に拉致して強姦した上焼殺したという凶悪な犯行であること、被害者に何ら落ち度もなく、犯行の動機が誠に身勝手で理不尽であること、殺害の方法が残虐極まりなく、結果が誠に重大であること、被告人の犯罪性向は根強く改善更生の可能性に乏しいこと、処罰感情が峻烈で、地域社会に与えた影響も大きいこと等を考えると、被告人の罪責は余りにも重大であるといわざるを得ない。他方、被告人に有利に斟酌すべき事情、すなわち、被告人には殺人等の前科がないこと、被告人が本件各犯行を概ね認め、遺族に謝罪し、兄に依頼して殺害現場で焼香を行うなど、反省悔悟の様子が窺われることなどの事情も存するが、これらを最大限に考慮しても、被告人に対しては極刑をもって臨むほかないと判断される。したがって、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は著しく軽きに失し不当であり、原判決は破棄を免れない。
- 最高裁判所第二小法廷判決 2008年(平成20年)2月29日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28145284、『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁、『判例時報』第1999号153頁、『判例タイムズ』第1265号154頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成17年(あ)第959号、『逮捕監禁・強姦・殺人被告事件』。
- 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28145284
-
- 【事案の概要】被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦後、被害者を縛って路上に座らせ、灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案の上告審で、動機の身勝手さ、犯行態様の残虐性、結果の重大性、遺族の峻烈な処罰感情、社会的影響の重大性、被告人の犯罪性向が進んでおり、改善更生の可能性が低いことなどから、原判決の死刑の科刑は是認せざるを得ないとして、被告人からの上告を棄却した事例。
- 【要旨】逮捕監禁、強姦、殺人被告事件判決に対する上告申し立てにおける弁護人の上告趣意のうち、死刑制度に関して憲法31条, 36条違反をいう点は、その執行方法を含む死刑制度が憲法のこれらの規定に違反しないことは当裁判所の判例とするところであるから、理由がない。
- 『判例タイムズ』
-
- 【判示事項】被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例
- 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)・裁判所ウェブサイト掲載判例
-
- 【判示事項】被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例(三島女子短大生焼殺事件)
- 死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない。
- 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。
書籍
- 上條昌史 著「無抵抗の女に火を放った「三十男」の興味」、『新潮45』編集部 編『その時、殺しの手が動く 引き寄せた災、必然の9事件』(五刷(発行:2003年6月15日))新潮社〈新潮文庫〉、2003年12月15日、93-117頁。ISBN 978-4101239156。
- 上條昌史が本事件について取材し『新潮45』2003年2月号に寄稿した記事を加筆・再録している。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、中井厚、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所) 編『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』(発行)インパクト出版会、2009年4月10日、63-69頁。ISBN 978-4755401978 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、高田章子、中井厚、深瀬暢子、安田好弘、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所、死刑廃止のための大道寺幸子基金) 編『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』(発行)インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN 978-4755402241 。
- 年報・死刑廃止編集委員会『極限の表現 死刑囚が描く 年報・死刑廃止2013』インパクト出版会、2013年10月25日、140-146頁。ISBN 978-4755402401 。
- 安田好弘(前者記事)、福島昭宏(後者記事)「再審への道を断った不当な死刑執行(1 - 5頁) / 1審無期、控訴審で死刑判決に(6 - 8頁)」『フォーラム90 NEWS』(PDF)、第125巻、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、2012年8月27日。オリジナルの2020年6月22日時点におけるアーカイブ。2020年6月22日閲覧。 - 上述の書籍に収録されている死刑執行への抗議集会(2012年8月27日開催)における福島昭宏(控訴審における被告人Hの弁護人)・安田好弘の発言が掲載されている
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日、264頁。ISBN 978-4755402982 。
関連項目
- ドラム缶女性焼殺事件 - 2000年4月に愛知県(名古屋市千種区・瀬戸市)で発生した強盗殺人事件(殺害された被害者は2人)。この事件でも被害者の殺害方法に焼殺が用いられ、主犯格2人の死刑が確定した。
- 江東マンション神隠し殺人事件 - 2008年4月に東京都江東区で発生した被害者1人の殺人事件。死刑を求刑した検察官が論告で「殺害された被害者が1人で、被告人に殺人前科はなかったが死刑が確定した事例」の一つとして本事件を挙げたが、一・二審とも無期懲役判決が言い渡され確定した。
「永山基準」以降に最高裁で死刑判決が確定した「殺害された被害者数が1人」の事件
※過去に無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐・保険金殺人は含まない。
- JT女性社員逆恨み殺人事件 - 殺人前科あり。殺人で懲役10年に処された後、出所後に強姦した女性を恐喝したことで被害届を出されて逮捕されたが、その逆恨みから再出所後にお礼参りに及んだ高度な計画性に基づく犯行
- 名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 - 殺人前科あり、強盗殺人。前科は単純殺人ではあるが死刑に処された事件と経緯・手口が酷似した犯行
- 横浜中華料理店主射殺事件 - 殺人前科なし。強盗殺人1件以外にも強盗殺人未遂・放火の余罪あり、銃を使用した犯行