「日本とモンテネグロの関係」の版間の差分
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* Batrićević, Đuro. ([[1996年]]). ''Crnogorci u rusko-japanskom ratu'' (''Montenegrins in the Russo-Japanese War''). Cetinje: Obod. [http://www.worldcat.org/title/crnogorci-u-rusko-japanskom-ratu/oclc/040389738 OCLC 040389738] |
* Batrićević, Đuro. ([[1996年]]). ''Crnogorci u rusko-japanskom ratu'' (''Montenegrins in the Russo-Japanese War''). Cetinje: Obod. [http://www.worldcat.org/title/crnogorci-u-rusko-japanskom-ratu/oclc/040389738 OCLC 040389738] |
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* __________. ([[1994年]]). ''Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu'' (''Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War'') Cetinje: Obod. |
* __________. ([[1994年]]). ''Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu'' (''Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War'') Cetinje: Obod. ISBN 8630501693/ISBN 9788630501692; [http://www.worldcat.org/title/dr-anto-gvozdenovic-general-u-tri-vojske-crnogorci-u-rusko-japanskom-ratu/oclc/164797877 OCLC 164797877] |
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2016年11月15日 (火) 18:52時点における版
日本 |
モンテネグロ |
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日本とモンテネグロの関係(英語: Japan–Montenegro relations)では、日本とモンテネグロ(以下では歴史的推移を述べるためモンテネグロと表記する)の二国間関係について述べる。日本とモンテネグロは2006年6月16日にモンテネグロの独立(2006年6月3日)を承認し,同年7月22日に外交関係を開設した[1]。
2014年現在、ベオグラードにある在セルビア日本国大使館の中に兼轄する形で、モンテネグロ大使館が置かれている[2]。日本政府は、モンテネグロを含む西バルカン地域の平和と安定を重視し、これに貢献していくという我が国の方針に基づくとの声明を出している[3]。
歴史
日露戦争時点で、モンテネグロ公国はロシアの管理統治下にあり、それ故、1905年にモンテネグロ公国は日本に宣戦布告し、ロシア軍とともに戦うため義勇兵を満州に派遣していた[4]。しかし実際には戦闘に参加しなかったことから、その宣戦布告は無視され、講和会議には招かれなかった。1918年にモンテネグロ公国は消滅したが、国際法上は、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという奇妙な状態になった。日本政府は、2006年に提出された衆議院議員鈴木宗男の質問主意書に対する答弁書において「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」と回答している。2006年6月3日のモンテネグロ独立宣言に際し、日本政府は、6月16日に独立を承認し、山中あき子外務大臣政務官を総理特使として派遣した[5]。UPI通信は、6月16日、ベオグラードのB92ラジオのニュースを引用し、特使は独立承認と100年以上前に勃発した日露戦争の休戦の通達を行う予定と報道したが[6]、日本国外務省からは、特使派遣報告をはじめとして日露戦争や休戦に関連する情報は出されていない[7]。
貿易
2013年時点における二国間の貿易額は以下のようになっている。日本の主要輸出品目は食料品,石油・石油精製品,電力,自動車,非鉄金属製品など、日本への主要輸出品目は非鉄金属,金属鉱石・金属くず,飲料,鉄鋼,木材・木材加工品となっている[8]。また、EU内では、日本との貿易額は12番目に多い相手国となっている。
- 対モンテネグロ輸出額:17.7億ユーロ
- 対モンテネグロ輸入額:3.8億ユーロ
日本国内でのモンテネグロ人
2014年4月時点で、在日モンテネグロ人は12人となっている[1]。
脚注
- ^ a b モンテネグロ(Montenegro)基礎データ外務省HP
- ^ Ministry of Foreign Affairs and European Integration of Montenegro, Diplomatic Missions to Montenegro ; 2014年8月10日閲覧
- ^ モンテネグロの承認及び山中総理特使のモンテネグロ訪問について外務省。2006年6月16日。
- ^ Montenegrina, digitalna biblioteka crnogorske kulture (Montegreina, digital library of Montenegrin culture), Istorija: Đuro Batrićević, citing Batrićević, Đuro. (1996). Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Montegegrans in the Russo-Japanese War); retrieved 2011-05-12; compare Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War)
- ^ モンテネグロの承認及び山中総理特使のモンテネグロ訪問について 外務省 平成18年6月16日
- ^ "Montenegro, Japan to declare truce," UPI通信社 (US). June 16, 2006; "Montenegro, Japan End 100 Years' War," History News Network (US). citing World Peace Herald, June 16, 2006; 2014年8月9日閲覧
- ^ 山中外務大臣政務官のモンテネグロ共和国訪問(概要) 外務省 平成18年6月
- ^ “二国間関係 - モンテネグロ”. 外務省. 2014年8月10日閲覧。
参考文献
- Batrićević, Đuro. (1996年). Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Montenegrins in the Russo-Japanese War). Cetinje: Obod. OCLC 040389738
- __________. (1994年). Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War) Cetinje: Obod. ISBN 8630501693/ISBN 9788630501692; OCLC 164797877
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - モンテネグロ
- 在セルビア日本国大使館 - 在モンテネグロ大使館を兼轄
- 駐日モンテネグロ名誉領事館
- その他