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「Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician 20161024」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
被依頼者のコメント: 可能な限り短くしたつもりですが、三行に収めるのは難しいですね
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*現時点では「何でヘッジファンドダイレクトだけ?」という単純な疑問に「'''素人目にもわかる説得力'''」を持って答えられません。なのに投票とか自滅行為です。
*現時点では「何でヘッジファンドダイレクトだけ?」という単純な疑問に「'''素人目にもわかる説得力'''」を持って答えられません。なのに投票とか自滅行為です。
上記発言は、議論を無駄に長文にしただけで[[ノート:ヘッジファンドダイレクト]]においては不要な見解であり、かつ、[[詭弁]]が含まれています。最大限善意に解釈しても、「説明が見事」と評価するのは不可能です。さらにいっそうまずいことに、被依頼者の対応が、ソックパペットによる被害を拡大させる効果を発揮したと考えられます。このような[[詭弁]]を駆使してソックパペットによる荒らし行為を助長されたことについて、被依頼者はなにひとつ問題を認識されていません。すでに2015年の[[Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician]]で「[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician&diff=56364793&oldid=55823082 Maddestmagicianさんの巨大バイト数におよぶ、個人攻撃・虚飾表現・脱線が多分に含まれる編集行為]」が指摘されています。しかし、結局、この時点から変わらず問題の多い編集行為を継続されていることが、金融の専門家氏とのコメント一つを拝見しただけでも容易に理解できるものであります。被依頼者は昔から活動されている方なので知己が多いという事情があるのは理解していますが、だからといって、事実を無視してまでも、ほとんど全く問題がない、などのひと言で片付けられる段階ではもはやありません。被依頼者を過度に批判するつもりはありませんが、問題が継続していることを否定するのは不可能です。ノートでの議論において、ウィキメディア・プロジェクトへの批判を展開される等の編集行為が、被依頼者が理想とされる「共同作業」であったり、「議論」であったりするというのでしょうか。実際の行動と発言に乖離が認められ、他人には理詰めで追及される一方、自分の発言の論理展開は[[詭弁]]を用いられるなどは、随分と自分に甘くはありませんか。自らの議論姿勢について反省を求める次第です。--[[利用者:Husa|Husa]]([[利用者‐会話:Husa|会話]]) 2016年11月8日 (火) 18:43 (UTC)
上記発言は、議論を無駄に長文にしただけで[[ノート:ヘッジファンドダイレクト]]においては不要な見解であり、かつ、[[詭弁]]が含まれています。最大限善意に解釈しても、「説明が見事」と評価するのは不可能です。さらにいっそうまずいことに、被依頼者の対応が、ソックパペットによる被害を拡大させる効果を発揮したと考えられます。このような[[詭弁]]を駆使してソックパペットによる荒らし行為を助長されたことについて、被依頼者はなにひとつ問題を認識されていません。すでに2015年の[[Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician]]で「[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician&diff=56364793&oldid=55823082 Maddestmagicianさんの巨大バイト数におよぶ、個人攻撃・虚飾表現・脱線が多分に含まれる編集行為]」が指摘されています。しかし、結局、この時点から変わらず問題の多い編集行為を継続されていることが、金融の専門家氏とのコメント一つを拝見しただけでも容易に理解できるものであります。被依頼者は昔から活動されている方なので知己が多いという事情があるのは理解していますが、だからといって、事実を無視してまでも、ほとんど全く問題がない、などのひと言で片付けられる段階ではもはやありません。被依頼者を過度に批判するつもりはありませんが、問題が継続していることを否定するのは不可能です。ノートでの議論において、ウィキメディア・プロジェクトへの批判を展開される等の編集行為が、被依頼者が理想とされる「共同作業」であったり、「議論」であったりするというのでしょうか。実際の行動と発言に乖離が認められ、他人には理詰めで追及される一方、自分の発言の論理展開は[[詭弁]]を用いられるなどは、随分と自分に甘くはありませんか。自らの議論姿勢について反省を求める次第です。--[[利用者:Husa|Husa]]([[利用者‐会話:Husa|会話]]) 2016年11月8日 (火) 18:43 (UTC)
:被依頼者が、「''挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている''」と主張していますが、これは嘘です。そもそも、[[詭弁]]とは[[説得]]を目的として行われることが前提であり、Husaさんは[[説得]]目的であることを見落としていることは上記発言から証明できません。また、[[詭弁]](「主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論」)は、読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません(''上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である''、という主張も嘘ということになります)。「実際には誤りである論理展開」は誰から見ても誤っています。被依頼者は、「[[詭弁]]を用いて[[説得]]を続ける」行為を継続されていますが、これは、決して「共同作業」ではありません。ノートにおいても[[詭弁]]を用いた[[説得]]を続けています。対話相手に[[詭弁]]を用いることは議論における裏切り行為ともいえ、いつまでも納得しなければ、コミュニティを消耗させる効果しかありません。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年11月9日 (水) 04:24 (UTC)


== まとめ ==
== まとめ ==

2016年11月9日 (水) 04:24時点における版

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの参加姿勢について議論の場を設けたいと思います。--ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

経緯

Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論における、利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの議論姿勢について大きな問題を感じました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で、利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんについてコメント依頼の場を設けるべきという指摘も見られたために、改めて議論の場を設けた次第です。

Wikipedia‐ノート:中立的な観点における利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんによる「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない[1]」、「西洋人以外は西洋人に劣っていると考えている者が西洋人のみに利益を与える行為[2]」という発言は論争相手の社会的立場を決めつける批判であり、Wikipedia:個人攻撃はしないに違反していませんでしょうか。

結局、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに激しく反論された利用者:Alice OPP会話 / 投稿記録 / 記録さんは、「もう怒る気力すらないorz 正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ」とまで追い込まれ、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagicianを提出されましたが、不適切な行為であったことを謝罪され、現在は議論から半分撤退したような状態となってしまいました。

Wikipedia‐ノート:中立的な観点における議論はつい最近閲覧したのですが、Alice OPPさんの提案に賛意を持ちました。しかし、気が付いた時には、Alice OPPさんは心身共にくたびれておられ残念に思った次第です。もし、世界最狂の魔法使いCray-Gさん等に問題があって、Alice OPPさんが完全に撤退されされた場合、Wikipedia‐ノート:中立的な観点において本来あるべき議論から遠のいてしまう懸念もありえるため、早急に議論すべき課題であると感じました。

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、個人的対立を起こしやすい発言をされるため、たびたび問題点を指摘されても個人的対立の延長線上(どっちもどっち)であると捉えられやすい傾向が高いように感じます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008ではまさにそういう指摘がされてます。そのため、逆に、問題の本質が隠れてしまっていたのではないかと考えています。よって、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限らず、これまでの活動という長いスパンの行動について情報を寄せていただく場を設けることで、改善が可能かどうかについて議論が出来ればと思います。

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、以前から暴言をされる傾向を指摘されていますが[3]、改善ができているかどうか、また、激しい反論スタイルと言いますか、議論姿勢について適切かどうかなどコメントをお願いします。--ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、甚だしく不適切な発言をされる傾向があり、Wikipedia‐ノート:中立的な観点等の各種方針や井戸端等への議論は控えていただいたほうが良いのではないかと感じました。各種方針や井戸端などは、方針をきちんと理解している参加者によるコメントを求める場であると言えるでしょう。まずは、自分が方針をきちんと理解することに時間をかけていただきたいと思います。Wikipedia:コメント依頼/MaddestmagicianWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606で指摘された問題について、改善の努力をされているようには見えませんでした。

また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もあると感じました。

たとえば、Alice OPPさんが世界最狂の魔法使いCray-Gさんにより社会的立場を決めつけられたことを個人攻撃だと指摘したことについて、このように発言されています。

Wikipedia:個人攻撃はしないの内容を確認することを要する」と主張しました。ですが、その個人攻撃が発言のいづれの部分であるのかを具体的に指摘していません。「Alice OPP氏は私ことCray-Gが方針違反をしていると無根拠に人格攻撃をしています」。せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには個人攻撃と看做さざるを得ません。人格攻撃詭弁の一種であり、論点をすりかえる効果を持ちます。つまり議論が霍乱され合意の形成を妨げることになります。それだけでも充分に問題があるのに、その上それを無根拠に行なっているとなれば、流石に個人攻撃と看做さざるを得ません。ですが、それを直ちに方針違反だと騒ぎ立てることを私は望みません。何故ならば、それはきっとちょっとした手違いであって、きっとAlice OPP氏は私ことCray-Gに対し先の無根拠な人格攻撃全ての根拠を明らかにするに違いないからです。そしてきっと人格攻撃の全てを取り下げて、誠意を以って対話してくれるものと信じているからです。

[4]

論旨としては「自分の発言のどれが個人攻撃であるのか具体的な指摘をお願いしたい。具体的な指摘もなく個人攻撃だと指摘される行為こそが、個人攻撃ではないか」と、冷静にかつ簡潔に述べることも可能な内容です。これ以前に、Alice OPPさんは何度も「個人攻撃だ」と直ちに指摘されているのに、なぜ、「根拠が明確にしていない」などという堂々巡りになってるのか理解に苦しみました。一方的に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが理解を拒んでいるようにしか感じられません。さらに、「>せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには」以降のくだりは、いちいちこの場で言う必要があるんでしょうか? 感情的に理屈っぽく文句を書き連ねているだけであり、まったく議論に不要な発言でしょう。

世界最狂の魔法使いCray-Gさんは冗長な発言が多いのですが、できるだけ論理的で冷静に、感情的になって議論に不要な理屈っぽい表現を書き連ねることを停止し、適切な分量のコメントを心がけていただけませんかね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントがわかりづらい(読むことさえつらい)ことは、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限ったことではないです。議論から脇道にそれた理屈っぽい反論を長々とされることは、世界最狂の魔法使いCray-Gさん自身は精神衛生上スッキリできるのかもしれませんが、その他の人々に多大な負担を強いる行為であり、議論を正常な方向へ進むことを妨げる効果しかありません。複雑で微妙な内容を議論するときほど、論理的で明確で、かつ、冷静でわかりやすい発言(議論から脇道に逸れた発言を延々と言わない)をするように心がけてもらいたいと思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんと意思疎通を図るのは非常に困難ですし、根拠を明確にしてもまったく理解されないとなると堂々巡りを繰り返すだけだと感じますね。あまりにも過度で、かつ、攻撃的で暴言を伴うとなると関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。—ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) Alice OPPさんが重罪に値する不始末を犯したけれども、もう切腹したのだから、これ以上、Alice OPPさんの名誉を貶めるような発言はせずに静かに弔おうとかいう発言についてですが、なにかの悪い冗談ですよね?--ぽてから会話2016年11月4日 (金) 10:59 (UTC)[返信]

返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) 世界最狂の魔法使いCray-Gさんの比喩から、私のように考える人が出てもおかしくない、ということを伝えたいために、あえて、上記のように表現しました。比喩とはそういうものです。なにかの冗談ではなく本気の比喩であったようですね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんがこれを知的に理解し消化できるかどうかが、重要になってくるでしょう。さて、「はるみエリー氏宛」の返信内に、なぜか私の名前が持ち出され、いきなりなんの根拠も示されることなく攻撃され始めました。こういう議論態度は、関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。一切自覚はないということでしょうかね?--ぽてから会話2016年11月7日 (月) 13:20 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

今回のコメント依頼に関してはこれまでと異なり書きたいことがあるのですが、数日程度遅れる見込みです。遅くとも週末には書けると思います。

#経緯の最終段落の「改善ができているかどうか」、「議論姿勢について適切かどうか」に関しては、私自身もコミュニティーの見解を確認したいと考えておりますので、忌憚無きご意見を賜れればと思います。

宜しくお願い致します。

世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年10月24日 (月) 02:48 (UTC)[返信]

  • 被依頼者です。ずいぶんと遅くなってしまいました。幾度か書こうと試みたのですが、指摘を行なうと自分でも「冷静な発言」とは言い難い内容となることからクールダウンをしておりました。ですが今以ってなお、「冷静な発言」と呼べる内容にはなりませんでした。なので、以下の二点を指摘するに留めて、引き続きコミュニティーの見解を確認するべく忌憚無きご意見を賜わり続けるようにしたいと考えます。
    • ぽてから氏へ:Alice OPP氏は「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。武士道が如き潔さであり責任感のある称賛されるべき行為です。それを「消耗した」からだの中途半場に「半分撤退したよう」だのと侮蔑されるべきではありません。無論、議論に於いては最後まで参加して合意を形成してもらうことこそが「責任を取る」ことであるのは当然です。ですがだからと言って侮蔑されるべきではありません。
    • 有足魚氏へ:議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
  • 以上です。引き続きコミュニティーの見解を確認すべく、諸賢の忌憚無きご意見を賜わりたいと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月4日 (金) 08:39 (UTC)[返信]

返信 (ぽてから氏宛) どういう前提があると一言も言っていないことに其処まで想像力が働かせられるのかがわかりません。

重罪に値する不始末を犯した
そんなことは一言も言っていません。むしろ、特に罰を受けるに値しない「些細な出来事」でしかなく、端的に言ってAlice OPP氏が責任感が強過ぎ潔よ過ぎたことで「完全に撤退した」のだと考えています。
静かに弔おう
そんなことは一言も言っていません。むしろ、ノートでも述べた通り、私はAlice OPP氏に議論に戻ってきてもらいたいと考え「是非とも提案者に戻ってきて戴き積極的に議論に参加して戴きたい」と言っています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:42 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) 私の方からは私の見解をノートにて説明しました。それに反論も無く自身の主張を繰り返すだけでは、いつまでも事態は変化せず、互いに同じ主張を繰り返し続けるだけの永遠の水掛け論にしかなりません。「議論は共同作業ではない」と主張しているはるみエリー氏には不可能なことなのかも知れませんが、私としては事態を前進させる為に協力的になって戴きたいと考えます。

思い付くままに方針・ガイドラインから以下に引用してみました。
大半の人には不要と思われるので折りたたんでおきます。
ウィキペディアは、信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト、およびその成果である百科事典本体です。 — Wikipedia:ウィキペディアについて
ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典を、それも、質においても量においても史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクトです。 — Wikipedia:ウィキペディアへようこそ
ウィキペディアで記事を作成するという共同作業は、異なる観点、異なる情報源、そして異なる記述法と論法を持つ編集者によって行われます。そのような状況の下で中立的な観点を達成するために、編集者は多様な観点と懸念事項に相応の注意を払いながら耳を傾け、評価しながら記事の内容について真剣な議論を積極的に行わなくてはなりません。これがウィキペディア(および他のウィキメディア財団のプロジェクト)における合意の目的です。 — Wikipedia:合意形成#目的
記事を中立的なものにするためには、我々の共同作業が不可欠です。それはウィキペディア成功の秘訣のひとつでもあります。 — Wikipedia:中立的な観点#はじめに
テンプレートが貼られた時は、無言でテンプレートをはがすのではなく、テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートをはがすと、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。といっても、別に難しいことは何もありません。他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築くように心がけていれば、何の問題もありません。 — Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること
妨害的編集は常に意図して行われるとは限りません。利用者が適切に編集する方法を理解していないために、たまたま妨害行為に該当するような編集をしてしまうこともあります。社会の一員として振る舞うための経験や共同作業を行う上で必要な技能の欠如のために、妨害になる場合もあるでしょう。 — Wikipedia:妨害的編集
これだけの数の方針・ガイドラインがwikipediaを編纂することが共同作業であると述べていて、また特にWikipedia:合意形成#合意に向けた作業に於いては「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます」とあります。その努力を怠ることは結果として、まさに其処に書いてある通りに「議論が決裂して対立した怒鳴り合いになる場合には、そこに合意の可能性はなく、記事の品質に悪影響を及ぼ」すこととなるでしょう。
議論が共同作業ではないと考えているのであれば、この際それでも文句を言いませんから、もう少し方針やガイドラインを重視して戴けないものでしょうか。つまり「努力が求められている」のだということをご理解戴きたいのです。私独りがどれだけ努力をしても合意の可能性は無いままです。
◆現状、私は最後に引用した二つにある「他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「共同作業を行う上で必要な技能の欠如」を指摘されているところです。
これは言い換えると、「他の利用者はるみエリー氏やぽてからと友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「(はるみエリー氏やぽてから氏と)共同作業を行う上で必要な技能はるみエリー氏やぽてから氏が立脚する観点への理解の欠如」を指摘されているわけです。
で、「欠如を指摘されている」ことは理解出来ました。が、それを「異論は認めない」とばかりに「欠如を指摘」することを繰り返されるだけでは、「如何なる」欠如があるのかを私は理解出来ないままです。このままでは、既に述べた「永遠の水掛け論」にしかならず、互いに(どころか第三者まで巻き込んで)消耗し続ける以外の未来はありません。
wikipediaは共同作業により成り立っています。その中で議論だけは例外だと主張するのならそれでも文句を言いませんから「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

返信 (むよむよ氏宛) 言いたいことはいくらもあるのですが……

こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。
「異様な雰囲気」ですか。今後はその「異様な雰囲気」なるものを察知出来るようになれるよう留意しておきたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月8日 (火) 09:32 (UTC)[返信]

返信 (Husa氏宛) その指摘は不当と考えます。が、誤っているわけではありません。分析の途中で下記の二点が不足していることにより、分析が不充分な状態で早計な結論が導き出されてしまっているだけです。

挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている
説得ですので、金融の専門家氏さえ理解出来れば良く、またそれが確実に果たせなければなりません。それは、金融の専門家氏の立脚する観点とは異なる観点に立脚する人(以下「他の人」と言う)にも理解出来るように記述することに優先します。なので「他の人」の中には正確に理解出来ない人が居る表現である可能性を完全に無視した発言です。なので次に示す点に基づいて、それがHusa氏(と言うか「他の人」)に詭弁であると認識されることは当然です。
上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である
討論はともかく「共同作業であるところの議論」に於いては、その「詭弁」となっている部分を「反論と言う形で指摘」することで、同じ内容である「詭弁ではない表現」へと修正させ、それによって認識の相違点を明らかにする作業です。なので私(と言うか金融の専門家氏)にとって「詭弁ではない適切で正しい内容」をHusa氏(と言うか「他の人」)が「詭弁であり誤った不当な内容」と認識することは当然のことであり、其処から「共同作業であるところの議論」が始まるのです。異なる観点に立脚する人の発言が「詭弁であること自体」には問題はありません。ですが、指摘されてもそれを修正しないのであれば(認識の相違点が不明なままで水掛け論をしても認識の相違点が発見される可能性は極めて低いので)問題があります。
ノートでも同様に「詭弁である」と主張されていますが、「反論と言う形で指摘」されていませんし、「詭弁である証明」もされていません。なので私には、私の主張を「Husa氏から見ても詭弁ではない表現」へと変更することが出来ません。私にとっては当然以前の当たり前である大前提に対して見解の相違が存在する(=立脚する観点が異なる)のでしょうが、何処にどのような相違があるのかが私独りでは決してわかりません。私はHusa氏の協力を必要としています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 01:13 (UTC)[返信]

第三者のコメント

  • コメント
    • Maddestmagicianさんが議論慣れしてしているという事実はわたしのような議論が下手な者には羨ましい限りですが、確かに、ぽてからさんの言うように、「長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しい」と思います。これは改善というレベルでは難しいかもしれませんし、詳しく説明しようとしているからこそ長文になっているかもしれないという可能性もあるのですが、もうちょっと簡潔にしてほしいです。一方でご自身の発言の後にこのようなまとめ[5]をされているのは読みやすく感じました。暴言については、どうでしょう、少なくともWikipedia‐ノート:中立的な観点を見る限り、過去のコメント依頼や投稿ブロック依頼でピックアップされた発言よりもひどい発言はしていないように見えます。そもそもが差別的表現に対しての議論ですので、表現そのものが差別的かどうかということを論じるに際し、一定の差別的(と誰かが考えるような)表現が出てくることは仕方ありません。問題はその差別的ニュアンスが「表現そのもの」から「個人」へ移動する場合でしょう。
    • そういった意味合いでは、Alice OPPさんの暴言の方が目立っているように感じました。例えば議論開始後すぐの発言[6]、「西洋人を侮辱する発言が見られます。これはいけない。」までは「表現そのもの」への差別的懸念でしょうけども、それが後半の「世界最狂の魔法使いCray-G氏の認識の甘さ憂いております。」で突然「個人」へ矛先が向いています。ここから、「詭弁」「あなたの書き込みは異常」「ブロックの時が近づいております[7]、「正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ。[8]、「9年以上にわたり活動していながらウィキペディアにおける実績がほぼ皆無の「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏につきましては、今回のブロック依頼が「卒業式」になるものと思われます。[9]、「「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏の活動はウィキペディアにおいて有害[10]という発言などが飛び出している。このような発言の後にAlice OPPさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician_20161008を提出しているのだから、こと暴言とその行動に関してはAlice OPPさんの方が問題が大きかったのだ、と考えます。--Aoioui. 2016年10月24日 (月) 05:48 (UTC)[返信]
  • 自分も依頼者と同じような懸念を長年抱いていましたが、自分が対象になるのが怖くて今まで見て見ぬふりをしてきた面があります。端的に言えば、被依頼者は非常にコミュニケーションにかかるコストが高いです。コミュニケーションが全くできないわけではないので、今まで特に大きな対処はされてこなかったのだと思うのですが、しかしそれをいつまで許容し続けるかという問題はあります。初心者なら様子見が最善の策でしょうが、もう何年もこの調子ですからね。
  • 「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある」という依頼者の指摘はもっともであり、字面だけ追っていると論理的にふるまっているように見えるので、論争相手が論破されて感情的になっていると思われてしまうのです。Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論でも、最初の「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない」という被依頼者の主張は攻撃的なレッテル張りですし、その論理も屈折していてわかりにくいことがAlice OPPさんをいら立たせてしまった原因だと思います。たしかに感情的になってしまった方が悪いと言ってしまえばそうですが、他人を不快にするような議論の展開をすることが責められないのはおかしいです。被依頼者にはよく反省していただきたいと思います。このようなやり方で論争相手に「勝利」しても、それは健全な合意とは言えません。--有足魚会話2016年10月24日 (月) 10:02 (UTC)[返信]

コメント へのいちと申します。

世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、並外れた洞察力をお持ちなのですが、とても謙虚な方で、ご自分の洞察力を過小評価しているのだと思います。つまり、自分が知っていたり気付いたりしたことは、他の方にとっても明白だろうと思うのでしょう。「そこを説明しないと通じないだろうな」ということを説明しないことがあると思います。今回のWikipedia‐ノート:中立的な観点についていえば、最初のコメントがそうでした。
Cray-Gさんは、Alice OPPさんが件の文面について「西洋から東洋を見下す表現になっているから改めよう」と主張するのを聞いて、じつは件の文面が逆に西洋人の視野の狭さを表すような表現になってしまっていることにAliceさんが気付いていないか、気づいているのにあえてそのことを隠しているのだ(少なくともそう見える)と思ったわけですから、まず初めに「実は件の文面は西洋人の視野の狭さを表すような表現になっている」ということを共通認識として持てるように、陽に指摘すればよかったのだと思います。Cray-Gさんは、そんなのはあたりまえのことだと感じたのか、その説明を省いてしまいました。そこから噛み合わないやり取りが始まってしまいました。
とはいえ、このようなことはいま振り返ってわかることで、対話の相手にどんな思い込みがあるのか、どんな説明が効果的かというのを短いやり取りの中で正確にとらえるのは難しいものですから、Cray-Gさんばかりを責められないですよね。また、Cray-Gさんのコメントにはたしかに長文が多いですが、百科事典を作ろうというウィキペディア参加者にとってみれば、読解が難しいというほどにはなっていないと思います。--へのいち会話2016年10月25日 (火) 12:01 (UTC)[返信]
続けてもう一点。Cray-Gさんがしばしば論点から外れて人格攻撃に及ぶという指摘がありますが、誤解だと思います。
例えば、「1+2=5である」という人がいたら嘘つきですが、「1+2=5だとすれば1+3=6である」という人がいても嘘つきということにはならないでしょう。そこには「1+2=5」だけでなく「1+3=6」などという嘘まで含まれているのに、です。
Cray-Gさんの発言の中には、そこだけ取り出すと人格攻撃のように見えるものがあるとは思いますが、冷静になって前後の文脈を読めば人格攻撃になってはいないと思えるものばかりではないでしょうか。--へのいち会話2016年10月25日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

コメント 私が被依頼者と関わったのはWikipedia‐ノート:中立的な観点のみですからその中での話ですが、被依頼者は少なくとも「無能」とは無縁の方です。同ページで議論のまとめを行う際にも非常にわかりやすいまとめを作ってくださいました。また、全言動が攻撃的なわけではなく、いわゆる愉快犯でもありません。
しかし、Wikipediaは共同作業で成り立つコミュニティですので、周囲の平均的な執筆者の力量や思考方法を推し量ることが出来ずに軋轢が生じるのは、このコミュニティにおいてはマイナスですし、被依頼者にとっても益が少ないでしょう。また、被依頼者は数度コメント依頼やブロック依頼が出され、言動に苦言を呈する利用者も多くおられます。もし被依頼者が「ブロック判定などではシロだが、出来れば関わりたくない人物」だという世評が定着してしまえば、被依頼者との議論を忌避する利用者が増え、被依頼者のWikipedia活動にも影響が出てきてしまうのではないか、と思います。--Susuka会話2016年10月25日 (火) 13:30 (UTC)[返信]

コメント 世界最狂の魔法使いCray-G様とは、何度か袖刷りあった者です。まず、暴言については、ブロック依頼でコメントした通りです。次に、依頼者や他の方のコメントにあるように、議論での御発言には難解な表現が多々あると思います。表現は人それぞれなので責めるつもりはありませんが、私のようなバカにも理解できるようにシンプルに仰って頂きたく思います。--JapaneseA会話2016年10月27日 (木) 05:53 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家における被依頼者の発言[11]については、大きな疑問を感じます。被依頼者は、利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録について、「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと大げさに擁護しています[12]。しかし、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などという、被依頼者なりのユーモア精神の発揮を狙った大言壮語的な演説については、なにも面白くありませんし、まったくなにが言いたいのかわかりません。被依頼者は、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について、間違った知識を持っているという自覚がないまま、何もかも知っていると思い込んで発言をされているとしか考えられません。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家で被依頼者が、「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[13]」と発言した直後に、JapaneseAさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/金融の専門家20160930を提出し、被依頼者とは正反対の認識による合意が形成され、金融の専門家さんが無期限ブロックとなりましたが、それでも、まったく本件問題は解決することなく、次々とソックパペットが作成されました。つい、数日前に、続々とソックパペットの実態が明らかとなっていき、今は、やっと、ノート:ヘッジファンドダイレクトの議論妨害が数日なくなったというところです。いよいよこれから、ノート:ヘッジファンドダイレクトノート:高岡壮一郎でまともな議論を再開しようとしているところであり、被依頼者は、いったいどんな根拠を提示して「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[14]」と発言されていたのか、いまだもって理解ができません。もちろん、前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」[15]という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。被依頼者は、議論が好きでコメント意欲の高い方だと思いますが、被依頼者のような発言をされる方がいると、ただでさえソックパペット対応で疲労しているシャム・パンナさんなどを、ますます疲弊させることにつながると思います。被依頼者は、その後、ソックパペットに対して不適切な発言を行って削除依頼に提出されましたが、結局、Wikipediaで言葉遊びを楽しんでいるだけなのでしょうか。被依頼者による、誤った問題認識によるコメント依頼での発言は、まったく問題解決に結びつかないと思いました。こんな発言を多数のノートで行っているとしたら、多くの利用者の疲弊を生むことにつながると思います。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 09:13 (UTC)[返信]

被依頼者のコメントを読み、大きな不快感を感じました。いったい、「腹切り」をなんだと思っているのでしょうか。また、被依頼者は、議論で対立した相手が全面的に悪いとしか思っていないということもわかりました。こんな認識しか持てないということであれば、今後、一切の議論には関わってもらいたくありません。Wikipediaと、「人類数千年の歴史[16]」、「共産主義[17]」、「腹切り」はなんの関係もありません。軽々しくそんな誇大表現を出して議論を茶化すのはやめてください。被依頼者なりのユーモアは、不快感しか生みません。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 09:40 (UTC)[返信]
コメント へのいちです。上にコメントした通り、Cray-Gさんのコメントは読解が難しいほどではないと思っているので、「なにが言いたいのかわかりません」と仰られると、放っておけません。
> 前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。
とありましたので、私が理解したところをご説明させていただこうと思います。
まず、はるみエリーさんは誤読しているのだと思いますが、Cray-Gさんは、初心者が井戸端で暴れまわることを指して「歴史の大前提」だと言っていたのではないでしょう。Cray-Gさんが「歴史の大前提」だといっていたのは、どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない、というようなことではないでしょうか。私は一読してそのように理解しました。確かに大げさな表現ではあると思いますし、「大前提」というのが何を指すのかはっきりとは書かれていませんが、文脈から論旨を推し量ればまあ理解できる範囲かと思います。「腹切り」については、確かに穏やかではないので他の言葉を選んだ方がよかったかとは思います。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
へのいちさん、解説ありがとうございます。
> どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない
このようなことを言いたかった可能性はあったと思います。ただし、その根拠を示すために、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと発言されたのかどうかについては、いまだに理解できません。おそらく、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について無知だから適当に凄そうな単語を並べただけなのだと考えて、自分を納得させています。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 12:40 (UTC)[返信]
へのいちです。ご返答いただきありがとうございます。私は私の読み取りで腑に落ちたということでしたが、どうにも意図が読み取れないようなときには訊き返してみればいいということですよね。初めからすべての人に誤解なく伝えるのは、そもそも誰にとっても難しいのですから。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)[返信]

被依頼者のコメントを読みました。自分の名前を挙げられたのでコメントしますが、残念ながら被依頼者の主張が本心からのものとは思えませんでした。なぜなら、被依頼者のAlice OPPさんへの態度は、自らの「勝利」を誇るものにしか見えなかったからです。要は自分の言い分が正しかったのだからAlice OPPさんが屈服したのだということですよね。しかもそれが「称賛される行為」とするのは意地の悪い皮肉のように思えます。このような態度は慎むべきです。--有足魚会話2016年11月4日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

  • コメント 被依頼者の発言は突っ込みどころだらけだと以前から感じていました。「腹切り」の話は、不謹慎にもほどがあり、いまだに不快感を払拭することはできません。
>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
これは、どういう意味で結婚式のケーキカットの話を出されているのでしょうか。議論と結婚式のケーキカットは、どちらも、「共同作業」だと言いたいのでしょうか? 果たして、2人の人生の幸福をともに切り開くという縁起を担ぐ儀式であるケーキカットと、他人の考えを批評したり自分の意見を主張する議論という行為が、同じような共同作業だと言えるでしょうか。結婚式でしか行わないケーキカットという儀式と、Wikipediaの記事をどうしようかという議論を、同じまな板の上に載せるという感覚について、共感できる人はほとんどいないのではないでしょうか。こういう不適切な発言を連発されると、発言される度に、こうやって議論の本題と関係ないところで突っ込んでいかないといけないので、どんどん脇道に逸れていくし余計に疲労感を感じるのだと思います。わざと茶化しているように見えますが、普通に発言して、こうなってしまうのでしょうか。そうであれば、求められてもいないのに、自発的に議論に関わるのは今後は遠慮してほしいです。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
へのいちです。「これは、どういう意味で」とのことなので、こちらにも私が理解したところを。
はるみエリーさんは、「議論」というものを「“他人の”考えを批評したり“自分の”意見を主張する」ものだというふうにとらえているのですね。Cray-Gさんは、まさにそのことについて、議論において取り扱われる考えや意見というものは“他人の”だとか“自分の”だとか属人的にとらえるものではなく、また、片方の側が一方的に批判したり主張するものでもなく、お互いに出し合ったいろいろな考えを、共同して批判的に検証し、参加者全体にとってより良い結論(妥協点になることもあるかも)を得るための共同作業だということを言っているのだと思います。まさに、二人で手を携えて幸福につながる道を切り拓くという比喩にふさわしくはないでしょうか。私はこの考えに共感します。私は一読してこのように理解したので、この比喩がふさわしいかどうか突っ込んでいったりする必要は感じませんでした。わき道にそれずに本論に集中できると思います。はるみエリーさんにとっては、共感できずに引っ掛かりを覚え、本論に集中できなくなるということですね。まあ、比喩というのは考え方の背景に共通点が多ければ伝わりやすいですが、そうでなければかえって伝わりにくいものですから、他人の使う比喩がわからないということもよくありますよね。そんなときには訊き返してみればいいということだと思います。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者は、議論に比喩を用いるきらいがあり、この比喩が原因で議論が錯綜し、結論への経路が複雑になってしまうと思われます。上記で「共同作業」の解釈について議論になったのもその一例でしょう。Wikipediaの編集は原則ユーザーの任意で成り立っているのですから、議論が不必要に複雑化するのは望ましくありません(議論への参加は義務でもなんでもないので、敬遠されかねません)。被依頼者に限らず、議論は正確な、しかし簡潔な表現を心がけるべきです。--Susuka会話2016年11月4日 (金) 14:36 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の発言の比喩は表現的に正直好ましくないものもあります。長文が多い点だけでなく,不適切に受け取られかねない発言(不適切な発言も含む)についても以前のブロック依頼の際にも様々な人から苦言が呈されたことは被依頼者本人は重々承知のはず(逆に言えば,そういうことが再発したら今度は後は無い立場だというのもわかっているはず)。なのに,なんで腹切ったとかそういう言い回しを使うんですかね? 少なくとも被依頼者は対話のためのエネルギーはかなり使わされる利用者だとは思います(ぶっちゃけ消耗させられたのでは? という指摘もあながち間違いではないでしょう)。最近は以前に比べれば長文は控えめになった感じはしますが,それでもまだまだ多いです。被依頼者は長文を読まされる立場のことをあんまり考えてないんでしょうかね。長文が続けば読み解くだけでも結構エネルギーをかけなければなりませんし,比喩や婉曲的な表現があればさらに読み解くのにエネルギーをかけなければなりません。もっと簡潔明瞭な文章を書いていただいて,読み手側の負担を減らしてほしいです(それと挑発的な文言や婉曲的な言い回し・解釈に戸惑う比喩など余計な言動は不要です)。あと,不適切な発言(もしくはそう受け取られかねない発言)は議論を合意から遠ざけるだけなので控えてほしいです。--かげろん会話2016年11月4日 (金) 15:38 (UTC)[返信]
  • コメント長文が読みにくいとは言いませんが、余分な比喩で膨らませるのは止めた方がいいのでは。比喩があった方が分かりやすいのではないか、という善意からだとは思いますが、多々指摘されているようにその比喩自体が難解、あるいはその比喩を読み解くのに必要な前提が共有されていないせいで話が横道に逸れるのは被依頼者にも、当然議論相手にも良いことではないでしょう。他方、分かりにくいって言う人は「これはこういう意味?」って聞けばいいだけじゃないですかね。そこら辺の手間惜しむこともないんじゃないかなと。
ただ、十分な社会経験おありの方に対して釈迦に説法かもしれませんが、一読して理解できないような、あるいは誤読されるような、あるいは本旨以外が多く要点がぼけるようなプレゼンは、大体却下されるものだと自戒を込めて付言します。--126.0.234.196 2016年11月5日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
追記。被依頼者は比喩のセンスがないと思います。センスと言っても2種類あって、一つは①その比喩が対象とする状況をちゃんと表現しているかという点、もう一つは②その比喩を用いることが自分の伝えたいことを伝えるのに適切であるかという点。①の意味では問題ないと思っています。善意をもって読解する限りにおいて被依頼者の言いたいことは(それなりの労力を要し、かつその労力を強いているという認識はして頂きたいですが)理解できますし、その比喩の意図しているところも理解できます。しかしながら②の意味では完全にナンセンスです。切腹などという言葉を使わずとも「過度な責任感からその必要はないのに議論から撤退した」と言えば済むだけの話。共産主義云々を言わずとも「後続の言辞にそこまで目くじら立てるつもりはない」と言えばいいだけの話。それを余計な比喩で飾り立てるから、その不適切な比喩自体に引っ張られて健全な議論ができないのは、誰に取っても良いことではないです。上記の理由から私は被依頼者の比喩は「不適切」で「センスがない」と思います。しかし、はるみエリー氏の難詰は余りにも悪意に取りすぎでしょう。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 11:43 (UTC)[返信]
この比喩」については、人によって受ける印象が大きく異なるのは容易に想像できることであり、強い嫌悪感を感じる人はいるでしょう。その点については、はるみエリー氏が悪意にとっていると非難する理由にはならないと思われます(はるみエリー氏は女性であると思いますが、女性のほうがショッキングに感じやすいのではと)。被依頼者の突飛なコメントは、議場を攪乱し、翻弄して疲弊させることにより、「そこまで言うことはないんじゃないか」と逆に被依頼者に擁護する人が出るのを狙う効果も見込んでいると考えられます。結局、以前から指摘されている通り、被依頼者とまともな議論を交わすことは不可能だということですね。「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」を駆使して論争相手を圧迫する(有足魚氏発言より)ことを、やめるつもりはないのですから。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 12:44 (UTC)[返信]
被依頼者へのコメントではなく本題からずれるため寸評は控えますが、私のコメントにレスがついている形ですので一言だけ。第一文「のみ、限定で」賛同致します。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
ブロック依頼提出ですか。そこまでして急ぐ逼迫した問題があるわけでもないと思いますが、まあいいです。
被依頼者の追加コメント及びノートでのやりとりを見る限り、被依頼者に「理解」してもらおうというのがアプローチとして間違っているのではないかと思っています。本コメント依頼で方々から指摘された問題点を解消するための「行動」として以下の努力の必要性を認めるか認めないか、質問させて下さい(そこまでの強制をする権限は誰にもありませんので、確約してくれとは言いません。)
①長文は控える。極端な話、3行程度に要約する。十分な内容を伝えるために長文化するのは仕方ないと思われるでしょうが、端的に制限をかけた方が改善されたことが分かりやすいでしょう。重要な点に限って要約することで、下記の点にもメリットがあると思います(言わずもがなですが、要約するというのは分かりやすい言葉で端的に伝えることであって、単純に言いたいことを短縮して理解困難な文章を作ることではないです。念のため)。
②不要な比喩は控え、直截的な発言を心がける。ただし被依頼者の判断基準自体が疑われている状況ですので、「必要」ではなく「説明上比喩を用いることが不可欠」なレベルまで控えて頂きたい。
③文脈から切り離して発言単独で悪意に取られかねない、または好印象を与えない言葉を採用しない。具体的には今回の「切腹」やそれ以外の皮肉に「取られかねない」発言の全て。被依頼者が皮肉を込めたかどうかに関わらず、皮肉に取られかねない発言になってないか、投稿前に一度と言わず二度三度、場合によっては時間を空けて読み直して下さい。
ブロック依頼でも改善が見られれば解除して良い、という意見が見られますので、ブロック依頼の行先に関わらず有用であると思い提案させて頂きました。これらに対して必要性を認められない、有効だとは思わないと仰るのであれば、まあ読み捨てて下さい。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
  • コメント 大変残念ではありますが、被依頼者は不適切な比喩についての多数の忌憚なき意見に耳を傾けることもないまま、不適切な比喩を撤回する意向もなく、いつまでも納得しないで自分が正しいと主張を重ねるだけです。さらに言えば、被依頼者は、自身の無知に帰因する不適切な比喩であることを認めないまま、逆に相手を見下し非論理的な演説をする始末です。こういう議論態度のどこが共同作業なのでしょうか。これ以上議論を重ねても被依頼者に改善の兆しが見られるとは思えません。「これはどういう意味ですか?」と聞き返した後、こんな議論をノートで延々と続けるなどは無駄に消耗するだけです。被依頼者は、コミュニティを消耗させる利用者であると判断せざるをえません。被依頼者による不適切な比喩の使用が継続する可能性がある限り、今後、被依頼者により疲弊させられる利用者が出ることのないよう、予防措置をとる必要があると思います。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:25 (UTC)[返信]

コメント 最近あったヘッジファンドダイレクト高岡壮一郎がらみの論争に関わっていたので、僭越ながらコメント申し上げます……m(_ _)m。

「これは人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い……」という比喩が登場した書き込みでは、

  • そしてwikipediaの認める、即ち目的に沿った行動の範囲内で行なわれている限り、「目的外利用」ではあり得ません。それはそれを逸脱した時に発生する事件なのであり、「きっといつか逸脱するに違いない」という「思い込み」で断ずるべきものではない、という話です。

と発言されています。上述の記事の論戦は2016年3月頃から始まっており、宣伝的な記述を書き込んだり否定的な記述を除去しようとする勢力だけなく、出典のない否定的な記述を書き込もうという勢力がいました(書き込みの例)。そして、実際に無期限ブロックを受けた利用者がいました。そこで思い出されるのがType casketos様です。この方は社会正義や業界人としての矜持として本件に関わられたような感じの方でしたが、結局ヘッジファンドダイレクト関連の活動実績しかなく、ある意味では目的外利用と言われても仕方ない状況だったと考えられます。ですが結局ブロックされずに今に至っており、これは世界最狂の魔法使いCray-G様が述べたことに基づいているのだと思います。「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という比喩については、当初理解に苦しみましたし、共産主義を持ち出すことに不快感を示す方がでかねない発言てはありますが、前後の流れでニュアンスはだいたい受け止められました。

なお、#被依頼者のコメントにある

  • 「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。

あたりの書き込みについては、「腹を切った」が人によっては不快を持つ表現だったとはいえ、世界最狂の魔法使いCray-G様が抱いた認識と伝えたかったニュアンスがそれ程悪いとは思えません。Alice OPP様はWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で多くの編集者の方々から非難されており、散々な状況でブロック依頼を取り下げています(取り下げと謝罪)。鬼の首を取ったように依頼を出しものの、結局は自身が批判を受けるという例は多く、もっとひどい言われ方をしてもおかしくないケースでしょう。それに対して世界最狂の魔法使いCray-G様は「武士の情け」をかけたようなコメントをしたと思いますし、コメントする頻度が控えめなのも、感情的にならないよう配慮されてのものだと考えられます。

また、

  • 結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。

についても、へのいち様同様、自分も共感を覚えます。具体的な事例をあげると、自分が立項した記事のノートで指摘を受けたことがありますが、この時は双方冷静にやり取りをし、当初の版からこちらの版のようになりました。せっかく書いた記述が削減されてしまいましたが、結果的にすっきりして読みやすくなったと思い、指摘いただいた方に感謝した次第です。

なお、今年京都賞を受賞された金出武雄先生は、著書の中で「例え」と「例」は違うということを強調されていました。「たとえ(比喩)」は誤解や正しく伝わらないことが多く、具体的な「例題」を3つぐらい伝えるのが好ましいということだったと記憶しています(違っていたら申し訳ありません……)。世界最狂の魔法使いCray-G様は頭の切れる方だと思いますので、曖昧な比喩ではなく、歴史的な故事や過去のWikipediaの議論を踏まえて意見を伝えられると良いのかもしれません。

あとあえて被依頼者にならって例えさせていただくと、世界最狂の魔法使いCray-G様は鏡のようで、自身に攻撃的なところや至らない点があると、それが映し出されたり跳ね返ってくる方なのかもしれません。また、背景や考え方の違う人間や家が一緒になるということで、Wikipediaでの活動は結婚式の準備に例えることができると思いました。正論だけれども感情を考慮せずに意見を言うだけで、式場との調整なども相手に任せてしまうような人、もしくは当事者の感情を無視して家の都合を押し付ける親、のような存在になってしまうと、相手を怒らせてしまうでしょうし、三行半を突き付けられてしまうのかもしれません……。--Assemblykinematics会話2016年11月7日 (月) 09:18 (UTC)[返信]

Vigorous actionさんのコメント依頼における発言を見ると、やはりどこか通常の利用者とは違う観点をお持ちであり、その思想信条を強くもったままWikipesiaに参加されているなとは思いました。多くの人に挑発や婉曲的な言い回しや、他人を揶揄する悪癖があると捉えられていても、根本的には直そうとはされていないように見えます。どの程度コミュニティを疲弊させているか、その影響の度合いはともかくとして、おそらくこのまま最後までいってしまうのではないかなという印象を受けました。ご自身では問題を問題と捉えられていないことが一番の問題であると思います。標準空間の編集が極端に少ない方ですので、かち合わない人は全く無縁で済むのかもしれませんが。--Aiwokusai会話2016年11月7日 (月) 09:41 (UTC)[返信]

被依頼者の問題としてすでに「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」などが挙げられていますが、それら自体は直ちに大きな問題ではないと思います。しかし被依頼者は、それらすべてを駆使して論争相手を圧迫しており、それが非常に問題なのです。論争相手が疲弊して議論から去っても、自身が正しかったからで、合意形成のための努力をした結果だという態度であり、善意に取れば被依頼者は自分のしていることに無自覚なのでしょう。--有足魚会話2016年11月7日 (月) 10:03 (UTC)[返信]

返信があったのでコメントします。被依頼者により、自分はそういう意味で比喩を用いたのではないという水掛け論が継続されており、「「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?[18]」などという発言が見られたことで、被依頼者は、自身の問題点に無自覚であることが改めて確認されました。被依頼者が、不適切な比喩を立て続けに発言したせいで水掛け論が勃発しているのです。被依頼者には、自身に反論してくる人には意味不明な比喩を持ち出した後に水掛け論を持ち出してうやむやにし、途中でなにかきれい事や正論を主張に混ぜることで自分の非を認めずにやり過ごすという一種の議論慣れ、みたいなものが見られると思います。結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」というそれだけのことだったと判断します。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 10:59 (UTC)[返信]

被依頼者コメントに返信するようなかたちでやむなく、再び新たな不適切な比喩の話についてコメントせざるをえませんでしたが、私にとっても、もともと不本意であったために、上記の一部コメントをノートに移動します。なお、私自身にとくに、落ち着きの点で問題は発生していません。被依頼者側にはその点においても問題の発生が見られると判断します。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:54 (UTC)[返信]
少し落ち着かれてはいかがでしょうか。被依頼者の不適切な比喩は問題ではありますが、それは表現の問題にすぎず、明らかな方針違反とは言えないものです(明らかな暴言であれば表現自体が大きな問題になりますが、この件ではそうではないです)。現にこのコメント依頼に寄せられたコメントでも、被依頼者の問題についての指摘がありますが、深刻にとらえている人は大勢とはいいがたいです。自分は深刻にとらえていますが、その理由は[19]ですでに述べたとおりです。これ以上比喩の話を続けても実りはないのではないでしょうか。--有足魚会話2016年11月7日 (月) 11:14 (UTC)[返信]
  • コメント 私も、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」と思います(本ページのノートにおける議論も詳しく読解する気はありません)。であればこそ被依頼者には、今後は議論が脇道に逸れかねないような不必要な比喩を避けていただきたいと考えます。--Susuka会話2016年11月7日 (月) 11:24 (UTC)[返信]
結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」ということを述べており、比喩だけを取り上げてはいません。被依頼者の「腹切り」の比喩については、方針がどうのという以前に不謹慎極まりない発言であり、撤回して謝罪すべきであるという意見は変えません。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:40 (UTC)[返信]

言わずもがなであると思い発言していませんでしたが、はっきり言わないと被依頼者には通じない可能性があるので、追記します。はるみエリーは、「百科事典づくりが共同作業である」ことを否定する発言を行っていません。したがって、被依頼者による「はるみエリーが百科事典づくりが共同作業であることを否定している」ことを前提とした誹謗は、前提が間違っているため論理破綻しています。言い換えると、嘘を前提として攻撃している、といっても過言ではありません。このような根拠なき批判は、Alice OPPさんへの行為と同様に、Wikipedia:個人攻撃はしないに該当します。さらに、ぽてからさんについても同様に批判されていますが、これこそでっち上げ以外のなにものでもなく、完全にWikipedia:個人攻撃はしないに該当します。被依頼者の問題点が「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」の駆使により議論で相手を疲弊させ、それを合意形成のための努力をした結果だとアピールするのみにとどまらず、複数の人物に対して、でっち上げを前提として個人攻撃を行うということも今回確認できたと思っています。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 14:27 (UTC)[返信]

  • コメント被依頼者については思うところが二点ございます。まず一つ目は「長い文をだらだらといくつも投下し続ける」、二点目は「他人とコミュニケーションを取るのが第一目的で、議論に結論を出す事や記事の改善は二の次のように見える」ところです。
一つ目の長文癖について。私もよく長いコメントを投下します。このコメントも長くてごめんなさい。ただ普通は長文投下したらしばらく黙るんですよ。自分だったら一つの議論に1~2つ長文投下したらもう黙ります。でも被依頼者は数千バイトレベルのコメントを何個も投下し続けるんですよね。一つのコメントに言いたい事を凝縮する努力を放棄してダラダラと連日書き殴る。こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。私はそういう人達を「連日長文投下マン」と名付けているのですが、その中でも被依頼者は際立つ強さを感じます。
二点目についてはより性質が悪いと思います。自分が書いたコメントに誰かが反応するのが楽しくってしょうがないから、被依頼者は議論を短くさっさと終結させようという気が無いんですよ。10万バイトかけるより1万バイトで結論が出た方が普通は良いじゃないですか。そういう感覚が無いんでしょうね。これが長文癖の諸悪の根源でもあります。これはもう治らないでしょうね。
被依頼者と直接関わりがあり、被依頼者への印象が決定的に悪くなった事例としてWikipedia:コメント依頼/金融の専門家をあげます。リアルタイムで見ていた人なら賛同していただけるかと思うんですが、被依頼者のせいで超がつくほど問題のある目的外利用者へのブロックが遅れて被害が拡大しています。利用者:金融の専門家と自己満足を満たすだけのしょーもない長文コメントのやり取りを連日続けて普通の人の議論参加を遠ざけ、突如「問題は解決した」などと宣言して幕引きを図ろうとしました。解決なんてしていないと異議が出ると屁理屈を並べ立て、他の場所へと移ってまた別の議論に精を出し始めたようです。肝心のヘッジファンドダイレクトでの記事改善には関わらず消えてしまい、自分を含めて関わっていた人達はソックパペット群の矢面に立ってボロクソに言われる始末です。そういう泥臭い作業はせずにコメント依頼で言いたい事だけ言って飽きたらさっさと去って行くのはどうなんでしょう。この人は殿様か何かなんでしょうか。
企業への暴言を吐いて削除されるなど他にも色々と言いたい事はあるのですが長くなったのでそろそろまとめます。「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり」という依頼者からの評はこれ以上無いぐらい的を射てますね。絶対に一緒の場にいたくない人です。ただし現在出されているブロック依頼に賛成するかというと、うーん…。この人は記事名前空間に関わる議論にはそれほど顔を出さないですしみんなでスルーしちゃえばそんなに害は無いんですよ。スルーできない他の人もどうかと思います。最後に一言、上の方で活発に行われている比喩表現云々については端的に申し上げてどうでもいい瑣末な問題じゃないですか。そういう本質じゃないところを突こうとするから、いつも問題がぼやけるんじゃないですか。ケーキカットの比喩の件を槍玉にあげればあげるほど「そんなしょーもないことどうでもいい」とブロック依頼で反対票が積み上がるでしょう。--むよむよ会話2016年11月8日 (火) 08:10 (UTC)[返信]

コメント 多くの場足、すべての問題ですべての利用者の見解が一致するということは期待できなくて、意見が異なる人たちが出現することは大前提としてあって(そもそもそうでなければ議論がスタートしない)、その人たちが意見交換をして妥協点を探って合意を目指すという場合には、被依頼者のように一つ一つロジックをオープンにするようなやりかたはとても建設的です。被依頼者のやり方は、異なる意見を持っている人同士がお互いの妥協点を探るために不可欠なステップだと思いますが、残念ながら、被依頼者の相手方は「妥協点を探る」のではなく「自分の意見を押し通す」ことを目的に行動しており、そのために1つ1つ順番に確認していくような手法が嫌なんでしょう。そういう堅実な手法に対抗するために、言葉の端々を切り取って、本筋とは離れたところでやり玉にあげるというテクニックが使われているように見えます。

  • 被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。過去のコメント依頼でも指摘されているように(Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606参照)、被依頼者の発言は、丁寧に一つ一つ順を追って説明した結果、それなりのボリュームになります。そのこと自体にはまったく何の問題もありません。それを長いとか妨害とか言っている側に、それだけ順を追って説明しなければならないような論理の飛躍があるのでしょう。お互いが、一つ一つの前提をしっかり確認しながら対話することで、主張の相違点を明確にしたり、妥協点を模索することが可能になります。それを拒むのは、理屈なんかどうでもいいから俺の言うとおりにせい、というに等しいです。長くて読むのがしんどいなら、じっくり時間をかけて読めばよろしい。途中で理解できなかったなら、ここのところが理解できなかったといえばよろしい。
  • たとえば、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったと考えます。あれをしっかり読んで理解することができなかった側に問題があるでしょう。まあ、状況からして、相手側が丁寧な長文を落ち着いて冷静にしっかり読んで理解して鎮静に至る、というのはいかにも期待できなさそうであり、手っ取り早くぶん殴って黙らせる、という手法のほうが効率が良いというのはあるでしょうね。目的が善であれば手段は乱暴でもいいと考えるか、それはあかんとするのか、本音と建前で悩ましい部分ではありますけれど、まあ少なくとも「ちゃんと説明して助け舟も出したからね」っていう地盤を固める効果はあったと思います。そこらへんに関連してすごくどうでもいいことで、ちょっとあげ足を取るならば、アカウントと署名のことを指摘できるだろうと思います。井戸端で「アカウント名と署名が違うのはいかがなものか」という話題に対して被依頼者は反応してらっしゃいましたけども、被依頼者が「金融の専門家」氏に対して、貴殿のアカウント名には問題を引きこおこす要因がある、と指摘しています。それはまさに指摘通りでありますが、それは被依頼者にも同じようなことが言えて、「最狂」とか「クレイジー」とかいう表現が、いかにも私は荒らしに来てるんですよという印象や先入観を与えます。(以前のコメント依頼で、ギャップ狙いなのかも、といいましたけどね。)被依頼者風の皮肉やユーモアと受け取ってほしいのですが、『ワイマールのロッテ』に「初対面の人にユーモアのセンスがあることを前提にするのはどうかと思います」っていうセリフがあって(これはロッテの娘が、ゲーテに再会する前のロッテに向かって言うセリフなんですけど)、要するに、被依頼者がロジックの箸休めにニヤリとするような小ネタを挿入しても、相手には通じんときは通じんし、むしろ逆効果だったりするということです。
  • トラブルの舞台がちょいちょいWikipedia:論争のある記事だったりして、私から見ると、そんなところに首を突っ込むと何をどうしたって問題がこじれて脱線して話の枝葉や言葉遣いでもめたあげく、コメント依頼だ、ブロック依頼だのにこじらせて、いつも似たような顔ぶれでもめているという印象です。そういうところに首を突っ込むとそうなる、ってとこですねえ。
  • なかには、三段以上のロジックがあると考えるのをやめてしまう人たちがいて、その人たちのためにちょいちょい「比喩」が登場しており、それがかえって彼らを苛つかせているという面はあります。私から見ると、それは考えるのをやめた側が悪いのですが、帰結として苛ついた人々がコメント依頼やブロック依頼という実力行使で押しとおろうとすることになっており、その点では「比喩」は被依頼者さんの思うような効果はあげていないですねえ。「赤い」を説明しようとして血を例示したら不吉だと批難されたあげく、トカゲの血は青なんですけど?とか言われる、みたいな。
  • というわけで「ブロック依頼」には反対票を投じました。ただまあそうはいっても、こうしばしば「長文」がトラブルを招いているのであれば、被依頼者さんの側でも、いくらか対策を講じたほうがいいかもしれませんね。私個人は被依頼者さんの「長文」は全く問題じゃないと思っていますけれど、問題だという人が少なからずいて、そのせいで論争がおかしな方向に暴走してしまうことがちょいちょいあるのであれば、やっぱりなにか手を打ったほうが賢明だとは思います。あまり賢そうな感じには見えないかもしれないし、もしかすると余計に馬鹿にしていると受け取られるかもしれないけれど、「A=B、B=C、C=D、D=E、E=F、F=GなのでA=Gです」というのではなく、「A=Bという点には同意できますか?」とかって刻んでいくとかね。少なくとも長文は回避できますが、相手方が「だから何だというんだ、今はGの話をしてるんだ」といいそうですけどね。--柒月例祭会話2016年11月8日 (火) 12:51 (UTC)[返信]
  • コメント 「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事??? 耳を疑います。柒月例祭氏は議論のための議論を奨励する立場なのでしょうけど、ウィキペディアは議論するための場ではなく百科事典をつくる場です。「金融の専門家」をのさばらせておくことが最も害が大きく、それを阻止することが求められていたのです。ウィキペディアは、議論のための議論を継続して自己恍惚感に浸る場ではないということを、依頼対象者(と柒月例祭氏)は理解されていない、ということが問題点の自覚を妨げていると言えましょう。
三段以上のロジック??? これも耳を疑います。「腹切り」「ケーキカット」などという突飛な比喩の使用にはなんの論理もありません。「wikipediaを編纂することが共同作業」という方針持ち出しは意図不明すぎです。それについては、ぽてから氏の指摘
>世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある
のひと言で言い尽くされています。論理性が完全に欠如しているのは明らかであり、どう擁護しようとしても無理でしょうさすがに。「長文」だけがトラブルを招いているというわけではないので、問題を矮小化しないでください。
ガチガチの理系なんで雰囲気とか言われても難しいのですが」などという論理的に成り立たない言い訳を続けていますが、どうして、こんな子どものような稚拙な言い訳が「筋が通っている」「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」」となるのでしょうか? ガチガチの理系でコミュニケーション能力の高い研究者は世界中にごまんといるのに、理系=雰囲気が察知できない、という決めつけが筋が通っているとは考えがたいものがあります。むよむよ氏はべつに「異様な雰囲気」を察知して欲しいと言ってるわけでもないでしょうに。被依頼者には、対話相手の発言をストレートに理解するというところから、つまり、アウトプットのみならずインプットの段階で問題があります。--106.154.92.202 2016年11月8日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
流石に余りに酷いので一言。御自分の引用された文章くらいちゃんと理解して使って下さい。「非常に理屈っぽいが、常に論理的というわけでもなく」というのは通常の日本語では「論理的であるときもあるがないこともある」と読むべきです。その文を引用しつつ次の文で「論理性が”完全に”欠如しているのは明らか」と言ってしまうのは、それこそ「完全に」論理的ではありません。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

コメント 「被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。」という柒月例祭氏のコメントについてですが、「ただ単に長いというだけの理由」で読みもしないとか理解しようとしていない人とは、具体的にどなたをさしておられるのでしょうか。

どうも、被依頼者を擁護したいあまりに、感情的に「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」と発言しておられると拝見いたしましたが、なぜ、被依頼者に問題が無いのかという肝心の論理的説明はなされていません(問題ない、と感情的に繰り返されているだけです)。被依頼者のコメントは、三段論法にも演繹法にも帰納法にも頭括型・尾括型・双括型のいずれにも該当せず、論理的な形態を逸脱しているということだけは、はっきりと断言できます。度々引用されていますが、ぽてから氏による、

>世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある

というコメントは実に的を射ているものであり、被依頼者のコメントは、論理性が著しく欠如している場合が多いということは否定しようのない厳然たる事実です。論理展開としては、詭弁に近い展開を用いておられます。たとえ多少長文ではあっても、むよむよ氏のコメントは詭弁ではありませんので理解が容易です。古い利用者ですから、これまでいろいろあったでしょうし、感情的になられる気持ちも察せられますが、事実と異なるコメントをしてまで擁護に終始することで事態が改善に向かうことはあり得ないと考えます。被依頼者のような能力のある方が今後ウィキペディアでご活躍いただくためにも、実際には誤りである論理展開が用いられていることをご自覚いただき、被依頼者が関わると必ず議論が紛糾するような事態とならないよう、今後は発言の際ロジックには最新の注意を払っていただくよう説得されるべきであると考えております。--Husa会話2016年11月8日 (火) 15:17 (UTC)[返信]

コメント  ノート:ヘッジファンドダイレクトにおける被依頼者の以下の発言は、詭弁に類するものであり、ロジックが存在していません。以下の被依頼者の発言を拝見し、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったとする、柒月例祭氏の発言は完全に誤りであると認識いたしました。被依頼者のこの発言は議論の攪乱にしかなっていないものと考えます。 (以下、被依頼者の発言をノート:ヘッジファンドダイレクトのこの発言から引用)

  • そしてウィキメディア・プロジェクトは広告収入を避ける為に寄付を募っていますが、これが昨年だけで七千万㌦(㌦100円換算で七十億円)にまで昇っています。何の為にそんなに資産を投じているのでしょうか。圧倒的大多数のウィキペディアンが広告にアレルギーを持っているのです。
  • 良くても「とりあえずJapaneseA氏の内容にしておいて、その後は改めて合意形成が出来たらそれに差し替える」という形の表明が何件かある程度で、下手をすれば「議論は長いし何だかよくわかんないけど宣伝っぽいよね」で満場一致です。
  • これは進言なんだか入れ知恵なんだかわかりませんが、本件では一旦受け入れておいて、先に投資顧問業者のプロジェクトだか何だかを立ち上げ、特筆性が認められる投資顧問業者のページをジャンジャンと「Wikipedia:スタブにならないように注意して」立項し実績を作れば、色々と主張の根拠に説得力が得られるものと考えます。
  • 現時点では「何でヘッジファンドダイレクトだけ?」という単純な疑問に「素人目にもわかる説得力」を持って答えられません。なのに投票とか自滅行為です。

上記発言は、議論を無駄に長文にしただけでノート:ヘッジファンドダイレクトにおいては不要な見解であり、かつ、詭弁が含まれています。最大限善意に解釈しても、「説明が見事」と評価するのは不可能です。さらにいっそうまずいことに、被依頼者の対応が、ソックパペットによる被害を拡大させる効果を発揮したと考えられます。このような詭弁を駆使してソックパペットによる荒らし行為を助長されたことについて、被依頼者はなにひとつ問題を認識されていません。すでに2015年のWikipedia:コメント依頼/Maddestmagicianで「Maddestmagicianさんの巨大バイト数におよぶ、個人攻撃・虚飾表現・脱線が多分に含まれる編集行為」が指摘されています。しかし、結局、この時点から変わらず問題の多い編集行為を継続されていることが、金融の専門家氏とのコメント一つを拝見しただけでも容易に理解できるものであります。被依頼者は昔から活動されている方なので知己が多いという事情があるのは理解していますが、だからといって、事実を無視してまでも、ほとんど全く問題がない、などのひと言で片付けられる段階ではもはやありません。被依頼者を過度に批判するつもりはありませんが、問題が継続していることを否定するのは不可能です。ノートでの議論において、ウィキメディア・プロジェクトへの批判を展開される等の編集行為が、被依頼者が理想とされる「共同作業」であったり、「議論」であったりするというのでしょうか。実際の行動と発言に乖離が認められ、他人には理詰めで追及される一方、自分の発言の論理展開は詭弁を用いられるなどは、随分と自分に甘くはありませんか。自らの議論姿勢について反省を求める次第です。--Husa会話2016年11月8日 (火) 18:43 (UTC)[返信]

被依頼者が、「挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている」と主張していますが、これは嘘です。そもそも、詭弁とは説得を目的として行われることが前提であり、Husaさんは説得目的であることを見落としていることは上記発言から証明できません。また、詭弁(「主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論」)は、読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません(上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である、という主張も嘘ということになります)。「実際には誤りである論理展開」は誰から見ても誤っています。被依頼者は、「詭弁を用いて説得を続ける」行為を継続されていますが、これは、決して「共同作業」ではありません。ノートにおいても詭弁を用いた説得を続けています。対話相手に詭弁を用いることは議論における裏切り行為ともいえ、いつまでも納得しなければ、コミュニティを消耗させる効果しかありません。--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 04:24 (UTC)[返信]

まとめ

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161108を提出しました。--ぽてから会話2016年11月8日 (火) 03:09 (UTC)[返信]

提出後に長文コメントが投稿されましたが、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」という意見に賛同し、将来的な消耗を避けられる状況には至っていないと判断したことを付記します。--ぽてから会話2016年11月8日 (火) 03:48 (UTC)[返信]