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'''後藤 浩輝'''(ごとう ひろき、[[1974年]][[3月19日]]<ref name=jranakayama>{{Cite web|date=|url=http://www.jra.go.jp/news/201503/032804.html|title=後藤 浩輝騎手メモリアルセレモニーについて【中山競馬場】|publisher=JRA|accessdate=2015-06-05}}</ref> - [[2015年]][[2月27日]]<ref>[http://jra.jp/news/201502/022703.html 訃報 後藤 浩輝騎手 逝去:JRA]</ref>)は、[[日本中央競馬会]](JRA)[[美浦トレーニングセンター]]に所属していた元[[騎手]]である。 |
'''後藤 浩輝'''(ごとう ひろき、[[1974年]][[3月19日]]<ref name=jranakayama>{{Cite web|date=|url=http://www.jra.go.jp/news/201503/032804.html|title=後藤 浩輝騎手メモリアルセレモニーについて【中山競馬場】|publisher=JRA|accessdate=2015-06-05}}</ref> - [[2015年]][[2月27日]]<ref>[http://jra.jp/news/201502/022703.html 訃報 後藤 浩輝騎手 逝去:JRA]</ref>)は、[[日本中央競馬会]](JRA)[[美浦トレーニングセンター]]に所属していた元[[騎手]]である。 |
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テレビでの芸能活動のため[[オスカープロモーション]]にも所属していた<ref>芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも[[武幸四郎]]や[[田中勝春]]らが[[シンクバンク]]に、[[藤田菜七子]]が[[ホリプロ]]に在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。</ref>。死去時の妻は[[タレント]]の[[湯原麻利絵]]<ref>[http://www.sanspo.com/keiba/news/100511/kba1005110433002-n1.htm 後藤騎手結婚、都内で結婚披露パーティー] サンケイスポーツ 2010年5月11日閲覧</ref>。 |
テレビでの芸能活動のため[[オスカープロモーション]]にも所属していた<ref>{{Cite web|date=|url=https://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%B5%A9%E8%BC%9D-192066|title=後藤浩輝(ごとうひろき)とは - コトバンク|publisher=コトバンク|accessdate=2016-04-21}}</ref><ref group="注">芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも[[武幸四郎]]や[[田中勝春]]らが[[シンクバンク]]に、[[藤田菜七子]]が[[ホリプロ]]に在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。</ref>。死去時の妻は[[タレント]]の[[湯原麻利絵]]<ref>[http://www.sanspo.com/keiba/news/100511/kba1005110433002-n1.htm 後藤騎手結婚、都内で結婚披露パーティー] サンケイスポーツ 2010年5月11日閲覧</ref>。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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=== デビュー前 === |
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少年時代に[[空手]]や[[体操]]を習っていて<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、16頁</ref>、のちにそれらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。[[相模原市立清新中学校]]卒業<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.sagamihara-kng.ed.jp/kouminkan/seishin-k/chiiki_rekisi/06_seisin_tyuu/06_seisn_tyuu.html|title=清新中学校の誕生から現在まで|publisher=相模原市教育委員会|accessdate=2016-04-21}}</ref>。 |
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母はいわゆる「手に職をつけるべき」という考えをもっており、後藤自身もサラリーマンにはなる気はなかったと述べている<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、21頁</ref>。進路を考え始めたときの後藤の考えは自分が好きであった料理を生かしてのフランス料理のコックになることであったが、それを伝えると母はたまたま過去に見ていた[[競馬学校]]のドキュメンタリー番組を見ていたことから競馬の道に進むことを薦める<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、22-24頁</ref>。しかし競馬の知識や興味もなかったがとりあえず、高校や専門学校の試験の前に不合格でもいいから受験することとなり見事合格することになる<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、24-29頁</ref>。競馬学校に入るまで乗馬経験もなかった後藤は落馬回数がトップになるほど一番下手であったと述べている<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、33頁</ref>。そうしたなか[[スティーブ・コーゼン]]のビデオを見たことで「惚れた」と称するほど感銘を受け、意識や取り組みが変わったという<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、34-37頁</ref>。 |
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[[1992年]]2月、競馬学校を卒業<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、39頁</ref>。 |
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=== デビューからクラシックレース制覇まで === |
=== デビューからクラシックレース制覇まで === |
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[[1992年]]に美浦の[[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]]厩舎所属として騎手デビュー<ref name=gotoh>{{Cite web|date=|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/race/horse/371788/|title=JRA後藤浩輝騎手が自殺|publisher=東スポ|accessdate=2015-06-05}}</ref>。初騎乗は1992年[[3月1日]]、[[中山競馬場|中山競馬]]第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった。初勝利は同年[[4月4日]]の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった<ref name=jranakayama/>。 |
[[1992年]]に美浦の[[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]]厩舎所属として騎手デビュー<ref name=gotoh>{{Cite web|date=|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/race/horse/371788/|title=JRA後藤浩輝騎手が自殺|publisher=東スポ|accessdate=2015-06-05}}</ref>。同期に[[小林淳一]]や[[横山義行]]などがいる<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jra.go.jp/school/about/student.html|title=騎手課程卒業者名簿|publisher=JRA|accessdate=2016-04-19}}</ref>。初騎乗は1992年[[3月1日]]、[[中山競馬場|中山競馬]]第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、33頁</ref><ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/199206020201/|title=4歳未勝利|1992年03月01日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-19}}</ref>。初勝利は同期で最も遅い<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、46頁</ref>同年[[4月4日]]の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった<ref name=jranakayama/>。しかし、1年目から所属する調教師の伊藤と合わなくなる<ref name=gotoh200248>[[#後藤2002|後藤2002]]、48頁</ref>。後藤は著書で「[[岡部幸雄]]や[[柴田政人]]と同じレベルのことをもとめている」と語っている<ref name=gotoh200248/>。また、歩き方で注意をされたり<ref name=gotoh200248/>、他厩舎の調教にも決して行けず、伊藤自身も後藤に対して「勝てる馬は乗せない」と語っていたという<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、49頁</ref>。後藤は減量期間がなくなる3年は我慢してフリーになることを決意<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、50頁</ref>。伊藤はその宣言通り後藤には自厩舎の有力馬には乗せなくなったという<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、50-51頁</ref>。 |
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[[1994年]]の[[福島記念]]にて騎乗した[[シルクグレイッシュ]]で[[重賞]]初勝利。同馬は先輩である[[小野次郎 (競馬)|小野次郎]]が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの[[負担重量]]で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。[[大和田稔]]調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。 |
[[1994年]]の[[福島記念]]にて騎乗した[[シルクグレイッシュ]]で[[重賞]]初勝利<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、246頁</ref>。同馬は先輩である[[小野次郎 (競馬)|小野次郎]]が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの[[負担重量]]で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。[[大和田稔]]調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。 |
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[[1995年]]にフリーの騎手となる<ref name=gotoh/>。翌[[1996年]]には[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[マイアミ市]][[カルダー競馬場]]を拠点に半年間の武者修行に出て、158戦7勝の成績を残す。アメリカから帰国した[[1997年]]以降は成績を伸ばし、[[1998年]]には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)。 |
[[1995年]]喧嘩別れのようにフリーの騎手となる<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、52頁</ref><ref name=gotoh/>{{Refnest|group="注"|のち、吉田豊を暴行した際に伊藤がなるべく制裁が軽くなるように謝罪行脚を行っていたことを調教師の[[藤沢和雄]]から聞き和解している<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、123-124頁</ref>}}。4年目にして初の21勝を挙げる<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、62頁</ref>。翌[[1996年]]には[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[マイアミ市]][[カルダー競馬場]]などを拠点に半年間の武者修行に出て<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、245-246頁</ref>、158戦7勝の成績を残す<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、97頁</ref>。アメリカから帰国した[[1997年]]はアメリカに行く前年の21勝から46勝と倍増<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、102頁</ref>。以降は成績を伸ばし、[[1998年]]には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)<ref name=gotoh2002246>[[#後藤2002|後藤2002]]、246頁</ref>。 |
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[[1999年]][[8月19日]]、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である[[吉田豊 (競馬)|吉田豊]]に対して[[木刀]]を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ<ref name="nikkan19990821">『[[日刊スポーツ]]』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」</ref>、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる |
[[1999年]][[8月19日]]、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である[[吉田豊 (競馬)|吉田豊]]に対して[[木刀]]を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ<ref name="nikkan19990821">『[[日刊スポーツ]]』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」</ref>、翌日のスポーツ新聞各紙のトップ記事となる不祥事を起こした<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、114頁</ref>。JRAによる事情聴取の結果、[[日本中央競馬会競馬施行規程]]第126条第20号に基づき後藤は[[騎乗停止]]となり<ref name="nikkan19990821" />、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった<ref>[http://www.keibado.com/keibabook/990913/itwnp.html ニュースぷらざ「後藤騎手4カ月の騎乗停止処分」](競馬道Online競馬ブックコーナー)</ref>。[[12月25日]]に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間の騎乗停止処分を受ける<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、121頁</ref>。 |
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翌[[2000年]]には、年末の最後まで[[岡部幸雄]]や[[横山典弘]]と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には |
翌[[2000年]]には、年末の最後まで[[岡部幸雄]]や[[横山典弘]]と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には101勝)をマーク<ref name=gotoh2002247/>。関東リーディングは2位、また初めての[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]への参戦を果たす<ref name=gotoh2002247/>。ちなみに[[ダイヤモンドステークス]]で[[ユーセイトップラン]]に騎乗して[[東京競馬場]]の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、226頁</ref>。[[ゴールドティアラ]]に騎乗し統一GI競走・[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。 |
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[[2002年]][[6月2日]]、[[安田記念]]を[[アドマイヤコジーン]]に騎乗して制し、[[中央競馬]]の[[グレード制|GI]]初勝利<ref name=gotoh/>。このあと[[イギリス]]へ再び3か月の海外遠征にも出る。[[2004年]][[12月12日]]には[[朝日杯フューチュリティステークス]]で[[マイネルレコルト]]に騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。[[2006年]][[11月25日]]、[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]で[[アロンダイト (競走馬)|アロンダイト]]に騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。 |
[[2002年]][[6月2日]]、[[安田記念]]を[[アドマイヤコジーン]]に騎乗して制し、[[中央競馬]]の[[グレード制|GI]]初勝利<ref name=gotoh/>。このあと[[イギリス]]へ再び3か月の海外遠征にも出る。[[2004年]][[12月12日]]には[[朝日杯フューチュリティステークス]]で[[マイネルレコルト]]に騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。[[2006年]][[11月25日]]、[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]で[[アロンダイト (競走馬)|アロンダイト]]に騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。 |
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[[2007年]]、[[9月24日]]から[[9月28日]]まで[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ競馬視察のため海外出張を行った。[[11月4日]]に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに[[10月28日]]までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから[[第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]へ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、[[東京競馬場]]にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東での[[リーディングジョッキー]]になった。 |
[[2007年]]、[[9月24日]]から[[9月28日]]まで[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ競馬視察のため海外出張を行った<ref>{{Cite web|date=|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=23085|title=後藤浩輝騎手がアメリカへ出張|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref>。[[11月4日]]に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した<ref>{{Cite web|date=|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=24098|title=後藤浩輝騎手、年間100勝達成|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref>。さらに[[10月28日]]までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから[[第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]へ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった<ref>{{Cite web|date=|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=24865|title=WSJS、豪のウィリアムズ騎手が優勝|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref>。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、[[東京競馬場]]にてJRA通算1000勝を達成<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20160226-OHT1T50074.html|title=【後藤浩輝騎手死去から1年】伝説になったような気がする…伊藤正徳調教師語る|publisher=スポーツ報知|accessdate=2016-04-21}}</ref>。2007年は、中央競馬の関東での[[リーディングジョッキー]]になった<ref>{{Cite web|date=|url=http://jra.jp/datafile/leading/j2007m.html|title=2007年度 リーディングジョッキー(美浦)|publisher=JRA|accessdate=2016-04-21}}</ref>。 |
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[[2010年]][[6月6日]]、[[安田記念]]を[[ショウワモダン]]に騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。 |
[[2010年]][[6月6日]]、[[安田記念]]を[[ショウワモダン]]に騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。 |
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[[2012年]][[5月6日]]、シゲルスダチに騎乗した[[NHKマイルカップ]]にて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に[[斜行]]した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された<ref>[http://jra.jp/news/201205/050603.html 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))](JRAニュース)</ref>。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=67647&category=A 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 ](netkeiba.comニュース)</ref>、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた<ref>{{Cite news|url=http://megalodon.jp/2012-0919-1128-37/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/09/kiji/K20120909004074070.html|title=後藤浩輝騎手、頚椎骨折から復帰も…また落馬ヒヤリ|publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2012-09-09|accessdate=2012-09-19}}</ref>ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する<ref>{{Cite news|url=http://megalodon.jp/2012-0919-1128-18/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/19/kiji/K20120919004144320.html|title=後藤 春と同じ頸椎骨折「原因は現段階で不明」|publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2012-09-19|accessdate=2012-09-19}}</ref>。その後しばらく復帰の目処が立たず、『[[ウイニング競馬]]』([[テレビ東京]])や『[[みんなのKEIBA]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。 |
[[2012年]][[5月6日]]、シゲルスダチに騎乗した[[NHKマイルカップ]]にて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に[[斜行]]した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された<ref>[http://jra.jp/news/201205/050603.html 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))](JRAニュース)</ref>。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=67647&category=A 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 ](netkeiba.comニュース)</ref>、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた<ref>{{Cite news|url=http://megalodon.jp/2012-0919-1128-37/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/09/kiji/K20120909004074070.html|title=後藤浩輝騎手、頚椎骨折から復帰も…また落馬ヒヤリ|publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2012-09-09|accessdate=2012-09-19}}</ref>ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する<ref>{{Cite news|url=http://megalodon.jp/2012-0919-1128-18/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/19/kiji/K20120919004144320.html|title=後藤 春と同じ頸椎骨折「原因は現段階で不明」|publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2012-09-19|accessdate=2012-09-19}}</ref>。その後しばらく復帰の目処が立たず、『[[ウイニング競馬]]』([[テレビ東京]])や『[[みんなのKEIBA]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。 |
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[[2013年]][[10月5日]]に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、[[10月14日]]に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯で[[エスポワールシチー]]に騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした。 |
[[2013年]][[10月5日]]に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、[[10月14日]]に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯で[[エスポワールシチー]]に騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした<ref>{{Cite web|date=|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80206|title=エスポワールシチー逃げ切り連覇&後藤浩輝、復帰後初GI制覇!/マイルCS南部杯・盛岡|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref><ref>{{Cite web|date=|url=http://www.daily.co.jp/horse/2013/11/29/1p_0006533581.shtml|title=【JCダート】エスポ後藤と有終飾る!|publisher=デイリースポーツ|accessdate=2016-04-21}}</ref>。 |
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しかし[[2014年]][[4月27日]]の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い<ref>ジャングルハヤテは左寛跛行の障害を負った。またリラコサージュ騎乗の[[岩田康誠]]は制裁として9日間の騎乗停止処分を受けた。『[http://www.jra.go.jp/news/201404/042704.html 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第2日(4月27日(日))]』 JRA 2014年4月27日 2016年1月10日閲覧。</ref>休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/11/21/kiji/K20141121009320550.html 後藤22日復帰 4月に頸椎骨折、一時は「もう駄目だと諦めた」] スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧</ref>。2014年11月24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/11/24/kiji/K20141124009344590.html 【東京5R新馬戦】後藤うれしい復帰後初勝利、カボスチャン抜け出しV] スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧</ref>。[[2015年]]2月21日には[[ダイヤモンドステークス]]で落馬したものの大事には至らず、翌[[2月22日]]には[[京都競馬場]]に移動して2勝を挙げていた。 |
しかし[[2014年]][[4月27日]]の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い<ref>ジャングルハヤテは左寛跛行の障害を負った。またリラコサージュ騎乗の[[岩田康誠]]は制裁として9日間の騎乗停止処分を受けた。『[http://www.jra.go.jp/news/201404/042704.html 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第2日(4月27日(日))]』 JRA 2014年4月27日 2016年1月10日閲覧。</ref>休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/11/21/kiji/K20141121009320550.html 後藤22日復帰 4月に頸椎骨折、一時は「もう駄目だと諦めた」] スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧</ref>。2014年11月24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/11/24/kiji/K20141124009344590.html 【東京5R新馬戦】後藤うれしい復帰後初勝利、カボスチャン抜け出しV] スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧</ref>。[[2015年]]2月21日には[[ダイヤモンドステークス]]で落馬したものの大事には至らず、翌[[2月22日]]には[[京都競馬場]]に移動して2勝を挙げていた。 |
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京都でのレース後は23日に栃木県のリハビリ病院に向かい体のメンテナンスに努め<ref>{{Cite news |title=後藤騎手「これから頑張る」と前向きだった…所属事務所マネ明かす |newspaper=スポーツニッポン |date=2015-02-27 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882390.html |accessdate=2015-02-27}}</ref>、木曜日には土日合わせて15鞍の競馬騎乗が発表され、夜には自身の[[Facebook]]を更新していた<ref>{{Cite news |title=後藤浩輝騎手、自宅で首つり自殺 何が…前日明るくFB更新 |newspaper=スポーツニッポン |date=2015-02-27 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882010.html |accessdate=2015-02-27}}</ref>。しかし、[[2015年]][[2月27日]]午前8時頃、茨城県稲敷郡阿見町にある自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが、妻の麻利絵により発見された。満40歳没。[[牛久警察署|牛久署]]の調べでは、事件性はなく、首吊り自殺と見られている<ref>{{Cite news |title=現役トップジョッキー後藤浩輝騎手が自殺 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2015-02-27 |author= |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150227/etc15022710540007-n1.html |accessdate=2015-02-27}}</ref><ref>{{Cite news |title=後藤浩輝騎手、自殺か…JRA通算1447勝|newspaper=読売新聞|date=2015-02-27 |author= |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20150227-OYT1T50079.html|accessdate=2015-02-28}}</ref>。 |
京都でのレース後は23日に栃木県のリハビリ病院に向かい体のメンテナンスに努め<ref>{{Cite news |title=後藤騎手「これから頑張る」と前向きだった…所属事務所マネ明かす |newspaper=スポーツニッポン |date=2015-02-27 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882390.html |accessdate=2015-02-27}}</ref>、木曜日には土日合わせて15鞍の競馬騎乗が発表され、夜には自身の[[Facebook]]を更新していた<ref>{{Cite news |title=後藤浩輝騎手、自宅で首つり自殺 何が…前日明るくFB更新 |newspaper=スポーツニッポン |date=2015-02-27 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882010.html |accessdate=2015-02-27}}</ref>。しかし、[[2015年]][[2月27日]]午前8時頃、茨城県稲敷郡阿見町にある自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが、妻の麻利絵により発見された。満40歳没。[[牛久警察署|牛久署]]の調べでは、事件性はなく、首吊り自殺と見られている<ref>{{Cite news |title=現役トップジョッキー後藤浩輝騎手が自殺 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2015-02-27 |author= |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150227/etc15022710540007-n1.html |accessdate=2015-02-27}}</ref><ref>{{Cite news |title=後藤浩輝騎手、自殺か…JRA通算1447勝|newspaper=読売新聞|date=2015-02-27 |author= |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20150227-OYT1T50079.html|accessdate=2015-02-28}}</ref>。 |
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葬儀は3月3日に近親者と競馬関係者が参列して執り行われた<ref>{{Cite news |title=後藤騎手さようなら 葬儀しめやかに、麻利絵夫人「ゆっくり休んで」|newspaper=スポーツニッポン|date=2015-03-04 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/03/04/kiji/K20150304009910720.html|accessdate=2015-04-05}}</ref>。競馬ファン向けには、4月5日に中山競馬場に献花台が設けられ<ref>{{Cite press release |title=後藤 浩輝騎手メモリアルセレモニーについて【中山競馬場】|publisher=日本中央競馬会|date=2015年3月28日|url=http://www.jra.go.jp/news/201503/032804.html|accessdate= 2015-04-05}}</ref>、最終レース終了後にパドックで「メモリアルセレモニー」を開催。ここでは、師匠である伊藤正徳調教師、同期の[[小林淳一]]元騎手(当時、競馬学校教官)、後輩で家族ぐるみでの交流があったという[[三浦皇成]]騎手が生前の思い出を語り、後藤の両親および妻の麻利絵が弔辞を述べた。最後には、ショウワモダンで安田記念を勝利した際の写真パネルを、当日中山で騎乗したジョッキーにより引退式同様に[[胴上げ]]し、ファンによる「後藤コール」によって締めくくられた。 |
葬儀は3月3日に近親者と競馬関係者が参列して執り行われた<ref>{{Cite news |title=後藤騎手さようなら 葬儀しめやかに、麻利絵夫人「ゆっくり休んで」|newspaper=スポーツニッポン|date=2015-03-04 |author= |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/03/04/kiji/K20150304009910720.html|accessdate=2015-04-05}}</ref>。競馬ファン向けには、4月5日に中山競馬場に献花台が設けられ<ref>{{Cite press release |title=後藤 浩輝騎手メモリアルセレモニーについて【中山競馬場】|publisher=日本中央競馬会|date=2015年3月28日|url=http://www.jra.go.jp/news/201503/032804.html|accessdate= 2015-04-05}}</ref>、最終レース終了後にパドックで「メモリアルセレモニー」を開催<ref name=tokyosports20150405>{{Cite web|date=|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/race/horse/385636/|title=後藤浩輝騎手「メモリアルセレモニー」 ファン2000人が別れ|publisher=東京スポーツ|accessdate=2016-04-21}}</ref>。ここでは、師匠である伊藤正徳調教師、同期の[[小林淳一]]元騎手(当時、競馬学校教官)、後輩で家族ぐるみでの交流があったという[[三浦皇成]]騎手が生前の思い出を語り、後藤の両親および妻の麻利絵が弔辞を述べた<ref name=tokyosports20150405/>。最後には、2001年ショウワモダンで安田記念を勝利した際の写真パネルを、当日中山で騎乗したジョッキーにより引退式同様に[[胴上げ]]し、ファンによる「後藤コール」によって締めくくられた<ref>{{Cite web|date=|url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150405/etc15040518410006-n1.html|title=後藤浩輝騎手のメモリアルセレモニーにファン多数|publisher=産経新聞社|accessdate=2016-04-21}}</ref><ref name=tokyosports20150405/>。 |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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* 騎乗時の帽子の紐は白を使用。 |
* 騎乗時の帽子の紐は白を使用。 |
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* 少年時代に[[空手]]や[[体操]]を習っていて、それらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。 |
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* 騎手の場合、親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全くコネクションはなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。 |
* 騎手の場合、親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全くコネクションはなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。 |
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* 勝利インタビューでパフォーマンスをすることがあった。以下はその一例。 |
* 勝利インタビューでパフォーマンスをすることがあった。以下はその一例。 |
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** [[アクティブバイオ]]に騎乗し[[マンハッタンカフェ]]を破った[[日経賞]]では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えている。 |
** [[アクティブバイオ]]に騎乗し[[マンハッタンカフェ]]を破った[[日経賞]]では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えている。 |
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** 2004年の[[有馬記念]]で、勝利した[[ゼンノロブロイ]]に騎乗した[[オリビエ・ペリエ]]が、その年の[[流行語]]である「チョー気持ちいい」([[北島康介]])と勝利騎手インタビュー中に語ったが、これは後藤が教えたものである。 |
** 2004年の[[有馬記念]]で、勝利した[[ゼンノロブロイ]]に騎乗した[[オリビエ・ペリエ]]が、その年の[[流行語]]である「チョー気持ちいい」([[北島康介]])と勝利騎手インタビュー中に語ったが、これは後藤が教えたものである。 |
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* [[渡辺美奈代]]の大ファンで、中学時代は[[親衛隊 (アイドル)|親衛隊]]に入っていた。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。 |
* [[渡辺美奈代]]の大ファンで、中学時代は[[親衛隊 (アイドル)|親衛隊]]に入っていた<ref>[[#後藤2002|後藤2002]]、19頁</ref>。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。 |
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* レース終了後のイベントに力を入れていた。後藤がイベントに参加する際には「[[日本騎手クラブ]] ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多かった。ただし、「ファンサービス委員会委員長」は後藤の自称であり、実際にそのような委員会は日本騎手クラブに存在しない<ref>{{Cite news |title=自称ファンサービス委員長…後藤騎手 |newspaper=日刊スポーツ |date=2015-02-28 |author= |url=http://www.nikkansports.com/race/news/1440188.html |accessdate=2015-02-28}}</ref>。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。 |
* レース終了後のイベントに力を入れていた。後藤がイベントに参加する際には「[[日本騎手クラブ]] ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多かった。ただし、「ファンサービス委員会委員長」は後藤の自称であり、実際にそのような委員会は日本騎手クラブに存在しない<ref>{{Cite news |title=自称ファンサービス委員長…後藤騎手 |newspaper=日刊スポーツ |date=2015-02-28 |author= |url=http://www.nikkansports.com/race/news/1440188.html |accessdate=2015-02-28}}</ref>。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。 |
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** 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣<br />当日行われた[[毎日王冠]]終了後、当日[[東京競馬場]]で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであった[[ボブ・サップ]]も参加した。4組は、ハゲ・おさげなどの[[かつら (装身具)|カツラ]]で分けていた。後藤とともにVTR収録で[[西田雄一郎]]騎手が活躍した。 |
** 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣<br />当日行われた[[毎日王冠]]終了後、当日[[東京競馬場]]で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであった[[ボブ・サップ]]も参加した。4組は、ハゲ・おさげなどの[[かつら (装身具)|カツラ]]で分けていた。後藤とともにVTR収録で[[西田雄一郎]]騎手が活躍した。 |
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== 不祥事・事故 == |
== 不祥事・事故 == |
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{{出典の明記|date=2016年4月|section=1}} |
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*1999年5月4日、新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場され、一切の入場禁止となった。 |
*1999年5月4日、新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場され、一切の入場禁止となった。 |
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*1999年8月19日、騎手の[[吉田豊]]に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。 |
*1999年8月19日、騎手の[[吉田豊]]に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は[[#経歴]]を参照)。 |
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*2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の[[高市圭二]]から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。 |
*2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の[[高市圭二]]から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。 |
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*2006年5月14日、東京競馬場の[[ヴィクトリアマイル]]終了後の検量室前で、激昂した調教師の[[谷原義明]]から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。 |
*2006年5月14日、東京競馬場の[[ヴィクトリアマイル]]終了後の検量室前で、激昂した調教師の[[谷原義明]]から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。 |
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|重賞初勝利||1994年11月20日||3回[[福島競馬場|福島]]8日11R||[[福島記念]]||シルクグレイッシュ||14頭||10||1着 |
|重賞初勝利||1994年11月20日||3回[[福島競馬場|福島]]8日11R||[[福島記念]]||シルクグレイッシュ||14頭||10||1着 |
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|GI初騎乗||1997年5月11日||2回[[東京競馬場|東京]]8日11R||[[NHKマイルカップ]]||タイキギャラクシー||18頭||10||16着 |
|GI初騎乗<ref name=gotoh2002247/>||1997年5月11日||2回[[東京競馬場|東京]]8日11R||[[NHKマイルカップ]]||タイキギャラクシー||18頭||10||16着 |
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|GI初勝利||2002年6月2日||4回東京6日11R||[[安田記念]]||[[アドマイヤコジーン]]||18頭||7||1着 |
|GI初勝利||2002年6月2日||4回東京6日11R||[[安田記念]]||[[アドマイヤコジーン]]||18頭||7||1着 |
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<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/jockey/result/00711/|title=後藤浩輝の年度別成績|競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding:1px" |
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!年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率!!複勝率 |
!年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!![[勝率]]!![[連対率]]!![[複勝率]] |
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|1992年||12||11||14||181||.066||.127||.204 |
|1992年||12||11||14||181||.066||.127||.204 |
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!中央||1447||1405||1233||12949||.112||.220||.315 |
!中央||1447||1405||1233||12949||.112||.220||.315 |
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!地方<ref>{{Cite web|date=|url=http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/DataRoom/RiderMark?k_riderLicenseNo=60175|title=地方競馬 データ情報|publisher=NAR地方競馬全国協会|accessdate=2016-04-20}}</ref>||68||64||60||491||.138||.269|| |
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!地方||63||64||59||482||.131||.263||.386 |
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== 主な騎乗馬 == |
== 主な騎乗馬 == |
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=== GI・JpnI競走勝利 === |
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*[[ゴールドティアラ]](2000年[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]) |
*[[ゴールドティアラ]](2000年[[マイルチャンピオンシップ南部杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200035100910/|title=マイルチャンピオンシ|2000年10月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-19}}</ref> |
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*[[アドマイヤコジーン]](2002年[[安田記念]]) |
*[[アドマイヤコジーン]](2002年[[安田記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200035100910/|title=マイルチャンピオンシ|2000年10月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-19}}</ref> |
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*[[マイネルレコルト]](2004年[[朝日杯フューチュリティステークス]]) |
*[[マイネルレコルト]](2004年[[朝日杯フューチュリティステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200406050411/|title=朝日杯FS|2004年12月12日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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*[[アロンダイト (競走馬)|アロンダイト]](2006年[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]) |
*[[アロンダイト (競走馬)|アロンダイト]](2006年[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200605050711/|title=ジャパンカップダート|2006年11月25日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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*[[ショウワモダン]](2010年安田記念) |
*[[ショウワモダン]](2010年安田記念)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201005030611/|title=安田記念|2010年06月06日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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*[[エリンコート]](2011年[[優駿牝馬]]) |
*[[エリンコート]](2011年[[優駿牝馬]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201105030211/|title=優駿牝馬|2011年05月22日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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*[[エスポワールシチー]](2013年マイルチャンピオンシップ南部杯、[[JBCスプリント]]) |
*[[エスポワールシチー]](2013年マイルチャンピオンシップ南部杯、[[JBCスプリント]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201335101411/|title=マイルチャンピオンシ|2013年10月14日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref><ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201346110409/|title=JBCスプリント【指|2013年11月04日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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=== 重賞勝利 === |
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*[[シルクグレイッシュ]](1994年[[福島記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/199403030811/|title=福島記念|1994年11月20日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[リワードニンファ]](1999年[[関屋記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/199904020811/|title=関屋記念|1999年08月08日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[ユーセイトップラン]](2000年[[ダイヤモンドステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200005010611/|title=ダイヤモンドS|2000年02月13日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[ダイワテキサス]](2000年[[中山記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200006020211/|title=中山記念|2000年02月27日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[アドマイヤボス]](2000年[[セントライト記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200006050411/|title=セントライト記念|2000年09月17日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[カチドキリュウ]](2001年[[クリスタルカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200106020611/|title=夕刊フジクリスタルC|2001年03月11日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[ルゼル]](2001年[[クリスタルカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200105020311/|title=テレビ東京杯青葉賞|2001年04月28日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[シベリアンメドウ]](2001年[[京王杯2歳ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200105050311/|title=京王杯2歳ステークス|2001年11月10日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*アドマイヤコジーン(2002年[[東京新聞杯]]、[[阪急杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/horse/1996106512/|title=アドマイヤコジーン | 競走馬データ - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[キングザファクト]](2002年ダイヤモンドステークス)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200205020611/|title=ダイヤモンドS|2002年02月10日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[アクティブバイオ]](2002年ダイヤモンドステークス)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200206020111/|title=日経賞|2002年03月23日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[ロサード]](2002年[[オールカマー]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200204040611/|title=産経賞オールカマー|2002年09月22日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[シルクブラボー]](2002年[[デイリー杯2歳ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200208040311/|title=デイリー杯2歳S|2002年10月12日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[チューニー]](2003年[[クイーンカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200306020711/|title=デイリー杯クイーンC|2003年02月22日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[スズカコーズウェイ]](2009年京王杯スプリングカップ)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/200905020711/|title=京王杯スプリングC|2009年05月16日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[オウケンサクラ]](2010年[[フラワーカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201006020711/|title=フラワーカップ|2010年03月20日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[マコトスパルビエロ]](2010年[[マーチステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201006030211/|title=マーチステークス|2010年03月28日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*ショウワモダン(2010年ダービー卿チャレンジトロフィー)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201006030411/|title=ダービー卿チャレンジ|2010年04月04日 | 競馬データベース - netkeiba.com|publisher=netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[アニメイトバイオ]](2010年[[ローズステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201009040310/|title=関西TVローズS|2010年09月19日 | 競馬データベース - netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
|||
*[[ローズキングダム]](2011年[[京都大賞典]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201108050211/|title=京都大賞典|2011年10月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[サイレントメロディ]](2012年[[マーチステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201206030211/|title=マーチステークス|2012年03月25日 | 競馬データベース - netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[ショウナンアチーヴ]](2014年ニュージーランドトロフィー)<ref>{{Cite web|date=|url=http://db.netkeiba.com/race/201406030511/|title=ニュージーランドT|2014年04月12日 | 競馬データベース - netkeiba.com|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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== 受賞歴 == |
== 受賞歴 == |
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*[[ |
*[[2000年]]:[[厩舎関係者表彰]]・[[優秀騎手賞]](勝利度数部門・賞金獲得部門)<ref name=gotoh2002247/> |
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*[[2007年]]:厩舎関係者表彰・優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)<ref>{{Cite web|date=|url=https://www.keibado.ne.jp/keibabook/080114/plaza.html|title=競馬ブックコーナー 藤沢和調教師11度目の全国首位|publisher=競馬ブック|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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*[[2013年]]:[[東京競馬記者クラブ賞]]・特別賞 |
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*[[2013年]]:[[東京競馬記者クラブ賞]]・特別賞<ref>{{Cite web|date=|url=http://company.jra.jp/7403/press/201512/201512281307.pdf|title=平成27年度 東京競馬記者クラブ賞の決定について|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2016-04-21}}</ref> |
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== マスメディア出演 == |
== マスメディア出演 == |
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=== CM === |
=== CM === |
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*[[ロイヤルホスト]]<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.nicheee.com/archives/1566234.html|title=ロイヤルホストがなぜかJRAジョッキーとコラボ!|publisher=株式会社 フルタイム|accessdate=2016-04-20}}</ref> |
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*[[ロイヤルホスト]] |
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== 出版物 == |
== 出版物 == |
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198行目: | 249行目: | ||
*後藤チョップ([[廣済堂]]) |
*後藤チョップ([[廣済堂]]) |
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*後藤浩輝の“戯言”(東邦出版) |
*後藤浩輝の“戯言”(東邦出版) |
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*後藤浩輝「情熱510%」( [[報知新聞社]]) - スポーツ報知でのコラムを夫人が死後まとめたもの。<!--http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%B5%A9%E8%BC%9D%E3%80%8C%E6%83%85%E7%86%B1510-%E3%80%8D-%E5%BE%8C%E8%97%A4-%E6%B5%A9%E8%BC%9D/dp/4831901466--> |
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== ディスコグラフィ == |
== ディスコグラフィ == |
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1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー。曲は[[テレビ東京]]『[[土曜競馬中継]]』のエンディングテーマに採用された。同年8月には[[田中勝春]]、[[松永幹夫]]、[[蛯名正義]]、[[藤田伸二]]、[[四位洋文]]と「[[J6]]」なるユニットで「Destination」(作詞:[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]、作曲:[[井上大輔]])を歌った。 |
1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー<ref name=gotoh2002247>[[#後藤2002|後藤2002]]、247頁</ref>。曲は[[テレビ東京]]『[[土曜競馬中継]]』のエンディングテーマに採用された。 |
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同年8月には[[田中勝春]]、[[松永幹夫]]、[[蛯名正義]]、[[藤田伸二]]、[[四位洋文]]と「[[J6]]」なるユニットで「Destination」(作詞:[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]、作曲:[[井上大輔]])を歌った。全員結婚しており。、うう上げはよくなかったと振り返っている<ref name=gotoh2002247/>。 |
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;シングル |
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#虹色の風で |
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#遥かな君に |
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*Destination(テイチク) |
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== コラム == |
== コラム == |
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*後藤の語!([[UMAJIN]]) |
*後藤の語!([[UMAJIN]]) |
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== |
== 出典 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
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== 注釈 == |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite book|和書 |
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|author = 後藤浩輝 |
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|year = 2002 |
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|title = 意外に大変。 |
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|publisher = 東邦出版 |
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|isbn = 978-4809402739 |
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|ref = 後藤2002 |
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}} |
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== 関連項目 == |
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== 外部リンク == |
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*{{Facebook|510gotty}} |
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* [http://www.jra.go.jp/news/201504/040502.html# 後藤浩輝メモリアルセレモニーが閲覧可能] - JRA |
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2016年4月21日 (木) 14:39時点における版
後藤浩輝 | |
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2011年京都大賞典表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
神奈川県[1]相模原市 (現:神奈川県相模原市中央区) 出生は神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1974年3月19日 |
死没 | 2015年2月27日(40歳没) |
身長 | 157cm[1] |
体重 | 50kg[1] |
血液型 | B型[1] |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | フリー[1] |
初免許年 | 1992年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2015年2月27日(死亡) |
重賞勝利 | 53勝(JRA) |
G1級勝利 | 5勝(JRA) |
通算勝利 | 1510勝(うち地方競馬63勝) |
経歴 | |
所属 |
美浦・伊藤正徳(1992.3 - 1995.5) 美浦・フリー(1995.5 - 2015.2.27) |
後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日[1] - 2015年2月27日[2])は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手である。
テレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属していた[3][注 1]。死去時の妻はタレントの湯原麻利絵[4]。
経歴
デビュー前
少年時代に空手や体操を習っていて[5]、のちにそれらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。相模原市立清新中学校卒業[6]。
母はいわゆる「手に職をつけるべき」という考えをもっており、後藤自身もサラリーマンにはなる気はなかったと述べている[7]。進路を考え始めたときの後藤の考えは自分が好きであった料理を生かしてのフランス料理のコックになることであったが、それを伝えると母はたまたま過去に見ていた競馬学校のドキュメンタリー番組を見ていたことから競馬の道に進むことを薦める[8]。しかし競馬の知識や興味もなかったがとりあえず、高校や専門学校の試験の前に不合格でもいいから受験することとなり見事合格することになる[9]。競馬学校に入るまで乗馬経験もなかった後藤は落馬回数がトップになるほど一番下手であったと述べている[10]。そうしたなかスティーブ・コーゼンのビデオを見たことで「惚れた」と称するほど感銘を受け、意識や取り組みが変わったという[11]。
デビューからクラシックレース制覇まで
1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー[13]。同期に小林淳一や横山義行などがいる[14]。初騎乗は1992年3月1日、中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった[15][16]。初勝利は同期で最も遅い[17]同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった[1]。しかし、1年目から所属する調教師の伊藤と合わなくなる[18]。後藤は著書で「岡部幸雄や柴田政人と同じレベルのことをもとめている」と語っている[18]。また、歩き方で注意をされたり[18]、他厩舎の調教にも決して行けず、伊藤自身も後藤に対して「勝てる馬は乗せない」と語っていたという[19]。後藤は減量期間がなくなる3年は我慢してフリーになることを決意[20]。伊藤はその宣言通り後藤には自厩舎の有力馬には乗せなくなったという[21]。
1994年の福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュで重賞初勝利[22]。同馬は先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの負担重量で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。
1995年喧嘩別れのようにフリーの騎手となる[23][13][注 2]。4年目にして初の21勝を挙げる[25]。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場などを拠点に半年間の武者修行に出て[26]、158戦7勝の成績を残す[27]。アメリカから帰国した1997年はアメリカに行く前年の21勝から46勝と倍増[28]。以降は成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)[29]。
1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ[30]、翌日のスポーツ新聞各紙のトップ記事となる不祥事を起こした[31]。JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり[30]、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった[32]。12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間の騎乗停止処分を受ける[33]。
翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には101勝)をマーク[34]。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす[34]。ちなみにダイヤモンドステークスでユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である[35]。ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。
2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利[13]。このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。
2007年、9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った[36]。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した[37]。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった[38]。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成[39]。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった[40]。
2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。
2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた[41]。
首の怪我との闘い
2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルカップにて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に斜行した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された[42]。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが[43]、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた[44]ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する[45]。その後しばらく復帰の目処が立たず、『ウイニング競馬』(テレビ東京)や『みんなのKEIBA』(フジテレビ)のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。
2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、10月14日に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でエスポワールシチーに騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした[46][47]。
しかし2014年4月27日の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い[48]休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰[49]。2014年11月24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった[50]。2015年2月21日にはダイヤモンドステークスで落馬したものの大事には至らず、翌2月22日には京都競馬場に移動して2勝を挙げていた。 [51]
突然の死
京都でのレース後は23日に栃木県のリハビリ病院に向かい体のメンテナンスに努め[52]、木曜日には土日合わせて15鞍の競馬騎乗が発表され、夜には自身のFacebookを更新していた[53]。しかし、2015年2月27日午前8時頃、茨城県稲敷郡阿見町にある自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが、妻の麻利絵により発見された。満40歳没。牛久署の調べでは、事件性はなく、首吊り自殺と見られている[54][55]。
葬儀は3月3日に近親者と競馬関係者が参列して執り行われた[56]。競馬ファン向けには、4月5日に中山競馬場に献花台が設けられ[57]、最終レース終了後にパドックで「メモリアルセレモニー」を開催[58]。ここでは、師匠である伊藤正徳調教師、同期の小林淳一元騎手(当時、競馬学校教官)、後輩で家族ぐるみでの交流があったという三浦皇成騎手が生前の思い出を語り、後藤の両親および妻の麻利絵が弔辞を述べた[58]。最後には、2001年ショウワモダンで安田記念を勝利した際の写真パネルを、当日中山で騎乗したジョッキーにより引退式同様に胴上げし、ファンによる「後藤コール」によって締めくくられた[59][58]。
人物
- 騎乗時の帽子の紐は白を使用。
- 騎手の場合、親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全くコネクションはなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。
- 勝利インタビューでパフォーマンスをすることがあった。以下はその一例。
- 2002年のダイヤモンドステークスを制したときには、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
- アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
- アクティブバイオに騎乗しマンハッタンカフェを破った日経賞では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えている。
- 2004年の有馬記念で、勝利したゼンノロブロイに騎乗したオリビエ・ペリエが、その年の流行語である「チョー気持ちいい」(北島康介)と勝利騎手インタビュー中に語ったが、これは後藤が教えたものである。
- 渡辺美奈代の大ファンで、中学時代は親衛隊に入っていた[60]。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。
- レース終了後のイベントに力を入れていた。後藤がイベントに参加する際には「日本騎手クラブ ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多かった。ただし、「ファンサービス委員会委員長」は後藤の自称であり、実際にそのような委員会は日本騎手クラブに存在しない[61]。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。
- 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
当日行われた毎日王冠終了後、当日東京競馬場で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであったボブ・サップも参加した。4組は、ハゲ・おさげなどのカツラで分けていた。後藤とともにVTR収録で西田雄一郎騎手が活躍した。 - 2006年5月または6月頃に実施(2回東京、3回東京):後藤浩輝プロデューストークショー
毎週2、3名の騎手を呼んでトークを行った。彼らに絵を描かせる企画もあった。 - 2009年12月27日、2010年12月26日:『Dream Climax グランドフィナーレ ジョッキートーク感謝祭 2009』、『ジョッキー忘年会』
- 毎年有馬記念当日にフィナーレを飾るイベントが行われるが、2009年・2010年は後藤プロデュースによるものだった。中山競馬場のパドックの中央にこたつを置き、参加者全員どてらを着て日本酒やビール(サッポロビール黒ラベル有馬記念缶)を飲みながら騎手がトークするものだった。
- 2009年の参加者は池添謙一、武豊、内田博幸、三浦皇成、鈴木淑子、井崎脩五郎であり、特に三浦は約1週間前の12月19日に20歳の誕生日を迎えたばかりで、公の場で初めての飲酒となった。
- 2010年の参加者はミルコ・デムーロ、横山典弘、内田博幸、福永祐一、池添謙一、鈴木淑子、井崎脩五郎であった。武豊も参加予定であったが、当日騎乗予定だった有馬記念のローズキングダムが疝痛で出走を取り消し、当日は5Rで騎乗が終了してしまった為、後藤への置き手紙を残して不参加となった。
- 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
- 2007年9月12日に千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズの試合開始前に始球式を行った。背番号510番のロッテのホームユニフォームと下半身に白鳥を装着し投球を行った(イメージとしては志村けんの東村山音頭の格好)。
- 生前に仲の良かった騎手は福永祐一、吉田隼人。特に隼人とは競馬ファン向けのイベントに一緒に出演したことがあるぐらいの仲である[62]。
- 2009年フジテレビ系の『みんなのケイバ』でも同年の抱負として「若い芽を潰す」というスローガンを残している。これは三浦皇成や松岡正海らの台頭に危機感を抱いての発言であるとされている[63]。
- 2010年10月7日から2011年10月28日までtwitterをやっていた。競馬開催日(主に土曜・日曜)以外でもファンから寄せられる質問に返信したりと頻繁に更新していた。
不祥事・事故
- 1999年5月4日、新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場され、一切の入場禁止となった。
- 1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。
- 2000年5月7日、福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。
- 2006年5月14日、東京競馬場のヴィクトリアマイル終了後の検量室前で、激昂した調教師の谷原義明から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。
- 2008年3月1日、アーリントンカップにおいて、休み明けのお手馬アポロドルチェ(12頭中3番人気、堀井雅広厩舎所属)に騎乗し優勝馬から0.8秒差の9着に敗れた。レース後に「まだ走れる状態ではありません」とコメント。微妙なニュアンスながら陣営批判と判断され、以降、同馬には一度も騎乗していない。
騎乗成績
成績内容 | 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1992年3月1日 | 2回中山2日1R | 4歳未勝利 | エンシュードラゴン | 16頭 | 3 | 6着 |
初勝利 | 1992年4月4日 | 3回中山3日4R | 4歳未勝利 | タイガーリリー | 13頭 | 11 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1993年2月21日 | 1回小倉8日11R | 小倉大賞典 | オシバナ | 16頭 | 11 | 15着 |
重賞初勝利 | 1994年11月20日 | 3回福島8日11R | 福島記念 | シルクグレイッシュ | 14頭 | 10 | 1着 |
GI初騎乗[34] | 1997年5月11日 | 2回東京8日11R | NHKマイルカップ | タイキギャラクシー | 18頭 | 10 | 16着 |
GI初勝利 | 2002年6月2日 | 4回東京6日11R | 安田記念 | アドマイヤコジーン | 18頭 | 7 | 1着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | 12 | 11 | 14 | 181 | .066 | .127 | .204 |
1993年 | 19 | 30 | 20 | 274 | .069 | .179 | .252 |
1994年 | 14 | 15 | 16 | 219 | .064 | .132 | .205 |
1995年 | 21 | 32 | 29 | 332 | .063 | .160 | .247 |
1996年 | 6 | 13 | 11 | 155 | .039 | .123 | .194 |
1997年 | 46 | 54 | 32 | 475 | .097 | .211 | .278 |
1998年 | 63 | 52 | 74 | 649 | .097 | .177 | .291 |
1999年 | 61 | 59 | 51 | 478 | .128 | .251 | .358 |
2000年 | 101 | 86 | 69 | 727 | .139 | .257 | .352 |
2001年 | 94 | 83 | 70 | 749 | .126 | .236 | .330 |
2002年 | 81 | 73 | 74 | 644 | .126 | .239 | .354 |
2003年 | 82 | 86 | 62 | 670 | .122 | .251 | .343 |
2004年 | 101 | 98 | 74 | 812 | .124 | .245 | .336 |
2005年 | 87 | 103 | 68 | 730 | .119 | .260 | .353 |
2006年 | 107 | 83 | 85 | 832 | .129 | .228 | .331 |
2007年 | 116 | 102 | 74 | 858 | .135 | .254 | .340 |
2008年 | 107 | 88 | 84 | 819 | .131 | .238 | .341 |
2009年 | 74 | 87 | 82 | 839 | .088 | .192 | .290 |
2010年 | 95 | 80 | 81 | 804 | .118 | .218 | .318 |
2011年 | 62 | 70 | 60 | 679 | .091 | .194 | .283 |
2012年 | 30 | 30 | 34 | 321 | .093 | .187 | .293 |
2013年 | 23 | 13 | 20 | 199 | .116 | .181 | .281 |
2014年 | 34 | 44 | 36 | 388 | .088 | .201 | .294 |
2015年 | 11 | 13 | 13 | 115 | .096 | .208 | .322 |
中央 | 1447 | 1405 | 1233 | 12949 | .112 | .220 | .315 |
地方[65] | 68 | 64 | 60 | 491 | .138 | .269 |
主な騎乗馬
GI・JpnI競走勝利
- ゴールドティアラ(2000年マイルチャンピオンシップ南部杯)[66]
- アドマイヤコジーン(2002年安田記念)[67]
- マイネルレコルト(2004年朝日杯フューチュリティステークス)[68]
- アロンダイト(2006年ジャパンカップダート)[69]
- ショウワモダン(2010年安田記念)[70]
- エリンコート(2011年優駿牝馬)[71]
- エスポワールシチー(2013年マイルチャンピオンシップ南部杯、JBCスプリント)[72][73]
重賞勝利
- シルクグレイッシュ(1994年福島記念)[74]
- リワードニンファ(1999年関屋記念)[75]
- ユーセイトップラン(2000年ダイヤモンドステークス)[76]
- ダイワテキサス(2000年中山記念)[77]
- アドマイヤボス(2000年セントライト記念)[78]
- カチドキリュウ(2001年クリスタルカップ)[79]
- ルゼル(2001年クリスタルカップ)[80]
- シベリアンメドウ(2001年京王杯2歳ステークス)[81]
- アドマイヤコジーン(2002年東京新聞杯、阪急杯)[82]
- キングザファクト(2002年ダイヤモンドステークス)[83]
- アクティブバイオ(2002年ダイヤモンドステークス)[84]
- ロサード(2002年オールカマー)[85]
- シルクブラボー(2002年デイリー杯2歳ステークス)[86]
- チューニー(2003年クイーンカップ)[87]
- ローエングリン(2003年中山記念、マイラーズカップ、2007年中山記念)[88]
- チャクラ(2003年ステイヤーズステークス)[89]
- プリサイスマシーン(2003年・2004年中日新聞杯)[90]
- マイネルモルゲン(2004年ダービー卿チャレンジトロフィー、京成杯オータムハンデキャップ)[91]
- メイショウオスカル(2004年フローラステークス、2005年福島牝馬ステークス)[92]
- マイネルレコルト(2004年新潟2歳ステークス)[93]
- アサクサデンエン(2005年京王杯スプリングカップ)[94]
- ダイワレイダース(2005年七夕賞)[95]
- ホオキパウェーブ(2005年オールカマー)[96]
- サンライズペガサス(2005年毎日王冠)[97]
- トップガンジョー(2006年エプソムカップ、新潟記念)[98]
- ステキシンスケクン(2006年京成杯オータムハンデキャップ)[99]
- デアリングハート(2006年府中牝馬ステークス)[100]
- トーホウレーサー(2007年ニュージーランドトロフィー)[101]
- サンバレンティン(2007年七夕賞)[102]
- マイネルシーガル(2007年富士ステークス)[103]
- アポロドルチェ(2007年京王杯2歳ステークス)[104]
- エアシェイディ(2008年アメリカジョッキークラブカップ)[105]
- キクノサリーレ(2008年武蔵野ステークス)[106]
- スズカコーズウェイ(2009年京王杯スプリングカップ)[107]
- オウケンサクラ(2010年フラワーカップ)[108]
- マコトスパルビエロ(2010年マーチステークス)[109]
- ショウワモダン(2010年ダービー卿チャレンジトロフィー)[110]
- アニメイトバイオ(2010年ローズステークス)[111]
- ローズキングダム(2011年京都大賞典)[112]
- サイレントメロディ(2012年マーチステークス)[113]
- ショウナンアチーヴ(2014年ニュージーランドトロフィー)[114]
受賞歴
- 2000年:厩舎関係者表彰・優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)[34]
- 2007年:厩舎関係者表彰・優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)[115]
- 2013年:東京競馬記者クラブ賞・特別賞[116]
マスメディア出演
テレビ
- ジャンクSPORTS(フジテレビ)
- うまなりクン(フジテレビ)
- うまなで(フジテレビ)
- みんなのウマ倶楽部(フジテレビ)
- さんまのSUPERからくりTV(TBS)
- クイズ$ミリオネア(フジテレビ) - 武豊が挑戦時にテレフォンで出演
- 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
- ザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)
- スポンジ〜世界で学んできたこと(テレビ東京)
- ウイニング競馬(テレビ東京) - 2012年の落馬負傷後、解説者として不定期に出演
- みんなのKEIBA(フジテレビ) - 2012年の落馬負傷後、解説者として不定期に出演
- トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(フジテレビ)
- まさかのタメ年トークバラエティー!ビックラコイタ箱(中京テレビ) - 2015年2月17・24日「1973年度生・41歳」として門倉健、武井壮とともに出演[117]
CM
出版物
ディスコグラフィ
1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー[34]。曲はテレビ東京『土曜競馬中継』のエンディングテーマに採用された。
同年8月には田中勝春、松永幹夫、蛯名正義、藤田伸二、四位洋文と「J6」なるユニットで「Destination」(作詞:大江千里、作曲:井上大輔)を歌った。全員結婚しており。、うう上げはよくなかったと振り返っている[34]。
- シングル
- 遥かな君に
- 虹色の風で
- 遥かな君に
- Destination(テイチク)
コラム
出典
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- ^ 日本テレビでは2月20・27日放送。まさかのタメ年トークバラエティー!ビックラコイタ箱|2015/02/20(金)放送、2015/02/27(金)放送 TVでた蔵
- ^ “ロイヤルホストがなぜかJRAジョッキーとコラボ!”. 株式会社 フルタイム. 2016年4月20日閲覧。
注釈
参考文献
- 後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版、2002年。ISBN 978-4809402739。
関連項目
- 中央競馬通算1000勝以上の騎手・調教師一覧
- 小野寺祐太 - 弟弟子。ただし後藤と同時に所属した時期はない。
- 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧
外部リンク
- 後藤浩輝 (510gotty) - Facebook
- 後藤浩輝メモリアルセレモニーが閲覧可能 - JRA