「ナポリタン」の版間の差分
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{{Otheruses}} |
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{{独自研究|date=2014年9月}} |
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[[File:Naporitan by yamauchi.jpg|thumb|260px|ナポリタンの一例。後方右側に粉チーズ、中央はタバスコ]] |
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'''ナポリタン'''は、[[ナポリ]]の料理スパゲティナポレターナを模倣し、[[日本]]で独自進化した[[パスタ|パスタ料理]]{{要検証|date=2013年7月}}。 |
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{{Infobox prepared food |
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== 概要 == |
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| name = ナポリタン |
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[[イタリア]]の港町ナポリではナポリタンソース([[w:it:Ragù napoletano|Ragù napoletano]])をスパゲティに絡めたものを{{仮リンク|スパゲティ・アラ・ナポレターナ|de|Spaghetti alla napoletana}}(Spaghetti alla Napoletana)と呼び、[[フランス]]、[[スイス]]、[[ドイツ]]にもほぼ同名の料理がある。日本のナポリタンは、これを模倣しつつ入手困難な材料を避けて独自進化した模様だが、内容と発祥については諸説がある。 |
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| image = Spaghetti Naporitan 002.jpg |
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日本パスタ協会[http://www.pasta.or.jp/recipe/recipe.php?recipe_id=151 おすすめレシピ]<ref>[http://www.pasta.or.jp/ 日本パスタ協会]</ref>によると、[[スパゲッティ]]に[[ベーコン]]、[[タマネギ]]、[[ピーマン]]、[[トマト]]を具材に[[トマトケチャップ]]をからめ、炒めて作る。 |
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| caption = ナポリタンの一例 |
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このほか、具材として[[ハム]]、[[ウインナーソーセージ]]等を用いることもある。好みで[[タバスコ]]や[[パルメザンチーズ|粉チーズ]]をかける。 |
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| alternate_name = |
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トマトケチャップを用いるレシピは[[進駐軍]]が[[軍食]]としていたという記録があり<ref>横浜税関 [http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022127/www.customs.go.jp/yokohama/toukei/topics/data/0902spaghetti.pdf スパゲティの輸入「スパゲティナポリタンは横浜生まれ!」]</ref>、簡便に作れることから各地で模倣されたものと考えられる。 |
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| country = {{JPN}} |
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[http://cookpad.com/category/390 クックパッド]<ref>[http://cookpad.com/category/390 クックパッド]</ref>では、トマトケチャップを使用したスパゲティ一般を'''ナポリタン'''のカテゴリに置き、多様なレシピを紹介している。 |
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| region = |
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| national_cuisine = [[洋食]] |
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| creator = |
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| year = |
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| mintime = |
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| maxtime = |
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| type = |
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| course = メインディッシュ |
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| served = 温製 |
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| main_ingredient = [[スパゲッティ]]、[[トマトケチャップ]] |
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| minor_ingredient = [[タマネギ]]、[[ピーマン]]、[[ソーセージ|ウィンナー]]、[[マッシュルーム]] |
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| variations = 鉄板ナポリタン |
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| serving_size = 300 g |
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| calories = |
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| protein = |
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| fat = |
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| carbohydrate = |
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| glycemic_index = |
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| similar_dish = |
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| other = |
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| complexity = |
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'''ナポリタン'''は、[[パスタ|パスタ料理]]の一種で、茹でた[[スパゲッティ]]を[[タマネギ]]、[[ピーマン]]、[[ベーコン]]などの[[具材]]と共に炒め[[ケチャップ|トマトケチャップ]]で調味したもの{{Sfn|上野|2004|p=1}}{{Sfn|21世紀研究会|2004|pp=108-109}}{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}。[[日本]]発祥のパスタ料理であり{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}、類似の名を持つ[[イタリア料理]]の[[スパゲッティ・アッラ・ナポレターナ]]とは異なる。 |
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== 発祥に纏わる諸説 == |
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横浜税関による平成21年2月26日付けの文書[http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022127/www.customs.go.jp/yokohama/toukei/topics/data/0902spaghetti.pdf スパゲティの輸入「スパゲティナポリタンは横浜生まれ!]により、そのトリビア的な意外性が注目を集めた。 |
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しかし、出典が起源とされるホテルの情報であって宣伝色が疑われること、考案者とされる当人は生涯考案者を公言しなかったこと、より古い年代にも同名同様の料理が存在したと指摘(海軍持ち込み説、三越発祥説、センターグリル説)されるなど、真の発祥については混迷を深めている。 |
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ナポリタンに類似した名で呼ばれるパスタ料理は幅広く存在するが、本稿では、[[第二次世界大戦]]後に日本の喫茶店や洋食店で広く提供されていた、[[小麦粉#薄力粉|軟質小麦]]を原料としたコシのない麺をケチャップで着色したものを中心に解説する。その周辺の類似したパスタ料理についても適宜解説する。 |
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=== 海軍持ち込み説 === |
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[[第一次世界大戦]]に[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側で参戦した日本が[[地中海]]に艦隊を派遣した際にイタリアに寄港してトマトベースのパスタを知ったという説や、[[大正時代]]には[[大日本帝国海軍|日本海軍]]において既に今のナポリタンと同様な料理が供食されていたとの説がある<ref>上野『ナポリタン』、pp.24-25</ref>。 |
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== 調理方法 == |
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[[ファイル:Naporitan by yamauchi.jpg|thumb|260px|ナポリタンの一例。後方右側に粉チーズ、中央はタバスコペッパーソース。この品ではベーコン、タマネギ、ピーマンは見られない。]] |
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[[古川ロッパ]]の日記<ref>[http://www.amazon.co.jp/dp/479493016X 古川ロッパ 昭和日記 戦前篇]</ref>昭和9年12月22日の記載に、三越の特別食堂でナポリタンを食したことを記しており、現時点では日本最古の記録であることから、三越が発祥という説がある。 |
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[[日本パスタ協会]]のおすすめレシピによると、[[オリーブ・オイル|オリーブ油]]を熱したフライパンで[[ベーコン]]、[[タマネギ]]、[[ピーマン]]などの具材を炒めたうえで、[[トマト]]や[[ケチャップ]]を加えてさらに炒め、茹でた[[スパゲッティ]]を混ぜて塩コショウで味を調えて作る<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.pasta.or.jp/recipe/recipe.php?recipe_id=151 |title=協会おすすめパスタレシピ ナポリタン |publisher=日本パスタ協会 |access-date=2018-10-04}}</ref>。ベーコンは[[ハム]]、[[ソーセージ]]などに置き換わることがある<ref>{{Cite journal |和書 |author=東理夫 |date=2012 |title=アメリカ:心のスパゲティ |journal=vesta |issue=86 |pages=41-43 |id={{NDLBibID|023671586}}}}</ref>。好みで[[タバスコ]]ペッパーソースや[[粉チーズ]]をかける。 |
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=== センターグリルのケチャップナポリタン === |
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野毛「米国風洋食 センターグリル」は昭和21年の開業時よりナポリタンにケチャップが使用されていた<ref>雑誌『横浜ウォーカー』2013年6月号</ref>(横浜ニューグランドの戦後営業再開は昭和27年)。 |
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=== 麺の「茹で置き」と「炒め」 === |
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=== 横濱発祥説 === |
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喫茶店や洋食店などのナポリタンには、茹でた麺を一定時間寝かせる工程や、再加熱時に麺を炒める工程が加わる{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/12734/ |title=横浜『センターグリル』で元祖ナポリタンのレシピを教えてもらった! |date=2018-02-22 |website=食楽web |access-date=2018-10-20}}</ref>。 |
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ナポリタンの起源について、[[横浜市|横浜]][[山下町 (横浜市)|山下町]]にある[[ホテルニューグランド]]第2代総料理長・[[入江茂忠]]が戦後、考案したとする主張がある<ref>横浜税関 [http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022127/www.customs.go.jp/yokohama/toukei/topics/data/0902spaghetti.pdf スパゲティの輸入「スパゲティナポリタンは横浜生まれ!」]</ref><ref>上野『ナポリタン』、pp.29-30</ref>。入江は、[[進駐軍]]の兵士に簡便に提供できるスパゲッティとして、ケチャップをかけピーマンとハムの細切れを入れたものを供した<ref>[http://1000ya.isis.ne.jp/1541.html ラーメンと愛国]松岡正剛の千夜千冊1541夜、2014年04月15日</ref>。 |
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しかし、入江料理長は、亡くなるまで「自分が発案した」と公言することがなかった。 |
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家族や周囲も入江が亡くなった数年後に上記文献に記載されるまで、入江がナポリタンの考案者であると考えることはなかったという{{要出典|date=2013年9月}}。 |
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麺を芯がなくなるまで茹でて[[サラダ油]]で和え、[[冷蔵庫]]で一晩置く。客の注文が入ってからケチャップ、具とともにフライパンで炒めつつ再加熱する。麺を余計に茹でるのも、油で和えるのも、冷蔵保存と再加熱時に水分が飛んで麺が乾燥するのを防ぐためとされる<ref name="kiko">{{Cite web |和書 |url=http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAj2002026022009 |title=パスタあるいはスパゲティ(その2) ナポリタンとイタリアンの違いは? |work=「食べ物新日本奇行」シーズン4第10回 |publisher=[[日本経済新聞社]] |access-date= 2015-04-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150518100449/http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAj2002026022009 |archive-date=2015-05-18 |url-status=dead|url-status-date=2018-09-28}}</ref>。 |
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=== 進駐軍のケチャップあえスパゲティ === |
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入江は「進駐軍の[[レーション|兵営食]](スパゲティをケチャップであえたもの)を参考に(ケチャップを使わないレシピとして)考案した」とあること、当時フランスにもスパゲティ・ナポリテーヌと呼ばれる料理が存在したこと、師である[[サリー・ワイル]]から習っていたであろうこと、ケチャップを使った和式のいわゆる'''ナポリタン'''と異なったレシピであることから<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/5098/ All About 洋食の元祖は横浜にあり]</ref>、入江考案説には疑問が呈されている。しかしその一方で7割方茹でたパスタを冷まし、5時間以上放置した上で湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す、といった日本向けの工夫は入江の功績と見做されるものである<ref>菊地武顕『あのメニューが生まれた店』平凡社・83頁</ref>。 |
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[[日本経済新聞]]のコラム「食べ物新日本奇行」で、編集委員の[[野瀬泰申]]は、麺を茹で置いて客の注文が入ってから再加熱する調理法が[[立ち食いそば・うどん店|立ち食いそば]]と同じであると述べたうえで、同様のパスタの茹で置きが[[ベルギー]]の街のカフェでも行われている話を紹介し、「冷凍麺がなかった時代に生まれた調理時間の短縮技と思われる」と述べている<ref name="kiko" />。 |
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== 日本独自の路線 == |
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=== 国産化と安価材料への代替による普及 === |
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昭和30年代になると国産スパゲティーが開発された。そこで販売促進のデモンストレーション用に調理が比較的簡単なメニューとしてナポリタンが選ばれ、さらに[[学校給食]]のメニューにも取り入れられるなどしたため、ナポリタンの知名度は急速にアップした<ref>上野『ナポリタン』、pp.53-54,131</ref>。当時トマトピューレは庶民の手には入り難く庶民には肉も高価であったため、代用としてケチャップと安価な赤い色の[[ウインナーソーセージ|ウインナー]]や[[魚肉ソーセージ]]等を使う調理法が生みだされ、現在の一般的なナポリタンが確立された。このナポリタンのあらかじめ茹置きした麺をフライパンで味付けしながら炒め直しする調理法は簡便なことから、ナポリタンは給食以外にも家庭、[[喫茶店]]及び学食などの庶民的定番メニューとして親しまれて、全国的に定着していった。また調理スペースが手狭な列車の[[食堂車]]や軽食堂などでは、同様の理由からレトルトの業務用ミートソースが開発されるまでスパゲティーといえばもっぱらナポリタンが供食されていた<ref>上野『ナポリタン』、p.103</ref>。 |
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小説家の[[浅田次郎]]は、エッセイの中でナポリタンを次のように描写している。 |
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=== バブル期のパスタ料理多様化 === |
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{{Quotation|正統のナポリタンは、[[アルデンテ]]などであってはならぬ。きのう茹で上げて冷蔵庫に眠っていたような、ブヨブヨのスパゲッティが好もしい。それを少々の玉葱とウインナソーセージの薄っぺらな輪切りと、真赤なトマトケチャップで炒める。実に素朴な、変えようも変わりようもない、完成された味であった。|浅田次郎|『パリわずらい 江戸わずらい』小学館、2014年、p. 148}} |
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飲食店におけるスパゲティはミートソースかナポリタンの2種類しかないことがほとんどだったが<ref>21世紀研究会・編『食の世界地図』108P 文藝春秋</ref>、80〜90年代の「[[イタリア料理|イタメシ]]ブーム」によって多種多様な本格的パスタが紹介され、日本でも様々な本格的[[パスタ]]が食べられるようになるに伴い、ナポリタンの人気は陰りを見せ、個人経営の[[喫茶店]]の減少とも相まってナポリタンを供食する飲食店は以前より減っていた。 |
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また、大衆食を題材にしたエッセイ「『丸かじり』シリーズ」で知られる漫画家の[[東海林さだお]]は、ナポリタンを次のように描写している。 |
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一方で、洋食メニューや弁当の付け合わせなどにもケチャップ味のスパゲティは定番として定着した。 |
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{{Quotation|ケチャップで味付けされていて、具はウインナソーセージを薄く輪切りにしたものとか、ハムとか缶詰のマッシュルーム、玉ねぎといったところ。(中略)ナポリタンは茹でたてであってはならず、茹でおきでなければならなかった。大量に茹でておいて、客の注文があると、フライパンで具といっしょにケチャップで炒めて出す。|東海林さだお|『ホットドッグの丸かじり』朝日新聞社〈丸かじりシリーズ 23〉、2005年、pp. 154-155}} |
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== 起源と歴史 == |
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=== トマトソースのパスタの誕生 === |
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近年、懐かしさや目新しさを求め、単体料理としてのナポリタン人気が再燃している<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/news/cooking/20130413-OYT8T00288.htm |title=ナポリタン、人気は鉄板…懐かしさと目新しさ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2013-04-20 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130520152438/http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/news/cooking/20130413-OYT8T00288.htm |archivedate=2013-05-20}}</ref>。 |
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ナポリタンは[[トマトケチャップ]]を用いて作られる料理であるが{{Sfn|21世紀研究会|2004|pp=108-109}}、[[トマト]]が[[新世界|新大陸]]から[[スペイン]]経由で[[ナポリ王国]]に伝わったのは[[1554年]]とされる{{Sfn|池上|2011|p=69}}。 |
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当時のナポリは良港として名高く{{Sfn|橘|1999|p=38}}、また[[シチリア]]とともに[[スペイン・ハプスブルク朝]]に支配されていたため、スペインを通じて新大陸の食材が手に入りやすい環境にあった{{Sfn|21世紀研究会|2004|pp=37-38}}{{Sfn|池上|2011|p=65}}。[[トマトソース]]のパスタは17-18世紀ごろにはナポリに存在していたとされる{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}{{Sfn|21世紀研究会|2004|pp=37-38}}。 |
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[[コンビニエンスストア]]の弁当やレトルト・[[冷凍食品]]として販売されるなどの展開もみられるようになった。 |
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歴史的にトマトベースのソースを記した最初のイタリア料理書は、在ナポリスペイン副王の[[宰相]]に[[家令]]として仕えた<ref name ="foodtimeline">{{Cite web |url=http://www.foodtimeline.org/foodsauces.html#tomato |title=Origins of Italian tomato sauce |website=Foodtimeline.org |access-date=2011-04-23}}</ref>[[イタリア人]]シェフ、{{日本語版にない記事リンク|アントニオ・ラティーニ|en|Antonio Latini|short=on}}が著し[[1696年]]に発行された ''Lo Scalco alla Moderna''(『近代的家令』あるいは『現代の給仕長』など)である{{Sfn|大隈|2010|pp=153-154}}。同書にはトマトを使った「Salsa di pomadoro alla spagnola(スペイン風トマトソース)」が記されている{{Sfn|大隈|2010|pp=153-154}}。 |
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このソースは、皮をむいて刻んだトマトに、みじん切りのタマネギとピーマン、[[イブキジャコウソウ]]、塩、オイル、酢などを混ぜたもので{{Sfn|大隈|2010|pp=153-154}}<!--同レシピに言及しているナイハード、Foodtimeline、大矢、池上、大隈の中で、ピーマンを材料に挙げているのは池上と大隈のみ。"peparolo"の翻訳時のユレか。大隈氏が"peparolo"が当時使用され始めたピーマンである旨を詳述していたのでピーマンの方にしました-->、ラティーニ自身は茹でた肉にかけることを奨めていた{{Sfn|ナイハード|2011|p=189}}。 |
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[[1773年]]には、ナポリ在住の{{日本語版にない記事リンク|ヴィンチェンツォ・コラード|it|Vincenzo Corrado|short=on}}が、著書''Il Cuoco Galante''(『粋な料理人』)の中でトマトソースの汎用性を賞賛し、トマトソースと組み合わせるものの例として、肉、魚、卵や野菜とともにパスタも挙げている{{Sfn|大隈|2010|pp=156-157}}{{Sfn|橘|1999|p=140}}。 |
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[[1790年]]には、ローマ出身の料理人{{日本語版にない記事リンク|フランチェスコ・レオナルディ|en|Francesco Leonardi (chef)|short=on}}も、著書''L'Apicio moderno''(『現代のアピキウス』)で、トマトソースとパスタとの組み合わせを紹介している<ref name ="foodtimeline" />{{Sfn|大隈|2010|p=161}}。 |
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トマトとパスタを組みあわせた料理のレシピが文献に登場するのは、[[1839年]]にナポリのヴォンヴィチーノ公爵である{{日本語版にない記事リンク|イッポリート・カヴァルカンティ|it|Ippolito Cavalcanti|short=on}}が著した ''Cucina Teorico-Practica''(『料理の理論と実践』)に記載された「ヴェルミチェッリのトマト添え」が最初だとされる{{Sfn|大隈|2010|p=165}}{{Sfn|橘|1999|pp=143-146}}。 |
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==== ナポリの「トゥレ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」 ==== |
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18世紀ごろのナポリでは、貧しい庶民の間でトマトソースのパスタ料理「トゥレ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」が食べられていた。 |
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当時ナポリの路上にはパスタを売る屋台があり、茹でた[[ヴェルミチェッリ]]にチーズをかけた「ドゥエ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」(「ドゥエ・チェンテジミ」は2チェンテジモの意。「チェンテジモ」は[[リラ (通貨)|リラ]]の100分の1の貨幣単位)が売られていた。さらに1チェンテジモ追加で支払えばトマトソースをかけることができた。そこからトマトソースをかけたこのパスタを「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」あるいは「ア・トリーエ(三つ)のヴェルミチェッリ」と呼ぶようになったという。このトマトソースは水も油も入れずトマトだけを煮詰めたものだった<ref>{{Cite book |和書 |author=西村暢夫 |date=2006 |title=イタリア食文化の起源と流れ |publisher=文流 |page=72 |isbn=4-9902944-0-8}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=ヴィンチェンツオ・ブオナッシージ |date=1998 |title=決定版 新パスタ宝典 |translator=西村暢夫 |publisher=読売新聞社 |page=165 |isbn=4-643-98120-2}}</ref>。 |
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ナポリでは17-18世紀ごろにトマトソースでスパゲッティを食べる習慣が普及したが、他の地方ではこの食べ方は知られておらず、ナポリとその近郊以外では食べられていなかったという{{Sfn|片岡|2008|p=152}}。 |
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このナポリのトマトソースを使用した調理法がフランスに伝わり、フランス料理に取り入れられるようになった{{Sfn|石毛|1991|pp=248-249}}。フランスでは「スパゲッティ・ナポリテーヌ(Spaghetti Napolitaine)」{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}あるいは「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」{{Sfn|片岡|2008|p=41}}と呼ばれた。 |
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=== 日本への伝来 === |
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==== 高級フランス料理のトマトソーススパゲッティ ==== |
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[[明治]]期の日本では[[パスタ#ロングパスタ|ロングパスタ]]より[[マカロニ]]が主流であった{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}。また当時の日本で[[西洋料理]]と言えば[[フランス料理]]であったことから、パスタ料理は当初マカロニや[[ラビオリ]]を[[ベシャメルソース]]で仕上げるフランス料理として調理されていたという<ref>{{Cite journal |和書 |title=日本のイタリアン草創期 |journal=料理王国 |issue=219 |page=39 |date=2012 |publisher=料理王国新社 |id={{NDLBibID|000007772668}}}}</ref>。ただし、日本では第二次世界大戦後までパスタの入手をほとんど輸入品に頼っていたため、ホテルや高級レストランでのみ扱われる料理であった{{Sfn|池上|2011|pp=3-6}}{{Efn|本稿で登場する[[三越百貨店]]や[[ホテルニューグランド]]も、[[戦前]]は[[正装]]していく場所であって、いずれも申し分なく高級料理店である<ref>{{Cite book |和書 |author=三宅艶子 |date=1980 |title=ハイカラ食いしんぼう記 |publisher=じゃこめてい出版 |page=214 |doi=10.11501/12103477}}</ref>。}}。明治30年ごろから日本では洋食店が増加し、一部の西洋料理は日本独自の「洋食」へと変化していったが、パスタ料理は戦前の段階では「洋食」化することはなかった{{Sfn|大矢|2002|pp=158-159, 169-172}}。 |
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[[1903年]]にフランス料理の大家[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]が著した''Le Guide culinaire''(『エスコフィエ フランス料理』)には、「Garniture à la Napolitaine(ガルニチュール・ア・ラ・ナポリテーヌ)」という名のパスタ料理が収録されている。そのレシピは、「スパゲティ500[[グラム|g]]をゆでて、[[グリュイエールチーズ|グリュイエール・チーズ]]50g、[[パルミジャーノ・レッジャーノ|パルメザンチーズ]]50gをおろしたもの、トマト・ピュレ1[[デシリットル|dl]]を合わせてつないだもの、バター100gを加えて仕上げる。ソース 主料理の肉の[[フォン (料理)|フォン]]」というものである。これは単品の料理ではなくautre garnitures(その他の付け合わせ)として収録されている<ref>{{Cite book |和書 |author=オーギュスト・エスコフィエ |date=1969 |title=エスコフィエ フランス料理 |translator=角田明 |publisher=柴田出版 |page=129}}</ref>。 |
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また、[[築地精養軒]]の料理長を務めた鈴本敏雄が[[1920年]]([[大正]]9年)に著した『仏蘭西料理献立書及調理法解説』でも、「Garniture à la Napolitaine(ガランチン・ア・ラ・ナポリテーイン{{Efn|同書巻末の「佛単語篇」に基づく。}})」という料理名で「Parmesan乾酪を加へたるTomato sauceにて調理したる"Spaghetti"」と、「Macaroni(又は)Spaghetti à la Napolitaine(マカロニ又はスパゲイチ・ア・ラ・ナポリテーイン)」という料理名で「ざつと茹でたるものを、赤茄子の原漿及び乾酪を加へ、充分にハムの風味を有たしたる羹汁にて煮込む」パスタ料理が収録されている<ref>{{Cite book |和書 |author=鈴本敏雄 |date=1920 |title=仏蘭西料理献立書及調理法解説 |publisher=奎文社出版部 |page=76 |doi=10.11501/964512 |url={{NDLDC|964512/1/47}}}}</ref>。 |
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==== 戦前の料理店のトマトソーススパゲッティ ==== |
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東京・[[銀座]]の[[煉瓦亭]]には、[[1921年]](大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」には[[トマトピューレ]]を用いていたが、[[関東大震災]]後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話もあるという{{Sfn|上野|2004|pp=18-19}}。 |
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[[横浜市]]教育委員会が発行した『横浜の食文化』p. 79には、[[1934年]](昭和9年)1月の横浜[[ホテルニューグランド]]のメニューが掲載されており、そこには「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの[[1935年]](昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている<ref name="nikkei">{{Cite news |和書 |author=伊藤浩昭 |title=横浜生まれ「ナポリタン」 懐かしの味 進化は続く |newspaper=日本経済新聞 |edition=夕刊 |date=2017-06-13 |url=https://style.nikkei.com/article/DGXKZO17599580T10C17A6NZ1P01 |access-date=2018-10-04}}</ref>。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだったと推定されている<ref name="nikkei" />。当時のホテルニューグランドの総料理長は[[ドリア]]の考案や[[アラカルト]]の導入などで知られる[[サリー・ワイル]]であり{{Sfn|高橋|2005|pp=40-41}}、戦前に同ホテルで修業経験のある[[小野正吉]]は、「スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ」と発言している<ref>{{Cite book |和書 |author1=辻嘉一 |author2=小野正吉 |date=1982 |title=食の味、人生の味・辻嘉一・小野正吉 |others=プロデューサー:平田嵯樹子 |publisher=柴田書店 |page={{要ページ番号|date=2024年6月}} |doi=10.11501/12101222}}</ref>。 |
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[[古川ロッパ]]の『[[古川ロッパ昭和日記]]』には、[[1934年]](昭和9年)12月22日に「三越の特別食堂」で「ナポリタン」というスパゲッティを食したことが書かれている<ref>{{青空文庫|001558|52689|新字旧仮名|古川ロッパ昭和日記01 昭和九年}}</ref>。ただし、ロッパの記述には「少し水気が切れない感じ」とあるため、茹でたパスタにソースを絡めた料理だったと推測される{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}。 |
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==== 戦前の料理書に見えるトマトソーススパゲッティ ==== |
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『vesta』編集部によれば、[[1905年]](明治38年)に西洋酒食料品雑貨を輸入していた「亀屋」が発行した非売品の本『佛国料理 家庭の洋食』に、トマトソースを用いた「スパゲット・アラ・イタリアン」という料理が紹介されている。これはマカロニの代わりにスパゲッティを用いた、トマトソースのグラタン風の料理である<ref name="vesta">{{Cite journal |和書 |title=日本スパゲティー事始め |journal=vesta |issue=86 |date=2012 |pages=6-7 |id={{NDLBibID|023671529}}}}</ref>。 |
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[[1927年]](昭和2年)の若林ぐん子『欧米の菓子と料理』には、「ナポリ式スパゲッチ」という料理が紹介されている。これはベーコン、タマネギ、トマト缶、トマトペーストを煮込んでソースを作り、茹でたスパゲッティにかけるものだった<ref name="vesta" />。 |
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また、『婦人之友』[[1937年]](昭和12年)12月号には、スパゲティの代わりにうどんを代用して作る「スパケテナポリタン」という料理が紹介されている<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/cat107/ |title=【vol. 60】「ナポリたん」ってお子ちゃまキャラだと思ってたのに、いったいどんな過去が… |date=2013-09-26 |website=編集部だより 料理本のソムリエ |publisher=[[柴田書店]] |access-date=2018-10-04}}</ref>。これは肉と脂と[[ニンニク]]を炒めてから汁だけを残し、トマト{{Efn|name="トマト"|材料欄には、トマトは「なくてもよい」としている。ただしトマトがないときは「トマトケチャップを少し沢山入れる」とある。}}を入れて炒め、トマトケチャップ{{Efn|name="トマト"}}、[[月桂樹]]の葉と[[シェリー酒]]を加えて湯で伸ばし、塩と胡椒で味付けしてソースとするレシピである<ref>{{Cite journal |和書 |author=野口菊枝 |date=1937-12 |title=暖かいうどん料理 11スパケテナポリタン |journal=婦人之友 |volume=31 |issue=12 |pages=184-185 |publisher=婦人之友社 |doi=10.11501/3562634}}</ref>。 |
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以上のように、戦前にも「ナポリタン」や類似した名前のパスタ料理は存在した。 |
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古川ロッパは、『ロッパ食談』において、戦後のイタリア料理店で供されるスパゲッティやマカロニについて「イタリー料理といへば、われらは、戦争前に、ニューグランドやホテルのグリルで、もっと欧風化した奴を食っている」と記し、戦前のヨーロッパ風のパスタ料理が戦後のパスタ料理とは異なっていたことを証言している{{Sfn|大矢|2002|p=178}}。しかし、戦前のこれらのパスタ料理は太平洋戦争によっていったん忘れ去られることになる{{Sfn|大矢|2002|pp=169-171}}。大矢は、[[太平洋戦争]]によって日本人のそれまでの食文化がいったん完全に破壊されたのだと述べている{{Sfn|大矢|2002|pp=173-174}}。 |
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=== 占領下の日本とアメリカ風スパゲッティ=== |
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太平洋戦争終結後、日本は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の占領下に置かれた。日本国内にはアメリカ軍を中心とした連合軍が進駐軍として駐留し、日本人とアメリカ兵たちとの間には交流も生まれた<ref>{{Cite book |和書 |author1=服部一馬 |author2=斉藤秀夫 |date=1976 |title=占領の傷跡:第二次大戦と横浜 |publisher=[[有隣堂]] |series=有隣新書 |pages=55-56 |isbn=4-89660-056-8 |doi=10.11501/12227194}}</ref>。そんな中で日本人はアメリカの食文化に接することになった。 |
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==== アメリカのパスタ文化 ==== |
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イタリアからアメリカへの移民は、ナポリ近傍の[[カンパニア州|カンパニア]]地方、および[[シチリア]]出身者が多かった{{Sfn|石毛|1991|pp=250-251}}。彼らは母国から輸入したパスタを食べていたが、その食文化は他のアメリカ人には広まらなかった。というのは、先に移住していた豚肉食文化のドイツ系移民による同化政策があったためである。イタリア系移民の家庭にはケースワーカーが送り込まれて肉食が奨励され、具なしパスタのようなエスニックな食文化は修正されていった{{Sfn|大矢|2002|pp=151-153}}{{Sfn|池上|2011|pp=190-192}}。 |
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パスタはイタリアでは富裕層にとってコース料理の中の一品、貧困層にとって単品ですべてを満たす手軽な食事という二面性を持っていたが、アメリカでは後者の側面が強まった。パスタはアメリカ人の嗜好に合わせて[[大衆化]]し、その結果として生まれたのが、スパゲッティにトマトソースと[[ミートボール]]と[[パルメザンチーズ]]を合わせた「[[スパゲッティ・ウィズ・ミートボール]]」であった{{Sfn|シェルク|2017|pp=93-95}}。この料理は[[世界恐慌]]の折に安価な料理としてイタリア系以外のアメリカ人にも広まったという<ref name="maekawa" />。 |
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{{日本語版にない記事リンク|ボアルディ|en|Ettore Boiardi|short=on}}兄弟は、スパゲッティの缶詰を製造し、第二次世界大戦では[[アメリカ陸軍]]へ供給する契約を取りつけることに成功した{{Sfn|ガバッチア|2003|pp=251-252}}。アメリカ人は、兵隊食([[Cレーション]])の缶詰スパゲッティでいっそうスパゲッティに親しむことになった<ref name="kiko" />{{Sfn|石毛|1991|pp=250-251}}{{Sfn|ガバッチア|2003|pp=251-252}}。この缶詰のスパゲッティにはケチャップに近いソースが使われていて、やわらかく、ぎっとりして甘いものだった{{Sfn|ナイハード|2011|p=119}}。 |
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缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人はコシのないやわらかい麺に慣れ親しみ、その嗜好に合わせる形で、現地で生産されるスパゲッティも硬質小麦ではなく軟質小麦を用いたやわらかいものになった{{Sfn|石毛|1991|pp=250-251}}。 |
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こうしてアメリカ人は“ケチャップあえのスパゲッティ”を好むようになり、この嗜好がGHQと共に日本に伝わることになる<ref>{{Cite book |和書|editor=FM NACK5 |editor-link=エフエムナックファイブ |others=[[服部幸應]] 監修 |date=2009 |title=服部幸應の「食のはじめて物語」 |publisher=講談社 |page={{要ページ番号|date=2024年6月}} |isbn=978-4-06-215400-0}}</ref>。 |
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==== 「ナポリタン」のルーツ ==== |
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[[上野玲]]は、アメリカの[[スパゲッティ・ウィズ・ミートボール]]がナポリタンのルーツであり、戦後に進駐軍を通じて伝わったものと推定している{{Sfn|上野|2004|pp=12-15}}。池上も進駐軍が食べていたピザやスパゲッティの影響と見ている{{Sfn|池上|2011|pp=3-6}}。 |
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[[大矢復]]は、[[1907年]]に発行されてベストセラーになった[[ペッレグリーノ・アルトゥージ]]の主婦向けレシピ集『料理の科学と美食の技法』の「ナポリ風マッケローニ」がナポリタンのルーツであり、戦後都心にできた新興のイタリア料理店が米兵の好みに合わせて提供していた料理が広まった可能性を挙げている{{Sfn|大矢|2002|pp=194-195}}。 |
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==== 入江茂忠の「スパゲティーナポリタン」 ==== |
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ホテルニューグランド第4代総料理長の高橋清一は、ナポリタンは第2代総料理長の[[入江茂忠]]が戦後に考案したと述べている{{Sfn|高橋|2005|pp=52-53}}{{Sfn|上野|2004|pp=28-30}}。 |
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ホテルニューグランドは、[[1945年]](昭和20年)8月30日の[[ダグラス・マッカーサー]]の来日直後から7年間GHQに接収されていた<ref name="kikuchi">{{Cite book |和書 |author=菊地武顕 |date=2013 |title=あのメニューが生まれた店 |publisher=平凡社 |series=コロナ・ブックス 186 |page=83 |isbn=978-4-582-63486-0}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.hotel-newgrand.co.jp/origin/ |title=ホテルニューグランド発祥 スパゲッティ ナポリタン |website=ホテルニューグランド |access-date=2018-10-20}}</ref>。入江は進駐軍の兵士がケチャップで和えただけの具なしスパゲッティを食べているのを見て、ケチャップだけでは味気ないと考え、生トマト、タマネギ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルでトマトソースを作り、炒めたハム、ピーマン、マッシュルームを加えてソースで和えたスパゲッティを考案したという<ref name="kikuchi" />。このスパゲッティは「スパゲッティーナポリタン」と呼ばれた{{Sfn|高橋|2005|pp=52-53}}。高橋によると、「ナポリタン」という命名は、中世のころナポリの屋台で庶民向けにトマトソースをかけたスパゲティが売られていたことをヒントにしたものだという{{Sfn|高橋|2005|pp=52-53}}{{Efn|ナポリにトマトが伝わったのは上述のとおり1554年頃とされているため、実際には中世のナポリにはまだトマトソースは存在していなかったと考えられる。}}。 |
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入江の「スパゲティーナポリタン」はケチャップを使ってはいないが、7割がた茹でたパスタを冷まし、5-6時間放置したうえで湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す、というひと手間を加える工夫は入江の功績と見なされる{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}<ref name="kikuchi" />。 |
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高橋は中世ナポリ風であることが「ナポリタン」という名前の直接の由来であるとしているが、澁川は、入江は師の[[サリー・ワイル]]を通じてフランス料理の「スパゲッティ・ナポリテーヌ」の存在を知っており、日本人が呼びやすいように「ナポリテーヌ」を「ナポリタン」に変化させたのではないかと考察している{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}(なお、入江は「スパゲチ ナポリテーイン」の提供されていた東京ニューグランドに[[1936年]](昭和11年)ごろから勤めている<ref>{{Cite book |和書 |author=木沢武男 |date=1987 |title=ぼくはコック長 |publisher=ポプラ社 |pages=23-26 |isbn=4-591-02470-9}}</ref>)。上野は、戦時中に陸軍の厨房兵として従軍していた入江に、旧海軍の「マカロニナポリタン」という料理名の記憶があったのではないかと考察している{{Sfn|上野|2004|pp=28-30}}{{Efn|ただし、『海軍研究調理献立集』に記載されている「マカロニナポリタン」は、炒めた鮭とタマネギに生クリームを加えて[[ペンネ]]と混ぜ合わせたもので<ref>{{Cite book |和書 |author=高森直史 |date=2003 |title=海軍食グルメ物語 |publisher=光人社 |pages=85-91 |isbn=4-7698-1086-5}}</ref>、トマトは使われていない。}}。 |
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また、横浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」では、[[1946年]](昭和21年)の開業時よりナポリタンにケチャップが使用されていたとされる<ref>『横浜ウォーカー』2013年6月号{{要ページ番号|date=2024年6月}}</ref>。高価で加工に手間もかかるトマトを使わずケチャップを用いるのは町の洋食店ならではの工夫だとして、センターグリルが「ケチャップナポリタン」の発祥であると見る向きもある<ref name="nikkei" />。ただし、同店の創業者の石橋豊吉は、ワイルの経営していたセンターホテルで修業をしていて<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.center-grill.com/menu.html |title=米国風洋食センターグリル メニューのご紹介 |website=米国風洋食センターグリル |access-date=2018-10-04}}</ref>入江とも親交があり、開業後にも入江からアドバイスを受けていたという<ref name="nikkei" />。 |
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=== パスタの国産化と普及 === |
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太平洋戦争の終結後、深刻な食糧難に陥っていた日本では、米不足を補うために主食として粉食の普及が推進された。これによって日本の製粉業も急発展する。[[1952年]](昭和27年)に麦の政府統制が間接統制に移行したのを契機に、小麦の加工も買取加工制度に変更され、自由競争が行われるようになった。製粉会社は自由に原料を買い取って[[製粉]]できるようになった一方で、大幅に淘汰された{{Sfn|製粉振興会|2008|p=62}}。 |
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==== MSA小麦の受け入れ ==== |
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[[1954年]](昭和29年)3月、日本は[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定]] (Mutual Security Act; MSA) に調印した。MSAは本来軍事援助のためのものであるが、その中にはアメリカの余剰農産物を購入する余剰農産物購入協定も含まれていた{{Sfn|岸|1996|pp=90-98}}。日本はアメリカ産の小麦50万トンを受け入れることになった<ref name="ishii">{{Cite journal |和書 |author=石井晋 |date=2004-01 |title=MSA協定と日本:戦後型経済システムの形成(2) |journal=学習院大学経済論集 |issn=0016-3953 |publisher=[[学習院大学]]経済学会 |volume=40 |issue=4 |pages=295-313 |hdl=10959/570 |naid=110000982329 |url=https://glim-re.repo.nii.ac.jp/records/478}}</ref>。 |
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この「MSA小麦」は政府から製粉業者に払い下げられることになったが<ref>{{国会会議録検索システム|101903968X05319540521|衆議院会議録情報 第019回国会 外務委員会 第53号|accessdate=2018-10-20}}</ref>、日本で需要のあった硬質小麦ではなく軟質小麦だったうえに他の輸入小麦に比べて割高であり<ref name="ishii" />、質もあまり良くないものだったという<ref>{{国会会議録検索システム|101904992X00119540702|衆議院会議録情報 第019回国会 農林委員会食糧に関する小委員会|accessdate=2018-10-20}}</ref>。 |
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余剰農産物の輸出と軍事援助を組み合わせたMSAには批判も多く、余剰農産物の処理は農業貿易開発援助法(The agricultural trade development and assistance act)、通称PL480(Public Law 480、公法480号)に引き継がれることになる。日本はこのPL480にも調印し、[[1955年]](昭和30年)5月、アメリカ産の小麦約34万トンを受け入れた{{Sfn|岸|1996|pp=90-98}}。 |
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==== アメリカ産小麦の特徴 ==== |
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このときアメリカから輸入された小麦は[[薄力粉]]となる軟質小麦であった。もともと[[オレゴン州]]で獲れる小麦はウェスタンホワイト種という軟質小麦であったためである。アメリカにも[[デュラム小麦]]がないわけではなかったが、その産地はロッキー山脈より東側の中西部諸州に限られており、日本向けに太平洋側へ輸送するのはコスト面で無理だった{{Sfn|高嶋|1979|pp=128-129}}。従来の日本産の小麦も軟質のものであり、必然的に日本のパスタは薄力粉で打ったコシのないものになった{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}。 |
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==== キッチンカー事業の開始 ==== |
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[[1956年]](昭和31年)、[[日本食生活協会]]は、厚生省との連携のもと、栄養指導車([[キッチンカー]])を使った栄養指導「キッチンカー事業」を開始した。この事業には、[[アメリカ合衆国農務省]]の代行機関であるオレゴン小麦栽培者連盟が資金を提供していた。日本人の栄養改善のために[[粉食]]を奨励していた厚生省と、海外市場の開拓を図る米国農務省の思惑が一致した形だった{{Sfn|岸|1996|pp=90-98}}。 |
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キッチンカーは全国各地を巡り、主婦層に直接、粉食推進、油摂取拡大による栄養改善を指導した{{Sfn|岸|1996|pp=90-98}}{{Sfn|高嶋|1979|p=174}}。キッチンカーの献立に最低一品は小麦を使うことが米国側からの条件であった(のちに大豆の使用も条件に加わった)ので{{Sfn|岸|1996|pp=90-98}}、[[パン]]はもちろんのこと、スパゲッティ、[[ホットケーキ|パンケーキ]]、[[ドーナツ (菓子)|ドーナツ]]など、小麦粉と油を使う料理が実演とともに無料でふるまわれた{{Sfn|鈴木|2003|pp=57-61}}。 |
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このキッチンカーによる料理指導のほか、[[フライパン]]での油物調理を奨める「フライパン運動」やたんぱく質の摂取を呼びかけるコマーシャルなどによって、日本の食生活の洋風化と栄養重視嗜好が進んでいった<ref>{{Cite book |和書 |author1=江原絢子 |author2=石川尚子 |author3=東四柳祥子 |date=2009 |title=日本食物史 |publisher=吉川弘文館 |page=309 |isbn=978-4-642-08023-1}}</ref>。 |
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==== パスタ元年 ==== |
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小麦の大量輸入と前後する[[1954年]](昭和29年)、イタリアからパスタの自動製造機が輸入され{{製粉振興会|2008|p=73}}、[[1955年]](昭和30年)には[[マ・マー]]マカロニの前身となる日本マカロニ株式会社と日本製粉(現・[[ニップン]])のオーマイブランドがそれぞれ国産スパゲッティの販売を開始した{{Sfn|池上|2011|pp=3-6}}{{Sfn|大矢|2002|pp=175-176}}。日本国内でパスタの大量生産が始まったこの年は「パスタ元年」とも呼ばれる<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.pasta.or.jp/content/basic/history.html |title=パスタの歴史|パスタとは |publisher=[[日本パスタ協会]] |access-date=2018-10-20}}</ref>。 |
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このとき、販売促進のデモンストレーション用にナポリタンの原型ともいえる'''ケチャップを混ぜて炒める「ケチャップパスタ」が登場'''し、調理が簡単なメニューとして喫茶店や家庭に広まっていったという{{Sfn|澁川|2013|pp=38-45}}{{Sfn|上野|2004|pp=50-52}}。 |
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ただし、上野によれば、昭和30年代の時点ではこの「ケチャップパスタ」はナポリタンという料理名では呼ばれていなかった。上野は、[[1967年]](昭和42年)に高森興産が販売したパスタが「ナポリタン」の製品化の嚆矢と推測する一方で、流通販路が限られていたためその名称が全国的に広まったとは考えにくいと述べている。1970年代に入り学校給食にナポリタンという名前でケチャップソースの現在の昔風ナポリタンと同様の物が提供されていた。 |
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[[前川健一]]によると、[[1970年]](昭和45年)発行の『日清製粉株式会社七十年史』に、「マカロニ類はめん類の中では特異な存在であって、業務用が主体となっている高級品である」とあり、1960年代にはまだ家庭ではスパゲッティはあまり食べられていなかった。イタリア料理店もそれほど多くなかったため、スパゲッティといえば喫茶店や洋食店で食べるもので、家庭でさかんに食べられるようになったのは[[1970年代]]か[[1980年代]]かもしれないという<ref name="maekawa">{{Cite journal |和書 |author=前川健一 |date=2012 |title=アルデンテなんて知らないよ |journal=vesta |issue=86 |pages=8-17 |id={{NDLBibID|023671542}}}}</ref>。 |
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池上は、パスタ料理が庶民に普及した理由として、[[1970年代]]からの[[ファミリーレストラン]]の興隆を大きな要因として挙げている{{Sfn|池上|2011|pp=7-8}}。ファミリーレストランの先駆けとされる[[すかいらーく#すかいらーく開店|すかいらーく]]の開業時のメニューには「スパゲティナポリタン」も記載されている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.houdoukyoku.jp/posts/14587 |title=スカイラークから「すかいらーく」へ 巨大外食チェーン、成長の歴史 |date=2017-07-05 |website=[[ホウドウキョク]] |access-date=2018-10-20}}</ref>。 |
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[[1991年]]発行の『調味料・香辛料の事典』では、[[東京都|東京地区]]と[[大阪府|大阪地区]]で実施された「家庭内におけるケチャップメニューの出現頻度」のアンケートにおいて、「ナポリタン」は「スパゲティ・パスタ」とは別項目に分けられたうえで、出現頻度の高いメニューとして東京地区の5位につけている(「スパゲティ・パスタ」は東京・大阪ともに3位)。<ref>福場博保、小林彰夫編『調味料・香辛料の事典』朝倉書店、1991年、p.272</ref> |
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=== パスタ料理の多様化 === |
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1980年代半ばごろまでは、飲食店におけるスパゲッティは[[ミートソース]]かナポリタンの2種類(関東、東北では[[イタリアンスパゲッティ|イタリアン]]を加えて3種類)しかないことがほとんどであった{{Sfn|21世紀研究会|2004|p=108}}。この2種のスパゲッティは、喫茶店、学校給食、食堂などでも広く親しまれるようになった{{Sfn|池上|2011|pp=7-8}}。 |
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1970年代から1980年代にかけて、スパゲッティの味付けや種類は多様化していく。また、1990年代の「イタめし」ブームによって、日本でも様々な本格的パスタが食べられるようになった{{Sfn|池上|2011|pp=7-8}}。 |
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その一方で、ナポリタンを供食する飲食店は以前より減少することになった。小説家の浅田次郎は、ナポリタンを見かけなくなった原因について、「主たる提供場所であった喫茶店が少なくなってしまったからである」と記し、自身の生家の喫茶店もバブルの影響で閉店したことを明かしている<ref>{{Cite book |和書 |author=浅田次郎 |date=2014 |title=パリわずらい 江戸わずらい |publisher=小学館 |page=149 |isbn=978-4-09-388360-3}}</ref>。 |
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=== 懐かしのメニューとして === |
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21世紀に入ると、懐かしさや目新しさを求め、単体料理としてのナポリタンの人気がある<ref>{{Cite news |和書 |url=http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/news/cooking/20130413-OYT8T00288.htm |title=ナポリタン、人気は鉄板…懐かしさと目新しさ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2013-04-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130520152438/http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/news/cooking/20130413-OYT8T00288.htm |archive-date=2013-05-20 |deadlinkdate=2017-09-15}}</ref>。 |
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一方で、片岡義男は、ナポリタンが復興したのではなく、[[バブル崩壊]]に伴う経済的縮小により本格イタリアンが衰退したという説を紹介している{{Sfn|片岡|2008|pp=101-102}}。 |
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=== 地域バリエーション === |
=== 地域バリエーション === |
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* 中部・関西圏ではナポリタンをイタリアンと呼ぶことが多く、関西以西では店によって混合している{{Sfn|上野|2004|pp=58-61}}。上野がマ・マーマカロニから聞いた情報によると、同社のパスタ商品「イタリアン」が[[大阪都市圏|関西圏]]で多く出回ったことから、喫茶店などでも「イタリアン」という名称が定着したのだという。上野は、これが関東と関西で呼び名の違いが生まれた理由ではないかと考察している{{Sfn|上野|2004|pp=50-52}}。 |
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* [[新潟県]]では、[[焼きそば]]にトマトソースをかけたものを「[[イタリアン (新潟)|イタリアン]]」と称している地域がある。 |
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<!--** ただし、[[新潟県]]では、[[焼きそば]]にトマトソースをかけたものを「[[イタリアン (新潟)|イタリアン]]」と称している地域がある{{Sfn|上野|2004|pp=68-71}}。--> |
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* [[名古屋市|名古屋]]にはナポリタンを鉄板の上に載せ、卵を敷いた「[[イタリアンスパゲッティ#中京|イタリアンスパゲッティ]]」と呼ばれる派生料理がある{{Sfn|上野|2004|pp=62-67}}。焼いた鉄板に別のフライパンで仕上げたナポリタンスパゲティを載せ、最後に上から溶き卵を流しかけて完成となる。先に卵を鉄板に流すわけではない。 |
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* [[静岡県]][[富士市]]には麺をトマトソースベースの[[ダブルスープ]]につけて食べる[[つけナポリタン]]という[[ご当地料理]]がある。 |
* [[静岡県]][[富士市]]には麺をトマトソースベースの[[ダブルスープ]]につけて食べる[[つけナポリタン]]という[[ご当地料理]]がある。 |
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* [[東京都]][[八王子市]]には、[[八王子ラーメン]]のようにタマネギのみじん切りをトッピングにした「八王子ナポリタン」がある<ref>{{Cite web |和書 |url=http://8napo.com/ |title=八王子ナポリタン倶楽部 |website=八王子ナポリタン倶楽部 |access-date=2024-06-25}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/article/020/68/ |title=「八王子ナポリタン」 特徴は玉ねぎたっぷり ご当地グルメの魅力広めようと飲食店主たちが奮闘! |date=2024-05-01 |work=NHK首都圏ナビ |publisher=[[日本放送協会]] |access-date=2024-06-25}}</ref>。 |
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* [[中京圏|名古屋]]には卵と合わせた[[イタリアンスパゲッティ]]と呼ばれる派生料理がある<ref>上野『ナポリタン』、p.68</ref><!--独自研究 なお、[[東京]]等の[[関東]]圏では、具材はナポリタンとほぼ同じだが、ケチャップを使わず、ただ[[塩]]と[[胡椒]]〔や[[醤油]]等〕で味付けし、[[油]]炒めしたスパゲティを「イタリアン」と称することもある-->。 |
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* [[島根県]][[出雲市]]には、食品会社3社が2018年に売り出した「出雲ナポリタン」がある<ref>{{Cite news |和書 |url=http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1524274930316/index.html |title=出雲ナポリタン誕生「そば」に続く新名物に |newspaper=[[山陰中央新報]] |date=2018-04-21 |access-date=2018-05-30 |deadlinkdate=2024-06-25}}</ref>。 |
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* [[近畿地方]]ではナポリタンをイタリアンと呼ぶこともあるが、何をナポリタンと呼ぶかはレストランによりまちまちである。また袋入りのレトルト食品として両方の商品名で売られているが、両者はほとんど同じものである<ref>上野『ナポリタン』、pp.55-56</ref>。 |
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* [[東洋水産]]から「[[やきそば弁当]] ナポリタン味」が2012年1月[[北海道]]限定で発売された。 |
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== 諸外国事情 == |
== 諸外国事情 == |
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=== イタリア=== |
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ナポリにはケチャップ炒めスパゲッティはない<ref>{{Cite book |和書 |author=吉川敏明 |date=2010 |title=ホントは知らないイタリア料理の常識・非常識 |publisher=柴田書店 |pages=76-77 |isbn=978-4-388-35332-3}}</ref>。米国生まれの[[トマトケチャップ]]を味付けの主役に使用することはまずなく、ピーマンやハムが入ることはない。トウガラシ加工品であるタバスコペッパーソースが入ることもない。 |
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漫画家[[ヤマザキマリ]]は自身のイタリア留学時代の体験を綴った漫画エッセイ『それではさっそくBuonappetito!』で、ナポリ出身のルームメイトと「ナポリタン」を巡る顛末を描いている。そこでも、トマトケチャップを用いる「ナポリタン」は「ナポリ料理ではない」と否定されている。ルームメイトが作った一見ナポリタンらしきものはスパゲッティ・アッラ・[[アマトリチャーナ]](オリーブオイルで刻みタマネギとベーコンを炒め、白ワインとトマト水煮を入れて煮込むソースのパスタ)であった。イタリア出身者にとってはフライパンでスパゲッティを炒めることはありえず、パスタは茹でたらそのままソースに和えるだけという<ref>{{Cite book |和書 |author=ヤマザキマリ |date=2008 |title=それではさっそくBuonappetito! |publisher=講談社 |page=6 |isbn=978-4-06-337648-7}}</ref>。 |
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==== 西欧諸国・アメリカ ==== |
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イタリアのスパゲティ・ナポレターナ(Spaghetti Napoletana)と同様の同名(綴り多様性あり)料理がある{{要出典|date=2013年10月}}。 |
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食物史研究で知られるボローニャ大学教授{{日本語版にない記事リンク|マッシモ・モンタナリ|en|Massimo Montanari}}の[[1991年]]時点の談話によると、イタリアでは近年までスパゲッティやマカロニの需要はおもに南イタリアに限られており、イタリア全土でスパゲッティが食べられるようになったのは約40年前([[1951年]]前後)からのことだという{{Sfn|石毛|1991|p=250}}。この点について前川は、第二次世界大戦後、日本と同じような形でアメリカの小麦やパスタ文化がイタリアへ流入したのではないかと考察している<ref name="maekawa" />。[[伊丹十三]]はコラム集『女たちよ!』の中で、日本のナポリタンを強く非難した上で「本格的なイタリアのトマトソース」なるものを紹介しているが、そのレシピにはアメリカの食文化であるはずのタバスコペッパーソースを入れると書いている<ref>{{Cite book |和書 |author=伊丹十三 |date=1975 |title=女たちよ! |publisher=文春文庫 |page=25 |id={{NDLBibID|000001300607}}}}</ref>。 |
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==== 中国 ==== |
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[[中国]]では、ナポリタンというと[[ミートソース]]が出ることがある{{要出典|date=2013年10月}}。 |
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=== それ以外 === |
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* [[ロシア]]には「海軍風スパゲッティ」makaroniy po flotskiという料理がある。意図的に茹ですぎにしたスパゲッティと、刻みタマネギ、ほぐしたコンビーフを一緒にフライパンに入れて炒めるというもの。ケチャップを欠いていることを除けばナポリタンと同じものである<ref>{{Cite web |和書 |url=http://jp.rbth.com/multimedia/video/2015/03/03/52185 |title=美味しいテレビ:ロシアの海軍風マカロニ |website=RUSSIA BEYOND |access-date=2024-06-25}}</ref>。 |
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[[File:Neapolitan.jpg|thumb|200px|ナポリタンアイスクリーム]] |
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* [[ペルー]]にはタリャリンという小麦麺がある。トマト、牛肉、タマネギを炒めたソースをタリャリンにかけて食べる「タリャリン・デ・ロモ・サルタード」という料理がある。[[ロモ・サルタード]]風の麺という意味。麺も合わせて炒める場合もある<ref>{{Cite journal |和書 |author=高野潤 |date=2012 |title=料理大国ペルーのタリャリン利用について |journal=vesta |issue=86 |pages=38-39 |id={{NDLBibID|023671580}}}}</ref>。 |
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=== カクテル === |
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* [[スウェーデン]]では、シェルマカロニをケチャップで炒めたパスタ料理が[[コンビニエンスストア]]の惣菜コーナーで売られていたという{{Sfn|上野|2004|pp=111-119}}。スウェーデンはケチャップ好きの人が多いため、老若男女問わずパスタやマカロニにケチャップを掛けて食べる人が多い{{要出典|date=2023年11月}}。 |
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[[キュラソー|ホワイトキュラソー]]、オレンジキュラソー、ホワイトラムを使用した[[カクテル]]「ナポリタン」が存在する<ref>上野『ナポリタン』、pp.106-109</ref>。 |
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== 脚注 == |
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このほか、見た目も色も材料も異なる複数のカクテルが「ナポリタン」と呼ばれている |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<ref>http://www.instructables.com/id/Neapolitan-Cocktail/</ref> |
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<ref>http://www.foodnetwork.com/recipes/the-neapolitan-recipe/index.html</ref> |
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<ref>http://www.sheknows.com/recipes/neapolitan-cocktail</ref>。 |
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=== 注釈 === |
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チョコ、バニラ、ストロベリーの3種を並べた[[アイスクリーム]]をナポリタンアイスクリームと呼ぶ([[w:Neapolitan ice cream|Neapolitan ice cream]])。 |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|30em}} |
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<references/> |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* {{Citation |和書 |title=vesta |issue=86号(2012年春号) |publisher=味の素 食の文化センター |date=2012}} |
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* 上野玲『ナポリタン! I'm crazy in Naporitan spaghetti!』扶桑社 2004年11月 ISBN 4594048323、文庫 [[小学館]] ISBN 4094187022 |
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* {{Cite book |和書 |editor=21世紀研究会 |date=2004 |title=食の世界地図 |publisher=文芸春秋 |series=文春新書 378 |isbn=4-16-660378-7 |ref=harv}} |
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* {{Cite book |和書 |author=池上俊一 |date=2011 |title=パスタでたどるイタリア史 |publisher=岩波書店 |series=岩波ジュニア新書 699 |isbn=978-4-00-500699-1 |ref={{SfnRef|池上|2011}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=大矢復 |date=2002 |title=パスタの迷宮 |publisher=洋泉社 |series=新書y 055 |isbn=4-89691-609-3 |ref={{SfnRef|大矢|2002}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=片岡義男 |author-link=片岡義男 |date=2008-09-01 |title=ナポリへの道 |publisher=[[東京書籍]] |isbn=978-4-487-80283-8 |ref ={{SfnRef|片岡|2008}}}} |
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* {{Cite book |和書 |editor=製粉振興会 |date=2008 |title=小麦粉の魅力 |others=長尾精一 ほか 執筆 |publisher=製粉振興会 |ref=harv}} |
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* {{Cite book |和書 |author=高橋清一 |date=2005 |title=横浜流:すべてはここから始まった |publisher=東京新聞出版局 |isbn=4-8083-0834-7 |ref={{SfnRef|高橋|2005}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=橘みのり |date=1999-12 |title=トマトが野菜になった日:毒草から世界一の野菜へ |publisher=草思社 |isbn=4-7942-0938-X |ref={{SfnRef|橘|1999}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=ダナ・R・ガバッチア |date=2003-02 |title=アメリカ食文化:味覚の境界線を越えて |translator=伊藤茂 |publisher=青土社 |isbn=4-7917-6019-0 |ref={{SfnRef|ガバッチア|2003}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=カンタ・シェルク |date=2017-01 |title=パスタと麵の歴史 |translator=龍和子 |publisher=原書房 |series=「食」の図書館 |isbn=978-4-562-05330-8 |ref={{SfnRef|シェルク|2017}}}} |
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* {{Cite book |和書 |author=クリストフ・ナイハード |date=2011-07 |title=ヌードルの文化史 |translator=シドラ房子 |publisher=柏書房 |isbn=978-4-7601-3999-6 |ref={{SfnRef|ナイハード|2011}}}} |
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== 関連項目 == |
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* [[スパゲッティ・ウィズ・ミートボール]] |
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* [[炒麺]] |
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* [[横浜ナポリタン]] |
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* [[愛しのナポリタン]] |
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* [[日本ナポリタン学会]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* 澁川祐子「[https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14149 ナポリではなく横浜生まれ、「ナポリタン」こそ日本の正統派スパゲティだ]」『JBpress』日本ビジネスプレス、2011年7月8日。{{Accessdate|2018-10-04}} - 澁川祐子『ニッポン定番メニュー事始め』の連載時の記事。 |
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* [http://naporitan.org/ 日本ナポリタン学会] {{ja icon}} |
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2024年12月24日 (火) 00:24時点における最新版
ナポリタン | |
---|---|
ナポリタンの一例 | |
フルコース | メインディッシュ |
発祥地 | 日本 |
関連食文化 | 洋食 |
提供時温度 | 温製 |
主な材料 | スパゲッティ、トマトケチャップ |
その他お好みで | タマネギ、ピーマン、ウィンナー、マッシュルーム |
派生料理 | 鉄板ナポリタン |
ナポリタンは、パスタ料理の一種で、茹でたスパゲッティをタマネギ、ピーマン、ベーコンなどの具材と共に炒めトマトケチャップで調味したもの[1][2][3]。日本発祥のパスタ料理であり[3]、類似の名を持つイタリア料理のスパゲッティ・アッラ・ナポレターナとは異なる。
ナポリタンに類似した名で呼ばれるパスタ料理は幅広く存在するが、本稿では、第二次世界大戦後に日本の喫茶店や洋食店で広く提供されていた、軟質小麦を原料としたコシのない麺をケチャップで着色したものを中心に解説する。その周辺の類似したパスタ料理についても適宜解説する。
調理方法
[編集]日本パスタ協会のおすすめレシピによると、オリーブ油を熱したフライパンでベーコン、タマネギ、ピーマンなどの具材を炒めたうえで、トマトやケチャップを加えてさらに炒め、茹でたスパゲッティを混ぜて塩コショウで味を調えて作る[4]。ベーコンはハム、ソーセージなどに置き換わることがある[5]。好みでタバスコペッパーソースや粉チーズをかける。
麺の「茹で置き」と「炒め」
[編集]喫茶店や洋食店などのナポリタンには、茹でた麺を一定時間寝かせる工程や、再加熱時に麺を炒める工程が加わる[3][6]。
麺を芯がなくなるまで茹でてサラダ油で和え、冷蔵庫で一晩置く。客の注文が入ってからケチャップ、具とともにフライパンで炒めつつ再加熱する。麺を余計に茹でるのも、油で和えるのも、冷蔵保存と再加熱時に水分が飛んで麺が乾燥するのを防ぐためとされる[7]。
日本経済新聞のコラム「食べ物新日本奇行」で、編集委員の野瀬泰申は、麺を茹で置いて客の注文が入ってから再加熱する調理法が立ち食いそばと同じであると述べたうえで、同様のパスタの茹で置きがベルギーの街のカフェでも行われている話を紹介し、「冷凍麺がなかった時代に生まれた調理時間の短縮技と思われる」と述べている[7]。
小説家の浅田次郎は、エッセイの中でナポリタンを次のように描写している。
正統のナポリタンは、アルデンテなどであってはならぬ。きのう茹で上げて冷蔵庫に眠っていたような、ブヨブヨのスパゲッティが好もしい。それを少々の玉葱とウインナソーセージの薄っぺらな輪切りと、真赤なトマトケチャップで炒める。実に素朴な、変えようも変わりようもない、完成された味であった。 — 浅田次郎、『パリわずらい 江戸わずらい』小学館、2014年、p. 148
また、大衆食を題材にしたエッセイ「『丸かじり』シリーズ」で知られる漫画家の東海林さだおは、ナポリタンを次のように描写している。
ケチャップで味付けされていて、具はウインナソーセージを薄く輪切りにしたものとか、ハムとか缶詰のマッシュルーム、玉ねぎといったところ。(中略)ナポリタンは茹でたてであってはならず、茹でおきでなければならなかった。大量に茹でておいて、客の注文があると、フライパンで具といっしょにケチャップで炒めて出す。 — 東海林さだお、『ホットドッグの丸かじり』朝日新聞社〈丸かじりシリーズ 23〉、2005年、pp. 154-155
起源と歴史
[編集]トマトソースのパスタの誕生
[編集]ナポリタンはトマトケチャップを用いて作られる料理であるが[2]、トマトが新大陸からスペイン経由でナポリ王国に伝わったのは1554年とされる[8]。
当時のナポリは良港として名高く[9]、またシチリアとともにスペイン・ハプスブルク朝に支配されていたため、スペインを通じて新大陸の食材が手に入りやすい環境にあった[10][11]。トマトソースのパスタは17-18世紀ごろにはナポリに存在していたとされる[3][10]。
歴史的にトマトベースのソースを記した最初のイタリア料理書は、在ナポリスペイン副王の宰相に家令として仕えた[12]イタリア人シェフ、アントニオ・ラティーニ(英: Antonio Latini)が著し1696年に発行された Lo Scalco alla Moderna(『近代的家令』あるいは『現代の給仕長』など)である[13]。同書にはトマトを使った「Salsa di pomadoro alla spagnola(スペイン風トマトソース)」が記されている[13]。
このソースは、皮をむいて刻んだトマトに、みじん切りのタマネギとピーマン、イブキジャコウソウ、塩、オイル、酢などを混ぜたもので[13]、ラティーニ自身は茹でた肉にかけることを奨めていた[14]。
1773年には、ナポリ在住のヴィンチェンツォ・コラード(伊: Vincenzo Corrado)が、著書Il Cuoco Galante(『粋な料理人』)の中でトマトソースの汎用性を賞賛し、トマトソースと組み合わせるものの例として、肉、魚、卵や野菜とともにパスタも挙げている[15][16]。
1790年には、ローマ出身の料理人フランチェスコ・レオナルディ(英: Francesco Leonardi (chef))も、著書L'Apicio moderno(『現代のアピキウス』)で、トマトソースとパスタとの組み合わせを紹介している[12][17]。
トマトとパスタを組みあわせた料理のレシピが文献に登場するのは、1839年にナポリのヴォンヴィチーノ公爵であるイッポリート・カヴァルカンティ(伊: Ippolito Cavalcanti)が著した Cucina Teorico-Practica(『料理の理論と実践』)に記載された「ヴェルミチェッリのトマト添え」が最初だとされる[18][19]。
ナポリの「トゥレ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」
[編集]18世紀ごろのナポリでは、貧しい庶民の間でトマトソースのパスタ料理「トゥレ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」が食べられていた。
当時ナポリの路上にはパスタを売る屋台があり、茹でたヴェルミチェッリにチーズをかけた「ドゥエ・チェンテジミのヴェルミチェッリ」(「ドゥエ・チェンテジミ」は2チェンテジモの意。「チェンテジモ」はリラの100分の1の貨幣単位)が売られていた。さらに1チェンテジモ追加で支払えばトマトソースをかけることができた。そこからトマトソースをかけたこのパスタを「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」あるいは「ア・トリーエ(三つ)のヴェルミチェッリ」と呼ぶようになったという。このトマトソースは水も油も入れずトマトだけを煮詰めたものだった[20][21]。
ナポリでは17-18世紀ごろにトマトソースでスパゲッティを食べる習慣が普及したが、他の地方ではこの食べ方は知られておらず、ナポリとその近郊以外では食べられていなかったという[22]。
このナポリのトマトソースを使用した調理法がフランスに伝わり、フランス料理に取り入れられるようになった[23]。フランスでは「スパゲッティ・ナポリテーヌ(Spaghetti Napolitaine)」[3]あるいは「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」[24]と呼ばれた。
日本への伝来
[編集]高級フランス料理のトマトソーススパゲッティ
[編集]明治期の日本ではロングパスタよりマカロニが主流であった[3]。また当時の日本で西洋料理と言えばフランス料理であったことから、パスタ料理は当初マカロニやラビオリをベシャメルソースで仕上げるフランス料理として調理されていたという[25]。ただし、日本では第二次世界大戦後までパスタの入手をほとんど輸入品に頼っていたため、ホテルや高級レストランでのみ扱われる料理であった[26][注釈 1]。明治30年ごろから日本では洋食店が増加し、一部の西洋料理は日本独自の「洋食」へと変化していったが、パスタ料理は戦前の段階では「洋食」化することはなかった[28]。
1903年にフランス料理の大家エスコフィエが著したLe Guide culinaire(『エスコフィエ フランス料理』)には、「Garniture à la Napolitaine(ガルニチュール・ア・ラ・ナポリテーヌ)」という名のパスタ料理が収録されている。そのレシピは、「スパゲティ500gをゆでて、グリュイエール・チーズ50g、パルメザンチーズ50gをおろしたもの、トマト・ピュレ1dlを合わせてつないだもの、バター100gを加えて仕上げる。ソース 主料理の肉のフォン」というものである。これは単品の料理ではなくautre garnitures(その他の付け合わせ)として収録されている[29]。
また、築地精養軒の料理長を務めた鈴本敏雄が1920年(大正9年)に著した『仏蘭西料理献立書及調理法解説』でも、「Garniture à la Napolitaine(ガランチン・ア・ラ・ナポリテーイン[注釈 2])」という料理名で「Parmesan乾酪を加へたるTomato sauceにて調理したる"Spaghetti"」と、「Macaroni(又は)Spaghetti à la Napolitaine(マカロニ又はスパゲイチ・ア・ラ・ナポリテーイン)」という料理名で「ざつと茹でたるものを、赤茄子の原漿及び乾酪を加へ、充分にハムの風味を有たしたる羹汁にて煮込む」パスタ料理が収録されている[30]。
戦前の料理店のトマトソーススパゲッティ
[編集]東京・銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、関東大震災後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話もあるという[31]。
横浜市教育委員会が発行した『横浜の食文化』p. 79には、1934年(昭和9年)1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこには「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの1935年(昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている[32]。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだったと推定されている[32]。当時のホテルニューグランドの総料理長はドリアの考案やアラカルトの導入などで知られるサリー・ワイルであり[33]、戦前に同ホテルで修業経験のある小野正吉は、「スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ」と発言している[34]。
古川ロッパの『古川ロッパ昭和日記』には、1934年(昭和9年)12月22日に「三越の特別食堂」で「ナポリタン」というスパゲッティを食したことが書かれている[35]。ただし、ロッパの記述には「少し水気が切れない感じ」とあるため、茹でたパスタにソースを絡めた料理だったと推測される[3]。
戦前の料理書に見えるトマトソーススパゲッティ
[編集]『vesta』編集部によれば、1905年(明治38年)に西洋酒食料品雑貨を輸入していた「亀屋」が発行した非売品の本『佛国料理 家庭の洋食』に、トマトソースを用いた「スパゲット・アラ・イタリアン」という料理が紹介されている。これはマカロニの代わりにスパゲッティを用いた、トマトソースのグラタン風の料理である[36]。
1927年(昭和2年)の若林ぐん子『欧米の菓子と料理』には、「ナポリ式スパゲッチ」という料理が紹介されている。これはベーコン、タマネギ、トマト缶、トマトペーストを煮込んでソースを作り、茹でたスパゲッティにかけるものだった[36]。
また、『婦人之友』1937年(昭和12年)12月号には、スパゲティの代わりにうどんを代用して作る「スパケテナポリタン」という料理が紹介されている[37]。これは肉と脂とニンニクを炒めてから汁だけを残し、トマト[注釈 3]を入れて炒め、トマトケチャップ[注釈 3]、月桂樹の葉とシェリー酒を加えて湯で伸ばし、塩と胡椒で味付けしてソースとするレシピである[38]。
以上のように、戦前にも「ナポリタン」や類似した名前のパスタ料理は存在した。 古川ロッパは、『ロッパ食談』において、戦後のイタリア料理店で供されるスパゲッティやマカロニについて「イタリー料理といへば、われらは、戦争前に、ニューグランドやホテルのグリルで、もっと欧風化した奴を食っている」と記し、戦前のヨーロッパ風のパスタ料理が戦後のパスタ料理とは異なっていたことを証言している[39]。しかし、戦前のこれらのパスタ料理は太平洋戦争によっていったん忘れ去られることになる[40]。大矢は、太平洋戦争によって日本人のそれまでの食文化がいったん完全に破壊されたのだと述べている[41]。
占領下の日本とアメリカ風スパゲッティ
[編集]太平洋戦争終結後、日本はGHQの占領下に置かれた。日本国内にはアメリカ軍を中心とした連合軍が進駐軍として駐留し、日本人とアメリカ兵たちとの間には交流も生まれた[42]。そんな中で日本人はアメリカの食文化に接することになった。
アメリカのパスタ文化
[編集]イタリアからアメリカへの移民は、ナポリ近傍のカンパニア地方、およびシチリア出身者が多かった[43]。彼らは母国から輸入したパスタを食べていたが、その食文化は他のアメリカ人には広まらなかった。というのは、先に移住していた豚肉食文化のドイツ系移民による同化政策があったためである。イタリア系移民の家庭にはケースワーカーが送り込まれて肉食が奨励され、具なしパスタのようなエスニックな食文化は修正されていった[44][45]。
パスタはイタリアでは富裕層にとってコース料理の中の一品、貧困層にとって単品ですべてを満たす手軽な食事という二面性を持っていたが、アメリカでは後者の側面が強まった。パスタはアメリカ人の嗜好に合わせて大衆化し、その結果として生まれたのが、スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせた「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」であった[46]。この料理は世界恐慌の折に安価な料理としてイタリア系以外のアメリカ人にも広まったという[47]。
ボアルディ(英: Ettore Boiardi)兄弟は、スパゲッティの缶詰を製造し、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍へ供給する契約を取りつけることに成功した[48]。アメリカ人は、兵隊食(Cレーション)の缶詰スパゲッティでいっそうスパゲッティに親しむことになった[7][43][48]。この缶詰のスパゲッティにはケチャップに近いソースが使われていて、やわらかく、ぎっとりして甘いものだった[49]。
缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人はコシのないやわらかい麺に慣れ親しみ、その嗜好に合わせる形で、現地で生産されるスパゲッティも硬質小麦ではなく軟質小麦を用いたやわらかいものになった[43]。
こうしてアメリカ人は“ケチャップあえのスパゲッティ”を好むようになり、この嗜好がGHQと共に日本に伝わることになる[50]。
「ナポリタン」のルーツ
[編集]上野玲は、アメリカのスパゲッティ・ウィズ・ミートボールがナポリタンのルーツであり、戦後に進駐軍を通じて伝わったものと推定している[51]。池上も進駐軍が食べていたピザやスパゲッティの影響と見ている[26]。
大矢復は、1907年に発行されてベストセラーになったペッレグリーノ・アルトゥージの主婦向けレシピ集『料理の科学と美食の技法』の「ナポリ風マッケローニ」がナポリタンのルーツであり、戦後都心にできた新興のイタリア料理店が米兵の好みに合わせて提供していた料理が広まった可能性を挙げている[52]。
入江茂忠の「スパゲティーナポリタン」
[編集]ホテルニューグランド第4代総料理長の高橋清一は、ナポリタンは第2代総料理長の入江茂忠が戦後に考案したと述べている[53][54]。
ホテルニューグランドは、1945年(昭和20年)8月30日のダグラス・マッカーサーの来日直後から7年間GHQに接収されていた[55][56]。入江は進駐軍の兵士がケチャップで和えただけの具なしスパゲッティを食べているのを見て、ケチャップだけでは味気ないと考え、生トマト、タマネギ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルでトマトソースを作り、炒めたハム、ピーマン、マッシュルームを加えてソースで和えたスパゲッティを考案したという[55]。このスパゲッティは「スパゲッティーナポリタン」と呼ばれた[53]。高橋によると、「ナポリタン」という命名は、中世のころナポリの屋台で庶民向けにトマトソースをかけたスパゲティが売られていたことをヒントにしたものだという[53][注釈 4]。
入江の「スパゲティーナポリタン」はケチャップを使ってはいないが、7割がた茹でたパスタを冷まし、5-6時間放置したうえで湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す、というひと手間を加える工夫は入江の功績と見なされる[3][55]。
高橋は中世ナポリ風であることが「ナポリタン」という名前の直接の由来であるとしているが、澁川は、入江は師のサリー・ワイルを通じてフランス料理の「スパゲッティ・ナポリテーヌ」の存在を知っており、日本人が呼びやすいように「ナポリテーヌ」を「ナポリタン」に変化させたのではないかと考察している[3](なお、入江は「スパゲチ ナポリテーイン」の提供されていた東京ニューグランドに1936年(昭和11年)ごろから勤めている[57])。上野は、戦時中に陸軍の厨房兵として従軍していた入江に、旧海軍の「マカロニナポリタン」という料理名の記憶があったのではないかと考察している[54][注釈 5]。
また、横浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」では、1946年(昭和21年)の開業時よりナポリタンにケチャップが使用されていたとされる[59]。高価で加工に手間もかかるトマトを使わずケチャップを用いるのは町の洋食店ならではの工夫だとして、センターグリルが「ケチャップナポリタン」の発祥であると見る向きもある[32]。ただし、同店の創業者の石橋豊吉は、ワイルの経営していたセンターホテルで修業をしていて[60]入江とも親交があり、開業後にも入江からアドバイスを受けていたという[32]。
パスタの国産化と普及
[編集]太平洋戦争の終結後、深刻な食糧難に陥っていた日本では、米不足を補うために主食として粉食の普及が推進された。これによって日本の製粉業も急発展する。1952年(昭和27年)に麦の政府統制が間接統制に移行したのを契機に、小麦の加工も買取加工制度に変更され、自由競争が行われるようになった。製粉会社は自由に原料を買い取って製粉できるようになった一方で、大幅に淘汰された[61]。
MSA小麦の受け入れ
[編集]1954年(昭和29年)3月、日本は日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定 (Mutual Security Act; MSA) に調印した。MSAは本来軍事援助のためのものであるが、その中にはアメリカの余剰農産物を購入する余剰農産物購入協定も含まれていた[62]。日本はアメリカ産の小麦50万トンを受け入れることになった[63]。
この「MSA小麦」は政府から製粉業者に払い下げられることになったが[64]、日本で需要のあった硬質小麦ではなく軟質小麦だったうえに他の輸入小麦に比べて割高であり[63]、質もあまり良くないものだったという[65]。
余剰農産物の輸出と軍事援助を組み合わせたMSAには批判も多く、余剰農産物の処理は農業貿易開発援助法(The agricultural trade development and assistance act)、通称PL480(Public Law 480、公法480号)に引き継がれることになる。日本はこのPL480にも調印し、1955年(昭和30年)5月、アメリカ産の小麦約34万トンを受け入れた[62]。
アメリカ産小麦の特徴
[編集]このときアメリカから輸入された小麦は薄力粉となる軟質小麦であった。もともとオレゴン州で獲れる小麦はウェスタンホワイト種という軟質小麦であったためである。アメリカにもデュラム小麦がないわけではなかったが、その産地はロッキー山脈より東側の中西部諸州に限られており、日本向けに太平洋側へ輸送するのはコスト面で無理だった[66]。従来の日本産の小麦も軟質のものであり、必然的に日本のパスタは薄力粉で打ったコシのないものになった[3]。
キッチンカー事業の開始
[編集]1956年(昭和31年)、日本食生活協会は、厚生省との連携のもと、栄養指導車(キッチンカー)を使った栄養指導「キッチンカー事業」を開始した。この事業には、アメリカ合衆国農務省の代行機関であるオレゴン小麦栽培者連盟が資金を提供していた。日本人の栄養改善のために粉食を奨励していた厚生省と、海外市場の開拓を図る米国農務省の思惑が一致した形だった[62]。
キッチンカーは全国各地を巡り、主婦層に直接、粉食推進、油摂取拡大による栄養改善を指導した[62][67]。キッチンカーの献立に最低一品は小麦を使うことが米国側からの条件であった(のちに大豆の使用も条件に加わった)ので[62]、パンはもちろんのこと、スパゲッティ、パンケーキ、ドーナツなど、小麦粉と油を使う料理が実演とともに無料でふるまわれた[68]。
このキッチンカーによる料理指導のほか、フライパンでの油物調理を奨める「フライパン運動」やたんぱく質の摂取を呼びかけるコマーシャルなどによって、日本の食生活の洋風化と栄養重視嗜好が進んでいった[69]。
パスタ元年
[編集]小麦の大量輸入と前後する1954年(昭和29年)、イタリアからパスタの自動製造機が輸入されTemplate:製粉振興会、1955年(昭和30年)にはマ・マーマカロニの前身となる日本マカロニ株式会社と日本製粉(現・ニップン)のオーマイブランドがそれぞれ国産スパゲッティの販売を開始した[26][70]。日本国内でパスタの大量生産が始まったこの年は「パスタ元年」とも呼ばれる[71]。
このとき、販売促進のデモンストレーション用にナポリタンの原型ともいえるケチャップを混ぜて炒める「ケチャップパスタ」が登場し、調理が簡単なメニューとして喫茶店や家庭に広まっていったという[3][72]。
ただし、上野によれば、昭和30年代の時点ではこの「ケチャップパスタ」はナポリタンという料理名では呼ばれていなかった。上野は、1967年(昭和42年)に高森興産が販売したパスタが「ナポリタン」の製品化の嚆矢と推測する一方で、流通販路が限られていたためその名称が全国的に広まったとは考えにくいと述べている。1970年代に入り学校給食にナポリタンという名前でケチャップソースの現在の昔風ナポリタンと同様の物が提供されていた。
前川健一によると、1970年(昭和45年)発行の『日清製粉株式会社七十年史』に、「マカロニ類はめん類の中では特異な存在であって、業務用が主体となっている高級品である」とあり、1960年代にはまだ家庭ではスパゲッティはあまり食べられていなかった。イタリア料理店もそれほど多くなかったため、スパゲッティといえば喫茶店や洋食店で食べるもので、家庭でさかんに食べられるようになったのは1970年代か1980年代かもしれないという[47]。
池上は、パスタ料理が庶民に普及した理由として、1970年代からのファミリーレストランの興隆を大きな要因として挙げている[73]。ファミリーレストランの先駆けとされるすかいらーくの開業時のメニューには「スパゲティナポリタン」も記載されている[74]。
1991年発行の『調味料・香辛料の事典』では、東京地区と大阪地区で実施された「家庭内におけるケチャップメニューの出現頻度」のアンケートにおいて、「ナポリタン」は「スパゲティ・パスタ」とは別項目に分けられたうえで、出現頻度の高いメニューとして東京地区の5位につけている(「スパゲティ・パスタ」は東京・大阪ともに3位)。[75]
パスタ料理の多様化
[編集]1980年代半ばごろまでは、飲食店におけるスパゲッティはミートソースかナポリタンの2種類(関東、東北ではイタリアンを加えて3種類)しかないことがほとんどであった[76]。この2種のスパゲッティは、喫茶店、学校給食、食堂などでも広く親しまれるようになった[73]。
1970年代から1980年代にかけて、スパゲッティの味付けや種類は多様化していく。また、1990年代の「イタめし」ブームによって、日本でも様々な本格的パスタが食べられるようになった[73]。
その一方で、ナポリタンを供食する飲食店は以前より減少することになった。小説家の浅田次郎は、ナポリタンを見かけなくなった原因について、「主たる提供場所であった喫茶店が少なくなってしまったからである」と記し、自身の生家の喫茶店もバブルの影響で閉店したことを明かしている[77]。
懐かしのメニューとして
[編集]21世紀に入ると、懐かしさや目新しさを求め、単体料理としてのナポリタンの人気がある[78]。
一方で、片岡義男は、ナポリタンが復興したのではなく、バブル崩壊に伴う経済的縮小により本格イタリアンが衰退したという説を紹介している[79]。
地域バリエーション
[編集]- 中部・関西圏ではナポリタンをイタリアンと呼ぶことが多く、関西以西では店によって混合している[80]。上野がマ・マーマカロニから聞いた情報によると、同社のパスタ商品「イタリアン」が関西圏で多く出回ったことから、喫茶店などでも「イタリアン」という名称が定着したのだという。上野は、これが関東と関西で呼び名の違いが生まれた理由ではないかと考察している[72]。
- 名古屋にはナポリタンを鉄板の上に載せ、卵を敷いた「イタリアンスパゲッティ」と呼ばれる派生料理がある[81]。焼いた鉄板に別のフライパンで仕上げたナポリタンスパゲティを載せ、最後に上から溶き卵を流しかけて完成となる。先に卵を鉄板に流すわけではない。
- 静岡県富士市には麺をトマトソースベースのダブルスープにつけて食べるつけナポリタンというご当地料理がある。
- 東京都八王子市には、八王子ラーメンのようにタマネギのみじん切りをトッピングにした「八王子ナポリタン」がある[82][83]。
- 島根県出雲市には、食品会社3社が2018年に売り出した「出雲ナポリタン」がある[84]。
諸外国事情
[編集]イタリア
[編集]ナポリにはケチャップ炒めスパゲッティはない[85]。米国生まれのトマトケチャップを味付けの主役に使用することはまずなく、ピーマンやハムが入ることはない。トウガラシ加工品であるタバスコペッパーソースが入ることもない。
漫画家ヤマザキマリは自身のイタリア留学時代の体験を綴った漫画エッセイ『それではさっそくBuonappetito!』で、ナポリ出身のルームメイトと「ナポリタン」を巡る顛末を描いている。そこでも、トマトケチャップを用いる「ナポリタン」は「ナポリ料理ではない」と否定されている。ルームメイトが作った一見ナポリタンらしきものはスパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナ(オリーブオイルで刻みタマネギとベーコンを炒め、白ワインとトマト水煮を入れて煮込むソースのパスタ)であった。イタリア出身者にとってはフライパンでスパゲッティを炒めることはありえず、パスタは茹でたらそのままソースに和えるだけという[86]。
食物史研究で知られるボローニャ大学教授マッシモ・モンタナリ(英語: Massimo Montanari)の1991年時点の談話によると、イタリアでは近年までスパゲッティやマカロニの需要はおもに南イタリアに限られており、イタリア全土でスパゲッティが食べられるようになったのは約40年前(1951年前後)からのことだという[87]。この点について前川は、第二次世界大戦後、日本と同じような形でアメリカの小麦やパスタ文化がイタリアへ流入したのではないかと考察している[47]。伊丹十三はコラム集『女たちよ!』の中で、日本のナポリタンを強く非難した上で「本格的なイタリアのトマトソース」なるものを紹介しているが、そのレシピにはアメリカの食文化であるはずのタバスコペッパーソースを入れると書いている[88]。
それ以外
[編集]- ロシアには「海軍風スパゲッティ」makaroniy po flotskiという料理がある。意図的に茹ですぎにしたスパゲッティと、刻みタマネギ、ほぐしたコンビーフを一緒にフライパンに入れて炒めるというもの。ケチャップを欠いていることを除けばナポリタンと同じものである[89]。
- ペルーにはタリャリンという小麦麺がある。トマト、牛肉、タマネギを炒めたソースをタリャリンにかけて食べる「タリャリン・デ・ロモ・サルタード」という料理がある。ロモ・サルタード風の麺という意味。麺も合わせて炒める場合もある[90]。
- スウェーデンでは、シェルマカロニをケチャップで炒めたパスタ料理がコンビニエンスストアの惣菜コーナーで売られていたという[91]。スウェーデンはケチャップ好きの人が多いため、老若男女問わずパスタやマカロニにケチャップを掛けて食べる人が多い[要出典]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本稿で登場する三越百貨店やホテルニューグランドも、戦前は正装していく場所であって、いずれも申し分なく高級料理店である[27]。
- ^ 同書巻末の「佛単語篇」に基づく。
- ^ a b 材料欄には、トマトは「なくてもよい」としている。ただしトマトがないときは「トマトケチャップを少し沢山入れる」とある。
- ^ ナポリにトマトが伝わったのは上述のとおり1554年頃とされているため、実際には中世のナポリにはまだトマトソースは存在していなかったと考えられる。
- ^ ただし、『海軍研究調理献立集』に記載されている「マカロニナポリタン」は、炒めた鮭とタマネギに生クリームを加えてペンネと混ぜ合わせたもので[58]、トマトは使われていない。
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 澁川祐子「ナポリではなく横浜生まれ、「ナポリタン」こそ日本の正統派スパゲティだ」『JBpress』日本ビジネスプレス、2011年7月8日。2018年10月4日閲覧。 - 澁川祐子『ニッポン定番メニュー事始め』の連載時の記事。