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| 名前 = ジョニー・バレンタイン |
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| リングネーム = '''ジョニー・バレンタイン'''<br />ロッキー・バレンタイン<br />ザ・ビッグ・O |
| リングネーム = '''ジョニー・バレンタイン'''<br />ジミー・バレンタイン<br />ロッキー・バレンタイン<br />ザ・ビッグ・O |
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| 本名 = ジョン・セオドア・ウィスニスキー |
| 本名 = ジョン・セオドア・ウィスニスキー |
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| ニックネーム = 金髪の妖鬼<br />The Bad Man from The Badlands |
| ニックネーム = 金髪の妖鬼<br />The Bad Man from The Badlands |
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| スポーツ歴 = |
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| トレーナー = [[スタニスラウス・ズビスコ]] |
| トレーナー = [[スタニスラウス・ズビスコ]] |
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| デビュー = [[ |
| デビュー = [[1947年]] |
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| 引退 = [[1975年]] |
| 引退 = [[1975年]] |
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'''ジョニー・バレンタイン'''('''Johnny "The Villain" Valentine'''、本名:'''John Theodore Wisniski'''、[[1929年]][[9月22日]] - [[2001年]][[4月24日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[プロレスラー]]。[[ワシントン州]][[シアトル]]出身の[[ポーランド |
'''ジョニー・バレンタイン'''('''Johnny "The Villain" Valentine'''、本名:'''John Theodore Wisniski'''、[[1929年]][[9月22日]] - [[2001年]][[4月24日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[プロレスラー]]。[[ワシントン州]][[シアトル]]出身の[[ポーランド系アメリカ人]]。生年は[[1928年]]ともされる。 |
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"'''The Bad Man from The Badlands'''" の異名を持つ[[ヒール (プロレス)|ヒール]]の大型ラフファイターとして、[[NWA (プロレス)|NWA]] |
"'''The Bad Man from The Badlands'''" の異名を持つ[[ヒール (プロレス)|ヒール]]の大型ラフファイターとして、[[NWA (プロレス)|NWA]]の各テリトリーをはじめ[[WWE|WWWF]]や[[NWF]]など、北米全域でトップを取って活躍した。日本での異名は「'''金髪の妖鬼'''」。息子の[[グレッグ・バレンタイン|グレッグ "ザ・ハンマー" バレンタイン]]もプロレスラーである<ref name="oww">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/bios/j/johnny-valentine/|title=Wrestler Profiles: Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[1947年]]、同じ[[ポーランド]]系の伝説的レスラーである[[スタニスラウス・ズビスコ]]のトレーニングを受けてデビュー<ref name="wd">{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423|title=Johnny Valentine: Facts|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。各地を転戦後、[[1950年]]7月17日に[[フロリダ州|フロリダ]]版の[[NWA (プロレス)|NWA]]南部ヘビー級王座を獲得<ref name="fl-south-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/nwa/fl-south-h.html|title=NWA Southern Heavyweight Title [Florida]|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、[[1954年]]7月には[[テキサス州|テキサス]]にてエド・フランシスからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取している<ref name="tx-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/tx-h.html|title=NWA Texas Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。同年から翌[[1955年]]にかけては、[[ルー・テーズ]]が保持していた[[NWA世界ヘビー級王座]]にも再三挑戦した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=L&anzeige=matches&wrestler2=4242|title=Lou Thesz vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。また、[[1950年代]]は[[バディ・ロジャース]]と北米各地で抗争を展開。[[アメリカ合衆国北東部|北東部]]を皮切りに[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]から[[アメリカ合衆国南部|南部]]、さらには[[カナダ]]の[[モントリオール]]に至るまで、状況に応じて[[ヒール (プロレス)|ヒール]]と[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]のポジションを入れ替えながら、ドル箱カードとして両者の対戦がマッチメイクされた<ref name="vs-buddy">{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=B&anzeige=matches&wrestler2=1161|title=Buddy Rogers vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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[[1946年]]に[[プロレス]]入り。ロープワークや投げ技を「リアルに見えない」との理由から非常に嫌い、肘・拳による打撃と基本的な絞め技だけで攻めるという独自のスタイルをつくった。そのニックネームの由来となったグラスブルーの眼から放たれる妖気もあってスーパースターとなったが、一つの地域に留まることをせず旅を続けながら各地の大物選手と戦い続けた。[[歴代NWA世界ヘビー級王者]]にとっては「最強の挑戦者」の一人であり、特に[[バディ・ロジャース]]とは最大のライバルであった。[[1966年]]10月、[[東京プロレス]]の旗揚げシリーズに初来日し、エースに擁された[[アントニオ猪木]]と伝説的な名勝負を残す。この試合は猪木の出世試合として有名であるが、東京プロレスにテレビ中継がつかなかったため映像は残っていない。 |
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[[1958年]]より、[[WWE|WWWF]]の前身団体である[[ニューヨーク州|ニューヨーク]]のキャピトル・レスリング・コーポレーションに参戦。ヒールとして[[アントニオ・ロッカ]]や[[アーノルド・スコーラン]]、[[エドワード・カーペンティア]]、[[ヘイスタック・カルホーン]]、[[ベアキャット・ライト]]らと対戦し、ジェリー&エディのグラハム兄弟とも共闘<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=457&jahr=1958|title=The CWC matches fought by Johnny Valentine in 1958|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=457&jahr=1959|title=The CWC matches fought by Johnny Valentine in 1959|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[1959年]]11月14日には負傷した[[エディ・グラハム]]に代わり、[[ジェリー・グラハム]]のパートナーとなってUSタッグ王座を獲得した<ref name="wwf-us-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/wwe/wwf-us-t.html|title=Capitol-WWWF United States Tag Team Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。翌[[1960年]]11月19日には因縁のライバルであるバディ・ロジャースとのコンビで同王座を再び獲得したが<ref name="wwf-us-t"/>、直後に仲間割れしてベビーフェイスに転向、以降はロジャースとの抗争劇が再開され、[[1962年]]にかけて遺恨戦を繰り広げた<ref name="vs-buddy"/>。 |
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その後[[国際プロレス]]、[[日本プロレス]]に来日。[[1972年]]には[[ジャイアント馬場]]の[[インターナショナル・ヘビー級王座]]に挑戦したが、この直後馬場が王座を返上(独立し[[全日本プロレス]]創立のため)、これが馬場の最後のインター防衛戦となった(「'''最後のインター戦'''」という記載も散見するが、[[ブルーザー・ブロディ]]がインター王者だった[[1980年代]]に馬場が挑戦したことがあるので厳密な意味においては「最後のインター戦」は誤りである)。[[1973年]]には[[坂口征二]]の日本プロレス離脱に伴う混乱のさなかに来日し、2月23日に[[インターナショナル・タッグ王座]]を[[大木金太郎]]・坂口征二組から、3月2日に[[UNヘビー級王座]]を坂口からそれぞれ奪取したものの、インタタッグ王座は3月6日に大木金太郎&[[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]]に、UN王座も3月8日に[[ザ・グレート・カブキ|高千穂明久]]にそれぞれ敗れ王座陥落。この時、日本プロレス側から「坂口を潰して(坂口が離脱・[[新日本プロレス|新日本]]入りを表明していたため)くれれば特別ボーナスを出す」という誘いがあったというが、バレンタインは乗らなかったという。日本プロレス崩壊の5か月後の同年[[9月]]には[[新日本プロレス]]に登場。 |
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以後、他地区ではヒールのポジションを継続させつつ、WWWFにはベビーフェイス陣営で参戦し、[[スカル・マーフィー]]、[[ブルート・バーナード]]、[[ビル・ミラー (プロレスラー)|ビル・ミラー]]、[[ダン・ミラー (プロレスラー)|ダン・ミラー]]、[[ゴリラ・モンスーン]]、[[ワルドー・フォン・エリック]]、[[ターザン・タイラー]]、[[ビル・ワット]]、[[キング・イヤウケア|カーティス・イヤウケア]]などと対戦<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=3&jahr=1965|title=The WWE matches fought by Johnny Valentine in 1965|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[マディソン・スクエア・ガーデン]]にて[[ブルーノ・サンマルチノ]]ともタッグを組んだが、[[1966年]]下期にヒールに戻り、サンマルチノの[[WWE世界ヘビー級王座|WWWF世界ヘビー級王座]]に連続挑戦している<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=B&wrestler2=1158&letter3=&wrestler3=0&letter4=&wrestler4=0&matchtyp=0&anzeige=matches&seite=2|title=Bruno Sammartino vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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[[1975年]][[10月4日]]、移動中の[[飛行機]][[事故]]で腰と足の骨を折り、再起不能となって引退。なお、この時同じ飛行機に[[リック・フレアー]]が乗っていて重傷を負ったが、こちらはなんとか復帰可能な怪我ですんだ(下っ端だったので視界の悪い席に座らされており、それが幸いしたという)。フレアーとはこのしばらく前からタッグを組んだばかりであり、フレアーは復帰後バレンタインの勧めもあってロジャースのコピーを始めていくことになる。[[1990年]]9月に猪木のデビュー30周年イベントで久々に姿を現したが、その時もなお[[松葉杖]]をついて歩いていた。 |
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[[1960年代]]後半は古巣のフロリダやテキサスなどの南部地区で活動し、フロリダでは[[1967年]]から[[1968年]]にかけて、[[チーフ・ジェイ・ストロンボー|ジョー・スカルパ]]や[[レッド・バスチェン]]を破ってNWAフロリダ・ヘビー級王座を再三獲得<ref name="fl-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/fl-h.html|title=NWA Florida Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。テキサスでは[[1969年]]5月2日、[[フリッツ・フォン・エリック]]からNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取している<ref name="am-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/wccw/am-h.html|title=NWA American Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。以降、[[ダラス]]や[[ヒューストン]]などテキサスの東部地区を主戦場とし、アメリカン王座を巡ってエリックと抗争を展開<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=172&jahr=1969|title=The WCCW matches fought by Johnny Valentine in 1969|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[キラー・カール・コックス]]、[[マイケル・シクルナ]]、[[ボリス・マレンコ]]らを配下にヒール軍団の首領となって活躍し、[[ミル・マスカラス]]や[[ワフー・マクダニエル]]とも抗争した<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=172&jahr=1970|title=The WCCW matches fought by Johnny Valentine in 1970|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。[[1970年]]下期からはテキサスでもベビーフェイスとなり、[[キラー・コワルスキー]]や[[プロフェッサー・タナカ|トール・タナカ]]とブラスナックル王座を争っている<ref name="nwa-tx-bk">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/nwa/nwa-tx-bk.html|title=NWA Texas Brass Knuckles Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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必殺技「'''[[エルボー・ドロップ]]'''」を始めとする一連のエルボー攻撃は凄まじい破壊力があり、あるレスラーは「あいつのヒジには本物の針が仕込まれている」と語ったほどである。また、ジャイアント馬場の話では、馬場の先輩レスラーがバレンタインと対戦した際、バレンタインが両目をカッと見開いてヒジを振り上げただけで悲鳴をあげて逃げ回ったという。 |
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[[1970年代]]前半はNWA世界ヘビー級王者の[[ドリー・ファンク・ジュニア]]に再三挑戦する一方<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=D&anzeige=matches&wrestler2=1840|title=Dory Funk Jr. vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>、新興団体の[[NWF]]にも出場、[[1972年]]9月1日に[[ジョニー・パワーズ]]からNWF北米ヘビー級王座を、同年10月19日には[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]からNWF世界ヘビー級王座をそれぞれ奪取している<ref name="nwf-na-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/oh/nwf/nwf-na-h.html|title=NWF North American Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref><ref name="nwf-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/newjapan/nwf-h.html|title=NWF World Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。NWA圏に戻ると、[[1973年]]1月19日に[[セントルイス]]にて[[ハーリー・レイス]]を破りNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得<ref name="mo-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/mo/mo-h.html|title=NWA Missouri Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。7月7日には[[デトロイト]]にて[[ザ・シーク]]からUSヘビー級王座を奪取した<ref name="mi-us-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/mi/nwa/mi-us-h.html|title=NWA United States Heavyweight Title [Detroit]|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。フロリダでは[[ジャック・ブリスコ]]のNWA世界ヘビー級王座に度々挑戦<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=J&anzeige=matches&wrestler2=1693|title=Jack Brisco vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。スポット参戦した[[ハワイ州|ハワイ]]では、[[リッパー・コリンズ (プロレスラー)|リッパー・コリンズ]]と組んで11月28日に[[ピーター・メイビア]]&[[サム・スティムボート]]を下し、NWAハワイ・タッグ王座を獲得している<ref name="hi-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/hi/hi-t.html|title=NWA Hawaii Tag Team Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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[[1974年]]からは[[ジム・クロケット・プロモーションズ|NWAミッドアトランティック地区]]のトップ・ヒールとなり、テキサスでの因縁を持つワフー・マクダニエルや[[ミスター・レスリング]]をはじめ、[[ジェリー・ブリスコ]]、[[ネルソン・ロイヤル]]、[[ポール・ジョーンズ (プロレスラー)|ポール・ジョーンズ]]、[[スウェード・ハンセン]]らと抗争<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=4&jahr=1974|title=The WCW matches fought by Johnny Valentine in 1974|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=4&jahr=1975|title=The WCW matches fought by Johnny Valentine in 1975|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。ヒール陣営では[[イワン・コロフ]]、[[ドン・ジャーディン|スーパー・デストロイヤー]]、[[ミネソタ・レッキング・クルー]]、そして若手時代の[[リック・フレアー]]とも共闘、彼らをパートナーに[[アンドレ・ザ・ジャイアント]]ともタッグマッチで対戦している<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=konst&letter1=J&wrestler1=3070&letter2=A&anzeige=matches&wrestler2=900|title=Andre the Giant vs. Johnny Valentine|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。 |
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並行して他地区への出場も続け、古巣のテキサス地区にはベビーフェイスとして参戦、同年9月23日にテキサス・マッケンジーと組んで[[ブラックジャック・マリガン]]&[[ブラックジャック・ランザ]]の[[ザ・ブラックジャックス]]からNWAアメリカン・タッグ王座を奪取している<ref name="am-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/tx/wccw/am-t.html|title=NWA American Tag Team Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。ミッドアトランティックではヒールに戻り、11月4日に[[ソニー・キング]]を破ってNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得した<ref name="ma-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/midatlantic/ma-h.html|title=NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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翌[[1975年]]7月3日、[[ノースカロライナ州]][[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]にてハーリー・レイスからミッドアトランティック版のUSヘビー級王座(後の[[WCW・ユナイテッドステイツ王座|WCW・US王座]]、現在の[[WWE・ユナイテッドステイツ王座|WWE・US王座]])を奪取<ref name="wcw-us-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/wcw/wcw-us-h.html|title=NWA United States Heavyweight Title [Mid-Atlantic]|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>、同王座の2代目の王者となったが、戴冠中の同年10月4日、移動中の[[セスナ機]]の墜落事故で腰と足の骨を折り<ref name="take">『世界名レスラー100人伝説!!』P96-97(2003年、[[日本スポーツ出版社]]、監修:[[竹内宏介]])</ref>、再起不能となって引退<ref name="oww"/>。なお、セスナ機には[[リック・フレアー]]も同乗しており重傷を負ったが、当時は下っ端だったため視界の悪い席に座らされており、それが幸いして復帰可能な怪我ですんだという(フレアーは復帰後、バレンタインの勧めもあってバディ・ロジャースのコピーを始めていくことになる)。 |
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事故後は下半身麻痺の障害を抱えたが、松葉杖をつきながら[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]として現場復帰を果たし、彼の「弟」と称してデイル・バレンタインを名乗っていた[[バディ・ロバーツ]]をマネージメントしていたことがある<ref>{{cite web|url=http://slam.canoe.ca/Slam/Wrestling/2010/07/05/14612461.html|title=Buddy Roberts recalls the wild times as a Freebird and a Hollywood Blond|accessdate=2015-03-15|publisher=SLAM! Sports}}</ref>。 |
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=== 日本での活躍 === |
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[[1966年]]10月、[[ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ|中西部地区]]のブッカーだった[[サニー・マイヤース]]のブッキングにより、[[東京プロレス]]の旗揚げシリーズに初来日。10月12日の[[蔵前国技館]]での旗揚げ戦において、エースに擁された[[アントニオ猪木]]と伝説的な名勝負を残す(この試合は猪木の出世試合として有名であるが、東京プロレスにテレビ中継がつかなかったため映像は残されていない)<ref name="take"/>。その後も、日本に持ち込んだUSヘビー級王座を賭けて猪木と連戦を行い、10月25日の[[宮城県スポーツセンター]]での防衛戦では時間切れ引き分けとなったが、11月19日に[[大阪スタヂアム|大阪球場]]にて猪木に敗れ、王座を開け渡している(11月22日の[[大田区体育館]]でのリターン・マッチでも敗退し、猪木が初防衛に成功)<ref name="inoki">『アントニオ猪木 燃える闘魂50年 (上巻)』P30、P34(2010年、[[ベースボール・マガジン社]]、ISBN 4583616775)</ref>。 |
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翌[[1967年]]1月、東京プロレスとの合同興行による[[国際プロレス]]の旗揚げシリーズに再来日。東京プロレス所属の猪木と再び相まみえ、1月18日に[[台東リバーサイドスポーツセンター#台東区体育館|台東区体育館]]にて[[エディ・グラハム]]と組み、猪木&[[ヒロ・マツダ]]が保持していた[[テネシー州|ミッドアメリカ]]版の[[NWA世界タッグチーム王座|NWA世界タッグ王座]]に挑戦<ref>{{cite web|url=http://wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=1423&bild=1&details=7&liga=367&jahr=1967|title=The IWE matches fought by Johnny Valentine in 1967|accessdate=2015-03-17|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>。1月30日には[[横浜文化体育館]]にて猪木のUSヘビー級王座に再挑戦したが、シリーズ後に東京プロレスが崩壊したため、これが同王座の最後のタイトルマッチとなった<ref name="inoki"/>。 |
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[[1970年]]11月、シリーズ後半戦への特別参加で[[日本プロレス]]に初登場。11月27日に横浜文化体育館にて猪木と約4年ぶりに対戦し引き分けている<ref name="inoki"/>。12月1日の[[東京体育館|東京都体育館]]では北米での宿敵でもあった[[ジン・キニスキー]]と組み、[[ジャイアント馬場]]&アントニオ猪木の[[BI砲]]が保持する[[インターナショナル・タッグ王座]]に挑戦した<ref name="inoki"/>。[[1972年]]5月の参戦時には、6月1日に[[大阪府立体育会館|大阪府立体育館]]にてジャイアント馬場の[[インターナショナル・ヘビー級王座]]に挑戦したが、馬場が防衛後に王座を返上し、[[全日本プロレス]]創立のために日本プロレスを退団、結果として馬場のインター王座最後の挑戦者となった<ref>{{cite web|url=http://www.geocities.co.jp/Athlete/5207/inter-h.htm|title=インターナショナル・ヘビー級選手権|accessdate=2015-03-17|publisher=Rodmann's Pro-Wrestling Site}}</ref>。 |
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[[1973年]]2月には日本プロレス末期の混乱のさなかに来日。[[キラー・カール・クラップ]]をパートナーに、2月23日に大阪にて[[大木金太郎]]&[[坂口征二]]からインターナショナル・タッグ王座を、3月2日には横浜にて[[ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座|UNヘビー級王座]]を坂口から奪取し2冠を獲得したが、タッグ王座は3月6日に[[愛知県体育館]]にて大木&[[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]]に、UN王座は3月8日に[[佐野市|佐野]]にて[[ザ・グレート・カブキ|高千穂明久]]にそれぞれ奪還された<ref name="int-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/int-t.html|title=NWA International Tag Team Title|accessdate=2015-03-17|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref><ref name="un">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/un.html|title=NWA United National Heavyweight Title|accessdate=2015-03-17|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。坂口とのUN戦では、この当時、坂口が日本プロレスを離脱して[[新日本プロレス]]に移籍することを表明していたため、日本プロレスの幹部から坂口に[[ガチンコ#シュート|シュート]]を仕掛けるよう要請されたというが、坂口もバレンタインもプロとしての姿勢を守り、不穏な試合にはならなかった<ref name="gs30">『Gスピリッツ Vol.30』P6-7(2014年、[[辰巳出版]]、ISBN 4777812669)</ref>。日本プロレス崩壊後は、同年9月にシリーズ中盤戦への特別参加で新日本プロレスに参戦。2年後の[[1975年]]10月のセスナ機事故により、これが選手としての最後の来日となった。 |
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[[1990年]]9月30日、[[横浜アリーナ]]で開催されたアントニオ猪木のデビュー30周年記念大会で17年ぶりの来日が実現。松葉杖をつきながら、公の場に久々に姿を現し、猪木と再会して握手を交わした<ref name="take"/>。 |
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== 得意技 == |
== 得意技 == |
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* [[エルボー・ドロップ]](「毒針」と称された) |
* [[エルボー・ドロップ]](日本では「'''毒針'''」と称された) |
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* [[エルボー・バット#エルボー・スタンプ|エルボー・スタンプ]](別名ブレーンバスター) |
* [[エルボー・バット#エルボー・スタンプ|エルボー・スタンプ]](別名ブレーンバスター) |
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== 獲得タイトル == |
== 獲得タイトル == |
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後年の[[ブルーザー・ブロディ]]のように特定の地区に長期間定着することをせず、北米の主要テリトリーをトップのポジションで行き来したヒールの大スターとして、各地のフラッグシップ・タイトルを再三獲得している。 |
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; [[チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ]] |
; [[チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ]] |
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* NWAフロリダ・ブラスナックル王座:1回 |
* NWAフロリダ・ブラスナックル王座:1回<ref name="fl-bk">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/fl-bk.html|title=NWA Florida Brass Knuckles Title|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref> |
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* NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回 |
* NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回<ref name="fl-h"/> |
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* NWA南部ヘビー級王座([[フロリダ州|フロリダ]]版):1回 |
* NWA南部ヘビー級王座([[フロリダ州|フロリダ]]版):1回<ref name="fl-south-h"/> |
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* NWA南部タッグ王座(フロリダ版):1回(w / [[ボリス・マレンコ]]) |
* NWA南部タッグ王座(フロリダ版):1回(w / [[ボリス・マレンコ]])<ref name="fl-south-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/fl/nwa/fl-south-t.html|title=NWA Southern Tag Team Title [Florida]|accessdate=2015-03-15|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref> |
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; [[フリッツ・フォン・エリック|NWAビッグタイム・レスリング]] |
; [[フリッツ・フォン・エリック|NWAビッグタイム・レスリング]] |
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* NWAテキサス・ブラスナックル王座 |
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; [[WWE|キャピトル・レスリング・コーポレーション / ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション]] |
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; その他 |
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* USヘビー級王座(1966年に[[アントニオ猪木]]に奪取されたタイトル) |
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== エピソード == |
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* ロープワークを「リアルに見えない」との理由から非常に嫌い、肘・拳による打撃と基本的な絞め技だけで攻めるという独自のスタイルをつくった。投げ技も時々[[ボディスラム]]を放つ程度で、[[バックドロップ]]のような派手な技を出すことはほとんどなかったが、それでも観客は、彼の試合にリアリティを感じて惹きつけられていたという<ref name="flair-1">『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P64-65(2004年、[[エンターブレイン]]、ISBN 4757721536)</ref>。そのスタイルから、[[ルー・テーズ]]からは「'''タフガイ'''」と呼ばれた。 |
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* そのスタイルから[[ルー・テーズ]]からは「'''タフガイ'''」と呼ばれた。 |
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* かなり変わった人物であったらしく、会場に招待された若き日の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]にいきなり中指を突き立てたこともある。フレアーによれば、控え室では一人で読書や[[チェス]]をしていることが多く、移動 |
* かなり変わった人物であったらしく、会場に招待された若き日の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]にいきなり中指を突き立てたこともある。[[リック・フレアー]]によれば、控え室では他の選手たちとコミュニケーションを交わすことは滅多になく、一人で読書や[[チェス]]をしていることが多く、移動中は[[オペラ]]を聴いていたという<ref name="flair-1"/>。 |
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* 度が過ぎた悪戯好きでもあり、喘息持ちだった "ジ・アラスカン" ジェイ・ヨークの[[吸入器]]にライターのオイルを満タンに入れ、それを知らずに吸い込み嘔吐に苦しんだヨークから、報復として銃を突きつけられたことがある<ref>『[[フレッド・ブラッシー]]自伝』P188(2003年、エンターブレイン、ISBN 4757716923)</ref>。こうした悪癖が災いし、セスナ機事故で再起不能の障害を負ってからも、バレンタインに同情する人間はほとんどいなかったという<ref name="flair-2">『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P87(2004年、エンターブレイン、ISBN 4757721536)</ref>。 |
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* その妥協なきファイトスタイルと、得意のエルボー攻撃を放つ際の鬼気迫る表情から、日本では「'''金髪の妖鬼'''」と称された<ref name="take"/>。[[ジャイアント馬場]]によると、ある先輩レスラーはバレンタインと対戦した際、バレンタインが両目を見開いて肘を振り上げただけで悲鳴をあげて逃げ回ったという<ref name="baba">『16文が行く (新装版) 』P94-95(1999年、ダイナミックセラーズ出版、ISBN 488493279X)</ref>。 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2015年3月19日 (木) 11:55時点における版
ジョニー・バレンタイン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジョニー・バレンタイン ジミー・バレンタイン ロッキー・バレンタイン ザ・ビッグ・O |
本名 | ジョン・セオドア・ウィスニスキー |
ニックネーム |
金髪の妖鬼 The Bad Man from The Badlands |
身長 | 193cm |
体重 | 120kg - 125kg |
誕生日 | 1929年9月22日 |
死亡日 | 2001年4月24日(71歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル |
トレーナー | スタニスラウス・ズビスコ |
デビュー | 1947年 |
引退 | 1975年 |
ジョニー・バレンタイン(Johnny "The Villain" Valentine、本名:John Theodore Wisniski、1929年9月22日 - 2001年4月24日)はアメリカ合衆国のプロレスラー。ワシントン州シアトル出身のポーランド系アメリカ人。生年は1928年ともされる。
"The Bad Man from The Badlands" の異名を持つヒールの大型ラフファイターとして、NWAの各テリトリーをはじめWWWFやNWFなど、北米全域でトップを取って活躍した。日本での異名は「金髪の妖鬼」。息子のグレッグ "ザ・ハンマー" バレンタインもプロレスラーである[1]。
来歴
1947年、同じポーランド系の伝説的レスラーであるスタニスラウス・ズビスコのトレーニングを受けてデビュー[2]。各地を転戦後、1950年7月17日にフロリダ版のNWA南部ヘビー級王座を獲得[3]、1954年7月にはテキサスにてエド・フランシスからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取している[4]。同年から翌1955年にかけては、ルー・テーズが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦した[5]。また、1950年代はバディ・ロジャースと北米各地で抗争を展開。北東部を皮切りに中西部から南部、さらにはカナダのモントリオールに至るまで、状況に応じてヒールとベビーフェイスのポジションを入れ替えながら、ドル箱カードとして両者の対戦がマッチメイクされた[6]。
1958年より、WWWFの前身団体であるニューヨークのキャピトル・レスリング・コーポレーションに参戦。ヒールとしてアントニオ・ロッカやアーノルド・スコーラン、エドワード・カーペンティア、ヘイスタック・カルホーン、ベアキャット・ライトらと対戦し、ジェリー&エディのグラハム兄弟とも共闘[7][8]。1959年11月14日には負傷したエディ・グラハムに代わり、ジェリー・グラハムのパートナーとなってUSタッグ王座を獲得した[9]。翌1960年11月19日には因縁のライバルであるバディ・ロジャースとのコンビで同王座を再び獲得したが[9]、直後に仲間割れしてベビーフェイスに転向、以降はロジャースとの抗争劇が再開され、1962年にかけて遺恨戦を繰り広げた[6]。
以後、他地区ではヒールのポジションを継続させつつ、WWWFにはベビーフェイス陣営で参戦し、スカル・マーフィー、ブルート・バーナード、ビル・ミラー、ダン・ミラー、ゴリラ・モンスーン、ワルドー・フォン・エリック、ターザン・タイラー、ビル・ワット、カーティス・イヤウケアなどと対戦[10]。マディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノともタッグを組んだが、1966年下期にヒールに戻り、サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦している[11]。
1960年代後半は古巣のフロリダやテキサスなどの南部地区で活動し、フロリダでは1967年から1968年にかけて、ジョー・スカルパやレッド・バスチェンを破ってNWAフロリダ・ヘビー級王座を再三獲得[12]。テキサスでは1969年5月2日、フリッツ・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取している[13]。以降、ダラスやヒューストンなどテキサスの東部地区を主戦場とし、アメリカン王座を巡ってエリックと抗争を展開[14]。キラー・カール・コックス、マイケル・シクルナ、ボリス・マレンコらを配下にヒール軍団の首領となって活躍し、ミル・マスカラスやワフー・マクダニエルとも抗争した[15]。1970年下期からはテキサスでもベビーフェイスとなり、キラー・コワルスキーやトール・タナカとブラスナックル王座を争っている[16]。
1970年代前半はNWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアに再三挑戦する一方[17]、新興団体のNWFにも出場、1972年9月1日にジョニー・パワーズからNWF北米ヘビー級王座を、同年10月19日にはアブドーラ・ザ・ブッチャーからNWF世界ヘビー級王座をそれぞれ奪取している[18][19]。NWA圏に戻ると、1973年1月19日にセントルイスにてハーリー・レイスを破りNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得[20]。7月7日にはデトロイトにてザ・シークからUSヘビー級王座を奪取した[21]。フロリダではジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に度々挑戦[22]。スポット参戦したハワイでは、リッパー・コリンズと組んで11月28日にピーター・メイビア&サム・スティムボートを下し、NWAハワイ・タッグ王座を獲得している[23]。
1974年からはNWAミッドアトランティック地区のトップ・ヒールとなり、テキサスでの因縁を持つワフー・マクダニエルやミスター・レスリングをはじめ、ジェリー・ブリスコ、ネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ、スウェード・ハンセンらと抗争[24][25]。ヒール陣営ではイワン・コロフ、スーパー・デストロイヤー、ミネソタ・レッキング・クルー、そして若手時代のリック・フレアーとも共闘、彼らをパートナーにアンドレ・ザ・ジャイアントともタッグマッチで対戦している[26]。
並行して他地区への出場も続け、古巣のテキサス地区にはベビーフェイスとして参戦、同年9月23日にテキサス・マッケンジーと組んでブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザのザ・ブラックジャックスからNWAアメリカン・タッグ王座を奪取している[27]。ミッドアトランティックではヒールに戻り、11月4日にソニー・キングを破ってNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得した[28]。
翌1975年7月3日、ノースカロライナ州グリーンズボロにてハーリー・レイスからミッドアトランティック版のUSヘビー級王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を奪取[29]、同王座の2代目の王者となったが、戴冠中の同年10月4日、移動中のセスナ機の墜落事故で腰と足の骨を折り[30]、再起不能となって引退[1]。なお、セスナ機にはリック・フレアーも同乗しており重傷を負ったが、当時は下っ端だったため視界の悪い席に座らされており、それが幸いして復帰可能な怪我ですんだという(フレアーは復帰後、バレンタインの勧めもあってバディ・ロジャースのコピーを始めていくことになる)。
事故後は下半身麻痺の障害を抱えたが、松葉杖をつきながらマネージャーとして現場復帰を果たし、彼の「弟」と称してデイル・バレンタインを名乗っていたバディ・ロバーツをマネージメントしていたことがある[31]。
2001年4月24日、テキサス州フォートワースにて心臓発作のため死去[30]。71歳没。
日本での活躍
1966年10月、中西部地区のブッカーだったサニー・マイヤースのブッキングにより、東京プロレスの旗揚げシリーズに初来日。10月12日の蔵前国技館での旗揚げ戦において、エースに擁されたアントニオ猪木と伝説的な名勝負を残す(この試合は猪木の出世試合として有名であるが、東京プロレスにテレビ中継がつかなかったため映像は残されていない)[30]。その後も、日本に持ち込んだUSヘビー級王座を賭けて猪木と連戦を行い、10月25日の宮城県スポーツセンターでの防衛戦では時間切れ引き分けとなったが、11月19日に大阪球場にて猪木に敗れ、王座を開け渡している(11月22日の大田区体育館でのリターン・マッチでも敗退し、猪木が初防衛に成功)[32]。
翌1967年1月、東京プロレスとの合同興行による国際プロレスの旗揚げシリーズに再来日。東京プロレス所属の猪木と再び相まみえ、1月18日に台東区体育館にてエディ・グラハムと組み、猪木&ヒロ・マツダが保持していたミッドアメリカ版のNWA世界タッグ王座に挑戦[33]。1月30日には横浜文化体育館にて猪木のUSヘビー級王座に再挑戦したが、シリーズ後に東京プロレスが崩壊したため、これが同王座の最後のタイトルマッチとなった[32]。
1970年11月、シリーズ後半戦への特別参加で日本プロレスに初登場。11月27日に横浜文化体育館にて猪木と約4年ぶりに対戦し引き分けている[32]。12月1日の東京都体育館では北米での宿敵でもあったジン・キニスキーと組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦した[32]。1972年5月の参戦時には、6月1日に大阪府立体育館にてジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦したが、馬場が防衛後に王座を返上し、全日本プロレス創立のために日本プロレスを退団、結果として馬場のインター王座最後の挑戦者となった[34]。
1973年2月には日本プロレス末期の混乱のさなかに来日。キラー・カール・クラップをパートナーに、2月23日に大阪にて大木金太郎&坂口征二からインターナショナル・タッグ王座を、3月2日には横浜にてUNヘビー級王座を坂口から奪取し2冠を獲得したが、タッグ王座は3月6日に愛知県体育館にて大木&上田馬之助に、UN王座は3月8日に佐野にて高千穂明久にそれぞれ奪還された[35][36]。坂口とのUN戦では、この当時、坂口が日本プロレスを離脱して新日本プロレスに移籍することを表明していたため、日本プロレスの幹部から坂口にシュートを仕掛けるよう要請されたというが、坂口もバレンタインもプロとしての姿勢を守り、不穏な試合にはならなかった[37]。日本プロレス崩壊後は、同年9月にシリーズ中盤戦への特別参加で新日本プロレスに参戦。2年後の1975年10月のセスナ機事故により、これが選手としての最後の来日となった。
1990年9月30日、横浜アリーナで開催されたアントニオ猪木のデビュー30周年記念大会で17年ぶりの来日が実現。松葉杖をつきながら、公の場に久々に姿を現し、猪木と再会して握手を交わした[30]。
得意技
獲得タイトル
後年のブルーザー・ブロディのように特定の地区に長期間定着することをせず、北米の主要テリトリーをトップのポジションで行き来したヒールの大スターとして、各地のフラッグシップ・タイトルを再三獲得している。
- NWAフロリダ・ブラスナックル王座:1回[38]
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回[12]
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回[3]
- NWA南部タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ボリス・マレンコ)[39]
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:4回[16]
- NWAテキサス・ヘビー級王座:8回[4]
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / リップ・ロジャース)[40]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回[13]
- NWAアメリカン・タッグ王座:3回(w / ワフー・マクダニエル、サンダーボルト・パターソン、テキサス・マッケンジー)[27]
- メープル・リーフ・レスリング
- NWA USヘビー級王座(トロント版):7回[41]
- NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版):5回(w / ブルドッグ・ブラワー、ザ・ビースト、ジム・ハディ、ホイッパー・ビリー・ワトソン×2)[42]
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:2回[28]
- NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):1回[29]
- NWAデトロイト
- NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
- NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回[20]
- NWAジョージア・ヘビー級王座:1回[45]
- NWAロサンゼルス
- NWAビート・ザ・チャンプTV王座:1回
- NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
- NWA世界タッグ王座(ミネアポリス版):1回(w / Chet Wallick)
- NWA USタッグ王座(ノースイースト版):3回(w / ドクター・ジェリー・グラハム、バディ・ロジャース、カウボーイ・ボブ・エリス)[9]
- WWWF USタッグ王座:1回(w / アントニオ・プリエーゼ)[9]
- UNヘビー級王座:1回[36]
- インターナショナル・タッグ王座:1回(w / キラー・カール・クラップ)[35]
- その他
エピソード
- ロープワークを「リアルに見えない」との理由から非常に嫌い、肘・拳による打撃と基本的な絞め技だけで攻めるという独自のスタイルをつくった。投げ技も時々ボディスラムを放つ程度で、バックドロップのような派手な技を出すことはほとんどなかったが、それでも観客は、彼の試合にリアリティを感じて惹きつけられていたという[46]。そのスタイルから、ルー・テーズからは「タフガイ」と呼ばれた。
- かなり変わった人物であったらしく、会場に招待された若き日のジョージ・H・W・ブッシュにいきなり中指を突き立てたこともある。リック・フレアーによれば、控え室では他の選手たちとコミュニケーションを交わすことは滅多になく、一人で読書やチェスをしていることが多く、移動中はオペラを聴いていたという[46]。
- 度が過ぎた悪戯好きでもあり、喘息持ちだった "ジ・アラスカン" ジェイ・ヨークの吸入器にライターのオイルを満タンに入れ、それを知らずに吸い込み嘔吐に苦しんだヨークから、報復として銃を突きつけられたことがある[47]。こうした悪癖が災いし、セスナ機事故で再起不能の障害を負ってからも、バレンタインに同情する人間はほとんどいなかったという[48]。
- その妥協なきファイトスタイルと、得意のエルボー攻撃を放つ際の鬼気迫る表情から、日本では「金髪の妖鬼」と称された[30]。ジャイアント馬場によると、ある先輩レスラーはバレンタインと対戦した際、バレンタインが両目を見開いて肘を振り上げただけで悲鳴をあげて逃げ回ったという[49]。
脚注
- ^ a b “Wrestler Profiles: Johnny Valentine”. Online World of Wrestling. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “Johnny Valentine: Facts”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “Lou Thesz vs. Johnny Valentine”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “Buddy Rogers vs. Johnny Valentine”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The CWC matches fought by Johnny Valentine in 1958”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The CWC matches fought by Johnny Valentine in 1959”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b c d “Capitol-WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Johnny Valentine in 1965”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “Bruno Sammartino vs. Johnny Valentine”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Johnny Valentine in 1969”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The WCCW matches fought by Johnny Valentine in 1970”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “Dory Funk Jr. vs. Johnny Valentine”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWF World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Missouri Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Heavyweight Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “Jack Brisco vs. Johnny Valentine”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ a b “NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Johnny Valentine in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Johnny Valentine in 1975”. Wrestlingdata.com. 2015年3月15日閲覧。
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