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「ペンサコーラ (フロリダ州)」の版間の差分

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{{世界の市
{{出典の明記|date=2014年5月}}
|正式名称= ペンサコーラ市
|公用語名称= City of Pensacola
|愛称= The City of Five Flags(五旗の街)<ref name="NorthEscambia">[http://www.northescambia.com/2012/07/new-logo-brand-welcome-to-pensacola-the-upside-of-florida New Logo, Brand: Welcome To Pensacola, The Upside Of Florida]. ''NorthEscambia.com''. 2012年7月19日. 2014年8月30日閲覧.</ref>
|標語= The Upside of Florida(フロリダの上側)<ref name="NorthEscambia" />
|画像= Collage_of_images_from_around_Pensacola.jpg
|画像サイズ指定= 250px
|画像の見出し=
|市旗= Flag of Pensacola.svg
|市章=
|位置図= Escambia_County_Florida_Incorporated_and_Unincorporated_areas_Pensacola_Highlighted.svg
|位置図サイズ指定= 250px
|位置図の見出し= 右上: フロリダ州におけるエスカンビア郡の位置<br />左下: エスカンビア郡におけるペンサコーラの市域
|下位区分名= [[アメリカ合衆国]]
|下位区分種類1= 州
|下位区分名1= [[フロリダ州]]
|下位区分種類2= 郡
|下位区分名2= [[エスカンビア郡 (フロリダ州)|エスカンビア郡]]
|最高行政執行者称号=
|最高行政執行者名=
|成立区分= 創設
|成立日= 1559年<br />(17世紀末に再設)
|規模= 市
|総面積(平方キロ)= 102.7
|総面積(平方マイル)= 39.7
|陸上面積(平方キロ)= 58.8
|陸上面積(平方マイル)= 22.7
|水面面積(平方キロ)= 43.9
|水面面積(平方マイル)= 17.0
|水面面積比率=
|市街地面積(平方キロ)=
|市街地面積(平方マイル)=
|都市圏面積(平方キロ)=
|都市圏面積(平方マイル)=
|人口の時点= 2010年
|人口に関する備考=
|総人口= 51,923
|人口密度(平方キロ当たり)= 883.0
|人口密度(平方マイル当たり)= 2,287.4
|都市圏人口= 448,991
|都市圏人口密度(平方キロ)=
|都市圏人口密度(平方マイル)=
|市街地人口=
|等時帯= [[中部標準時]]
|協定世界時との時差= -6
|夏時間の等時帯= [[中部夏時間]]
|夏時間の協定世界時との時差= -5
|緯度度= 30 |緯度分= 26 |緯度秒= 13 |N(北緯)及びS(南緯)= N
|経度度= 87 |経度分= 12 |経度秒= 33 |E(東経)及びW(西経)= W
|標高(メートル)= 10
|標高(フィート)= 32
|公式ウェブサイト= http://www.cityofpensacola.com/
|備考=
}}
<!-- 以上Infobox。これより下記事本文。-->


'''ペンサコーラ'''('''Pensacola''')は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]]北西端に位置する都市。[[モービル (アラバマ州)|モービル]]の東約90km、州都[[タラハシー]]の西約300kmに位置する。[[メキシコ湾]]につながるペンサコーラ湾に面し、また「海軍航空のゆりかご」と称される[[ペンサコーラ海軍航空基地]]をはじめとする海軍関連施設を多数抱える軍事都市・[[港湾都市]]であり、また、歴史的建築物と白砂の[[砂浜|ビーチ]]で知られる観光都市・保養都市でもある。人口は51,923人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日. 2011年4月5日閲覧.</ref>。ペンサコーラに郡庁を置く[[エスカンビア郡 (フロリダ州)|エスカンビア郡]]、およびその東隣の[[サンタローザ郡 (フロリダ州)|サンタローザ郡]]の2郡にまたがる都市圏は448,991人(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />の人口を抱えている。
{{redirect|ペンサコラ|アメリカ海軍のドック型揚陸艦|ペンサコラ (ドック型揚陸艦)}}
[[ファイル:FLMap-doton-Pensacola.PNG|thumb|フロリダ州内のペンサコーラの位置]]
[[ファイル:Historicpensacola.jpg|thumb|225px|ダウンタウンの歴史地区にあるアイコニック給水塔。]]
'''ペンサコーラ'''({{lang-en-short|Pensacola}})は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]]北西端に位置する[[港湾都市]]である。同市は[[エスカンビア郡 (フロリダ州)|エスカンビア郡]]の郡庁所在地である。


ペンサコーラという市名は[[1100年]]頃からこの地に住みつき、文化を興していたネイティブ・アメリカンのペンサコーラ族に由来すると考えられている。ペンサコーラは現在のアメリカ合衆国本土で最初のヨーロッパ人入植地が創設された地であり、その歴史は[[1559年]]にさかのぼる。しかし、[[ハリケーン]]の被害、飢饉、および[[アメリカ州の先住民族|先住民]]の攻撃により、この[[スペイン]]人入植地は短命に終わり、[[1561年]]には放棄された。その後、[[17世紀]]後半に入ると、[[フランス]]による[[フランス領ルイジアナ|ルイジアナ]]の探検が進み、スペインがそれを脅威として捉えたため、フランスの牽制を目的としてこの地に入植地を再設し、それが現代の街の基礎となった。
== 概要 ==
[[2000年]]の[[国勢調査]]では、この都市の人口は56,255人であった。アメリカ合衆国国勢調査局によって報告された[[2004年]]現在の人口は54,734人である<ref>[http://www.census.gov/popest/cities/tables/SUB-EST2004-04-12.xls 国勢調査局サイト内xlsファイル]</ref>。グレーター・ペンサコーラ都市圏は人口412,153人を有している。ここはフロリダ北西部最大の大都市圏であり、[[モービル (アラバマ州)|モビール市]]・[[タンパ|タンパ市]]間の[[メキシコ湾]]岸で最大である。


その後、この地はスペインからフランス、[[イギリス]]、[[アメリカ連合国]]、そしてアメリカ合衆国の統治下に入った歴史を持つため、市は''The City of Five Flags''(五旗の街)と呼ばれている<ref name="NorthEscambia" />。また、市旗は星条旗を中央[[アメリカ合衆国の国旗#縦掲揚|縦向き]]に、左上にフランス王国、左下にスペイン([[カスティーリャ王国]]・[[レオン王国]])、右上にイギリス、右下にアメリカ連合国と、5つの国旗を配し、組み合わせたものになっている。
ペンサコーラ港は、メキシコ湾を臨むペンサコーラ湾の港である。また、ペンサコーラには、展示飛行チーム[[ブルーエンジェルス]]の本拠地であり、[[国立海軍航空博物館]]を擁する全米有数の[[アメリカ海軍航空基地]]がある。


== 歴史 ==
ペンサコーラは、歴史的に[[スペイン]]、[[フランス]]、[[イギリス|英国]]、[[南部連合]]、現[[アメリカ合衆国]]の5つの国家(地域)に属したことから「五旗の街」と呼ばれる。このような豊かな歴史的背景に加え、メキシコ湾岸屈指のビーチを有し、さらには[[治安]]も良好であることから、同市は保養都市、[[観光都市]]としても人気が高い。
; ペンサコーラを統治下に置いた国家の変遷
* [[File:Flag of Castilla y León.svg|25x20px|border]] [[スペイン帝国|スペイン]]: 1559-1719年, 1722-63年, 1781-1819年
* [[File:Pavillon royal de la France.svg|25x20px|border]] [[フランス植民地帝国|フランス]]: 1719-22年
* [[File:Union flag 1606 (Kings Colors).svg|25x20px|border]] [[イギリス帝国|イギリス]]: 1763-81年
* [[File:CSA FLAG 28.11.1861-1.5.1863.svg|25x20px|border]] [[アメリカ連合国]]: 1861-62年
* [[File:Flag of the United States.svg|25x20px|border]] [[アメリカ合衆国]]: 1821-61年, 1862年以降


=== 先史時代 ===
同市の玄関口となっている空港は[[ペンサコーラ空港]]である。
[[File:Pensacola culture map HRoe 2012.jpg|left|thumb|250px|ペンサコーラ文化の興った地域]]


ペンサコーラ湾岸のこの一帯には、ヨーロッパ人の入植以前にはネイティブ・アメリカンの[[ペンサコーラ族]]が住み着き、[[1100年]]頃から[[1700年]]頃にかけて[[ペンサコーラ文化]]が興っていた<ref>Brown, Ian. "Introduction to the Bottle Creek Site". pp.1-26. ''A Pensacola Culture Site in South Alabama''. Tuscaloosa, Alabama: University of Alabama Press. 2003年.</ref>。[[1677年]]まで記録には出てこないものの、ペンサコーラ族はペンサコーラ湾、およびペンサコーラという市名の由来になったと考えられている<ref>Swanton, John Reed. "The Indian tribes of North America". pp.136-137. Genealogical Publishing. 2003年. ISBN 0-8063-1730-2.</ref>。また、ペンサコーラ族同様に[[マスコギ語族|マスコギ語系]]の言語を話す[[クリーク族]]もまた、通商のために定期的に、現在の[[アラバマ州]]南部からこの地を訪れていた<ref name="dysart">Dysart, Jane E. "Another Road to Disappearance: Assimilation of Creek Indians in Pensacola, Florida during the Nineteenth Century". pp.37-48. ''The Florida Historical Quarterly''. Vol.61, No.1. Florida Historical Society. 1982年7月.</ref>。
「ペンサコーラ」は、この地に先住する[[チョクトー族]][[インディアン]]の言葉で、「人々」という意味。

[[考古学]]的に最もよく知られたペンサコーラ文化の遺跡は、現代のペンサコーラ市の西95km、[[アラバマ州]][[モービル (アラバマ州)|モービル]]の北にあるボトルクリーク遺跡である。 この遺跡には[[1250年]]頃から[[1550年]]頃にかけて造られたと見られる大きな土塁が18あり、そのうちの5つが中央の広場を囲むように造られている。この遺跡はペンサコーラ族の儀礼の中心地、またペンサコーラ社会への玄関口であり、彼らの主要交通手段であった[[カヌー]]で容易にたどりつける場所であった<ref>Snow, Dean R. ''Archaeology of Native North America''. pp.248-249. New York: Prentice-Hall. 2010年.</ref>。

=== ヨーロッパ人の入植と領有権争い ===
この一帯にヨーロッパ人が訪れるようになったのは[[16世紀]]中盤にさしかかった頃であった。[[1528年]]には[[スペイン]]の[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]の一行が、[[1539年]]には同じくスペインの[[エルナンド・デ・ソト]]の一行がその探検の中でこの地を訪れた<ref name=FLluna>[http://www.flheritage.com/archaeology/projects/shipwrecks/emanuelpoint/history.cfm History]. Tallahassee, Florida: Division of Historical Resources, Department of State, State of Florida. 2014年8月4日閲覧.</ref>。そして[[1559年]]、[[トリスタン・デ・ルナ・イ・アレヤーノ]]が[[メキシコ]]の[[ベラクルス]]から11隻の船を率いて、1,400人の入植者と共にこの地に降り立ち、現在のアメリカ合衆国本土で最初のスペイン人入植地を創設した<ref name=SRhist1>Johnson, Jane. [http://www.navarrebeach.org/index_files/SantaRosaIslandHistory.htm Santa Rosa Island - a History]. Navarre Beach Leaseholders & Residents Association. 2014年8月4日閲覧.</ref>。しかし、同年9月19日に[[ハリケーン]]がこの地を襲い、何百人もの死者を出し、5隻の船が沈没し、[[キャラベル船]]が座礁し、食料やその他生活用品も傷み、この入植地は壊滅した<ref name=FLluna/>。1,000人ほどの生存者は別の場所に入植地を再設したが、飢饉や原住民の攻撃により、[[1561年]]には放棄された。240人ほどはこの地を離れ、サンタエレナ(現在の[[サウスカロライナ州]][[パリスアイランド (サウスカロライナ州)|パリスアイランド]])へと向かったが、その航海の最中に別の嵐に遭い、[[キューバ]]へと行先を変え、散り散りになった。この地に最終的に残った50人ほどの入植者はメキシコに戻り、西フロリダは危険すぎて入植できないと結論付けた。こうした西フロリダ観はその後135年にわたって、当地のスペイン人入植者の間に残った<ref name=PAluna>Pinson, Steve. [http://www.de-luna.com/pal.html The Tristan de Luna Expedition]. Pensacola Archeology Lab. 2014年8月4日閲覧.</ref>。

[[File:PensacolaFortSanCarlosDeAustria1699.jpg|left|thumb|250px|スペインが描いた、プレシディオ・サンタ・マリオ・デ・ガルベの構想図([[1699年]])]]

[[17世紀]]後半に入ると、[[フランス]]が[[フランス領ルイジアナ|ルイジアナ]]の植民地化を目論んで[[ミシシッピ川]]下流域の探検を始めた。すると、スペインはそれを自国領に対する脅威として捉え、西フロリダに再び入植地を建設した。[[1698年]]、スペインはこの地に、プレシディオ・サンタ・マリア・デ・ガルベという城塞と、現代のペンサコーラの街の基礎となった村を建設した。この地は[[1719年]]にフランスに占領され、城塞もフランスのものとなった。しかし、フランスによるこの地の統治は長くは続かず、3年後、[[1722年]]にスペインは再びこの地を取り返した。このとき、フランスは城塞を去る際に火を放ち、全焼させた。すると、スペインはもとの城塞からペンサコーラ湾を隔てて南、サンタローザ島のほうが他のヨーロッパ諸国やネイティブ・アメリカンによる攻撃から守りやすいと考え、その西端に、2番目の城塞となるプレシディオ・イスラ・デ・サンタ・ローザを建てた。[[1752年]]にハリケーンでこの城塞が倒壊すると、スペインは最初の城塞から8km東の本土側、現在ではペンサコーラのダウンタウンの歴史地区となっているところに、3番目の(そして最後の)城塞となったプレシディオ・サンタ・ミゲル・デ・ペンザコーラを建てた<ref name=USFhist>[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/p/pensac2.htm Pensacola, Florida]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年8月17日閲覧.</ref><ref name=UWFpres>[http://uwf.edu/cas/cas-departments/anthropology-and-archaeology/research/faculty-and-staff-projects/colonial/presidio-santa-maria-de-galve/ Presidio Santa María de Galve]. Division of Anthropology and Archaeology, University of West Florida. 2014年8月17日閲覧.</ref>。

[[File:Prise de Pensacola.jpg|right|thumb|250px|ペンサコーラの戦い]]

その次にこの地を統治下に置いたのは[[イギリス]]であった。[[1763年]]、[[フレンチ・インディアン戦争]]が終結すると、[[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]によって、スペインはキューバと引き換えにフロリダをイギリスに引き渡した。するとイギリスは、北アメリカ14番目の植民地として[[西フロリダ]]植民地を創設し、ペンサコーラをその首都に定め、かつてのスペインの城塞であったプレシディオ・サンタ・マリア・デ・ガルベの跡地からわずか450mほどの、ペンサコーラ湾を見渡せるところにバランカス砦を建てた。

やがて[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]が開戦すると、[[1779年]]にスペインが参戦して植民地側につき、その翌々年の[[1781年]]に[[ペンサコーラの戦い (アメリカ独立戦争)|ペンサコーラの戦い]]を制して、三たび西フロリダはスペインの統治下に入った<ref name=UWFpres />。[[1783年]]に独立戦争が終結すると、[[パリ条約 (1783年)|パリ条約]]によって、西フロリダと東フロリダの両方がスペイン領となった<ref name=SRhist1 />。3度目のスペイン統治下では、ペンサコーラは辺境の砦の街、そして交易所として発展し、白人男性とクリーク族やアフリカ系の女性との結婚による混血家族が少なからず見られた<ref name="dysart" />。

=== アメリカ合衆国への編入と南北戦争 ===
[[File:Bustofandrewjackson.jpg|left|thumb|180px|フェルナンド7世広場に立つアンドリュー・ジャクソンの胸像]]

[[1812年]]に開戦した[[米英戦争]]の最中、イギリスはスペインの同意の下にペンサコーラに駐留し、砦に[[イギリスの国旗|ユニオンジャック]]を掲げ、周辺地域のネイティブ・アメリカンを加勢させ、訓練を行っていた。すると、アメリカ合衆国の[[少将]][[アンドリュー・ジャクソン]]はイギリスのそうした動きを止めるべく、米英戦争末期の[[1814年]]11月、[[テネシー州|テネシー]]・[[ケンタッキー州|ケンタッキー]]両州の志願兵と共に[[ペンサコーラの戦い (米英戦争)|ペンサコーラに進軍]]し、占領し、イギリス軍を追い出した。その時はジャクソンはペンサコーラへは2日間しか逗留せず、[[ニューオーリンズの戦い|ニューオーリンズへと兵を進めた]]<ref name="USFJackson">[http://fcit.usf.edu/florida/docs/j/jacks04.htm Jackson, Andrew]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月16日閲覧.</ref>。

ジャクソンの2度目のペンサコーラ侵攻は第一次[[セミノール戦争]]の最中、[[1818年]]5月であった。ペンサコーラでネイティブ・アメリカンの軍勢に武器が与えられ、訓練が施されていると考えたジャクソンは、[[セントオーガスティン]]からペンサコーラへ進軍し、数発の威嚇砲を放って開城させた<ref name="URichmond">[http://historyengine.richmond.edu/episodes/view/384 Andrew Jackson captures Pensacola, Florida]. ''The History Engine''. University of Richmond. 2009年. 2014年9月16日閲覧.</ref>。その後ジャクソンはテネシーに帰り、[[1819年]]9月には西フロリダがスペインに返還されたが、その時には既に西フロリダはアメリカ合衆国の実効支配下に入っており、また[[アダムズ=オニス条約]]の締結によってアメリカ合衆国によるフロリダ購入も決定的になっていた<ref name="USFJackson" />。[[1820年]]10月にスペインが、翌[[1821年]]2月にはアメリカ合衆国がそれぞれこの条約を批准し、1821年7月、東西フロリダは統合された[[フロリダ準州]]として、正式にアメリカ合衆国のものとなった<ref name="USFFlaTerritory">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/f/florterr.htm Florida Becomes a Territory]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月16日閲覧.</ref>。ジャクソンはこの新しい準州の軍政府長官に就任したが、1年も経たないうちに辞任し、後継のウィリアム・デュバルが正式な初代フロリダ準州知事となった<ref name="USFDuval">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/d/duval.htm Duval, William P.] ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月16日閲覧.</ref>。やがて[[1824年]]、東西フロリダそれぞれの首都であった[[セントオーガスティン]]とペンサコーラの中間点にあった[[タラハシー]]がフロリダ準州の州都に定められ、ペンサコーラは西フロリダの政治の中心地としての役割を終えた<ref name="USFTallaCapital">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/t/tallcap.htm Tallahassee Becomes the Capital]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月16日閲覧.</ref>。

しかし、タラハシー遷都後もなお、ペンサコーラは軍港・商港の港湾都市、そして地域経済の拠点として重要な都市であった。もともと天然の良港に恵まれていたことに加えて、周辺地域の森林資源が豊富であったこと、そして起業家が次々と現れたことから、[[19世紀]]前半のペンサコーラは製材産業の中心地として発展した<ref name="Eisterhold">Eisterhold, John A. "Lumber and Trade in Pensacola and West Florida: 1800-1860". ''Florida Historical Quarterly''. Vol.51. No.3. pp.267-280. 1973年.</ref>。[[1825年]]には、ペンサコーラ港の存在と豊富な木材が造船に有利と考えられ、第6代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[ジョン・クィンシー・アダムズ]]と[[アメリカ合衆国海軍長官|海軍長官]][[サミュエル・サウサード]]が[[ペンサコーラ海軍航空基地]]の前身であるペンサコーラ海軍工廠の設置を取り決めた<ref name="NASHist" />。[[1830年代]]に入ると、[[蒸気機関]]の普及で製材所の効率が格段に上がり、この地域の製材産業に更なる発展がもたらされた<ref name="Eisterhold" />。

[[File:Fort-pickens.jpg|right|thumb|250px|ピケンズ砦(1861年2月)]]

[[1845年]]、[[アイオワ準州]]を自由州として昇格させるのと同時に、フロリダ準州は奴隷州として、自由州/奴隷州の数の均衡を取った形で州に昇格した<ref name="USFStatehood">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/s/state.htm Act Establishing Florida Statehood, 1845]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月18日閲覧.</ref>。しかし、[[1861年]]1月10日、フロリダ州は連邦から離脱して[[アメリカ連合国]]に加入した。その翌々日、1月12日には、ペンサコーラ海軍工廠が南軍に占拠された。一方、サンタローザ島の西端に建ち、ペンサコーラ港防衛の要であったピケンズ砦は、北軍が死守したままであった<ref name="USFFtPickens">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/f/ftpickens.htm Fort Pickens]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月18日閲覧.</ref>。やがて[[南北戦争]]が開戦し、同年10月9日には、南軍がピケンズ砦の奪取を狙って[[サンタローザ島の戦い]]を仕掛けたが、失敗に終わった。翌[[1862年]]5月には、南軍がペンサコーラの街を焼き払って撤退し、住民は内陸へと避難し、北軍がペンサコーラを占領した<ref name="USFCivilWar">[http://fcit.usf.edu/FLORIDA/docs/c/civatpen.htm Civil War, Pensacola]. ''Floripedia''. College of Education, University of South Florida. 2005年. 2014年9月18日閲覧.</ref>。

=== 南北戦争後 ===
[[File:PensacolaAir20s.jpg|left|thumb|250px|ペンサコーラのダウンタウンが描かれた絵葉書([[1930年代]]中盤)]]

南北戦争が終結し、[[レコンストラクション]]期に入ると、ペンサコーラの再建が始まった。ペンサコーラ港と軍と製材産業の存在によって、ペンサコーラは[[アメリカ合衆国南部|南部]]の多くの地域に比べて、復興は容易に進んでいった。アフリカ系の[[解放奴隷]]は海軍工廠や製材工場で職を得た。ペンサコーラ・アンド・ペルディード鉄道(現[[アラバマ・アンド・ガルフ・コースト鉄道]]の一部)やペンサコーラ・アンド・ルイビル鉄道(現[[CSXトランスポーテーション]]の一部)など、南部の各地域とペンサコーラとを結ぶ鉄道の建設も進められた。南北戦争中に内陸へと避難した住民も戻り、人口も回復した<ref name="Brackett">Brackett, John Matthew. [http://diginole.lib.fsu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2671&context=etd "The Naples of America," Pensacola during the Civil War and Reconstruction]. Ch.3. pp.38-67. Florida State University. 2005年3月3日. 2014年9月22日閲覧.</ref>。

しかし、[[20世紀]]初頭に入ると、ペンサコーラでは[[ジム・クロウ法]]の下で人種隔離が進んだ。アフリカ系の事業はダウンタウンから姿を消し、アフリカ系の求人は無くなり、選挙からも締め出された。加えて、市内のフェルナンド7世広場では有色人種に対する公開[[私刑|リンチ]]が横行した。[[公民権運動]]の最中、[[1960年]]に連邦裁判所で敗訴するまで、エスカンビア郡公立学区は「隔離すれども平等」の名の下に、白人の学校に有色人種が入学することを禁じていた。多人種共学になった後もなお、[[1972年]]には市内のエスカンビア高校で、同校における[[アメリカ連合国の国旗#海軍旗、別名『レベル・フラッグ (Rebel Flag)』|レベル・フラッグ]]の掲揚、同校校歌としての「[[ディキシー (楽曲)|ディキシー]]」の演奏および歌唱や、南軍兵士をモチーフとした同校のマスコットがアフリカ系の生徒に対して攻撃的であるとして、暴動に至った<ref name="Satterwhite">Satterwhite, Scott. [http://www.inweekly.net/article.asp?artID=8226 Pensacola's 450 Years of Race History]. ''Independent News''. 2008年7月17日. 2014年9月23日閲覧.</ref>。

[[File:Juan Sebastian de Elcano at Pensacola.jpg|right|thumb|250px|創設450周年を記念してペンサコーラを訪れ、入港の際に21発の[[祝砲]]を放つ[[スペイン海軍]]の[[練習艦|練習帆船]]フアン・セバスティアン・デ・エルカーノ。([[2009年]]6月3日)<ref>[http://portofpensacola.com/port-information/history/ History]. Port of Pensacola. 2014年9月23日閲覧.</ref>]]

20世紀後期以降、ペンサコーラは近隣の[[パナマシティ (フロリダ州)|パナマシティ]]、フォートウォルトンビーチ、デスティンなどと同様に、[[砂浜|ビーチ]]沿いの観光・保養都市として発展してきた。メキシコ湾岸の数々の[[バリアー島]]では観光開発が進み、[[コンドミニアム]]や家が建ち並ぶようになった一方で、未開発の海岸はガルフ・アイランズ国立海岸に指定され、保全された。観光客層は主に[[アラバマ州]]や[[ジョージア州]]など南部近隣州の労働者で、ペンサコーラは「[[レッドネック]]のリビエラ」と呼ばれるようになった。こうした観光業の発展に対しては、「エメラルド・コースト」を守りたい上流層の住民からは交通量の増加や公共交通・インフラの需要過多、資産税の増加といった要因で必ずしも歓迎されてはいないが、その一方で、海岸沿いの住民にとっては新たにもたらされたビジネスチャンスとして捉えられてきた<ref>Moore, Patrick. "Redneck Riviera' or 'Emerald Coast?' Using Public History to Identify and Interpret Community Growth Choices in Florida's Panhandle." Vol.18. No.2. ''Gulf South Historical Review''. pp 60-91. 2003年.</ref>。


== 地理 ==
== 地理 ==
ペンサコーラは{{ウィキ座標度分秒|30|26|13|N|87|12|33|W|}}に位置している。[[フロリダ州]]の北西端に位置しており、西約20kmには[[アラバマ州]]との西の州境になっているペルディード川が流れ、また北約75kmにはアラバマ州との北の州境になっている[[北緯31度線]]が通っている。アラバマ州南部の[[モービル (アラバマ州)|モービル]]へは西へ約90km、同州中部の[[モントゴメリー (アラバマ州)|モントゴメリー]]へは北東へ約280km、[[ルイジアナ州]][[ニューオーリンズ]]へは西へ約300kmであるのに対し、州都[[タラハシー]]へは東へ約300km、[[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]へは東へ約570km、[[タンパ]]へは南東へ約680km、[[マイアミ]]に至っては南東へ約1,000kmも離れており、フロリダ州内の主要都市よりも[[ディープサウス|深南部]]の諸都市に近い。等時帯も州の大部分が[[東部標準時]]/[[東部夏時間]]に属するのに対し、ペンサコーラはアラバマ州、[[ミシシッピ州]]、ルイジアナ州などと同じ[[中部標準時]]/[[中部夏時間]]に属している。
ペンサコーラは{{ウィキ座標度分秒|30|26|13|N|87|12|33|W|}} (30.436988, -87.209277){{GR|1}}に位置している。


[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、この都市は総面積102.7 [[平方メートル|km&sup2;]] (39.7 [[平方マイル|mi&sup2;]]) である。のうち58.8 km&sup2; (22.7 mi&sup2;) が陸地で43.9 km&sup2; (17.0 mi&sup2;) が水域である。総面積の42.77%が水域となる。
[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、ペンサコーラ市は総面積102.7km<sup>2</sup>(39.7mi<sup>2</sup>)である。のうち58.8km<sup>2</sup>(22.7mi<sup>2</sup>)が陸地で43.9km<sup>2</sup>(17.0mi<sup>2</sup>)が水域である。総面積の42.77%が水域となっている。市中心部は概ね平坦で、標高10m以下の土地が続くが、市北部や北郊では標高30-40mに達するところもある。


== 人口動勢 ==
=== 気候 ===
{{climate chart
[[2000年]]現在の[[国勢調査]]{{GR|2}}で、この都市は人口56,255人、24,524世帯、及び14,665家族が暮らしている。[[人口密度]]は956.8/km&sup2; (2,478.7/mi&sup2;) である。459.2/km&sup2; (1,189.4/mi&sup2;) の平均的な密度に26,995軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は[[白人]]64.91%、[[アフリカン・アメリカン]]30.58%、アジア1.77%、[[インディアン]]0.52%、太平洋諸島系0.06%、その他の人種0.54%、及び混血1.61%である。人口の2.07%は[[ヒスパニック]]または[[ラテン系]]である。
| ペンサコーラ
| 5.7 | 15.8 | 116.8
| 7.5 | 17.7 | 129.5
| 10.7 | 20.9 | 147.3
| 14.2 | 24.3 | 109.2
| 18.9 | 28.4 | 106.7
| 22.5 | 31.4 | 167.6
| 23.6 | 32.2 | 188.0
| 23.4 | 31.9 | 172.7
| 21.3 | 30.3 | 152.4
| 15.7 | 26.1 | 132.1
| 10.7 | 21.3 | 119.4
| 6.9 | 17.0 | 116.8
| float = right
| clear = both
| source = [http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=122227&refer= Weatherbase.com]
}}
[[File:Hurricane Ivan2.jpg|left|thumb|180px|[[ハリケーン・アイバン]]の被害を受けたマリーナ([[2004年]])]]


ペンサコーラの気候は、[[ケッペンの気候区分]]でこそ[[アメリカ合衆国東海岸]]や[[アメリカ合衆国南部|南部]]に広く分布している[[温暖湿潤気候]](''Cfa'')に属するが、実際には蒸し暑い夏と温暖で過ごしやすい冬に特徴付けられる[[亜熱帯]]性の気候である。最も暑い7月の平均気温は28℃、最高気温の平均は32℃で、日中は月の半分くらいの日が30℃を超える。最も寒い1月の平均気温は11℃、最低気温の平均は6℃で、最低気温が氷点下に下がることが時々ある程度である。降水量は年間を通じてほぼ一定して多く、月間110-150mm、特に多い6-8月の夏季には月間170-190mm、年間では1,660mmに達する。冬季の降雪は極めて稀である<ref name=weatherbase />。
この都市内の住民は22.9%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が8.9%、25歳以上44歳以下が26.9%、45歳以上64歳以下が24.0%、及び65歳以上が17.2%にわたっている。中央値年齢は39歳である。女性100人ごとに対して男性は88.5人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は84.7人である。


ペンサコーラは有史以来[[ハリケーン]]に見舞われやすい土地である。ペンサコーラを含むメキシコ湾北岸に上陸するハリケーンは、[[メキシコ湾流]]の影響で海水温の高い[[カリブ海]]や[[メキシコ湾]]を通るため、勢力が強くなり、被害が大きくなりやすい<ref>[http://www.miami.us.emb-japan.go.jp/jp/tebiki_hurricane.htm ハリケーン・シーズンに備えてのご注意]. 在マイアミ日本国総領事館. 2013年6月. 2014年8月25日閲覧.</ref>。古くは[[1559年]]、この地に創設された、現在のアメリカ合衆国本土で初のヨーロッパ人入植地を壊滅させたのはハリケーンであった<ref name=FLluna/>。[[1995年]]には、[[ハリケーン・エリン (1995年)|ハリケーン・エリン]]が[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール#カテゴリー|カテゴリー]]2の勢力でペンサコーラを直撃した<ref>Harrison, Eric and Stanley, Edith. [http://articles.latimes.com/1995-08-04/news/mn-31364_1_hurricane-erin Florida Suffers 2nd Blow From Hurricane Erin]. ''Los Angeles Times''. 1995年8月4日. 2014年8月26日閲覧.</ref>。[[2004年]]には、[[ハリケーン・アイバン]]がカテゴリー3の勢力でモービルとペンサコーラの間の海岸に上陸し、目の右側に入ったペンサコーラに大きな被害をもたらした<ref>Drye, Willie. [http://news.nationalgeographic.com/news/2004/09/0916_040916_hurricaneivan.html Hurricane Ivan Slams U.S. Gulf Coast]. ''National Geographic''. 2004年9月16日. 2014年8月26日閲覧.</ref>。翌[[2005年]]には、[[ハリケーン・デニス]]がカテゴリー3の勢力でペンサコーラビーチに上陸した<ref>[http://edition.cnn.com/2005/WEATHER/07/10/tropical.weather/index.html Dennis spreads across Southeast]. Cable News Network. 2005年6月11日. 2014年8月26日閲覧.</ref>。
この都市内の世帯ごとの平均的な収入は34,779米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,868米ドルである。男性は32,258米ドルに対して女性は23,582米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 ([[:en:per capita income|per capita income]]) は21,438米ドルである。人口の16.1%及び家族の12.7% は[[貧困線]]以下である。全人口のうち18歳未満の26.2%及び65歳以上の9.2%は貧困線以下の生活を送っている。


{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
== ローカルメディア ==
|+ '''ペンサコーラの気候'''<ref name=weatherbase>[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=122227&refer=&units=us Historical Weather for Pensacola, Florida, United States of America]. Weatherbase.com. 2014年8月20日閲覧.</ref>
この地域最大の日刊新聞はペンサコーラ・ニュース・ジャーナル (Pensacola News Journal) である。ペンサコーラはペンサコーラ、[[アラバマ州]][[モービル (アラバマ州)|モビール]]、及びフロリダ州[[ウォールトンビーチ (フロリダ州)|ウォールトンビーチ]]を範囲にしている [[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]] 系列、[[:en:WEAR-TV|WEAR-TV]] 、及び[[:en:Pensacola Junior College|Pensacola Junior College]] によって運営されている、ローカル[[公共放送サービス|PBS]]会員局、[[:en:WSRE|WSRE]]-TV の本拠地でもある。
|-
!
! [[1月]] !! [[2月]] !! [[3月]] !! [[4月]] !! [[5月]] !! [[6月]] !! [[7月]] !! [[8月]] !! [[9月]] !! [[10月]] !! [[11月]] !! [[12月]] !! 年
|-
! 平均気温([[摂氏|℃]])
| 10.8 || 12.6 || 15.8 || 19.2 || 23.7 || 26.9 || 27.9 || 27.7 || 25.8 || 20.9 || 15.9 || 11.9 || 19.9
|-
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
| 116.8 || 129.5 || 147.3 || 109.2 || 106.7 || 167.6 || 188.0 || 172.7 || 152.4 || 132.1 || 119.4 || 116.8 || 1,658.5
|}


=== 都市概観と建築物 ===
他の主要なネットワークは[[CBS]] 系列 [[:en:WKRG-TV|WKRG]]、[[NBC]] 系列 [[:en:WPMI-TV|WPMI]]、及び [[フォックス放送|FOX]] 系列 [[:en:WALA-TV|WALA]] であり、[[アラバマ州]][[モービル (アラバマ州)|モビール]]近郊から放送をしている。
[[File:Christchurchpensacola1.jpg|left|thumb|250px|オールド・クライスト・チャーチ]]
[[File:PensacolaPalafoxAug2008ParkMonument.jpg|right|thumb|250px|パラフォックス・ストリート]]


ペンサコーラのダウンタウンはペンサコーラ湾の北岸に形成されている。湾岸線はやや入り組んでいるものの、市中心部の街路は整然と区画されている。南北に通る通りはガーデン・ストリートを境にN(北)とS(南)に分かれている。一方、東西に通る通りはパラフォックス・ストリートを境に東(E)と西(W)に分かれている。パラフォックス・ストリートの東6ブロック目からは、数字のついた通りが6thストリートから20thストリートまであり、東に行くほど数字が大きくなる。一方、ダウンタウンの西には、Aストリートから順に、Zアルファベットのついた通りがZストリートまで通っている。ダウンタウン南東部にはオールド・クライスト・チャーチ、クララ・バークレー・ドア・ハウス、ラバル・ハウスなど、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録されているものをはじめとする歴史的建築物が建ち並んでおり、地区自体もペンサコーラ歴史地区として国家歴史登録財に登録されている<ref>[http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/FL/Escambia/state.html FLORIDA - Escambia County]. ''National Register of Historic Places''. 2014年8月20日閲覧.</ref>。
== 姉妹都市 ==
6都市と姉妹都市提携を結んでいる<ref>{{cite web
|title=Online Directory: Florida, USA
|publisher=Sister Cities International
|url=http://www.sister-cities.org/icrc/directory/usa/FL
|accessdate=2008-04-27
}}</ref>。<!--提携年が不明なため、五十音順-->
* {{flagicon|CRC}} [[:en:Escazú|エスカスー]](コスタリカ)
* {{flagicon|JPN}} [[下呂市]](日本)
* {{flagicon|ROC}} [[高雄市]](台湾)
* {{flagicon|PER}} [[チンボテ]](ペルー)
* {{flagicon|UKR}} [[:en:Horlivka|ホルリフカ]]<!--ウクライナ東部なので子音前のвは無音化-->(ウクライナ)
* {{flagicon|PER}} [[:en:Miraflores District|ミラフローレス]](ペルー)


[[File:PensacolaHotelStationAug08.jpg|right|thumb|250px|クラウン・プラザ・ペンサコーラ・グランド・ホテル]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />


ペンサコーラ湾の対岸には[[砂嘴]]がのびており、その西端の[[ガルフブリーズ (フロリダ州)|ガルフブリーズ]]とはペンサコーラ湾に架かる[[国道98号線 (アメリカ合衆国)|国道98号線]]のペンサコーラ・ベイ・ブリッジで結ばれている。そのさらに向こう側、サンタローザ水路の対岸には[[バリアー島]]のサンタローザ島が浮かんでおり、ガルフブリーズとはサンタローザ水路に架かる橋で結ばれている。サンタローザ島上には[[ペンサコーラビーチ (フロリダ州)|ペンサコーラビーチ]]の村(実際は[[非法人地域]])があり、そのメキシコ湾岸には白砂の[[砂浜|ビーチ]]が続いている。
== 関連項目 ==
* [[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]] - 現役プロレスラー時代に、ペンサコーラに住居を構えていた。


ペンサコーラビーチにこそ、[[コンドミニアム]]を中心に15階建て以上の高層の建物が相当数建っているものの<ref>[http://www.emporis.com/city/pensacolabeach-fl-usa/high-rise-buildings High-rise buildings in Pensacola Beach]. ''Emporis''. 2014年8月20日閲覧.</ref>、ペンサコーラのダウンタウンには目立った高層の建物はあまりなく、最も高い建物でもクラウン・プラザ・ペンサコーラ・グランド・ホテル(15階建て、高さ58m)にとどまる<ref>[http://www.emporis.com/building/pensacolagrandhotel-pensacola-fl-usa Pensacola Grand Hotel]. ''Emporis''. 2014年8月20日閲覧.</ref>。このホテルは、もともとは[[1912年]]に建てられた、ルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道の貨物ターミナルの駅舎をロビーやレストラン、会議室に転用しつつ、[[モダニズム建築]]様式の客室棟を隣に併設したものである<ref>[http://www.visitpensacola.com/listings/%5Blist_id%5D-159 Crowne Plaza Pensacola Grand Hotel]. ''Visit Pensacola''. The Pensacola Bay Area Convention & Visitors Bureau. 2014年8月20日閲覧.</ref>。
== 外部リンク ==
{{commonscat|Pensacola, Florida}}


=== 公式 ===
== 政治 ==
[[File:Pensacola City Hall.jpg|left|thumb|180px|ペンサコーラ市庁舎]]
* [http://www.ci.pensacola.fl.us/ City of Pensacola(英語版)]
* [http://www.visitpensacola.com/ Pensacola Bay Area Convention & Visitors Bureau(英語版)]
* [http://www.pensacolachamber.com/ Pensacola Area Chamber of Commerce(英語版)]
* [http://www.pensacolahistory.org/ Pensacola Historical Society(英語版)]


ペンサコーラは[[2009年]]に新しい[[憲章]]を可決し、それまでの[[シティー・マネージャー制]]から[[市長制]]に移行した。市長は市の行政の最高責任者であり、約800人の職員を抱える市政府の長である<ref>[http://www.cityofpensacola.com/134/Office-of-the-Mayor Office of the Mayor]. City of Pensacola. 2014年8月27日閲覧.</ref>。市長は市政府職員の人事権を有し、市の行政実務に責任を負う。市長は市の行政官、顧問弁護士、書記官、および市政府各局長の任命権を持つ。市長は市議会の一員とはならず、票も有していないが、市議会への出席が義務付けられており、また、市議会の採択した条例に対し、可決から5日以内であれば、一部の例外を除いて拒否権を発動できる<ref name="charter4.01">[http://www.cityofpensacola.com/charter Charter for the City of Pensacola]. Section 4.01. City of Pensacola. 2014年8月27日閲覧.</ref>。市長は全市からの投票で選出され、その任期は4年で、多選は連続3選までに制限されている<ref name="charter3.01-03">Charter for the City of Pensacola. Sections 3.01, 3.02, 3.03. City of Pensacola. 2014年8月27日閲覧.</ref>。
=== 博物館 ===
* [http://naval.aviation.museum/intro.html National Museum of Naval Aviation(英語版)]


市の立法機関である市議会は9人の議員から成っており、そのうち7人は市を7区に分けた選挙区から1人ずつ選出され、残り2人は全市から選出される。市議会の議長および副議長は市議員の中から選出される<ref>[http://www.cityofpensacola.com/125/City-Council City Council]. City of Pensacola. 2014年8月27日閲覧.</ref>。市議員の任期は4年で、2年ごとにその半数が改選され、多選は連続3選までに制限されている<ref name="charter3.01-03" />。
=== 地図 ===

* [http://maps.google.com/maps?ll=30.436988,-87.209277&spn=0.11,0.18 Google ローカル(日本語版)]
== 経済 ==
[[File:Skydive Airshow, NAS Pensacola.jpg|right|thumb|250px|ペンサコーラ海軍航空基地]]

ペンサコーラの地域経済は軍事と観光によって主に支えられている<ref name="GreaterPensacolaChamber">Andrews, Danica. [http://www.choosegreaterpensacola.com/Key-Industries.aspx Key Industries]. Greater Pensacola Chamber of Economic Development. 2014年9月8日閲覧.</ref>。軍事産業がペンサコーラ都市圏にもたらしている経済効果は年間78億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]にのぼり、80,000人以上の雇用を生み出している<ref>[http://www.floridadefense.org/documents/HAAS%20Study%202013/Impact2013FinalSubmission3.26.13.pdf Florida Defense Industry Economic Impact Analysis]. p.35. Haas Center, West Florida University. 2014年9月8日閲覧.</ref>。また、美しいビーチや温暖な亜熱帯性の気候、名所といった観光資源に恵まれたペンサコーラにおいては、観光は長年にわたって、地域経済成長の起爆剤としての役割を果たしてきた<ref>[http://www.pnj.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/99999999/NEWCOMERS/906260317 Economy]. ''Newcomers' Guide to the Pensacola Bay Area''. Pensacola News Journal. 2014年9月8日閲覧.</ref>。

ペンサコーラ都市圏内の軍事施設の中でも最も主要なものである、市の南西部に立地する[[ペンサコーラ海軍航空基地]]は、[[1914年]]に[[アメリカ海軍|アメリカ合衆国海軍]]最初の航空訓練基地として設置された基地で<ref name="NASHist">[http://www.cnic.navy.mil/regions/cnrse/installations/nas_pensacola/about/history.html History]. Naval Air Station Pensacola, U.S. Navy. 2014年9月8日閲覧.</ref>、「海軍航空のゆりかご」と呼ばれている<ref name="NASAbout">[http://www.cnic.navy.mil/regions/cnrse/installations/nas_pensacola/about.html About]. Naval Air Station Pensacola, U.S. Navy. 2014年9月8日閲覧.</ref>。ここで訓練を受けた飛行士の中には、のちに人類史上初めて月面に着陸した[[ニール・アームストロング]]もいた<ref>Hansen, James R. ''First Man: The Life of Neil A. Armstrong''. pp. 68–78. Simon & Schuster. 2005年. ISBN 0-7432-5631-X.</ref>。現在では、ペンサコーラ海軍航空基地は120以上のテナント・[[コマンド (部隊編成)|コマンド]]をサポートしており、その多くは海軍、[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]、および[[アメリカ沿岸警備隊|沿岸警備隊]]の飛行訓練に関わるものである<ref>[http://www.cnic.navy.mil/regions/cnrse/installations/nas_pensacola/about/tenant_commands.html Tenant Commands]. Naval Air Station Pensacola, U.S. Navy. 2014年9月8日閲覧.</ref>。また、敷地内に立地する[[国立海軍航空博物館]]は、ペンサコーラの観光名所の1つにもなっている。

ペンサコーラ海軍航空基地のほかには、都市圏内にはコリー・ステーション、ソーフリー・フィールド、ホワイティング・フィールド、およびペンサコーラ海軍病院といった軍関連施設が立地している<ref>[http://www.choosegreaterpensacola.com/Business-Location-and-Expansion/Military-Connection.aspx Greater Pensacola's Military Connection]. Greater Pensacola Chamber of Economic Development. 2014年9月8日閲覧.</ref>。

== 交通 ==
[[File:Escambia Bay Bridge (1).jpg|left|thumb|180px|エスカンビア・ベイ・ブリッジの架け替え工事]]

ペンサコーラの玄関口となる商業空港は、ダウンタウンの北東約5.5kmに立地する[[ペンサコーラ国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''PNS''')である<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=PNS Pensacola Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/AFD07242014PNS.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2014年7月24日. 2014年8月30日閲覧.</ref>。この空港には、3大航空会社([[デルタ航空]]・[[ユナイテッド航空]]・[[アメリカン航空]])がそれぞれの[[ハブ空港]]からの便を発着させているほか、[[サウスウエスト航空]]、[[USエアウェイズ]]、[[シルバー・エアウェイズ]]も就航しており、州内や[[アメリカ合衆国南部|南部]]を中心に、[[シカゴ・オヘア国際空港|シカゴ]]や[[ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港|ワシントンD.C.]]を含めた10都市/11空港からの便が発着している<ref>[http://www.flypensacola.com/page/Flights Flights]. Pensacola International Airport. 2014年8月30日閲覧.<br />[[ヒューストン]]はユナイテッド航空が[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港|インターコンチネンタル]]、サウスウエスト航空が[[ウィリアム・P・ホビー空港|ホビー]]と、2社が同一都市圏の異なる空港に発着している。</ref>。

[[州間高速道路]][[州間高速道路10号線|I-10]]はペンサコーラの北郊を東西に通っている。I-10は[[ロサンゼルス]]都市圏から[[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]まで、合衆国の最南部を貫いて大陸を横断する幹線である。I-10の支線であるI-110は、ペンサコーラのダウンタウンとI-10本線とを結んでいる。[[2004年]]、ペンサコーラの北東、ペンサコーラ湾奥のエスカンビア湾に架かる、I-10のエスカンビア・ベイ・ブリッジが[[ハリケーン・アイバン]]の被害を受けて崩落したが、架け替えが行われ、[[2006年]]12月に東行、翌[[2007年]]に西行がそれぞれ開通した<ref>[http://www.flatironcorp.com/index.asp?w=pages&r=5&pid=26&project=9 I-10 Bridges over Escambia Bay]. Flatiron Construction. 2014年8月30日閲覧.</ref>。

[[File:Pensacola Abandoned Amtrak station.jpg|right|thumb|250px|アムトラックのペンサコーラ駅([[2010年]])。2005年9月以降は停車する列車がなくなって放置され、荒れている。]]

[[アムトラック]]の駅はダウンタウンの南東、ペンサコーラ・ベイ・ブリッジ北詰の近くにあり、I-10とほぼ並行して合衆国の最南部を貫き、大陸を横断する長距離列車[[サンセット・リミテッド]]号が東行、西行とも週3便停車していた。しかし、[[2005年]]に[[ハリケーン・カトリーナ]]および[[ハリケーン・リタ]]が相次いでメキシコ湾岸に上陸し、[[ルイジアナ州]]南東部や[[ミシシッピ州]]南部を通っていた線路にも被害を与えたため、以後は[[ニューオーリンズ]]以東無期限運休となり、ペンサコーラに停車するアムトラックの列車はなくなった<ref>[http://www.amtrak.com/ccurl/866/419/Sunset-Limited-Schedule-060914.pdf Sunset Limited]. Amtrak. 2014年6月9日. 2014年8月30日閲覧.</ref>。

[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスディーポはパラフォックス・ストリートおよびペンサコーラ・ブールバードを北上したI-10本線の近くにあり<ref>[http://www.greyhound.com/en/locations/terminal.aspx?city=471240 Pensacola, FL]. Greyhound. 2014年8月30日閲覧.</ref>、ダウンタウンからは約10km離れている。このディーポには[[モービル (アラバマ州)|モービル]]と[[タラハシー]]を結ぶバスが停車する。

市内の公共交通機関は、エスカンビア郡地域交通局(ECAT)の運営する[[路線バス]]網によってまかなわれている。20系統を有するこの路線バス網は、市内のみならず、ペンサコーラビーチもカバーしている<ref>[https://goecat.com/wp-content/uploads/2014/05/May-2014-System-Map-Copy.jpg Escambia County Area Transit System Map]. Escambia County Area Transit. 2014年5月. 2014年8月30日閲覧.</ref>。

== 教育 ==
[[File:PIMG0125.JPG|left|thumb|250px|西フロリダ大学]]

西フロリダ大学はダウンタウンから北へ16km離れた、市の北東端に1,600[[エーカー]](647.5[[ヘクタール|ha]])のキャンパスを構えている<ref>[http://uwf.edu/about/location/university-locations/ Locations]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>。同学は[[1963年]]に、[[フロリダ州立大学システム]]の6番目の大学として開学した州立総合大学で<ref>[http://uwf.edu/about/at-a-glance/history/ History]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>、文理・経営・教育の3学部を有し<ref>[http://uwf.edu/academics/ Academics]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>、学部に45、大学院修士課程に25、および教育学博士の学位プログラムを提供し<ref>[http://uwf.edu/about/at-a-glance/degrees/ Degrees]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>、学部に約10,000人、大学院に約2,400人の学生を抱えている<ref>[http://uwf.edu/about/at-a-glance/facts-and-figures/ Facts & Figures]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>。また、同学のスポーツチーム、アルゴノーツは[[全米大学体育協会|NCAA]]ディビジョンIIのガルフ・サウス・カンファレンス(GSC)に所属しており、男子7種目、女子8種目で競っている<ref>[http://goargos.com/ University of West Florida Argonauts]. University of West Florida. 2014年9月4日閲覧.</ref>。

ペンサコーラにおける[[K-12]]課程は、主にエスカンビア郡学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校31校、中学校9校、高校7校、[[オルタナティブ教育]]校21校を有し<ref>[http://ecsd-fl.schoolloop.com/schools School Listing]. Escambia County School District. 2014年9月4日閲覧.</ref>、約40,000人の児童・生徒を抱えている<ref>[http://febp.newamerica.net/k12/FL/1200510 Escambia County School District]. ''Federal Education Budget Project''. New America Foundation. 2014年9月4日閲覧.</ref>。

== 文化と名所 ==
[[File:Grumman YF-14A Tomcat 157984 Museum (NMNA).JPG|right|thumb|250px|国立海軍航空博物館の正面玄関前に展示されているF-14 トムキャット]]

[[国立海軍航空博物館]]は[[ペンサコーラ海軍航空基地]]の敷地内に立地している。同館の展示スペース、および37[[エーカー]](150,000m<sup>2</sup>)の敷地内には、[[NC-4 (航空機)|カーチス NC-4]]や[[SBD (航空機)|SBD ドーントレス]]、[[F-14 (戦闘機)|F-14 トムキャット]]をはじめ、アメリカ合衆国海軍、海兵隊、および沿岸警備隊の航空機150機が修復され、展示・保存されている。また、館内には[[IMAX]]シアターや[[フライトシミュレーション#フライトシミュレータ|フライトシミュレータ]]もある<ref>[http://www.navalaviationmuseum.org/attractions/museum/ About the Museum], [http://www.navalaviationmuseum.org/attractions/aircraft-exhibits/ Aircraft & Exhibits]. National Naval Aviation Museum. 2014年9月25日閲覧.</ref>。

ペンサコーラ海軍航空基地の敷地内にはペンサコーラ灯台も立地している。[[1859年]]に建てられたこの灯台は現役で稼働しているが、一般にも公開されており、観光客が上ることもできる。隣接して建つ灯台守小屋は[[1869年]]に建てられ、修復されたもので、内部は郷土史博物館になっている<ref>[http://www.pensacolalighthouse.org/index/page/visit Visiting the Lighthouse]. Pensacola Lighthouse and Museum. 2014年9月25日閲覧.</ref>。

ダウンタウンのペンサコーラ歴史地区内に立地するT・T・ウェントワース・ジュニア・フロリダ州立博物館は、元々は[[1908年]]に建てられた旧市庁舎を歴史博物館に転用したもので、ペンサコーラやフロリダの歴史に関する事物を展示している<ref>[http://www.historicpensacola.org/about.cfm About Us], [http://www.historicpensacola.org/photo_gallery_images6fec.cfm Take an Online Tour]. T.T.Wentworth, Jr. Florida State Museum. 2014年9月25日閲覧.</ref>。

[[File:PensacolaFL ArtDistrict.jpg|left|thumb|250px|ペンサコーラ芸術地区]]

ペンサコーラ歴史地区の西に隣接するペンサコーラ芸術地区には、その名の通り芸術施設が集中している。芸術地区内に立地するペンサコーラ美術館は、もともとは[[1906年]]に市の刑務所として建てられたスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式の建築物で、[[1954年]]に市が刑務所を移転することになった後に、美術館として転用されたものである<ref>[http://www.pensacolamuseum.org/history.html History]. Pensacola Museum of Art. 2014年9月25日閲覧.</ref>。同館は主に[[20世紀]]以降の[[キュビズム]]、[[写実主義]]、[[ポップアート]]、[[抽象絵画]]、[[フォークアート]]、イラストなどの近現代芸術作品を常設展示している。また、ヨーロッパやアメリカ合衆国のガラス工芸や、アフリカの絵画・彫刻などの作品も展示している<ref>[http://www.pensacolamuseum.org/permanent-collection.html Permanent Collection]. Pensacola Museum of Art. 2014年9月25日閲覧.</ref>。

ペンサコーラ美術館のすぐ近くにはペンサコーラ文化センターが立地している。同センターはエスカンビア郡の刑務所を演技芸術施設に転用したもので、地元劇団のペンサコーラ・リトル・シアター、およびバレエ・ペンサコーラの公演が行われる<ref>[http://www.pensacolalittletheatre.com/about/pensacola-cultural-center Pensacola Cultural Center]. Pensacola Little Theatre. 2014年9月25日閲覧.</ref>。また、同じく芸術地区内に立地するシーンガー劇場は、[[1925年]]に建てられたスペイン・バロック建築様式の劇場で、ペンサコーラ交響楽団や[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]の[[ミュージカル]]の公演も行われる<ref>[http://www.pensacolasaenger.com/page/history History]. Saenger Theatre. 2014年9月25日閲覧.</ref>。

== 人口動態 ==
{{Wikisource|フロリダ州ペンサコーラ市の人口統計データ}}

=== 都市圏人口 ===
ペンサコーラの都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。

;ペンサコーラ・フェリーパス・ブレント都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 郡 !! 州 !! 人口
|-
| '''[[エスカンビア郡 (フロリダ州)|エスカンビア郡]]''' || [[フロリダ州]] || align="right" | 297,619人
|-
| [[サンタローザ郡 (フロリダ州)|サンタローザ郡]] || フロリダ州 || align="right" | 151,372人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 448,991人
|}

=== 市域人口推移 ===
以下にペンサコーラ市における[[1850年]]から[[2010年]]までの人口推移をグラフおよび表で示す。

{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
! 統計年 !! 人口
|-
| [[1850年]] || 2,164人
|-
| [[1860年]] || 2,876人
|-
| [[1870年]] || 3,347人
|-
| [[1880年]] || 6,845人
|-
| [[1890年]] || 11,750人
|-
| [[1900年]] || 17,747人
|-
| [[1910年]] || 22,982人
|-
| [[1920年]] || 31,035人
|-
| [[1930年]] || 31,579人
|-
| [[1940年]] || 37,449人
|-
| [[1950年]] || 43,479人
|-
| [[1960年]] || 56,752人
|-
| [[1970年]] || 59,507人
|-
| [[1980年]] || 57,619人
|-
| [[1990年]] || 58,165人
|-
| [[2000年]] || 56,255人
|-
| [[2010年]] || 51,923人
|-
|}

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== 姉妹都市 ==
ペンサコーラは以下7都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる<ref>[http://www.sister-cities.org/interactive-map/Pensacola,%20Florida Pensacola, Florida]. ''Interactive Map''. Sister Cities International. 2014年8月2日閲覧..</ref>。

* {{flagicon|Costa Rica}} [[エスカスー]]([[コスタリカ]])
* {{flagicon|Taiwan}} [[高雄市]]([[中華民国]])
* {{flagicon|Japan}} [[下呂市]]([[日本]]・[[岐阜県]]) - [[萩原町 (岐阜県)|萩原町]]がペンサコーラと姉妹都市提携を結んでいた<ref>[http://www.city.gero.lg.jp/gyousei/view.rbz?nd=116&ik=1&pnp=116&cd=465 姉妹都市]. 下呂市. 2014年8月2日閲覧..</ref>。
* {{flagicon|Peru}} [[チンボテ]]([[ペルー]])
* {{flagicon|Ukraine}} [[ホルリフカ]]([[ウクライナ]])
* {{flagicon|Spain}} [[マチャラビアージャ]]([[スペイン]])
* {{flagicon|Peru}} [[リマ]]市ミラフローレス区(ペルー)

==註==
{{Reflist}}

==外部リンク==
{{Commonscat|Pensacola, Florida}}
* [http://www.cityofpensacola.com/ City of Pensacola] - 市の公式サイト
* [http://www.Pensacola.com/ Pensacola Scene And Events]
* [http://www.pensapedia.com/ Pensapedia, the Pensacola encyclopedia]
* [http://www.visitpensacola.com/ Pensacola Bay Area Convention & Visitors Bureau]
* [http://www.city-data.com/city/Pensacola-Florida.html Pensacola, Florida] - City-Data.com
* [http://maps.yahoo.com/maps_result.php?q1=Pensacola%2C+FL Pensacola, FL] - Yahoo!Mapの地図


{{フロリダ州}}
{{フロリダ州}}

{{DEFAULTSORT:へんさこら}}
[[Category:フロリダ州の都市]]
[[Category:フロリダ州の都市|へんさこら]]
[[Category:アメリカ合衆国のビーチリゾート]]
[[Category:アメリカ合衆国の避寒地]]

2014年9月25日 (木) 16:16時点における版

ペンサコーラ市
City of Pensacola
ペンサコーラ市の市旗
市旗
愛称 : The City of Five Flags(五旗の街)[1]
標語 : "The Upside of Florida(フロリダの上側)[1]"
位置
右上: フロリダ州におけるエスカンビア郡の位置 左下: エスカンビア郡におけるペンサコーラの市域の位置図
右上: フロリダ州におけるエスカンビア郡の位置
左下: エスカンビア郡におけるペンサコーラの市域
座標 : 北緯30度26分13秒 西経87度12分33秒 / 北緯30.43694度 西経87.20917度 / 30.43694; -87.20917
歴史
創設 1559年
(17世紀末に再設)
行政
アメリカ合衆国
 州 フロリダ州
 郡 エスカンビア郡
 市 ペンサコーラ市
地理
面積  
  市域 102.7 km2 (39.7 mi2)
    陸上   58.8 km2 (22.7 mi2)
    水面   43.9 km2 (17.0 mi2)
標高 10 m (32 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 51,923人
    人口密度   883.0人/km2(2,287.4人/mi2
  都市圏 448,991人
その他
等時帯 中部標準時 (UTC-6)
夏時間 中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : http://www.cityofpensacola.com/

ペンサコーラPensacola)は、アメリカ合衆国フロリダ州北西端に位置する都市。モービルの東約90km、州都タラハシーの西約300kmに位置する。メキシコ湾につながるペンサコーラ湾に面し、また「海軍航空のゆりかご」と称されるペンサコーラ海軍航空基地をはじめとする海軍関連施設を多数抱える軍事都市・港湾都市であり、また、歴史的建築物と白砂のビーチで知られる観光都市・保養都市でもある。人口は51,923人(2010年国勢調査[2]。ペンサコーラに郡庁を置くエスカンビア郡、およびその東隣のサンタローザ郡の2郡にまたがる都市圏は448,991人(2010年国勢調査)[2]の人口を抱えている。

ペンサコーラという市名は1100年頃からこの地に住みつき、文化を興していたネイティブ・アメリカンのペンサコーラ族に由来すると考えられている。ペンサコーラは現在のアメリカ合衆国本土で最初のヨーロッパ人入植地が創設された地であり、その歴史は1559年にさかのぼる。しかし、ハリケーンの被害、飢饉、および先住民の攻撃により、このスペイン人入植地は短命に終わり、1561年には放棄された。その後、17世紀後半に入ると、フランスによるルイジアナの探検が進み、スペインがそれを脅威として捉えたため、フランスの牽制を目的としてこの地に入植地を再設し、それが現代の街の基礎となった。

その後、この地はスペインからフランス、イギリスアメリカ連合国、そしてアメリカ合衆国の統治下に入った歴史を持つため、市はThe City of Five Flags(五旗の街)と呼ばれている[1]。また、市旗は星条旗を中央縦向きに、左上にフランス王国、左下にスペイン(カスティーリャ王国レオン王国)、右上にイギリス、右下にアメリカ連合国と、5つの国旗を配し、組み合わせたものになっている。

歴史

ペンサコーラを統治下に置いた国家の変遷

先史時代

ペンサコーラ文化の興った地域

ペンサコーラ湾岸のこの一帯には、ヨーロッパ人の入植以前にはネイティブ・アメリカンのペンサコーラ族が住み着き、1100年頃から1700年頃にかけてペンサコーラ文化が興っていた[3]1677年まで記録には出てこないものの、ペンサコーラ族はペンサコーラ湾、およびペンサコーラという市名の由来になったと考えられている[4]。また、ペンサコーラ族同様にマスコギ語系の言語を話すクリーク族もまた、通商のために定期的に、現在のアラバマ州南部からこの地を訪れていた[5]

考古学的に最もよく知られたペンサコーラ文化の遺跡は、現代のペンサコーラ市の西95km、アラバマ州モービルの北にあるボトルクリーク遺跡である。 この遺跡には1250年頃から1550年頃にかけて造られたと見られる大きな土塁が18あり、そのうちの5つが中央の広場を囲むように造られている。この遺跡はペンサコーラ族の儀礼の中心地、またペンサコーラ社会への玄関口であり、彼らの主要交通手段であったカヌーで容易にたどりつける場所であった[6]

ヨーロッパ人の入植と領有権争い

この一帯にヨーロッパ人が訪れるようになったのは16世紀中盤にさしかかった頃であった。1528年にはスペインパンフィロ・デ・ナルバエスの一行が、1539年には同じくスペインのエルナンド・デ・ソトの一行がその探検の中でこの地を訪れた[7]。そして1559年トリスタン・デ・ルナ・イ・アレヤーノメキシコベラクルスから11隻の船を率いて、1,400人の入植者と共にこの地に降り立ち、現在のアメリカ合衆国本土で最初のスペイン人入植地を創設した[8]。しかし、同年9月19日にハリケーンがこの地を襲い、何百人もの死者を出し、5隻の船が沈没し、キャラベル船が座礁し、食料やその他生活用品も傷み、この入植地は壊滅した[7]。1,000人ほどの生存者は別の場所に入植地を再設したが、飢饉や原住民の攻撃により、1561年には放棄された。240人ほどはこの地を離れ、サンタエレナ(現在のサウスカロライナ州パリスアイランド)へと向かったが、その航海の最中に別の嵐に遭い、キューバへと行先を変え、散り散りになった。この地に最終的に残った50人ほどの入植者はメキシコに戻り、西フロリダは危険すぎて入植できないと結論付けた。こうした西フロリダ観はその後135年にわたって、当地のスペイン人入植者の間に残った[9]

スペインが描いた、プレシディオ・サンタ・マリオ・デ・ガルベの構想図(1699年

17世紀後半に入ると、フランスルイジアナの植民地化を目論んでミシシッピ川下流域の探検を始めた。すると、スペインはそれを自国領に対する脅威として捉え、西フロリダに再び入植地を建設した。1698年、スペインはこの地に、プレシディオ・サンタ・マリア・デ・ガルベという城塞と、現代のペンサコーラの街の基礎となった村を建設した。この地は1719年にフランスに占領され、城塞もフランスのものとなった。しかし、フランスによるこの地の統治は長くは続かず、3年後、1722年にスペインは再びこの地を取り返した。このとき、フランスは城塞を去る際に火を放ち、全焼させた。すると、スペインはもとの城塞からペンサコーラ湾を隔てて南、サンタローザ島のほうが他のヨーロッパ諸国やネイティブ・アメリカンによる攻撃から守りやすいと考え、その西端に、2番目の城塞となるプレシディオ・イスラ・デ・サンタ・ローザを建てた。1752年にハリケーンでこの城塞が倒壊すると、スペインは最初の城塞から8km東の本土側、現在ではペンサコーラのダウンタウンの歴史地区となっているところに、3番目の(そして最後の)城塞となったプレシディオ・サンタ・ミゲル・デ・ペンザコーラを建てた[10][11]

ペンサコーラの戦い

その次にこの地を統治下に置いたのはイギリスであった。1763年フレンチ・インディアン戦争が終結すると、パリ条約によって、スペインはキューバと引き換えにフロリダをイギリスに引き渡した。するとイギリスは、北アメリカ14番目の植民地として西フロリダ植民地を創設し、ペンサコーラをその首都に定め、かつてのスペインの城塞であったプレシディオ・サンタ・マリア・デ・ガルベの跡地からわずか450mほどの、ペンサコーラ湾を見渡せるところにバランカス砦を建てた。

やがて独立戦争が開戦すると、1779年にスペインが参戦して植民地側につき、その翌々年の1781年ペンサコーラの戦いを制して、三たび西フロリダはスペインの統治下に入った[11]1783年に独立戦争が終結すると、パリ条約によって、西フロリダと東フロリダの両方がスペイン領となった[8]。3度目のスペイン統治下では、ペンサコーラは辺境の砦の街、そして交易所として発展し、白人男性とクリーク族やアフリカ系の女性との結婚による混血家族が少なからず見られた[5]

アメリカ合衆国への編入と南北戦争

フェルナンド7世広場に立つアンドリュー・ジャクソンの胸像

1812年に開戦した米英戦争の最中、イギリスはスペインの同意の下にペンサコーラに駐留し、砦にユニオンジャックを掲げ、周辺地域のネイティブ・アメリカンを加勢させ、訓練を行っていた。すると、アメリカ合衆国の少将アンドリュー・ジャクソンはイギリスのそうした動きを止めるべく、米英戦争末期の1814年11月、テネシーケンタッキー両州の志願兵と共にペンサコーラに進軍し、占領し、イギリス軍を追い出した。その時はジャクソンはペンサコーラへは2日間しか逗留せず、ニューオーリンズへと兵を進めた[12]

ジャクソンの2度目のペンサコーラ侵攻は第一次セミノール戦争の最中、1818年5月であった。ペンサコーラでネイティブ・アメリカンの軍勢に武器が与えられ、訓練が施されていると考えたジャクソンは、セントオーガスティンからペンサコーラへ進軍し、数発の威嚇砲を放って開城させた[13]。その後ジャクソンはテネシーに帰り、1819年9月には西フロリダがスペインに返還されたが、その時には既に西フロリダはアメリカ合衆国の実効支配下に入っており、またアダムズ=オニス条約の締結によってアメリカ合衆国によるフロリダ購入も決定的になっていた[12]1820年10月にスペインが、翌1821年2月にはアメリカ合衆国がそれぞれこの条約を批准し、1821年7月、東西フロリダは統合されたフロリダ準州として、正式にアメリカ合衆国のものとなった[14]。ジャクソンはこの新しい準州の軍政府長官に就任したが、1年も経たないうちに辞任し、後継のウィリアム・デュバルが正式な初代フロリダ準州知事となった[15]。やがて1824年、東西フロリダそれぞれの首都であったセントオーガスティンとペンサコーラの中間点にあったタラハシーがフロリダ準州の州都に定められ、ペンサコーラは西フロリダの政治の中心地としての役割を終えた[16]

しかし、タラハシー遷都後もなお、ペンサコーラは軍港・商港の港湾都市、そして地域経済の拠点として重要な都市であった。もともと天然の良港に恵まれていたことに加えて、周辺地域の森林資源が豊富であったこと、そして起業家が次々と現れたことから、19世紀前半のペンサコーラは製材産業の中心地として発展した[17]1825年には、ペンサコーラ港の存在と豊富な木材が造船に有利と考えられ、第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズ海軍長官サミュエル・サウサードペンサコーラ海軍航空基地の前身であるペンサコーラ海軍工廠の設置を取り決めた[18]1830年代に入ると、蒸気機関の普及で製材所の効率が格段に上がり、この地域の製材産業に更なる発展がもたらされた[17]

ピケンズ砦(1861年2月)

1845年アイオワ準州を自由州として昇格させるのと同時に、フロリダ準州は奴隷州として、自由州/奴隷州の数の均衡を取った形で州に昇格した[19]。しかし、1861年1月10日、フロリダ州は連邦から離脱してアメリカ連合国に加入した。その翌々日、1月12日には、ペンサコーラ海軍工廠が南軍に占拠された。一方、サンタローザ島の西端に建ち、ペンサコーラ港防衛の要であったピケンズ砦は、北軍が死守したままであった[20]。やがて南北戦争が開戦し、同年10月9日には、南軍がピケンズ砦の奪取を狙ってサンタローザ島の戦いを仕掛けたが、失敗に終わった。翌1862年5月には、南軍がペンサコーラの街を焼き払って撤退し、住民は内陸へと避難し、北軍がペンサコーラを占領した[21]

南北戦争後

ペンサコーラのダウンタウンが描かれた絵葉書(1930年代中盤)

南北戦争が終結し、レコンストラクション期に入ると、ペンサコーラの再建が始まった。ペンサコーラ港と軍と製材産業の存在によって、ペンサコーラは南部の多くの地域に比べて、復興は容易に進んでいった。アフリカ系の解放奴隷は海軍工廠や製材工場で職を得た。ペンサコーラ・アンド・ペルディード鉄道(現アラバマ・アンド・ガルフ・コースト鉄道の一部)やペンサコーラ・アンド・ルイビル鉄道(現CSXトランスポーテーションの一部)など、南部の各地域とペンサコーラとを結ぶ鉄道の建設も進められた。南北戦争中に内陸へと避難した住民も戻り、人口も回復した[22]

しかし、20世紀初頭に入ると、ペンサコーラではジム・クロウ法の下で人種隔離が進んだ。アフリカ系の事業はダウンタウンから姿を消し、アフリカ系の求人は無くなり、選挙からも締め出された。加えて、市内のフェルナンド7世広場では有色人種に対する公開リンチが横行した。公民権運動の最中、1960年に連邦裁判所で敗訴するまで、エスカンビア郡公立学区は「隔離すれども平等」の名の下に、白人の学校に有色人種が入学することを禁じていた。多人種共学になった後もなお、1972年には市内のエスカンビア高校で、同校におけるレベル・フラッグの掲揚、同校校歌としての「ディキシー」の演奏および歌唱や、南軍兵士をモチーフとした同校のマスコットがアフリカ系の生徒に対して攻撃的であるとして、暴動に至った[23]

創設450周年を記念してペンサコーラを訪れ、入港の際に21発の祝砲を放つスペイン海軍練習帆船フアン・セバスティアン・デ・エルカーノ。(2009年6月3日)[24]

20世紀後期以降、ペンサコーラは近隣のパナマシティ、フォートウォルトンビーチ、デスティンなどと同様に、ビーチ沿いの観光・保養都市として発展してきた。メキシコ湾岸の数々のバリアー島では観光開発が進み、コンドミニアムや家が建ち並ぶようになった一方で、未開発の海岸はガルフ・アイランズ国立海岸に指定され、保全された。観光客層は主にアラバマ州ジョージア州など南部近隣州の労働者で、ペンサコーラは「レッドネックのリビエラ」と呼ばれるようになった。こうした観光業の発展に対しては、「エメラルド・コースト」を守りたい上流層の住民からは交通量の増加や公共交通・インフラの需要過多、資産税の増加といった要因で必ずしも歓迎されてはいないが、その一方で、海岸沿いの住民にとっては新たにもたらされたビジネスチャンスとして捉えられてきた[25]

地理

ペンサコーラは北緯30度26分13秒 西経87度12分33秒 / 北緯30.43694度 西経87.20917度 / 30.43694; -87.20917に位置している。フロリダ州の北西端に位置しており、西約20kmにはアラバマ州との西の州境になっているペルディード川が流れ、また北約75kmにはアラバマ州との北の州境になっている北緯31度線が通っている。アラバマ州南部のモービルへは西へ約90km、同州中部のモントゴメリーへは北東へ約280km、ルイジアナ州ニューオーリンズへは西へ約300kmであるのに対し、州都タラハシーへは東へ約300km、ジャクソンビルへは東へ約570km、タンパへは南東へ約680km、マイアミに至っては南東へ約1,000kmも離れており、フロリダ州内の主要都市よりも深南部の諸都市に近い。等時帯も州の大部分が東部標準時/東部夏時間に属するのに対し、ペンサコーラはアラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州などと同じ中部標準時/中部夏時間に属している。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、ペンサコーラ市は総面積102.7km2(39.7mi2)である。そのうち58.8km2(22.7mi2)が陸地で43.9km2(17.0mi2)が水域である。総面積の42.77%が水域となっている。市中心部は概ね平坦で、標高10m以下の土地が続くが、市北部や北郊では標高30-40mに達するところもある。

気候

ペンサコーラ
雨温図説明
123456789101112
 
 
117
 
16
6
 
 
130
 
18
8
 
 
147
 
21
11
 
 
109
 
24
14
 
 
107
 
28
19
 
 
168
 
31
23
 
 
188
 
32
24
 
 
173
 
32
23
 
 
152
 
30
21
 
 
132
 
26
16
 
 
119
 
21
11
 
 
117
 
17
7
気温(°C
総降水量(mm)
出典:Weatherbase.com
インペリアル換算
123456789101112
 
 
4.6
 
60
42
 
 
5.1
 
64
46
 
 
5.8
 
70
51
 
 
4.3
 
76
58
 
 
4.2
 
83
66
 
 
6.6
 
89
73
 
 
7.4
 
90
74
 
 
6.8
 
89
74
 
 
6
 
87
70
 
 
5.2
 
79
60
 
 
4.7
 
70
51
 
 
4.6
 
63
44
気温(°F
総降水量(in)
ハリケーン・アイバンの被害を受けたマリーナ(2004年

ペンサコーラの気候は、ケッペンの気候区分でこそアメリカ合衆国東海岸南部に広く分布している温暖湿潤気候Cfa)に属するが、実際には蒸し暑い夏と温暖で過ごしやすい冬に特徴付けられる亜熱帯性の気候である。最も暑い7月の平均気温は28℃、最高気温の平均は32℃で、日中は月の半分くらいの日が30℃を超える。最も寒い1月の平均気温は11℃、最低気温の平均は6℃で、最低気温が氷点下に下がることが時々ある程度である。降水量は年間を通じてほぼ一定して多く、月間110-150mm、特に多い6-8月の夏季には月間170-190mm、年間では1,660mmに達する。冬季の降雪は極めて稀である[26]

ペンサコーラは有史以来ハリケーンに見舞われやすい土地である。ペンサコーラを含むメキシコ湾北岸に上陸するハリケーンは、メキシコ湾流の影響で海水温の高いカリブ海メキシコ湾を通るため、勢力が強くなり、被害が大きくなりやすい[27]。古くは1559年、この地に創設された、現在のアメリカ合衆国本土で初のヨーロッパ人入植地を壊滅させたのはハリケーンであった[7]1995年には、ハリケーン・エリンカテゴリー2の勢力でペンサコーラを直撃した[28]2004年には、ハリケーン・アイバンがカテゴリー3の勢力でモービルとペンサコーラの間の海岸に上陸し、目の右側に入ったペンサコーラに大きな被害をもたらした[29]。翌2005年には、ハリケーン・デニスがカテゴリー3の勢力でペンサコーラビーチに上陸した[30]

ペンサコーラの気候[26]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( 10.8 12.6 15.8 19.2 23.7 26.9 27.9 27.7 25.8 20.9 15.9 11.9 19.9
降水量(mm 116.8 129.5 147.3 109.2 106.7 167.6 188.0 172.7 152.4 132.1 119.4 116.8 1,658.5

都市概観と建築物

オールド・クライスト・チャーチ
パラフォックス・ストリート

ペンサコーラのダウンタウンはペンサコーラ湾の北岸に形成されている。湾岸線はやや入り組んでいるものの、市中心部の街路は整然と区画されている。南北に通る通りはガーデン・ストリートを境にN(北)とS(南)に分かれている。一方、東西に通る通りはパラフォックス・ストリートを境に東(E)と西(W)に分かれている。パラフォックス・ストリートの東6ブロック目からは、数字のついた通りが6thストリートから20thストリートまであり、東に行くほど数字が大きくなる。一方、ダウンタウンの西には、Aストリートから順に、Zアルファベットのついた通りがZストリートまで通っている。ダウンタウン南東部にはオールド・クライスト・チャーチ、クララ・バークレー・ドア・ハウス、ラバル・ハウスなど、国家歴史登録財に登録されているものをはじめとする歴史的建築物が建ち並んでおり、地区自体もペンサコーラ歴史地区として国家歴史登録財に登録されている[31]

クラウン・プラザ・ペンサコーラ・グランド・ホテル

ペンサコーラ湾の対岸には砂嘴がのびており、その西端のガルフブリーズとはペンサコーラ湾に架かる国道98号線のペンサコーラ・ベイ・ブリッジで結ばれている。そのさらに向こう側、サンタローザ水路の対岸にはバリアー島のサンタローザ島が浮かんでおり、ガルフブリーズとはサンタローザ水路に架かる橋で結ばれている。サンタローザ島上にはペンサコーラビーチの村(実際は非法人地域)があり、そのメキシコ湾岸には白砂のビーチが続いている。

ペンサコーラビーチにこそ、コンドミニアムを中心に15階建て以上の高層の建物が相当数建っているものの[32]、ペンサコーラのダウンタウンには目立った高層の建物はあまりなく、最も高い建物でもクラウン・プラザ・ペンサコーラ・グランド・ホテル(15階建て、高さ58m)にとどまる[33]。このホテルは、もともとは1912年に建てられた、ルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道の貨物ターミナルの駅舎をロビーやレストラン、会議室に転用しつつ、モダニズム建築様式の客室棟を隣に併設したものである[34]

政治

ペンサコーラ市庁舎

ペンサコーラは2009年に新しい憲章を可決し、それまでのシティー・マネージャー制から市長制に移行した。市長は市の行政の最高責任者であり、約800人の職員を抱える市政府の長である[35]。市長は市政府職員の人事権を有し、市の行政実務に責任を負う。市長は市の行政官、顧問弁護士、書記官、および市政府各局長の任命権を持つ。市長は市議会の一員とはならず、票も有していないが、市議会への出席が義務付けられており、また、市議会の採択した条例に対し、可決から5日以内であれば、一部の例外を除いて拒否権を発動できる[36]。市長は全市からの投票で選出され、その任期は4年で、多選は連続3選までに制限されている[37]

市の立法機関である市議会は9人の議員から成っており、そのうち7人は市を7区に分けた選挙区から1人ずつ選出され、残り2人は全市から選出される。市議会の議長および副議長は市議員の中から選出される[38]。市議員の任期は4年で、2年ごとにその半数が改選され、多選は連続3選までに制限されている[37]

経済

ペンサコーラ海軍航空基地

ペンサコーラの地域経済は軍事と観光によって主に支えられている[39]。軍事産業がペンサコーラ都市圏にもたらしている経済効果は年間78億ドルにのぼり、80,000人以上の雇用を生み出している[40]。また、美しいビーチや温暖な亜熱帯性の気候、名所といった観光資源に恵まれたペンサコーラにおいては、観光は長年にわたって、地域経済成長の起爆剤としての役割を果たしてきた[41]

ペンサコーラ都市圏内の軍事施設の中でも最も主要なものである、市の南西部に立地するペンサコーラ海軍航空基地は、1914年アメリカ合衆国海軍最初の航空訓練基地として設置された基地で[18]、「海軍航空のゆりかご」と呼ばれている[42]。ここで訓練を受けた飛行士の中には、のちに人類史上初めて月面に着陸したニール・アームストロングもいた[43]。現在では、ペンサコーラ海軍航空基地は120以上のテナント・コマンドをサポートしており、その多くは海軍、海兵隊、および沿岸警備隊の飛行訓練に関わるものである[44]。また、敷地内に立地する国立海軍航空博物館は、ペンサコーラの観光名所の1つにもなっている。

ペンサコーラ海軍航空基地のほかには、都市圏内にはコリー・ステーション、ソーフリー・フィールド、ホワイティング・フィールド、およびペンサコーラ海軍病院といった軍関連施設が立地している[45]

交通

エスカンビア・ベイ・ブリッジの架け替え工事

ペンサコーラの玄関口となる商業空港は、ダウンタウンの北東約5.5kmに立地するペンサコーラ国際空港IATA: PNS)である[46]。この空港には、3大航空会社(デルタ航空ユナイテッド航空アメリカン航空)がそれぞれのハブ空港からの便を発着させているほか、サウスウエスト航空USエアウェイズシルバー・エアウェイズも就航しており、州内や南部を中心に、シカゴワシントンD.C.を含めた10都市/11空港からの便が発着している[47]

州間高速道路I-10はペンサコーラの北郊を東西に通っている。I-10はロサンゼルス都市圏からジャクソンビルまで、合衆国の最南部を貫いて大陸を横断する幹線である。I-10の支線であるI-110は、ペンサコーラのダウンタウンとI-10本線とを結んでいる。2004年、ペンサコーラの北東、ペンサコーラ湾奥のエスカンビア湾に架かる、I-10のエスカンビア・ベイ・ブリッジがハリケーン・アイバンの被害を受けて崩落したが、架け替えが行われ、2006年12月に東行、翌2007年に西行がそれぞれ開通した[48]

アムトラックのペンサコーラ駅(2010年)。2005年9月以降は停車する列車がなくなって放置され、荒れている。

アムトラックの駅はダウンタウンの南東、ペンサコーラ・ベイ・ブリッジ北詰の近くにあり、I-10とほぼ並行して合衆国の最南部を貫き、大陸を横断する長距離列車サンセット・リミテッド号が東行、西行とも週3便停車していた。しかし、2005年ハリケーン・カトリーナおよびハリケーン・リタが相次いでメキシコ湾岸に上陸し、ルイジアナ州南東部やミシシッピ州南部を通っていた線路にも被害を与えたため、以後はニューオーリンズ以東無期限運休となり、ペンサコーラに停車するアムトラックの列車はなくなった[49]

グレイハウンドのバスディーポはパラフォックス・ストリートおよびペンサコーラ・ブールバードを北上したI-10本線の近くにあり[50]、ダウンタウンからは約10km離れている。このディーポにはモービルタラハシーを結ぶバスが停車する。

市内の公共交通機関は、エスカンビア郡地域交通局(ECAT)の運営する路線バス網によってまかなわれている。20系統を有するこの路線バス網は、市内のみならず、ペンサコーラビーチもカバーしている[51]

教育

西フロリダ大学

西フロリダ大学はダウンタウンから北へ16km離れた、市の北東端に1,600エーカー(647.5ha)のキャンパスを構えている[52]。同学は1963年に、フロリダ州立大学システムの6番目の大学として開学した州立総合大学で[53]、文理・経営・教育の3学部を有し[54]、学部に45、大学院修士課程に25、および教育学博士の学位プログラムを提供し[55]、学部に約10,000人、大学院に約2,400人の学生を抱えている[56]。また、同学のスポーツチーム、アルゴノーツはNCAAディビジョンIIのガルフ・サウス・カンファレンス(GSC)に所属しており、男子7種目、女子8種目で競っている[57]

ペンサコーラにおけるK-12課程は、主にエスカンビア郡学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校31校、中学校9校、高校7校、オルタナティブ教育校21校を有し[58]、約40,000人の児童・生徒を抱えている[59]

文化と名所

国立海軍航空博物館の正面玄関前に展示されているF-14 トムキャット

国立海軍航空博物館ペンサコーラ海軍航空基地の敷地内に立地している。同館の展示スペース、および37エーカー(150,000m2)の敷地内には、カーチス NC-4SBD ドーントレスF-14 トムキャットをはじめ、アメリカ合衆国海軍、海兵隊、および沿岸警備隊の航空機150機が修復され、展示・保存されている。また、館内にはIMAXシアターやフライトシミュレータもある[60]

ペンサコーラ海軍航空基地の敷地内にはペンサコーラ灯台も立地している。1859年に建てられたこの灯台は現役で稼働しているが、一般にも公開されており、観光客が上ることもできる。隣接して建つ灯台守小屋は1869年に建てられ、修復されたもので、内部は郷土史博物館になっている[61]

ダウンタウンのペンサコーラ歴史地区内に立地するT・T・ウェントワース・ジュニア・フロリダ州立博物館は、元々は1908年に建てられた旧市庁舎を歴史博物館に転用したもので、ペンサコーラやフロリダの歴史に関する事物を展示している[62]

ペンサコーラ芸術地区

ペンサコーラ歴史地区の西に隣接するペンサコーラ芸術地区には、その名の通り芸術施設が集中している。芸術地区内に立地するペンサコーラ美術館は、もともとは1906年に市の刑務所として建てられたスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式の建築物で、1954年に市が刑務所を移転することになった後に、美術館として転用されたものである[63]。同館は主に20世紀以降のキュビズム写実主義ポップアート抽象絵画フォークアート、イラストなどの近現代芸術作品を常設展示している。また、ヨーロッパやアメリカ合衆国のガラス工芸や、アフリカの絵画・彫刻などの作品も展示している[64]

ペンサコーラ美術館のすぐ近くにはペンサコーラ文化センターが立地している。同センターはエスカンビア郡の刑務所を演技芸術施設に転用したもので、地元劇団のペンサコーラ・リトル・シアター、およびバレエ・ペンサコーラの公演が行われる[65]。また、同じく芸術地区内に立地するシーンガー劇場は、1925年に建てられたスペイン・バロック建築様式の劇場で、ペンサコーラ交響楽団やブロードウェイミュージカルの公演も行われる[66]

人口動態

都市圏人口

ペンサコーラの都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[2]

ペンサコーラ・フェリーパス・ブレント都市圏
人口
エスカンビア郡 フロリダ州 297,619人
サンタローザ郡 フロリダ州 151,372人
合計 448,991人

市域人口推移

以下にペンサコーラ市における1850年から2010年までの人口推移をグラフおよび表で示す。

統計年 人口
1850年 2,164人
1860年 2,876人
1870年 3,347人
1880年 6,845人
1890年 11,750人
1900年 17,747人
1910年 22,982人
1920年 31,035人
1930年 31,579人
1940年 37,449人
1950年 43,479人
1960年 56,752人
1970年 59,507人
1980年 57,619人
1990年 58,165人
2000年 56,255人
2010年 51,923人

姉妹都市

ペンサコーラは以下7都市と姉妹都市提携を結んでいる[67]

  1. ^ a b c New Logo, Brand: Welcome To Pensacola, The Upside Of Florida. NorthEscambia.com. 2012年7月19日. 2014年8月30日閲覧.
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外部リンク