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'''伊江御殿'''(いえうどぅん)は、[[尚宗賢]]・伊江王子朝義([[尚清王]]七男)を祖とする[[琉球王族]]。[[第二尚氏]]の分家で、代々[[伊江島]]の[[按司地頭]]をつとめ[[琉球王国]]の[[大名]]。
'''伊江御殿'''(いえうどぅん)または'''伊江家'''(いえけ)は、[[第二氏]]の分家で[[琉球王族]]・[[華族]]だった家。[[伊江朝義|尚宗賢・伊江王子朝義]]([[尚清王]]七男)を祖と、代々[[伊江島]]の[[按司地頭]]をつとめ[[琉球]]廃藩後は華族の[[男爵]]家に列せられた{{sfn|森岡浩|2012|p=44}}{{sfn|小田部雄次|2006|p=345}}


== 歴史 ==
一世朝義は、最初羽地間切の按司地頭をつとめたが、後に伊江島按司地頭に転任、以後代々伊江御殿は伊江島の按司地頭をつとめた。十世朝平には嗣子がなく、[[尚コウ王|尚灝王]]の五男朝直を養子にして伊江御殿を継がせた。首里石嶺町にある[[伊江御殿墓]]は、県内最古の[[亀甲墓]]の一つとして、国の[[重要文化財]]に指定されている。
[[尚清王]]七男[[伊江朝義|朝義]]は、初め羽地間切の按司地頭を務めたが、後に[[伊江島]]の[[按司地頭]]に転任、以後代々これを務めて伊江と称した{{sfn|森岡浩|2012|p=44}}。同家は[[三司官]]に4名就任し、[[当主]]4代が[[王子|王子号]]を授与した筆頭格[[御殿 (沖縄)|御殿]]となった。

[[1691年]]([[康熙]]30年)、尚家の末裔は「尚、向」と「朝」を用いることが命じられ、同年11月9日に向姓を賜った。それ以前の伊江御殿は「宗」「義」を氏名や名乗頭字としていた。十世[[伊江朝平|朝平]]には[[嫡男|嗣子]]がなく、[[道光]]10年(1834年)に[[尚灝王]]の五男[[伊江朝直|尚健]]を養子にして伊江御殿を継がせた{{sfn|森岡浩|2012|p=44}}。

十一世[[伊江朝直|朝直]]は琉球王国最後の[[摂政]]であり、明治5年(1872年)7月に[[明治維新|維新]]成就のお祝いを述べるための日本への使節団[[慶賀使|維新慶賀使]]の正史を務めた。慶賀使は9月14日に東京で[[明治天皇]]の謁見を賜り、琉球国王[[尚泰]]を[[琉球藩]]王に叙し[[華族]]に列するとの[[詔]]を授けられた{{sfn|喜舎場|2000|p=161}}。

また朝直はこの維新慶賀使として在京中の明治5年9月12日に[[新橋駅]]で日本初となる[[日本の鉄道開業|鉄道開業式典]]に参列、[[新橋駅|新橋]] - [[横浜駅|横浜]]間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、[[明治天皇]]の他、[[有栖川宮熾仁親王]]、[[三条実美]]、[[井上勝]]、[[副島種臣]]、[[西郷隆盛]]、[[大隈重信]]、[[板垣退助]]、[[井上馨]]、[[勝海舟]]、[[黒田清隆]]、[[陸奥宗光]]、[[江藤新平]]、[[山縣有朋|山県有朋]]、[[渋沢栄一]]などと共に乗車している。

明治12年(1879年)3月に琉球藩は廃藩となり、伊江家は同年3月11日付で華族に列せられたが{{sfn|松田敬之|2015|p=73}}、明治17年(1884年)7月の[[華族令]]施行で華族が五爵制になった際には爵位が与えられず、しばらくは無爵華族となっていた{{sfn|松田敬之|2015|p=73}}。[[今帰仁御殿|今帰仁家]]も同様だった。これに対して[[柳原前光]]は伊江家や今帰仁家は無爵華族という奇妙な状態に置かれているせいで[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員資格がなく、かつ華族[[戸主]]であるため[[衆議院]]議員資格もないという不当な立場に置かれていることを指摘し、早急に爵位を与えることを要求し、明治23年(1890年)3月27日付けで[[伊江朝永|朝永]]が[[男爵]]位を与えられた{{sfn|松田敬之|2015|p=74}}。

その子[[伊江朝助|朝助]]は[[沖縄銀行]]取締役や[[沖縄新報]]社長などを務めて実業家として活躍する一方、[[沖縄県議会]]議長を経て[[貴族院 (日本)|貴族院]]男爵議員([[公正会]]所属)に当選して務めた{{sfn|華族大鑑刊行会|1990|p=542}}{{sfn|森岡浩|2012|p=44}}。

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== 遺跡 ==
伊江御殿家関係資料146点と[[伊江御殿墓]]は、それぞれ国の[[重要文化財]]に指定されている。その他、伊江御殿別邸庭園や伊江殿内庭園(巣雲園)は国の名勝に指定されている。

首里石嶺にある[[伊江御殿墓]]は、県内最古の[[亀甲墓]]の一つとして、[[1999年]]12月1日に国の[[重要文化財]]に指定されている。現在の墓域 {{Val|2,266|ul=m2}}、建造された[[1687年]]当時約 {{Val|5,828|u=m2}}(5[[反]]8[[畝 (単位)|畝]]23[[歩 (尺貫法)|歩]]=1763[[坪]])。

また同地区には国の[[日本国指定名勝の一覧|名勝]]である伊江御殿別邸庭園({{Val|7,435|u=m2}}、2249坪)があり、[[2009年]]に庭園の整備・保全のため[[那覇市]]に寄贈している。

[[2019年]]7月23日には琉球王国の王族における[[家譜]]及び家譜編纂にかかる文書・記録類がまとまって伝存する稀有な例として伊江御殿家関係資料146点が国の[[重要文化財]]に指定された<ref>令和元年[[文部科学省]]告示第26号</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.naha.okinawa.jp/websyuccyoujyo/kaiken/kaiken/kaiken0320_2.html|title=【3月20日】「尚家文書」の国宝追加及び「伊江御殿家関係資料」の重要文化財指定について|publisher=[[那覇市]]|date=2019-03-22|accessdate=2021-02-18}}</ref>。

その他、[[宜野湾市]]に[[1725年]]に建立した西森碑記がある。元祖尚宗賢・伊江王子朝義の母である[[大按司志良礼|城の大按司志良礼]]は[[察度王]]の父[[奥間大親]]の末裔とされており、[[垣花朝理|向和憲・垣花親方朝理]](四世[[伊江朝敷|朝敷]]の三男)、六世[[伊江朝良|朝良]]、[[三司官]][[伊江朝叙|向和声・西平親方朝叙]]などが石門や森の川の石積みを行なった。現在の森川公園。

また首里当蔵には支流向氏伊江殿内の国の名勝である伊江殿内庭園がある。別称は「巣雲園」。


== 系譜 ==
== 系譜 ==
* 一世[[尚宗賢]]・伊江王子朝義
* 一世[[伊江朝義|尚宗賢・伊江王子朝義]]([[尚清王]]七男)
* 二世向種徳・伊江按司朝恒
* 二世:[[伊江朝恒|向種徳・伊江按司朝恒]]
* 二世向文徳・伊江按司朝仲
* 二世:[[伊江朝仲|向文徳・伊江按司朝仲]]
* 三世向濬哲・伊江按司朝久
* 三世:[[伊江朝久|向濬哲・伊江按司朝久]]
* 四世向嘉続・伊江按司朝敷
* 四世:[[伊江朝敷|向嘉続・伊江按司朝敷]]
* 五世尚和礼・伊江王子朝嘉
* 五世:[[伊江朝嘉|尚和礼・伊江王子朝嘉]](室は[[尚質王]]の五女)
* 六世向良顕・伊江按司朝良
* 六世:[[伊江朝良|向良顕・伊江按司朝良]]
* 七世尚依仁・伊江王子朝倚
* 七世:[[伊江朝倚|尚依仁・伊江王子朝倚]](室は[[尚敬王]]の次女)
* 八世向執仲・伊江按司朝藩
* 八世:[[伊江朝藩|向執仲・伊江按司朝藩]]
* 九世向国藩・伊江按司朝郁
* 九世:[[伊江朝郁|向国藩・伊江按司朝郁]]
* 十世向世昌・伊江按司朝英
* 十世:[[伊江朝英|向世昌・伊江按司朝英]]
* 十向世俊・伊江按司朝平(兄朝英の跡目)
* 十世:[[伊江朝平|向世俊・伊江按司朝平]]
* 十一世尚健・[[伊江王子朝直]](尚灝王、摂政)
* 十一世:[[伊江朝直|尚健・伊江王子朝直]]([[尚灝王]]四)
* 十二世向慶・大城按司朝永(伊江朝永)
* 十二世向慶・大城按司朝永([[伊江朝永]]
* 十三世向善行・伊江朝真
* 十三世向善行・富盛按司朝真([[伊江朝真]])
* 十四世[[伊江朝助]]
* 十四世[[伊江朝助]]
* 十五世[[伊江朝雄]](朝真次男・伊江朝睦の次男。朝助の養子となる)
* 十五世[[伊江朝雄]](2007年没)

なお、御殿四世:[[伊江朝敷|向嘉続・伊江按司朝敷]]の四男、向和声・伊江朝叙は[[伊江殿内]]の家祖であり、1835年に川平姓に改め川平殿内となる(川平殿内の末裔に[[川平朝申]]らがいる)。

== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2020年7月9日 (木) 08:52 (UTC)}}
*{{Cite book|和書|author=宮里朝光(監修)那覇出版社(編集)|date=1998年(平成10年)|title=沖縄門中大事典|publisher=那覇出版社|isbn=978-4890951017|ref=宮里(1998)}}
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*{{Cite book|和書|author=比嘉朝進|date=2005年(平成17年)|title=士族門中家譜|publisher=球陽出版|isbn=978-4990245702|ref=比嘉(2005)}}
* {{Cite book|和書|date=2006年(平成18年)|title=華族 近代日本貴族の虚像と実像|author=小田部雄次|authorlink=小田部雄次|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公新書]]1836|isbn=978-4121018366|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|date=1990年(平成2年)|title=華族大鑑|series=日本人物誌叢書7|author=華族大鑑刊行会|publisher=[[日本図書センター]]|isbn=978-4820540342|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|date=2000年|title=琉球・尚氏のすべて|last=喜舎場 |first=一隆|authorlink=喜舎場一隆|publisher=[[新人物往来社]]|isbn=4-404-02868-7|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=比嘉朝進|date=2005-04|edition=再版|title=士族門中家譜|publisher=球陽出版|isbn=978-4990245702|ncid=BA72676585|oclc=170134325|asin=4990245709|ref={{SfnRef|比嘉|2005}}}}
*{{Cite book|和書|date=2015年(平成27年)|title=〈華族爵位〉請願人名辞典 |author=松田敬之|authorlink=松田敬之|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn= 978-4642014724|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|others=宮里朝光(監修)|editor=那覇出版社(編集)|date=1998-08|id={{全国書誌番号|99054933}}|title=沖縄門中大事典|publisher=那覇出版社|isbn=978-4890951017|ncid=BA37599475|oclc=44263313|asin=4890951016|ref={{SfnRef|宮里|1998}}}}
* {{Cite book|和書|date=2012年(平成24年)|title=日本名門・名家大辞典 |author= 森岡浩|authorlink= 森岡浩|publisher=[[東京堂出版]]|isbn= 978-4490108217|ref=harv}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[御殿 (沖縄)]]
* [[御殿 (沖縄)]]


== 外部リンク ==
* [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163298 伊江御殿別邸庭園] - 文化遺産オンライン
* [https://oniwa.garden/iedunchi-garden-伊江殿内庭園/ 伊江殿内庭園] - おにわさん
* [http://sanpo.ifdef.jp/cyubu/nisimori.html 西森碑記] - ハイホーの沖縄散歩
* [http://www.okinawainfo.net/morikawa.htm 森川公園] - 沖縄観光・沖縄情報IMA
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2024年11月23日 (土) 10:08時点における最新版

伊江御殿→伊江家
本姓 向氏第二尚氏
家祖 尚宗賢・伊江王子朝義
種別 琉球王族
華族男爵
出身地 琉球王国首里
主な根拠地 琉球王国
著名な人物 伊江王子朝直伊江朝雄
支流、分家 向氏高安殿内、向氏宜寿次殿内、向氏伊江殿内など
凡例 / Category:日本の氏族

伊江御殿(いえうどぅん)または伊江家(いえけ)は、第二尚氏の分家で琉球王族華族だった家。尚宗賢・伊江王子朝義尚清王七男)を家祖とし、代々伊江島按司地頭をつとめ、琉球藩廃藩後は華族の男爵家に列せられた[1][2]

歴史

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尚清王七男朝義は、初め羽地間切の按司地頭を務めたが、後に伊江島按司地頭に転任、以後代々これを務めて伊江と称した[1]。同家は三司官に4名就任し、当主4代が王子号を授与した筆頭格御殿となった。

1691年康熙30年)、尚家の末裔は「尚、向」と「朝」を用いることが命じられ、同年11月9日に向姓を賜った。それ以前の伊江御殿は「宗」「義」を氏名や名乗頭字としていた。十世朝平には嗣子がなく、道光10年(1834年)に尚灝王の五男尚健を養子にして伊江御殿を継がせた[1]

十一世朝直は琉球王国最後の摂政であり、明治5年(1872年)7月に維新成就のお祝いを述べるための日本への使節団維新慶賀使の正史を務めた。慶賀使は9月14日に東京で明治天皇の謁見を賜り、琉球国王尚泰琉球藩王に叙し華族に列するとのを授けられた[3]

また朝直はこの維新慶賀使として在京中の明治5年9月12日に新橋駅で日本初となる鉄道開業式典に参列、新橋 - 横浜間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、明治天皇の他、有栖川宮熾仁親王三条実美井上勝副島種臣西郷隆盛大隈重信板垣退助井上馨勝海舟黒田清隆陸奥宗光江藤新平山県有朋渋沢栄一などと共に乗車している。

明治12年(1879年)3月に琉球藩は廃藩となり、伊江家は同年3月11日付で華族に列せられたが[4]、明治17年(1884年)7月の華族令施行で華族が五爵制になった際には爵位が与えられず、しばらくは無爵華族となっていた[4]今帰仁家も同様だった。これに対して柳原前光は伊江家や今帰仁家は無爵華族という奇妙な状態に置かれているせいで貴族院議員資格がなく、かつ華族戸主であるため衆議院議員資格もないという不当な立場に置かれていることを指摘し、早急に爵位を与えることを要求し、明治23年(1890年)3月27日付けで朝永男爵位を与えられた[5]

その子朝助沖縄銀行取締役や沖縄新報社長などを務めて実業家として活躍する一方、沖縄県議会議長を経て貴族院男爵議員(公正会所属)に当選して務めた[6][1]

その跡を継いだ甥の朝雄国鉄常務理事から、昭和52年(1977年)に参議院議員(自由民主党所属)に当選して平成3年(1991年)の宮沢内閣沖縄開発庁長官として入閣した(沖縄県出身者初の国務大臣[1]

遺跡

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伊江御殿家関係資料146点と伊江御殿墓は、それぞれ国の重要文化財に指定されている。その他、伊江御殿別邸庭園や伊江殿内庭園(巣雲園)は国の名勝に指定されている。

首里石嶺にある伊江御殿墓は、県内最古の亀甲墓の一つとして、1999年12月1日に国の重要文化財に指定されている。現在の墓域 2266 m2、建造された1687年当時約 5828 m2(5823=1763)。

また同地区には国の名勝である伊江御殿別邸庭園(7435 m2、2249坪)があり、2009年に庭園の整備・保全のため那覇市に寄贈している。

2019年7月23日には琉球王国の王族における家譜及び家譜編纂にかかる文書・記録類がまとまって伝存する稀有な例として伊江御殿家関係資料146点が国の重要文化財に指定された[7][8]

その他、宜野湾市1725年に建立した西森碑記がある。元祖尚宗賢・伊江王子朝義の母である城の大按司志良礼察度王の父奥間大親の末裔とされており、向和憲・垣花親方朝理(四世朝敷の三男)、六世朝良三司官向和声・西平親方朝叙などが石門や森の川の石積みを行なった。現在の森川公園。

また首里当蔵には支流向氏伊江殿内の国の名勝である伊江殿内庭園がある。別称は「巣雲園」。

系譜

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なお、御殿四世:向嘉続・伊江按司朝敷の四男、向和声・伊江朝叙は伊江殿内の家祖であり、1835年に川平姓に改め川平殿内となる(川平殿内の末裔に川平朝申らがいる)。

脚注

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参考文献

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  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342 
  • 喜舎場, 一隆『琉球・尚氏のすべて』新人物往来社、2000年。ISBN 4-404-02868-7 
  • 比嘉朝進『士族門中家譜』(再版)球陽出版、2005年4月。ASIN 4990245709ISBN 978-4990245702NCID BA72676585OCLC 170134325 
  • 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724 
  • 那覇出版社(編集) 編『沖縄門中大事典』宮里朝光(監修)、那覇出版社、1998年8月。ASIN 4890951016ISBN 978-4890951017NCID BA37599475OCLC 44263313全国書誌番号:99054933 
  • 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217 

関連項目

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外部リンク

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