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今帰仁御殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今帰仁御殿→今帰仁家
細輪に木爪形に字抜き隅立て角内に細輪に三つ巴
石持ち字抜き四方爪に細隅立て角に左三つ巴
本姓 向氏
家祖 今帰仁王子朝敷
種別 琉球王族
華族(男爵)
出身地 琉球王国首里
主な根拠地 琉球王国・首里、東京
著名な人物 今帰仁王子朝敷
凡例 / Category:日本の氏族

今帰仁御殿(なきじんうどぅん)または今帰仁家(なきじんけ)は、第二尚氏の分家にあたる琉球王族華族だった家。琉球王国時代には、今帰仁間切(現・今帰仁村)の按司地頭をつとめ、琉球藩廃藩後は華族の男爵家に列した[1][2]

歴史

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尚育王の三男・今帰仁王子朝敷を祖とする。朝敷は尚泰王の弟で、はじめ具志川王子と称し、後に転封されてからは今帰仁王子と称した[1]琉球処分の折には、兄に代わって藩王代理として琉球処分官・松田道之と応対した[3]

明治12年(1879年)3月に琉球藩は廃藩となり、今帰仁家は同年3月11日付で華族に列せられ[4]、この際に今帰仁朝敷と改称した[5]

明治17年(1884年)7月の華族令施行で華族が五爵制になった際には今帰仁家には爵位が与えられず、しばらく無爵華族となっていた[4]伊江家も同様だった。これに対して柳原前光は伊江家や今帰仁家は無爵華族であるために貴族院議員資格がなく、かつ華族戸主であるため衆議院議員資格もないという不当な立場に置かれていることを指摘し、早急に爵位を与えることを要求し、明治23年(1890年)3月27日付けで朝敷が男爵位を与えられた[4]

その孫朝英の代に今帰仁男爵家の邸宅は沖縄県首里市大中町にあった[5]

系譜

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  • 一世・今帰仁王子朝敷→今帰仁朝敷
  • 二世・湧川按司朝和→今帰仁朝和
  • 三世・今帰仁朝英
  • 四世・今帰仁朝秀

脚注

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  1. ^ a b 森岡浩 2012, p. 今帰仁の項.
  2. ^ 小田部雄次 2006, p. 345.
  3. ^ 喜舎場 2000, p. 163-166.
  4. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 522.
  5. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 543.

参考文献

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  • 沖縄県氏姓家系大辞典 編纂委員会『沖縄県氏姓家系大辞典』角川書店、1992年(平成4年)。ISBN 978-4040024707 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342 
  • 喜舎場, 一隆『琉球・尚氏のすべて』新人物往来社、2000年。ISBN 4-404-02868-7 
  • 比嘉朝進『士族門中家譜』球陽出版、2005年(平成17年)。ISBN 978-4990245702 
  • 宮里朝光(監修)、那覇出版社(編集)『沖縄門中大事典』那覇出版社、1998年(平成10年)。ISBN 978-4890951017 
  • 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724 
  • 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217 

関連項目

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