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伊江朝叙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊江親方朝叙(いえうぇーかたちょうじょ、? - 1745年7月9日[1])は、琉球王国政治家官僚。唐名は向和声(しょう わせい)を名乗った。別名に、西平親方朝叙(にしひらうぇーかたちょうじょ)がある。

伊江朝敷の四男で、向氏伊江殿内と称される貴族家系の家祖[2]

1718年には尚敬王により、伊江は越来王子朝慶と共に徳川吉宗将軍襲職を祝う慶賀使として江戸へ派遣(江戸上り)され、翌年帰沖した[3]

1720年から1745年にかけては、三司官を務めた[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本”. 2017年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月4日閲覧。
  2. ^ Rizō, Takeuchi. (1992). Okinawa-ken seishi kakei daijiten (沖縄県姓氏家系大辞典). Tokyo: Kadokawa Shoten.
  3. ^ Chūzan Seifu, appendix vol.3
公職
先代
勝連盛祐
三司官
1720 - 1745
次代
譜久山朝見