座喜味盛珍
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座喜味親方盛珍(ざきみうぇーかたせいちん、1781年3月23日 - 1837年10月25日)は、琉球王国の官僚。唐名は毛執功(もう しっこう)を名乗った[1]。
毛氏座喜味殿内と称される貴族家系に生まれ、後に7代目当主となった。1807年には、領地として読谷山間切(現在の読谷村にあたる)を与えられた[1]。
1826年には、年頭使(年頭慶賀のため薩摩藩主へ派遣される使節団)として鹿児島に派遣された[2]。1826年から1836年にかけて、三司官を務めた[3] 。
脚注
[編集]- ^ a b "Zakimi Seichin". Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
- ^ Chūzan Seifu, appendix vol.5
- ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
公職 | ||
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先代 伊江朝安 |
三司官 1826 - 1836 |
次代 兼城朝典 |