座喜味盛秀
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座喜味親方盛秀(ざきみうぇーかたせいしゅう、1699年11月11日 - 1766年3月9日)は、琉球王国の官僚。唐名は毛恭倹を名乗った[1]。
毛氏座喜味殿内と称される貴族家系の4代目当主[1]。
1737年、八重山の船が肥前国沖で難破し、佐賀藩によって乗組員が救助されたという一件があり、座喜味は同年日本に謝恩使として派遣された。 [1] [2]
1750年から1752年にかけては、三司官を務めた[1] [3]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d "Zakimi Seishū." Okinawa konpakuto jiten (沖縄コンパクト事典, "Okinawa Compact Encyclopedia").
- ^ Chūzan Seifu, appendix vol.3
- ^ 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本