「ノースカロライナ州」の版間の差分
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|面積順位 = 28 |
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|総面積 = 139,390 |
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|面積大きさ = 1 E11 |
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|陸地面積 = 126,161 |
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|人口値 = 9,535,483 |
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|人口大きさ = 1 E6 |
|人口大きさ = 1 E6 |
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|人口密度 = |
|人口密度 = 75.58 |
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|加入順 = 12 |
|加入順 = 12 |
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|加入日 = [[1789年]][[11月21日]] |
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|時間帯 = -5 |
|時間帯 = -5 |
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|夏時間 = -4 |
|夏時間 = -4 |
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|緯度 = |
|緯度 = 33°50' - 36°35' |
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|最高標高 = 2,037 |
|最高標高 = 2,037 |
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|平均標高 = 210 |
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|最低標高 = 0 |
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|ISOコード = US-NC |
|ISOコード = US-NC |
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|Website = www.ncgov.com |
|Website = www.ncgov.com |
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|上院議員 = [[リチャード・バー]]<br>[[ケイ・ヘイガン]] |
|上院議員 = [[リチャード・バー]]<br>[[ケイ・ヘイガン]] |
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}}'''ノースカロライナ州'''(State of North Carolina、略号 |
}}'''ノースカロライナ州'''(State of North Carolina、略号:NC、{{IPAc-en|audio=en-us-North Carolina.ogg|ˌ|n|ɔr|θ|_|k|ær|ə|ˈ|l|aɪ|n|ə}})は、[[アメリカ合衆国]][[アメリカ合衆国南東部|南東部]]にある[[州]]である。[[2010年]]国勢調査による人口は9,535,483人だった。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第28位、人口では第10位である。[[州都]]は[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー市]]であり、人口最大[[都市]]は[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット市]]である。 |
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州の北は[[バージニア州]]に、西は[[テネシー州]]に、南は[[ジョージア州]]と[[サウスカロライナ州]]に接している。州の東側は[[大西洋]]に面している。タバコの生産地として知られ |
州の北は[[バージニア州]]に、西は[[テネシー州]]に、南は[[ジョージア州]]と[[サウスカロライナ州]]に接している。州の東側は[[大西洋]]に面している。州内には100の郡がある<ref>{{cite web|url=http://quickfacts.census.gov/qfd/maps/north_carolina_map.html |title=North Carolina Counties Map |publisher=Quickfacts.census.gov |date=January 7, 2009 |accessdate=2011-07-24}}</ref>。元は[[タバコ]]と[[家具]]の生産地として知られたが、過去50年間で[[バイオテクノロジー]]や[[金融]]分野など多様な経済に転換してきた<ref>{{cite web|url=http://www.lib.unc.edu/ncc/ref/study/industry.html |title=The Industrial History of North Carolina: A Research Guide|accessdate=2010-11-03}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.dartmouth.edu/~jtscott/Papers/00-22.pdf |title=The Growth of Research Triangle Park|accessdate=2010-11-03}}</ref>。 |
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州域の標高は大西洋岸の海面から、アメリカ合衆国東部では最高地点である標高6,684フィート (2,037 m) まで変化が激しい<ref>{{cite web|url=http://ncparks.gov/Visit/parks/momi/history.php |title=Mount Mitchell State Park " History|accessdate=2010-11-07}}</ref>。海岸平原の気候は大西洋に強く影響されている。州の大半は[[温暖湿潤気候]]帯に入っている。西部の海岸から300マイル (480 km) 以上入った山岳地では亜熱帯山岳気候になる。 |
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==歴史== |
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イギリスから[[アメリカ独立戦争|独立]]したアメリカ合衆国当初13州のうちの1つ。[[南北戦争]]では[[アメリカ南部連合|南部連合]]側に最後に参入した。南部連合に属した州の中で最も多くの兵士を失い、苦しい再建時代を送った。現代では[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]都市圏や、[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]・[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]]・[[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]]の[[リサーチ・トライアングル]]地区を中心に経済的に大躍進を示し、州人口も急速に伸びている。 |
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== 歴史 == |
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:''主要記事:[[ノースカロライナ州の歴史]]'' |
:''主要記事:[[ノースカロライナ州の歴史]]'' |
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[[ファイル:North carolina algonkin-rituale01.jpg|thumb|セコタン族戦士の儀式、1585年にイギリス人開拓者ジョン・ホワイトが描いた水彩画]] |
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[[ファイル:Our Savage Manteo.jpg|thumb|right|ロアノーク植民地でキリスト教に改宗した最初のインディアン、マニオーを記念する銘板]] |
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===連邦に加盟するまで=== |
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[[ファイル:The Carte of all the Coast of Virginia by Theodor de Bry 1585 1586.jpg|thumb|left|1585年から1586年にセオドア・ド・ブライが書いたバージニアとノースカロライナ海岸の地図、[[ロアノーク植民地]]のジョン・ホワイトが作成した地図に基づいている。右が北]] |
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[[ファイル:Dr. M.T. Pope.jpg|thumb|upright|M・T・ポープ博士、ローリーの著名市民、1900年撮影]] |
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[[ファイル:North-Carolina-Museum-of-History-20080321.jpeg|thumb|ローリー市にあるノースカロライナ州歴史博物館]] |
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イギリスから[[アメリカ合衆国の独立|独立]]したアメリカ合衆国当初13州のうちの1つである。[[南北戦争]]では[[アメリカ連合国|南部連合]]側に最後に参入した。南部連合に属した州の中で最も多くの兵士を失い、苦しい再建時代を送った。現代では[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]都市圏や、[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]・[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]]・[[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]]の[[リサーチ・トライアングル]]地区を中心に経済的に大躍進を示し、州人口も急速に伸びている。 |
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===連邦への加盟=== |
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=== インディアン、失われた植民地、恒久的植民地 === |
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===その後の歴史的出来事=== |
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{{See also|ロアノーク植民地}} |
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ノースカロライナ州となった地域には、数千年前から先住民族の様々な文化が続いていた。西暦200年以前に、儀式や宗教目的で使われたと見られる土盛りマウンドを築いていた。西暦1000年までに形成された[[ミシシッピ文化]]を含め、その後の先住民族はそのようなマウンドを築きあるいは追加し続けていた。ヨーロッパ人が接触してくる500年から700年前に、ミシシッピ文化では大型の複雑な都市を建設し、広範囲に及ぶ交易のネットワークを維持していた。その最大都市は[[カホキア]]であり、[[ミシシッピ川]]の近く、現在の[[イリノイ州]]にあった。 |
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ノースカロライナ州で記録に残されている[[インディアン]]部族は、海岸地域に住みカロライナ・[[アルゴンキン語族|アルゴンキン語]]を話すチョワノーク、ロアノーク、パムリコ、マシャプンガ、コリー、ケイプフェアなどであり、彼等が最初にイギリス人と遭遇した。イロコイ語を話すメヘリン、[[チェロキー]]、タスカローラは内陸部に住み、またチェロー、ワックスホー、サポニ、ワッカモー、カトーバ各部族は南東部[[スー語族|スー族]]だった。 |
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16世紀に内陸を旅した[[スペイン人]]探検家が、現在のモーガントンに近い地域の中心であるジョアラでミシシッピ文化の人々に出遭った。[[エルナンド・デ・ソト]]の記録では、1540年に彼等と出遭ったことを裏付けている。1567年、フアン・パルドがこの地域をスペイン領であると宣言し、また[[メキシコ]]の銀山を守る別のルートを確立するために遠征隊を率いて入った。パルドはジョアラを冬の基地とし、そこを「クエンカ」と改名した。この遠征隊はサンフアン砦を建設してそこに30名を残し、パルドはさらに進んで別の砦5か所を建設し、駐在の者を置いた。パルドは別のルートを通って、当時[[スペイン領フロリダ]]の中心だったサウスカロライナの[[パリスアイランド (サウスカロライナ州)|パリスアイランド]]のサンタエレナに戻った。1568年春、インディアンが内陸にあった6つの砦を攻撃して駐屯員の1人を除いて全員を殺し、砦を焼いた。その中にはサンフアン砦も含まれていた。スペイン人が内陸部に戻ってくることは無かったが、現在のアメリカ合衆国の中で最初にヨーロッパ人が植民地建設を試みたものとなった。パルドの書記官バンデラの16世紀の日誌、および1986年以降に行われた考古学調査によって、その開拓地が確認された<ref>{{cite web|author=Patrick Gibbs |url=http://antiquity.ac.uk/ProjGall/moore/index.html |first1=David G. |last1=Moore |first2=Robin A. |last2=Beck, Jr. |first3= Christopher B. |last3=Rodning |title=Joara and Fort San Juan: culture contact at the edge of the world |volume=78, No. 229, |publisher=Antiquity.ac.uk |date=March 2004 |accessdate=2011-07-24}}</ref><ref>Constance E. Richards, "Contact and Conflict" [http://www.warren-wilson.edu/~arch/berrysitepress/amerarchspring2008.pdf Warren Wilson College], ''American Archaeologist'', Spring 2008. Retrieved June 26, 2008.</ref>。 |
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==地理== |
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:''関連項目:[[w:Geography of the United States|Geography of the United States]]、[[アメリカ東海岸]]、[[ノースカロライナ州の郡一覧]]'' |
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[[ファイル:Croatoan.jpg|thumb|left|ジョン・ホワイトは戻ってきて植民地が放棄されているのを見つけた]] |
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ノースカロライナ州は、南部で[[サウスカロライナ州]]、南西部で[[ジョージア州]]、西部で[[テネシー州]]、北部で[[バージニア州]]、東部で[[大西洋]]と接している。[[アメリカ合衆国統計局]]は、ノースカロライナ州を[[アメリカ合衆国南部|南部]]の州に分類しているほか、さらに下位区分として[[w:South Atlantic States|南部大西洋岸の州]]の1つに区分している。 |
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1584、イギリス王[[エリザベス1世]]が[[ウォルター・ローリー]]卿に現在のノースカロライナの土地(当時はバージニア)に対する土地特許を与えた。ローリーは現在の州都ローリーの名前の由来となった<ref>{{cite book |
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|last=Randinelli |
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|first=Tracey |
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|title=Tanglewood Park |
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|publisher=Harcourt |
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|location=Orlando, Florida |
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|page=16 |
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|url= |
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|id= |
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|isbn=0-15-333476-2 }}</ref>。ローリーは1580年代に海岸部で2つの植民地を設立したが、どちらも失敗した。イギリスがアメリカ大陸で植民地化を試みた2つめのものだった。ロアノーク島に造られた「[[ロアノーク植民地|失われた植民地]]」の消滅は、アメリカ史の中でも謎の1つとして残っている。北アメリカで生まれた最初のイギリス人赤ん坊である[[ヴァージニア・デア]]は1587年8月18日にロアノーク島で生まれた。ノースカロライナ州[[デア郡 (ノースカロライナ州)|デア郡]]はその名を記念するものである。 |
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1650年には既に、[[バージニア植民地]]から開拓者がアルベマール・サウンドの地域に移ってきていた。1663年に、国王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が北アメリカ大陸における新しい植民地を始めるための土地勅許を与えており、それがノースカロライナの領域を規定している。チャールズ2世はその地を、父の[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]の栄誉を称えて「カロライナ」と命名した(チャールズの[[ラテン語]]名はカロラスである)<ref>{{cite web|url=http://statelibrary.dcr.state.nc.us/NC/HISTORY/HISTORY.HTM |title=North Carolina State Library – North Carolina History |publisher=Statelibrary.dcr.state.nc.us |accessdate=2011-07-24}}</ref>。1665年には領土問題を解決するために2つめの勅許が発行された。1710年、統治に関する論争が起きたこともあり、カロライナ植民地はノースカロライナとサウスカロライナに分かれた。サウスカロライナは1729年に王室領植民地になった。 |
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ノースカロライナ州は、大きく3つの地理的区域に分けられる。1つは、[[w:Coastal plain|沿岸の平野部]]で州の東部を中心に45%を占めている。次に、中央部などの35%で構成される[[ピードモント台地|ピードモント]]地域があり、さらには西部などの20%を占める[[アパラチア山脈]]等の一帯がある。 |
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1700年代に南部で何度か[[天然痘]]が流行し、ヨーロッパの疫病に対する免疫を持たなかったインディアンの間では高い死亡率となった<ref>{{cite web|url=http://www.uncpress.unc.edu/nc_encyclopedia/cherokee.html |title=Cherokee Indians |publisher=Uncpress.unc.edu |date=November 16, 1919 |accessdate=2011-07-24}}</ref>。歴史家のラッセル・ソーントンは、「1738年の疫病でチェロキー族の半数が死亡し、他の部族も同様だったと言われている」と記した<ref>Russell Thornton (1990) "''[http://books.google.com/books?id=9iQYSQ9y60MC&pg=&dq&hl=en#v=onepage&q=&f=false American Indian Holocaust and Survival: A Population History since 1492]''". University of Oklahoma Press. p.79. ISBN 0-8061-2220-X</ref>。 |
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この州の西側の境界は、[[メキシコ湾]]から[[セントローレンス川]]の河口まで達している巨大な[[アパラチア山脈]]の一部を形成する[[ブルーリッジ山脈]]と共に、[[グレート・スモーキー山脈国立公園]]の峰によって画されている。 |
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=== 植民地時代とアメリカ独立戦争 === |
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また、東部は[[大西洋]]である。北から南への幅は約100マイル(約160キロメートル)ある。 |
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{{See also|カロライナ植民地|ノースカロライナ植民地|アメリカ独立戦争}} |
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[[ファイル:Tryon Palace.JPG|thumb|left|再建された植民地時代の総督邸宅「トライオン・パレス」、ニューバーン市]] |
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16世紀にスペインが植民地化を試みた後、ノースカロライナにおける最初の恒久的ヨーロッパ人開拓者は、バージニア植民地が急速に成長し、利用できる農地が不足してきたために、そこから南に移ってきたイギリス人開拓者だった。そのようなバージニアからの移民ではナサニエル・バッツが最初に記録された者の1人となった。バッツは1655年にチョウォーン川の南、グレート・ディズマル湿地の東に入植した<ref>Fenn and Wood, ''Natives and Newcomers'', pp. 24–25</ref>。1663年までに、アルベマール開拓地と呼ばれたカロライナ植民地の北東部は全面的なイギリス人による入植が進んだ<ref>Powell, ''North Carolina Through Four Centuries'', p. 105</ref>。これと同じ頃、イングランド国王チャールズ2世が、1660年に王位に復したときにこれを助けた貴族集団、植民地領主にこの植民地を与えた。この新植民地「カロライナ」は国王チャールズ1世の栄誉を称えて名付けられた。1712年、ノースカロライナは別の植民地になった。その17年後、第2代グランビル伯爵ジョン・カータレットが持っていた分を除いてノースカロライナは王室領植民地になった<ref name="autogenerated1">Lefler and Newsome, (1973)</ref>。 |
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ノースカロライナ東部は[[サウスカロライナ・ローカントリー|ローカントリー]]、西部はアップランドと呼ばれ、その入植の様態が異なっていたので、18世紀から20世紀まで政治、経済、社会生活に影響した。東部の海岸地帯は主に[[イングランド]]の田舎や[[スコットランド]]の[[ハイランド地方]]からの移民が入ってきた。西部のアップランドには主にスコットランド・アイルランド、イングランド、[[ドイツ]]から[[プロテスタント]]が入り、「コヒー」と呼ばれた。18世紀の半ばから後半に到着した、現在の[[北アイルランド]]出身であるスコットランド・アイルランド系移民が、独立戦争以前では最大の非イングランド移民だった。この時期、イングランドの[[年季奉公]]者が最大の移民集団だった<ref>{{cite book|author= Bethune, Lawrence E |title= Scots to Colonial North Carolina Before 1775 |work= Lawrence E. Bethune's M.U.S.I.C.s Project |url=http://www.dalhousielodge.org/Thesis/scotstonc.htm }}</ref><ref name="census.gov">{{cite web|url=http://www.census.gov/population/www/censusdata/files/pc80-s1-10/tab03a.pdf |title=Ancestry of the Population by State: 1980 – Table 3a – Persons Who Reported a Single Ancestry Group for Regions, Divisions and States|format=PDF |accessdate=2012-05-11}}</ref><ref name="ReferenceA">{{cite web|url=http://www.census.gov/population/www/censusdata/files/pc80-s1-10/tab01.pdf |title=Table 1. ''Type of Ancestry Response for Regions, Divisions and States: 1980 |format=PDF |accessdate=2012-05-11}}</ref><ref name="census.gov"/><ref name="ReferenceA"/><ref>{{cite web|url=http://www.webcitation.org/query?url=http://www.geocities.com/nai_cilh/servitude.html&date=2009-10-24+10:13:36 |title=Indentured Servitude in Colonial America |publisher=Webcitation.org |accessdate=2012-05-11}}</ref>。[[アメリカ独立戦争]]のとき、ノースカロライナ東部にいるイングランド系やスコットランド・ハイランド系の開拓者は、イギリスとの事業や個人的な繋がりが長く続いていたためにイギリス王室に忠実である傾向があった。西部のイングランド系、[[ウェールズ]]系、スコットランド・アイルランド系、ドイツ系移民は、アメリカのイギリスからの独立を支持する傾向にあった。 |
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<!--この極端な幅は100及び88マイル (303 km) である。-->東から西へこの州の一番長い箇所は500マイル(800キロメートル)である。この境界内部を囲んだ地域は42,286平方マイル(135,000平方キロメートル)である。 |
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年季奉公者として入ってきたイングランド系移民の大半は、その片道旅費を払うために一定期間労働者として働く契約を結んだ者達だった。初期には年季奉公者とアフリカ人[[奴隷]]あるいは労働者の間の線引きは流動的だった。奴隷制度が終身のものになる以前にその自由を許されたアフリカ人もいた。独立戦争前にノースカロライナで作られた自由有色人家族の大半は、自由白人女性と奴隷または自由アフリカ人、あるいはアフリカ系アメリカ人男性との結合あるいは結婚によるものの子孫だった。母親が自由なので、その子供達も生まれながらに自由だった。多くの者はバージニア植民地から移ってきた者か、その子孫だった<ref>{{cite web|url=http://www.freeafricanamericans.com/ |title=Paul Heinegg, ''Free African Americans in Virginia, North Carolina, South Carolina, Maryland and Delaware'' |publisher=Freeafricanamericans.com |accessdate=2011-07-24}}</ref>。イギリスの経済状態が改善され、植民地に移ってくる年季奉公者の流れが減少してくると、多くの奴隷が輸入されるようになり、奴隷制度に対する規制が厳しくなった。経済の成長と繁栄は奴隷労働力に基づいており、まずはタバコの生産に振り向けられた。 |
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[[ファイル:North carolina topographic.jpg|thumb|500px|centre|ノースカロライナ州 - 地勢地図]] |
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1776年4月1日、[[大陸会議]]の代表団にイギリス王室からの独立に賛成するよう支持したことで、ノースカロライナは最初の邦となった。ただし、[[ノースカロライナ植民地]]議会ではハリファックス決議案が採択されていた。この両件の日付は[[ノースカロライナ州の旗|州旗]]および州章に記録されている。独立戦争の期間を通じて、独立支持派とイギリス支持派の植民地人の間で激しいゲリラ戦が起きた。この戦争が個人の怨恨や競争関係を解決する理由になることもあった。ノースカロライナとサウスカロライナの境で起きた[[キングスマウンテンの戦い]]でアメリカ側が大勝した。1780年10月7日、ノースカロライナ西部(現在の[[テネシー州]]を含む)のマウンテンマン1,000人が、パトリック・ファーガソン少佐の指揮するイギリス軍約1,000人を圧倒した。この戦闘に参加したイギリス軍兵士の大半は、イギリス王室に忠誠を尽くした[[ロイヤリスト]]と呼ばれるカロライナ人だった。キングスマウンテンでのアメリカ軍の勝利によりアメリカ独立を支持する植民地人には利点となり、イギリス軍がロイヤリストの中から新兵を徴募する際の妨げとなった。 |
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[[ファイル:Battle of Guiliford Courthouse 15 March 1781.jpg|thumb|left|[[ギルフォード郡庁舎の戦い]]で前線を死守するメリーランド第1連隊]] |
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ヨークタウンへの道と、アメリカのイギリスからの独立はノースカロライナを通じて実現した。イギリス軍が[[チャールストン包囲戦|チャールストン]]と[[キャムデンの戦い|カムデン]]での勝利の後に北に動くと、[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]南部方面軍と地元民兵隊はイギリス軍と会する備えを行った。1781年1月17日、[[カウペンスの戦い]]で、[[ダニエル・モーガン]]将軍がイギリス軍騎兵指揮官[[バナスター・タールトン]]の部隊を破った後、南部方面軍指揮官[[ナサニエル・グリーン (軍人)|ナサニエル・グリーン]]は、イギリス軍[[チャールズ・コーンウォリス]]の部隊をノースカロライナの中心までおびき寄せ、補給基地であるチャールストンから遠ざけた。この作戦はダン川に向かって行われたので、「ダン川への競走」あるいは「川への競走」と呼ばれている<ref name="autogenerated1"/>。 |
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1781年2月1日、コーワンズフォードの戦いでは、戦術的撤退を続けるモーガン将軍の部隊に決戦を挑もうとしたコーンウォリス部隊が、カトーバ川岸で抵抗に遭った<ref>Stonestreet, Ottis C. IV, ''The Battle of Cowan's Ford: General Davidson's Stand on the Catawba River and its place in North Carolina History'' (CreateSpace Publishing 2012) ISBN 978-1-4680-7730-8 p. 3.</ref>。ノースカロライナの北部に誘導するこの動きに、グリーン将軍が新たに徴兵した部隊の動きが組み合わされた。1781年3月15日、グリーンとコーンウォリスの部隊は遂に、現在のグリーンズボロであった[[ギルフォード郡庁舎の戦い]]でまみえた。この戦闘の最後にイギリス軍はその戦場を支配したが、勢力では優勢だったアメリカ軍から被った被害は甚大だった。この[[ピュロスの勝利|犠牲が多くて引き合わない勝利]]の後、コーンウォリス将軍はバージニアの海岸線に移動し、[[イギリス海軍]]から補給を受け、その疲れ切った軍隊を守って貰う道を選んだ。この決断により、1781年後半の[[ヨークタウンの戦い|ヨークタウンにおける敗北]]に繋がっていった。愛国者側の勝利がアメリカ独立を確かなものにした。 |
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=== 南北戦争前の時代 === |
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1789年11月21日、ノースカロライナは[[アメリカ合衆国憲法]]を批准して12番目の州になった。1840年、ローリー市に[[ノースカロライナ州会議事堂|州会議事堂]]が完成し、現在に続いている。州内の奴隷所有者と大型[[プランテーション]]の大半は州の東部にあった。州内のプランテーションの体系は、バージニア州、ジョージア州、サウスカロライナ州のものに比べて小型でまとまりに欠けていたが、農園主のかなりの数が港湾都市[[ウィルミントン (ノースカロライナ州)|ウィルミントン]]とイーデントンの周辺郡に集まっており、また[[ピードモント台地]]のローリー、シャーロット、ダーラム各市の周りに郊外型農園主が集まっていた。大きな資産を所有する農園主は、奴隷社旗である南北戦争前ノースカロライナ州で政治と社会経済のかなりの権力を握っていた。州西部は概して奴隷を持たない自作農が多く、東部の農園主がその利益を優先させた。19世紀半ば、州内田園部と商業地域は「農夫の鉄道」と呼ばれた木の板敷道129マイル (208 km) の建設で繋がれた。東の[[ファイエットビル (ノースカロライナ州)|ファイエットビル]]からベサニア([[ウィンストン・セイラム]]の北西)まで続いていた<ref name="autogenerated1"/>。 |
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[[ファイル:Map North Carolina roads and railroads 1854.jpg|thumb|ノースカロライナ州の道路と鉄道の図、1854年]] |
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州内には奴隷の他にも多くの自由有色人がいた。その大半は18世紀にバージニアから隣人と共に移ってきた自由アフリカ系アメリカ人の子孫だった。その大半は年期奉公人あるいは自由白人女性と、年期奉公人、奴隷あるいは自由人のアフリカ系アメリカ人との間で、労働者階級での結合の子孫だった<ref>[http://freeafricanamericans.com/ Paul Heinegg, ''Free African Americans in Virginia, North Carolina, South Carolina, Maryland and Delaware''], 2005</ref>。アメリカ独立戦争後、[[クエーカー]]教徒と[[メノナイト]]教徒が、奴隷所有者に奴隷の解放を説いて歩いた。この動きと革命の権利という言葉に動かされ、奴隷を解放する者もいた。独立後最初の数十年間で自由有色人の数は飛躍的に増大した<ref>John Hope Franklin, ''Free Negroes of North Carolina, 1789–1860'', Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1941, reprint, 1991</ref>。 |
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1836年10月25日、港湾都市のウィルミントンと州都ローリーを繋ぐウィルミントン・アンド・ローリー鉄道の建設が始まった<ref>{{cite web|url=http://www.historync.org/railroads.htm |title=NC Business History – Railroads |publisher=Historync.org |accessdate=2011-07-24}}</ref>。1849年、州議会の法によりこの鉄道を西のグリーンズボロ、[[ハイポイント (ノースカロライナ州)|ハイポイント]]、シャーロットまで延伸するノースカロライナ鉄道が創設された。南北戦争のとき、この鉄道のウィルミントン、ローリー区間は南軍の戦争遂行のために重要なものとなった。ウィルミントンで物資が積まれ、鉄道でローリーを通り、アメリカ連合国の首都バージニア州[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]に運ばれた。 |
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南北戦争前の時代、ノースカロライナ州は圧倒的に田園州であり、南部の標準と比較してもそうだった。1860年、州内では唯一港湾都市のウィルミントンが人口1万人を超えていた。州都のローリーはやっと5,000人を超えたところだった。 |
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南部州の中では奴隷所有の集中度が低かったが、1860年国勢調査に拠れば、州人口は992,622人、このうち33万人以上、33%が奴隷のアフリカ系アメリカ人だった。彼等は主に東部海岸部のプランテーションで生活し働いた。また東部海岸平原にも集中しており、特にウィルミントンやニューバーンでは、様々な仕事があった。自由アフリカ系アメリカ人は1835年まで選挙の投票を許されたが、1831年に[[ナット・ターナー]]が率いた奴隷反乱に続いてこの年に、州は彼等の投票権を取り上げた。南部の奴隷法では奴隷を故意に殺すことを大半の場合に違法としていた<ref name="slaves">{{cite book |last=Morris |first=Thomas D. |title=''Southern Slavery and the Law, 1619-1860'' |url=http://books.google.cz/books?id=VmPWCKh0hZAC&pg=PA172 |publisher=University of North Carolina Press|year=1999|page=172| isbn=0807864307}}</ref>。例えば、1791年、ノースカロライナ州議会は、抵抗された場合、あるいは中庸な懲罰のもとに行われたものでなければ、奴隷を故意に殺すことを殺人と規定した<ref name="slaves"/>。 |
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=== 南北戦争 === |
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{{Main|南北戦争}} |
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[[ファイル:Battle of Fort Fisher.jpg|thumb|right|フィッシャー砦を占領する北軍、1865年]] |
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1860年、ノースカロライナ州は奴隷州であり、州人口は992,622人のうち約3分の1が奴隷のアフリカ系アメリカ人だった。これは多くの南部州の中では最少の比率だった。さらに州内には3万人以上の自由黒人がいた。ノースカロライナ州は[[アメリカ連合国]]への加盟に当初は賛成しなかったが、[[エイブラハム・リンカーン]]大統領が姉妹州であるサウスカロライナ州への侵略を呼びかけたとき、公式にアメリカ連合国に加盟した最後の州あるいは最後から2番目の州になった。テネシー州が非公式には1861年5月7日にアメリカ合衆国からの脱退を表明し、ノースカロライナ州が脱退したのは同年5月20日だったので、「最後にアメリカ連合国に加盟したのはどの州か」について異論が出てきた<ref>{{cite web|url=http://www.civiced.org/index.php?page=timeline_lincoln |title=Center for Civic Education – Lincoln Bicentennial with Supplemental Lesson: Timeline |publisher=Civiced.org |accessdate=2011-07-24}}</ref><ref>{{cite web|url=http://docsouth.unc.edu/highlights/secession.html |title=Highlights: Secession |publisher=Docsouth.unc.edu |accessdate=2011-07-24}}</ref>。しかし、テネシー州議会が正式に脱退を決めたのは同年6月8日のことだった<ref>{{cite web|url=http://memory.loc.gov/ammem/today/jun08.html |title=Today in History: June 8 |publisher=Memory.loc.gov |date=April 9, 1959 |accessdate=2011-07-24}}</ref>。 |
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州内では戦闘が少なかったが、[[南軍]]には少なくとも125,000人が出征し、他のどの州よりも遙かに多かった。約4万人は病気、戦傷および飢えで死亡した。[[北軍]]にも約15,000人が従軍した<ref>{{cite web|url=http://www.classbrain.com/artstate/publish/NC_civil_war_facts.shtml |title=Civil War Facts About North Carolina |publisher=Classbrain.com |accessdate=2011-07-24}}</ref>。1862年に選出された[[ゼブロン・バンス|ゼブロン・ベアード・バンス]]州知事は、リッチモンドにいる[[ジェファーソン・デイヴィス]]大統領に対して州の自治を維持しようとした。 |
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[[ファイル:Silent Sam.jpg|thumb|left|南軍兵のサイレント・サム、ジョン・ウィルソン制作、[[ノースカロライナ大学チャペルヒル校]]]] |
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脱退後も州民の中にはアメリカ連合国支持を拒否した者がいた。山岳部や西部ピードモント台地の自由農の中には戦中も中立を維持し、あるいは北軍を支持する者もいた。州西部から約2,000人が北軍に参加し、北部のために戦った。北軍に占領された海岸部では1862年から1863年に北軍の2個連隊が立ち上げられた。 |
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ノースカロライナ州の全部分から立ち上げられた南軍部隊は、南軍で最も有名になった軍隊である[[北バージニア軍]]の主要戦闘の事実上全てに参加した。ノースカロライナ州内で戦われた最大の戦闘は1865年春の[[ベントンビルの戦い]]であり、南軍の[[ジョセフ・ジョンストン]]将軍が、北軍[[ウィリアム・シャーマン]]将軍軍隊の両カロライナを通る侵攻を遅らせようとして失敗した<ref name="autogenerated1" />。1865年4月、ジョンストンはモリスビルの戦いに敗れた後、ベネットプレース、現在の[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]]でシャーマンに降伏した。これは降伏した南軍の軍隊として最後の大部隊だった。ノースカロライナ州の港湾都市ウィルミントンは北軍の手に落ちた最後の港湾となった。1865年2月、川下の主要防衛拠点で起きた[[第二次フィッシャー砦の戦い]]で北軍が勝利した後にウィルミントンが陥落した。 |
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[[ファイル:2008-08-16 Bennett Place historic site.jpg|thumb|right|ダーラムにある歴史的なベネットプレース]] |
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南北戦争で最初に戦死した南軍兵は、1861年6月に起きた[[ビッグベセルの戦い]]でのノースカロライナ州出身の兵卒ヘンリー・ワイアットだった。1863年7月の[[ゲティスバーグの戦い]]では、ノースカロライナ第26連隊が[[ピケットの突撃]]に参加し、他の連隊よりも北軍の前線深く進出した。[[チカマウガの戦い]]では、ノースカロライナ第58連隊がスノッドグラスヒルで他の連隊よりも前に進軍し、北軍の残っていた部隊を戦場から追い出した。1865年4月、バージニアの[[アポマトックス・コートハウス]]では、騎兵隊であるノースカロライナ第75連隊が、この戦争で北軍に対する最後の銃弾を放った。戦後、ノースカロライナ州は「最初のベセル、最深部のゲティスバーグ、チカマウガ、最後のアポマトックス」と言って誇ることになった。 |
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== 地理 == |
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:''関連項目:[[w:Geography of North Carolina|Geography of the North Carolina]]、[[アメリカ東海岸]]、[[ノースカロライナ州の郡一覧]]'' |
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[[ファイル:North carolina topographic.jpg|thumb|right|ノースカロライナ州の地勢図]] |
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[[ファイル:cullasaja.jpg|thumb|upright|left|[[メイコン郡 (ノースカロライナ州)|メイコン郡]]にあるカラサジャ滝]] |
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ノースカロライナ州は、南部で[[サウスカロライナ州]]、南西部で[[ジョージア州]]、西部で[[テネシー州]]、北部で[[バージニア州]]、東部で[[大西洋]]と接している。[[アメリカ合衆国統計局]]は、ノースカロライナ州を[[アメリカ合衆国南部|南部]]の州に分類しているほか、さらに下位区分として[[w:South Atlantic States|大西洋岸南部の州]]の1つに区分している。 |
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ノースカロライナ州は、大きく3つの地理的区域に分けられる。1つは、[[w:Coastal plain|沿岸の平野部]]で州の東部を中心に45%を占めている。次に、中央部などの35%で構成される[[ピードモント台地|ピードモント]]地域があり、さらには西部などの20%を占める[[アパラチア山脈]]とその麓丘陵部の一帯がある。最東部は大西洋と沿岸内水路を分ける砂の細長い島の連なりである[[アウターバンクス]]になっている。沿岸内水路は北部のアルベマール・サウンドと南部の[[パムリコ湾|パムリコ・サウンド]]がある。国内でも最大級の陸に封じられたサウンドである。ここにある[[ハッテラス岬]]沖で多くの船が失われてきたので、「[[大西洋の墓場]]」とも呼ばれている。1526年に記録が取られ始めて以来、1,000隻以上の船がこの海域に沈んだ。その中でも有名なのが、1718年にボーフォート入り江で座礁した''[[アン女王の復讐号]]''([[黒髭]]の旗艦)である<ref>{{cite web|title=Blackbeard’s Queen Anne’s Revenge Coming Back to Beaufort|publisher=Beach Carolina Magazine|date=March 30, 2011|url=http://beachcarolina.com/2011/03/30/blackbeards-queen-annes-revenge-coming-back-to-beaufort/|accessdate=2013-04-15}}</ref>。 |
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アウター・バンクの内側はかなり平坦な海岸平野であり、タバコ、大豆、メロン、綿花などを育てるために理想的な肥沃な土壌である。州内でも田園部が残る地域であり、大都市は少なく、農業が重要な産業である。 |
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海岸平野は「[[滝線]]」でピードモント台地に遷る。この滝線は、川を遡ったときに最初に出遭う滝の位置を繋いだものである。州中央部にあるピードモント台地は都市化が進み、人口が多い。なだらかにうねる田園の間に丘陵や低い山がある。この地域には、ソーラタウン山地、パイロット山、ユーフワリー山地、クラウダーズ山、キングスピナクル、ブラッシー山地、サウス山地など、小さく、孤立し、深く侵食された山地や峰がある。標高は東部で300ないし400フィート (90-120 m)、西部では1,000フィート (300 m) 以上となる。この地域の急速な人口成長を受けて、田園部のかなりの部分が郊外化し、ショッピングセンター、住宅、事務所が造られている。農業はその重要性を次第に落としてきた。ヤドキン川やカトーバ川など地域の主要河川は流れが速く、浅く、狭い傾向にある。 |
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[[国立公園局]]([[w:National Park Service|National Park Service]])の管理下にある地域は: |
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[[ファイル:Blue Ridge NC.jpg|400px|thumb|right|ブルーリッジ山脈はアメリカ合衆国南東部に位置する最も景色がいい地域の1つである。]] |
[[ファイル:Blue Ridge NC.jpg|400px|thumb|right|ブルーリッジ山脈はアメリカ合衆国南東部に位置する最も景色がいい地域の1つである。]] |
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[[ファイル:Snow in old fort.JPG|thumb|right|2009年吹雪で生じたオールドフォートの積雪]] |
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この州の西側は、[[メキシコ湾]]から[[セントローレンス川]]の河口まで達している巨大な[[アパラチア山脈]]の支脈を形成するグレート・スモーキー山脈、[[ブルーリッジ山脈]]、グレート・バルサム山脈、ブラック山脈が並ぶ。ブラック山脈はミシシッピ川以東のアメリカ合衆国東部でも標高が最も高く、標高6,684フィート (2,037 m) のミッチェル山がある<ref name="usgs">{{cite web |date=April 29, 2005 |
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|url=http://erg.usgs.gov/isb/pubs/booklets/elvadist/elvadist.html#Highest |title=Elevations and Distances in the United States |publisher=U.S Geological Survey |accessdate=2006-11-06}}</ref>。農業は重要性を維持しているが、山岳地では観光業が支配的な産業となった。[[クリスマスツリー]]が主要産品である。標高が高いために、州内の他部分と比べて気候がかなり異なっている。西部の冬は積雪が多く、気温が氷点下になるのは、南部州よりも中西部の州に似ている。 |
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東部[[大西洋]]岸で南北の幅は約100マイル(約160キロメートル)ある。東西の一番長い幅は500マイル(800キロメートル)である。陸地面積は48,711平方マイル(126,161平方キロメートル)である。 |
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*[[アパラチアン・トレイル]]([[w:Appalachian Trail|Appalachian National Scenic Trail]]) |
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*[[w:Blue Ridge Parkway|Blue Ridge Parkway]] |
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*[[w:Cape Hatteras National Seashore|Cape Hatteras National Seashore]] |
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*[[w:Cape Lookout National Seashore|Cape Lookout National Seashore]] |
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*[[w:Carl Sandburg Home National Historic Site|Carl Sandburg Home National Historic Site]]([[フラットロック (ノースカロライナ州)|フラットロック]]) |
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*[[w:Fort Raleigh National Historic Site|Fort Raleigh National Historic Site]]([[w:Manteo, North Carolina|Manteo]]) |
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*[[グレート・スモーキー山脈国立公園]]([[w:Great Smoky Mountains National Park|Great Smoky Mountains National Park]]) |
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*[[w:Guilford Courthouse National Military Park|Guilford Courthouse National Military Park]]([[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]) |
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*[[w:Moores Creek National Battlefield|Moores Creek National Battlefield]](Currie 近郊) |
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*[[w:Overmountain Victory National Historic Trail|Overmountain Victory National Historic Trail]] |
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*[[涙の道]]([[w:Trail of Tears|Trail of Tears National Historic Trail]]) |
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*[[w:Wright Brothers National Memorial|Wright Brothers National Memorial]]([[w:Kill Devil Hills, North Carolina|Kill Devil Hills]]) |
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州内には17の主要河川流域がある。ブルーリッジ山脈より西の河川は、[[オハイオ川]]からミシシッピ川を介してメキシコ湾に流れている。他の河川は大西洋に流れ込んでいる。11の河川は州内に水源があるが、州域の中のみを流れる河川はケイプフェア、ニューズ、ホワイトオーク、ターパムリコの4河川のみである。 |
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==人口動勢== |
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:''関連項目:[[w:Demographics of the United States|Demographics of the United States]]'' |
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{{歴史的人口 |
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|[[w:United States Census, 1790|1790年]]|393751 |
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|[[w:United States Census, 1800|1800年]]|478103 |
|||
|[[w:United States Census, 1810|1810年]]|556526 |
|||
|[[w:United States Census, 1820|1820年]]|638829 |
|||
|[[w:United States Census, 1830|1830年]]|737987 |
|||
|[[w:United States Census, 1840|1840年]]|753419 |
|||
|[[w:United States Census, 1850|1850年]]|869039 |
|||
|[[w:United States Census, 1860|1860年]]|992622 |
|||
|[[w:United States Census, 1870|1870年]]|1071361 |
|||
|[[w:United States Census, 1880|1880年]]|1399750 |
|||
|[[w:United States Census, 1890|1890年]]|1617949 |
|||
|[[w:United States Census, 1900|1900年]]|1893810 |
|||
|[[w:United States Census, 1910|1910年]]|2206287 |
|||
|[[w:United States Census, 1920|1920年]]|2559123 |
|||
|[[w:United States Census, 1930|1930年]]|3170276 |
|||
|[[w:United States Census, 1940|1940年]]|3571623 |
|||
|[[w:United States Census, 1950|1950年]]|4061929 |
|||
|[[w:United States Census, 1960|1960年]]|4556155 |
|||
|[[w:United States Census, 1970|1970年]]|5082059 |
|||
|[[w:United States Census, 1980|1980年]]|5881766 |
|||
|[[w:United States Census, 1990|1990年]]|6628637 |
|||
|[[w:United States Census, 2000|2000年]]|8049313 |
|||
|[[w:United States Census, 2010|2010年]]|9535483 |
|||
}} |
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[[アメリカ合衆国統計局]]によると、2006年現在、ノースカロライナ州は前年より184,046人、または2.1%増加し、2000年より810,014人、または10.0%増加した、人口8,856,505人と概算された。これはアメリカ合衆国全体の成長率を超えるものである。これは293,761人(出生749,959人、死亡456,198人)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者527,991人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は180,986人増加することとなり、合衆国内部の移住者は347,005人増加することになる。2005年及び2006年の間、ノースカロライナ州は[[ニュージャージー州]]を超えて10番目に人口の多い州となった[http://www.census.gov/Press-Release/www/2006/statepopest_table1.xls]。 |
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[[アメリカ合衆国国立公園局]]の管理下にある地域は、次の通りである。: |
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ノースカロライナ州は歴史的に多くの住民が農場及び小さな町に暮らしている、田園州である。 |
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* [[アパラチアン・トレイル]] |
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* [[w:Blue Ridge Parkway|ブルーリッジ・パークウェイ]] |
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* [[w:Cape Hatteras National Seashore|ハッテラス岬国立海岸]] |
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* [[w:Cape Lookout National Seashore|ルックアウト岬国立海岸]] |
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* [[w:Carl Sandburg Home National Historic Site|カール・サンドバーグ家屋国立歴史史跡]]([[フラットロック (ノースカロライナ州)|フラットロック]]) |
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* [[w:Fort Raleigh National Historic Site|ローリー砦国立歴史史跡]]([[マニオー (ノースカロライナ州)|マニオー]]) |
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* [[グレート・スモーキー山脈国立公園]] |
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* [[w:Guilford Courthouse National Military Park|ギルフォード郡庁舎国立軍事公園]]([[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]) |
|||
* [[w:Moores Creek National Battlefield|ムーアズ・クリーク国立戦場跡]](カリー近郊) |
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* [[w:Overmountain Victory National Historic Trail|オーバーマウンテン・ビクトリー国立歴史道]] |
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* [[涙の道]]国立歴史道 |
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* [[w:Wright Brothers National Memorial|ライト兄弟国立記念碑]]([[w:Kill Devil Hills, North Carolina|キルデビルヒルズ]]) |
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=== 気候 === |
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ノースカロライナ州の[[人口重心]]は[[w:Seagrove, North Carolina|Seagrove]]がある、[[ランドルフ郡 (ノースカロライナ州)|ランドルフ郡]]となっている[http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt]。 |
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:''関連項目:[[w:Climate of North Carolina|Climate of North Carolina]] |
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[[ファイル:Bodie island lighthouse.jpg|thumb|ボディ島灯台、[[アウター・バンク]]の観光地]] |
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[[ファイル:Enodeer.jpg|thumb|イーノ川沿いの鹿、ピードモント台地]] |
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[[ファイル:Walking bridge over the Oconaluftee River, Cherokee, NC IMG 5147.JPG|thumb|チェロキー市のオコナルフティ川に架かる歩道橋]] |
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海岸平原の気候は大西洋に影響され、冬は温暖であり、夏も適度の暖かさである。夏の日中平均最高気温は89{{°F}} (32 ℃) 未満である。冬の日中平均最高気温は40{{°F}} (4 ℃) より低くなることは希であり、通常は50{{°F}}台半ば (11–14 °C) である。夜間に氷点下になることも少ない。年間平均積雪量は1インチ (2.5 cm) ほどであり、雪が全く降らない年が続くこともある。 |
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ピードモント台地では大西洋の影響が減り、海岸部より暑い夏と寒い冬が特徴である。夏季の日中平均最高気温は90{{°F}} (32 ℃) 以上になることも多い。100{{°F}} (38 ℃) 以上になるのは希だが、台地の標高が低い地域ではあり得る。大西洋の影響が少ないために、海岸に比べて気温の変化も大きい。冬季は海岸部より寒く、日中平均最高気温は40{{°F}}台後半 (3 ℃) から50{{°F}}台前半 (8 ℃) であり、夜間に氷点下になることも多い。年間平均積雪量はシャーロット地域で3ないし5インチ (8–13 cm)、アシュビル地域12インチ (30 cm) ほどである。[[霙]]や[[雨氷]]が降ることも多い。雨氷は交通を混乱させ、木を倒し、停電させることがある。年間降水量や湿度は海岸部や山岳部より低いが、最低でも年間40インチ (1,020 mm) の雨が降る。 |
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アパラチア山脈は州内で最も寒い地域である。冬季の日中平均最高気温は40{{°F}}台前半 (6 ℃) から30{{°F}}台後半 (3 ℃) であり、夜間は20{{°F}} (-5 ℃) 以下まで下がる。夏は涼しく80{{°F}} (27 ℃) を超えることは希である。年間平均積雪量は30インチ (76 cm) を超え、標高が高い所ではさらに深くなる。例えば1993年吹雪では、ミッチェル山に3日間で60インチ (152 cm) 以上の積雪があった。ミッチェル山では年間を通じて降雪がある。 |
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異常気象も起こることが多い。[[ハリケーン]]は平均して10年間に1つ襲ってくる。これまでノースカロライナ州を襲ったハリケーンとしては、ハリケーン・フラン、[[ハリケーン・フロイド]]、ハリケーン・ヘイゼルがあり、最強のものは1954年の[[サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール|カテゴリー4]]だった。21世紀では[[ハリケーン・イザベル]]が最も強かった<ref>John Hairr, ''The Great Hurricanes of North Carolina'' (2008) pp 139–150</ref>。熱帯低気圧は3年ないし4年に1つ襲来する。さらに州を掠めてとおるハリケーンや熱帯低気圧も多い。また内陸部が襲われることもある。1989年のハリケーン・ヒューゴはシャーロットで大きな被害を与え、州北西部のブルーリッジ山脈にも影響した。雷雨があるのは年平均50日であり、[[雹]]、[[鉄砲水]]、暴風を伴うことがある。 |
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[[竜巻]]の年間平均発生数は20個未満である。海岸平原でハリケーンや熱帯低気圧によって生み出されるものが多い。雷雨のときの竜巻は特に州東部で危険である。ピードモント台地は西の山岳部で暴風から守られることが多い。州西部では「冷気滞留」という気象も起こることがある。これは嵐を弱める効果もあるが、低温被害が起こりうる<ref>{{cite web|title=NOAA National Climatic Data Center|url=http://www.ncdc.noaa.gov/img/climate/research/tornado/small/avgt5304.gif|accessdate=2006-10-24}}</ref>。 |
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2011年4月、アメリカ合衆国南部で竜巻が大発生し、ノースカロライナ州でも史上希に見るものになった。主に東部で25個の竜巻が発生し、少なくとも24人の死者が出た。州都ローリーの被害総額だけでも1億1,500万米ドル以上となった<ref name="115MillionDamage">{{cite web | url=http://www.newsobserver.com/2011/04/21/1146069/nc-residents-band-together-after.html#storylink=misearch | title=NC residents band together after killer storms | publisher=News & Observer | date=April 21, 2011 | accessdate=April 22, 2011}}{{dead link|date=July 2011}}</ref><ref name="25Tornadoes">{{cite web | url=http://www.newsobserver.com/2011/04/19/1140740/tornado-outbreak-is-ncs-most-active.html#storylink=misearch | title=Tornado outbreak is NC's most active on record | publisher=News & Observer | date=April 22, 2011 | accessdate=April 22, 2011}}{{dead link|date=July 2011}}</ref>。 |
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<center> |
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{| class="wikitable" "text-align:center;font-size:90%;"| |
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| colspan="13" style="text-align:center;font-size:120%;background:#E8EAFA;"|州内各都市の月別平均最高最低気温{{°F}} |
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! style="background:#e5afaa; color:#000; height:17px;"| 都市 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 1月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 2月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 3月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 4月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 5月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 6月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 7月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 8月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 9月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 10月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 11月 |
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! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 12月 |
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|- |
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! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| アシュビル<ref name = "NOAA Asheville/Charlotte"> |
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{{cite web |
|||
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=gsp |
|||
|title = NowData - NOAA Online Weather Data |
|||
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration |
|||
|accessdate = 2011-12-16}}</ref> |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 47/27 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 51/30 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 59/35 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68/43 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 75/51 |
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|- |
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! style="background:#c5dfe1; color:#000; height:16px;"| ブーン<ref name= "NOAA Boone">{{cite web |
|||
| url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=rnk |
|||
| title = NOWData - NOAA Online Weather Data |
|||
| accessdate = December 4, 2012 |
|||
| publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration }}</ref> |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 42/21 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 45/23 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 52/29 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 69/46 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 76/54 |
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|- |
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! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| ハッテラス岬<ref name = "NOAA Cape Hatteras"> |
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{{cite web |
|||
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=mhx |
|||
|title = NOWData - NOAA Online Weather Data |
|||
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration |
|||
|accessdate = 2012-04-14}}</ref> |
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! style="background:#c5dfe1; color:#000; height:16px;"| シャーロット<ref name = "NOAA Asheville/Charlotte"/> |
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|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| ファイエットビル<ref name = "NOAA Raleigh"/> |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 53/31 |
|||
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|||
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|||
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|||
|- |
|||
! style="background:#c5dfe1; color:#000; height:16px;"| グリーンズボロ<ref name = "NOAA Raleigh"> |
|||
{{cite web |
|||
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=rah |
|||
|title = NowData - NOAA Online Weather Data |
|||
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration |
|||
|accessdate = 2012-02-08}}</ref> |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 48/30 |
|||
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 78/56 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 85/65 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 88/69 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 86/68 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 80/61 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 70/49 |
|||
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|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| ローリー<ref name = "NOAA Raleigh"/> |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 51/31 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 63/40 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 72/48 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 80/57 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 87/66 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 90/70 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 88/69 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 82/62 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 73/50 |
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| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 64/41 |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 54/33 |
|||
|- |
|||
! style="background:#c5dfe1; color:#000; height:16px;"| ウィルミントン<ref name = "NOAA Wilmington">{{cite web |
|||
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=ilm |
|||
|title = NowData - NOAA Online Weather Data |
|||
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration |
|||
|accessdate = 2012-02-26}}</ref> |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 56/36 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 60/38 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 66/44 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 74/52 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 81/60 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 87/69 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 90/73 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 88/71 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 84/66 |
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| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 76/55 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 68/45 |
|||
| style="text-align:center; background:#c5dfe1; color:#000;"| 59/38 |
|||
|- |
|||
|} |
|||
</center> |
|||
== 人口動勢 == |
|||
:''関連項目:[[w:Demographics of North Carolina|Demographics of North Carolina]]'' |
|||
{{USCensusPop |
|||
|1790 = 393751 |
|||
|1800 = 478103 |
|||
|1810 = 556526 |
|||
|1820 = 638829 |
|||
|1830 = 737987 |
|||
|1840 = 753419 |
|||
|1850 = 869039 |
|||
|1860 = 992622 |
|||
|1870 = 1071361 |
|||
|1880 = 1399750 |
|||
|1890 = 1617949 |
|||
|1900 = 1893810 |
|||
|1910 = 2206287 |
|||
|1920 = 2559123 |
|||
|1930 = 3170276 |
|||
|1940 = 3571623 |
|||
|1950 = 4061929 |
|||
|1960 = 4556155 |
|||
|1970 = 5082059 |
|||
|1980 = 5881766 |
|||
|1990 = 6628637 |
|||
|2000 = 8049313 |
|||
|2010 = 9535483 |
|||
|estimate= 9752073 |
|||
|estyear= 2012 |
|||
|footnote=Source: 1910–2010<ref>{{cite web|author=Resident Population Data |url=http://2010.census.gov/2010census/data/apportionment-pop-text.php |title=Resident Population Data – 2010 Census |publisher=2010.census.gov |accessdate=December 22, 2012}}</ref> |
|||
}} |
|||
[[ファイル:Map of North Carolina NA.png|thumb|left|ノースカロライナ州の都市と道路図]] |
|||
[[アメリカ合衆国国勢調査局]]による2012年7月1日時点のノースカロライナ州の推計人口は9,752,073人となっており、2010年国勢調査から2.3%成長していた<ref name=PopEstUS>{{cite web|url=http://www.census.gov/popest/data/state/totals/2012/tables/NST-EST2012-01.csv|title=Annual Estimates of the Population for the United States, Regions, States, and Puerto Rico: April 1, 2010 to July 1, 2012|format=CSV|work=2012 Population Estimates|publisher=United States Census Bureau, Population Division|date=December 2012|accessdate=December 22, 2012}}</ref>。この中で58.5% は州内の生まれ、33.1% は他州の生まれ、1.0% はプエルトリコなど島嶼部生まれ、あるいは海外でアメリカ人両親のもとに生まれた者であり、外国生まれは 7.4% だった<ref>[http://factfinder2.census.gov/faces/tableservices/jsf/pages/productview.xhtml?src=bkmk American FactFinder – Results]</ref>。2005年から2006年にかけて、ノースカロライナ州は[[ニュージャージー州]]を超えて10番目に人口の多い州となった<ref>[http://www.census.gov/Press-Release/www/2006/statepopest_table1.xls]</ref>。 |
|||
ノースカロライナ州は歴史的に多くの住民が農場及び小さな町に暮らしている田園州である。ノースカロライナ州の[[人口重心]]はシーグローブの町がある、[[ランドルフ郡 (ノースカロライナ州)|ランドルフ郡]]となっている<ref>[http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt]</ref>。ノースカロライナ州の人口の6.7%は5歳以下、24.4%が18歳以下と報告され12.0%が65歳以上である。女性は人口のおおよそ51%である。2011年時点で、1才未満の人口の49.8%は少数民族である<ref>{{cite news|url=http://www.cleveland.com/datacentral/index.ssf/2012/06/americas_under_age_1_populatio.html|title=Americans under age 1 now mostly minorities, but not in Ohio: Statistical Snapshot|last=Exner|first=Rich|date=June 3, 2012|work=The Plain Dealer}}</ref>。 |
|||
ノースカロライナ州の人口の6.7%は5歳以下、24.4%が18歳以下と報告され12.0%が65歳以上である。女性は人口のおおよそ51%である。 |
|||
=== 人種的構成及び祖先 === |
|||
2010年国勢調査に拠れば、ノースカロライナ州の人種による人口構成は次のようになっている<ref>{{cite web|title=2010 Census|url=http://www2.census.gov/geo/maps/dc10_thematic/2010_Profile/2010_Profile_Map_North_Carolina.pdf|publisher=US Census|accessdate=August 21, 2011}}</ref>。 |
|||
*70.2% ヒスパニック以外の白人 |
|||
* 68.5% 白人(ヒスパニック以外の白人は65.3%) |
|||
*21.6% 黒人 |
|||
* 21.5% 黒人 |
|||
*4.7% [[ヒスパニック]] |
|||
* 8.4% [[ヒスパニック]](人種を問わない) |
|||
*1.4% [[w:Asian American|アジア人]] |
|||
* 2.2% [[アジア系アメリカ人|アジア人]] |
|||
*1.2% [[インディアン]] |
|||
*1.5% |
* 1.5% [[インディアン]] |
||
* 0.1% 太平洋諸島系 |
|||
* 4.3% その他の人種 |
|||
* 2.2% 混血 |
|||
2000年に州内で申告された祖先による構成比は:[[アフリカ系アメリカ人|アフリカ系]] (21.6%)、アメリカ人 (13.9%)、[[イギリス系アメリカ人|イギリス系]] (9.5%)、[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]] (9.5%)、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド系]] (7.4%)だった。 |
|||
===宗教=== |
=== 宗教 === |
||
ノースカロライナ州は、他の南部州と同じく、最大 |
ノースカロライナ州は、他の南部州と同じく、最大のプロテスタント宗派がバプテストであり、圧倒的にプロテスタントである。ノースカロライナ州の住民の現在の宗教宗派別構成は次の通りである。 |
||
*[[キリスト教]] – 88% |
* [[キリスト教]] – 88% |
||
**[[プロテスタント]] – 77% |
** [[プロテスタント]] – 77% |
||
***[[バプテスト教会|バプテスト]] – 40% |
*** [[バプテスト教会|バプテスト]] – 40% |
||
***[[メソジスト]] – 10% |
*** [[メソジスト]] – 10% |
||
***[[長老派教会]] – 3% |
*** [[長老派教会]] – 3% |
||
***他のプロテスタントまたは一般的なプロテスタント – 24% |
***他のプロテスタントまたは一般的なプロテスタント – 24% |
||
**[[カトリック教会|ローマ・カトリック]] – 10% |
** [[カトリック教会|ローマ・カトリック]] – 10% |
||
**他のキリスト教 – 1% ([[正教会]]など) |
**他のキリスト教 – 1% ([[正教会]]など) |
||
*他の宗教 – 1% ([[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]、など) |
*他の宗教 – 1% ([[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]、など) |
||
*無宗教 – 11% ([[無神論]]、[[不可知論]]、など) |
*無宗教 – 11% ([[無神論]]、[[不可知論]]、など) |
||
==インディアン部族== |
== インディアン部族 == |
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[[ |
[[ファイル:DeSoto Map HRoe 2008.jpg|thumb|250px|left|1539年から翌年にかけて、スペイン人[[エルナンド・デ・ソト]]は軍勢を率いてこの地に遠征し、多数のインディアン集落を襲った]] |
||
[[ |
[[ファイル:Americanindiansmapcensusbureau.gif|250px|right|thumb|ノースカロライナ州の州と連邦のインディアン保留地(右中)]] |
||
[[ファイル:Eastern Band Cherokee Flag.svg|thumb|250px|right|「チェロキー族東部バンド」の部族国旗]] |
|||
[[ファイル:Map of North Carolina highlighting Swain County.svg|thumb|250px|right|「チェロキー族東部バンド」の保留地は、スワン郡(赤い部分)と南隣のジャクソン群を挟んでいる]] |
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[[ファイル:Fort Neoheroka Historical Marker.jpg|thumb|200px|right|同州スノーヒルの「ヌーヘルーカ砦の記念碑」。「タスカローラ戦争」では、1000人近いタスカローラ族が白人に殺戮された。]] |
|||
ベア川のインディアン、ケープ・フェアインディアン、[[カタウバ族]]、[[チェロー族]]、[[チェロキー族]]、[[チョワノク族]]、[[コリー族]]、[[エノ族]]、[[ハッテラス族]]、[[ケヤウィー族]]、[[マチャプンガ族]]、[[メヘリン族]]、[[モラトク族]]、[[ナチェズ|ナッチェス族]]、[[ニューシオク族]]、[[オッカネーチ族]]、[[パムリコ族]]、[[サポニ族]]、[[シャコリ族]]、[[シッシパハウ族]]、[[サギリー族]]、[[タスカローラ族]]、[[ツテロ族]]、[[ワッカマウ族]]、[[ワテリー族]]、[[ウェアペメオク族]]、[[ウォッコン族]]、[[ヤドキン族]]などの農耕民族がこの州に先住した。タスカローラ族の大部分は「タスカローラ戦争」で虐殺され、18世紀ごろに白人を嫌って北上し、[[イロコイ連邦]]に合流した。 |
ベア川のインディアン、ケープ・フェアインディアン、[[カタウバ族]]、[[チェロー族]]、[[チェロキー族]]、[[チョワノク族]]、[[コリー族]]、[[エノ族]]、[[ハッテラス族]]、[[ケヤウィー族]]、[[マチャプンガ族]]、[[メヘリン族]]、[[モラトク族]]、[[ナチェズ|ナッチェス族]]、[[ニューシオク族]]、[[オッカネーチ族]]、[[パムリコ族]]、[[サポニ族]]、[[シャコリ族]]、[[シッシパハウ族]]、[[サギリー族]]、[[タスカローラ族]]、[[ツテロ族]]、[[ワッカマウ族]]、[[ワテリー族]]、[[ウェアペメオク族]]、[[ウォッコン族]]、[[ヤドキン族]]などの農耕民族がこの州に先住した。タスカローラ族の大部分は「タスカローラ戦争」で虐殺され、18世紀ごろに白人を嫌って北上し、[[イロコイ連邦]]に合流した。 |
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多数の[[インディアン]]部族が先住しているにもかかわらず、アメリカ連邦政府が公式認定し、[[インディアン居留地|保留地]](Reservation)を領有している部族はひとつだけである。ほとんどの部族は19世紀末からの「絶滅部族」指定によって公式認定を取り消されて保留地を没収され、インディアン部族として存在しないことになっている。 |
多数の[[インディアン]]部族が先住しているにもかかわらず、アメリカ連邦政府が公式認定し、[[インディアン居留地|保留地]](Reservation)を領有している部族はひとつだけである。ほとんどの部族は19世紀末からの「絶滅部族」指定によって公式認定を取り消されて保留地を没収され、インディアン部族として存在しないことになっている。現在、総計4つの部族が州政府から公認を受けている。 |
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2009年10月22日、ノースカロライナ州のインディアン部族「ラムビー族」に対し、アメリカ連邦政府の上院インディアン事務委員会は連邦公認のための手続きに入った。公認申請書は既に下院を通過し、オバマ大統領もラムビー族に対する援助を誓約した模様である。ラムビー族は100年以上にわたり、連邦公認を要求し続けてきており、ついに悲願が叶うこととなった。一方で、今回の手続きには「インディアン・カジノ」の開設権は認められておらず、他州の既に連邦公認されたインディアン部族の間で、その影響が懸念されている。 |
2009年10月22日、ノースカロライナ州のインディアン部族「ラムビー族」に対し、アメリカ連邦政府の上院インディアン事務委員会は連邦公認のための手続きに入った。公認申請書は既に下院を通過し、オバマ大統領もラムビー族に対する援助を誓約した模様である。ラムビー族は100年以上にわたり、連邦公認を要求し続けてきており、ついに悲願が叶うこととなった。一方で、今回の手続きには「インディアン・カジノ」の開設権は認められておらず、他州の既に連邦公認されたインディアン部族の間で、その影響が懸念されている。 |
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153行目: | 401行目: | ||
同州キンストンに本拠を置く、プロ野球のマイナーリーグ・チーム、「[[w:Kinston Indians|キンストン・インディアンス]]」は、同州のインディアンに関連性の無い[[ステレオタイプ]]な平原インディアンの姿をし、赤い肌をし、歯を剥きだして笑う「トム・E・ホーク」という名の「インディアン・マスコット」をチーム意匠に用いており、全米のインディアン団体から「インディアンをおもちゃ扱いした人種差別である」との抗議を浴び続けている。現在、試合の応援に繰り出すマスコットキャラクターは廃止(犬のキャラクターに変更)されたが、チームマークとしての使用は強い抗議運動の中、なおも続けられている。 |
同州キンストンに本拠を置く、プロ野球のマイナーリーグ・チーム、「[[w:Kinston Indians|キンストン・インディアンス]]」は、同州のインディアンに関連性の無い[[ステレオタイプ]]な平原インディアンの姿をし、赤い肌をし、歯を剥きだして笑う「トム・E・ホーク」という名の「インディアン・マスコット」をチーム意匠に用いており、全米のインディアン団体から「インディアンをおもちゃ扱いした人種差別である」との抗議を浴び続けている。現在、試合の応援に繰り出すマスコットキャラクターは廃止(犬のキャラクターに変更)されたが、チームマークとしての使用は強い抗議運動の中、なおも続けられている。 |
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{| width="800px" |
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[[image:Eastern Band Cherokee Flag.svg|thumb|250px|right|「チェロキー族東部バンド」の部族国旗]] |
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|- valign=top |
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[[image:Map of North Carolina highlighting Swain County.svg|thumb|250px|right|「チェロキー族東部バンド」の保留地は、スワン郡(赤い部分)と南隣のジャクソン群を挟んでいる]] |
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|width="35%"| |
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<small> |
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≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫ |
≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫ |
||
*「[[チェロキー族]]東部バンド」 |
*「[[チェロキー族]]東部バンド」 |
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163行目: | 412行目: | ||
*「[[メヘリン族]]」 |
*「[[メヘリン族]]」 |
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*「[[サポニ族]]」 |
*「[[サポニ族]]」 |
||
**「ハリワ・サポニ族」 |
|||
**「オッカネーチ・バンド」 |
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*「[[ワッカマウ・スー族]]」 ※「[[スー族]]」とは関係ない |
*「[[ワッカマウ・スー族]]」 ※「[[スー族]]」とは関係ない |
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*「[[ラムビー族]]」 |
*「[[ラムビー族]]」 |
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*「コハリエ部族相互会議」(団体) |
*「コハリエ部族相互会議」(団体) |
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*「カンバーランド郡インディアン協会」(団体) |
*「カンバーランド郡インディアン協会」(団体) |
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≪アメリカ連邦政府も州政府も公式認定していない部族・団体≫ |
≪アメリカ連邦政府も州政府も公式認定していない部族・団体≫ |
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[[image:Fort Neoheroka Historical Marker.jpg|thumb|200px|right|同州スノーヒルの「ヌーヘルーカ砦の記念碑」。「タスカローラ戦争」では、1000人近いタスカローラ族が白人に殺戮された。]] |
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*「[[パーソン族]]」 |
*「[[パーソン族]]」 |
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*「[[ハッタデア族]]」 |
*「[[ハッタデア族]]」 |
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*「ハッテラス・タスカローラ族」 |
*「ハッテラス・タスカローラ族」 |
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*「[[チェロキー族]]」 |
*「[[チェロキー族]]」 |
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**「南東チェロキー連邦」 |
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**「南東チェロキー連邦・銀の雲の氏族」 |
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**「自由チェロキー族」 |
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**「ホケ・チェロキー族」 |
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**「ローベソン&アジョイニング・バンド」 |
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**「チェロキー・[[ポウハタン]]・インディアン協会」 |
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**「リッジ・バンド」 |
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**「ツァラギ初期移民バンド」 |
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**「[[クリーク族|クリーク]]・チェロキー族・松の木の氏族」 |
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*「[[チコラ・スー族]]」 ※[[スー族]]とは関係ない |
*「[[チコラ・スー族]]」 ※[[スー族]]とは関係ない |
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*「[[エノ族|エノ]]・[[オッカネーチ族]]」 |
*「[[エノ族|エノ]]・[[オッカネーチ族]]」 |
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*「[[サンテー族]]」 ※「サンテ・[[スー族]]」とは関係ない |
*「[[サンテー族]]」 ※「サンテ・[[スー族]]」とは関係ない |
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*「サマーヴィル・インディアン集団」 |
*「サマーヴィル・インディアン集団」 |
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===インディアンと「ラムビー法」=== |
=== インディアンと「ラムビー法」 === |
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19世紀後半に黒人奴隷を解放したノースカロライナ州では、同州のインディアンたちを「解放奴隷黒人枠」に入れるかどうかが懸案となった。扱いの違いで「黒人用」と「色つき用」の二種ある学校への、彼らの子供の通学先が変わるなどするからである(全米で、インディアンの部族学校は20世紀後半まで存在しなかった)。 |
19世紀後半に黒人奴隷を解放したノースカロライナ州では、同州のインディアンたちを「解放奴隷黒人枠」に入れるかどうかが懸案となった。扱いの違いで「黒人用」と「色つき用」の二種ある学校への、彼らの子供の通学先が変わるなどするからである(全米で、インディアンの部族学校は20世紀後半まで存在しなかった)。 |
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1956年6月7日、ロブソン郡、ホーク郡、スコットランド郡、カンバーランド郡の「クロアタン・インディアン」は、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー大統領]]の署名した「ラムビー法」によって、ひとまとめに「ノースカロライナ州のラムビー族インディアン」としての公認を受け、「復活」した。連邦認定部族のような強い権限は保証されていない州公認だったが、それでも「ラムビー族」は「望みはただアメリカ・インディアンと認定されることだ」とその喜びを表明したのである。 |
1956年6月7日、ロブソン郡、ホーク郡、スコットランド郡、カンバーランド郡の「クロアタン・インディアン」は、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー大統領]]の署名した「ラムビー法」によって、ひとまとめに「ノースカロライナ州のラムビー族インディアン」としての公認を受け、「復活」した。連邦認定部族のような強い権限は保証されていない州公認だったが、それでも「ラムビー族」は「望みはただアメリカ・インディアンと認定されることだ」とその喜びを表明したのである。 |
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===インディアンとクー・クラックス・クラン=== |
=== インディアンとクー・クラックス・クラン === |
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[[白人至上主義]][[人種差別]]団体の「[[クー・クラックス・クラン]](KKK団)」は、1950年代から南部で「公民権運動」の恐怖弾圧行動を始めた。KKK団の大首領だった[[w:James W. "Catfish" Cole|ナマズのジェームズ・コール]]は、「ラムビー法」が制定され、「インディアン身分」となったノースカロライナ州のラムビー族を標的と決めた。コールは「ノースカロライナ州のインディアンは、黒人から分かれた混血雑種である」と主張、1957年から、十字架を燃やす常套の脅迫行為を繰り返し、ノースカロライナのインディアン共同体を脅し始めた。 |
[[白人至上主義]][[人種差別]]団体の「[[クー・クラックス・クラン]](KKK団)」は、1950年代から南部で「公民権運動」の恐怖弾圧行動を始めた。KKK団の大首領だった[[w:James W. "Catfish" Cole|ナマズのジェームズ・コール]]は、「ラムビー法」が制定され、「インディアン身分」となったノースカロライナ州のラムビー族を標的と決めた。コールは「ノースカロライナ州のインディアンは、黒人から分かれた混血雑種である」と主張、1957年から、十字架を燃やす常套の脅迫行為を繰り返し、ノースカロライナのインディアン共同体を脅し始めた。 |
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1958年1月18日、武装した500人のラムビー族戦士団がロブソン郡で、彼らの襲撃計画を練っていた50人(計画では5000人集まる予定だった)のKKK団を一斉包囲し、銃撃して追い散らした。これは「[[w:Battle of Hayes Pond|ヘイズ池の戦い]]」と呼ばれている。 KKK団のコール首領は沼に飛び込んで逃げたが逮捕され、暴動を計画した罪で懲役二年の有罪となった。この裁決を受けたインディアンたちはKKK団の団員章を燃やしてその周りで勝利の踊りを舞い、インディアンの鬨の声を上げてこれを祝った。 |
1958年1月18日、武装した500人のラムビー族戦士団がロブソン郡で、彼らの襲撃計画を練っていた50人(計画では5000人集まる予定だった)のKKK団を一斉包囲し、銃撃して追い散らした。これは「[[w:Battle of Hayes Pond|ヘイズ池の戦い]]」と呼ばれている。 KKK団のコール首領は沼に飛び込んで逃げたが逮捕され、暴動を計画した罪で懲役二年の有罪となった。この裁決を受けたインディアンたちはKKK団の団員章を燃やしてその周りで勝利の踊りを舞い、インディアンの鬨の声を上げてこれを祝った。 |
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===インディアン・カジノ=== |
=== インディアン・カジノ === |
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同州で「インディアン・カジノ」を営業するインディアン部族は、連邦公認を受けているチェロキー族東部バンドの2軒のみである。どちらのカジノもグレート・スモーキー山脈国立公園のスモーキー山麓にあり、うち1軒の「ハラーのチェロキーカジノ&ホテル」は、大手賭博業者の「[[w:Harrah's Entertainment|ハラーズ・エンターテインメント]]」に運営委託されており、カジノ敷地は13940㎡あり、周辺に民俗村の「[[w:Oconaluftee Indian Village|オコナルフティー・インディアン村]]」、チェロキー族の美術品を収蔵した「クアラ美術・工芸品館」、「[[w:Unto These Hills|Unto These Hills]]山麓劇場」などを併設する24時間営業の一大娯楽施設である。2009年9月にはこれに併設して、世界的ゴルフ場設計家ロバート・トレント・ジョーンズ二世の設計による「シクウォイア国際ゴルフクラブ」を開業させた。 |
同州で「インディアン・カジノ」を営業するインディアン部族は、連邦公認を受けているチェロキー族東部バンドの2軒のみである。どちらのカジノもグレート・スモーキー山脈国立公園のスモーキー山麓にあり、うち1軒の「ハラーのチェロキーカジノ&ホテル」は、大手賭博業者の「[[w:Harrah's Entertainment|ハラーズ・エンターテインメント]]」に運営委託されており、カジノ敷地は13940㎡あり、周辺に民俗村の「[[w:Oconaluftee Indian Village|オコナルフティー・インディアン村]]」、チェロキー族の美術品を収蔵した「クアラ美術・工芸品館」、「[[w:Unto These Hills|Unto These Hills]]山麓劇場」などを併設する24時間営業の一大娯楽施設である。2009年9月にはこれに併設して、世界的ゴルフ場設計家ロバート・トレント・ジョーンズ二世の設計による「シクウォイア国際ゴルフクラブ」を開業させた。 |
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**「シクウォイア国際ゴルフクラブ」2009年9月に開業。[[シクウォイア]]はチェロキー族の抵抗戦の英雄。 |
**「シクウォイア国際ゴルフクラブ」2009年9月に開業。[[シクウォイア]]はチェロキー族の抵抗戦の英雄。 |
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==主要な都市及び町== |
== 主要な都市及び町 == |
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<div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em;"> |
<div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em;"> |
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*[[アッシュビル (ノースカロライナ州)|アッシュビル]] |
* [[アッシュビル (ノースカロライナ州)|アッシュビル]] |
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*[[バーリントン (ノースカロライナ州)|バーリントン]] |
* [[バーリントン (ノースカロライナ州)|バーリントン]] |
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*[[ケーリー (ノースカロライナ州)|ケーリー]] |
* [[ケーリー (ノースカロライナ州)|ケーリー]] |
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*[[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]] |
* [[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]] |
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*[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]] |
* [[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]] |
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*[[コンコード (ノースカロライナ州)|コンコード]] |
* [[コンコード (ノースカロライナ州)|コンコード]] |
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*[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]] |
* [[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]] |
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*[[フェイエットビル (ノースカロライナ州)|フェイエットビル]] |
* [[フェイエットビル (ノースカロライナ州)|フェイエットビル]] |
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*[[ガストニア (ノースカロライナ州)|ガストニア]] |
* [[ガストニア (ノースカロライナ州)|ガストニア]] |
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</div><div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em;"> |
</div><div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em;"> |
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*[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]] |
* [[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]] |
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*[[グリーンビル (ノースカロライナ州)|グリーンビル]] |
* [[グリーンビル (ノースカロライナ州)|グリーンビル]] |
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*[[ヒッコリー (ノースカロライナ州)|ヒッコリー]] |
* [[ヒッコリー (ノースカロライナ州)|ヒッコリー]] |
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*[[ハイポイント (ノースカロライナ州)|ハイポイント]] |
* [[ハイポイント (ノースカロライナ州)|ハイポイント]] |
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*[[ジャクソンビル (ノースカロライナ州)|ジャクソンビル]] |
* [[ジャクソンビル (ノースカロライナ州)|ジャクソンビル]] |
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*[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]](州都) |
* [[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]](州都) |
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*[[ロッキーマウント (ノースカロライナ州)|ロッキーマウント]] |
* [[ロッキーマウント (ノースカロライナ州)|ロッキーマウント]] |
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*[[ウィルミントン (ノースカロライナ州)|ウィルミントン]] |
* [[ウィルミントン (ノースカロライナ州)|ウィルミントン]] |
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*[[ウィンストン・セーラム]] |
* [[ウィンストン・セーラム]] |
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</div><br style="clear:left;" /> |
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特徴的な名前を持つ町や地域: |
特徴的な名前を持つ町や地域: |
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*Climax, North Carolina([[ギルフォード郡 (ノースカロライナ州)|ギルフォード郡]]内、グリーンズボロ近郊) |
* Climax, North Carolina([[ギルフォード郡 (ノースカロライナ州)|ギルフォード郡]]内、グリーンズボロ近郊) |
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*Frog Level, North Carolina([[ピット郡 (ノースカロライナ州)|ピット郡]]内) |
* Frog Level, North Carolina([[ピット郡 (ノースカロライナ州)|ピット郡]]内) |
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*Frying Pan Landing, North Carolina([[タイレル郡 (ノースカロライナ州)|タイレル郡]]内) |
* Frying Pan Landing, North Carolina([[タイレル郡 (ノースカロライナ州)|タイレル郡]]内) |
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*[[w:Fuquay-Varina, North Carolina]]([[ウェイク郡 (ノースカロライナ州)|ウェイク郡]]内) |
* [[w:Fuquay-Varina, North Carolina]]([[ウェイク郡 (ノースカロライナ州)|ウェイク郡]]内) |
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*[[w:Kill Devil Hills, North Carolina]]([[デア郡 (ノースカロライナ州)|デア郡]]内) |
* [[w:Kill Devil Hills, North Carolina]]([[デア郡 (ノースカロライナ州)|デア郡]]内) |
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*Lizard Lick, North Carolina(ウェイク郡内、ローリー近郊) |
* Lizard Lick, North Carolina(ウェイク郡内、ローリー近郊) |
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*[[w:Rich Square, North Carolina]]([[ノーサンプトン郡 (ノースカロライナ州)|ノーサンプトン郡]]内) |
* [[w:Rich Square, North Carolina]]([[ノーサンプトン郡 (ノースカロライナ州)|ノーサンプトン郡]]内) |
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*[[w:Rockfish, North Carolina]]([[ホーク郡 (ノースカロライナ州)|ホーク郡]]内) |
* [[w:Rockfish, North Carolina]]([[ホーク郡 (ノースカロライナ州)|ホーク郡]]内) |
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*[[w:Soul City, North Carolina]]([[ウォーレン郡 (ノースカロライナ州)|ウォーレン郡]]内) |
* [[w:Soul City, North Carolina]]([[ウォーレン郡 (ノースカロライナ州)|ウォーレン郡]]内) |
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*Tickbite, North Carolina(ピット郡内) |
* Tickbite, North Carolina(ピット郡内) |
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*[[w:Welcome, North Carolina]]([[デェビッドソン郡 (ノースカロライナ州)|デェビッドソン郡]]内) |
* [[w:Welcome, North Carolina]]([[デェビッドソン郡 (ノースカロライナ州)|デェビッドソン郡]]内) |
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=== 合同統計地域 === |
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[[ファイル:Charlotte Skyline 2011 - Ricky W.jpg|thumb|[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット市]]のスカイライン]] |
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州内には人口160万人を超える3つの[[合同統計地域]]がある(2012年推計<ref name="U.S. Census Bureau">{{cite web|url=http://www.census.gov/popest/data/metro/totals/2012/index.html |title=Population Estimates 2012 Combined Statistical Areas: April 1, 2010 to July 1, 2012 |publisher=U.S. Census Bureau |date= |accessdate=2013-03-14}}</ref>)。 |
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*'''メトロライナ''': ''シャーロット・ガストニア・サリスベリー''合同統計地域、人口 2,452,619人<ref name="U.S. Census Bureau"/>サウスカロライナ州にも跨る |
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*'''[[リサーチ・トライアングル]]''': ''ローリー・ダーラム・ケーリー・チャペルヒル''合同統計地域、人口 1,998,808人<ref name="U.S. Census Bureau"/> |
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*'''[[ピードモント・トライアド]]''': ''グリーンズボロ・ウィンストン・セイラム・ハイポイント''合同統計地域、人口 1,611,243人<ref name="U.S. Census Bureau"/> |
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==政治と法律== |
==政治と法律== |
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:''関連項目:[[w:Politics and government of North Carolina|Politics and government of North Carolina]] |
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[[ファイル:NC Legislature.JPG|thumb|right|[[ノースカロライナ州立法府]] |
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ノースカロライナ州政府は、行政府、立法府、司法府の3権が分立している。ノースカロライナ州知事が率いる州務委員会、下院と上院の[[両院制]]議会、ノースカロライナ州最高裁判所を頂点とする司法体系である。ノースカロライナ州憲法に州政府の構造と機能を規定している。[[アメリカ合衆国下院]]には13の議席、同上院には2つの議席がある。2010年の一般選挙以降、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]が多数党になっている。 |
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[[2012年アメリカ合衆国大統領選挙]]では共和党候補[[ミット・ロムニー]]を支持した。同時に共和党の州知事と副知事を選出しており、これは20年以上無かったことだった。議会両院の多数を制している共和党は、知事の拒否権にも対抗できる勢力となった。アメリカ合衆国下院議員の数では共和党9人、民主党4人となっている。 |
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==経済== |
==経済== |
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:''関連項目:[[アメリカ合衆国の経済]]、[[アメリカ合衆国の経済史]]'' |
:''関連項目:[[アメリカ合衆国の経済]]、[[アメリカ合衆国の経済史]]、[[w:Economy of North Carolina|Economy of North Carolina]]'' |
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アメリカ合衆国経済分析局によると、ノースカロライナ州の |
[[アメリカ合衆国商務省経済分析局]]によると、ノースカロライナ州の2010年の総州生産高は4,249億米ドルだった<ref name=stategdp>{{cite web|title=GDP by State|url=http://greyhill.com/gdp-by-state|publisher=Greyhill Advisors|accessdate=September 7, 2011}}</ref>。2003年の一人当たりの収入はアメリカ合衆国内で38番目になる、28,071米ドルだった。2011年の労働力は450万人ほどであり、410万人が雇用されている。2010年の雑誌[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]では事業を行うために良い州の第3位に選ばれ、雑誌「チーフ・エギュゼクティブ・オフィサー」では第2位に選ばれた<ref>{{cite web|title=Site Selection Rankings|url=http://greyhill.com/site-selection-rankings/|publisher=Greyhill Advisors|accessdate=October 17, 2011}}</ref>。ノースカロライナ州の農業生産品は[[家禽]]及び[[鶏卵]]、[[タバコ]]、豚、[[乳|牛乳]]、苗床、[[ウシ|牛]]、並びに[[ダイズ|大豆]]が含まれる。しかし、ノースカロライナ州は外部によって大変影響を受けている:5つあるノースカロライナ州の製造業雇用の1つは海外との競争で減少している。 |
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1世紀以上、ノースカロライナ州は[[農業]]、[[銀行|金融サービス]]、及び[[産業]]で国家的なリーダーになるよう成長してきた。この州の産業製品、主に[[織物]]、[[化学工業]]、[[ |
過去1世紀以上にわたって、ノースカロライナ州は[[農業]]、[[銀行|金融サービス]]、及び[[産業]]で国家的なリーダーになるよう成長してきた。この州の産業製品、主に[[織物]]、[[化学工業]]、[[電気機器]]、[[紙]]及び紙製品は[[1990年代]]前半にアメリカ合衆国内で8番目に位置していた。ノースカロライナ州の初期の収入元であるタバコは地元経済にとって活力がある形で存続している。現在、科学技術、研究調査、及び銀行業は特にアメリカ合衆国で2番目に大きな[[金融センター]]として地位を見いだされたシャーロット(ニューヨークに続き)に加え、1950年代にローリー並びにダーラム間にある研究トライアングル・パークを作り出し、繁栄した。また、ノースカロライナ州は多くの[[NASCAR]]レーシングチーム及び関連産業がシャーロット近郊に本拠地を設けて、アメリカの[[モータースポーツ]]の中心地となっている。この |
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NASCAR は |
NASCAR はNASCARの殿堂をシャーロットに建設すると発表した。 |
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ノースカロライナ州は[[カリフォルニア州]]以外で最大 |
ノースカロライナ州は[[カリフォルニア州]]以外では最大の映画制作を行っている州の1つである。映画撮影所は[[シェルビー (ノースカロライナ州)|シェルビー]]、[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]、[[ダーラム (ノースカロライナ州)|ダーラム]]、[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]、[[アシュビル (ノースカロライナ州)|アシュビル]]、及び[[ウィルミントン (ノースカロライナ州)|ウィルミントン]]に位置している。ノースカロライナ州内で撮影された映画及びテレビジョン番組としては『[[ドーソンズ・クリーク]](''[[w:Dawson's Creek|Dawson's Creek]]'')』、『[[One Tree Hill]]』、『[[ケープ・フィアー]]』、『[[地獄のデビルトラック]](''[[w:Maximum Overdrive|Maximum Overdrive]]'')』、『[[クロウ/飛翔伝説]]』、''[[w:Cabin Fever (film)|Cabin Fever]]'' 並びに『[[愛しのローズマリー]](''[[w:Shallow Hal|Shallow Hal]]'')』などがある。 |
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===主な会社など=== |
=== 主な会社など === |
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ノースカロライナ州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。 |
ノースカロライナ州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。 |
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*[[バンク・オブ・アメリカ]] |
* [[バンク・オブ・アメリカ]] |
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*[[R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニー]] |
* [[R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニー]] |
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*[[SAS Institute]] |
* [[SAS Institute]] |
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*[[レッドハット]] |
* [[レッドハット]] |
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*[[フード・ライオン]] |
* [[フード・ライオン]] |
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*[[ブラックウォーターUSA]] |
* [[ブラックウォーターUSA]] |
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===主な産業など=== |
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=== 観光業 === |
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シャーロット地域では、アミューズメントパークのカロウィンズ、[[シャーロット・モーター・スピードウェイ]]、USナショナル・ホワイトウォーター・センター、ディスカバリー・プレースがあり、多くの観光客を呼んでいる。近くのコンコードにはコンコードミルズ・モールとグレート・ウルフ・ロッジがある。 |
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コノーバーとヒッコリーの地域では、ヒッコリー・モータースピードウェイ、ロックバーン・ゴルフ・アンド・スパ、グレーター・ヒッコリー・クラシック・アト・ロックバーン会場、カトーバ郡消防士博物館、ソルト・ブロックなどが呼び物である。ヒッコリーにはバレーヒルズ・モールもある。 |
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==教育== |
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===単科及び総合大学=== |
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[[ファイル:2012 Coca-Cola 600.jpg|thumb|left|シャーロット・モータースピードウェイ]] |
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アパラチア山脈には毎年数百万人の観光客が訪れており、[[ビルトモア・エステート]]など人気がある。ウィルクスボロの音楽祭マールフェストには4日間で8万人以上が集まる。グリーンズボロのウェットンワイルド・エメラルド・ポインにも多くの観客が集まる。アウターバンクスと周辺の海浜には毎年数百万人に観光客を集めている。 |
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[[ファイル:Swimmer at Carolina Beach, NC IMG 4439.JPG|thumb|カロライナビーチ、2012年撮影]] |
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州内では、海浜での水泳から<ref>http://www.igovacation.com/search_rentals/stateinfo.asp?State=nc</ref>山岳でのスキーまで大変幅広いレクリエーションを楽しむことができる。 |
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== 交通 == |
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[[ファイル:Balloonduck.png|thumb|ノースカロライナ州の自動車ナンバープレート]] |
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ノースカロライナ州には国内でも第2位の高規格道路体系があり、また東部海岸には国内最大のフェリー体系がある<ref>{{cite web|url=http://www.ncdot.gov/careers/|title=NC Department of Transportation Article: North Carolina's Future Rides on Us |publisher=NC Department of Transportation|accessdate=September 22, 2012}}</ref>。 |
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2011年、アメリカ公共管理協会の会議に提出された「アメリカの州ゴミ処理スコアカード」では、高規格道路など公共の場でのゴミ処理についてノースカロライナ州を「最良」に評価した。市民による積極的な活動も評価された。南部州の中で「最良」を受けたのはノースカロライナ州のみである<ref>S. Spacek. "2011 American State Litter Scorecard: New Rankings for an Increasingly Environmentally Concerned Populous"</ref>。 |
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* 主要な[[州間高速道路]]は40号線、85号線、95号線などである |
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* ローリー・ダーラム国際空港(RDU) |
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* シャーロット・ダグラス国際空港(CLT) |
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* ピードモント・トライアド国際空港(GSO) |
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* [[アムトラック]] |
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== 教育 == |
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=== 初等中等教育=== |
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州内の公立初等中等学校はノースカロライナ州公共教育省が管轄している。ノースカロライナ州公共教育長が州教育委員会の長だが、教育長よりも委員会が公共教育政策を立案する法的権限の大半を持っている。2009年には委員会議長が州教育体系の主席執行役員となった<ref>{{cite web|url=http://www.ncpublicschools.org/ |title=North Carolina Public Schools |publisher=Ncpublicschools.org |accessdate=January 31, 2012}}</ref>。州内には115の教育学区があり<ref name="SchoolQF">{{cite web|url=http://www.ncpublicschools.org/quickfacts/facts/ |title=NC Public School Facts |publisher=Ncpublicschools.org |accessdate=2011-07-24}}</ref>、それぞれが地方教育委員会によって監督されている。各郡には1つ以上の教育学区がある。その中でも大きなものはシャーロット・メクレンバーグ、ウェイク郡、ギルフォード郡、ウィンストン・セイラム・フォーサイス郡、カンバーランド郡の各教育学区である。学校数は2,425校あり、この中には99のチャータースクールも含まれている<ref name="SchoolQF"/>。 |
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=== 単科及び総合大学 === |
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:''関連項目:[[w:List of colleges and universities in North Carolina|List of colleges and universities in North Carolina]] 及び [[w:North Carolina Community College System|North Carolina Community College System]] |
:''関連項目:[[w:List of colleges and universities in North Carolina|List of colleges and universities in North Carolina]] 及び [[w:North Carolina Community College System|North Carolina Community College System]] |
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ノースカロライナ州は[[デューク大学]]、[[ウェイクフォレスト大学]]、[[w:Appalachian State University| |
ノースカロライナ州にはたいへんよく知られた大学として、[[デューク大学]]、[[ウェイクフォレスト大学]]、[[w:Appalachian State University|アパラチアン州立大学]]、[[ノースカロライナ州立大学]]、[[w:Western Carolina University|西カロライナ大学]]、及び[[ノースカロライナ大学チャペルヒル校]]がある。他にも昔の黒人大学やカレッジを含む私立41校並びに公立75校の単科及び総合大学がある。 |
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1975年、国内でも初の公立大学であるノースカロライナ大学(現在はノースカロライナ大学チャペルヒル校)が開学した。現在は州内最大の大学であり、学生数は34,000人である<ref>{{cite web|title=About NC State:Discovery begins at NC State|url=http://www.ncsu.edu/about-nc-state/index.php|accessdate=January 5, 2012|author=NCSU}}</ref>。それから200年以上経って、17の公立大学からなるノースカロライナ大学システムができている。このシステムはノースカロライナA&T州立大学など良く知られた黒人大学も支援している<ref>{{cite web|title=Our 17 Institutions|url=http://www.northcarolina.edu/campus_profiles/index.php|accessdate=January 5, 2012|author=The University of North Carolina}}</ref>。ノースカロライナ州コミュニティカレッジ・システムには58の公立コミュニティカレッジが入っている。 |
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| caption2 = ノースカロライナ大学チャペルヒル校のオールド・ウェル |
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| caption3 = ノースカロライナ州立大学のメモリアルベル・タワー |
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| caption4 = ウェイク・フォレスト大学のウェイト礼拝堂 |
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| caption5 = 東カロライナ大学のジョイナー時計塔 |
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==芸術・文化== |
==芸術・文化== |
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州内には芸術、音楽、料理に豊かな伝統がある。非営利の芸術文化活動で12億米ドルの経済効果があり、43,600人の雇用を生み出し、地方政府と州政府には1億1,900万米ドルの収入がある<ref>{{cite web|title=North Carolina Arts Council|url=http://www.ncarts.org/|accessdate=2013-04-15}}</ref>。国内でも初の州議会が設立し資金手当した美術館として[[ノースカロライナ美術館]]を設立運営してきており<ref>{{cite web|title=North Carolina Museum of Art Museum Backgrounder|url=http://www.ncartmuseum.org/images/uploads/MuseumBackgrounder.pdf|accessdate=2013-04-15}}</ref>、州経済に大きな効果をもたらし続けている<ref>{{cite web|title=N.C. Museum of Art: Rembrandt Exhibit Pumped $13 Million Into Wake County Economy|url=http://sgrtoday.com/categories/local-government/1767-nc-museum-of-art-rembrandt-exhibit-pumped-13-million-into-wake-county-economy-.html|work=SGR Today|accessdate=2013-04-15}}</ref>。 |
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=== 劇場 === |
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=== 音楽 === |
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ノースカロライナ州から多くの注目すべき[[ジャズ]]・ミュージシャンを輩出してきている。[[ジョン・コルトレーン]]、[[セロニアス・モンク]]、ビリー・テイラー、[[ウディ・ショウ]]、[[ルー・ドナルドソン]]、[[マックス・ローチ]]、タル・ファーロー、アルバート・ヒース、ジミー・ヒースと[[パーシー・ヒース]]の3兄弟、[[ニーナ・シモン]]、[[ビリー・ストレイホーン]]などが著名である。 |
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[[ファイル:Fiddlin' Bill Hensley, mountain fiddler, Asheville, North Carolina (LOC).jpg|thumb|フィドリン・ビル・ヘンスリー、山のバイオリン弾き、アシュビル、1937年]] |
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オールドタイム・ミュージックの伝統でも有名であり、フォークソング収集家のバスコム・ラマー・ランスフォードが20世紀初期に多くの録音を行った。1920年代後半にはノースカロライナ・ランブラーズが[[カントリー・ミュージック]]のサウンドを確立し、[[ブルーグラス]]の[[ドク・ワトソン]]も州内の出身だった。ノースカロライナ州もサウスカロライナ州も、ピードモント・ブルースと呼ばれるスタイルのブルースの温床になっている。[[ベン・フォールズ・ファイヴ]]はウィンストン・セイラムの出身であり、[[ベン・フォールズ]]は現在もチャペルヒルに住み、録音を行っている。 |
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[[リサーチ・トライアングル]]地域は昔から[[フォークソング|フォーク]]、ロック、[[ヘヴィメタル]]、ジャズ、[[パンク・ロック]]の中心だった<ref name="richie">{{cite book|last=Unterberger|first=Richie|title=Music USA: The Rough Guide|publisher=The Rough Guides|year=1999|isbn=1-85828-421-X}}</ref>。[[ジェームス・テイラー]]はチャペルヒル周辺で育ち、1968年に出した歌『我が心のカロライナ』は非公式の州歌とされてきた<ref>{{cite news | url=http://news.google.com/newspapers?id=XuYGAAAAIBAJ&sjid=6TsDAAAAIBAJ&pg=3430,2859475&dq=carolina-in-my-mind+anthem | title=Hey, James Taylor – You've got a ... bridge? | work=Rome News-Tribune | date=May 21, 2002 | accessdate=June 28, 2009}}</ref><ref>{{cite news | url=http://www.usatoday.com/life/music/2008-10-17-2062938384_x.htm | title=James Taylor to play 5 free NC concerts for Obama | author=Waggoner, Martha | agency=Associated Press |work=USA Today | date=October 17, 2008 | accessdate=June 28, 2009}}</ref>。他にも著名なミュージシャンとして、[[J・コール]]、チャーリー・シーザー、[[ロバータ・フラック]]、クライド・マクファッター、ネンナ・フリーロン、ジミー・ヘリング、マイケル・ハウザー、ランディ・トラビス、[[ライアン・アダムス]]、ロニー・ミルサップ、アベット・ブラザーズがいる。 |
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ヘヴィメタルやパンク・ロックではコロージョン・オブ・コンフォーミティ、[[ビトウィーン・ザ・バリード・アンド・ミー]]、ナイトメア・ソナタがいる。 |
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=== 料理と嗜好品 === |
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[[ファイル:Lexington Barbecue Festival - Rides.jpg|thumb|2008年レキシントン・バーベキュー祭]] |
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州の代表的な料理は豚肉の[[バーベキュー]]である。バーベキューのソースや準備方法には地域によって違いがあり、また競争意識もある。州西部でよく使われるのはプレミアム・グレード・ボストン・バットであり、ビタミンB<sub>1</sub>、B<sub>2</sub>、ニアシン(B<sub>3</sub>)、B<sub>6</sub>、セレンを多く含んでいる。ソースはトマトベースであり、豚の肩肉のみが使われる。[[ピードモント・トライアド]]の町レキシントンに因んでレキシントン・バーベキューとも呼ばれ、毎年10月にレキシントンで開催されるレキシントン・バーベキュー祭には10万人以上の観客が集まる<ref>{{cite book | title = Bob Garner's Guide to North Carolina Barbecue | last = Garner | first = Bob | url = http://books.google.com/?id=PswNCQWI9RsC&printsec=frontcover&dq=north+carolina+barbecue | publisher=John F. Blair, Publisher | year = 2007 | isbn = 978-0-89587-254-8}}</ref><ref>{{cite web | title = What is North Carolina-Style BBQ? | url = http://ncbbq.com/Modules/Articles/article.aspx?id=20 | last = Craig | first = H. Kent | year = 2006 | publisher=ncbbq.com | accessdate = 2010-02-15}}</ref>。州東部の場合は[[酢]]とレッドペパーのソースを使い、豚は丸焼きである。 |
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国際的なドーナッツのチェーン店[[クリスピー・クリーム・ドーナツ]]はノースカロライナ州の発祥である。本社はウィンストン・セイラムにある。[[ペプシ・コーラ]]は1898年にニューバーンで生産開始された。地域のソフトドリンクであるチアワインはサリスベリーで創造され、今もこの町を基盤にしている。ホットソースのテキサス・ピートもノースカロライナ州で始められた。本社はこれもウィンストン・セイラムにある。ハーディのファストフード・チェーン店はロッキーマウントで始められた。もう1つのファストフード・チェーン店ボジャングルズはシャーロットで始まり、本社もある。レストラン・チェーンのゴールデン・コーラルは1973年にファイエットビルで創業され、本社はローリーにある。マウントオリーブ・ピックル会社は1926年にマウントオリーブで設立された。ハンバーガー、ホットドッグ、ミルクセーキのクックアウトは1989年にグリーンズボロで設立され、州外への拡大を始めている。 |
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過去10年間で国際的な賞を貰うワインやチーズ、地ビールの生産地にもなってきた。これには州法で飲料のアルコール濃度を6%から15%にあげることを認めたのが寄与し、タバコ生産地がブドウ園などに転換されている。ヤドキン・バレーがブドウ生産地となり、アシュビル市は国内のどの町よりも一人当たりの醸造所の数が多い。 |
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タバコは南北戦争後の最初の主要産品だった。多くの農家がタバコを生産し、紙巻きタバコの発明で特に人気が出た。ウィンストン・セイラムは1874年にR・J・レイノルズが設立した[[R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニー]]の発祥の地である。1914年にはキャメルを4億2,500万箱販売した。現在でもタバコのメーカーとして[[アルトリア]]に次いで国内第2位である。 |
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=== オーケストラなど === |
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===スポーツチーム=== |
===スポーツチーム=== |
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:''主要記事:[[w:Sports in North Carolina|Sports in North Carolina]]'' |
:''主要記事:[[w:Sports in North Carolina|Sports in North Carolina]]'' |
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===催事=== |
=== 催事 === |
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*[[イチバンコン]] |
* [[イチバンコン]] |
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==その他== |
== その他 == |
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=== 同州出身の有名人 === |
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* [[ルーク・アップリング]] - [[野球選手]] ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[ホイト・ウィルヘルム]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[ビリー・グラハム]] - [[牧師]] |
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* [[イーノス・スローター]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[キャットフィッシュ・ハンター]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[リック・フェレル]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[ゲイロード・ペリー]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[ジム・ペリー]] - 野球選手。ゲイロード・ペリーの兄 |
|||
* [[ターメル・スレッジ]] - 野球選手([[北海道日本ハムファイターズ]]) |
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* [[オー・ヘンリー]] - [[小説家]] |
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* [[エドワード・R・マロー]] - [[ジャーナリスト]] |
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* [[ロバート・ダンカン・マクニール]] - [[俳優]]・[[プロデューサー]] |
|||
* [[ビンス・マクマホン]] - [[WWE]]オーナー([[代表取締役]][[会長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]) |
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* [[リンダ・マクマホン]] - WWE元CEO |
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* [[キャプテン☆ボンバー]](設定上) - [[お笑いタレント]] |
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=== 州の象徴など === |
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* 州の鳥 - カーディナル |
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*[[ルーク・アップリング]] - [[野球選手]] ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* 州の木 - 松 |
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*[[ホイト・ウィルヘルム]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* 州の花 - [[ハナミズキ]] |
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*[[ビリー・グラハム]] - [[牧師]] |
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* 州のモットー -「外観よりは実質を Esse quam videri」 |
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*[[イーノス・スローター]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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*[[キャットフィッシュ・ハンター]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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*[[リック・フェレル]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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*[[ゲイロード・ペリー]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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*[[ジム・ペリー]] - 野球選手。ゲイロード・ペリーの兄 |
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*[[ターメル・スレッジ]] - 野球選手([[北海道日本ハムファイターズ]]) |
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*[[オー・ヘンリー]] - [[小説家]] |
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*[[エドワード・R・マロー]] - [[ジャーナリスト]] |
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*[[ロバート・ダンカン・マクニール]] - [[俳優]]・[[プロデューサー]] |
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*[[ビンス・マクマホン]] - [[WWE]]オーナー([[代表取締役]][[会長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]) |
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*[[リンダ・マクマホン]] - WWE元CEO |
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*[[キャプテン☆ボンバー]](設定上) - [[お笑いタレント]] |
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=== 日本の姉妹都市 === |
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* [[ファイル:Flag of Japan.svg|22x20px]] [[富山市]] ([[日本]]) |
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*主要な[[州間高速道路]]はI-40、I-85、I-95 |
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*ローリー・ダーラム国際空港(RDU) |
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*シャーロット・ダグラス国際空港(CLT) |
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*ピードモント・トライアド国際空港(GSO) |
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*[[アムトラック]] |
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== 脚注 == |
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===州の象徴など=== |
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{{Reflist|30em}} |
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*州の鳥 - カーディナル |
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*州の木 - 松 |
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*州の花 - [[ハナミズキ]] |
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*州のモットー -「外観よりは実質を Esse quam videri」 |
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== 参考文献 == |
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===日本の姉妹都市=== |
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{{Refbegin|30em}} |
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*[[ファイル:Flag of Japan.svg|22x20px]] [[富山市]] ([[日本]]) |
|||
* Clay, James, and Douglas Orr, eds., ''North Carolina Atlas: Portrait of a Changing Southern State'' 1971 |
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* Christensen, Rob. The Paradox of Tar Heel Politics (Chapel Hill, University of North Carolina Press, 2008). |
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* Cooper, Christopher A., and H. Gibbs Knotts, eds. The New Politics of North Carolina (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2008) |
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* Crow; Jeffrey J. and Larry E. Tise; ''Writing North Carolina History'' [http://www.questia.com/PM.qst?a=o&d=59237933 (1979) onine] |
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* Fleer; Jack D. ''North Carolina Government & Politics'' [http://www.questia.com/PM.qst?a=o&d=98712979 (1994) online] political science textbook |
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* Hawks; Francis L. ''History of North Carolina'' 2 vol 1857 |
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* Kersey, Marianne M., and Ran Coble, eds., ''North Carolina Focus: An Anthology on State Government, Politics, and Policy'', 2d ed., (Raleigh: North Carolina Center for Public Policy Research, 1989). |
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* Lefler; Hugh Talmage. ''A Guide to the Study and Reading of North Carolina History'' [http://www.questia.com/PM.qst?a=o&d=65419833 (1963) online] |
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* Lefler, Hugh Talmage, and Albert Ray Newsome, ''North Carolina: The History of a Southern State'' (1954, 1963, 1973), standard textbook |
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* Link, William A. ''North Carolina: Change and Tradition in a Southern State'' (2009), 481pp history by leading scholar |
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* Luebke, Paul. ''Tar Heel Politics: Myths and Realities'' (1990). |
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* Powell William S. ''Dictionary of North Carolina Biography.'' Vol. 1, A-C; vol. 2, D-G; vol. 3, H-K. 1979–88. |
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* Powell, William S. ''North Carolina Fiction, 1734–1957: An Annotated Bibliography'' 1958 |
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* Powell, William S. ''North Carolina through Four Centuries'' (1989), standard textbook |
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* Powell, William S. and Jay Mazzocchi, eds. ''Encyclopedia of North Carolina'' (2006) 1320pp; 2000 articles by 550 experts on all topics; ISBN 0-8078-3071-2. The best starting point for most research. |
|||
* Ready, Milton. ''The Tar Heel State: A History of North Carolina'' (2005) [http://www.amazon.com/dp/1570035911 excerpt and text search] |
|||
* WPA Federal Writers' Project. ''North Carolina: A Guide to the Old North State.'' 1939. famous Works Progress Administration guide to every town |
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'''Primary sources''' |
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==関連項目== |
|||
* Hugh Lefler, ''North Carolina History Told by Contemporaries (University of North Carolina Press, numerous editions since 1934) |
|||
*[[ノースカロライナ州の都市圏の一覧]] |
|||
* H. G. Jones, ''North Carolina Illustrated, 1524–1984'' (University of North Carolina Press, 1984) |
|||
*[[ノースカロライナ州の郡一覧]] |
|||
* ''North Carolina Manual'', published biennially by the Department of the Secretary of State since 1941. |
|||
*[[ノースカロライナ (戦艦)]] |
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{{Refend}} |
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== |
== 関連項目 == |
||
* [[ノースカロライナ州の都市圏の一覧]] |
|||
* [[ノースカロライナ州の郡一覧]] |
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* [[ノースカロライナ (戦艦)]] |
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== 外部リンク == |
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{{commons|Category:North Carolina}} |
{{commons|Category:North Carolina}} |
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*[http://www.ncgov.com 州政府(英語版)] |
* [http://www.ncgov.com 州政府(英語版)] |
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*[http://www.visitnc.com/ ノースカロライナ州政府観光局(英語版)] |
* [http://www.visitnc.com/ ノースカロライナ州政府観光局(英語版)] |
||
*[http://www.nctokyo.com/ ノースカロライナ州政府日本事務所] |
* [http://www.nctokyo.com/ ノースカロライナ州政府日本事務所] |
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*[http://www.japanatlanta.org/ 在アトランタ日本国総領事館] |
* [http://www.japanatlanta.org/ 在アトランタ日本国総領事館] |
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*[http://www.us-japan.org/jascharlotte/ シャーロット日米協会] |
* [http://www.us-japan.org/jascharlotte/ シャーロット日米協会] |
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*[http://www.jbac.jp/ トライアングル花水木通信(アメリカノースカロライナ州日本語生活情報発信サイト)] |
* [http://www.jbac.jp/ トライアングル花水木通信(アメリカノースカロライナ州日本語生活情報発信サイト)] |
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;一般 |
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*{{dmoz|Regional/North_America/United_States/North_Carolina}} |
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;歴史 |
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*[http://www.loc.gov/rr/program/bib/states/northcarolina/ North Carolina State Guide, from the Library of Congress] |
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;政府と教育 |
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* [http://statelibrary.dcr.state.nc.us/ North Carolina state library] |
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* [http://tonto.eia.doe.gov/state/state_energy_profiles.cfm?sid=NC Energy & Environmental Data for North Carolina] |
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* [http://www.usgs.gov/state/state.asp?State=NC USGS real-time, geographic, and other scientific resources of North Carolina] |
|||
* [http://www.ers.usda.gov/StateFacts/NC.htm North Carolina facts from US Department of Agriculture ERS] |
|||
* [http://www.nccourts.org/Courts/Default.asp North Carolina Court System official site] |
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* [http://quickfacts.census.gov/qfd/states/37000.html North Carolina facts from US Census Bureau] |
|||
* [http://www.ncecho.org/ NC ECHO – North Carolina Exploring Cultural Heritage Online] |
|||
* [http://www.lib.unc.edu/ncc/ North Carolina Collection, University of North Carolina at Chapel Hill] |
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* [http://www.lib.ncsu.edu/specialcollections/greenngrowing/ Green 'N' Growing: The History of Home Demonstration and 4-H Youth Development in North Carolina] – hosted by NCSU Libraries Special Collections Research Center |
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* [http://www.ah.dcr.state.nc.us/ NC Office of Archives and History] |
|||
* [http://docsouth.unc.edu/commland/ Commemorative Landscapes of North Carolina] |
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* [http://docsouth.unc.edu/blueridgeparkway/ Driving Through Time: The Blue Ridge Parkway in North Carolina] |
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;その他 |
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* {{osmrelation-inline|224045}} |
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{{clear}} |
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{{us-stub}} |
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{{ノースカロライナ州}} |
{{ノースカロライナ州}} |
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{{アメリカ合衆国の州}} |
{{アメリカ合衆国の州}} |
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[[Category:アメリカ合衆国の州|のすかろらいな]] |
[[Category:アメリカ合衆国の州|のすかろらいな]] |
2013年4月15日 (月) 13:07時点における版
- ノースカロライナ州
- State of North Carolina
-
(州旗) (州章) - 州の愛称: タールのついた踵の州
Tar Heel State -
州都 ローリー 最大の都市 シャーロット 州知事 パット・マックローリー 公用語 英語 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全米第28位
139,390 km²
126,161 km²
13,230 km² (9.5%)人口(2010年)
- 総計
- 人口密度全米第10位
9,535,483人
75.58人/km²合衆国加入
- 順番
- 加入年月日
12番目
1789年11月21日時間帯 UTC -5
DST -4緯度 北緯33°50' - 36°35' 経度 西経75°28' - 84°19' 東西の幅 901 km 南北の長さ 241 km 標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
2,037 m
210 m
0 m略称 (ISO 3166-2:US) US-NC
ウェブサイト ノースカロライナ州政府 上院議員 リチャード・バー
ケイ・ヘイガン
ノースカロライナ州(State of North Carolina、略号:NC、[ˌnɔːrθ kærəˈlaɪnə] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国南東部にある州である。2010年国勢調査による人口は9,535,483人だった。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第28位、人口では第10位である。州都はローリー市であり、人口最大都市はシャーロット市である。
州の北はバージニア州に、西はテネシー州に、南はジョージア州とサウスカロライナ州に接している。州の東側は大西洋に面している。州内には100の郡がある[1]。元はタバコと家具の生産地として知られたが、過去50年間でバイオテクノロジーや金融分野など多様な経済に転換してきた[2][3]。
州域の標高は大西洋岸の海面から、アメリカ合衆国東部では最高地点である標高6,684フィート (2,037 m) まで変化が激しい[4]。海岸平原の気候は大西洋に強く影響されている。州の大半は温暖湿潤気候帯に入っている。西部の海岸から300マイル (480 km) 以上入った山岳地では亜熱帯山岳気候になる。
歴史
- 主要記事:ノースカロライナ州の歴史
イギリスから独立したアメリカ合衆国当初13州のうちの1つである。南北戦争では南部連合側に最後に参入した。南部連合に属した州の中で最も多くの兵士を失い、苦しい再建時代を送った。現代ではシャーロット都市圏や、ローリー・ダーラム・チャペルヒルのリサーチ・トライアングル地区を中心に経済的に大躍進を示し、州人口も急速に伸びている。
インディアン、失われた植民地、恒久的植民地
ノースカロライナ州となった地域には、数千年前から先住民族の様々な文化が続いていた。西暦200年以前に、儀式や宗教目的で使われたと見られる土盛りマウンドを築いていた。西暦1000年までに形成されたミシシッピ文化を含め、その後の先住民族はそのようなマウンドを築きあるいは追加し続けていた。ヨーロッパ人が接触してくる500年から700年前に、ミシシッピ文化では大型の複雑な都市を建設し、広範囲に及ぶ交易のネットワークを維持していた。その最大都市はカホキアであり、ミシシッピ川の近く、現在のイリノイ州にあった。
ノースカロライナ州で記録に残されているインディアン部族は、海岸地域に住みカロライナ・アルゴンキン語を話すチョワノーク、ロアノーク、パムリコ、マシャプンガ、コリー、ケイプフェアなどであり、彼等が最初にイギリス人と遭遇した。イロコイ語を話すメヘリン、チェロキー、タスカローラは内陸部に住み、またチェロー、ワックスホー、サポニ、ワッカモー、カトーバ各部族は南東部スー族だった。
16世紀に内陸を旅したスペイン人探検家が、現在のモーガントンに近い地域の中心であるジョアラでミシシッピ文化の人々に出遭った。エルナンド・デ・ソトの記録では、1540年に彼等と出遭ったことを裏付けている。1567年、フアン・パルドがこの地域をスペイン領であると宣言し、またメキシコの銀山を守る別のルートを確立するために遠征隊を率いて入った。パルドはジョアラを冬の基地とし、そこを「クエンカ」と改名した。この遠征隊はサンフアン砦を建設してそこに30名を残し、パルドはさらに進んで別の砦5か所を建設し、駐在の者を置いた。パルドは別のルートを通って、当時スペイン領フロリダの中心だったサウスカロライナのパリスアイランドのサンタエレナに戻った。1568年春、インディアンが内陸にあった6つの砦を攻撃して駐屯員の1人を除いて全員を殺し、砦を焼いた。その中にはサンフアン砦も含まれていた。スペイン人が内陸部に戻ってくることは無かったが、現在のアメリカ合衆国の中で最初にヨーロッパ人が植民地建設を試みたものとなった。パルドの書記官バンデラの16世紀の日誌、および1986年以降に行われた考古学調査によって、その開拓地が確認された[5][6]。
1584、イギリス王エリザベス1世がウォルター・ローリー卿に現在のノースカロライナの土地(当時はバージニア)に対する土地特許を与えた。ローリーは現在の州都ローリーの名前の由来となった[7]。ローリーは1580年代に海岸部で2つの植民地を設立したが、どちらも失敗した。イギリスがアメリカ大陸で植民地化を試みた2つめのものだった。ロアノーク島に造られた「失われた植民地」の消滅は、アメリカ史の中でも謎の1つとして残っている。北アメリカで生まれた最初のイギリス人赤ん坊であるヴァージニア・デアは1587年8月18日にロアノーク島で生まれた。ノースカロライナ州デア郡はその名を記念するものである。
1650年には既に、バージニア植民地から開拓者がアルベマール・サウンドの地域に移ってきていた。1663年に、国王チャールズ2世が北アメリカ大陸における新しい植民地を始めるための土地勅許を与えており、それがノースカロライナの領域を規定している。チャールズ2世はその地を、父のチャールズ1世の栄誉を称えて「カロライナ」と命名した(チャールズのラテン語名はカロラスである)[8]。1665年には領土問題を解決するために2つめの勅許が発行された。1710年、統治に関する論争が起きたこともあり、カロライナ植民地はノースカロライナとサウスカロライナに分かれた。サウスカロライナは1729年に王室領植民地になった。
1700年代に南部で何度か天然痘が流行し、ヨーロッパの疫病に対する免疫を持たなかったインディアンの間では高い死亡率となった[9]。歴史家のラッセル・ソーントンは、「1738年の疫病でチェロキー族の半数が死亡し、他の部族も同様だったと言われている」と記した[10]。
植民地時代とアメリカ独立戦争
16世紀にスペインが植民地化を試みた後、ノースカロライナにおける最初の恒久的ヨーロッパ人開拓者は、バージニア植民地が急速に成長し、利用できる農地が不足してきたために、そこから南に移ってきたイギリス人開拓者だった。そのようなバージニアからの移民ではナサニエル・バッツが最初に記録された者の1人となった。バッツは1655年にチョウォーン川の南、グレート・ディズマル湿地の東に入植した[11]。1663年までに、アルベマール開拓地と呼ばれたカロライナ植民地の北東部は全面的なイギリス人による入植が進んだ[12]。これと同じ頃、イングランド国王チャールズ2世が、1660年に王位に復したときにこれを助けた貴族集団、植民地領主にこの植民地を与えた。この新植民地「カロライナ」は国王チャールズ1世の栄誉を称えて名付けられた。1712年、ノースカロライナは別の植民地になった。その17年後、第2代グランビル伯爵ジョン・カータレットが持っていた分を除いてノースカロライナは王室領植民地になった[13]。
ノースカロライナ東部はローカントリー、西部はアップランドと呼ばれ、その入植の様態が異なっていたので、18世紀から20世紀まで政治、経済、社会生活に影響した。東部の海岸地帯は主にイングランドの田舎やスコットランドのハイランド地方からの移民が入ってきた。西部のアップランドには主にスコットランド・アイルランド、イングランド、ドイツからプロテスタントが入り、「コヒー」と呼ばれた。18世紀の半ばから後半に到着した、現在の北アイルランド出身であるスコットランド・アイルランド系移民が、独立戦争以前では最大の非イングランド移民だった。この時期、イングランドの年季奉公者が最大の移民集団だった[14][15][16][15][16][17]。アメリカ独立戦争のとき、ノースカロライナ東部にいるイングランド系やスコットランド・ハイランド系の開拓者は、イギリスとの事業や個人的な繋がりが長く続いていたためにイギリス王室に忠実である傾向があった。西部のイングランド系、ウェールズ系、スコットランド・アイルランド系、ドイツ系移民は、アメリカのイギリスからの独立を支持する傾向にあった。
年季奉公者として入ってきたイングランド系移民の大半は、その片道旅費を払うために一定期間労働者として働く契約を結んだ者達だった。初期には年季奉公者とアフリカ人奴隷あるいは労働者の間の線引きは流動的だった。奴隷制度が終身のものになる以前にその自由を許されたアフリカ人もいた。独立戦争前にノースカロライナで作られた自由有色人家族の大半は、自由白人女性と奴隷または自由アフリカ人、あるいはアフリカ系アメリカ人男性との結合あるいは結婚によるものの子孫だった。母親が自由なので、その子供達も生まれながらに自由だった。多くの者はバージニア植民地から移ってきた者か、その子孫だった[18]。イギリスの経済状態が改善され、植民地に移ってくる年季奉公者の流れが減少してくると、多くの奴隷が輸入されるようになり、奴隷制度に対する規制が厳しくなった。経済の成長と繁栄は奴隷労働力に基づいており、まずはタバコの生産に振り向けられた。
1776年4月1日、大陸会議の代表団にイギリス王室からの独立に賛成するよう支持したことで、ノースカロライナは最初の邦となった。ただし、ノースカロライナ植民地議会ではハリファックス決議案が採択されていた。この両件の日付は州旗および州章に記録されている。独立戦争の期間を通じて、独立支持派とイギリス支持派の植民地人の間で激しいゲリラ戦が起きた。この戦争が個人の怨恨や競争関係を解決する理由になることもあった。ノースカロライナとサウスカロライナの境で起きたキングスマウンテンの戦いでアメリカ側が大勝した。1780年10月7日、ノースカロライナ西部(現在のテネシー州を含む)のマウンテンマン1,000人が、パトリック・ファーガソン少佐の指揮するイギリス軍約1,000人を圧倒した。この戦闘に参加したイギリス軍兵士の大半は、イギリス王室に忠誠を尽くしたロイヤリストと呼ばれるカロライナ人だった。キングスマウンテンでのアメリカ軍の勝利によりアメリカ独立を支持する植民地人には利点となり、イギリス軍がロイヤリストの中から新兵を徴募する際の妨げとなった。
ヨークタウンへの道と、アメリカのイギリスからの独立はノースカロライナを通じて実現した。イギリス軍がチャールストンとカムデンでの勝利の後に北に動くと、大陸軍南部方面軍と地元民兵隊はイギリス軍と会する備えを行った。1781年1月17日、カウペンスの戦いで、ダニエル・モーガン将軍がイギリス軍騎兵指揮官バナスター・タールトンの部隊を破った後、南部方面軍指揮官ナサニエル・グリーンは、イギリス軍チャールズ・コーンウォリスの部隊をノースカロライナの中心までおびき寄せ、補給基地であるチャールストンから遠ざけた。この作戦はダン川に向かって行われたので、「ダン川への競走」あるいは「川への競走」と呼ばれている[13]。
1781年2月1日、コーワンズフォードの戦いでは、戦術的撤退を続けるモーガン将軍の部隊に決戦を挑もうとしたコーンウォリス部隊が、カトーバ川岸で抵抗に遭った[19]。ノースカロライナの北部に誘導するこの動きに、グリーン将軍が新たに徴兵した部隊の動きが組み合わされた。1781年3月15日、グリーンとコーンウォリスの部隊は遂に、現在のグリーンズボロであったギルフォード郡庁舎の戦いでまみえた。この戦闘の最後にイギリス軍はその戦場を支配したが、勢力では優勢だったアメリカ軍から被った被害は甚大だった。この犠牲が多くて引き合わない勝利の後、コーンウォリス将軍はバージニアの海岸線に移動し、イギリス海軍から補給を受け、その疲れ切った軍隊を守って貰う道を選んだ。この決断により、1781年後半のヨークタウンにおける敗北に繋がっていった。愛国者側の勝利がアメリカ独立を確かなものにした。
南北戦争前の時代
1789年11月21日、ノースカロライナはアメリカ合衆国憲法を批准して12番目の州になった。1840年、ローリー市に州会議事堂が完成し、現在に続いている。州内の奴隷所有者と大型プランテーションの大半は州の東部にあった。州内のプランテーションの体系は、バージニア州、ジョージア州、サウスカロライナ州のものに比べて小型でまとまりに欠けていたが、農園主のかなりの数が港湾都市ウィルミントンとイーデントンの周辺郡に集まっており、またピードモント台地のローリー、シャーロット、ダーラム各市の周りに郊外型農園主が集まっていた。大きな資産を所有する農園主は、奴隷社旗である南北戦争前ノースカロライナ州で政治と社会経済のかなりの権力を握っていた。州西部は概して奴隷を持たない自作農が多く、東部の農園主がその利益を優先させた。19世紀半ば、州内田園部と商業地域は「農夫の鉄道」と呼ばれた木の板敷道129マイル (208 km) の建設で繋がれた。東のファイエットビルからベサニア(ウィンストン・セイラムの北西)まで続いていた[13]。
州内には奴隷の他にも多くの自由有色人がいた。その大半は18世紀にバージニアから隣人と共に移ってきた自由アフリカ系アメリカ人の子孫だった。その大半は年期奉公人あるいは自由白人女性と、年期奉公人、奴隷あるいは自由人のアフリカ系アメリカ人との間で、労働者階級での結合の子孫だった[20]。アメリカ独立戦争後、クエーカー教徒とメノナイト教徒が、奴隷所有者に奴隷の解放を説いて歩いた。この動きと革命の権利という言葉に動かされ、奴隷を解放する者もいた。独立後最初の数十年間で自由有色人の数は飛躍的に増大した[21]。
1836年10月25日、港湾都市のウィルミントンと州都ローリーを繋ぐウィルミントン・アンド・ローリー鉄道の建設が始まった[22]。1849年、州議会の法によりこの鉄道を西のグリーンズボロ、ハイポイント、シャーロットまで延伸するノースカロライナ鉄道が創設された。南北戦争のとき、この鉄道のウィルミントン、ローリー区間は南軍の戦争遂行のために重要なものとなった。ウィルミントンで物資が積まれ、鉄道でローリーを通り、アメリカ連合国の首都バージニア州リッチモンドに運ばれた。
南北戦争前の時代、ノースカロライナ州は圧倒的に田園州であり、南部の標準と比較してもそうだった。1860年、州内では唯一港湾都市のウィルミントンが人口1万人を超えていた。州都のローリーはやっと5,000人を超えたところだった。
南部州の中では奴隷所有の集中度が低かったが、1860年国勢調査に拠れば、州人口は992,622人、このうち33万人以上、33%が奴隷のアフリカ系アメリカ人だった。彼等は主に東部海岸部のプランテーションで生活し働いた。また東部海岸平原にも集中しており、特にウィルミントンやニューバーンでは、様々な仕事があった。自由アフリカ系アメリカ人は1835年まで選挙の投票を許されたが、1831年にナット・ターナーが率いた奴隷反乱に続いてこの年に、州は彼等の投票権を取り上げた。南部の奴隷法では奴隷を故意に殺すことを大半の場合に違法としていた[23]。例えば、1791年、ノースカロライナ州議会は、抵抗された場合、あるいは中庸な懲罰のもとに行われたものでなければ、奴隷を故意に殺すことを殺人と規定した[23]。
南北戦争
1860年、ノースカロライナ州は奴隷州であり、州人口は992,622人のうち約3分の1が奴隷のアフリカ系アメリカ人だった。これは多くの南部州の中では最少の比率だった。さらに州内には3万人以上の自由黒人がいた。ノースカロライナ州はアメリカ連合国への加盟に当初は賛成しなかったが、エイブラハム・リンカーン大統領が姉妹州であるサウスカロライナ州への侵略を呼びかけたとき、公式にアメリカ連合国に加盟した最後の州あるいは最後から2番目の州になった。テネシー州が非公式には1861年5月7日にアメリカ合衆国からの脱退を表明し、ノースカロライナ州が脱退したのは同年5月20日だったので、「最後にアメリカ連合国に加盟したのはどの州か」について異論が出てきた[24][25]。しかし、テネシー州議会が正式に脱退を決めたのは同年6月8日のことだった[26]。
州内では戦闘が少なかったが、南軍には少なくとも125,000人が出征し、他のどの州よりも遙かに多かった。約4万人は病気、戦傷および飢えで死亡した。北軍にも約15,000人が従軍した[27]。1862年に選出されたゼブロン・ベアード・バンス州知事は、リッチモンドにいるジェファーソン・デイヴィス大統領に対して州の自治を維持しようとした。
脱退後も州民の中にはアメリカ連合国支持を拒否した者がいた。山岳部や西部ピードモント台地の自由農の中には戦中も中立を維持し、あるいは北軍を支持する者もいた。州西部から約2,000人が北軍に参加し、北部のために戦った。北軍に占領された海岸部では1862年から1863年に北軍の2個連隊が立ち上げられた。
ノースカロライナ州の全部分から立ち上げられた南軍部隊は、南軍で最も有名になった軍隊である北バージニア軍の主要戦闘の事実上全てに参加した。ノースカロライナ州内で戦われた最大の戦闘は1865年春のベントンビルの戦いであり、南軍のジョセフ・ジョンストン将軍が、北軍ウィリアム・シャーマン将軍軍隊の両カロライナを通る侵攻を遅らせようとして失敗した[13]。1865年4月、ジョンストンはモリスビルの戦いに敗れた後、ベネットプレース、現在のダーラムでシャーマンに降伏した。これは降伏した南軍の軍隊として最後の大部隊だった。ノースカロライナ州の港湾都市ウィルミントンは北軍の手に落ちた最後の港湾となった。1865年2月、川下の主要防衛拠点で起きた第二次フィッシャー砦の戦いで北軍が勝利した後にウィルミントンが陥落した。
南北戦争で最初に戦死した南軍兵は、1861年6月に起きたビッグベセルの戦いでのノースカロライナ州出身の兵卒ヘンリー・ワイアットだった。1863年7月のゲティスバーグの戦いでは、ノースカロライナ第26連隊がピケットの突撃に参加し、他の連隊よりも北軍の前線深く進出した。チカマウガの戦いでは、ノースカロライナ第58連隊がスノッドグラスヒルで他の連隊よりも前に進軍し、北軍の残っていた部隊を戦場から追い出した。1865年4月、バージニアのアポマトックス・コートハウスでは、騎兵隊であるノースカロライナ第75連隊が、この戦争で北軍に対する最後の銃弾を放った。戦後、ノースカロライナ州は「最初のベセル、最深部のゲティスバーグ、チカマウガ、最後のアポマトックス」と言って誇ることになった。
地理
ノースカロライナ州は、南部でサウスカロライナ州、南西部でジョージア州、西部でテネシー州、北部でバージニア州、東部で大西洋と接している。アメリカ合衆国統計局は、ノースカロライナ州を南部の州に分類しているほか、さらに下位区分として大西洋岸南部の州の1つに区分している。
ノースカロライナ州は、大きく3つの地理的区域に分けられる。1つは、沿岸の平野部で州の東部を中心に45%を占めている。次に、中央部などの35%で構成されるピードモント地域があり、さらには西部などの20%を占めるアパラチア山脈とその麓丘陵部の一帯がある。最東部は大西洋と沿岸内水路を分ける砂の細長い島の連なりであるアウターバンクスになっている。沿岸内水路は北部のアルベマール・サウンドと南部のパムリコ・サウンドがある。国内でも最大級の陸に封じられたサウンドである。ここにあるハッテラス岬沖で多くの船が失われてきたので、「大西洋の墓場」とも呼ばれている。1526年に記録が取られ始めて以来、1,000隻以上の船がこの海域に沈んだ。その中でも有名なのが、1718年にボーフォート入り江で座礁したアン女王の復讐号(黒髭の旗艦)である[28]。 アウター・バンクの内側はかなり平坦な海岸平野であり、タバコ、大豆、メロン、綿花などを育てるために理想的な肥沃な土壌である。州内でも田園部が残る地域であり、大都市は少なく、農業が重要な産業である。
海岸平野は「滝線」でピードモント台地に遷る。この滝線は、川を遡ったときに最初に出遭う滝の位置を繋いだものである。州中央部にあるピードモント台地は都市化が進み、人口が多い。なだらかにうねる田園の間に丘陵や低い山がある。この地域には、ソーラタウン山地、パイロット山、ユーフワリー山地、クラウダーズ山、キングスピナクル、ブラッシー山地、サウス山地など、小さく、孤立し、深く侵食された山地や峰がある。標高は東部で300ないし400フィート (90-120 m)、西部では1,000フィート (300 m) 以上となる。この地域の急速な人口成長を受けて、田園部のかなりの部分が郊外化し、ショッピングセンター、住宅、事務所が造られている。農業はその重要性を次第に落としてきた。ヤドキン川やカトーバ川など地域の主要河川は流れが速く、浅く、狭い傾向にある。
この州の西側は、メキシコ湾からセントローレンス川の河口まで達している巨大なアパラチア山脈の支脈を形成するグレート・スモーキー山脈、ブルーリッジ山脈、グレート・バルサム山脈、ブラック山脈が並ぶ。ブラック山脈はミシシッピ川以東のアメリカ合衆国東部でも標高が最も高く、標高6,684フィート (2,037 m) のミッチェル山がある[29]。農業は重要性を維持しているが、山岳地では観光業が支配的な産業となった。クリスマスツリーが主要産品である。標高が高いために、州内の他部分と比べて気候がかなり異なっている。西部の冬は積雪が多く、気温が氷点下になるのは、南部州よりも中西部の州に似ている。
東部大西洋岸で南北の幅は約100マイル(約160キロメートル)ある。東西の一番長い幅は500マイル(800キロメートル)である。陸地面積は48,711平方マイル(126,161平方キロメートル)である。
州内には17の主要河川流域がある。ブルーリッジ山脈より西の河川は、オハイオ川からミシシッピ川を介してメキシコ湾に流れている。他の河川は大西洋に流れ込んでいる。11の河川は州内に水源があるが、州域の中のみを流れる河川はケイプフェア、ニューズ、ホワイトオーク、ターパムリコの4河川のみである。
アメリカ合衆国国立公園局の管理下にある地域は、次の通りである。:
- アパラチアン・トレイル
- ブルーリッジ・パークウェイ
- ハッテラス岬国立海岸
- ルックアウト岬国立海岸
- カール・サンドバーグ家屋国立歴史史跡(フラットロック)
- ローリー砦国立歴史史跡(マニオー)
- グレート・スモーキー山脈国立公園
- ギルフォード郡庁舎国立軍事公園(グリーンズボロ)
- ムーアズ・クリーク国立戦場跡(カリー近郊)
- オーバーマウンテン・ビクトリー国立歴史道
- 涙の道国立歴史道
- ライト兄弟国立記念碑(キルデビルヒルズ)
気候
海岸平原の気候は大西洋に影響され、冬は温暖であり、夏も適度の暖かさである。夏の日中平均最高気温は89°F (32 ℃) 未満である。冬の日中平均最高気温は40°F (4 ℃) より低くなることは希であり、通常は50°F台半ば (11–14 °C) である。夜間に氷点下になることも少ない。年間平均積雪量は1インチ (2.5 cm) ほどであり、雪が全く降らない年が続くこともある。
ピードモント台地では大西洋の影響が減り、海岸部より暑い夏と寒い冬が特徴である。夏季の日中平均最高気温は90°F (32 ℃) 以上になることも多い。100°F (38 ℃) 以上になるのは希だが、台地の標高が低い地域ではあり得る。大西洋の影響が少ないために、海岸に比べて気温の変化も大きい。冬季は海岸部より寒く、日中平均最高気温は40°F台後半 (3 ℃) から50°F台前半 (8 ℃) であり、夜間に氷点下になることも多い。年間平均積雪量はシャーロット地域で3ないし5インチ (8–13 cm)、アシュビル地域12インチ (30 cm) ほどである。霙や雨氷が降ることも多い。雨氷は交通を混乱させ、木を倒し、停電させることがある。年間降水量や湿度は海岸部や山岳部より低いが、最低でも年間40インチ (1,020 mm) の雨が降る。
アパラチア山脈は州内で最も寒い地域である。冬季の日中平均最高気温は40°F台前半 (6 ℃) から30°F台後半 (3 ℃) であり、夜間は20°F (-5 ℃) 以下まで下がる。夏は涼しく80°F (27 ℃) を超えることは希である。年間平均積雪量は30インチ (76 cm) を超え、標高が高い所ではさらに深くなる。例えば1993年吹雪では、ミッチェル山に3日間で60インチ (152 cm) 以上の積雪があった。ミッチェル山では年間を通じて降雪がある。
異常気象も起こることが多い。ハリケーンは平均して10年間に1つ襲ってくる。これまでノースカロライナ州を襲ったハリケーンとしては、ハリケーン・フラン、ハリケーン・フロイド、ハリケーン・ヘイゼルがあり、最強のものは1954年のカテゴリー4だった。21世紀ではハリケーン・イザベルが最も強かった[30]。熱帯低気圧は3年ないし4年に1つ襲来する。さらに州を掠めてとおるハリケーンや熱帯低気圧も多い。また内陸部が襲われることもある。1989年のハリケーン・ヒューゴはシャーロットで大きな被害を与え、州北西部のブルーリッジ山脈にも影響した。雷雨があるのは年平均50日であり、雹、鉄砲水、暴風を伴うことがある。
竜巻の年間平均発生数は20個未満である。海岸平原でハリケーンや熱帯低気圧によって生み出されるものが多い。雷雨のときの竜巻は特に州東部で危険である。ピードモント台地は西の山岳部で暴風から守られることが多い。州西部では「冷気滞留」という気象も起こることがある。これは嵐を弱める効果もあるが、低温被害が起こりうる[31]。
2011年4月、アメリカ合衆国南部で竜巻が大発生し、ノースカロライナ州でも史上希に見るものになった。主に東部で25個の竜巻が発生し、少なくとも24人の死者が出た。州都ローリーの被害総額だけでも1億1,500万米ドル以上となった[32][33]。
州内各都市の月別平均最高最低気温°F | ||||||||||||
都市 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アシュビル[34] | 47/27 | 51/30 | 59/35 | 68/43 | 75/51 | 81/60 | 84/64 | 83/63 | 77/56 | 68/45 | 59/36 | 49/29 |
ブーン[35] | 42/21 | 45/23 | 52/29 | 61/37 | 69/46 | 76/54 | 79/58 | 78/57 | 72/50 | 63/39 | 54/31 | 45/24 |
ハッテラス岬[36] | 52/39 | 54/40 | 59/45 | 66/53 | 74/61 | 81/69 | 85/74 | 84/73 | 80/69 | 72/60 | 64/51 | 56/43 |
シャーロット[34] | 51/30 | 55/33 | 63/39 | 72/47 | 79/56 | 86/64 | 89/68 | 88/67 | 81/60 | 72/49 | 62/39 | 53/32 |
ファイエットビル[37] | 53/31 | 56/33 | 64/39 | 73/47 | 80/56 | 87/65 | 90/70 | 89/69 | 83/63 | 74/49 | 65/41 | 56/34 |
グリーンズボロ[37] | 48/30 | 52/32 | 61/39 | 70/47 | 78/56 | 85/65 | 88/69 | 86/68 | 80/61 | 70/49 | 61/40 | 51/32 |
ローリー[37] | 51/31 | 55/34 | 63/40 | 72/48 | 80/57 | 87/66 | 90/70 | 88/69 | 82/62 | 73/50 | 64/41 | 54/33 |
ウィルミントン[38] | 56/36 | 60/38 | 66/44 | 74/52 | 81/60 | 87/69 | 90/73 | 88/71 | 84/66 | 76/55 | 68/45 | 59/38 |
人口動勢
人口推移 | |||
---|---|---|---|
年 | 人口 | %± | |
1790 | 393,751 | — | |
1800 | 478,103 | 21.4% | |
1810 | 556,526 | 16.4% | |
1820 | 638,829 | 14.8% | |
1830 | 737,987 | 15.5% | |
1840 | 753,419 | 2.1% | |
1850 | 869,039 | 15.3% | |
1860 | 992,622 | 14.2% | |
1870 | 1,071,361 | 7.9% | |
1880 | 1,399,750 | 30.7% | |
1890 | 1,617,949 | 15.6% | |
1900 | 1,893,810 | 17.1% | |
1910 | 2,206,287 | 16.5% | |
1920 | 2,559,123 | 16.0% | |
1930 | 3,170,276 | 23.9% | |
1940 | 3,571,623 | 12.7% | |
1950 | 4,061,929 | 13.7% | |
1960 | 4,556,155 | 12.2% | |
1970 | 5,082,059 | 11.5% | |
1980 | 5,881,766 | 15.7% | |
1990 | 6,628,637 | 12.7% | |
2000 | 8,049,313 | 21.4% | |
2010 | 9,535,483 | 18.5% | |
2012(推計) | 9,752,073 | 2.3% | |
Source: 1910–2010[39] |
アメリカ合衆国国勢調査局による2012年7月1日時点のノースカロライナ州の推計人口は9,752,073人となっており、2010年国勢調査から2.3%成長していた[40]。この中で58.5% は州内の生まれ、33.1% は他州の生まれ、1.0% はプエルトリコなど島嶼部生まれ、あるいは海外でアメリカ人両親のもとに生まれた者であり、外国生まれは 7.4% だった[41]。2005年から2006年にかけて、ノースカロライナ州はニュージャージー州を超えて10番目に人口の多い州となった[42]。
ノースカロライナ州は歴史的に多くの住民が農場及び小さな町に暮らしている田園州である。ノースカロライナ州の人口重心はシーグローブの町がある、ランドルフ郡となっている[43]。ノースカロライナ州の人口の6.7%は5歳以下、24.4%が18歳以下と報告され12.0%が65歳以上である。女性は人口のおおよそ51%である。2011年時点で、1才未満の人口の49.8%は少数民族である[44]。
人種的構成及び祖先
2010年国勢調査に拠れば、ノースカロライナ州の人種による人口構成は次のようになっている[45]。
- 68.5% 白人(ヒスパニック以外の白人は65.3%)
- 21.5% 黒人
- 8.4% ヒスパニック(人種を問わない)
- 2.2% アジア人
- 1.5% インディアン
- 0.1% 太平洋諸島系
- 4.3% その他の人種
- 2.2% 混血
2000年に州内で申告された祖先による構成比は:アフリカ系 (21.6%)、アメリカ人 (13.9%)、イギリス系 (9.5%)、ドイツ系 (9.5%)、アイルランド系 (7.4%)だった。
宗教
ノースカロライナ州は、他の南部州と同じく、最大のプロテスタント宗派がバプテストであり、圧倒的にプロテスタントである。ノースカロライナ州の住民の現在の宗教宗派別構成は次の通りである。
インディアン部族
ベア川のインディアン、ケープ・フェアインディアン、カタウバ族、チェロー族、チェロキー族、チョワノク族、コリー族、エノ族、ハッテラス族、ケヤウィー族、マチャプンガ族、メヘリン族、モラトク族、ナッチェス族、ニューシオク族、オッカネーチ族、パムリコ族、サポニ族、シャコリ族、シッシパハウ族、サギリー族、タスカローラ族、ツテロ族、ワッカマウ族、ワテリー族、ウェアペメオク族、ウォッコン族、ヤドキン族などの農耕民族がこの州に先住した。タスカローラ族の大部分は「タスカローラ戦争」で虐殺され、18世紀ごろに白人を嫌って北上し、イロコイ連邦に合流した。
多数のインディアン部族が先住しているにもかかわらず、アメリカ連邦政府が公式認定し、保留地(Reservation)を領有している部族はひとつだけである。ほとんどの部族は19世紀末からの「絶滅部族」指定によって公式認定を取り消されて保留地を没収され、インディアン部族として存在しないことになっている。現在、総計4つの部族が州政府から公認を受けている。
2009年10月22日、ノースカロライナ州のインディアン部族「ラムビー族」に対し、アメリカ連邦政府の上院インディアン事務委員会は連邦公認のための手続きに入った。公認申請書は既に下院を通過し、オバマ大統領もラムビー族に対する援助を誓約した模様である。ラムビー族は100年以上にわたり、連邦公認を要求し続けてきており、ついに悲願が叶うこととなった。一方で、今回の手続きには「インディアン・カジノ」の開設権は認められておらず、他州の既に連邦公認されたインディアン部族の間で、その影響が懸念されている。
同州キンストンに本拠を置く、プロ野球のマイナーリーグ・チーム、「キンストン・インディアンス」は、同州のインディアンに関連性の無いステレオタイプな平原インディアンの姿をし、赤い肌をし、歯を剥きだして笑う「トム・E・ホーク」という名の「インディアン・マスコット」をチーム意匠に用いており、全米のインディアン団体から「インディアンをおもちゃ扱いした人種差別である」との抗議を浴び続けている。現在、試合の応援に繰り出すマスコットキャラクターは廃止(犬のキャラクターに変更)されたが、チームマークとしての使用は強い抗議運動の中、なおも続けられている。
≪アメリカ連邦政府が公式認定している部族≫ ≪ノースカロライナ州政府が公式認定した部族・団体≫ |
≪アメリカ連邦政府も州政府も公式認定していない部族・団体≫ |
インディアンと「ラムビー法」
19世紀後半に黒人奴隷を解放したノースカロライナ州では、同州のインディアンたちを「解放奴隷黒人枠」に入れるかどうかが懸案となった。扱いの違いで「黒人用」と「色つき用」の二種ある学校への、彼らの子供の通学先が変わるなどするからである(全米で、インディアンの部族学校は20世紀後半まで存在しなかった)。
1885年に、ノースカロライナ州のハロルド・マクミラン民主党議員は同州のインディアンを「黒人とは別の人種」として、「自由身分の色つき(free people of color)」枠に含まれる「クロアタン・インディアン」である、とした。「クロアタン」はハッテラス族の「木の洞に住んでいる」という意味の別名である。この決定までは、同州のインディアンは「色つき(colored)」、「自由身分の色つき(free colored)」、「その他大勢(other free)」、「ムラート」、「マスティー(mustie)」などと呼ばれていた。こうして「クロアタン・インディアン」の子供たちは「黒人」用の学校ではなく、「色つき」用の学校に通うことになった。20世紀に入ると、彼らインディアン児童は親元から引き離され、私立の「インディアン寄宿学校」へひとまとめに送り込まれ、さらなる同化教育を強制されることとなった。
1934年に「インディアン再編成法」が制定されると、内務省BIA(インディアン管理局)はラムビー・インディアンからの連邦認定要求に基づき、血統証明手続きに入った。しかしラムビー族内で、先祖を「チェロー族」とするものと「チェロキー族」とする二派に分かれてしまい、結局公認は見送られてしまった。
1956年6月7日、ロブソン郡、ホーク郡、スコットランド郡、カンバーランド郡の「クロアタン・インディアン」は、アイゼンハワー大統領の署名した「ラムビー法」によって、ひとまとめに「ノースカロライナ州のラムビー族インディアン」としての公認を受け、「復活」した。連邦認定部族のような強い権限は保証されていない州公認だったが、それでも「ラムビー族」は「望みはただアメリカ・インディアンと認定されることだ」とその喜びを表明したのである。
インディアンとクー・クラックス・クラン
白人至上主義人種差別団体の「クー・クラックス・クラン(KKK団)」は、1950年代から南部で「公民権運動」の恐怖弾圧行動を始めた。KKK団の大首領だったナマズのジェームズ・コールは、「ラムビー法」が制定され、「インディアン身分」となったノースカロライナ州のラムビー族を標的と決めた。コールは「ノースカロライナ州のインディアンは、黒人から分かれた混血雑種である」と主張、1957年から、十字架を燃やす常套の脅迫行為を繰り返し、ノースカロライナのインディアン共同体を脅し始めた。
1958年1月18日、武装した500人のラムビー族戦士団がロブソン郡で、彼らの襲撃計画を練っていた50人(計画では5000人集まる予定だった)のKKK団を一斉包囲し、銃撃して追い散らした。これは「ヘイズ池の戦い」と呼ばれている。 KKK団のコール首領は沼に飛び込んで逃げたが逮捕され、暴動を計画した罪で懲役二年の有罪となった。この裁決を受けたインディアンたちはKKK団の団員章を燃やしてその周りで勝利の踊りを舞い、インディアンの鬨の声を上げてこれを祝った。
インディアン・カジノ
同州で「インディアン・カジノ」を営業するインディアン部族は、連邦公認を受けているチェロキー族東部バンドの2軒のみである。どちらのカジノもグレート・スモーキー山脈国立公園のスモーキー山麓にあり、うち1軒の「ハラーのチェロキーカジノ&ホテル」は、大手賭博業者の「ハラーズ・エンターテインメント」に運営委託されており、カジノ敷地は13940㎡あり、周辺に民俗村の「オコナルフティー・インディアン村」、チェロキー族の美術品を収蔵した「クアラ美術・工芸品館」、「Unto These Hills山麓劇場」などを併設する24時間営業の一大娯楽施設である。2009年9月にはこれに併設して、世界的ゴルフ場設計家ロバート・トレント・ジョーンズ二世の設計による「シクウォイア国際ゴルフクラブ」を開業させた。
2009年7月13日、チェロキー族東部バンドは、テネシー州との州境の建設敷地で、新しい「ハラーのチェロキーカジノ&ホテル」の起工式を行った。2012年完成予定のこの施設は、3000席のイベントセンター、1486㎡の温泉、最先端デジタルポーカー室、アジア式賭博場、レストラン、売店、ホテル、およびカジノ駐車場を備える、東部チェロキー族、ハラーズ、州、地元政財界が一致して行う一大事業である。
インディアン・カジノ開設は連邦との交渉事となるため、州認定のインディアン部族は部族カジノ開設がほぼ不可能となっている。また、連邦公認される見込みとなったラムビー族は、その条件にカジノが禁じられており、同じく部族カジノの開設はほぼ不可能とみられる。
≪ノースカロライナ州のインディアン・カジノ≫
- 「チェロキー部族カジノ」
- 「ハラーのチェロキーカジノ&ホテル」
- 「シクウォイア国際ゴルフクラブ」2009年9月に開業。シクウォイアはチェロキー族の抵抗戦の英雄。
主要な都市及び町
特徴的な名前を持つ町や地域:
- Climax, North Carolina(ギルフォード郡内、グリーンズボロ近郊)
- Frog Level, North Carolina(ピット郡内)
- Frying Pan Landing, North Carolina(タイレル郡内)
- w:Fuquay-Varina, North Carolina(ウェイク郡内)
- w:Kill Devil Hills, North Carolina(デア郡内)
- Lizard Lick, North Carolina(ウェイク郡内、ローリー近郊)
- w:Rich Square, North Carolina(ノーサンプトン郡内)
- w:Rockfish, North Carolina(ホーク郡内)
- w:Soul City, North Carolina(ウォーレン郡内)
- Tickbite, North Carolina(ピット郡内)
- w:Welcome, North Carolina(デェビッドソン郡内)
合同統計地域
州内には人口160万人を超える3つの合同統計地域がある(2012年推計[46])。
- メトロライナ: シャーロット・ガストニア・サリスベリー合同統計地域、人口 2,452,619人[46]サウスカロライナ州にも跨る
- リサーチ・トライアングル: ローリー・ダーラム・ケーリー・チャペルヒル合同統計地域、人口 1,998,808人[46]
- ピードモント・トライアド: グリーンズボロ・ウィンストン・セイラム・ハイポイント合同統計地域、人口 1,611,243人[46]
政治と法律
[[ファイル:NC Legislature.JPG|thumb|right|ノースカロライナ州立法府 ノースカロライナ州政府は、行政府、立法府、司法府の3権が分立している。ノースカロライナ州知事が率いる州務委員会、下院と上院の両院制議会、ノースカロライナ州最高裁判所を頂点とする司法体系である。ノースカロライナ州憲法に州政府の構造と機能を規定している。アメリカ合衆国下院には13の議席、同上院には2つの議席がある。2010年の一般選挙以降、共和党が多数党になっている。
2012年アメリカ合衆国大統領選挙では共和党候補ミット・ロムニーを支持した。同時に共和党の州知事と副知事を選出しており、これは20年以上無かったことだった。議会両院の多数を制している共和党は、知事の拒否権にも対抗できる勢力となった。アメリカ合衆国下院議員の数では共和党9人、民主党4人となっている。
経済
アメリカ合衆国商務省経済分析局によると、ノースカロライナ州の2010年の総州生産高は4,249億米ドルだった[47]。2003年の一人当たりの収入はアメリカ合衆国内で38番目になる、28,071米ドルだった。2011年の労働力は450万人ほどであり、410万人が雇用されている。2010年の雑誌フォーブスでは事業を行うために良い州の第3位に選ばれ、雑誌「チーフ・エギュゼクティブ・オフィサー」では第2位に選ばれた[48]。ノースカロライナ州の農業生産品は家禽及び鶏卵、タバコ、豚、牛乳、苗床、牛、並びに大豆が含まれる。しかし、ノースカロライナ州は外部によって大変影響を受けている:5つあるノースカロライナ州の製造業雇用の1つは海外との競争で減少している。
過去1世紀以上にわたって、ノースカロライナ州は農業、金融サービス、及び産業で国家的なリーダーになるよう成長してきた。この州の産業製品、主に織物、化学工業、電気機器、紙及び紙製品は1990年代前半にアメリカ合衆国内で8番目に位置していた。ノースカロライナ州の初期の収入元であるタバコは地元経済にとって活力がある形で存続している。現在、科学技術、研究調査、及び銀行業は特にアメリカ合衆国で2番目に大きな金融センターとして地位を見いだされたシャーロット(ニューヨークに続き)に加え、1950年代にローリー並びにダーラム間にある研究トライアングル・パークを作り出し、繁栄した。また、ノースカロライナ州は多くのNASCARレーシングチーム及び関連産業がシャーロット近郊に本拠地を設けて、アメリカのモータースポーツの中心地となっている。この NASCAR はNASCARの殿堂をシャーロットに建設すると発表した。
ノースカロライナ州はカリフォルニア州以外では最大の映画制作を行っている州の1つである。映画撮影所はシェルビー、ローリー、ダーラム、シャーロット、アシュビル、及びウィルミントンに位置している。ノースカロライナ州内で撮影された映画及びテレビジョン番組としては『ドーソンズ・クリーク(Dawson's Creek)』、『One Tree Hill』、『ケープ・フィアー』、『地獄のデビルトラック(Maximum Overdrive)』、『クロウ/飛翔伝説』、Cabin Fever 並びに『愛しのローズマリー(Shallow Hal)』などがある。
主な会社など
ノースカロライナ州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。
観光業
シャーロット地域では、アミューズメントパークのカロウィンズ、シャーロット・モーター・スピードウェイ、USナショナル・ホワイトウォーター・センター、ディスカバリー・プレースがあり、多くの観光客を呼んでいる。近くのコンコードにはコンコードミルズ・モールとグレート・ウルフ・ロッジがある。
コノーバーとヒッコリーの地域では、ヒッコリー・モータースピードウェイ、ロックバーン・ゴルフ・アンド・スパ、グレーター・ヒッコリー・クラシック・アト・ロックバーン会場、カトーバ郡消防士博物館、ソルト・ブロックなどが呼び物である。ヒッコリーにはバレーヒルズ・モールもある。
アパラチア山脈には毎年数百万人の観光客が訪れており、ビルトモア・エステートなど人気がある。ウィルクスボロの音楽祭マールフェストには4日間で8万人以上が集まる。グリーンズボロのウェットンワイルド・エメラルド・ポインにも多くの観客が集まる。アウターバンクスと周辺の海浜には毎年数百万人に観光客を集めている。
州内では、海浜での水泳から[49]山岳でのスキーまで大変幅広いレクリエーションを楽しむことができる。
交通
ノースカロライナ州には国内でも第2位の高規格道路体系があり、また東部海岸には国内最大のフェリー体系がある[50]。
2011年、アメリカ公共管理協会の会議に提出された「アメリカの州ゴミ処理スコアカード」では、高規格道路など公共の場でのゴミ処理についてノースカロライナ州を「最良」に評価した。市民による積極的な活動も評価された。南部州の中で「最良」を受けたのはノースカロライナ州のみである[51]。
教育
初等中等教育
州内の公立初等中等学校はノースカロライナ州公共教育省が管轄している。ノースカロライナ州公共教育長が州教育委員会の長だが、教育長よりも委員会が公共教育政策を立案する法的権限の大半を持っている。2009年には委員会議長が州教育体系の主席執行役員となった[52]。州内には115の教育学区があり[53]、それぞれが地方教育委員会によって監督されている。各郡には1つ以上の教育学区がある。その中でも大きなものはシャーロット・メクレンバーグ、ウェイク郡、ギルフォード郡、ウィンストン・セイラム・フォーサイス郡、カンバーランド郡の各教育学区である。学校数は2,425校あり、この中には99のチャータースクールも含まれている[53]。
単科及び総合大学
ノースカロライナ州にはたいへんよく知られた大学として、デューク大学、ウェイクフォレスト大学、アパラチアン州立大学、ノースカロライナ州立大学、西カロライナ大学、及びノースカロライナ大学チャペルヒル校がある。他にも昔の黒人大学やカレッジを含む私立41校並びに公立75校の単科及び総合大学がある。
1975年、国内でも初の公立大学であるノースカロライナ大学(現在はノースカロライナ大学チャペルヒル校)が開学した。現在は州内最大の大学であり、学生数は34,000人である[54]。それから200年以上経って、17の公立大学からなるノースカロライナ大学システムができている。このシステムはノースカロライナA&T州立大学など良く知られた黒人大学も支援している[55]。ノースカロライナ州コミュニティカレッジ・システムには58の公立コミュニティカレッジが入っている。
芸術・文化
州内には芸術、音楽、料理に豊かな伝統がある。非営利の芸術文化活動で12億米ドルの経済効果があり、43,600人の雇用を生み出し、地方政府と州政府には1億1,900万米ドルの収入がある[56]。国内でも初の州議会が設立し資金手当した美術館としてノースカロライナ美術館を設立運営してきており[57]、州経済に大きな効果をもたらし続けている[58]。
音楽
ノースカロライナ州から多くの注目すべきジャズ・ミュージシャンを輩出してきている。ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、ビリー・テイラー、ウディ・ショウ、ルー・ドナルドソン、マックス・ローチ、タル・ファーロー、アルバート・ヒース、ジミー・ヒースとパーシー・ヒースの3兄弟、ニーナ・シモン、ビリー・ストレイホーンなどが著名である。
オールドタイム・ミュージックの伝統でも有名であり、フォークソング収集家のバスコム・ラマー・ランスフォードが20世紀初期に多くの録音を行った。1920年代後半にはノースカロライナ・ランブラーズがカントリー・ミュージックのサウンドを確立し、ブルーグラスのドク・ワトソンも州内の出身だった。ノースカロライナ州もサウスカロライナ州も、ピードモント・ブルースと呼ばれるスタイルのブルースの温床になっている。ベン・フォールズ・ファイヴはウィンストン・セイラムの出身であり、ベン・フォールズは現在もチャペルヒルに住み、録音を行っている。
リサーチ・トライアングル地域は昔からフォーク、ロック、ヘヴィメタル、ジャズ、パンク・ロックの中心だった[59]。ジェームス・テイラーはチャペルヒル周辺で育ち、1968年に出した歌『我が心のカロライナ』は非公式の州歌とされてきた[60][61]。他にも著名なミュージシャンとして、J・コール、チャーリー・シーザー、ロバータ・フラック、クライド・マクファッター、ネンナ・フリーロン、ジミー・ヘリング、マイケル・ハウザー、ランディ・トラビス、ライアン・アダムス、ロニー・ミルサップ、アベット・ブラザーズがいる。
ヘヴィメタルやパンク・ロックではコロージョン・オブ・コンフォーミティ、ビトウィーン・ザ・バリード・アンド・ミー、ナイトメア・ソナタがいる。
料理と嗜好品
州の代表的な料理は豚肉のバーベキューである。バーベキューのソースや準備方法には地域によって違いがあり、また競争意識もある。州西部でよく使われるのはプレミアム・グレード・ボストン・バットであり、ビタミンB1、B2、ニアシン(B3)、B6、セレンを多く含んでいる。ソースはトマトベースであり、豚の肩肉のみが使われる。ピードモント・トライアドの町レキシントンに因んでレキシントン・バーベキューとも呼ばれ、毎年10月にレキシントンで開催されるレキシントン・バーベキュー祭には10万人以上の観客が集まる[62][63]。州東部の場合は酢とレッドペパーのソースを使い、豚は丸焼きである。
国際的なドーナッツのチェーン店クリスピー・クリーム・ドーナツはノースカロライナ州の発祥である。本社はウィンストン・セイラムにある。ペプシ・コーラは1898年にニューバーンで生産開始された。地域のソフトドリンクであるチアワインはサリスベリーで創造され、今もこの町を基盤にしている。ホットソースのテキサス・ピートもノースカロライナ州で始められた。本社はこれもウィンストン・セイラムにある。ハーディのファストフード・チェーン店はロッキーマウントで始められた。もう1つのファストフード・チェーン店ボジャングルズはシャーロットで始まり、本社もある。レストラン・チェーンのゴールデン・コーラルは1973年にファイエットビルで創業され、本社はローリーにある。マウントオリーブ・ピックル会社は1926年にマウントオリーブで設立された。ハンバーガー、ホットドッグ、ミルクセーキのクックアウトは1989年にグリーンズボロで設立され、州外への拡大を始めている。
過去10年間で国際的な賞を貰うワインやチーズ、地ビールの生産地にもなってきた。これには州法で飲料のアルコール濃度を6%から15%にあげることを認めたのが寄与し、タバコ生産地がブドウ園などに転換されている。ヤドキン・バレーがブドウ生産地となり、アシュビル市は国内のどの町よりも一人当たりの醸造所の数が多い。
タバコは南北戦争後の最初の主要産品だった。多くの農家がタバコを生産し、紙巻きタバコの発明で特に人気が出た。ウィンストン・セイラムは1874年にR・J・レイノルズが設立したR.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーの発祥の地である。1914年にはキャメルを4億2,500万箱販売した。現在でもタバコのメーカーとしてアルトリアに次いで国内第2位である。
スポーツチーム
チーム | スポーツ | リーグ |
---|---|---|
カロライナ・ハリケーンズ | アイスホッケー | NHL |
カロライナ・パンサーズ | フットボール | NFL |
シャーロット・ボブキャッツ | バスケットボール | NBA |
Charlotte Sting | バスケットボール | WNBA |
Fayetteville Patriots | バスケットボール | NBA Development League |
Asheville Tourists | 野球 | マイナーリーグ:South Atlantic League |
Burlington Indians | 野球 | マイナーリーグ:Appalachian League |
カロライナ・マッドキャッツ | 野球 | マイナーリーグ:Southern League |
シャーロット・ナイツ | 野球 | マイナーリーグ:インターナショナルリーグ |
ダーラム・ブルズ | 野球 | マイナーリーグ:インターナショナルリーグ |
グリーンズボロ・グラスホッパーズ | 野球 | マイナーリーグ:South Atlantic League |
ヒッコリー・クロウダッズ | 野球 | マイナーリーグ:South Atlantic League |
Kannapolis Intimidators | 野球 | マイナーリーグ:South Atlantic League |
Kinston Indians | 野球 | マイナーリーグ:カロライナリーグ |
Winston-Salem Warthogs | 野球 | マイナーリーグ:カロライナリーグ |
Carolina Dynamo | サッカー | USL Premier Development League |
Carolina Dynamo Women | サッカー | USL Wリーグ |
Charlotte Lady Eagles | サッカー | USL Wリーグ |
Wilmington Hammerheads | サッカー | USL Second Division |
Raleigh CASL Elite | サッカー | USL Premier Development League |
催事
その他
同州出身の有名人
- ルーク・アップリング - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ホイト・ウィルヘルム - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ビリー・グラハム - 牧師
- イーノス・スローター - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- キャットフィッシュ・ハンター - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- リック・フェレル - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ゲイロード・ペリー - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ジム・ペリー - 野球選手。ゲイロード・ペリーの兄
- ターメル・スレッジ - 野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
- オー・ヘンリー - 小説家
- エドワード・R・マロー - ジャーナリスト
- ロバート・ダンカン・マクニール - 俳優・プロデューサー
- ビンス・マクマホン - WWEオーナー(代表取締役会長兼CEO)
- リンダ・マクマホン - WWE元CEO
- キャプテン☆ボンバー(設定上) - お笑いタレント
州の象徴など
- 州の鳥 - カーディナル
- 州の木 - 松
- 州の花 - ハナミズキ
- 州のモットー -「外観よりは実質を Esse quam videri」
日本の姉妹都市
脚注
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Primary sources
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- H. G. Jones, North Carolina Illustrated, 1524–1984 (University of North Carolina Press, 1984)
- North Carolina Manual, published biennially by the Department of the Secretary of State since 1941.
関連項目
外部リンク
- 州政府(英語版)
- ノースカロライナ州政府観光局(英語版)
- ノースカロライナ州政府日本事務所
- 在アトランタ日本国総領事館
- シャーロット日米協会
- トライアングル花水木通信(アメリカノースカロライナ州日本語生活情報発信サイト)
- 一般
- 歴史
- 政府と教育
- North Carolina state library
- Energy & Environmental Data for North Carolina
- USGS real-time, geographic, and other scientific resources of North Carolina
- North Carolina facts from US Department of Agriculture ERS
- North Carolina Court System official site
- North Carolina facts from US Census Bureau
- NC ECHO – North Carolina Exploring Cultural Heritage Online
- North Carolina Collection, University of North Carolina at Chapel Hill
- Green 'N' Growing: The History of Home Demonstration and 4-H Youth Development in North Carolina – hosted by NCSU Libraries Special Collections Research Center
- NC Office of Archives and History
- Commemorative Landscapes of North Carolina
- Driving Through Time: The Blue Ridge Parkway in North Carolina
- その他
- ノースカロライナ州に関連する地理データ - オープンストリートマップ