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{{基礎情報 書籍
{{Portal|文学}}
|title = 伊豆の踊子
『'''伊豆の踊子'''』(いずのおどりこ)は、[[川端康成]]の[[短編小説]]。[[1926年]]1、2月に「[[文芸時代]]」に発表され、同年[[金星堂]]刊。
|orig_title = The Izu Dancer
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|author = [[川端康成]]
|translator = <!-- 訳者 -->
|illustrator =
|published = [[1927年]]3月
|publisher = [[金星堂]]
|genre = [[短編小説]]
|country = {{JPN}}
|language = 日本語
|type = [[ハードカバー|上製本]]
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|preceded_by = <!-- 前作 -->
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|portal1 = 文学
|portal2 = 映画
|portal3 = 舞台芸術
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『'''伊豆の踊子'''』(いずのおどりこ)は、[[川端康成]]の[[短編小説]]。川端の初期の代表的作品で、19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている<ref name="album">『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)</ref><ref name="nenpu">「年譜」(文庫版『伊豆の踊子』)([[新潮文庫]]、1950年。改版2003年)</ref>。[[1926年]](大正15年)、雑誌「[[文藝時代]]」1月号と2月号に分載された。単行本は翌年1927年(昭和2年)3月に[[金星堂]]より刊行された。なお、本作の[[校正]]作業は[[梶井基次郎]]がおこなった<ref name="kajii">『新潮日本文学アルバム27 [[梶井基次郎]]』(新潮社、1985年)</ref>。


[[湯ヶ島]][[天城峠]]を越えて[[下田]]に向かう旅芸人一座と道連れになった孤独に悩む青の淡い恋と旅情を描く。6回映画化されている人気作品で、ヒロインである踊薫は[[田中絹代]]から[[山口百恵]]まで当時のアイドル的な女優が演じている。
日本人に親しまれている名作でもあり<ref name="okuno">[[奥野健男]]「鮮やかな感覚表現」(文庫版『伊豆の踊子』)([[集英社文庫]]、1977年。改版1993年)</ref>、今までに6回映画化され、ヒロインである踊子薫は[[田中絹代]]から[[吉永小百合]]、[[山口百恵]]まで当時のアイドル的な女優が演じている。
[[File:Old Amagi Tunnel.jpg|thumb|right|[[天城トンネル]]。主人公が、このトンネルの脇にあった峠の茶屋で、はじめて踊子と会話を持った場所として描かれている。]]


==あらすじ==
== 概要 ==
孤独に悩み、人生の汚濁から逃れようと[[伊豆]]へ一人旅に出た青年が、[[湯ヶ島]]、[[天城峠]]を越えて[[下田]]に向かう[[旅芸人]]一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。青年の潔癖な感傷が踊子の清純無垢な心にあたたかく解きほぐされてゆく雪どけのような清冽さと、自力を超えるものとの格闘に真摯な若者だけが経験する人生初期のこの世との和解の切実さが描かれている<ref name="takenishi">[[竹西寛子]]「解説」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)</ref>。
20歳の「私」は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで[[伊豆]]の旅に出る。旅芸人の踊子達と[[第一高等学校 (旧制)|一高]]生という素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流を通して、青年が人の温かさを肌で感じ、作品内にある孤児根性から抜け出せると感じるに至る。


作品の背景として、主人公の青年である川端康成には、幼少期に身内をほとんど失っており、2歳で父親、3歳で母親、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去し[[孤児]]となるという生い立ちがあったため<ref name="nenpu"/>、本作中に「孤児根性」という言葉が出てくる。また当時、旅芸人は[[河原乞食]]と蔑まれ、作中にも示されているように[[物乞い]]のような身分の賤しいものとみなされていた<ref name="okuno"/><ref name="hashimoto">[[橋本治]]「鑑賞――『恋の垣根』」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)</ref>。
==作品背景==
川端が19歳の時の伊豆での実体験を元とする。川端は幼少期に身内をほとんど失っており、2歳で父、3歳で母、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去して孤児となるという生い立ちがあった。


川端はこの伊豆の旅以来、[[湯ヶ島温泉|湯ヶ島]]の「湯本館」に1927年(昭和2年)までの約10年間毎年のように滞在するようになり、1924年(大正13年)に大学を卒業してからの3、4年は滞在期間が、半年あるいは1年以上に長引くこともあった<ref>川端康成「あとがき」(文庫版『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)([[岩波文庫]]、1952年。改版2003年)</ref>。本作を執筆している頃は、湯ヶ島へ[[転地療養]]に来た[[梶井基次郎]]に旅館の紹介をし、一緒に[[囲碁]]に興じたり、本作の校正をやってもらっていたという<ref name="kajii"/>。また川端は、ほとんど宿賃を払わないまま湯ヶ島に滞在し続けたと言われ、川端の豪放磊落な一面が垣間見える{{要出典|date=2013年5月}}。
==挿話==
川端は本作を執筆するにあたり、[[湯ヶ島温泉|湯ヶ島]]の旅館に4年半滞在して完成させた。ただしこの期間、彼はほとんど宿賃を払わないまま滞在し続けたと言われ、川端の豪放磊落な一面が垣間見える。


== あらすじ ==
また当時、湯ヶ島へ[[転地療養]]に来た[[梶井基次郎]]に旅館の紹介をした。梶井とは[[囲碁]]に興じたり、本作の[[校正]]をやってもらったという<ref>『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』([[新潮社]]、1985年)</ref>。
20歳の[[第一高等学校 (旧制)|一高]]生の私は、自分の性質が[[孤児]]根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れず、一人[[伊豆]]への旅に出る。私は道中で出会った[[旅芸人]]一座の一人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に[[下田]]まで旅することになった。一行を率いているのは踊子の兄で、[[伊豆大島|大島]]から来た彼らは家族で旅芸人をしていた。私は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。そして踊子が私に寄せる無垢で純情な心からも、私は悩んでいた孤児根性から抜け出せると感じた。


下田へ着き、私は踊子やその兄嫁らを[[活動写真|活動]](映画)に連れて行こうとするが、踊子一人しか都合がつかなくなると、踊子は母親から活動行きを反対された。明日、東京へ帰らなければならない私は、夜一人だけで活動へ行った。暗い町で遠くから微かに踊子の叩く太鼓の音が聞えてくるようで、わけもなく涙がぽたぽた落ちた。
==映像化・舞台化==
===映画===
[[ファイル:Izu no odoriko 1954 poster.jpg|thumb|伊豆の踊子([[1954年]])]]
*恋の花咲く 伊豆の踊子([[1933年]]、[[松竹]]、[[五所平之助]]監督、[[田中絹代]]・[[大日方傳]]主演、白黒・[[サイレント映画]])…初の映画化作品。
*伊豆の踊子([[1954年]]、松竹、[[野村芳太郎]]監督、[[美空ひばり]]・[[石濱朗]]主演、白黒映画)
*伊豆の踊子([[1960年]]、松竹、[[川頭義郎]]監督、[[鰐淵晴子]]・[[津川雅彦]]主演、カラー映画)
*[[伊豆の踊子 (1963年の映画)|伊豆の踊子]]([[1963年]]、[[日活]]、[[西河克己]]監督、[[吉永小百合]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]主演、カラー映画)
*伊豆の踊子([[1967年]]、[[東宝]]、[[恩地日出夫]]監督、[[内藤洋子 (女優)|内藤洋子]]・[[黒沢年男]]主演、カラー映画)
*[[伊豆の踊子 (1974年の映画)|伊豆の踊子]]([[1974年]]、東宝、西河克己監督、[[山口百恵]]・[[三浦友和]]主演、カラー映画)


別れの旅立ちの日、昨晩遅く寝た女たちを置いて、踊子の兄だけが私を乗船場まで送りに来た。乗船場へ近づくと、海際に踊子がうずくまって私を待っていた。二人だけになった間、踊子はただ私の言葉にうなずくばかりで一言もなかった。私が船に乗り込もうと振り返った時、踊子はさよならを言おうしたが、止してもう一度うなずいて見せただけだった。船がずっと遠ざかってから踊子が[[艀]]で白いものを振り始めた。私は伊豆半島の南端がうしろに消えてゆくまで、沖の大島を一心に眺めていた。船室で横にいた少年の親切を私は自然に受け入れられるような気持になり、泣いているのを見られても平気だった。私は涙を出るに委せ、頭が澄んだ水になってしまって、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。
===テレビドラマ===
*伊豆の踊り子([[1961年]]、[[日本放送協会|NHK]]、[[小林千登勢]]・山本勝主演)
*伊豆の踊り子([[1973年]]、[[関西テレビ放送|KTV]]、[[栗田ひろみ]]・小林芳宏主演)
*伊豆の踊子([[1992年]]、[[TBSテレビ|TBS]]、[[小田茜]]・[[萩原聖人]]主演)
*伊豆の踊子([[1993年]]、[[テレビ東京|TX]]、[[早勢美里]]・[[木村拓哉]]主演)
*[[モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ]]1st story「伊豆の踊子」([[2002年]]、TBS、[[後藤真希]]・[[小橋賢児]]主演)


== 登場人物 ==
===ラジオドラマ===
年齢は[[数え年]]
*伊豆の踊子([[1991年]]、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBS]]、[[増田未亜]]・[[中村彰男]]主演)
;私
:20歳。[[第一高等学校 (旧制)|一高]]の学生。学校の制帽で、紺[[絣|飛白]]の着物の[[袴]]をはき、学生鞄を肩にかけた格好で伊豆の一人旅をしている。[[修善寺川|湯川]]橋の近くで[[旅芸人]]の一行に出会う。再び[[天城山|天城]]七里の山道で出会い[[下田]]まで一緒に旅する。[[湯ヶ野温泉|湯ヶ野]]で[[鳥打帽]]を買い、制帽は鞄にしまう。歯並びが悪い。東京では寄宿舎に住む。


;踊子(薫)
===テレビアニメ===
:14歳。当初「私」には17歳くらいに見える。旅芸人一座の一員。古風に結った髪に卵形の凛々しい小さい顔の初々しい乙女。若桐のように足のよく伸びた白い裸身で[[湯殿]]から無邪気に手をふる。[[五目並べ]]が強い。美しい黒髪。美しく光る黒眼がちの大きい眼。花のように笑う。[[尋常小学校]]二年までは[[甲府市|甲府]]にいたが、家族と[[伊豆大島|大島]]に引っ越す。小犬を旅に同行させている。
*青春アニメ全集「伊豆の踊子」([[1986年]]、[[日本テレビ放送網|NTV]]、[[島本須美]]・[[神谷明]]声の出演)


;男(栄吉)
===舞台===
:24歳。踊子の兄で旅芸人。旅芸人たちは大島の[[波浮港]]からやって来た。栄吉は東京で、ある[[新派]]役者の群に加わっていたことがある。実家は甲府にあり、家の後目は栄吉の兄が継いでいる。幼い妹にまで旅芸人をさせなければならない事情があり、心を痛めている。大島には小さな家を二つ持っていて、山の方の家には爺さんが住んでいる。
*伊豆の踊子([[1957年]]、[[光本幸子]]主演)
*伊豆の踊子([[1969年]]、光本幸子・[[有田正治]]主演)


;上の娘(千代子)
== その他 ==
:19歳。栄吉の妻。[[流産]]と[[早産]]で二度子供を亡くした。二度目の子は旅の空で早産し、子は一週間で死去。下田の地でその子の[[49日]]を迎える。
* 踊子たちが通った道は、「踊子コース」として散策できるようになっており、文学碑や文学博物館ができている。

* [[東海自動車]](1999年4月1日以降は[[中伊豆東海バス]])の[[ボンネットバス]]の愛称に「伊豆の踊子号」が充てられた。
;40女(おふくろ)
* [[1981年]](昭和56年)10月1日より、[[日本国有鉄道|国鉄]](1987年4月1日より[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])‐[[伊豆急行線|伊豆急線]]・[[伊豆箱根鉄道駿豆線|伊豆箱根鉄道線]]直通[[特別急行列車|特急列車]]の名称に「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」号の名称が充てられた。
:薫と栄吉の母親。薫に[[三味線]]を教えている。[[処女|生娘]]の薫に、男が触るのを嫌がる。国の甲府市には民次という[[尋常中学校|尋常中学]]五年生の息子もいる。
* [[2008年]]の[[集英社文庫]]の新装版では、同社刊の雑誌『[[週刊少年ジャンプ]]』、『[[ウルトラジャンプ]]』で『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』を連載している漫画家[[荒木飛呂彦]]が表紙画を担当している。

;中の娘(百合子)
:17歳。雇われている芸人。大島生れ。はにかみ盛り。

;茶屋の婆
:天城七里の山道の茶店の婆さん。爺さん(夫)は長年[[中風]]を患っている。一高の制帽の「私」を旦那さまと呼び、旅芸人を「あんな者」と軽蔑を含んだ口調で話す。

;紙屋
:宿で「私」と[[碁]]を打つ。紙類を卸して廻る行商人。60歳近い爺さん。

;鳥屋
:40歳前後の男。旅芸人一行が泊まっている木賃宿の間を借りて鳥屋をしている。踊子たちに[[鳥鍋]]を御馳走する。「[[水戸黄門漫遊記]]」の続きを読んでくれと踊子にせがまれるが立ち去り、「私」が代りにそれを読んで踊子に聞かせる。

;土方風の男
:鉱夫。帰りの[[霊岸島]]行きの船の乗船場で、「私」に声をかけ、[[水戸市|水戸]]へ帰る老婆を[[上野駅]]まで連れてやってほしいと頼む。

;老婆
:[[下田温泉 (静岡県)|蓮台寺]]の[[銀山]]で働いていた倅とその嫁を[[スペイン風邪]]で亡くす。残された孫三人と故郷の水戸へ帰えるため、乗船場まで鉱夫たちに付添われている。

;少年
:[[河津町|河津]]の工場主の息子。東京へ帰る船で「私」と出会う。一高入学準備のために東京に向っていた。泣いている「私」に[[海苔巻き]]すしをくれ、着ている学生[[マント]]へもぐり込ませ温めてくれる。

== 作品評価・解釈 ==
[[川端康成]]は本作について、「『伊豆の踊子』はすべて書いた通りであつた。事実そのままで虚構はない。あるとすれば省略だけである」<ref name="sakusha">[[川端康成]]『「伊豆の踊子」の作者』(風景 1967年5月 - 1968年11月号に掲載)</ref>と述べている。また、「私の旅の小説の幼い出発点である」<ref name="sakusha"/>とも述べている。川端が伊豆に旅したのは、[[第一高等学校 (旧制)|一高]]入学の翌年1918年(大正7年)の秋で、寮の誰にも告げずに出発した8日ほどの旅であったという<ref name="album"/>。このときの体験を『湯ヶ島の思ひ出』という素稿に書き、『伊豆の踊子』、『少年』、『ちよ』などの作品へ発展していった<ref name="album"/>。川端は旅に出た動機について、「私は高等学校の寮生活が、一、二年の間はひどく嫌だつた。中学五年の時の寄宿舎と勝手が違つたからである。そして、私の幼年時代が残した精神の病患ばかりが気になつて、自分を憐れむ念と自分を厭ふ念とに堪へられなかつた。それで伊豆へ行つた」<ref>川端康成『湯ヶ島の思ひ出』(未定草稿107枚、1922年7月)</ref>と述べている<ref name="album"/>。

[[奥野健男]]は、次々と肉親を亡くした川端康成が幼い頃から死者に親しみ、あたたかい庇護を受けることのなかった生い立ちがその作風に及ぼした影響について、「[[孤児]]川端康成の心は、この世の中で虐げられ、差別され、卑しめられている人々、特にそういう少女へのいとおしみというか、殆んど同一化するような感情が、その文学の大きなモチーフになって行く」<ref name="okuno"/>と述べている。そして本作について、「伊豆の温泉町のひなびた風土と、日本人の誰でもが心の底に抱いている(そこが日本人の不思議さであるのだが)世間からさげすまれている[[芸人]]、その中の[[美少女]]への殆んど[[判官贔屓|判官びいき]]とも言える憧憬と同一化という魂の琴線に触れた名作である」<ref name="okuno"/>と評し、「芸人は徳川時代、[[河原乞食|河原者]]などと軽蔑されてきた。しかし一方[[後白河法皇]]が、[[白拍子]]などの今様の歌や踊りに夢中になり、『[[梁塵秘抄]]』を編纂されたように、上流[[貴族]]と卑賎視された芸人とは不思議な交歓があり、彼らの芸は[[能]]、[[狂言]]、[[歌舞伎]]など次々に上流階級にとりいられていた。そういう芸人に対する特別のひいき、さらには憧憬という日本人の古来からの心情を、新しく原題に生かしたのが『伊豆の踊子』である」<ref name="okuno"/>と解説している。

さらに奥野は、本作が何度も映画化される理由については、「単に伊豆の旅情のためでも、青春の[[プラトニック]]な愛のためでもなく、日本人の心情の底にある、おそらく古代からの農耕民が、放浪の遊芸人に抱く、[[縄文時代]]からの深層意識にある憧憬と贖罪の意識、つまり日本人の芸や美の根源にかかわるものを表現しているからであろう。日本人は[[吉永小百合]]を[[山口百恵]]を[[桃割れ]]の踊子の姿にし、親しくつきあえ、恋することのできる少女に姿にせずにはいられないのだ」<ref name="okuno"/>と解説し、主人公の青年が踊子の裸身を見て安心する場面について触れながら、「温泉町の雨の夜のおかされている妄想のあと、翌朝の若桐のごとき爽やかに幼い踊子の裸身を見てことことと笑うあたりは何度読みかえしてもたのしい。作者の青春と踊子の青春がまだ青さ故に、美しく結晶した稀有の作品と言えよう」<ref name="okuno"/>と述べている。

[[橋本治]]は、主人公の青年が最後に泣き続ける意味について、踊子と[[エリート]]の卵という「身分の差」の垣根や、冷静を装って踊子の姿をじっと観察していられる余裕もなくなってしまう恋という感情、ただその人にひれ伏すしかなくなってしまう感情を主人公が内心認めたくなく、冷静に別れたつもりだったはずが、「船から遠ざかって行く“[[艀|はしけ]]”の上で白いハンカチを振っている踊子の姿を見て、プライドの高い“私”は、ついに恋という感情を認めた」<ref name="hashimoto"/>と解説している。そして、「ただ彼女といられて幸福だった」という感情を、何の身分の差のない少年をまるで踊子とつながる人間でもあるかのように、そのマントに包まれながら主人公は認めたとし、「『伊豆の踊子』は、恋という垣根を目の前にして、そして越えられるはずの垣根に足を取られ、自分というものを改めて見詰めなければどうにもならないのだという、苦い事実を突きつけられる」<ref name="hashimoto"/>と述べ、その「青春の自意識のつらさ」を描いて、『伊豆の踊子』は永遠の作品となっていると解説している<ref name="hashimoto"/>。

[[三島由紀夫]]は、川端康成の全作品に重要な主題である「[[処女]]の主題」の端緒の姿が『伊豆の踊子』にあらわれているとし<ref name="mishima">[[三島由紀夫]]「『伊豆の踊子』について」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)</ref>、主人公が見る踊子の描写を引きながら、「これらの静的な、また動的な[[デッサン]]によって的確に組み立てられた処女の内面は、一切読者の想像に委ねられている。川端氏はこの『処女の主題』のおかげで、氏の同時代の作家が悉く陥った浅はかな似非近代的心理主義の感染を免かれるのである。世間ではこれを[[抒情]]というが、『伊豆の踊子』の終局に見られる『甘い快さ』がどうして抒情であろうか。これはむしろ反抒情的なものだ。まるでこの見事な若書の小説は、『甘い快さ』だけではこのような作品が成立しないことの証明として書かれたようなものだからだ」<ref name="mishima"/>と解説している。そして、「若書」という言葉に善い意味をつけられるなら、と前置きし、『伊豆の踊子』は日本の作家が滅多にもたない若さそれ自体の未完成の美をもっているが故に、決して作品の未完成を意味しない真の若書ともいえるべき作品であると高い評価をしている<ref name="mishima"/>。

また三島は、処女の内面は本来表現の対象たりうるものではなく、処女を犯した男は決して処女について知ることはできず、また処女を犯さない男も処女について十分に知ることはできないと述べ<ref name="mishima"/>、「しからば処女というものはそもそも存在しうるものであろうか。この不可知の苦い認識、人が川端氏の抒情というのは、実はこの苦い認識を不可知のものへ押しすすめようとする精神の或る純潔な焦燥なのである。焦燥であるために一見あいまいな語法が必要とされる。しかしこのあいまいさは正確なあいまいさだ」<ref name="mishima"/>と川端の表現方法を解説し、「ここにいたって、処女性の秘密は、芸術作品がこの世に存在することの秘密の形代(かたしろ)になるのである。表現そのものの不可知の作用に関する表現の努力がここから生れる」<ref name="mishima"/>と述べている。そして『伊豆の踊子』の南伊豆の明るい秋の風光は、[[掌編小説]]『有難う』にもたぐいまれな美しさで再現されているとし、併読をすすめている<ref name="mishima"/>。

[[北野昭彦]]は踊子について、「<私>の踊子像はその時々で多面的に変容する。彼女は、[[カール・グスタフ・ユング|ユング]]が元型的形象の一つとしてあげた<[[コレー]]像>に似ている。コレーとは、[[少女]]、[[母親|母]]、[[花嫁]]の三重の相において現れる永遠の[[女性|乙女]]である。『コレー像は未知の若い少女として登場』<ref name="jung">[[カール・グスタフ・ユング]]『コレー像の心理学的位相について』(『神話学入門』[[カール・ケレーニイ]]との共著・[[杉浦忠夫]]訳)([[晶文社]]、1975年)</ref>し、『しばしば微妙なニュアンスを持つのが踊り子である』<ref name="jung"/>とされている」<ref>[[北野昭彦]]『「伊豆の踊子」の<物乞ひ旅芸人>の背後――定住と遍歴、役者と演劇青年、娘芸人と学生』(日本言語文化研究、2007年3月)</ref>と解説している。

なお、主人公と踊子が乗船場で別れる場面で、さよならを言おうとして止めて、ただうなずいたのがどちらであるかが、主語が書かれていないため、読者からの質問が多数寄せられた問題点について川端康成は、主語は「踊子」であるとし、「はじめ、私はこの質問が思ひがけなかつた。踊子にきまつてゐるではないか。この港の別れの情感からも、踊子がうなづくのでなければならない。この場の『私』と踊子との様子からしても、踊り子であるのは明らかではないか。『私』が踊子かと疑つたり迷つたりするのは、読みが足りないのではなからうか」<ref name="sakusha"/>と述べ、「『もう一ぺんただうなづいて見せた』で、『もう一ぺん』とわざわざ書いたのは、その前に、踊子がうなづいたことを書いてゐるからである。(中略)『私が』の『が』は、『さよならを言はうとした』のが、私とは別人の踊子であること、踊子といふ主格が省略されてゐることを暗に感じさせないだらうか」<ref name="sakusha"/>と説明している。なお、英訳ではこの部分の主語が、“I”(私)と誤訳されてしまっている<ref name="takamoto"/>。

そして川端はあえて新版でも、この主語を補足しなかった理由について、「主格を入れる入れないの部分が、気をつけて読むと、不用意な粗悪な文章だからである。主格を補ふだけではすまなくて、そこを書き直さねばならぬやうに思へるからである。(中略)『伊豆の踊子』はすべて『私』が見た風に書いてあつて、踊子の心理や感情も、私が見聞きした踊子のしぐさや表情や会話だけで書いてあつて、踊子の側からはなに一つ書いてない。したがつて、『(踊子は)さよならを言はうとしたが、それも止して』と、ここだけ踊子側から書いてあるのは、全体をやぶる表現である。(中略)こんな風だから、主格の一語を補ふだけですまなくて、旧作の三四行を書き直さねばならないとなると、私は重苦しい嫌悪にとらへられてしまふ。もし仔細にみれば、全編ががたがたして来さうである」<ref name="sakusha"/>と説明している。

[[高本條治]]は、この踊子の主格問題に関する川端の、「全体をやぶる表現」という言及の意味について、「私」が見た風に書くという「語りの視点」を全篇を通して一貫させるべきであったというのが、小説家としての川端の反省的自覚であったと述べ<ref name="takamoto">高本條治『ただうなずいて見せたひと――川端康成「伊豆の踊子」の語用論的分析』([[上越教育大学]]研究紀要、1997年3月)</ref>、「読み手は、この小説作品の冒頭から末尾まで、『私』に同化して、『私』に感情移入し、いわば『私』になりきって解釈処理を続けているはずである。(中略)それが、小説のいよいよ最後近くに至って、たった一箇所だけ、[[語彙]]統語構造に表れた結束性の手がかりに従う限りにおいて、『私』以外の人物と同化した視点で語られたと解釈できる部分が混入している」<ref name="takamoto"/>と解説している。そして、川端が犯した不用意な視点転換は、そのことに注意を向けることができるだけの認知能力をもつ読み手にとっては、重大な解釈問題として顕在化されていると論じている<ref name="takamoto"/>。

これ対し[[三川智央]]はこの視点転換問題について、「そこでは『私』と踊子の<離別>とともに、まるでそれを阻止するかのように『私』と踊子の心理的<一体化>が示される」<ref name="mikawa">三川智央『伊豆の踊子』再考――葛藤する<語り>と別れの場面における主語の問題』([[金沢大学]]国語国文、1998年12月)</ref>と述べ、それは、「あくまで現実世界の解釈コードでは認識不能な<事実>として、いわば『私』の踊子に対する一方的な一体化の夢想として呈示されるのであり、『私』の意識の肥大化と<他者>である踊子の抹殺とを前提にしているのだが、読者である私たちは解釈コードの組み替えによってそのような『私』の<暴力性>を隠蔽し、<抒情的空間>とでもいうべきものとしての物語世界を辛うじて受け入れることになる」<ref name="mikawa"/>と解説している。そして、「『伊豆の踊子』は、自己の<過去の事実>を先行する物語内容として『語り手』という人格的言表主体が物語行為を遂行するという一般的な一人称小説の構造などには還元できない、むしろそのような主体を疎外する<語り>そのものの<力>によって支えられているのであり、多重的な<語り>の葛藤によって生じた軌跡として形を与えられているに過ぎない」<ref name="mikawa"/>のであるから、物語内容の物語言説に対する優位性という従来的な仮構は、そこでは既に崩壊してしまっていると、三川は論じている<ref name="mikawa"/>。

== 映画化 ==
[[ファイル:Izu no odoriko 1954 poster.jpg|thumb|伊豆の踊子([[1954年]])<br />[[美空ひばり]]と[[石濱朗]]]]

*『恋の花咲く 伊豆の踊子』([[松竹]])
*:1933年(昭和8年)2月2日公開。[[モノクローム|白黒]]・[[サイレント映画]]
*:監督:[[五所平之助]]。脚本:[[伏見晃]]。撮影:[[小原譲治]]。
*:主演:[[田中絹代]]、[[大日方傳]]、[[河村黎吉]]、[[小林十九二]]、[[若水順子]]、[[新井淳]]、ほか
*:※ 初の映画化作品。

*『伊豆の踊子』(松竹)
*:1954年(昭和29年)公開。[[白黒映画|白黒]]98分。
*:監督:[[野村芳太郎]]。製作:[[山本武]]、[[山内静夫]]。企画:[[福島通人]]。脚本:[[伏見晁]]。撮影:[[西川亨]]。音楽:[[木下忠司]]
*:出演:[[美空ひばり]]、[[石濱朗]]、[[由美あづさ]]、[[片山明彦]]、[[雪代敬子]]、 [[三島耕]]、[[日守新一]]、[[南美江]]、[[松本克平]]、[[多々良純]]、[[桜むつ子]]

*『伊豆の踊子』(松竹)
*:1960年(昭和35年)5月13日公開。カラー87分。
*:監督:[[川頭義郎]]。製作:[[小梶正治]]。脚本:[[田中澄江]]。撮影:[[荒野諒一]]。美術:[[岡田要]]。音楽:[[木下忠司]]。
*:出演:[[鰐淵晴子]]、[[津川雅彦]]、[[桜むつ子]]、[[田浦正巳]]、[[城山順子]]、[[瞳麗子]]、ほか

*『[[伊豆の踊子 (1963年の映画)|伊豆の踊子]]』([[日活]])
*:1963年(昭和38年)6月2日公開。カラー87分。
*:監督:[[西河克己]]。脚本:[[井手俊郎]]、西河克己。
*:出演:[[吉永小百合]]、[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]、[[大坂志郎]]、[[堀恭子]]、[[浪花千栄子]]、ほか
{{Main|伊豆の踊子 (1963年の映画)}}

*『[[伊豆の踊子 (1967年の映画)|伊豆の踊子]]』([[東宝]])
*:1967年(昭和42年)2月25日公開。カラー。
*:監督:[[恩地日出夫]]。脚本:恩地日出夫、[[井手俊郎]]。
*:出演:[[内藤洋子 (女優)|内藤洋子]]、[[黒沢年男]]、[[江原達怡]]、[[田村奈己]]、[[乙羽信子]]、ほか

*『[[伊豆の踊子 (1974年の映画)|伊豆の踊子]]』(東宝)
*:1974年(昭和49年)12月28日公開。カラー82分。
*:監督:[[西河克己]]。脚本:[[若杉光夫]]。
*:出演:[[山口百恵]]、[[三浦友和]]、[[中山仁]]、[[佐藤友美]]、[[一の宮あつ子]]、ほか
{{Main|伊豆の踊子 (1974年の映画)}}

== テレビドラマ化 ==
*[[連続テレビ小説]]『伊豆の踊り子』([[日本放送協会|NHK]])
*:1961年(昭和36年)1月1日 - 3日 日曜日 - 火曜日 22:15 - 22:40
*:脚本:[[篠崎博]]。演出:[[畑中庸生]]。
*:出演:[[小林千登勢]]、[[山本勝]]、[[梅野公子]]、[[鈴木瑞穂]]
*:※ この作品の成功により「連続テレビ小説」の素地が出来上がった。

*『伊豆の踊り子』([[関西テレビ放送|KTV]])
*:1973年(昭和48年)2月4日、11日(全2回) 日曜日 21:30 - 22:25
*:演出:[[岡本五十二]]。提供:[[黄桜酒造]]。
*:出演:[[栗田ひろみ]]、[[小林芳宏]]、[[ジェリー藤尾]]、[[奈良岡朋子]]、[[神鳥ひろ子]]([[上岡紘子]])、[[松岡きっこ]]

*[[青春アニメ全集|青春アニメ]]『伊豆の踊子』([[日本テレビ放送網|NTV]])
*:1986年(昭和61年)4月25日 金曜日 19:00 - 19:30
*:脚本:[[吉田憲二]]。演出:[[高須賀勝己]]。総監督:[[黒川文男]]。キャラクター監修:[[森康二]]。キャラクターデザイン:[[椛島義夫]]。エンディングイラスト:[[林静一]]。音楽:[[坂田晃一]]。製作:[[本橋浩一]]。
*:声の出演:[[島本須美]]、[[神谷明]]、[[津嘉山正種]]、[[今井和子]]、[[小宮和枝]]、[[緒方賢一]]。語り部:[[木内みどり]]。
*:主題歌:[[ダ・カーポ]]「青春は舟」「ため息」(作詞:[[なかにし礼]]。作曲:[[坂田晃一]]。編曲:[[島津秀雄]])
*:※ [[新潮社]]より「アニメ文学館」(全15巻)の第1巻([[伊藤左千夫]]『[[野菊の墓]]』と合わせて)としてビデオ(VHS、DVD)発売。

*『伊豆の踊子』([[TBSテレビ|TBS]])
*:1992年(平成4年)2月3日 月曜日 21:00 - 22:54
*:脚本:[[矢島正雄]]。演出:[[三村晴彦]]。
*:出演:[[小田茜]]、[[萩原聖人]]、[[後藤久美子]]、[[布施博]]、[[秋本奈緒美]]、[[越智静香]]、[[小島三児]]、[[小倉一郎]]、[[細川俊之]]、[[高樹沙耶]]([[益戸育江]])、[[吉行和子]]

*日本名作ドラマ『伊豆の踊子』([[テレビ東京|TX]])
*:1993年(平成5年)6月14日、21日(全2回) 月曜日 21:00 - 21:54
*:脚本:[[井手俊郎]]、[[恩地日出夫]]。演出:恩地日出夫。制作会社:東北新社クリエイツ、TX。
*:出演:[[早勢美里]](早瀬美里)、[[木村拓哉]]、[[加賀まりこ]]、[[柳沢慎吾]]、[[飯塚雅弓]]、[[大城英司]]、[[石橋蓮司]]

*[[モーニング娘。新春! LOVEストーリーズ]]1st story『伊豆の踊子』(TBS)
*:2002年(平成14年)1月2日 水曜日 21:00 - 23:24
*:脚本:[[寺田敏雄]]。演出:[[星田良子]]。制作:[[持田一政]]、[[浅井洋一]]。企画:[[貴島誠一郎]]、[[橋本孝]]。プロデュース:[[鈴木伸太郎]]。
*:出演:[[後藤真希]]、[[小橋賢児]]、[[石黒賢]]、[[片平なぎさ]]、[[保田圭]]、[[辻希美]]、[[国分佐智子]]、[[渡辺いっけい]]、[[大杉漣]]、[[銀粉蝶]]、[[北川智繪]]、[[ト字たかお]]、[[鈴木修平]]、[[三木茂]]、[[西川りな]]、[[石原有菜]]、[[劇団東俳]]、[[テアトルアカデミー]]、伊豆の住民

== ラジオドラマ化 ==
*[[ラジオ図書館]]『伊豆の踊子』([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBS]])
*:1991年(平成3年)11月9日 日曜日 22:05 - 23:00
*:脚色:[[森治美]]。提供:[[霊友会]]。
*:出演:[[増田未亜]]・[[中村彰男]]、[[大島蓉子]] [[北川智絵]] 

== 舞台化 ==
*新派『伊豆の踊子』
*:1957年(昭和32年)[[ 新橋演舞場]]
*:脚本:[[北条誠]]。主演:[[光本幸子]]

*新派『伊豆の踊子』
*:1969年(昭和44年)
*:主演:光本幸子、[[有田正治]]

*『贋作 伊豆の踊子2010』 [[劇団ドガドガプラス]]公演
*:2010年(平成22年)5月13日 - 19日 [[浅草東洋館]]
*:脚本・演出:[[望月六郎]]。
*:出演:[[戸田佳世子]]、[[黒沢美香]]、[[浦川奈津子]]、[[kumico]]、[[松本都]]、[[梨本翠子]]、[[奈良坂篤]]、[[櫻井正一]]、[[高原知秀]]、[[J・橋口裕]]、ほか

== 物語の地・文学碑 ==
踊子たちが通った道は、「踊子コース」として散策できるようになっており、文学碑や文学博物館ができている。[[天城湯ヶ島町]]の[[国道414号線]]の水生地下バス停から旧街道に入り、しばらく行ったところに文学碑はある。碑には、「道がつづら折りになつて、いよいよ天城峠に近づいたと思ふころ…」という作品の冒頭部分が刻まれており、川端康成の銅版製のレリーフも設置されている。

[[1981年]](昭和56年)10月1日より、[[日本国有鉄道|国鉄]](1987年4月1日以降[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[伊豆急行線|伊豆急線]]・[[伊豆箱根鉄道駿豆線|伊豆箱根鉄道線]]直通[[特別急行列車|特急列車]]の名称に、「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」号の名称が充てられた。また、[[東海自動車]](1999年4月1日以降は[[中伊豆東海バス]])の[[ボンネットバス]]の愛称には、「伊豆の踊子号」が充てられるなど、「踊子」は伊豆の地で愛称化されている。

== おもな刊行本 ==
*『伊豆の踊子』([[金星堂]]、1927年3月)
*:装幀:[[吉田謙吉]](湯本館の一室「山桜」の欄間の図柄)。
*:収録作品:白い満月、招魂祭一景、孤児の感情、[[十六歳の日記]]、伊豆の踊子、ほか5編

*文庫版『伊豆の踊子』([[新潮文庫]]、1950年8月20日。改版2003年)
*:カバー装幀:[[宮本順子]]。付録・解説:[[竹西寛子]]「川端康成 人と作品」。[[三島由紀夫]]「『伊豆の踊子について』」。年譜。
*:収録作品:伊豆の踊子、温泉宿、[[抒情歌 (小説)|抒情歌]]、[[禽獣 (小説)|禽獣]]

*文庫版『伊豆の踊子・[[禽獣 (小説)|禽獣]]』([[角川文庫]]、1951年7月30日。改版1999年)
*:装幀:[[杉浦康平]]。カバー装獲:[[蓬田やすひろ]]。付録・解説:[[進藤純孝]]「川端康成――人と文学」。[[古谷鋼武]]「作品解説」。川端康成「『伊豆の踊子について』」。年譜。
*:収録作品:伊豆の踊子、青い海黒い海、驢馬の乗る妻、禽獣、慰霊歌、二十歳、むすめごころ、父母

*文庫版『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』([[岩波文庫]]、1952年。改版2003年)
*:装幀:[[精興社]]。付録:川端康成「あとがき」。略年譜。
*:収録作品:十六歳の日記、招魂祭一景、伊豆の踊子、青い海 黒い海、春景色、温泉宿

*文庫版『伊豆の踊子・骨拾い』([[講談社文芸文庫]]、1999年3月10日)
*:装幀:[[菊池信義]]。付録・解説:[[羽鳥徹哉]]。
*:収録作品:骨拾い、日向、処女作の祟り、篝火、十六歳の日記、油、葬式の名人、孤児の感情、伊豆の踊子、父母への手紙、ちよ

*文庫版『伊豆の踊子』([[集英社文庫]]、1977年5月30日。改版1993年)
*:付録・解説:[[奥野健男]]「鮮やかな感覚表現」。[[橋本治]]「鑑賞――『恋の垣根』」。年譜。
*:2008年新装版より、カバー装画:[[荒木飛呂彦]]。
*:収録作品:伊豆の踊子、招魂祭一景、十六歳の日記、死体紹介人、温泉宿

*英文版『The Izu Dancer』(訳:[[エドワード・G・サイデンステッカー]]、Leon Picon)(Tuttle classics、1964年、2004年)
*:収録作品:川端康成「伊豆の踊子」(The Izu Dancer)、[[井上靖]]「ある偽作家の生涯」(The Counterfeiter)、井上靖「姨捨」(Obasute)、井上靖「満月」(The Full Moon)

*英文版『Oxford Book of Japanese Short Stories (Oxford Books of Prose & Verse) 』(編集:Theodore W. Goossen。訳:Jay Rubin)(Oxford and New York: Oxford University Press,、1997年)
*:収録作品:[[森鴎外]]「[[山椒大夫]]」(Sansho the Steward)、[[芥川龍之介]]「[[藪の中]]」(In a Grove)、[[宮沢賢治]]「[[なめとこ山の熊]]」(The Bears of Nametoko)、[[横光利一]]「[[春は馬車に乗って]]」(Spring Riding in a Carriage)、川端康成「伊豆の踊子」(The Izu Dancer)、[[梶井基次郎]]「[[檸檬 (小説)|檸檬]]」(Lemon)、[[坂口安吾]]「[[桜の森の満開の下]]」(In the Forest, Under Cherries in Full Bloom)、[[中島敦]]「[[名人伝]]」(The Expert)、[[安部公房]]「[[賭 (小説)|賭]]」(The Bet)、[[三島由紀夫]]「[[女方 (小説)|女方]]」(Onnagata,)、ほか

*英文版『The Dancing Girl of Izu and Other Stories』(訳:J. Martin Holman)(Counterpoint Press、1998年)
*:収録作品:伊豆の踊子(The Dancing Girl of Izu)、十六歳の日記(Diary of My Sixteenth Year)、 油(Oil)、葬式の名人(The Master of Funerals)、骨拾い(Gathering Ashes)、ほか

== 漫画化 ==
*ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ『伊豆の踊子』([[ホーム社]]、2010年9月10日)
*:画:[[井出智香恵]]。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
<references />


== 参考文献 ==
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*文庫版『伊豆の踊子』)(付録・解説 [[竹西寛子]]、[[三島由紀夫]])([[新潮文庫]]、1950年。改版2003年)
*文庫版『伊豆の踊子』(付録・解説 [[奥野健男]]、[[橋本治]])([[集英社文庫]]、1977年。改版1993年)
*『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)
*『新潮日本文学アルバム27 [[梶井基次郎]]』(新潮社、1985年)
*[[北野昭彦]]『「伊豆の踊子」の<物乞ひ旅芸人>の背後――定住と遍歴、役者と演劇青年、娘芸人と学生』(日本言語文化研究、2007年3月) [http://ci.nii.ac.jp/els/110006607894.pdf?id=ART0008576390&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1367300088&cp=]
*[[高本條治]]『ただうなずいて見せたひと――川端康成「伊豆の踊子」の語用論的分析』([[上越教育大学]]研究紀要、1997年3月) [http://repository.lib.juen.ac.jp/dspace/bitstream/10513/93/1/kiyo16_2-08.pdf]
*[[三川智央]]『伊豆の踊子』再考――葛藤する<語り>と別れの場面における主語の問題』([[金沢大学]]国語国文、1998年12月) [http://www2.ttn.ne.jp/~tomohisa/new_page_6.htm]

== 関連項目 ==
*[[天城峠]]
*[[湯ヶ野温泉]]
*[[天城越え (松本清張)]]
*[[桃割れ]]
*[[踊り子 (列車)]]

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2013年5月8日 (水) 11:16時点における版

伊豆の踊子
The Izu Dancer
著者 川端康成
発行日 1927年3月
発行元 金星堂
ジャンル 短編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ウィキポータル 文学
ウィキポータル 映画
ウィキポータル 舞台芸術
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伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成短編小説。川端の初期の代表的作品で、19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている[1][2]1926年(大正15年)、雑誌「文藝時代」1月号と2月号に分載された。単行本は翌年1927年(昭和2年)3月に金星堂より刊行された。なお、本作の校正作業は梶井基次郎がおこなった[3]

日本人に親しまれている名作でもあり[4]、今までに6回映画化され、ヒロインである踊子・薫は、田中絹代から吉永小百合山口百恵まで当時のアイドル的な女優が演じている。

天城トンネル。主人公が、このトンネルの脇にあった峠の茶屋で、はじめて踊子と会話を持った場所として描かれている。

概要

孤独に悩み、人生の汚濁から逃れようと伊豆へ一人旅に出た青年が、湯ヶ島天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。青年の潔癖な感傷が踊子の清純無垢な心にあたたかく解きほぐされてゆく雪どけのような清冽さと、自力を超えるものとの格闘に真摯な若者だけが経験する人生初期のこの世との和解の切実さが描かれている[5]

作品の背景として、主人公の青年である川端康成には、幼少期に身内をほとんど失っており、2歳で父親、3歳で母親、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去し孤児となるという生い立ちがあったため[2]、本作中に「孤児根性」という言葉が出てくる。また当時、旅芸人は河原乞食と蔑まれ、作中にも示されているように物乞いのような身分の賤しいものとみなされていた[4][6]

川端はこの伊豆の旅以来、湯ヶ島の「湯本館」に1927年(昭和2年)までの約10年間毎年のように滞在するようになり、1924年(大正13年)に大学を卒業してからの3、4年は滞在期間が、半年あるいは1年以上に長引くこともあった[7]。本作を執筆している頃は、湯ヶ島へ転地療養に来た梶井基次郎に旅館の紹介をし、一緒に囲碁に興じたり、本作の校正をやってもらっていたという[3]。また川端は、ほとんど宿賃を払わないまま湯ヶ島に滞在し続けたと言われ、川端の豪放磊落な一面が垣間見える[要出典]

あらすじ

20歳の一高生の私は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れず、一人伊豆への旅に出る。私は道中で出会った旅芸人一座の一人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に下田まで旅することになった。一行を率いているのは踊子の兄で、大島から来た彼らは家族で旅芸人をしていた。私は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。そして踊子が私に寄せる無垢で純情な心からも、私は悩んでいた孤児根性から抜け出せると感じた。

下田へ着き、私は踊子やその兄嫁らを活動(映画)に連れて行こうとするが、踊子一人しか都合がつかなくなると、踊子は母親から活動行きを反対された。明日、東京へ帰らなければならない私は、夜一人だけで活動へ行った。暗い町で遠くから微かに踊子の叩く太鼓の音が聞えてくるようで、わけもなく涙がぽたぽた落ちた。

別れの旅立ちの日、昨晩遅く寝た女たちを置いて、踊子の兄だけが私を乗船場まで送りに来た。乗船場へ近づくと、海際に踊子がうずくまって私を待っていた。二人だけになった間、踊子はただ私の言葉にうなずくばかりで一言もなかった。私が船に乗り込もうと振り返った時、踊子はさよならを言おうしたが、止してもう一度うなずいて見せただけだった。船がずっと遠ざかってから踊子がで白いものを振り始めた。私は伊豆半島の南端がうしろに消えてゆくまで、沖の大島を一心に眺めていた。船室で横にいた少年の親切を私は自然に受け入れられるような気持になり、泣いているのを見られても平気だった。私は涙を出るに委せ、頭が澄んだ水になってしまって、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。

登場人物

年齢は数え年

20歳。一高の学生。学校の制帽で、紺飛白の着物のをはき、学生鞄を肩にかけた格好で伊豆の一人旅をしている。湯川橋の近くで旅芸人の一行に出会う。再び天城七里の山道で出会い下田まで一緒に旅する。湯ヶ野鳥打帽を買い、制帽は鞄にしまう。歯並びが悪い。東京では寄宿舎に住む。
踊子(薫)
14歳。当初「私」には17歳くらいに見える。旅芸人一座の一員。古風に結った髪に卵形の凛々しい小さい顔の初々しい乙女。若桐のように足のよく伸びた白い裸身で湯殿から無邪気に手をふる。五目並べが強い。美しい黒髪。美しく光る黒眼がちの大きい眼。花のように笑う。尋常小学校二年までは甲府にいたが、家族と大島に引っ越す。小犬を旅に同行させている。
男(栄吉)
24歳。踊子の兄で旅芸人。旅芸人たちは大島の波浮港からやって来た。栄吉は東京で、ある新派役者の群に加わっていたことがある。実家は甲府にあり、家の後目は栄吉の兄が継いでいる。幼い妹にまで旅芸人をさせなければならない事情があり、心を痛めている。大島には小さな家を二つ持っていて、山の方の家には爺さんが住んでいる。
上の娘(千代子)
19歳。栄吉の妻。流産早産で二度子供を亡くした。二度目の子は旅の空で早産し、子は一週間で死去。下田の地でその子の49日を迎える。
40女(おふくろ)
薫と栄吉の母親。薫に三味線を教えている。生娘の薫に、男が触るのを嫌がる。国の甲府市には民次という尋常中学五年生の息子もいる。
中の娘(百合子)
17歳。雇われている芸人。大島生れ。はにかみ盛り。
茶屋の婆
天城七里の山道の茶店の婆さん。爺さん(夫)は長年中風を患っている。一高の制帽の「私」を旦那さまと呼び、旅芸人を「あんな者」と軽蔑を含んだ口調で話す。
紙屋
宿で「私」とを打つ。紙類を卸して廻る行商人。60歳近い爺さん。
鳥屋
40歳前後の男。旅芸人一行が泊まっている木賃宿の間を借りて鳥屋をしている。踊子たちに鳥鍋を御馳走する。「水戸黄門漫遊記」の続きを読んでくれと踊子にせがまれるが立ち去り、「私」が代りにそれを読んで踊子に聞かせる。
土方風の男
鉱夫。帰りの霊岸島行きの船の乗船場で、「私」に声をかけ、水戸へ帰る老婆を上野駅まで連れてやってほしいと頼む。
老婆
蓮台寺銀山で働いていた倅とその嫁をスペイン風邪で亡くす。残された孫三人と故郷の水戸へ帰えるため、乗船場まで鉱夫たちに付添われている。
少年
河津の工場主の息子。東京へ帰る船で「私」と出会う。一高入学準備のために東京に向っていた。泣いている「私」に海苔巻きすしをくれ、着ている学生マントへもぐり込ませ温めてくれる。

作品評価・解釈

川端康成は本作について、「『伊豆の踊子』はすべて書いた通りであつた。事実そのままで虚構はない。あるとすれば省略だけである」[8]と述べている。また、「私の旅の小説の幼い出発点である」[8]とも述べている。川端が伊豆に旅したのは、一高入学の翌年1918年(大正7年)の秋で、寮の誰にも告げずに出発した8日ほどの旅であったという[1]。このときの体験を『湯ヶ島の思ひ出』という素稿に書き、『伊豆の踊子』、『少年』、『ちよ』などの作品へ発展していった[1]。川端は旅に出た動機について、「私は高等学校の寮生活が、一、二年の間はひどく嫌だつた。中学五年の時の寄宿舎と勝手が違つたからである。そして、私の幼年時代が残した精神の病患ばかりが気になつて、自分を憐れむ念と自分を厭ふ念とに堪へられなかつた。それで伊豆へ行つた」[9]と述べている[1]

奥野健男は、次々と肉親を亡くした川端康成が幼い頃から死者に親しみ、あたたかい庇護を受けることのなかった生い立ちがその作風に及ぼした影響について、「孤児川端康成の心は、この世の中で虐げられ、差別され、卑しめられている人々、特にそういう少女へのいとおしみというか、殆んど同一化するような感情が、その文学の大きなモチーフになって行く」[4]と述べている。そして本作について、「伊豆の温泉町のひなびた風土と、日本人の誰でもが心の底に抱いている(そこが日本人の不思議さであるのだが)世間からさげすまれている芸人、その中の美少女への殆んど判官びいきとも言える憧憬と同一化という魂の琴線に触れた名作である」[4]と評し、「芸人は徳川時代、河原者などと軽蔑されてきた。しかし一方後白河法皇が、白拍子などの今様の歌や踊りに夢中になり、『梁塵秘抄』を編纂されたように、上流貴族と卑賎視された芸人とは不思議な交歓があり、彼らの芸は狂言歌舞伎など次々に上流階級にとりいられていた。そういう芸人に対する特別のひいき、さらには憧憬という日本人の古来からの心情を、新しく原題に生かしたのが『伊豆の踊子』である」[4]と解説している。

さらに奥野は、本作が何度も映画化される理由については、「単に伊豆の旅情のためでも、青春のプラトニックな愛のためでもなく、日本人の心情の底にある、おそらく古代からの農耕民が、放浪の遊芸人に抱く、縄文時代からの深層意識にある憧憬と贖罪の意識、つまり日本人の芸や美の根源にかかわるものを表現しているからであろう。日本人は吉永小百合山口百恵桃割れの踊子の姿にし、親しくつきあえ、恋することのできる少女に姿にせずにはいられないのだ」[4]と解説し、主人公の青年が踊子の裸身を見て安心する場面について触れながら、「温泉町の雨の夜のおかされている妄想のあと、翌朝の若桐のごとき爽やかに幼い踊子の裸身を見てことことと笑うあたりは何度読みかえしてもたのしい。作者の青春と踊子の青春がまだ青さ故に、美しく結晶した稀有の作品と言えよう」[4]と述べている。

橋本治は、主人公の青年が最後に泣き続ける意味について、踊子とエリートの卵という「身分の差」の垣根や、冷静を装って踊子の姿をじっと観察していられる余裕もなくなってしまう恋という感情、ただその人にひれ伏すしかなくなってしまう感情を主人公が内心認めたくなく、冷静に別れたつもりだったはずが、「船から遠ざかって行く“はしけ”の上で白いハンカチを振っている踊子の姿を見て、プライドの高い“私”は、ついに恋という感情を認めた」[6]と解説している。そして、「ただ彼女といられて幸福だった」という感情を、何の身分の差のない少年をまるで踊子とつながる人間でもあるかのように、そのマントに包まれながら主人公は認めたとし、「『伊豆の踊子』は、恋という垣根を目の前にして、そして越えられるはずの垣根に足を取られ、自分というものを改めて見詰めなければどうにもならないのだという、苦い事実を突きつけられる」[6]と述べ、その「青春の自意識のつらさ」を描いて、『伊豆の踊子』は永遠の作品となっていると解説している[6]

三島由紀夫は、川端康成の全作品に重要な主題である「処女の主題」の端緒の姿が『伊豆の踊子』にあらわれているとし[10]、主人公が見る踊子の描写を引きながら、「これらの静的な、また動的なデッサンによって的確に組み立てられた処女の内面は、一切読者の想像に委ねられている。川端氏はこの『処女の主題』のおかげで、氏の同時代の作家が悉く陥った浅はかな似非近代的心理主義の感染を免かれるのである。世間ではこれを抒情というが、『伊豆の踊子』の終局に見られる『甘い快さ』がどうして抒情であろうか。これはむしろ反抒情的なものだ。まるでこの見事な若書の小説は、『甘い快さ』だけではこのような作品が成立しないことの証明として書かれたようなものだからだ」[10]と解説している。そして、「若書」という言葉に善い意味をつけられるなら、と前置きし、『伊豆の踊子』は日本の作家が滅多にもたない若さそれ自体の未完成の美をもっているが故に、決して作品の未完成を意味しない真の若書ともいえるべき作品であると高い評価をしている[10]

また三島は、処女の内面は本来表現の対象たりうるものではなく、処女を犯した男は決して処女について知ることはできず、また処女を犯さない男も処女について十分に知ることはできないと述べ[10]、「しからば処女というものはそもそも存在しうるものであろうか。この不可知の苦い認識、人が川端氏の抒情というのは、実はこの苦い認識を不可知のものへ押しすすめようとする精神の或る純潔な焦燥なのである。焦燥であるために一見あいまいな語法が必要とされる。しかしこのあいまいさは正確なあいまいさだ」[10]と川端の表現方法を解説し、「ここにいたって、処女性の秘密は、芸術作品がこの世に存在することの秘密の形代(かたしろ)になるのである。表現そのものの不可知の作用に関する表現の努力がここから生れる」[10]と述べている。そして『伊豆の踊子』の南伊豆の明るい秋の風光は、掌編小説『有難う』にもたぐいまれな美しさで再現されているとし、併読をすすめている[10]

北野昭彦は踊子について、「<私>の踊子像はその時々で多面的に変容する。彼女は、ユングが元型的形象の一つとしてあげた<コレー像>に似ている。コレーとは、少女花嫁の三重の相において現れる永遠の乙女である。『コレー像は未知の若い少女として登場』[11]し、『しばしば微妙なニュアンスを持つのが踊り子である』[11]とされている」[12]と解説している。

なお、主人公と踊子が乗船場で別れる場面で、さよならを言おうとして止めて、ただうなずいたのがどちらであるかが、主語が書かれていないため、読者からの質問が多数寄せられた問題点について川端康成は、主語は「踊子」であるとし、「はじめ、私はこの質問が思ひがけなかつた。踊子にきまつてゐるではないか。この港の別れの情感からも、踊子がうなづくのでなければならない。この場の『私』と踊子との様子からしても、踊り子であるのは明らかではないか。『私』が踊子かと疑つたり迷つたりするのは、読みが足りないのではなからうか」[8]と述べ、「『もう一ぺんただうなづいて見せた』で、『もう一ぺん』とわざわざ書いたのは、その前に、踊子がうなづいたことを書いてゐるからである。(中略)『私が』の『が』は、『さよならを言はうとした』のが、私とは別人の踊子であること、踊子といふ主格が省略されてゐることを暗に感じさせないだらうか」[8]と説明している。なお、英訳ではこの部分の主語が、“I”(私)と誤訳されてしまっている[13]

そして川端はあえて新版でも、この主語を補足しなかった理由について、「主格を入れる入れないの部分が、気をつけて読むと、不用意な粗悪な文章だからである。主格を補ふだけではすまなくて、そこを書き直さねばならぬやうに思へるからである。(中略)『伊豆の踊子』はすべて『私』が見た風に書いてあつて、踊子の心理や感情も、私が見聞きした踊子のしぐさや表情や会話だけで書いてあつて、踊子の側からはなに一つ書いてない。したがつて、『(踊子は)さよならを言はうとしたが、それも止して』と、ここだけ踊子側から書いてあるのは、全体をやぶる表現である。(中略)こんな風だから、主格の一語を補ふだけですまなくて、旧作の三四行を書き直さねばならないとなると、私は重苦しい嫌悪にとらへられてしまふ。もし仔細にみれば、全編ががたがたして来さうである」[8]と説明している。

高本條治は、この踊子の主格問題に関する川端の、「全体をやぶる表現」という言及の意味について、「私」が見た風に書くという「語りの視点」を全篇を通して一貫させるべきであったというのが、小説家としての川端の反省的自覚であったと述べ[13]、「読み手は、この小説作品の冒頭から末尾まで、『私』に同化して、『私』に感情移入し、いわば『私』になりきって解釈処理を続けているはずである。(中略)それが、小説のいよいよ最後近くに至って、たった一箇所だけ、語彙統語構造に表れた結束性の手がかりに従う限りにおいて、『私』以外の人物と同化した視点で語られたと解釈できる部分が混入している」[13]と解説している。そして、川端が犯した不用意な視点転換は、そのことに注意を向けることができるだけの認知能力をもつ読み手にとっては、重大な解釈問題として顕在化されていると論じている[13]

これ対し三川智央はこの視点転換問題について、「そこでは『私』と踊子の<離別>とともに、まるでそれを阻止するかのように『私』と踊子の心理的<一体化>が示される」[14]と述べ、それは、「あくまで現実世界の解釈コードでは認識不能な<事実>として、いわば『私』の踊子に対する一方的な一体化の夢想として呈示されるのであり、『私』の意識の肥大化と<他者>である踊子の抹殺とを前提にしているのだが、読者である私たちは解釈コードの組み替えによってそのような『私』の<暴力性>を隠蔽し、<抒情的空間>とでもいうべきものとしての物語世界を辛うじて受け入れることになる」[14]と解説している。そして、「『伊豆の踊子』は、自己の<過去の事実>を先行する物語内容として『語り手』という人格的言表主体が物語行為を遂行するという一般的な一人称小説の構造などには還元できない、むしろそのような主体を疎外する<語り>そのものの<力>によって支えられているのであり、多重的な<語り>の葛藤によって生じた軌跡として形を与えられているに過ぎない」[14]のであるから、物語内容の物語言説に対する優位性という従来的な仮構は、そこでは既に崩壊してしまっていると、三川は論じている[14]

映画化

伊豆の踊子(1954年
美空ひばり石濱朗

テレビドラマ化

ラジオドラマ化

舞台化

  • 新派『伊豆の踊子』
    1969年(昭和44年)
    主演:光本幸子、有田正治

物語の地・文学碑

踊子たちが通った道は、「踊子コース」として散策できるようになっており、文学碑や文学博物館ができている。天城湯ヶ島町国道414号線の水生地下バス停から旧街道に入り、しばらく行ったところに文学碑はある。碑には、「道がつづら折りになつて、いよいよ天城峠に近づいたと思ふころ…」という作品の冒頭部分が刻まれており、川端康成の銅版製のレリーフも設置されている。

1981年(昭和56年)10月1日より、国鉄(1987年4月1日以降JR東日本伊豆急線伊豆箱根鉄道線直通特急列車の名称に、「踊り子」号の名称が充てられた。また、東海自動車(1999年4月1日以降は中伊豆東海バス)のボンネットバスの愛称には、「伊豆の踊子号」が充てられるなど、「踊子」は伊豆の地で愛称化されている。

おもな刊行本

  • 『伊豆の踊子』(金星堂、1927年3月)
    装幀:吉田謙吉(湯本館の一室「山桜」の欄間の図柄)。
    収録作品:白い満月、招魂祭一景、孤児の感情、十六歳の日記、伊豆の踊子、ほか5編
  • 文庫版『伊豆の踊子・禽獣』(角川文庫、1951年7月30日。改版1999年)
    装幀:杉浦康平。カバー装獲:蓬田やすひろ。付録・解説:進藤純孝「川端康成――人と文学」。古谷鋼武「作品解説」。川端康成「『伊豆の踊子について』」。年譜。
    収録作品:伊豆の踊子、青い海黒い海、驢馬の乗る妻、禽獣、慰霊歌、二十歳、むすめごころ、父母
  • 文庫版『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』(岩波文庫、1952年。改版2003年)
    装幀:精興社。付録:川端康成「あとがき」。略年譜。
    収録作品:十六歳の日記、招魂祭一景、伊豆の踊子、青い海 黒い海、春景色、温泉宿
  • 文庫版『伊豆の踊子・骨拾い』(講談社文芸文庫、1999年3月10日)
    装幀:菊池信義。付録・解説:羽鳥徹哉
    収録作品:骨拾い、日向、処女作の祟り、篝火、十六歳の日記、油、葬式の名人、孤児の感情、伊豆の踊子、父母への手紙、ちよ
  • 文庫版『伊豆の踊子』(集英社文庫、1977年5月30日。改版1993年)
    付録・解説:奥野健男「鮮やかな感覚表現」。橋本治「鑑賞――『恋の垣根』」。年譜。
    2008年新装版より、カバー装画:荒木飛呂彦
    収録作品:伊豆の踊子、招魂祭一景、十六歳の日記、死体紹介人、温泉宿
  • 英文版『The Izu Dancer』(訳:エドワード・G・サイデンステッカー、Leon Picon)(Tuttle classics、1964年、2004年)
    収録作品:川端康成「伊豆の踊子」(The Izu Dancer)、井上靖「ある偽作家の生涯」(The Counterfeiter)、井上靖「姨捨」(Obasute)、井上靖「満月」(The Full Moon)
  • 英文版『The Dancing Girl of Izu and Other Stories』(訳:J. Martin Holman)(Counterpoint Press、1998年)
    収録作品:伊豆の踊子(The Dancing Girl of Izu)、十六歳の日記(Diary of My Sixteenth Year)、 油(Oil)、葬式の名人(The Master of Funerals)、骨拾い(Gathering Ashes)、ほか

漫画化

脚注

  1. ^ a b c d 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  2. ^ a b 「年譜」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)
  3. ^ a b 『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)
  4. ^ a b c d e f g 奥野健男「鮮やかな感覚表現」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)
  5. ^ 竹西寛子「解説」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)
  6. ^ a b c d 橋本治「鑑賞――『恋の垣根』」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)
  7. ^ 川端康成「あとがき」(文庫版『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)(岩波文庫、1952年。改版2003年)
  8. ^ a b c d e 川端康成『「伊豆の踊子」の作者』(風景 1967年5月 - 1968年11月号に掲載)
  9. ^ 川端康成『湯ヶ島の思ひ出』(未定草稿107枚、1922年7月)
  10. ^ a b c d e f g 三島由紀夫「『伊豆の踊子』について」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)
  11. ^ a b カール・グスタフ・ユング『コレー像の心理学的位相について』(『神話学入門』カール・ケレーニイとの共著・杉浦忠夫訳)(晶文社、1975年)
  12. ^ 北野昭彦『「伊豆の踊子」の<物乞ひ旅芸人>の背後――定住と遍歴、役者と演劇青年、娘芸人と学生』(日本言語文化研究、2007年3月)
  13. ^ a b c d 高本條治『ただうなずいて見せたひと――川端康成「伊豆の踊子」の語用論的分析』(上越教育大学研究紀要、1997年3月)
  14. ^ a b c d 三川智央『伊豆の踊子』再考――葛藤する<語り>と別れの場面における主語の問題』(金沢大学国語国文、1998年12月)

参考文献

関連項目