コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「諏訪大社」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
→‎外部リンク: 式内社のカテゴリ追加。
(20人の利用者による、間の28版が非表示)
1行目: 1行目:
{{神社|
{{神社
名称=諏訪大社|
|名称 = 諏訪大社
画像=[[画像:Suwa taisha akimiya05n4592.jpg|300px]]<br />下社秋宮幣拝殿重要文化財|
|画像 = [[ファイル:諏訪大社本宮拝殿.JPG|280px]]<br/>[[ファイル:Suwa taisha akimiya05n4592.jpg|280px]]<br/>上社 本宮(上)と下社 秋宮(
|所在地 = [[長野県]]の[[諏訪湖]]周辺に4宮<br/>(各項参照)
所在地=上社本宮:長野県[[諏訪市]]中洲宮山1<br />上社前宮:長野県[[茅野市]]宮川2030<br />下社春宮:長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]]193<br />下社秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828|
|位置 =
位置=上社本宮<small>{{ウィキ座標度分秒|35|59|54|N|138|07|10|E|}}</small><br />上社前宮<small>{{ウィキ座標度分秒|35|59|28|N|138|08|00|E|}}</small><br />下社春宮<small>{{ウィキ座標度分秒|36|04|56|N|138|04|56|E|}}</small><br />下社秋宮<small>{{ウィキ座標度分秒|36|04|32|N|138|05|28|E|}}</small>|
祭神=上社:建御名方命・八坂刀売命<br/>下社:建御名方命・八坂刀売命重事代主|
|祭神 = [[建御名方命|建御名方神]]<br/>[[八坂刀売命|坂刀売]]
|神体 =
社格=名神大社・一宮・正一位・官幣大社・別表神社|
|社格 = [[式内社]]([[名神大社|名神大]])<br/>[[信濃国]][[一宮]]<br/>旧[[官幣大社]]<br/>[[別表神社]]
本殿=|
|創建 = 不詳
別名=|
|本殿 =
例祭=
|別名 =
|札所等 =
|例祭 =
|神事 = [[御柱祭]]、御頭祭、御船祭 など多数<br/>([[諏訪大社#祭事|祭事]]参照)
}}
}}
{{座標一覧}}
'''諏訪大社'''(すわたいしゃ)は、[[長野県]]の[[諏訪湖]]の周辺に4箇所の境内地をもつ[[神社]]。[[信濃国]][[一宮]]で[[名神大社]]。[[神位]]は正一位。全国各地にある[[諏訪神社]]の本社である。その起源は定かではなく、国内にある最も古い神社の一つとされている。
[[ファイル:Japanese crest Suwa Kajinoha(White background).svg|thumb|200px|right|上社神紋「諏訪梶の葉」<br/>神紋は上社が四根の梶、下社は五根の梶。]]
'''諏訪大社'''(すわたいしゃ)は、[[長野県]]の[[諏訪湖]]周辺4ヶ所にある[[神社]]。[[式内社]]([[名神大社]])、[[信濃国]][[一宮]]。[[近代社格制度|旧社格]]は[[官幣大社]]で、現在は[[神社本庁]]の[[別表神社]]。[[神紋]]は「梶の葉」。

全国に約25,000社ある[[諏訪神社]]の総本社である。旧称は'''諏訪神社'''。通称として「お諏訪さま」・「諏訪大明神」等とも呼ばれる。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[ファイル:Suwako2.jpg|thumb|250px|right|[[諏訪盆地]]<br/>中心に[[諏訪湖]]。湖の左下(南西)に上社、右上(北東)に下社が鎮座する。]]
[[平安時代]] - [[江戸時代]]を通じ上社では[[諏訪氏]]が、下社では金刺氏が[[神職|大祝]]を務めた。[[末社]]は2万5000社に及び[[神社本庁]][[別表神社]]として宗教法人諏訪神社によって運営されている。通称、「諏訪さま」、「諏訪大明神」等とも呼ばれる。[[延喜式]]において古代においては神社の中の最高位である[[名神大社]]とされていた。[[1871年]](明治4年)に国幣中社、[[1896年]](明治29年)に官幣中社となり、[[1916年]](大正5年)に官幣大社となって、[[1948年]](昭和23年)に諏訪大社の号が用いられるようになった。現在、[[氏子]]・崇敬者の総人口は日本国内に10万人~50万人、国外に数百人いるといわれている。
[[長野県]]中央の[[諏訪湖]]を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
* '''[[諏訪大社#上社|上社]]''' (かみしゃ)
** '''[[諏訪大社#本宮|本宮]]''' (ほんみや)([[長野県]][[諏訪市]]中洲宮山)
** '''[[諏訪大社#前宮|前宮]]''' (まえみや)(長野県[[茅野市]]宮川)
* '''[[諏訪大社#下社|下社]]''' (しもしゃ)
** '''[[諏訪大社#秋宮|秋宮]]''' (あきみや)(長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]]武居)<!--公式サイトに則り、秋宮→春宮の順で記載。以下同様。-->
** '''[[諏訪大社#春宮|春宮]]''' (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)


上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。
諏訪湖の南側に'''上社'''(かみしゃ)本宮・前宮の2宮、北側に'''下社'''(しもしゃ)春宮・秋宮の2宮があり、計4つの宮から成る。社殿の四隅に[[御柱祭|御柱]](おんばしら)と呼ぶ木の柱が立っているほか社殿の配置にも独特の形を備えている。この御柱であるが、それ以前の[[ミシャグジ|ミシャグチ]]信仰の石柱との関連性があるという説が有力である。神長官守矢によると御柱はミシャグチを降ろす[[依り代]]であるとの事。また[[富士見町]]の御射山(みさやま)や[[松本市]]の[[三才山]](みさやま)などの地名は、このミシャグチ信仰が地名として残ったものとも言われている。


創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『[[梁塵秘抄]]』に「関より東の[[軍神]]、[[鹿島神宮|鹿島]]、[[香取神宮|香取]]、諏訪の宮」と謡われているように[[軍神]]として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、[[狩猟]]・[[漁業]]の守護祈願でも知られる<ref>「大法輪」第72巻1号、[[大法輪閣]]、90頁、2005年。</ref>。
別名を南宮とも言い、諏訪大社、[[南宮大社]]、[[敢國神社|敢国神社]]の3社は何らかの関係がある様で、諏訪大社を本山、南宮大社を中の宮、敢国神社を稚(おさな)き児の宮と呼ぶという。


社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される[[御柱祭]]で知られる。
『[[梁塵秘抄]]』に「関より東の[[軍神]]、[[鹿島神宮|鹿島]]、[[香取神宮|香取]]、諏訪の宮」と謡われている通り、[[軍神]]としても崇拝され、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたとされる。また、中世に狩猟神事を執り行っていたことから、[[狩猟]]、[[漁業]]の守護祈願でも知られる。<ref>「大法輪」第72巻1号、[[大法輪閣]]、90頁、2005年。</ref>


==祭神==
== 祭神 ==
当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。


* '''[[建御名方命|建御名方神]]''' (たけみなかたのかみ)
*上社
:: 上社本宮祭神。『[[古事記]]』の[[葦原中国]]平定(国譲り)の段において、[[大国主|大国主命]]の御子神として登場する。母は[[沼河比売]](奴奈川姫)とされる。
**[[建御名方命]](たけみなかたのみこと)
:: 『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている<ref>[http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/yaku/tigi.html#04 巻四 地祇本紀 地祇の系譜]</ref>。
**[[八坂刀売命]](やさかとめのみこと)
* '''[[八坂刀売命|八坂刀売神]]''' (やさかとめのかみ)
*下社 上社の2柱の他に
:: 上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。
**御兄[[事代主|八重事代主神]](やえことしろぬしのかみ)
本来の祭神は[[出雲]]系の建御名方ではなく[[ミシャグジ|ミシャグチ]]神、[[蛇]]神ソソウ神、[[狩猟]]の神チカト神、石木の神[[洩矢神|モレヤ]]神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。


なお、本来の祭神は[[出雲]]系の建御名方ではなく[[ミシャグジ|ミシャグチ]]神、[[蛇]]神ソソウ神、[[狩猟]]の神チカト神、石木の神[[洩矢神|モレヤ]]神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
[[記紀神話]]が伝えるところでは、[[天照大神]]の孫、[[瓊瓊杵尊]](ににぎのみこと)の降臨に先立ち、[[武甕槌命]](たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた[[大国主命]]に[[国譲り]]、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、[[大国主]]の次男である[[建御名方命]]が、国譲りに反対し、武甕槌命と[[相撲]]をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。


八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれて
[[八幡神]][[住吉三神]]など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神」・「諏訪神」として扱われる事がい。
<!--本来の祭神は、[[ミシャグジ|ミシャグチ]]という蛇神とも石神とも言われる国津神である。-->


==社格==
== 特徴 ==
=== 御柱 ===
*延喜式神名帳 名神大 南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)
[[ファイル:Suwa Taisha Maemiya Onbashira I.jpg|thumb|120px|left|前宮一之御柱]]
*[[信濃国]][[一の宮]]
[[ファイル:手長神社 摂末社.JPG|thumb|200px|right|小社にも設けられた御柱の例<br/>(諏訪市 [[手長神社]]境内社)]]
*国幣中社([[明治]]4年)
当社の社殿の周りには、'''御柱'''(おんばしら)と呼ぶ以下4本の[[モミ]]の柱が立てられている。柱の樹皮は本来は剥がさなかったが、[[1986年]]頃以降剥がすようになった。
*官幣中社([[明治]]29年)
*官幣大社([[大正]]5年)
*神社本庁別表神社


* 一之御柱 - 拝殿に向かって右手前(前宮・秋宮・春宮の場合。本宮は左手前)
==社殿・宮==
* 二之御柱 - 向かって左手前(本宮:左奥)
*上社
* 三之御柱 - 向かって左奥(本宮:右奥)
**前宮(まえみや):[[長野県]][[茅野市]]宮川
* 四之御柱 - 向かって右奥(本宮:右手前)
**本宮(ほんみや):長野県[[諏訪市]]中洲宮山

*下社
前宮・秋宮・春宮では一之御柱・二之御柱は正面を向いているが、本宮では南方の[[守屋山]]の方向を向いている。諏訪地方では、大きい神社から小さい祠にいたるまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の[[依り代]]説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している<ref>『国史大辞典』御柱祭項。</ref>。
**春宮(はるみや):長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]]下ノ原

**秋宮(あきみや):長野県諏訪郡下諏訪町武居
諏訪大社の御柱は[[寅]]と[[申]]の年に建て替えられ([[御柱祭]])、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。『諏方大明神画詞』には平安時代初期の[[桓武天皇]]年間([[781年]]-[[806年]])に御柱祭実施の記載があり<ref>[http://www.onbashira.jp/sogo/index 御柱について]([http://www.onbashira.jp/ 御柱祭公式サイト])。</ref>、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされる。
{{-}}
=== 神体・宝殿 ===
[[ファイル:大国主命社 (諏訪市中州宮ノ脇).JPG|thumb|200px|left|旧宝殿<br/>(本宮近くの大国主命社)]]
当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮は[[イチイ]]の[[神木]]、春宮は[[スギ]]の神木を[[神体]]とし、拝殿からそれらを拝する<ref>『諏訪大社』。</ref>。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。

本宮・秋宮・春宮には、本殿がない代わりに2つの'''宝殿'''がある。宝殿の一方には[[神輿]]が納められ、[[寅]]と[[申]]の年の[[御柱祭]]で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。すなわち1つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、[[神明造]]に似た古い様式を現在に伝えている。寅年から申年の間、神輿は向かって右の宝殿に納められる(申年から翌寅年は逆)。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれる<ref>『諏訪大社』「下社秋宮参道に沿って」節。</ref>。このように宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。

そのほか、宝殿を含め当社の社殿は華美な装飾・塗装はなされず、全て素木造である。
{{-}}
== 歴史 ==
=== 概史 ===
==== 創建 ====
『[[古事記]]』・『[[先代旧事本紀]]』では、[[天照大神]]の孫・[[瓊瓊杵尊]](ににぎのみこと)の降臨に先立ち、[[武甕槌命]](たけみかづちのみこと)が[[大国主|大国主命]]に[[国譲り]]するように迫ったとされる。これに対して、大国主命の次男である[[建御名方命]]が国譲りに反対し、武甕槌命に[[相撲]]を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされる<ref name=kojiki>[http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_05.html 古事記 上-5 葦原中国の平定](古事記全文検索)、[http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/yaku/tenjin.html#04 巻三 天神本紀 大国主神を封じ祀る](現代語訳 『先代旧事本紀』 )参照。</ref>。説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれている。なお、この説話は『[[日本書紀]]』には記載されていない。

以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられている<ref>『長野県の地名』信濃国 古代項。</ref>。諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており<ref>『国史大辞典』諏訪郡項。</ref>、当地が繁栄していた様子がうかがわれる。

==== 古代 ====
祭祀が始まった時期は不詳。文献上は『[[日本書紀]]』の[[持統天皇]]5年([[691年]])8月に「信濃須波」の神を祀るというのが初見である<ref name=hommiya>『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項。</ref>。

[[平安時代]]の『[[日本三代実録]]』には「建御名方富命神社」<ref>『日本三代実録』貞観七年条。</ref>、『[[左経記]]』には「須波社」と記載されている<ref>『左経記』寛仁二年条。</ref>。また『[[延喜式神名帳]]』では「[[信濃国]][[諏訪郡]] 南方刀美神社二座 名神大」と記載され[[名神大社]]に列しているが、この二座が上社・下社を指すとされる<ref name=suwagun>『長野県の地名』諏訪郡節。</ref>。また、[[信濃国]]の[[一宮]]とされた。

古くから[[軍神]]として崇敬され、[[坂上田村麻呂]]が[[蝦夷]]征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。

==== 中世 ====
[[鎌倉時代]]には「諏訪社」の表記が見られ、また「上宮」・「上社」の記載もあり<ref>『[[吾妻鏡]]』、『諸国一宮神名帳』、[[寛元]]4年([[1246年]])の『守矢文書』(以上『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項)。</ref>、この頃には上社・下社に分けられていた。なお、[[治承]]4年([[1180年]])が上下社の区別が明示されている初見である<ref>『[[吾妻鏡]]』治承四年条(『長野県の地名』諏訪大社下社)。</ref>。他の神社同様、当社も[[神仏習合]]により上社・下社に[[神宮寺]]が設けられて[[別当寺]](神社を管理する寺)となり、上社は[[普賢菩薩]]・下社は[[千手観音]]が[[本地仏]]とされた。

上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加した<ref>『国史大辞典』諏訪項。</ref>。それに加えて、軍神としての武士からの崇敬や諏訪氏の鎌倉・京都への出仕により、今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成された<ref name=hommiya/>。また、諏訪両社においても大祝を中心として武士団化が進み、両社間で争いも多かった<ref name=suwagun/>。

[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[武田信玄]]が諏訪へ侵攻し、信玄によって[[永禄]]8年([[1565年]])から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られた<ref name=shimosha>『長野県の地名』諏訪大社下社項。</ref>。信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の[[旗印]]を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。

==== 近世 ====
[[江戸時代]]に入り、[[江戸幕府]]第3代将軍[[徳川家光]]によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵された。また[[高島藩]]から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・[[保科正之]]から上社100石・下社50石が寄進された<ref name=hommiya/><ref name=shimosha/>。

==== 近代以降 ====
明治4年([[1871年]])に[[近代社格制度]]において[[国幣中社]]に列し「諏訪神社」を正式名称とした。その後、明治29年([[1896年]])に[[官幣中社]]、大正5年([[1916年]])に[[官幣大社]]と昇格した。

戦後は[[神社本庁]]の[[別表神社]]の一社となり、昭和23年([[1948年]])から他の諏訪神社と区別する必要等により「諏訪大社」の号が用いられている。

=== 神階 ===
<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
; 建御名方神
* [[承和]]9年([[842年]])5月14日、無位勲八等から従五位下勲八等 (『[[続日本後紀]]』) - 表記は「南方刀美神」<ref name=shusei>[[六国史]]終了までの神階は「神道・神社史料集成」を参考に記載。</ref>
* [[嘉祥]]3年([[850年]])10月15日、従五位上 (『[[日本文徳天皇実録]]』) - 表記は「御名方富命神」
* [[仁寿]]元年([[851年]])10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「建御名方富命大神」
* [[貞観]]元年([[859年]])1月27日、正三位勲八等から従二位勲八等 (『[[日本三代実録]]』) - 表記は「建御名方富命神」
* 貞観元年(859年)2月11日、正二位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
* 貞観9年([[867年]])3月11日、従一位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
* [[寛平]]5年([[893年]])11月3日、正一位 - (『[[日本紀略]]』)<ref name=suwashi>『諏訪市史』p708。</ref>

</td><td valign=top>
; 八坂刀売神
* 承和9年(842年)10月2日、無位から従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売神」<ref name=shusei/>
* 嘉祥3年(850年)10月15日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売命神」
* 仁寿元年(851年)10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「前八坂刀売命大神」
* 貞観元年(859年)1月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
* 貞観元年(859年)2月11日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
* 貞観9年(867年)3月11日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀自命神」
* 寛平5年([[893年]])11月3日、従一位 - (『日本紀略』)<ref name=suwashi/>
* [[天慶]]年間([[938年]]-[[946年]])、正一位 - (『諏方大明神画詞』)<ref name=suwashi/>
</td></tr></table>

=== 神職 ===
当社には、神体と同視される「<ruby><rb>大祝</rb><rp>(</rp><rt>おおほうり</rt><rp>)</rp></ruby>」(= [[現人神]])のもと、五官の<ruby><rb>祝</rb><rp>(</rp><rt>ほうり</rt><rp>)</rp></ruby>(神職)が置かれた。
<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
; 上社
* <ruby><rb>大祝</rb><rp>(</rp><rt>おおほうり</rt><rp>)</rp></ruby>:[[諏訪氏]](神氏)
:: 祭神・建御名方神の後裔。古代から代々、上社の大祝を務めた。中世には大祝を中心として武士団化した。上諏訪の祭政の権を握っていたが室町時代に兵馬の惣領家・祭祀の大祝家に分かれ、のち惣領家に統一された<ref>『国史大辞典』諏訪氏項。</ref>。江戸時代には[[諏訪藩]]を治めたが、[[諏訪頼忠]]の四男・頼広が大祝家として分かれ、藩主家と異なる「諏方」の字を用いて書き分けた。居館は<ruby><rb>神殿</rb><rp>(</rp><rt>ごうどの</rt><rp>)</rp></ruby>(現 [[諏訪大社#前宮|前宮]])のち諏訪市中洲({{ウィキ座標|36|00|01.28|N|138|07|37.68|E|region:JP|位置|name=大祝屋敷}})<ref>大祝・五官の屋敷は『守矢史料館周辺ガイドブック』と[http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/sanpomenu.htm 諏訪大社上社の散歩道](個人サイト)を参考に記載。</ref>。
* <ruby><rb>神長官</rb><rp>(</rp><rt>じんちょうかん</rt><rp>)</rp></ruby>(古くは<ruby><rb>神長</rb><rp>(</rp><rt>かんのおさ</rt><rp>)</rp></ruby>):守矢氏
:: 上社五官の1つで筆頭。建御名方神の諏訪入りに抵抗したとされる[[洩矢神]]の後裔。上社の神事全般を掌握した。居館は茅野市宮川({{ウィキ座標|35|59|43.53|N|138|07|42.21|E|region:JP|位置|name=神長官屋敷}})。
* <ruby><rb>禰宜大夫</rb><rp>(</rp><rt>ねぎだゆう</rt><rp>)</rp></ruby>:小出氏
:: 上社五官の1つ。祭神の御子・八杵命の後裔。
* <ruby><rb>権祝</rb><rp>(</rp><rt>ごんのほうり</rt><rp>)</rp></ruby>:矢島氏
:: 上社五官の1つ。祭神の御子・池生神の後裔。居館は諏訪市中洲神宮寺({{ウィキ座標|35|59|48.04|N|138|07|32.90|E|region:JP|位置|name=権祝屋敷}})。
* <ruby><rb>擬祝</rb><rp>(</rp><rt>ぎのほうり</rt><rp>)</rp></ruby>(まがいの-とも):小出氏のち伊藤氏
:: 上社五官の1つ。
* <ruby><rb>副祝</rb><rp>(</rp><rt>そいのほうり</rt><rp>)</rp></ruby>(そえの-・ふく-とも):守矢氏
:: 上社五官の1つ。祭神の御子・方倉辺命の後裔。

</td><td valign=top>
; 下社
* 大祝:[[金刺氏|<ruby><rb>金刺</rb><rp>(</rp><rt>かなさし</rt><rp>)</rp></ruby>氏]]のち武居氏
:: [[科野国造]]の後裔。中世には大祝を中心として武士団化した。室町時代に金刺氏は上社との争いに敗れ他国へ去り、以後は武居祝から大祝が立てられた<ref name=shimosha/>。居館は下諏訪町上馬場のち下諏訪町武居。
* <ruby><rb>武居祝</rb><rp>(</rp><rt>たけいほうり</rt><rp>)</rp></ruby>(竹居祝)
:: 下社五官の1つで筆頭。
* 禰宜太夫
:: 下社五官の1つ。
* 権祝
:: 下社五官の1つ。
* 擬祝
:: 下社五官の1つ。
* 副祝
:: 下社五官の1つ。

その他の神職として、若宮祝・宮津子祝・神楽役検校大夫・天王祝などの祝、八乙女。荷子などが文献に見られている<ref name=shimosha/>。
</td></tr></table>
なお、明治以降は神社本庁から神職が派遣されるようになり、上記の氏族の世襲は廃止され現在祭祀に関わっていない。

== 各社概要 ==
=== 上社 ===
{{神社
|名称 = 諏訪大社 上社
|画像 = [[File:Suwa taisya honmiya.JPG|280px]]<br/>[[File:Suwa taisya maemiya.JPG|280px]]<br/>本宮 拝殿(重要文化財、上)と前宮 拝所(下)
|所在地 = 本宮:長野県[[諏訪市]]中洲宮山1<br/>前宮:長野県[[茅野市]]宮川2030
|位置 = 本宮<br/>{{ウィキ座標2段度分秒|35|59|53.37|N|138|07|10.09|E|region:JP|name=諏訪大社上社 本宮}}<br/>前宮<br/>{{ウィキ座標2段度分秒|35|59|28.08|N|138|08|00.28|E|region:JP|name=諏訪大社上社 前宮}}
|祭神 = 本宮:[[建御名方命|建御名方神]]<br/>前宮:[[八坂刀売命|八坂刀売神]]
|神体 = 本宮:御山([[神体山]])
|社格 =
|創建 =
|本殿 = 本宮:なし
|別名 =
|札所等 =
|例祭 = [[4月15日]](御頭祭、酉の祭)
|神事 =
}}
'''上社'''(かみしゃ)は、[[諏訪湖]]南岸、[[諏訪盆地]]の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。

本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。

かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、[[近世]]以後は北方の[[高島城]]城下町に移り、そちらに[[甲州街道]]の上諏訪宿も設けられた。

==== 祭神 ====
* 本宮:[[建御名方命|建御名方神]] (たけみなかたのかみ)
* 前宮:[[八坂刀売命|八坂刀売神]] (やさかとめのかみ)

==== 本宮 ====
'''本宮'''(ほんみや)は、[[赤石山脈]]北端の[[守屋山]]北麓に鎮座する。

社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。

<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:諏訪大社 本宮 御正面.JPG|'''御正面'''
ファイル:諏訪大社 本宮 幣拝殿正面.JPG|'''拝殿'''(重要文化財)<br/>拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる独自配置で、いずれも重要文化財に指定。
ファイル:諏訪大社 本宮 拝所.JPG|'''拝所'''<br/>拝殿から斎庭を隔てて位置する。
ファイル:諏訪大社 本宮 境内.JPG|'''境内上段'''<br/>上段入り口(左端)から拝所(右奥)への参道はそっぽ(横)を向いており、「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と紹介されることがある。
ファイル:諏訪大社 本宮 勅願殿.JPG|'''勅願殿'''(祈祷所)<br/>[[元禄]]3年([[1690年]])建立。神霊の宿る[[守屋山]]に向かって祈願するための建物。
ファイル:諏訪大社 本宮 四脚門.JPG|'''四脚門'''(重要文化財)<br/>[[慶長]]13年([[1608年]])、[[徳川家康]]が[[大久保長安]]に命じて建立させたもの。かつては大祝だけが最上段にある硯石へと登るために使った。現在は重要な祭事においてのみ開かれる。
ファイル:諏訪大社 本宮 西宝殿.JPG|'''西宝殿'''<br/>本宮の宝殿は拝殿の外、四脚門の両脇にあり、参拝のラインと直角を向いている(境内図参照)。
ファイル:諏訪大社 本宮 東宝殿.JPG|'''東宝殿'''<br/>宝殿からは必ず日に3滴雫が落ちるといわれる([[諏訪大社七不思議]])。
</gallery>

* 硯石 (すずりいし)
:: 境内最上段に位置し、上部の凹面に水を張っていることに由来する。神が降臨した[[磐座]]として信仰された。

<gallery perrow="6">
ファイル:諏訪大社 本宮 境内図.JPG|境内図(案内板)<br/>参道は弓字になっている。
ファイル:諏訪大社 本宮 布橋.JPG|布橋<br/>古くは大祝のみが渡り、布が敷かれた。
ファイル:諏訪大社 本宮 入口御門.JPG|入口御門<br/>[[文政]]12年([[1829年]])造営。
ファイル:諏訪大社 本宮 額堂.JPG|額堂(絵馬堂)<br/>堂内に御柱祭のメド梃子。
ファイル:諏訪大社 本宮 神馬舎.JPG|神馬舎
ファイル:諏訪大社 本宮 大欅.JPG|贄掛けの[[ケヤキ|欅]]<br/>境内最古の樹木の1つ。
ファイル:諏訪大社 本宮 五間廊.JPG|五間廊<br/>[[安永]]2年([[1773年]])造営。
ファイル:諏訪大社 本宮 勅使殿.JPG|勅使殿<br/>[[元禄]]3年([[1690年]])造営。数々の神事が行われた。
ファイル:諏訪大社 本宮 土俵.JPG|土俵
ファイル:諏訪大社 本宮 神楽殿.JPG|神楽殿<br/>[[文政]]10年([[1827年]])造営。殿内に大太鼓。
ファイル:諏訪大社 本宮 天流水舎.JPG|天流水舎
ファイル:諏訪大社 本宮 入口鳥居.JPG|正面鳥居
</gallery>

* 天逆鉾
* <ruby><rb>浪除</rb><rp>(</rp><rt>なみよけ</rt><rp>)</rp></ruby>鳥居 - 北西方に立つ。昭和15年造営で当社唯一の木造鳥居

==== 前宮 ====
'''前宮'''(まえみや)は、本宮の南西約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には<ruby><rb>水眼</rb><rp>(</rp><rt>すいが</rt><rp>)</rp></ruby>川が流れる。

当地には上社大祝の始祖とされる[[諏訪有員]]が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視(= [[現人神]])されていたことから、その居館は「<ruby><rb>'''神殿'''</rb><rp>(</rp><rt>ごうどの</rt><rp>)</rp></ruby>」と尊称され、周辺は「<ruby><rb>'''神原'''</rb><rp>(</rp><rt>ごうばら</rt><rp>)</rp></ruby>」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。

のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である[[上原城]]に移った。そして大祝の屋敷もまた[[慶長]]6年([[1601年]])に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。

江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格<ref name=maemiya>『長野県の地名』諏訪大社上社前宮神殿跡項。</ref>を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。

<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:諏訪大社 前宮 本殿.JPG|'''本殿'''
ファイル:諏訪大社 前宮 本殿横神陵伝承地.JPG|'''神陵伝承地'''<br/>本殿横に所在。諏訪神の神陵の跡とされる<ref name=maemiya/>。
ファイル:諏訪大社 前宮 正面.JPG|'''拝所'''
ファイル:諏訪大社 前宮 遠景.JPG|'''拝所遠景'''<br/>左右端に御柱が立つ。
ファイル:諏訪大社 前宮 十間廊.JPG|'''十間廊'''<br/>上社の例祭「御頭祭」が行われる。
</gallery>


===前宮===
諏訪明神の信仰の原点といわれる。宮のみあるが、現在神体は祭られていない。御頭祭([[#神事|後述]])において、十間廊が使用される。
<gallery>
<gallery>
ファイル:諏訪大社 前宮 境内図.JPG|境内図(案内板)
File:Suwa Taisha Maemiya Honden.jpg|前宮 本殿
File:Suwa Taisha Maemiya Onbashira I.jpg|前宮 一之御柱
ファイル:Suwa Taisha Maemiya Chozuya.jpg|<ruby><rb>水眼</rb><rp>(</rp><rt>すいが</rt><rp>)</rp></ruby>の清流
ファイル:諏訪大社 前宮 鳥居.JPG|鳥居
File:Suwa Taisha Maemiya Chozuya.jpg|水眼(すいが)の清流
</gallery>
</gallery>


{{-}}
===本宮===
==== 摂末社 ====
諏訪造とよばれる幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独自配置であり、参道から見ると本道がそっぽ(横)に向いているため、「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と言われている。
[[ファイル:諏訪大社 本宮摂社 出早社.JPG|thumb|200px|right|本宮摂社 出早社]]
[[ファイル:諏訪大社 本宮摂社 大國主社.JPG|thumb|200px|right|本宮摂社 大國主社]]
; 本宮境内社
* 摂社
** <ruby><rb>出早</rb><rp>(</rp><rt>いづはや</rt><rp>)</rp></ruby>社
*** 祭神:<ruby><rb>出早雄</rb><rp>(</rp><rt>いづはやお</rt><rp>)</rp></ruby>命(御子神)。例祭:[[10月15日]]
** 大國主社
*** 祭神:[[大国主|大国主命]](父神)。例祭:[[5月14日]]
* 末社
** 高島神社
*** 祭神:[[諏訪頼忠]]公、[[諏訪頼水]]公、[[諏訪忠恒]]公([[高島藩]]中興の3代)。例祭:[[9月23日]](近年は[[8月12日]]に執行)

; 三十九所
[[ファイル:諏訪大社 本宮 摂末社遙拝所.JPG|thumb|180px|left|摂末社遙拝所(本宮)]]
上社には上・中・下十三所ずつの計三十九所の摂末社が設けられていた。現在摂末社は上社で42社・下社で27社あり、明治以後独立した関係社を含めると計95社に及ぶ<ref name=taisha-kamisha>『諏訪大社』「上社本宮参道に沿って」節。</ref>。

本宮にはこれらの神々を遥拝する遥拝所があり、朝夕に遥拝が行われる。遥拝所は[[文政]]11年([[1828年]])造営。

三十九所は以下の通り<ref>『守矢史料館周辺ガイドブック』と[http://kumachan.com/shrinehiki/?%BF%DB%CB%AC%C2%E7%BC%D2%BE%E5%BC%D2%C0%DD%BC%D2%CB%F6%BC%D2%B0%EC%CD%F7 諏訪大社上社上十三・中十三・下十三カ所一覧](個人サイト)を参考に記載。</ref>。
<table width="90%"><tr><td valign=top width="33%">
* 上十三所
:1. <ruby><rb>所政</rb><rp>(</rp><rt>とこまつ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:2. 前宮社 (前宮)
:3. <ruby><rb>磯並</rb><rp>(</rp><rt>いそなみ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市宮川高部)
:4. <ruby><rb>大年</rb><rp>(</rp><rt>おおとし</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市ちの茅野町)
:5. <ruby><rb>荒玉</rb><rp>(</rp><rt>あらたま</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:6. <ruby><rb>千野川</rb><rp>(</rp><rt>ちのがわ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (亀石社) (茅野市宮川西茅野)
:7. <ruby><rb>若神子</rb><rp>(</rp><rt>わかみこ</rt><rp>)</rp></ruby>社(若御子社) (前宮)
:8. <ruby><rb>柏手</rb><rp>(</rp><rt>かしわで</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:9. <ruby><rb>葛井</rb><rp>(</rp><rt>くずい</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市ちの上原)
:10. <ruby><rb>溝上</rb><rp>(</rp><rt>みぞがみ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:11. <ruby><rb>瀬</rb><rp>(</rp><rt>せ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市宮川高部)
:12. 玉尾社 (茅野市宮川高部)
:13. <ruby><rb>穂股</rb><rp>(</rp><rt>ほまた</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市宮川高部)

</td><td valign=top>
* 中十三所
:1. 藤島社 (諏訪市中洲神宮寺)
:2. <ruby><rb>内御玉殿</rb><rp>(</rp><rt>うちみたまでん</rt><rp>)</rp></ruby> (前宮)
:3. <ruby><rb>鶏冠</rb><rp>(</rp><rt>けいかん</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:4. <ruby><rb>酢蔵</rb><rp>(</rp><rt>すくら</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市ちの横内)
:5. <ruby><rb>習焼</rb><rp>(</rp><rt>ならやき</rt><rp>)</rp></ruby>社 (諏訪市湖南)
:6. <ruby><rb>御座石</rb><rp>(</rp><rt>ございし</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市塚原)
:7. 御飯殿 (本宮)
:8. 相本社 (茅野市宮川高部)
:9. 若宮社 (諏訪市中洲神宮寺)
:10. <ruby><rb>大四御庵</rb><rp>(</rp><rt>おおよつみいお</rt><rp>)</rp></ruby> (富士見町御射山)
:11. <ruby><rb>山御庵</rb><rp>(</rp><rt>やまみいお</rt><rp>)</rp></ruby> (富士見町御射山)
:12. <ruby><rb>御作久田</rb><rp>(</rp><rt>みさくだ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (不明)
:13. <ruby><rb>闢尾</rb><rp>(</rp><rt>あきほ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (原村室内)

</td><td valign=top>
* 下十三所
:1. [[八剣神社 (諏訪市)|<ruby><rb>八剱</rb><rp>(</rp><rt>やつるぎ</rt><rp>)</rp></ruby>社(八剣神社)]] (諏訪市小和田)
:2. <ruby><rb>小坂</rb><rp>(</rp><rt>おさか</rt><rp>)</rp></ruby>社 (岡谷市湊)
:3. [[先宮神社|<ruby><rb>鷺宮</rb><rp>(</rp><rt>さぎのみや</rt><rp>)</rp></ruby>社(先宮神社)]] (諏訪市大和)
:4. 荻宮 (諏訪市四賀上桑原)
:5. <ruby><rb>達屋</rb><rp>(</rp><rt>たつや</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市ちの横内)
:6. <ruby><rb>酒室</rb><rp>(</rp><rt>さかむろ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市宮川酒室)
:7. <ruby><rb>下馬</rb><rp>(</rp><rt>げば</rt><rp>)</rp></ruby>社 (茅野市宮川高部)
:8. <ruby><rb>御室</rb><rp>(</rp><rt>みむろ</rt><rp>)</rp></ruby>社 (前宮)
:9. <ruby><rb>御賀摩</rb><rp>(</rp><rt>おかま</rt><rp>)</rp></ruby>社 (本宮)
:10. <ruby><rb>磯並山神</rb><rp>(</rp><rt>いそやまがみ</rt><rp>)</rp></ruby> (茅野市宮川高部)
:11. 武居会美酒 (諏訪市中洲神宮寺武居平)
:12. <ruby><rb>神殿中部屋</rb><rp>(</rp><rt>ごうどのなかべや</rt><rp>)</rp></ruby> (前宮→神宮寺)
:13. 長廊神社 (本宮)

</td></tr></table>

==== その他 ====
; 『上社古図』
上社の境内に関しては[[天正]]年間([[1573年]]-[[1592年]])に描かれたと伝えられる<ref>通説では江戸時代初期に描かれたとされる([http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/ezu.htm 天正のボロボロ絵図](個人サイト))。</ref>『上社古図』があり、当時の様子がわかっている。絵図は現在は諏訪市博物館で保管され、神長官守矢史料館に模写版が展示されている。
<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:神長官守矢資料館蔵『模写版上社古図』 本宮.JPG|近世の本宮<br/>(史料館『模写版上社古図』)
ファイル:神長官守矢資料館蔵『模写版上社古図』 前宮.JPG|近世の神原(現 前宮)<br/>(史料館『模写版上社古図』)
</gallery>

; 上社[[神宮寺]]跡
元[[別当寺]]。社伝では[[空海]]の創建といわれ、本宮の周りに大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺の上社4寺ほか多くの坊があった<ref>神宮寺跡の案内板。</ref>。普賢堂・五重塔・二王門といった伽藍があったことが絵図からわかっている。なお、絵図に描かれる法花寺は法燈を現在に伝えている(現 法華寺)。

<gallery>
<gallery>
画像:諏訪大社本宮拝殿.JPG| 幣拝殿
ファイル:諏訪大社 本宮 神宮寺跡.JPG|上社神寺跡
ファイル:神長官守矢資料館蔵『模写版上社古図』 神宮寺.JPG|神宮寺の様子(史料館『模写版上社古図』)
</gallery>

; 守屋山
[[赤石山脈]]北端の山で、本宮南方に位置する。古来から上社の[[神体山]]とされた<ref>『長野県の地名』守屋山項。</ref>。

山名から[[物部守屋]]に関する伝承があり守屋を祀る守屋神社が南山麓(里宮)と山頂(奥宮)にあるほか、神長官の守矢氏との関係が指摘されている。

; 御小屋
上社の御柱を伐り出す御柱山。

----
=== 下社 ===
{{神社
|名称 = 諏訪大社 下社
|画像 = [[ファイル:Suwa taisha akimiya04n4592.jpg|280px]]<br/>[[ファイル:Suwa taisha harumiya07bs3200.jpg|280px]]<br/>秋宮(上)と春宮(下)の幣拝殿(ともに重要文化財)
|所在地 = 秋宮:長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]]5828<br/>春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193
|位置 = 秋宮<br/>{{ウィキ座標2段度分秒|36|04|31.45|N|138|05|28.68|E|region:JP|name=諏訪大社下社 秋宮}}<br/>春宮<br/>{{ウィキ座標2段度分秒|36|04|55.45|N|138|04|55.60|E|region:JP|name=諏訪大社下社 春宮}}
|祭神 = [[建御名方命|建御名方神]]<br/>[[八坂刀売命|八坂刀売神]]<br/>[[事代主|八重事代主神]]
|神体 = 秋宮:[[イチイ]](神木)<br/>春宮:[[スギ]]([[神木]])
|社格 =
|創建 =
|本殿 = なし
|別名 =
|札所等 =
|例祭 = [[8月1日]](御舟祭)
|神事 =
}}
'''下社'''(しもしゃ)は、[[諏訪湖]]北岸、[[諏訪盆地]]の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。

秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代([[依り代]])が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり<ref>『長野県の地名』下諏訪町節。</ref>、農耕民族的な性格を有している。

一帯は下諏訪の中心地で、[[近世]]には[[中山道]]・[[甲州街道]]の宿場町として[[下諏訪宿]]も設けられた。

==== 祭神 ====
* [[建御名方命|建御名方神]] (たけみなかたのかみ)
* [[八坂刀売命|八坂刀売神]] (やさかとめのかみ) - 主祭神
* [[事代主|八重事代主神]] (やえことしろぬしのかみ) - 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる<ref name=kojiki/>

==== 秋宮 ====
'''秋宮'''(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。

毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は[[温泉]]の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた<ref>『諏訪大社』「下社春宮参道に沿って」節。</ref>。

<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:諏訪大社 秋宮 幣拝殿.JPG|'''幣拝殿'''(重要文化財)<br/>江戸時代、[[安永]]10年([[1781年]])落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並ぶ。
ファイル:諏訪大社 秋宮 神楽殿.JPG|'''神楽殿'''(重要文化財)<br/>江戸時代、[[天保]]6年([[1835年]])造営。
</gallery>
</gallery>


===春宮===
毎年2月~7月に神体が祭られている。[[参道]]の途中にある太皷橋は、別名を下馬橋といわれ、[[室町時代]]の造りであり、身分に拘わらず馬から下りて渡らなければならないとされた。境内の造りは秋宮によく似ている。
<gallery>
<gallery>
ファイル:諏訪大社 秋宮 境内図.JPG|境内図(案内板)
画像:Suwa taisha harumiya02nt3200.jpg|春宮 鳥居
画像:Suwa taisha harumiya07bs3200.jpg|春宮 幣拝殿
ファイル:Suwa taisha akimiya11n3200.jpg|宝物殿
画像:Suwa taisha harumiya05st3200.jpg|春宮 結びの杉
ファイル:Suwa taisha akimiya12n4592.jpg|鳥居
画像:Suwa taisha harumiya14nt3200.jpg|春宮 下馬橋
</gallery>
</gallery>


* 根入りの杉 - 境内正面に立つ
===秋宮===
* 千尋池 - かつて賣神祝印(重要文化財)が掘り出された
毎年8月~翌1月に神体が祭られている。よって、[[初詣]]は秋宮で行われる。中仙道の宿場町である下諏訪に鎮座、[[温泉]]の湧出地で、境内にも御神湯がある。正面には「根入りの杉」、奧に神楽殿、幣拝殿、左右片拝殿が並ぶ。

==== 春宮 ====
'''春宮'''(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。下社最初の遷座地とされる。西方には[[砥川 (長野県)|砥川]]が流れている。

毎年2月-7月に祭神が祀られている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。

<gallery widths="200px" heights="150px">
ファイル:諏訪大社 春宮 幣拝殿.JPG|'''幣拝殿'''(重要文化財)<br/>江戸時代、[[安永]]9年([[1780年]])落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並ぶ。
ファイル:諏訪大社 春宮 神楽殿.JPG|'''神楽殿'''<br/>江戸時代、[[天和]]年間([[1681年]]-[[1684年]])頃造営。
ファイル:Suwa taisha harumiya14nt3200.jpg|'''下馬橋'''<br/>[[参道]]途中にある太皷橋。[[室町時代]]造営で下社では最古の建造物。身分にかかわらず馬から下りて渡らなければならないとされ、現在も遷座祭において神輿のみが渡る。
</gallery>


<gallery>
<gallery>
ファイル:諏訪大社 春宮 筒粥殿.JPG|筒粥殿<br/>筒粥神事が行われる。
画像:Suwa taisha akimiya12n4592.jpg|秋宮 鳥居
ファイル:Suwa taisha harumiya05st3200.jpg|結びの杉<br/>先で二又に分かれている。
画像:Suwa taisha akimiya04n4592.jpg|秋宮 幣拝殿
画像:Suwa taisha akimiya01bs3200.jpg|秋宮 神楽殿
ファイル:Suwa taisha harumiya02nt3200.jpg|鳥居
画像:Suwa taisha akimiya11n3200.jpg|秋宮 宝物殿
</gallery>
</gallery>


== 神事 ==
==== 摂末社 ====
下社の摂末社は現在27社ある<ref name=taisha-kamisha>『諏訪大社』「上社本宮参道に沿って」節。</ref>。
=== 諏訪大社式年造営御柱大祭 ===
<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
{{main|御柱祭}}
[[ファイル:諏訪大社 秋宮摂社 若宮社.JPG|thumb|180px|right|秋宮摂社 若宮社]]
寅年と申年に、[[樅]]を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭りである。
; 秋宮境内社
* 摂社
** 若宮社
*** 祭神:御子神13柱<ref group="注" name=mikogami/>。例祭:[[1月1日]]
* 末社
** 子安社
*** 祭神:[[沼河比売|高志沼河姫命]](母神)。例祭:[[12月22日]]
** 鹿島社
*** 祭神:[[タケミカヅチ|武甕槌命]]。例祭:[[9月1日]]
** 八坂社
*** 祭神:[[スサノオ|素戔嗚尊]]、[[クシナダヒメ|奇稲田姫命]]、[[御子神|八柱御子神]]。例祭:[[6月15日]]
** 賀茂上下社
*** 祭神:[[賀茂別雷命|賀茂別雷神]](上賀茂)、[[タマヨリビメ|玉依媛命]]・[[賀茂建角身命|建角身命]](下鴨)。例祭:[[5月15日]]
** 稲荷社
*** 祭神:[[ウカノミタマ|倉稲魂神]]、大宮売命、[[サタヒコ|佐田彦神]]。例祭:[[4月9日]]
** 皇大神宮社
*** 祭神:[[天照大神]]、[[トヨウケビメ|豊受大神]]。例祭:[[10月17日]]
** 秋宮恵比寿社
*** 祭神:[[大国主|大国主神]](父神)、[[事代主|事代主大神]](兄神)。例祭:[[4月20日]]、[[11月20日]]。昭和23年鎮座
** 八幡社


</td><td valign=top>
=== 御神渡 ===
[[ファイル:諏訪大社 春宮摂社 若宮社.JPG|thumb|180px|right|春宮摂社 若宮社]]
{{main|諏訪湖#御神渡}}
; 春宮境内社
御神渡(おみわたり)とは、男の神がいる上社から、女の神がいる下社へ行く際に通ったとされる湖面の氷の盛り上がり現象。同様の現象は[[摩周湖]]等でも起きる。2003-04年のシーズンも現象が確認され、御柱の盛り上がりを高めた。なお、御神渡りの神事は、諏訪市の縣社八剱神社の宮司によって執り行われる。
* 摂社
** 若宮社
*** 祭神:御子神13柱<ref group="注" name=mikogami><ruby><rb>建御名方彦神別</rb><rp>(</rp><rt>たけみなかたひこがみわけ</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>伊豆早雄</rb><rp>(</rp><rt>いずはやお</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>妻科比売</rb><rp>(</rp><rt>つましなひめ</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>池生</rb><rp>(</rp><rt>いけのお</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>須波若彦</rb><rp>(</rp><rt>すわわかひこ</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>片倉辺</rb><rp>(</rp><rt>かたくらべ</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>蓼科</rb><rp>(</rp><rt>たてしな</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>八杵</rb><rp>(</rp><rt>やきね</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>内県</rb><rp>(</rp><rt>うちあがた</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>外県</rb><rp>(</rp><rt>そとあがた</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>大県</rb><rp>(</rp><rt>おおあがた</rt><rp>)</rp></ruby>神、<ruby><rb>意岐萩</rb><rp>(</rp><rt>おきはぎ</rt><rp>)</rp></ruby>命、<ruby><rb>妻岐萩</rb><rp>(</rp><rt>つまぎはぎ</rt><rp>)</rp></ruby>命の13柱。</ref>。例祭:[[7月1日]]
* 末社
** 上諏訪社
*** 祭神:建御名方神(上社祭神)。例祭:[[7月15日]]
** 子安社
*** 祭神:[[沼河比売|<ruby><rb>高志沼河姫</rb><rp>(</rp><rt>こしのぬなかわひめ</rt><rp>)</rp></ruby>命]](母神)。例祭:[[6月22日]]
** 浮島社


</td></tr></table>
=== 蛙狩神事 ===
蛙狩神事とは、元日の朝に上社本宮で行われる神事である。まず御手洗川の川底を掘り返し、[[カエル|蛙]]を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこの[[カエル|蛙]]を射抜き、[[生贄]]として神前に捧げ、[[宮司]]が[[祝詞]]を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。


; 境外社
=== 筒粥神事 ===
* 御作田社 - 御田植神事が境内で行われる。6月30日に田植えをしても1ヶ月後の8月1日には収穫して神前に捧げられたとされ、「御作田の早稲」として[[諏訪大社七不思議|諏訪七不思議]]の1つ。
筒粥神事とは、1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事である。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。
* 青塚社
:: 秋宮近くの青塚古墳上に鎮座。


=== 御頭祭 ===
==== その他 ====
; 下社神宮寺跡
御頭祭とは、4月15日に上社で行われるお祭りのことである。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
元[[別当寺]]。
現在では、鹿や猪の頭の[[剥製]]が使われているが、江戸時代に[[菅江真澄]]の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを[[禽獣の高盛]]呼んだといういわゆる生贄に関しての内容が残っている。また御頭祭に関して、[[諏訪大社七不思議]]の一つとして、耳裂鹿というものがある。これは前にも述べた生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。


; 青塚古墳
=== 御舟祭 ===
下社秋宮近くに残る[[古墳]]で、かつては秋宮の境内地であった。諏訪地方では唯一の[[前方後円墳]]で、全長57m<ref>『長野県の地名』青塚古墳項。</ref>。埋葬者と当社との関係は不明であるが、現在下社末社の青塚社が祀られている。
御舟祭(おふねまつり)とは、下社の例大祭で[[8月1日]]に開催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、[[江戸時代]]から「御舟」と呼ばれるようになったらしい。舟の上には[[翁]]、[[媼]]とみられる[[人形]]が乗せられる。
なお、[[2月1日]]に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。


=== 御射山===
== 祭 ==
=== 式年祭事 ===
御射山祭(みさやまさい)とは、上社の狩猟神事。中世には年四回[[八ヶ岳]]の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く五日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。[[鎌倉時代]]に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。またこの祭の起こりとして南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では「[[平安時代]]初期、[[坂上田村麻呂]]が[[蝦夷征討]]のため[[信濃国|信濃]]まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日([[7月27日 (旧暦)|旧暦7月27日]])になると討ち取られた高丸の[[怨霊]]が嵐を起こすといわれる」という[[伝説]]を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。
[[ファイル:ONBASHIRA festival (tree drop) Nagano,JAPAN.jpg|thumb|200px|right|[[御柱祭]]]]
* '''諏訪大社式年造営御柱大祭'''  →[[御柱祭]](おんばしらさい・みはしらさい)を参照
:: 寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、[[樅]]を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭である。御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。

=== 年間祭事 ===
==== 上社・下社 ====
* 御神渡 (おみわたり) →[[諏訪湖#御神渡]]を参照
:: 冬、[[諏訪湖]]の湖面に氷が張り、日中に氷の膨張によって亀裂が走る現象で、特に上社から下社の方向へ走るものに対していう。これは男の神が上社から女の神のいる下社へ通った跡とされ、神事が諏訪市の[[八剱神社]]の宮司によって執り行われる。なお、同様の現象は[[摩周湖]]等でも起きる。

==== 上社 ====
* 一覧
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">諏訪大社上社 年間祭事一覧</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
; 大祭・中祭の記載のないものは小祭。
* 毎月
** 本宮月次祭 (15日)
** 前宮月次祭 (27日)

<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
* 1月
** '''歳旦祭''' ([[1月1日]]) - 中祭
** 若宮社祭 (1月1日)
** 蛙狩神事 (1月1日) - 特殊神事
** 御頭御占神事 (おんとうみうらのしんじ)(1月1日) - 特殊神事
** 荒玉社祭(本宮) (1月1日)
** '''元始祭''' ([[1月3日]]) - 中祭
** 御頭受 ([[1月5日]]) - 特殊神事
** 御符渡 ([[1月11日]]) - 特殊神事
** 田遊神事 ([[1月15日]]) - 特殊神事
** 新年祈請祭 (1月15日)

* 2月
** 御社宮司降祭 (1月下旬-2月中旬) - 特殊神事
** 境じめ神事 (1月下旬-2月中旬) - 特殊神事
** '''紀元祭''' ([[2月11日]]) - 中祭
** 荒玉社祭(本宮) ([[2月28日]])
** 野出神事 (2月28日) - 特殊神事
** 内御玉殿祭 (2月28日)
** 帰白祭 (2月28日)

* 3月
** [[諏訪湖#御神渡|御渡注進式]] (2月下旬-3月初旬)
** '''祈年祭''' ([[3月17日]]) - 大祭
** 諏訪大社全国競書大会献書祭 (3月下旬)

* 4月
** 小立座神事 ([[4月12日]]) - 特殊神事
** 夕祭 ([[4月14日]])
** '''例大祭''' ([[4月15日]]) - 大祭
** '''御頭祭'''(酉の祭) (4月15日) - 大祭、特殊神事
** 内御玉殿祭 (4月15日)
** 若御子社祭 (4月15日)
** 荒玉社祭(前宮) (4月15日)
** 二の祭献詠祭 ([[4月16日]])
** 磯並社祭(磯並之社祭) ([[4月19日]])
** 磯並山社祭 (4月19日)
** 下馬社祭 (4月19日)
** 瀬神社祭 (4月19日)
** 穂股社祭 (4月19日)
** 玉尾社祭 (4月19日)
** 習焼神社参向 ([[4月22日]]) - 特殊神事
** 大年社祭 ([[4月27日]])
** 犬射原社祭 (4月27日)
** 御座石神社参向 (4月27日) - 特殊神事
** 御沓石祭 (4月下旬)

* 5月
** 押立御狩神事 ([[5月2日]]) - 特殊神事
** 大国主命社祭 ([[5月14日]])

* 6月
** 御田植祭 (6月第1日曜) - 特殊神事
** 水神社祭 ([[6月25日]])
** 御狩神事 ([[6月27日]]) - 特殊神事
** 御頭御社宮司社祭(宮川)([[6月28日]])
** 御頭御社宮司社祭(豊平)(6月28日)
** 御頭御社宮司社祭(ちの)(6月28日)
** 大祓式 ([[6月30日]])

</td><td valign=top>
* 7月
** 御湯花講神楽 (7月上旬)

* 8月
** 高島神社祭 ([[8月12日]])
** 拍手社祭 ([[8月26日]])
** 溝上社祭 (8月26日)
** 酒室社参向 (8月26日)
** 闢盧社参向 (8月26日)
** 大四御盧社祭 ([[8月27日]])
** 御射山社祭 (8月27日) - 特殊神事
** 国常立命社祭 (8月27日)
** 浅間社祭 (8月27日)
** 西宮社祭 (8月27日)
** 三輪社祭 (8月27日)
** 神功皇后社祭 (8月27日)
** 子安社祭 (8月27日)
** 磯並社祭 (8月27日)
** 津島社参向 (8月27日)
** 御射山社二の祭 ([[8月28日]])

* 9月
** 御社宮司昇祭 (9月-10月頃)
** 十五夜相撲神事 ([[9月15日]]) - 特殊神事
** 御頭御社宮司社祭(四賀) ([[9月27日]])

* 10月
** 児玉石神社参向 ([[10月2日]]) - 特殊神事
** 八束穂講神楽 ([[10月8日]])
** 出早社祭 ([[10月15日]])
** 千野川社祭 (10月15日)
** '''神嘗祭当日祭''' ([[10月17日]]) - 中祭
** 大年社祭 (10月17日)
** 事代主命社祭 ([[10月20日]])
** 神徳敬仰奉賛祭 (10月)

* 11月
** 新蕎麦献納祭 (11月初旬)
** '''明治祭''' ([[11月3日]]) - 中祭
** 鞴講神楽 ([[11月8日]])
** 七五三祈祷祭 ([[11月26日]])
** '''新嘗祭'''(にいなめさい) ([[11月23日]]) - 大祭
** 藤島社祭 ([[11月25日]])
** 荻宮社祭 (11月25日)
** 小神立座神事 ([[11月28日]]) - 特殊神事

* 12月
** 御室社祭 ([[12月22日]])
** 鶏冠社祭 (12月22日)
** 政所社祭 (12月22日)
** 子安社祭 (12月22日)
** '''天長祭''' ([[12月23日]]) - 中祭
** 荒玉社祭(前宮) ([[12月24日]])
** 煤払神事 ([[12月27日]]) - 特殊神事
** 石送神事 ([[12月27日]]) - 特殊神事
** 大祓式 ([[12月31日]])
** 除夜祭 (12月31日)

</td></tr></table>
</div>
</div>


* 蛙狩神事
:: 元日の朝に上社本宮で行われる神事。まず御手洗川の川底を掘り返し、[[カエル|蛙]]を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこの[[カエル|蛙]]を射抜き、[[生贄]]として神前に捧げ、[[宮司]]が[[祝詞]]を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。蛙を供えるのは、諏訪大社の本来の祭神が、蛇神とされるソソウ神や、諏訪地方ではソソウ神と同一視されやはり蛇神とされたミシャグジ神であったとされ、蛇神に捧げる(蛇は蛙が好物)意味があるとされる。

* 御頭祭
:: 4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
:: 現在では、鹿や猪の頭の[[剥製]]が使われているが、江戸時代に[[菅江真澄]]の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。また[[諏訪大社七不思議]]の1つとして「耳裂鹿」というものがある。これは生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。

* 御射山祭 (みさやまさい)
:: 上社の狩猟神事。中世には年4回[[八ヶ岳]]の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。[[鎌倉時代]]に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。
:: またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、
::: 「[[平安時代]]初期、[[坂上田村麻呂]]が[[蝦夷征討]]のため[[信濃国|信濃]]まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日([[7月27日 (旧暦)|旧暦7月27日]])になると討ち取られた高丸の[[怨霊]]が嵐を起こすといわれる」
:: という[[伝説]]を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

==== 下社 ====
上社に比べて史料が残っておらず不明な神事も多い<ref name=shimosha/>。

* 一覧
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">諏訪大社下社 年間祭事一覧</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
; 大祭・中祭の記載のないものは小祭。
* 毎月
** 秋宮月次祭 (1日) - 9月-12月
** 春宮月次祭 (1日) - 3月-7月
** 恵比寿社月次祭 (20日)
** 秋宮子安社月次祭 (22日)

<table width="90%"><tr><td valign=top width="50%">
* 1月
** '''歳旦祭''' ([[1月1日]]) - 中祭
** 若宮社祭 (1月1日)
** 綿之湯神事 (1月1日) - 特殊神事
** '''元始祭''' ([[1月3日]]) - 中祭
** 筒粥神事 ([[1月15日]]) - 特殊神事
** 新年祈請祭 (1月15日)

* 2月
** '''遷座祭''' ([[2月1日]]) - 大祭、特殊神事。'''秋宮から春宮へ遷座'''
** 内御玉戸社祭 (2月1日)
** 外御玉戸社祭 (2月1日)
** 節分祭 (2月上旬)
** 春宮鎮火祭 (2月上旬)
** '''紀元祭''' ([[2月11日]]) - 中祭

* 3月
** 内御玉戸社例祭 (3月14日)
** 外御玉戸社例祭 (3月14日)
** '''祈年祭''' ([[3月17日]]) - 大祭

* 4月
** 稲荷社祭 ([[4月9日]])
** 銭神社祭 ([[4月25日]])
** 青塚社祭 (4月中)

* 5月
** 加茂社祭 ([[5月15日]])

* 6月
** 八坂社祭 ([[6月15日]])
** 子安社例祭(春宮) ([[6月22日]])
** あやめ奉献祭(6月下旬)
** 御作田社祭 ([[6月30日]])
** 田遊神事 (6月30日) - 特殊神事
** 浮島社祭 (6月30日)
** 大祓式 (6月30日)

</td><td valign=top>
* 7月
** 若宮社祭 ([[7月1日]])
** 上諏訪社祭 ([[7月15日]])
** 柴舟引渡式 ([[7月31日]]) - 特殊神事
** 夕祭 (7月31日)

* 8月
** '''遷座祭(お舟祭)''' ([[8月1日]]) - 大祭、特殊神事。'''春宮から秋宮へ遷座'''
** '''例大祭''' (8月1日) - 大祭
** 神事相撲 (8月1日)
** 二の祭献詠祭 ([[8月2日]])
** 氏子祭少年角力 (8月2日)
** 翁媼焼却神事 (8月2日) - 特殊神事
** 八幡社祭 ([[8月15日]])
** 専女社祭 (8月15日)
** 御射山社夕祭 ([[8月26日]])
** 御射山社祭 ([[8月27日]]) - 特殊神事
** 八千矛社祭 (8月27日)
** 児宮社祭 (8月27日)
** 國常立命社祭 (8月27日)
** 相撲神事 (8月27日) - 特殊神事
** 御射山社奉射会 (8月27日)
** 御射山社二の祭 ([[8月28日]])

* 9月
** 鹿島社祭 ([[9月1日]])
** 旧御射山社祭([[9月27日]])
** 木落社祭(9月27日)
** 斧立社祭(9月27日)
** 大元尊社祭(9月27日)

* 10月
** '''神嘗祭奉祝祭''' ([[10月17日]]) - 中祭
** 皇大神宮社祭 (10月17日)
** 恵比寿社秋薫季例祭 ([[10月20日]])

* 11月
** 菊花奉献奉告祭 ([[11月2日]])
** '''明治祭''' ([[11月3日]]) - 中祭
** 千尋社祭 ([[11月8日]])
** 氏子安全祈願祭 (11月上旬)
** '''新嘗祭''' (にいなめさい)([[11月23日]]) - 大祭

* 12月
** 秋宮子安社例祭 ([[12月22日]])
** '''天長祭''' ([[12月23日]]) - 中祭
** 煤払神事 ([[12月27日]]) - 特殊神事
** 大祓式 ([[12月31日]])
** 除夜祭 (12月31日)

</td></tr></table>
</div>
</div>


* 筒粥神事
:: 1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。

* 御舟祭 (おふねまつり)
:: 下社の例大祭で、[[8月1日]]に催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、[[江戸時代]]から「御舟」と呼ばれるようになったとされる。舟の上には[[翁]]、[[媼]]とみられる[[人形]]が乗せられる。
:: なお、[[2月1日]]に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。


== 文化財 ==
== 文化財 ==
;[[重要文化財]]
=== 重要文化財(国指定) ===
* 諏訪大社上社 6棟 - いずれも昭和58年指定
*諏訪大社上社 6棟(本宮幣殿、本宮拝殿、本宮左右片拝殿、本宮脇片拝殿、本宮四脚門)
** 本宮幣殿
*諏訪大社下社 7棟(春宮幣拝殿、春宮左右片拝殿、秋宮幣拝殿、秋宮左右片拝殿、秋宮神楽殿)
** 本宮拝殿
*太刀 無銘 - [[1960年]]盗難
** 本宮左右片拝殿
*太刀 銘忠吉 - 1960年盗難
** 本宮脇片拝殿
*銅印 印文「賣神祝印」
** 本宮四脚門
;その他
* 諏訪大社下社 7棟 - いずれも昭和58年指定
*[[算額]](上社) 明治12年([[1879年]])2月 伊藤定太門人奉納
** 秋宮幣拝殿
*算額(下社) 慶応4年([[1886年]])9月 伊藤定太清澄門人奉納
** 秋宮左右片拝殿
** 秋宮神楽殿
** 春宮幣拝殿
** 春宮左右片拝殿
* 太刀(無銘) - [[1960年]]盗難
* 太刀(銘 忠吉) - 1960年盗難
* 銅印(印文「<ruby><rb>賣神祝印</rb><rp>(</rp><rt>めがみほうりのいん</rt><rp>)</rp></ruby>」) - 昭和9年指定<ref>[http://www.town.shimosuwa.lg.jp/navi/kyouiku/bunkazai/megami.html 売神祝ノ印](下諏訪町ホームページ)。</ref>


=== 長野県指定文化財 ===
== アクセス ==
* 諏訪大社上社神宮寺五重塔鉄製伏鉢残闕 (有形文化財) - 諏訪市博物館所蔵。平成16年指定
時刻表は、諏訪バス(有賀・上社有賀統合路線)、諏訪市役所(市かりんちゃんバス)、茅野市役所(茅野駅~上社~大熊線)、下諏訪町(町循環バスあざみ号)の各WEBサイトを参照。
* 青塚古墳 (史跡) - 昭和40年指定<ref>[http://www.town.shimosuwa.lg.jp/navi/kyouiku/bunkazai/aozukakofun.html 青塚古墳](下諏訪町ホームページ)。</ref>
*上社
* 諏訪大社上社前宮<ruby><rb>神殿</rb><rp>(</rp><rt>ごうどの</rt><rp>)</rp></ruby>跡 (史跡) - 昭和39年指定
**前宮(まえみや):[[諏訪バス]]茅野駅~上社~大熊線で「前宮前」下車(茅野駅から平日のみ1日5便)。JR茅野駅から2.4km。
* 上社社叢 (天然記念物) - 昭和39年指定
**本宮(ほんみや):[[諏訪バス]]茅野駅~上社~大熊線で「神社前」下車。諏訪バス有賀・上社統合路線で「上社」下車(上諏訪駅から平日のみ1日8便)。諏訪市かりんちゃんバス 市内循環外回り線(上諏訪駅から1日6便)、市内循環内回り線(上諏訪駅から1日8便)で「神社前」下車。同すわっこランド・上社有賀線で「諏訪市博物館」下車(上諏訪駅から1日4便)。
* 諏訪大社の御柱祭り (無形民俗文化財) - 平成6年指定<ref>[http://www.town.shimosuwa.lg.jp/navi/kyouiku/bunkazai/onbashira.html 諏訪大社の御柱祭り](下諏訪町ホームページ)。</ref>
*下社
* 諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲 (無形民俗文化財)
**春宮(はるみや):下諏訪町循環バスあざみ号 循環線で「諏訪大社春宮」下車(下諏訪駅から終日4便)、[[諏訪バス]]岡谷~上諏訪~茅野線で「春宮大門」下車、徒歩0.9km。JR下諏訪駅から徒歩1.4km。
**秋宮(あきみや):下諏訪町循環バスあざみ号 循環線、星が丘線、萩倉・樋橋線、星が丘経由萩倉・樋橋線で「諏訪大社秋宮前」下車(下諏訪駅から終日計13便)。JR下諏訪駅から徒歩0.8km。


==関連項目==
=== その他 ===
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
*[[神社一覧]]
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">諏訪大社 諏訪市・茅野市・下諏訪町指定文化財一覧</div>
*[[諏訪神社]]
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
*[[かりん (朝ドラ)|かりん]]
; 諏訪市指定文化財
* 上社古図 (有形文化財) - 諏訪市博物館所蔵。昭和43年指定
* 上社宝物 15点 (有形文化財) - 昭和48年指定
* 上社建造物 5棟 (有形文化財) - 昭和43年指定
* 五重塔風鐸 2個 (有形文化財) - 蓼宮社所蔵。昭和55年指定
* 上社宝印 (有形文化財) - 昭和59年指定
* 上社境内の社叢 (天然記念物) - 昭和49年指定

; 茅野市指定文化財
* 犬射原社 (史跡) - 昭和42年指定
* 大年社 (史跡) - 平成6年指定

; 下諏訪町指定文化財
* 春宮下馬橋 (有形文化財) - 昭和48年指定
* 秋宮社叢 (天然記念物) - 昭和48年指定
* 春宮社叢 (天然記念物) - 昭和48年指定
* <ruby><rb>専女</rb><rp>(</rp><rt>とうめ</rt><rp>)</rp></ruby>の[[欅]](天然記念物) - 下社秋宮。昭和56年指定<ref>[http://www.town.shimosuwa.lg.jp/navi/kyouiku/bunkazai/toume.html 専女の欅](下諏訪町ホームページ)。</ref>

; その他
* [[算額]](上社) 明治12年([[1879年]])2月 伊藤定太門人奉納
* 算額(下社) 慶応4年([[1886年]])9月 伊藤定太清澄門人奉納

</div>
</div>


== 現地情報 ==
=== 上社 ===
; 所在地
* 本宮:[[長野県]][[諏訪市]]中洲宮山1
* 前宮:長野県[[茅野市]]宮川2030

; 付属施設
* 上社本宮宝物殿 - 開館時間:午前9時-午後4時

; 交通アクセス
{{underline|本宮まで}}
* 最寄駅:[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央本線]] [[茅野駅]] (3.4km)
** 徒歩:約45分
** バス:[[諏訪バス]](茅野駅-上社-大熊線)で、「神社前」バス停下車 - {{underline|平日のみ運行}}1日5便

* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央本線]] [[上諏訪駅]] (6.3km)
** バス
*** 諏訪バス(有賀・上社統合路線)で、「上社」バス停下車 - 上諏訪駅から平日のみ1日8便
*** 諏訪市営「かりんちゃんバス」(市内循環外回り線・内回り線)で、「神社前」バス停下車 - 外回り線は上諏訪駅から1日6便、内回り線は1日8便
*** 諏訪市かりんちゃんバス(すわっこランド・上社有賀線)で、「諏訪市博物館」バス停下車 - 上諏訪駅から1日4便

{{underline|前宮まで}}
* 最寄駅:[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央本線]] [[茅野駅]] (2.4km)
** 徒歩:約30分
** バス:諏訪バス(茅野駅-上社-大熊線)で、「前宮前」バス停下車 - 茅野駅から{{underline|平日のみ運行}}1日5便

; 周辺
* [[神長官守矢史料館]]
* 諏訪市博物館
* 法華寺 - 本宮に隣接。[[織田信長]]が[[甲州征伐]]後の論功行賞を行なった地で、その際[[明智光秀]]が辱めを受けたとされる

----
=== 下社 ===
; 所在地
* 春宮:長野県[[諏訪郡]][[下諏訪町]]193
* 秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828

; 付属施設
* 下社秋宮宝物殿 - 開館時間:午前10時-午後3時

; 交通アクセス
{{underline|秋宮まで}}
* 最寄駅:[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央本線]] [[下諏訪駅]] (0.8km)
** 徒歩:約10分
** バス:下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線、星が丘線、萩倉・樋橋線、星が丘経由萩倉・樋橋線)で、「諏訪大社秋宮前」バス停下車 - 下諏訪駅から終日計13便

{{underline|春宮まで}}
* 最寄駅:[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央本線]] [[下諏訪駅]] (1.4km)
** 徒歩:約15分
** バス
*** 下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線)で、「諏訪大社春宮」バス停下車 - 下諏訪駅から終日4便
*** 諏訪バス(岡谷-上諏訪-茅野線)で、「春宮大門」バス停下車 (下車後徒歩0.9km)

{{underline|秋宮・春宮間}}
* 旧[[中山道]]を通って徒歩約15分

; 周辺
* [[下諏訪宿]] - [[中山道]]六十九次のうち29番目、[[甲州街道]]の江戸から数えて39番目で終点の[[宿場]]
* [[万治の石仏]]

== 当社関係地 ==
* 神野
:: 原山とも。八ヶ岳西山麓の広大な原野。御狩神事が行われた。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<div class="references-small"><references /></div>
{{Reflist|group="注"}}

=== 出典 ===
{{reflist|3}}

== 参考文献 ==
=== 原典 ===
* 『諏方大明神画詞』 - [[正平]]11年([[延文]]11年、[[1356年]])成立の諏訪大社[[縁起]]。全12巻。元は[[絵巻物]]であったが、絵は失われ詞書部分の写本のみが伝わっている。

=== 書跡 ===
* 『諏訪大社』(諏訪大社)
* 谷川健一編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃 飛騨 信濃』([[白水社]])諏訪大社項
* 『神長官守矢史料館のしおり』(茅野市神長官守矢史料館)
* 『守矢史料館周辺ガイドブック』(茅野市神長官守矢史料館)
* 『日本歴史地名大系 長野県の地名』([[平凡社]])信濃国節、諏訪郡 各項、諏訪市 各項、茅野市 各項
* 『国史大辞典』([[吉川弘文館]])諏訪氏項、諏訪信仰項、諏訪大社項

== 関連項目 ==
* [[諏訪神社]] - 当社から勧請された全国の諏訪神社
* [[諏訪大社七不思議]]
* [[諏訪大社陸上競技大会]]

; 作品
* [[かりん (朝ドラ)|かりん]]
* [[愛の疾走]]


==外部リンク==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Suwa Taisha}}
{{Commonscat|Suwa Taisha}}
*[http://suwataisha.or.jp/ 信濃國一之宮 諏訪大社 公式サイト]
* [http://suwataisha.or.jp/ 信濃國一之宮 諏訪大社](公式サイト
* [http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/240101.html 南方刀美神社二座](國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)



{{神道 横}}

{{coord|35|59|53.37|N|138|07|10.09|E|region:JP_type:landmark|display=title}}
{{DEFAULTSORT:すわたいしや}}
{{DEFAULTSORT:すわたいしや}}
[[Category:長野県の神社]]
[[Category:長野県の神社]]
[[Category:長野県の歴史]]
[[Category:諏訪市]]
[[Category:重要文化財]]
[[Category:歴史]]
[[Category:下諏訪町]]
[[Category:名神大社]]
[[Category:名神大社]]
[[Category:社]]
[[Category:信濃国の式内|名すわたいしや]]
[[Category:一宮]]
[[Category:一宮]]
[[Category:官幣大社]]
[[Category:官幣大社]]
[[Category:別表神社]]
[[Category:別表神社]]
[[Category:長野県の重要文化財]]
[[Category:諏訪神社|#すわたいしや]]
[[Category:諏訪神社|#すわたいしや]]
[[Category:諏訪地域]]
[[Category:諏訪地域]]
[[Category:]]
[[Category:県の歴史]]
[[Category:諏訪市]]
[[Category:大社]]
[[Category:下諏訪町]]
[[Category:算額]]
[[Category:算額]]
[[Category:江戸時代の建築]]
[[Category:信濃国|社すわたいしや]]


[[de:Suwa-Taisha]]
[[de:Suwa-Taisha]]
[[en:Suwa taisha]]
[[en:Suwa taisha]]
[[fr:Suwa-taisha]]
[[it:Santuario di Suwa (Sohonsha)]]
[[it:Santuario di Suwa (Sohonsha)]]
[[zh:諏訪大社]]
[[zh:諏訪大社]]

2013年1月25日 (金) 15:43時点における版

諏訪大社
ファイル:諏訪大社本宮拝殿.JPG

上社 本宮(上)と下社 秋宮(下)
所在地 長野県諏訪湖周辺に4宮
(各項参照)
主祭神 建御名方神
八坂刀売神
社格 式内社名神大
信濃国一宮
官幣大社
別表神社
創建 不詳
主な神事 御柱祭、御頭祭、御船祭 など多数
祭事参照)
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
上社神紋「諏訪梶の葉」
神紋は上社が四根の梶、下社は五根の梶。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県諏訪湖周辺4ヶ所にある神社式内社名神大社)、信濃国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「梶の葉」。

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」・「諏訪大明神」等とも呼ばれる。

概要

諏訪盆地
中心に諏訪湖。湖の左下(南西)に上社、右上(北東)に下社が鎮座する。

長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。

上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。

創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神鹿島香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟漁業の守護祈願でも知られる[1]

社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。

祭神

当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。

上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場する。母は沼河比売(奴奈川姫)とされる。
『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている[2]
上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。

なお、本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。

八幡神住吉三神など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神」・「諏訪神」として扱われる事が多い。

特徴

御柱

前宮一之御柱
小社にも設けられた御柱の例
(諏訪市 手長神社境内社)

当社の社殿の周りには、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が立てられている。柱の樹皮は本来は剥がさなかったが、1986年頃以降剥がすようになった。

  • 一之御柱 - 拝殿に向かって右手前(前宮・秋宮・春宮の場合。本宮は左手前)
  • 二之御柱 - 向かって左手前(本宮:左奥)
  • 三之御柱 - 向かって左奥(本宮:右奥)
  • 四之御柱 - 向かって右奥(本宮:右手前)

前宮・秋宮・春宮では一之御柱・二之御柱は正面を向いているが、本宮では南方の守屋山の方向を向いている。諏訪地方では、大きい神社から小さい祠にいたるまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している[3]

諏訪大社の御柱はの年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。『諏方大明神画詞』には平安時代初期の桓武天皇年間(781年-806年)に御柱祭実施の記載があり[4]、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされる。

神体・宝殿

旧宝殿
(本宮近くの大国主命社)

当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイ神木、春宮はスギの神木を神体とし、拝殿からそれらを拝する[5]。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。

本宮・秋宮・春宮には、本殿がない代わりに2つの宝殿がある。宝殿の一方には神輿が納められ、の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。すなわち1つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、神明造に似た古い様式を現在に伝えている。寅年から申年の間、神輿は向かって右の宝殿に納められる(申年から翌寅年は逆)。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれる[6]。このように宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。

そのほか、宝殿を含め当社の社殿は華美な装飾・塗装はなされず、全て素木造である。

歴史

概史

創建

古事記』・『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命国譲りするように迫ったとされる。これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされる[7]。説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれている。なお、この説話は『日本書紀』には記載されていない。

以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられている[8]。諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており[9]、当地が繁栄していた様子がうかがわれる。

古代

祭祀が始まった時期は不詳。文献上は『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月に「信濃須波」の神を祀るというのが初見である[10]

平安時代の『日本三代実録』には「建御名方富命神社」[11]、『左経記』には「須波社」と記載されている[12]。また『延喜式神名帳』では「信濃国諏訪郡 南方刀美神社二座 名神大」と記載され名神大社に列しているが、この二座が上社・下社を指すとされる[13]。また、信濃国一宮とされた。

古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。

中世

鎌倉時代には「諏訪社」の表記が見られ、また「上宮」・「上社」の記載もあり[14]、この頃には上社・下社に分けられていた。なお、治承4年(1180年)が上下社の区別が明示されている初見である[15]。他の神社同様、当社も神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、上社は普賢菩薩・下社は千手観音本地仏とされた。

上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加した[16]。それに加えて、軍神としての武士からの崇敬や諏訪氏の鎌倉・京都への出仕により、今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成された[10]。また、諏訪両社においても大祝を中心として武士団化が進み、両社間で争いも多かった[13]

戦国時代武田信玄が諏訪へ侵攻し、信玄によって永禄8年(1565年)から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られた[17]。信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。

近世

江戸時代に入り、江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵された。また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進された[10][17]

近代以降

明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し「諏訪神社」を正式名称とした。その後、明治29年(1896年)に官幣中社、大正5年(1916年)に官幣大社と昇格した。

戦後は神社本庁別表神社の一社となり、昭和23年(1948年)から他の諏訪神社と区別する必要等により「諏訪大社」の号が用いられている。

神階

建御名方神
  • 承和9年(842年)5月14日、無位勲八等から従五位下勲八等 (『続日本後紀』) - 表記は「南方刀美神」[18]
  • 嘉祥3年(850年)10月15日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「御名方富命神」
  • 仁寿元年(851年)10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「建御名方富命大神」
  • 貞観元年(859年)1月27日、正三位勲八等から従二位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 貞観元年(859年)2月11日、正二位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 貞観9年(867年)3月11日、従一位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 寛平5年(893年)11月3日、正一位 - (『日本紀略』)[19]
八坂刀売神
  • 承和9年(842年)10月2日、無位から従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売神」[18]
  • 嘉祥3年(850年)10月15日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売命神」
  • 仁寿元年(851年)10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「前八坂刀売命大神」
  • 貞観元年(859年)1月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
  • 貞観元年(859年)2月11日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
  • 貞観9年(867年)3月11日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀自命神」
  • 寛平5年(893年)11月3日、従一位 - (『日本紀略』)[19]
  • 天慶年間(938年-946年)、正一位 - (『諏方大明神画詞』)[19]

神職

当社には、神体と同視される「大祝(おおほうり)」(= 現人神)のもと、五官の(ほうり)(神職)が置かれた。

上社
  • 大祝(おおほうり)諏訪氏(神氏)
祭神・建御名方神の後裔。古代から代々、上社の大祝を務めた。中世には大祝を中心として武士団化した。上諏訪の祭政の権を握っていたが室町時代に兵馬の惣領家・祭祀の大祝家に分かれ、のち惣領家に統一された[20]。江戸時代には諏訪藩を治めたが、諏訪頼忠の四男・頼広が大祝家として分かれ、藩主家と異なる「諏方」の字を用いて書き分けた。居館は神殿(ごうどの)(現 前宮)のち諏訪市中洲(北緯36度00分01.28秒 東経138度07分37.68秒[21]
  • 神長官(じんちょうかん)(古くは神長(かんのおさ)):守矢氏
上社五官の1つで筆頭。建御名方神の諏訪入りに抵抗したとされる洩矢神の後裔。上社の神事全般を掌握した。居館は茅野市宮川(北緯35度59分43.53秒 東経138度07分42.21秒)。
  • 禰宜大夫(ねぎだゆう):小出氏
上社五官の1つ。祭神の御子・八杵命の後裔。
  • 権祝(ごんのほうり):矢島氏
上社五官の1つ。祭神の御子・池生神の後裔。居館は諏訪市中洲神宮寺(北緯35度59分48.04秒 東経138度07分32.90秒)。
  • 擬祝(ぎのほうり)(まがいの-とも):小出氏のち伊藤氏
上社五官の1つ。
  • 副祝(そいのほうり)(そえの-・ふく-とも):守矢氏
上社五官の1つ。祭神の御子・方倉辺命の後裔。
下社
科野国造の後裔。中世には大祝を中心として武士団化した。室町時代に金刺氏は上社との争いに敗れ他国へ去り、以後は武居祝から大祝が立てられた[17]。居館は下諏訪町上馬場のち下諏訪町武居。
  • 武居祝(たけいほうり)(竹居祝)
下社五官の1つで筆頭。
  • 禰宜太夫
下社五官の1つ。
  • 権祝
下社五官の1つ。
  • 擬祝
下社五官の1つ。
  • 副祝
下社五官の1つ。

その他の神職として、若宮祝・宮津子祝・神楽役検校大夫・天王祝などの祝、八乙女。荷子などが文献に見られている[17]

なお、明治以降は神社本庁から神職が派遣されるようになり、上記の氏族の世襲は廃止され現在祭祀に関わっていない。

各社概要

上社

諏訪大社 上社


本宮 拝殿(重要文化財、上)と前宮 拝所(下)
所在地 本宮:長野県諏訪市中洲宮山1
前宮:長野県茅野市宮川2030
位置 本宮
北緯35度59分53.37秒 東経138度07分10.09秒 / 北緯35.9981583度 東経138.1194694度 / 35.9981583; 138.1194694 (諏訪大社上社 本宮)
前宮
北緯35度59分28.08秒 東経138度08分00.28秒 / 北緯35.9911333度 東経138.1334111度 / 35.9911333; 138.1334111 (諏訪大社上社 前宮)
主祭神 本宮:建御名方神
前宮:八坂刀売神
神体 本宮:御山(神体山
本殿の様式 本宮:なし
例祭 4月15日(御頭祭、酉の祭)
テンプレートを表示

上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。

本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。

かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。

祭神

本宮

本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。

社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。

  • 硯石 (すずりいし)
境内最上段に位置し、上部の凹面に水を張っていることに由来する。神が降臨した磐座として信仰された。
  • 天逆鉾
  • 浪除(なみよけ)鳥居 - 北西方に立つ。昭和15年造営で当社唯一の木造鳥居

前宮

前宮(まえみや)は、本宮の南西約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼(すいが)川が流れる。

当地には上社大祝の始祖とされる諏訪有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視(= 現人神)されていたことから、その居館は「神殿(ごうどの)」と尊称され、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。

のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。

江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格[22]を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。

摂末社

本宮摂社 出早社
本宮摂社 大國主社
本宮境内社
三十九所
摂末社遙拝所(本宮)

上社には上・中・下十三所ずつの計三十九所の摂末社が設けられていた。現在摂末社は上社で42社・下社で27社あり、明治以後独立した関係社を含めると計95社に及ぶ[23]

本宮にはこれらの神々を遥拝する遥拝所があり、朝夕に遥拝が行われる。遥拝所は文政11年(1828年)造営。

三十九所は以下の通り[24]

  • 上十三所
1. 所政(とこまつ)社 (前宮)
2. 前宮社 (前宮)
3. 磯並(いそなみ)社 (茅野市宮川高部)
4. 大年(おおとし)社 (茅野市ちの茅野町)
5. 荒玉(あらたま)社 (前宮)
6. 千野川(ちのがわ)社 (亀石社) (茅野市宮川西茅野)
7. 若神子(わかみこ)社(若御子社) (前宮)
8. 柏手(かしわで)社 (前宮)
9. 葛井(くずい)社 (茅野市ちの上原)
10. 溝上(みぞがみ)社 (前宮)
11. ()社 (茅野市宮川高部)
12. 玉尾社 (茅野市宮川高部)
13. 穂股(ほまた)社 (茅野市宮川高部)
  • 中十三所
1. 藤島社 (諏訪市中洲神宮寺)
2. 内御玉殿(うちみたまでん) (前宮)
3. 鶏冠(けいかん)社 (前宮)
4. 酢蔵(すくら)社 (茅野市ちの横内)
5. 習焼(ならやき)社 (諏訪市湖南)
6. 御座石(ございし)社 (茅野市塚原)
7. 御飯殿 (本宮)
8. 相本社 (茅野市宮川高部)
9. 若宮社 (諏訪市中洲神宮寺)
10. 大四御庵(おおよつみいお) (富士見町御射山)
11. 山御庵(やまみいお) (富士見町御射山)
12. 御作久田(みさくだ)社 (不明)
13. 闢尾(あきほ)社 (原村室内)
  • 下十三所
1. 八剱(やつるぎ)社(八剣神社) (諏訪市小和田)
2. 小坂(おさか)社 (岡谷市湊)
3. 鷺宮(さぎのみや)社(先宮神社) (諏訪市大和)
4. 荻宮 (諏訪市四賀上桑原)
5. 達屋(たつや)社 (茅野市ちの横内)
6. 酒室(さかむろ)社 (茅野市宮川酒室)
7. 下馬(げば)社 (茅野市宮川高部)
8. 御室(みむろ)社 (前宮)
9. 御賀摩(おかま)社 (本宮)
10. 磯並山神(いそやまがみ) (茅野市宮川高部)
11. 武居会美酒 (諏訪市中洲神宮寺武居平)
12. 神殿中部屋(ごうどのなかべや) (前宮→神宮寺)
13. 長廊神社 (本宮)

その他

『上社古図』

上社の境内に関しては天正年間(1573年-1592年)に描かれたと伝えられる[25]『上社古図』があり、当時の様子がわかっている。絵図は現在は諏訪市博物館で保管され、神長官守矢史料館に模写版が展示されている。

上社神宮寺

別当寺。社伝では空海の創建といわれ、本宮の周りに大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺の上社4寺ほか多くの坊があった[26]。普賢堂・五重塔・二王門といった伽藍があったことが絵図からわかっている。なお、絵図に描かれる法花寺は法燈を現在に伝えている(現 法華寺)。

守屋山

赤石山脈北端の山で、本宮南方に位置する。古来から上社の神体山とされた[27]

山名から物部守屋に関する伝承があり守屋を祀る守屋神社が南山麓(里宮)と山頂(奥宮)にあるほか、神長官の守矢氏との関係が指摘されている。

御小屋

上社の御柱を伐り出す御柱山。


下社

諏訪大社 下社


秋宮(上)と春宮(下)の幣拝殿(ともに重要文化財)
所在地 秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828
春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193
位置 秋宮
北緯36度04分31.45秒 東経138度05分28.68秒 / 北緯36.0754028度 東経138.0913000度 / 36.0754028; 138.0913000 (諏訪大社下社 秋宮)
春宮
北緯36度04分55.45秒 東経138度04分55.60秒 / 北緯36.0820694度 東経138.0821111度 / 36.0820694; 138.0821111 (諏訪大社下社 春宮)
主祭神 建御名方神
八坂刀売神
八重事代主神
神体 秋宮:イチイ(神木)
春宮:スギ神木
本殿の様式 なし
例祭 8月1日(御舟祭)
テンプレートを表示

下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。

秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり[28]、農耕民族的な性格を有している。

一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。

祭神

  • 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
  • 八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神
  • 八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる[7]

秋宮

秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。

毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた[29]

  • 根入りの杉 - 境内正面に立つ
  • 千尋池 - かつて賣神祝印(重要文化財)が掘り出された

春宮

春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。下社最初の遷座地とされる。西方には砥川が流れている。

毎年2月-7月に祭神が祀られている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。

摂末社

下社の摂末社は現在27社ある[23]

秋宮摂社 若宮社
秋宮境内社
春宮摂社 若宮社
春宮境内社
境外社
  • 御作田社 - 御田植神事が境内で行われる。6月30日に田植えをしても1ヶ月後の8月1日には収穫して神前に捧げられたとされ、「御作田の早稲」として諏訪七不思議の1つ。
  • 青塚社
秋宮近くの青塚古墳上に鎮座。

その他

下社神宮寺跡

別当寺

青塚古墳

下社秋宮近くに残る古墳で、かつては秋宮の境内地であった。諏訪地方では唯一の前方後円墳で、全長57m[30]。埋葬者と当社との関係は不明であるが、現在下社末社の青塚社が祀られている。

祭事

式年祭事

御柱祭
  • 諏訪大社式年造営御柱大祭  →御柱祭(おんばしらさい・みはしらさい)を参照
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭である。御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。

年間祭事

上社・下社

冬、諏訪湖の湖面に氷が張り、日中に氷の膨張によって亀裂が走る現象で、特に上社から下社の方向へ走るものに対していう。これは男の神が上社から女の神のいる下社へ通った跡とされ、神事が諏訪市の八剱神社の宮司によって執り行われる。なお、同様の現象は摩周湖等でも起きる。

上社

  • 一覧


  • 蛙狩神事
元日の朝に上社本宮で行われる神事。まず御手洗川の川底を掘り返し、を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこのを射抜き、生贄として神前に捧げ、宮司祝詞を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。蛙を供えるのは、諏訪大社の本来の祭神が、蛇神とされるソソウ神や、諏訪地方ではソソウ神と同一視されやはり蛇神とされたミシャグジ神であったとされ、蛇神に捧げる(蛇は蛙が好物)意味があるとされる。
  • 御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。また諏訪大社七不思議の1つとして「耳裂鹿」というものがある。これは生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。
  • 御射山祭 (みさやまさい)
上社の狩猟神事。中世には年4回八ヶ岳の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。
またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、
平安時代初期、坂上田村麻呂蝦夷征討のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」
という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

下社

上社に比べて史料が残っておらず不明な神事も多い[17]

  • 一覧


  • 筒粥神事
1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。
  • 御舟祭 (おふねまつり)
下社の例大祭で、8月1日に催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は南北朝時代に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、江戸時代から「御舟」と呼ばれるようになったとされる。舟の上にはとみられる人形が乗せられる。
なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 諏訪大社上社 6棟 - いずれも昭和58年指定
    • 本宮幣殿
    • 本宮拝殿
    • 本宮左右片拝殿
    • 本宮脇片拝殿
    • 本宮四脚門
  • 諏訪大社下社 7棟 - いずれも昭和58年指定
    • 秋宮幣拝殿
    • 秋宮左右片拝殿
    • 秋宮神楽殿
    • 春宮幣拝殿
    • 春宮左右片拝殿
  • 太刀(無銘) - 1960年盗難
  • 太刀(銘 忠吉) - 1960年盗難
  • 銅印(印文「賣神祝印(めがみほうりのいん)」) - 昭和9年指定[31]

長野県指定文化財

  • 諏訪大社上社神宮寺五重塔鉄製伏鉢残闕 (有形文化財) - 諏訪市博物館所蔵。平成16年指定
  • 青塚古墳 (史跡) - 昭和40年指定[32]
  • 諏訪大社上社前宮神殿(ごうどの)跡 (史跡) - 昭和39年指定
  • 上社社叢 (天然記念物) - 昭和39年指定
  • 諏訪大社の御柱祭り (無形民俗文化財) - 平成6年指定[33]
  • 諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲 (無形民俗文化財)

その他


現地情報

上社

所在地
付属施設
  • 上社本宮宝物殿 - 開館時間:午前9時-午後4時
交通アクセス

本宮まで

  • JR東日本中央本線 上諏訪駅 (6.3km)
    • バス
      • 諏訪バス(有賀・上社統合路線)で、「上社」バス停下車 - 上諏訪駅から平日のみ1日8便
      • 諏訪市営「かりんちゃんバス」(市内循環外回り線・内回り線)で、「神社前」バス停下車 - 外回り線は上諏訪駅から1日6便、内回り線は1日8便
      • 諏訪市かりんちゃんバス(すわっこランド・上社有賀線)で、「諏訪市博物館」バス停下車 - 上諏訪駅から1日4便

前宮まで

  • 最寄駅:JR東日本中央本線 茅野駅 (2.4km)
    • 徒歩:約30分
    • バス:諏訪バス(茅野駅-上社-大熊線)で、「前宮前」バス停下車 - 茅野駅から平日のみ運行1日5便
周辺

下社

所在地
付属施設
  • 下社秋宮宝物殿 - 開館時間:午前10時-午後3時
交通アクセス

秋宮まで

  • 最寄駅:JR東日本中央本線 下諏訪駅 (0.8km)
    • 徒歩:約10分
    • バス:下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線、星が丘線、萩倉・樋橋線、星が丘経由萩倉・樋橋線)で、「諏訪大社秋宮前」バス停下車 - 下諏訪駅から終日計13便

春宮まで

  • 最寄駅:JR東日本中央本線 下諏訪駅 (1.4km)
    • 徒歩:約15分
    • バス
      • 下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線)で、「諏訪大社春宮」バス停下車 - 下諏訪駅から終日4便
      • 諏訪バス(岡谷-上諏訪-茅野線)で、「春宮大門」バス停下車 (下車後徒歩0.9km)

秋宮・春宮間

周辺

当社関係地

  • 神野
原山とも。八ヶ岳西山麓の広大な原野。御狩神事が行われた。

脚注

注釈

  1. ^ a b 建御名方彦神別(たけみなかたひこがみわけ)命、伊豆早雄(いずはやお)命、妻科比売(つましなひめ)命、池生(いけのお)神、須波若彦(すわわかひこ)神、片倉辺(かたくらべ)命、蓼科(たてしな)神、八杵(やきね)命、内県(うちあがた)神、外県(そとあがた)神、大県(おおあがた)神、意岐萩(おきはぎ)命、妻岐萩(つまぎはぎ)命の13柱。

出典

  1. ^ 「大法輪」第72巻1号、大法輪閣、90頁、2005年。
  2. ^ 巻四 地祇本紀 地祇の系譜
  3. ^ 『国史大辞典』御柱祭項。
  4. ^ 御柱について御柱祭公式サイト)。
  5. ^ 『諏訪大社』。
  6. ^ 『諏訪大社』「下社秋宮参道に沿って」節。
  7. ^ a b 古事記 上-5 葦原中国の平定(古事記全文検索)、巻三 天神本紀 大国主神を封じ祀る(現代語訳 『先代旧事本紀』 )参照。
  8. ^ 『長野県の地名』信濃国 古代項。
  9. ^ 『国史大辞典』諏訪郡項。
  10. ^ a b c 『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項。
  11. ^ 『日本三代実録』貞観七年条。
  12. ^ 『左経記』寛仁二年条。
  13. ^ a b 『長野県の地名』諏訪郡節。
  14. ^ 吾妻鏡』、『諸国一宮神名帳』、寛元4年(1246年)の『守矢文書』(以上『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項)。
  15. ^ 吾妻鏡』治承四年条(『長野県の地名』諏訪大社下社)。
  16. ^ 『国史大辞典』諏訪項。
  17. ^ a b c d e 『長野県の地名』諏訪大社下社項。
  18. ^ a b 六国史終了までの神階は「神道・神社史料集成」を参考に記載。
  19. ^ a b c 『諏訪市史』p708。
  20. ^ 『国史大辞典』諏訪氏項。
  21. ^ 大祝・五官の屋敷は『守矢史料館周辺ガイドブック』と諏訪大社上社の散歩道(個人サイト)を参考に記載。
  22. ^ a b 『長野県の地名』諏訪大社上社前宮神殿跡項。
  23. ^ a b 『諏訪大社』「上社本宮参道に沿って」節。
  24. ^ 『守矢史料館周辺ガイドブック』と諏訪大社上社上十三・中十三・下十三カ所一覧(個人サイト)を参考に記載。
  25. ^ 通説では江戸時代初期に描かれたとされる(天正のボロボロ絵図(個人サイト))。
  26. ^ 神宮寺跡の案内板。
  27. ^ 『長野県の地名』守屋山項。
  28. ^ 『長野県の地名』下諏訪町節。
  29. ^ 『諏訪大社』「下社春宮参道に沿って」節。
  30. ^ 『長野県の地名』青塚古墳項。
  31. ^ 売神祝ノ印(下諏訪町ホームページ)。
  32. ^ 青塚古墳(下諏訪町ホームページ)。
  33. ^ 諏訪大社の御柱祭り(下諏訪町ホームページ)。
  34. ^ 専女の欅(下諏訪町ホームページ)。

参考文献

原典

  • 『諏方大明神画詞』 - 正平11年(延文11年、1356年)成立の諏訪大社縁起。全12巻。元は絵巻物であったが、絵は失われ詞書部分の写本のみが伝わっている。

書跡

  • 『諏訪大社』(諏訪大社)
  • 谷川健一編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃 飛騨 信濃』(白水社)諏訪大社項
  • 『神長官守矢史料館のしおり』(茅野市神長官守矢史料館)
  • 『守矢史料館周辺ガイドブック』(茅野市神長官守矢史料館)
  • 『日本歴史地名大系 長野県の地名』(平凡社)信濃国節、諏訪郡 各項、諏訪市 各項、茅野市 各項
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)諏訪氏項、諏訪信仰項、諏訪大社項

関連項目

作品

外部リンク


座標: 北緯35度59分53.37秒 東経138度07分10.09秒 / 北緯35.9981583度 東経138.1194694度 / 35.9981583; 138.1194694