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「仮名遣い」の版間の差分

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'''仮名遣い'''(かなづかい)とは、[[仮名 (文字)|仮名]]の使い方のことである。これには2つの意味がある。
{{百科事典的でない|date=2012年1月}}
* 第一に、同じ[[語]]に対して複数の仮名表記の方法がある場合にどちらを使うべきかという[[規範文法|規範]]を指す{{Sfnp|蜂谷 清人|2007}}。特に、同じ[[音韻]]に対して複数の仮名を使い分けなければならない場合に仮名遣いが問題となる<ref name="Hashimoto">橋本進吉「[https://www7b.biglobe.ne.jp/~w3c/kotoba/HASHIMOTO/KANA.html 仮名遣について]」</ref>。この意味の「仮名遣い」には[[現代仮名遣い]]や[[歴史的仮名遣]]などがあり、主として[[日本語]]において論じられる。
'''仮名遣'''(かなづかい)とは、[[日本語]]の[[正書法]]の内、[[仮名 (文字)|仮名]]で表記される部分についての規則である。狭義には[[和語]]を仮名で表記する場合の規則('''国語仮名遣''')のみを指すが、広義には[[漢語]]([[漢字]])の読みを仮名で表記する方法('''[[字音仮名遣]]''')を含む。主なものには、[[平安時代]]後期以降使われてきた[[定家仮名遣]]、それに[[契沖]]が古文献の研究により修正を加えた[[契沖仮名遣]](明治以降に使われた、いわゆる[[歴史的仮名遣]]はこれによる)、[[1946年]]に制定された[[現代かなづかい]]([[1986年]]に微調整が加えられ、[[現代仮名遣い]]として改定された)等がある。
* 第二に、規範とは関係なく実態として仮名がどう使われていたのかを指すこともある。例えば「[[上代日本語|上代]]には特殊な仮名遣いがあった(上代特殊仮名遣い)」「[[夏目漱石|漱石]]の仮名遣い」のような場合である{{Sfnp|築島 裕|1981|p=324}}。
本項目では第一の場合について述べる。


== 概要 ==
本項目では、固有名詞と引用を除いて「仮名遣」と表記する。これは「仮名遣」「仮名遣ひ」「仮名遣い」などの表記方式を包括するためであるが、今日一般には「[[現代仮名遣い]]」と「[[送りがな|送り仮名法]]」に従い「仮名遣い」と書かれることが多い。
仮名の用い方について問題が起こった場合、それを解決する方法としてはいくつか考えられる。
#仮名遣い解消論。いくつもの仮名の用い方を全て正しいとする。例えば「孝行」を「こうこう」「かうかう」「こふこふ」「かふかふ」「こうかう」……のどれでもよいとする<ref name="Hashimoto"/>。
#表音的仮名遣い。同一の音は同一の仮名で書き、一つだけを正しいとする。例えば「コー」は常に「こう」と書くことにする<ref name="Hashimoto"/>。
#歴史的仮名遣い。伝統的な根拠のあるもの一つだけを正しいとする<ref name="Hashimoto"/>。
#人工的な規範・規則。人工的に一つに決める。学問的根拠や合理性は必ずしも必要ない{{Sfnp|白石 良夫|2008|p=12}}{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=83-86}}。
仮名遣いとは、このうち2、3、4のようにどれか一つを正しいとして決められた規範のことである。その際、その基準をどう決めるかという際に大きな論争が起こることがある。


規範としての仮名遣いは、鎌倉時代に[[藤原定家]]が行ったものが最初である{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=8-9}}。しかしこれは社会全体に広まったものではなかった。社会全体で統一的な仮名遣いが行われるようになるのは明治になってからである{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=7-8}}。戦後の国語改革で「'''現代かなづかい'''」が公布され、こちらを俗に「'''新仮名遣い'''」と呼び、戦前の仮名遣いを「'''旧仮名遣い'''」または「'''歴史的仮名遣い'''」と呼ぶことがある。「現代かなづかい」公布後40年してその改訂版「'''現代仮名遣い'''」が公布され、現在に至る。現在、歴史的仮名遣いは古典の文章や俳句・短歌などの表記に用いられる。
== 歴史的と現代の概要 ==
歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの間で、対照的であるのは主に次の点である。[[#.E4.BB.AE.E5.90.8D.E9.81.A3.E3.81.AE.E6.AF.94.E8.BC.83| 仮名遣の比較]]も参照。


=== 仮名遣いと発音 ===
:歴史的仮名遣では、次のようなことが主張される。ここでは、[[橋本進吉]]博士の「表音的假名遣は假名遣にあらず」によるものを挙げる。
仮名文字の発生当初の時代は発音が文字と一致していたと推測される。しかしその後乖離が大きくなり、江戸時代に[[契沖]]が仮名遣いの復古的な統一案を作り、明治政府はこれを参考に国語教育を開始した。これが歴史的仮名遣いである。そのため『[[万葉集]]』や『[[源氏物語]]』の時代には当然存在せず、契沖が登場した17世紀末以降、学問的に整理されたものである{{Sfnp|築島 裕|1986|p=8}}{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=165-166}}<ref>[[カナモジカイ]]「[http://www.kanamozi.org/hikari701-12et.html 国語国字問題講座]」</ref>。
*第一に、「語」を記述するために、「観念として表意的な表記」を重視する。これは原則として語の表意性に基づく([[語源]]・[[文法]]の[[実証]]を古典に求める)。
*第二に、「音」を記述するために、「現実として表音的な表記」も重視して利用する。これは一貫性のない規則など、音便や方言の意図的な表音表記に適用される。
*「表音的仮名遣」を「仮名遣」と認めず、「現代仮名遣い」はその「表音的仮名遣」であるとする。
*「歴史的仮名遣」は語(の表意性)に基づくと定義する。


明治政府が仮名遣いを統一する以前は、同じ音韻に対して複数の仮名を用いることが一般的であった。例えば「折る」を「おる」とも「をる」とも書くが、それだけでなく、同じ「を」であっても複数の字体があり、「乎」を字母とする仮名も「遠」を字母とする仮名も使われた。本項目では前者の問題を扱い、後者のような「[[変体仮名]]」「異体仮名」の問題は扱わない。例えば「し」字体は語頭以外に、「志」字体は語頭に使うという使い分けのなされた時期がかつて存在した。このような字体の使い分けを、「仮名遣い」と区別して「仮名文字遣い」と呼ぶことがある{{Sfnp|今野 真二|2014|p=193}}。
:現代仮名遣いでは、次のようなことが主張される。ここでは、[[金田一京助]]博士の「新かなづかい法の学的根拠」によるものを挙げる。
*第一に、「仮名が表音文字である現実」を重視して、「[[発音]]通りに表記できることを目的」とする。それは原則として現代語音に基づく(観念的な現代音韻に求める)。
*したがって、語の観念(表意性)は表記において無視されるが、例外もあり、それは語意識の高さ(表意性の認識)から過去の書記習慣と妥協する場合である(助詞の「は」、「を」、「へ」)。
*橋本による「表音的仮名遣」が「仮名遣」であるかどうかについては言及していないが、「現代仮名遣い」は正書法であり、それには当たらないとする。
*「歴史的仮名遣」は上代語(の表音性)に基づくと定義する。


「歴史的仮名遣」では必要に応じて仮名の表意と表音を使い分け現代仮名遣い」では仮名表音を重視し表意は「歴史的仮名遣」と妥協した表記と見して
仮名遣いが統一されるということは、同じ語はいつも同じ綴りで書くということである。これは「発音通り書くということではない。同音韻でも語によって仮名を使い分けることが「仮名遣い」であって発音通り書くことは「仮名遣ではない<ref>橋本。金田一1947。</ref>


なお仮名遣いに関する議論で、特に「表音式仮名遣い」に反対する立場の中には、発音は一人一人違うのであるから表音式仮名遣いは不可能であると論じられることがある{{Efn2|例えば[[時枝誠記]]など。}}。しかしこの場合の「発音」とは[[音声]]のことである。仮名遣いで問題になるのは音声ではなく音韻の方であり{{Sfnp|江湖山 恒明|1960|p=第2部第1章。}}、同じ音韻に対して一つの仮名に統一するか、複数の仮名を使い分けるかということである。
== 歴史と概観 ==
仮名遣の問題は古くから存在した。しかし、仮名遣の理念やその方向性が定まり、また実際に広く適用されるようになったのは明治以降のことである。今日では和語や漢語、そして外来語などをどのように表記するかを定め、規範とするものをいう。つまり、日本語における[[正書法]]である。


=== 仮名遣の誕生 ===
=== 仮名遣い」と「正書法」 ===
仮名遣いは[[正書法]]の一つである。ただし、正書法は一語一語について決められる規範であるのに対して、仮名遣いはそれに加えて一字一字のレベルに還元することができる。例えば英語のboughとbowの違いについて、wの「ローマ字遣い」という言い方はしないが、「い」と「ゐ」の「仮名遣い」という言い方は可能である<ref name="gengo">『言語学大辞典第6巻術語編』三省堂、1996年。</ref>。
仮名は平安時代初期に完成したといわれており、仮名で文字を綴る仮名文はこの時代に始まっている。しかし、時間の経過と共に(現在の音韻学によると)発音が変化し、平安後期には「い・ひ・ゐ」、「え・へ・ゑ」、「お・を」の区別があいまいになっていたとされる(音韻の変遷については音韻学の一般的な見解による)。それまでは音韻通りに表記するだけでよかったが、複数の仮名が同じ音を表すようになると、どれを使うかについて混乱が生じた(後述の橋本の論文参照)。そのような中、[[藤原定家]]は自身の見た当時すでに古典とされた文学作品と定家の時代の使用例とを見比べ、古典では仮名が或る種の規則に従っているが、今(定家の時代)の表記は乱れている(統一性がない)ことに不満を持ったとされる。そこで定家は古典の表記を抜粋し、自分がかくあるべきと判断した仮名遣いの例を辞書的に並べた『[[下官集]]』([[和歌]]や冊子本を書き写す際の決まりなどを定めた書)をまとめたとされ、それが今日まで伝わっている。


また[[音便]]現象や「読み癖(読曲)」という問題は仮名遣いの対象になっていない{{Sfnp|江湖山 恒明|1960|p=第2部第4章。}}<ref name="gengo"/>。例えば「よみて」と書いて「ヨンデ」と読む、逆に言えば「ヨンデ」という語を表す際に「よみて」という仮名表記をするということはほとんど主張されない。この場合は音韻の歴史的変化に従って発音通り書かれるのが通例である。
後に[[源親行]]の孫[[行阿]]によって仮名遣いの例を増補した『[[假名文字遣]]』が著される(これを[[行阿仮名遣]]とも呼ぶ)。この頃には「ほ・は・わ・む・う・ふ」などの仮名の書き分けが追加され、また時代と共に幾度となく修正・増補が加えられ、仮名文字を必要とする人々の規範になった。また仮名は多く和歌に用いられたこともあり、行阿仮名遣も歌仙と讃えられた定家による「定家仮名遣」として多く流布した。


=== 上代古典の研究 ===
== 歴史 ==
{{See also|日本語学#歴史}}
戦乱も明け安定した江戸時代になると、王朝文化への憧れや近代[[合理主義]]の萌芽と共に[[国学]]が発揚された。当時残っていた上代の古典は、それまで解読不能とされてきたが、江戸中期に国学者[[本居宣長]]が古事記の解読を熱心に進めるなど、国学者により読み進められ研究されていくこととなった。その研究水準は現代の学者からも評価が高く、そのような中で江戸初期の[[元禄]]時代に、[[契沖]]が[[和字正濫抄]]を著し、平安初期以前の文献から混乱のない表記を見出した[[契沖仮名遣]]を示した。
平安初中期まで(10世紀頃まで)の仮名の書き分けは、音韻の区別に合致していた{{Sfnp|築島 裕|1986|p=13}}。このような音韻に対応した仮名の使い分けは「仮名遣い」とは呼ばない。例えば[[上代特殊仮名遣]]は語によって仮名の使い方が大体決まっているが、それは単に音韻の違いを反映しているのであって「仮名遣い」ではない{{Sfnp|築島 裕|1986|p=12}}。その後[[ハ行転呼]]などの音韻の変化が起こり、同じ「顔」という語に対して「かほ」も「かを」も併用されたが、これも表記が統一されていないので「仮名遣い」ではない{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=13-14}}。ア行のオとワ行のヲが平安末期-鎌倉初期頃の文献(『[[将門記]]』『[[大般若経音義]]』『[[色葉字類抄]]』、後述の『[[下官集]]』など)で使い分けられていたが、これはアクセントの高低によるものであって{{Refnest|group="注"|name="oono"|大野晋「仮名遣の起原について<ref>『[[國語と國文學|国語と国文学]]』第27巻12号、1950年。後に『語学と文学の間』(岩波書店〈岩波現代文庫〉、2006年。{{ISBN|4006001541}})に収録。</ref>」による{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=26-27}}。}}、これは音韻の違いであるから、「歴史的仮名遣い」の原理とは異なる{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=23-29}}。


=== 定家仮名遣い ===
契沖は定家仮名遣以降に修正を加え、ただ古典に従うことのみをよしとした仮名遣に「語義を書き分けるため」という意義を付け加えた。また契沖は悉曇学の「音韻」を重視する考えに影響を受けていて、古くは音韻の区別があったため、書き分ける必要があったと考えていたようである(後述)。
[[File:Fujiwara no Teika.jpg|thumb|藤原定家]]
音韻の違いと無関係に語によって使い分ける「仮名遣い」が初めて起こるのは、鎌倉時代の[[藤原定家]]の著『[[下官集]]』からである。定家自筆本系統の伝本によれば、この文献には「緒之音」(ワ行のヲ)「尾之音」(ア行のオ)「え」「へ」「ゑ」「ひ」「ゐ」「い」の各項目について、合わせて60ほどの語彙を例示する形で仮名遣いが示されている<ref>『下官集の諸本』浅田徹(『国文学研究資料館紀要』第26号、2000年)。</ref>。この書は文献の書写のマニュアルを示した書であり、仮名遣いもその一環として示されたものである<ref>小松英雄「藤原定家の文字遣」『日本語書記史原論』笠間書院、1998年。</ref>{{Sfnp|白石 良夫|2008|p=67}}。


[[南北朝時代 (日本)|南北朝期]]には[[行阿]](ぎょうあ)によって用例の増補された『[[仮名文字遣]]』が著される。諸本によって1050語ないし1944語の語彙が例示されている<ref>大友信一「解題」『仮名文字遣』駒澤大学国語研究資料第二、1980年。</ref>。ただしヲとオの使い分けは定家のものとは異なっているが、大野晋はアクセントの歴史的変化が既にあり、定家の頃と違ったためとしている<ref name="oono" group="注"/>。行阿によって定められた仮名遣いのことを「[[定家仮名遣い]]」という{{Sfnp|山田 孝雄|1929|p=16}}。行阿のものを定家のものと区別して言うときは特に「行阿仮名遣い」ともいう。定家仮名遣いは主に[[和歌]]の世界で流通した{{Sfnp|築島 裕|1981|p=331}}。
==== 本居宣長と字音仮名遣 ====
後に[[楫取魚彦]]や本居宣長に修正されて、江戸時代に仮名遣(歴史的仮名遣)の表記はほぼ完成した。さらに、本居宣長は特筆すべき研究を残していて、彼は[[五十音図]]を本来のものに修正している。


定家仮名遣いは『万葉集』などに見られる[[万葉仮名]]とは一致しない。こうした指摘は早く権少僧都成俊の記す『万葉集』写本の識語(1353年)に見られる{{Sfnp|築島 裕|1986|p=45}}。しかしこれらは江戸時代に[[契沖]]が[[国学]]として研究するまで広く知られるものとはならなかった。そのほか定家仮名遣いに反対したものには[[長慶天皇]]による『源氏物語』の[[注釈]]『[[仙源抄]]』(1381年)などがある{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=46-49}}。
*アイウエオ(ア行)
*ワヰウヱヲ(ワ行)


その後の音韻変化で同音となったものにはまた新たな仮名遣いが必要となった。「じぢずづ」([[四つ仮名]])の区別を示した『[[蜆縮涼鼓集]]』(けんしゅくりょうこしゅう)や、オ段長音の[[開合]](「かう」と「こう」など)の区別を示した『謡開合仮名遣』などの書が出た。
これが現在知られる五十音図であり、[[11世紀]]頃のものであるが、時代の経過と共に五十音図もまた混乱していった。


=== 契沖仮名遣い ===
*アイウエヲ(ア行)
[[File:Keichu02.jpg|thumb|200px|契沖]]
*ワヰウヱヲ(ワ行)
やがて元禄時代に[[契沖]]が、奈良時代から平安時代中期の文献に基づいて徹底した実証的な研究を行った{{Sfnp|築島 裕|1981|p=333}}。そこで契沖は、定家仮名遣いが上代の文献とは相違することを突き止め、「濫れを正す」として『[[和字正濫鈔]]』を著した([[1695年]]刊)。


契沖の仮名遣いはすぐに受け入れられたわけではなかった。 [[橘成員]]は『倭字古今通例全書』を著して契沖の仮名遣いとは異なり、定家仮名遣いに近い仮名遣いを示した。契沖はこれを自著に対する批判と受け取り、『和字正濫通妨抄』で感情的な反論をしたがこれはついに出版されなかった{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=93-94}}。
[[13世紀]]頃には、上記のようにア行のオ列が「ヲ」となるものが現れ、さらに時代が経過すると「オ」と「ヲ」が入れ替わり、江戸時代には次のような五十音図も正しいと信じられていた。


契沖仮名遣いで用いられる仮名の体系は、いろは47文字の体系で解釈するものである{{Sfnp|築島 裕|1986|p=104}}。つまりア行のエとヤ行のエの区別や上代特殊仮名遣の区別などは採用されなかった。また契沖は[[五十音図]]を作成したが、「を」をア行に、「お」をワ行に宛ててしまった{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=54-55}}。これは後に[[本居宣長]]によって、現在と同じような位置に訂正された。
*アイウエヲ(ア行)
*ワヰウヱオ(ワ行)


江戸時代中期には契沖仮名遣いを継承する国学者が現れた。[[楫取魚彦]]の『[[古言梯]]』(こげんてい、ふることのかけはし{{Efn2|『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名である可能性がある{{Sfnp|今野 真二|2016|p=198}}。}}、[[1768年]]ごろから刊)、そして本居宣長の『[[字音仮字用格]]』(じおんかなづかい、もじごえのかなづかい、[[1776年]]刊)等である。
この五十音図は契沖、[[荷田春満]]、[[賀茂真淵]]らも正しいと信じていたようである(以上五十音図についての説明は、[[小西甚一]]博士の「国文法ちかみち」に基づく)が、本居宣長はこれを研究の結果から理論的に正しく推定し修正した。まだ充分な資料(古い写本)が無い頃ではあるが、こういった仮名に対する深い研究が蓄積されることで、平安初期から数百年の時を経て古来からの表記、「語の綴り方」を取り戻し、歴史的仮名遣は完成に近付いて行った。
[[File:Katori Nahiko.jpg|thumb|200px|left|楫取魚彦]]
魚彦は、『和字正濫鈔』に典拠が少ないことを問題として、記紀万葉などの古典のみならず、新たな出典として『[[新撰字鏡]]』などを挙げながら、1883語{{Efn2|『古言梯』の「附言」による。}}を五十音順に排列して仮名遣いを示した。本書は広く流布し、魚彦の没後には各人による補訂増補版が出版されている。[[藤重匹龍]]『掌中古言梯』([[1808年]]〈文化5年〉刊)、[[村田春海]]・[[清水浜臣]]『古言梯再考増補標註』([[1821年]]〈文政4年〉{{Efn2|清水浜臣「古言梯標註後序」による。なお、春海は[[1811年]](文化8年)に死去している。}}刊)、『袖珍古言梯』([[1834年]]〈天保5年〉刊)、[[山田常典]]『増補古言梯標註』([[1847年]]〈弘化4年〉刊)である{{Sfnp|岩澤 和夫|2001|p=275}}。これらのほかにも、[[市岡猛彦]]『雅言仮字格』([[1807年]]〈文化4年〉刊)、[[鶴峯戊申]]『増補正誤仮名遣』(1847年〈弘化4年〉刊)などがある{{Sfnp|木枝 増一|1933|p=181}}。
[[File:本居宣長02.jpg|thumb|200px|本居宣長]]
宣長は、中国の漢字音を整理した『[[韻鏡]]』なども利用して、日本漢字音の仮名遣いを体系的に整理した。その結果、万葉仮名の「お」「を」がそれぞれア行、ワ行に属することが明らかになった。しかし、韻尾の -n と -m の区別を廃して一律に「-ム」としてしまった{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=123-124}}。これが誤りであることは[[#歴史的仮名遣いにおける撥音|後述]]する。その他にも後代に賛成を得られなかった点は少なくないが、字音仮名遣い研究の基礎となった{{Sfnp|築島 裕|1986|p=126}}。そのほか[[白井広蔭]]『音韻仮字用例』(おんいんかなようれい、1860年刊)などもある。


こうして国学が興るとともに、契沖仮名遣いは、和歌・和文や国学の著作に用いられたが、日常の俗文をも規制するものではなかった。宣長も俗文を作文する際には当時一般の仮名の用い方をしている。
本居宣長は、これらの研究を元にさらに[[字音仮名遣]]の体系を示したが、その復元法は中国古典の「音韻」に基づくものであり、後述の理念とは多少異なる点がある。また、歴史的仮名遣を支持するものの中で、字音仮名遣に対して反対する(字音は表音化するべきであるとする)[[時枝誠記]]や[[福田恆存]]等の立場があるが、これは後述するような理念に基づいている。これは現代かなづかいに反対した[[三島由紀夫]]とは違う立場である。なお、字音仮名遣の扱いが資料によってまちまちであるのは、どこまでを、どの時代の音によって仮名遣と認めるべきかという認識に大きく差があるからである。


=== 仮名遣の理念 ===
=== 明治以降の歴史的仮名遣 ===
明治政府は中央集権的に諸制度を整備していったが、[[学制]]の公布に伴い、学校教科書の日本語をも整備していった。その際、歴史的仮名遣いが採用された。歴史的仮名遣いの推進者は[[物集高見]]あるいは[[榊原芳野]]とされる{{Efn2|古田東朔の研究による{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=133-134}}。}}。榊原は『小学読本』(明治6年〈[[1873年]]〉)の例言において、ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウ、ア行のエとヤ行のエを区別しないとし、ここで歴史的仮名遣いがいろは47文字(「ん」を含めて48字)の体系となった{{Efn2|古田東朔の説による{{Sfnp|築島 裕|1986|p=136}}。}}。
明治になって学校教育を始めるにあたり、仮名文字を綴る既存の規範はいわゆる契沖仮名遣(増補されたもの)だけであり、これを仮名遣として採用した。ところが契沖の示す「語義を書き分ける」という点は、尤もらしい部分もあるが、一部で矛盾を抱えている。漢語を除き、語彙を同一の時代に絞ったとしても、やはり「語義を書き分ける」という点は原理としては不十分で、度々「表音的仮名遣」が取り沙汰された。


[[大槻文彦]]は近代的な国語辞書『[[言海]]』を著し([[1891年]]〈明治24年〉)、ここで採用された歴史的仮名遣いは一般への普及に役立った{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=140-141}}。
国語教育の問題以外にも仮名遣の研究が国学者の間で続いていたが、昭和初期になり新たな研究成果が示された。本居宣長の弟子であった江戸後期の国学者[[石塚龍麿]]が著した「[[古諺清濁考]]」「[[假名遣奧山路]]」が、昭和初期になり初めて国文学者[[橋本進吉]]・[[時枝誠記]]らによって再評価されるに至ったのである。橋本は大正六年に「帝國文學」で「國語假名遣研究史の一發見」を発表、昭和六年九月には[[上代特殊仮名遣]]を発表した学者として名高い([[上代の文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法]])が、同時に日本語の音韻学にも影響を与えた。假名遣奧山路では上代の文献においてのみみられる特殊な仮名遣が、古諺清濁考では清濁音の混乱が上代の文献において見られることが示されていた。


このようにして整備された歴史的仮名遣いは、契沖仮名遣いが和文や国学者に限られていたのに対し、学制や[[言文一致]]運動以後、[[口語文]]でも用いられていった。しかし完全には守られず、一般への普及には数十年かかった。例えば明治初期の[[仮名垣魯文]]や[[樋口一葉]]はいまだ恣意的な仮名遣いであったが、[[夏目漱石]]に至るとほとんど歴史的仮名遣いで統一されるもののいまだ合わない例も見られ、[[石川啄木]]に至っても合わない例がある{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=141-146}}。
音韻に関していうと、上代特殊仮名遣による音韻論でも言及されているが、古諺清濁考による清濁音の混乱が認められることから、仮名遣自体が音韻の変化を完全にとどめていると見なすことはできない。現存する古典から完全に類推できるのは古い語の綴り方のみであって、だから歴史的仮名遣では仮名遣は語によってのみ決まるのである。


しかしそもそも正しい歴史的仮名遣いを確定することの難しい語もある。[[1912年]](大正元年)と[[1915年]](大正4年)に文部省国語調査委員会は『[[疑問仮名遣]]』(前後編)を発行し、最新の研究に基づく正しい仮名遣いを決定しようとした。『[[竹取物語]]』『[[伊勢物語]]』などは平安時代の写本がないので仮名遣いの確かな資料にはならない{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=152-153}}。そのため平安時代の資料には[[訓点資料]]が多数採用された。この研究によって「あるいは」「もちゐる」などが確定した{{Sfnp|築島 裕|1986|p=154}}。このようにして契沖以来の歴史的仮名遣いは、大正に至って一応の完成を見た{{Sfnp|築島 裕|1986|p=152}}。しかし「うずくまる」「いちょう(鴨脚子)」「がへんず(肯)」など、いまだに説が分かれていたり、確定をみていない語も残っている{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=154-157}}。そもそも平安時代に存在しなかった語形(「-ましょう」など)に対して歴史的仮名遣いを決定することには無理がある{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=118-123}}との考えもある。
以上を踏まえて、仮名遣とは過去の「音韻」によるものでもなければ、時枝が評するところの契沖の「語義の標識」でもなく、「語に従う」ものであることを橋本は初めて示し、昭和十七年にそれを発表した([[表音的假名遣は假名遣にあらず]])。また「仮名文字」の扱いと表音主義に対して次のように警告した。「仮名文字」による仮名文は表音(頭の中にある音)を書き表すことを指向したのではなく、「仮名文字」による仮名文は誕生当初からあくまで語を綴ろうとしたのであって、表音主義ではそこを誤解しているというのである。


漢字音の仮名遣い(字音仮名遣い)については更に後世の研究に待つことになった{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=153-154}}。例えば本居宣長は「推」「類」などを「スヰ」「ルヰ」としたが、[[満田新造]]は[[1920年]](大正9年)に「スイ」「ルイ」の形が正しいと主張し、古例はみなそうであることが[[大矢透]]などによって確かめられた。同様に「衆」「中」などを宣長は「シユウ」「チユウ」としたが、現在は契沖が採用した「シウ」「チウ」の方が古例であることがわかっている{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=158-160}}。しかしこのような学問的に決められた仮名遣いは、必ずしも一般の国語辞典・漢和辞典にすぐに採用されたわけではなく、旧説と新説が混在することもあった。「スイ」「ルイ」の説は、『明解古語辞典』([[1953年]])をはじめとして『[[日本国語大辞典]]』([[1972年]]–[[1976年]])、『古語大辞典』([[1983年]])、『角川古語大辞典』([[1982年]])などに新説が採用されたが、『[[大漢和辞典]]』(1955年–1960年)では旧説「スヰ」「ルヰ」のままである{{Sfnp|築島 裕|1986|p=159}}。このように、字音仮名遣いはいまだに完成していない{{Sfnp|築島 裕|1986|p=160}}。
{{quotation|(五)《前略》假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。《後略》|表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)}}


=== 「棒引き仮名遣い」と「仮名遣改定案」 ===
以上は「表音的假名遣」が「仮名遣」ではないとするその結論の一部であるが、次節ではその導入部分を示す。なお「現代語の語音に基づく」べきであるとする後述の「現代かなづかい」では、多く「歴史的仮名遣」が「古代語の音に基づいている」とされ、橋本の主張とは異なり、また「古代語」という考えにも要注意である。ここでは「語法」を指しての「古代語」の意味ではなく、あくまで「音」に関する論である。「歴史的仮名遣」は中古語に基づく文語文(いわゆる擬古文)のように「古い語法によって文を書くこと」を意図したものではない。本来正書法とは語の綴り方であって、「[[言文一致]]」のような文体の問題とは関係がないものだからである。
明治政府の策定しようとした歴史的仮名遣いは、必ずしも受け入れられたわけではなかった。もっと発音通りにして記憶の負担を軽くしようという反対論も根強かった。


実際、[[国定教科書]]において1904年度(明治37年度)から1909年度(明治42年度)までの6年間、俗に「棒引き仮名遣い」と呼ばれるものが行われた。これは字音の長音を発音通りに長音符「ー」で統一的に表記するものであった。例えば「ホントー デス カ」「ききょーもさいてゐます」のようなものである{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=147-149}}。
{{quotation|《前略》いわゆる歴史的かなづかいは、'''古代語'''の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、'''現代かなづかい'''は、'''現代語'''を書くことにするということである。《後略》
|新かなづかい法の学的根拠(金田一京助)抜粋}}


[[1924年]](大正13年)、臨時国語調査会の総会において、表音式の「仮名遣改定案」が可決された。拗音の「ゃ・ゅ・ょ」や促音の「っ」を右下に小さく書くほか、例外なく「じ・ず」に統一し、「通る」「遠い」も「トウる」「トウい」にし、「言う」を「ユう」とするなど、急進的なものであった{{Sfnp|土屋 道雄|2005|p=152}}。しかし[[山田孝雄]]や[[芥川龍之介]]、[[与謝野晶子]]、[[橋本進吉]]などの反対論があり、日の目を見なかった{{Sfnp|土屋 道雄|2005|p=152}}。その後も修正案が作られ、[[第二次世界大戦]]を迎える。
=== 歴史的仮名遣の総括 ===
歴史的仮名遣が最終的に到達した理念「語に従う」ことについて、橋本進吉は以下のように述べている。


=== 「現代かなづかい」の公布 ===
{{quotation|(一)假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。<br />
第二次大戦後、国語改革が行われ、[[1946年]](昭和21年)[[当用漢字表]]などとともに「現代かなづかい」が内閣訓令として公布された。これは歴史的仮名遣いに比べて表音主義に基づくものであり、現代語の同じ音韻に対して同じ仮名を用いるものであった。ただし助詞の「は」「を」「へ」や「ぢ」「づ」、長音などには歴史的仮名遣いを継承した部分もある。従って「現代かなづかい」は「現代語音」に基づくとはいえ、正書法(正字法、オーソグラフィ)であって「表音式かなづかい」ではなく<ref>金田一1957、300頁。</ref>、表音式の原理と「かつて書かれていたように書く」という慣習の原理とを併用している{{Sfnp|今野 真二|2014|p=233}}。その40年後の[[1986年]](昭和61年)には、「現代かなづかい」を改訂した「現代仮名遣い」が内閣告示として公布され、現在に至る。両者の違いは、内容上はほとんどないとされる{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=133-134}}。
この事は古來の假名遣書を見ても明白である。例へば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歴史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彦の古言梯にいたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。<br />
表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣ひについて書いたものにも往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が既に假名遣の明らかな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり箇々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。<br />
以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歴史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ。
|表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)}}


表音主義的立場に対して、[[小泉信三]]が1953年(昭和28年)『[[文藝春秋]]』誌で反対論を述べたことから論争が起こった。[[金田一京助]]や[[桑原武夫]]がこれに反論、一方[[福田恆存]]が彼らに再反論し、福田と金田一が互いに感情的な論難をやり合うといった論争が行われた。この論争にはほかに[[高橋義孝]]らも関わった{{Sfnp|土屋 道雄|2005|p=152}}。作家の[[坂口安吾]]は国語改革に賛同しつつも覚えるのが面倒、交ぜ書きは読みにくいとして、漢字制限盲信も古語教育もナンセンスとした<ref>坂口安吾『[https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42881_34344.html 新カナヅカヒの問題]』</ref><ref>坂口安吾『[https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56818_58006.html 文字と速力と文学]』</ref>。
「語に従う」とは、「音」が「語」を構成し認められるにつれ、表音文字であった仮名文字が、観念において[[表語文字]]、あるいは[[表意文字]]へと変わる(すなわち「單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味がある」)ことを述べている。正書法とは「語意識」、つまり「表語」にあって「表音」にはなく、そのことは「現代かなづかい」が正書法を主張する理由として[[土岐善麿]]も述べている(後述)。


しかし結局「現代かなづかい」「現代仮名遣い」は、現代日本の規範として定着した<ref name="gengo"/>。ただし一部の文化人の間には「歴史的仮名遣いの方が優れている」という意見が少なからず見られ{{Efn2|その際に理由として挙げられる多くは「語源が分からなくなってしまった」や「江戸時代以前の古典文学はもとより、たかだか60年しか経過していない戦前の文学作品でさえ、読むのに難渋するものになってしまった」などである{{Sfnp|青木 逸平|2005|p=133}}。}}、現在も歴史的仮名遣を支持する者が少なからずいる{{Efn2|例えば昭和34年([[1959年]])に、[[戦後]]の国語改革に疑問を有する各界有志160余名の賛同を得て設立された「國語問題協議會」は、現代仮名遣いに対する活発な[[反対運動]]を展開している{{Sfnp|土屋 道雄|2005|pp=270-271}}。}}。
一方で、仮名の表音性は重視すべきかについて、そうではないと論じている。前述のように、清濁表記の混乱があったために、必ずしも表記の違いが音韻の違いを表したとはいえない。音韻と表記が一致したとしても、「歴史的仮名遣」の本質は、「國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるか〔同上(5)より抜粋〕」が問題になったのであり、「文語(文字言語)」や「口語(音声言語)」に基づく仮名遣は「仮名遣」としては別のものなので注意すべきだと警告した。


== 語の意識と仮名遣い ==
音を明確に示したい場合には、歴史的仮名遣にも表音的仮名遣を使用する余地がある。歴史的仮名遣では、[[擬音]]や[[方言]](方言の読みを示したい、また語源がよく分からない場合、狭義の[[音便]]を含む)はあくまで「音」であるから「音の書き方のきまり」である表音的な仮名遣を用い、それが「語」になって初めて「語を書くきまり」である歴史的仮名遣を用いるとよい、と橋本は述べている(昭和十五年の「國語の表音符號と假名遣」も参照)。
=== 「語に随う」 ===
橋本進吉や福田恆存は、仮名遣いの原理を「音にではなく、語に随ふべし」とした<ref>橋本進吉「[https://www7b.biglobe.ne.jp/~w3c/kotoba/HASHIMOTO/HYOON.html 表音的仮名遣は仮名遣にあらず]」</ref>{{Sfnp|福田 恆存|1987|p=471|ps=(初刊新潮社、のちに文春文庫)}}。仮名は確かに表音文字だが、音韻を単位としてそれに対応するのではなく、表音文字の結合したものを単位として語に対応するとする。つまり音韻と表記は必ずしも一致するものではない{{Sfnp|福田 恆存|1987|pp=486-487|ps=(初刊新潮社、のちに文春文庫)}}。ただし橋本や福田も指摘するように、「現代かなづかい」は完全な音韻対応ではなく、一部に表語機能を残している。また「むかひて」が促音便化して「むかつて」と書かれることは「臨機の処置にすぎぬ」として表語機能の反例にはならないとする{{Sfnp|福田 恆存|1987|p=483|ps=(初刊新潮社、のちに文春文庫)}}。


一方「現代かなづかい」制定側の国語審議会の中でも、完全な表音ではうまくいかないと考え始め、[[土岐善麿]]は新仮名遣いも「正書法」であるとすれば説明がつくと考えた<ref>『声』6号、座談会。福田全集に引用、633-634頁。</ref>。
しかしながら、これらの研究成果は教育にフィードバックされることはないまま敗戦を迎え、占領軍による統治政策下により仮名遣もまた大きな転換期を迎えた。


今野(2014)は「語に随う」と似た概念を、「かつて書いたように仮名を使う」と表現している。そしてこれは必ずしも「語が識別しにくくなるから」ではない{{Sfnp|今野 真二|2014|p=27ほか}}。
=== 表音主義の台頭 ===
字音仮名遣の習得の難しさから、歴史的仮名遣に対する批判は明治時代から行われてきた。戦前の国語審議会において試案され、三十三年式と呼ばれた「表音的仮名遣」はあったが、主流となることはなかった。第二次世界大戦の敗戦後、占領下の日本でGHQの指令により様々な近代化策が取られる中、国語教育は大きく転換することとなり、発音による表記を本則とする仮名遣である「現代かなづかい」が告示された。


=== 語源意識 ===
橋本は「表音的假名遣は假名遣にあらず」としているが、ここでは「現代かなづかい」は「表音的仮名遣」を包括した存在であるとする。「表音的仮名遣」が「仮名遣」であるかどうかについての議論は「[[現代仮名遣い]]」を参照。
1946年に公布された「現代かなづかい」は「語に随う」面を残したため、語源の認定の仕方によって表記の揺れが起こりうる。当初は表音主義で考え始めたため、基本的に同じ音韻は一通りに書くことを原則としたが、いくつかの例外を設けた。その例外の一つが「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けである。


本則は「じ」「ず」を用いるが、「同音の連呼によって生じた」場合と「二語の連合によって生じた」場合には「ぢ」「づ」を用いることとなった。前者は「ちぢむ」「つづく」のようなものである。ただし「いちじく」「いちじるしい」などは本則どおりとされた。後者は「はなぢ(鼻血)」「みかづき(三日月)」などであり、これらは「はな+ち」「みか+つき」と分析できるので、語源となる語を表すこととなった。しかし現代人の意識では2語に分析しにくいものは本則通りとし、例えば「世界中」「稲妻」は「せかいじゅう」「いなずま」とされた。後者の規定は1986年に許容を広げることとなり、「せかいぢゅう」「いなづま」と書くこともできるとされた。このように、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けは、語の意識の有無を判定しなければならない{{Sfnp|福田 恆存|1987|p=454|ps=(初刊新潮社、のちに文春文庫)}}{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=158-160}}。
=== 現代かなづかいの告示 ===
「[[現代かなづかい]]」は「[[表音主義]]」を本則としたものであった。第十一回国語審議会で「[[現代かなづかい]]」は制定された。多数贊成の委員会の答申をもって「現代かなづかい」は閣議決定され、昭和二十一年に告示・公布された。


同様に語源意識が問題となるものに「は」がある。/wa/と発音されるものは「わ」と書くのが本則であるが、助詞の「は」は慣習を残すこととなった。すると「あるいは」「こんにちは」「すわ一大事」などを「は」「わ」どちらにすべきかが問題となる{{Sfnp|白石 良夫|2008|ps=本節全体は第6章。}}。
==== 第十一回国語審議会 ====
:国語審議会主査委員(昭和二十一年九月)
*[[安藤正次]](元[[台北帝国大学]]総長)
*[[有光次郎]]([[文部省]]教科書局長)
*[[時枝誠記]]([[東大]]教授)
*[[山本有三]]([[帝国芸術院]]会員)
*[[神保格]](元[[東京文理大]]教授)
*[[金田一京助]](元東大教授)
*[[清水彌太郎]]([[読売報知]]調査局長)
*[[河合勇]]([[朝日新聞]]印刷局長)
*[[井手成三]]([[法制局]][[参事官]])
*[[藤村作]](東大名誉教授)
*[[東条操]](元[[学習院]]教授)
*[[小幡重一]](東大教授)
*[[松坂忠則]]([[カナモジカイ]]常務理事)
*[[佐伯功助]]([[日本ローマ字協会]]常務理事)
*[[長沼直兄]]([[言語文化研究所]]理事長)
*[[石黒修]]([[国語協会]]常任理事)
*[[岩淵悦太郎]](文部教官・文部事務官)
*[[西尾実]]([[東京女子大]]教授)
*[[服部四郎]](東大助教授文博)
*[[宮川菊芳]](下谷坂本小学校長)


=== 和語と漢語 ===
現代かなづかいの制定には20名の主査委員のうち唯一[[時枝誠記]]が反対したが、会の中では少数派であった。時枝は次のような意見を述べている。
和語と漢語で異なった表記が行われることがある。和語の仮名遣いには歴史的仮名遣いを用い、漢語の仮名遣い(字音仮名遣い)には表音式仮名遣いが主張されることが少なくない{{Efn2|例えば福田恆存など。}}。「棒引き仮名遣い」においても、長音符「ー」は和語には適用されず漢語のみである<ref>森田富美子「現代仮名遣い」『講座日本語と日本語教育第8巻 日本語の文字・表記(上)』明治書院、1989年。</ref>。「現代仮名遣い」では和語と漢語を区別しない{{Sfnp|今野 真二|2014|pp=226-229}}


=== 外来語の仮名遣い ===
{{quotation|「現代かなづかい案」が閣議の決定を經て一般に公布せられ、國民敎育の敎科書にまで採用せられるに至つたについては、それは多分に時勢の然らしめたところであつて、國民一般の國語に對する深い理解と、納得とに基づいたものではないと私は判斷してゐる。國民一般の國語に對する無知に乘じた國語行政當局の獨善的態度による强行に基づいたものと云つても過言ではないのである。
漢語以外の語彙が日本語の中に流入すると、その表記が問題となる。大航海時代以来、そして文明開化以来、多くの外来語が日本語の語彙として仮名表記されてきたが、その仮名遣いの基準は20世紀末まで持ち越された。国語審議会は1991年に「外来語の表記」を答申、同年告示された。その特徴は、1語に複数の表記を認める、緩やかな「よりどころ」であった{{Sfnp|野村 敏夫|2006|p=204}}。
|國語假名づかひ改訂私案(時枝誠記/國語と國文學・第二十五卷三月號/[[至文堂]]・昭和二十三年)}}


== 音韻と仮名遣い ==
時枝は字音仮名遣の表音化については賛成であった(すなわち橋本説からみて、漢字自体が表語文字なので読みは表音でも構わないする)が、字音仮名遣の扱いの論は後述する。
=== 「現代語音」と個人差 ===
1946年の「現代かなづかい」では、「表音式」とは謳っていないものの、「現代語音」に基づくとされた。これに対して、現代語でも方言差や個人差があったりするし、現代語の発音がまだ十分に明確になっていないと論じられることがある{{Efn2|例えば前者は山田孝雄、時枝誠記など。後者は山田、[[岩淵悦太郎]]など。}}。しかし仮名遣いを決める際には方言や個人差は考慮しなくてもよく、また標準的な音韻の確定していない語彙は少数にとどまるとされる(江湖山{{Sfnp|江湖山 恒明|1960|p=212}})。


==== 現代かなづかいの精神 ====
=== 現代かなづかいオ列長音と歴史的仮名遣いからの継承 ===
「現代かなづかい」は、当時歴史的仮名遣いを使っていた人々に向けて作られたものである。そのため、歴史的仮名遣いを知っていなければわからないものとなっていた{{Sfnp|福田 恆存|1987|p=452|ps=(初刊新潮社、のちに文春文庫)}}{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=143-145}}。例えば「氷」「通る」「遠い」「大きい」などは「<u>オ</u>に発音される<u>ほ</u>は、<u>お</u>と書く」のような表現が取られ、オ列長音とは見なされなかった。そこで1986年の「現代仮名遣い」は、歴史的仮名遣いの知識を前提としないように整備されたが、規範そのものは基本的に改められず{{Sfnp|白石 良夫|2008|pp=148-149}}、「こおり」「とおる」といった仮名遣いも「慣習を尊重した表記」として残った{{Sfnp|白石 良夫|2008|p=150}}。
その概要を文部省の[[廣田榮太郞]]は次のように述べる。


=== 上代特殊仮名遣とヤ行のエ ===
{{quotation|現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密に云えば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。
歴史的仮名遣いはいろは47字の体系で決められている。実際、少なくとも11世紀末から12世紀初頭にかけての頃には文字の区別として47字の区別があった{{Sfnp|築島 裕|1986|p=17}}。しかし一方、音韻の区別として47音の区別をする音韻体系であったのは、10世紀後半頃の比較的短い期間に過ぎない{{Sfnp|築島 裕|1981|p=326}}。それ以前はもっと多くの区別があったことがわかっている。
|私の國語教室(福田恒存/文春文庫版)}}


[[石塚龍麿]]は『仮名遣奥山路』(『仮字用格奥能山路』、かなづかいおくのやまじ、かなづかいおくのやまみち)を著し(1798序)、[[万葉仮名]]で書かれた上代文献にはエに2種類あること、そしてキやコ、ヌなど十数個の仮名にもそれぞれ2種類の使い分けがあることを発見した。しかし宣長がその意義を認めなかったこともあり、出版はなされず、長く忘れられていた。大正に入り[[橋本進吉]]が「国語仮名遣史上の一発見:石塚龍麿の仮名遣奥山路について」という論文を発表し、龍麿の研究が再評価された。この万葉仮名の使い分けは以後「上代特殊仮名遣」と呼ばれるようになった。なおヌに2種類あったのではなく、その片方はノの一種であってノに2種類あったのだと考えられるようになった{{Efn2|橋本進吉の説による{{Sfnp|築島 裕|1986|p=107}}。}}。
準則とは、国語審議会が「[[表音主義]]」という理想だけでは不便があると判断したものである。つまり、「現代かなづかい」とは準則の表記上の決め事を指している。現代における日本語表記の本則の理想は「表音主義」であり、仮名遣という正書法は準則であると廣田は述べた。準則を定めた経緯は次のようなものである。


[[奥村栄実]](てるざね)は『[[古言衣延弁]]』(こげんええべん)を著し(1829年序、没後1891年刊)、[[延喜]]・[[天暦]](901-957)以前はア行のエとヤ行のエに区別のあったことを示した。そして仮名遣いとしてア行のエを「衣」、ヤ行のエを「江」を元にした仮名を主張した。一方ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウの区別をする説も当時あったのだが、実際はその区別のないことをも論じた{{Sfnp|築島 裕|1986|p=109}}。
{{quotation|「本を読む」の'''を'''をば、'''を'''と書く例外をことわっている。これが問題である。なぜこんな例外を許したか。例外にせずに、これも「お」と書いたらよいではないか、という非難がごうごうと聞える。これには、こういう理由がある。<br />
もちろん例外は、よくよくでないかぎりは設けないほうがよい。委員会でもそれは皆心得ていたことなのである。だから、この例外を設けたのは、よくよくのことなのである。<br />
およそ改革は、ことに万人の所有である言語の改革は、まさつの少ない、万人のすぐついてこられるものでなければ、案がいかにりっぱでも、机上の理想論に終って、実現ができない。理想としては、だれもだれも助詞の'''を'''をも'''お'''にしてしまいたい。しかし、助詞というもの、ことに「が」「の」「に」「を」「へ」「は」などは、最もたくさん出てくる。《中略》いちいち<br />
これわ それわ わたくしわ<br />
それお これお わたくしお<br />
これえ それえ わたくしえ<br />
というように書くようになると、あまりにも、今までと変りすぎて異様さが目だち、ちょっと実行の手がにぶる。この助詞さえ、もし今までどおりにして置いてよかったら、他の点は、漢字で書くとほとんど隠れて、新かなづかいも、大部分今までどおりで済む《中略》助詞だけは漢字で書けず、いつもかなであって、必ずひっかかる、いちいち直すにかかる手もうるさいが、見る目にも抵抗が多過ぎて、すぐ実行できるか、あやぶまれる。これが、大新聞社側の決定的な意見であった《中略》いかにも、「わ」「お」「え」が、目にたって、一見異様であって親しめなかった記憶が、ある委員たちにもあったのである。<br />
大事の前の小事である。実行できない案では、いかに美しくってもなんにもならない。要は実行できる案でなければ、一時強行されても、少しでも無理があると、動天返しになる憂いがある。<br />
そこで委員会も、助詞を元どおりにのこすという妥協案を決定するよりほかにしかたがなかったようである。
|現代かなづかいの精神・抜粋(国語シリーズ8/文部省著、統計出版・昭和二十七年三月)}}


栄実の仮名遣いもまた一般に知られなかったが、明治に入って大矢透が栄実の正しいことを論証し(『古言衣延弁証補』1907年、1932年単行本刊)、擬古文を書く際には仮名を区別すべきことを述べた。しかしこれもまた明治期の「歴史的仮名遣い」には影響を与えず、一部の学者の間で知られるに留まった。
上のような理由、すなわち語意識から見た違和感から[[助詞]]の「は」「へ」「を」に限っては歴史的仮名遣を踏襲、「こおり」の「お列長音」の問題などがあり、したがって「音韻主義(現代語音に基づく、完全な表音主義と区別するために以下呼び分ける)」であるとした。その経過は「現代かなづかいの意義(文部省発行、文化庁のページで閲覧可)」や議事にもまとめられ、またこのことは[[金田一京助]]も述べている(後述)。廣田は以下のようにも述べている。


契沖仮名遣いが「古代に復する」のであれば、これら十数個の音節を仮名遣いとして区別しなければならないはずとの考えもある{{Sfnp|築島 裕|1986|p=108}}。
{{quotation|現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それはこれまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。
|私の國語教室(福田恒存/文春文庫版)}}


=== 歴史的仮名遣いにおける撥音 ===
現代かなづかいが歴史的仮名遣の習慣と妥協する理由は、正書法であるためいくつかの例外があり、例外とは記憶しなければならない書記法(準則)ということである。このことから「現代かなづかい」はなるべく記憶するべき事項を減らし、覚えやすくしたものといえる。またこれを改良したものが「[[現代仮名遣い]]」である(以下必要がなければ「現代仮名遣い」とするが、「現代かなづかい」とする場合は「現代仮名遣い」制定前ものを指す)。
字音仮名遣いにおいて契沖は n韻尾を「ン」、m韻尾を「ム」と区別した。しかし本居宣長はこれを区別せず、一律に「ム」とした。これはいろは47文字の中に「ん」がはいっていないためだと考えられる{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=123-124}}。この点は[[太田全斎]]『[[漢呉音図]]』(1815序)で訂正された{{Sfnp|築島 裕|1986|pp=127-128}}。


しかし n と m の区別は漢字音のみならず、和語の[[撥音便]]にも生じることであり、延喜・天暦以前は表記上も区別があった。例えば「ツミテ」からの音便形は「ツムテ」と表記され、「ナリヌ」からの音便形は「ナンヌ」または「ナヌ」と表記された{{Sfnp|馬淵 和夫|1971|pp=86-87}}。
=== 現代かなづかいと正書法 ===
「現代かなづかい」論者の中には《「現代かなづかい」は「正字法」であって「正書法」ではない》との論もあったが、ここではその区別については扱わない。


歴史的仮名遣いが「古例」に基づくのであれば、これらを書き分けるのが筋である{{Sfnp|築島 裕|1986|p=130}}との考えがある。しかしこの区別も歴史的仮名遣いには採用されなかった。
「いくつかの例外」、つまり表音的ではない部分について妥協せざるを得ないことは、「表音的仮名遣」を理想としてきた表音主義者にとっては悩みの種であったが、現代かなづかいが廣田の言う「どこまでも正書法」である背景について、自身ローマ字論者であった[[土岐善麿]]は対談で次のように述べている。


=== 現代仮名遣いにおける長音 ===
{{quotation|これは、あるいは僕が御説明をしておいた方がいいかと思ひます。そしてなほ私の足らないところは、それぞれの方から補足していただくとして《中略》當用漢字なりかなづかひなりに對するいろいろな批判がありますが、そこにはいろんな誤解もあるので、その制定の基本的な考へ方といふものは、結局正書法の決定といふことにあると思ひますが、あれを制定したときには、その點がはつきりしてゐなかつた。現實的にはさういふことになるやうだけれども、正書法といふ基本的な考へ方ははつきりとは出てゐなかつたと私は判斷したわけです。<br />
「現代仮名遣い」において、平仮名と片仮名との間に基本的に区別はなく、平行的に扱われている。しかし[[長音]]については、平仮名と片仮名とで相違があり、長音符「−」が片仮名において使用されている。片仮名においては「5種類の長音」ではなく「長音という一つの音韻」を認める立場の表記法である{{Sfnp|今野 真二|2014|pp=243-245}}。
たとへば「ジヂ」「ズヅ」の問題です。これは必ずしも表音的ではない。その矛盾が非難の對象になるわけです。一口に表音的といつても、その同じ表音的といふものの中にも幅がある。その音の上では同じなのに、書く場合、別〻になつてゐる。どうしてさうなつてゐるかが問題ですが、それはかなづかひに語意識といふ考へを加へてゆけば、現代かなづかひは表音的ではないではないかといふ形の非難なり批判に答へられる。語意識といふものが加はれば説明がつくだらう、といふ工合に私は考へたわけです。そこで正書法といふことをいひ出した。つまりかなづかひの語意識の問題を考へて、正書法といふものへ導いてゆけるだらうといふ工合に私は考へたわけです《後略》
|私の國語教室(福田恒存/文春文庫版)}}


== 脚注 ==
「現代かなづかい」はその策定当初において「表音」を意識するのみで「正書法」という認識はなかったが、「現代かなづかいの精神」に説明される経過から残さざるを得ない妥協点は「表音的ではない」という非難があるだろうから、《「正書法」では「語意識」があるから》と説明すれば答えられるだろうと、だから「現代かなづかい」では「正書法」という方向性を定めたと土岐は述べている。またこの問題は国語審議会において昭和三十一年「正書法について」を発表したとき初めて表立ったという〔同上[[山本有三]]、[[白石大二]](文部省事務官)談〕。「[[現代かなづかい]]」参照。
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|20em}}


== 参考文献 ==
===「音韻」の定義 ===
*{{Cite book|和書|author = 青木 逸平|year = 2005|title = 旧字力、旧仮名力|publisher = [[NHK出版|日本放送出版協会]]|series = 生活人新書|isbn = 4-14-088147-X|ref = harv}}
[[表音文字]]は大きく[[音節文字]]と[[音素文字]]とに分けられる。仮名文字は音節文字に当たる。「音韻」とは音韻学上は一般に「音素」のことであり、仮名文字が「音韻」を表す文字(その標識、金田一は[[音標文字]]とも音韻文字ともしている)であるとするならば、仮名文字が「音節文字」であることから「音節」を「音韻」としたものである。
*{{Cite book|和書|author = 岩澤 和夫 編著|title = 楫取魚彦資料集|publisher = たけしま出版|year = 2001|isbn=4-925111-12-4|ref={{SfnRef|岩澤 和夫|2001}}}}

*{{Cite book|和書|author = 江湖山 恒明|authorlink = 江湖山恒明|year = 1960|title = 新・仮名づかい論|publisher = 牧書店|asin = B000JAOKAM|ref = harv}}
さらに観念と発音とを結び付けてゆくと、例えば音声学上の「[[単音]]」の基準で見ると、「ん」はその次の音素につられて何通りかの変則的な単音[n, m, ŋ, N]として発音され、これだけみれば仮名は一字一音に反している。しかし音韻学上の「[[音素]]」とは、上述の通り発音に忠実であるのではなくて、「ん」の場合は単音[n, m, ŋ, N]を/N/と統合した一つのものが「音素」である(音素文字と単音文字はこの点で同一にならないが、音素の立て方は学説によるところが大きい)。「音節」を「音韻」とすれば、一字一音(=音素、音韻)に反しない。また「[[音節]]」とは、音声学上では[[母音]]と[[子音]]の「単音」の集まりであるが、音韻論上では母音と子音の「音素」が集まりを形成しているとする。
*{{Cite book|和書|author = 木枝 増一|year = 1933|title = 仮名遣研究史|publisher = 賛精社|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 金田一 京助|authorlink = 金田一京助|year = 1992|chapter = 現代かなづかいの意義|title = 金田一京助全集 第四巻 国語学III|publisher = [[三省堂]]|isbn = 978-4-385-40804-0|ref = harv}}(初出、文部省『国語シリーズ8』)
つまり、音声学上の「単音」による綴りのみが「表音的」であるというならば、「現代仮名遣い」は「表音主義」ではない(表音記号の定義参照)。
*{{Cite book|和書|author = 今野 真二|authorlink = 今野真二|year = 2014|title = かなづかいの歴史:日本語を書くということ

|publisher = [[中央公論新社]]|series = [[中公新書]]|isbn = 978-4-121-02254-7|ref = harv}}
仮名文字という「音韻」で書き分けることを仮名遣とするなら、仮名文字の場合「音素」を書き分けることができないので「音節」によるもの、すなわち「現代仮名遣い」は狭義の「表音主義」でなく広義の「音韻主義」、「観念の表音に基づく仮名遣」である。「音韻」が「音節」であるとしても、上記のように「音素」を立てるのであれば「音節」は一意となって、したがって一字一音に反しないとする。
*{{Cite book|和書|author = 今野 真二|authorlink = 今野真二|year = 2016|title = 仮名遣書論攷|publisher = 和泉書院|isbn = 978-4-7576-0777-4|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 白石 良夫|authorlink = 白石良夫|year = 2008|title = かなづかい入門:歴史的仮名遣vs現代仮名遣|publisher = [[平凡社]]|series = [[平凡社新書]]|isbn = 978-4-582-85426-8|ref = harv}}
なお金田一は仮名文字を「音韻文字」「音標文字」と、一方で表音記号は「音韻符号」と呼び音韻符号で綴る正字法はないとしているが、「音韻」の定義に若干の混乱が見られる。後者の「音韻符号」は「音韻」の意味が「単音(音声)」を意味しているようだが、前者の「音韻」は「音素」と「音節」を表しているようである。
*{{Cite book|和書|author = 築島 裕|authorlink = 築島裕|year = 1981|title = 日本語の世界 5 仮名|publisher = 中央公論社|isbn = 978-4-124-01725-0|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 築島 裕|authorlink = 築島裕|year = 1986|title = 歴史的仮名遣い:その成立と特徴|publisher = 中央公論社|series = 中公新書|isbn = 978-4-121-00810-7|ref = harv}}([[吉川弘文館]]〈読みなおす日本史〉、2014年。{{ISBN|978-4-642-06573-3}})
以上のように、完全な「表音主義」、単音を考慮することは難しい。しかし、現代仮名遣いの表音主義ではそれを良しとしている。だから単純に「一字一音」と言っても、「観念の音韻である音素」が何であるか、次で述べる「表音記号」が何であるかという考えが重要になってくる。
*{{Cite book|和書|author = 土屋 道雄|authorlink = 土屋道雄|year = 2005|title = 国語問題論争史|publisher = 玉川大学出版部|isbn = 978-4-472-40315-6|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 橋本 進吉|authorlink = 橋本進吉|year = 1949|title = 橋本進吉博士著作集|volume = 第三冊:文字及び仮名遣の研究|publisher = [[岩波書店]]|asin = B000JB3WXM|ref = harv}}
=== 表音記号の定義 ===
*{{Cite book|和書|author = 野村 敏夫|year = 2006|title = 国語政策の戦後史|publisher = [[大修館書店]]|isbn = 978-4-469-22184-8|ref = harv}}
仮名は[[音節文字]]であるため、単音を完全に表すことはできない。よって音声学上では仮名は一字一音ではないが、橋本は「音の観念」を代表する文字で綴られた仮名遣も「表音的仮名遣」であるとしている。一方で「現代かなづかい」では、金田一はこの橋本の論の当否については言及していない(後述するによる学的根拠参照)。文部省の説明や廣田の意見を見る限りでは、金田一の言う「現代語音に基づく」とは、「表音的仮名遣」を本則とするの意味であり、「歴史的仮名遣」を踏襲する「例外」や「正字法・正書法」は準則であるとのことである。したがって、橋本が「仮名遣に非ず」と否定したものは、前者の「現代かなづかい」の本則の部分であるといえる。<!--定義の変遷に注意-->
*{{Cite book|和書|author = 蜂谷 清人|year = 2007|chapter = 仮名遣い|title = 日本語学研究事典|publisher = [[明治書院]]|isbn = 978-4-625-60306-8|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 福田 恆存|authorlink = 福田恆存|year = 1987|chapter = 私の國語敎室|title = 福田恆存全集|volume = 第四巻|publisher = [[文藝春秋]]|isbn = 978-4-163-63380-0|ref = harv}}(初刊[[新潮社]]、のちに[[文春文庫]])
{{quotation|(5)《前略》表音記號を制定するについては、實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すものや、正しい音の觀念(音韻)を代表するものなど、種々の主義があり、又、ローマ字假名など既成の文字を基礎とするものや、全然新しい符號を工夫するものなど種々の方法があるが、その中、假名に基ゐて國語の音韻を寫す表音記號は、その主義に於ても方法に於ても、表音的假名遣と全然合致するものである《後略》|表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)抜粋}}
*{{Cite book|和書|author = 馬淵 和夫|authorlink = 馬渕和夫|year = 1971|title = 国語音韻論|publisher = 笠間書院|ref = harv}}

*{{Cite book|和書|author = 山田 孝雄|authorlink = 山田孝雄|year = 1929|title = 仮名遣の歴史|publisher = [[宝文館]]|asin = B000JB6JO6|ref = harv}}
なお、助詞の「は・へ・を」などは一字一音則に反するが、書記習慣と妥協した「例外」であって、音韻論とは直接関係がない。

=== ローマ字化政策との関連 ===
[[小西甚一]]は「国文法ちかみち」において、国字は「ローマ字」化せざるを得ない、「現代かなづかい」の制定はその過程ではないかと述べている。

{{quotation|《前略》半世紀あとには《中略》そのころ、お隣のシナでは、すでに漢字は使われなくなり、ローマ字が国字になっているだろう。それでもなお、日本だけは漢字や仮名を使っていたとしたら、はたして世界の進みについてゆけるだろうか。わたくしは、ローマ字を使いたいとは思わない。しかし、使わざるを得なくなるだろうと思う。そうすれば、現代仮名づかいは、ローマ字書きにゆくまでの途中で通らなくてはならない混乱期のあらわれであり、必要悪だと考えたいのである。|国文法ちかみち・余論 表記法のはなし(小西甚一/[[洛陽社]])・抜粋}}

福田恆存もまた「私の國語敎室」の中で「現代かなづかい」には同様の目的があると主張している。国語審議会には土岐善麿のようなローマ字論者、いわゆるローマ字化による国語改良論者も加わっていて、また「現代かなづかい」の公布と同時期に、学校でローマ字教育が行われるようになった。

{{quotation|(三 官民呼應作戰)《前略》「言語政策を話し合う会」の「さしあたりの仕事」といふ物を見れば《中略》政府督促のためのA條を擧げると、それは次の三項に分かれてをります。<br />
(1) 漢字制限、現代かなづかい、音訓整理、公文書横書き、ローマ字教育の徹底をはかること<!--漢や横や文や公などは舊字ないしその印刷字形、組版のためか--><br />
(2) 当用漢字でない地名、人名はカナガキにするように働きかけること。<br />
(3) ローマ字教育のいまの内容を引き下げることなく、徹底させること。<br />
これを見れば、私の述べてきたことが決して杞憂(きいう)でないことが明らかになりませう。(2)はまさに違憲行爲と言ふべく、また(3)では既に(1)に盡されてゐることを《中略》國語のローマ字化こそ最終目標であることが、いよいよはつきりしてきたといふものです。|私の國語敎室・第六章 國語問題の背景(福田恆存/[[新潮社]]・[[文藝春秋]])・抜粋}}

「言語政策を話し合う会」は国語審議会における政策実施等の小委員会である。福田はさらに新聞、雑誌、単行本の「セン、ワク、バチ、スズメ、ヘイ、イス」など片仮名の多さを挙げ、「当用漢字」外ならともかく、「当用漢字」でも片仮名書きがあると指摘している。その理由は漢字制限によって平仮名ばかりになったために読みにくいからであるとし、一方で新聞など一般生活には見当たらないローマ字教育を行うことに対し、「將來に備へてゐることの論據」として「当用漢字」と共に批判した。

現在においても「[[漢字廃止論]]」などローマ字化を唱える者はいるが、世間一般では日本語の日常的な表記法として普及していない。

=== 現代仮名遣い総括 ===
以下に、金田一の「新かなづかい法の学的根拠」の冒頭部分を引用する。「表音式の不徹底と正書法」「音韻論」「橋本の仮名遣論へ言及」「歴史的仮名遣への言及」「現代かなづかいの原理」の順に構成されている。

{{quotation|今回の新かなづかい反対の声を聞いてみると、まず第一に新かなづかいの明らかな誤解から来るものがある。曰わく、新かなづかいは、表音式にすると言って、その実、表音式になってはないではないか。孝行は、コオコオと発音するのに、こうこうと書く、「私は」「私を」「私へ」なども、表音式なら「私わ」「私お」「私え」であるべきである。少しも表音式ではないじゃないか。こう言って、反対される人々のあることである。<br />
これは反対論の一番単純な声である。それぐらいのことを新かなづかいの発案者たちが気がつかないとでも思うものらしい。しかし、これほどの大事を思い立つ当局の人でそんなことぐらいわからないはずが無いではないか。<br />
では、わかっていて、そういうことをするのはなぜか。ほかではない。「新かなづかい」は、決して「表音式かなづかい」ではないからである。<br />
その証拠に、今度の新かなづかいの趣意書のどこにも、「表音式にするのだ」とは一言もうたっていない。<br />
「歴史的かなづかいを廃して、表音式かなづかいにするのだ」とは、以前によく言われたことである。明治三十三年度以来、久しくなった声ではある。「音声」と「音韻」との区別がまだはっきりしなかった時代の言い分である。その時代からみると、考え方も言い方も遙かに進んで来て、今は「仮名づかい」と「発音表記」とをはっきり区別するのである。「仮名づかい」は正字法(オーソグラフィ)であり、仮名は音標文字だが、どこの国だって、正字法はあるが、音韻符号をつらねて正字法としている国はない。故橋本進吉博士が「表音式かなづかいは、かなづかいにあらず」と言い切ったのは、著名なことばである。その言葉の当否はとにかくとして、だから、今回どこにも、表音式かなづかいにするのだと言ってはいない。言っているのは「'''''現代'''''かなづかいは、'''''現代'''''語音に基づく」と、あたり前のことを言っているだけである。その意味は、いわゆる歴史的かなづかいは、'''古代語'''の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、'''現代かなづかい'''は、'''現代語'''を書くことにするということである。 <br />
あえて「現代の'''''音声'''''」と言わずに「現代語音(にもとづく)」と言っているのは、「かなづかい」は発音記号ではなくして正字法だからである。仮名は音韻文字だから一々の仮名は、音韻を代表させるが、一から十まで、決して発音どおりにしようとしてはいない。それは、すべての改革は、急激であってはいけないから。殊に、言語に関したことはでは。なぜなら、言語は、国民全体が毎日関係することであって、決して役所の人たち少数者だけのたまに用いるものではないから。国民の大勢が、すぐついて来れるやうな改革でなければ、改革が企図に終って、実現はされない。実現されるような改革は、無理のない程度に落ち合わなければいけない。いくらよい理想でも、皆がついて来なかったら、その案は机上の空論でしかない。
|新かなづかい法の学的根拠(金田一京助)}}

「現代かなづかい」を総括すると、橋本の示した「音」であるか「語」であるかで書法を選ぶ正書法から、もっぱら「音韻」に従う正書法になったということである(なお「音」「語」は橋本の定義に従い、「音韻」は金田一の定義に従うこととする)。そしてその一部の規範には、「現代かなづかい」の策定にこだわった廣田や金田一も述べているように、「音韻」主義の中に「語」の書法が生かされているのである。またそれを生かす必要性、「語」と妥協した理由・背景は、土岐が言及している。

これらの姿勢は「現代仮名遣い」が告示されるに至っても大きく変わるものではない。「現代仮名遣い」では例外事項が増え、「東(あづま/あずま)」「融通(ゆうづう/ゆうずう)」の両表記が許容されるなど、歴史的仮名遣では「づ」であるものの一部が「づ」でも許容されるなど(「ず」を本則とする点はこれまで通り)、いくらか歴史的仮名遣に歩みよった内容になっている。

=== 仮名遣の比較 ===
表にすると次のようになる。詳細は本記事の各部分を参照。
{| class="wikitable" style="text-align: right;"
|-
!\
!colspan="2"|仮名遣
|-
!rowspan="2"|対象
!歴史的仮名遣
!現代仮名遣い
|-
!<small>れきしてきかなづかひ</small>
!<small>げんだいかなづかい</small>
|-
!現在の使用状況
|一般に文語文
|一般に口語文
|-
!仮名遣の原理
|語に従う(橋本進吉説)
|現代語音に基づく(金田一京助説)
|-
!従来の書記習慣
|従来を継承
|一部を妥協
|-
!仮名文字の扱い
|従来通り
|'''ゐゑヰヱ'''は不用
|-
![[変体仮名]]
|公教育からは排除
|従来を継承
|-
!表音的部分
|「音」のみ許容
|全体的に敷衍
|-
!主な修正法
|古典表記の確認
|音の観念または語意識の変遷
|-
!字音
|字音仮名遣踏襲
|表音的仮名遣
|}

「歴史的仮名遣」での「字音仮名遣」の採否は論者によって異なる。なお、「現代仮名遣い」でよく問題になる「語意識」とは、前述の論をまとめると「歴史的仮名遣」の「表語」「表意」という意味であって、「歴史的仮名遣」の書記習慣に妥協して「表音」に逆らって「現代仮名遣い」の書記に反映させる基準(例外を認める基準)をいう。例えば前述「あづま/あずま」など。

== 仮名遣各論 ==
以下は、ここまで扱われていない細かな論である。

=== 仮名の小書き ===
[[捨て仮名|仮名の小書き]]は、[[促音]]表記「っ」、[[拗音]]表記「ゃ・ゅ・ょ」、合拗音の「ゎ」などである。この小書きは「現代仮名遣い」では一般的だが、「歴史的仮名遣」では一般的ではない。しかし、全く使用例がないという訳ではない。

「歴史的仮名遣」において小書きすべき仮名を含む語は少ない。「歴史的仮名遣」で促音表記を必要とするのは、古くは促音便である。拗音は本来の日本語にはなかったが漢語の流入により生まれたとされるが、漢語の場合は仮名ではなく漢字で書いたために必要とはされない。さらに、「現代仮名遣い」の「〜でしょう」などは「歴史的仮名遣」では「〜でせう」であるなど、拗音が使われることはまれである。したがって、表記において「っ」以外の小書き仮名が少ないために区別による利便性が少なく、小書きをしない傾向があったといえる。

ところが明治期より多く流入した外来語の場合、「現代仮名遣い」でも長音の扱いなどにばらつきがあり(後述のギリシャ/ギリシアやパーティ/パーティーなど)、「ぁ・ぃ・ぅ・ぇ・ぉ」や「ー」などの[[長音]]的な物や重母音の処理には特に混乱が認められる。

仮名の小書きは促音拗音に使用され、「歴史的仮名遣」でも用いられることがある。

=== 仮名遣の揺れ ===
慣習的な「どぜう(どぢやう)」などの、誤用のゆれではなく、正しいとされる仮名遣が時代により異なる点について述べる。

現代語音に基づく「現代仮名遣い」では、いずれ発音と乖離(かいり)して、恐らくはまた改めねばならない。表音的仮名遣を[[森鷗外]]は「元の木阿彌」と批判した([[假名遣意見]])。

一方で「歴史的仮名遣」では、研究が進み新たな事実が判明すれば、これを改めることになる。例えば福田恆存の『私の國語敎室』では、「机」は「つくゑ」となっているが、最近になっては「つくえ」が正しいとされる。従来は「ツクヱ」とされたが、平安初期の文献を詳しく調べるとヤ行のエである「ツクエ」がみられた。ここで「突き+据ゑ」の解釈であった「机」は「突き+枝(エ)」となった。このように、「歴史的仮名遣」も時代により変わることがあり、安定な表記であるとは言えない。

=== 語彙と簡易さと教育 ===
現代仮名遣いでは、以上のように語意識は表音に対して従であるために「語」を相手にすることは少ない。一方「歴史的仮名遣」では「語」を主とする。第十一回国語審議会で「現代かなづかい」制定に賛成した主査委員の一人であった[[服部四郎]]博士は、後年「漢字制限の問題點」で次のように述べる。

{{quotation|私は丁度「当用漢字」で國語審議會の末席を汚してをりましたものでございまして、「当用漢字」には部會には關係してをりませんでしたけれども、責任を感じてをります。それでいろいろ非常に心配してをりますが、自分の意見につきましては書いたものもございますので、ここで繰返しては申しません。ただ一言申上げさして頂きたいことがございます。と申しますのは或る點で私は誤謬ををかしてをつたといふことでございます。それは實はアメリカに行きまして氣がついたのでございますが、それまで私はただ、字が易しくなれば、つまりそれだけ學習の負擔が輕くなつて、ほかの學科に時間を振向けることが出來る、さう簡單に考へてをりましたが、實は人間は字が易しくなると怠けるものだといふことに氣がついたわけであります。
|機関誌/國語學・第一七輯(服部四郎談)・昭和二十九年八月/[[日本語学会]]編}}

他の学科に時間を振向けることができるというのは、「当用漢字」や「現代かなづかい」の制定で「簡化」を目指した教育観の一つであるが、後に服部博士はそれが意図せぬ怠けを招くと危惧した訳である。

福田恆存は上述「國語學」での対談における[[大西雅雄]]博士の言葉をもって、大体どの言語でも語彙数は同等であると述べている。[[比較言語学]]において、大西博士の調査では日本人は3000ほどの漢字を(当用漢字の表外字を含めて)使用し、大体どの言語圏においてもそれは同じであり、小学生卒業段階においても500語程度と日米同じで、つまり文字が表音的であるか表意的であるかにかかわらず、主要語彙は三千、派生語を含めて七千であり、これだけを見れば、漢字制限などしなくても、また歴史的仮名遣のままでも、日本語の表記が特に難しいとは言えないと主張し、国語審議会の服部のような、難しいとするとした意見に対し、「國語が一番むづかしいなどの議論は愚かな話」と批判した。

=== ヤ行のエ ===
*アイウエオ
*ヤイユエヨ
*ワヰウヱヲ

五十音図では、ヤ行の「[[ヤ行エ|エ]]」はア行「エ」と区別がない。しかし、石塚龍麿による上代特殊仮名遣の発見から少し経って、[[奥村栄実]]が[[古言衣延辨]]で論証したことによると、平安初期までヤ行の「エ」には他の仮名が与えられていたとされる。その音節は[je]であったと推定されていて、手習い歌の[[天地の歌]]にはその痕跡が見られ、古言衣延辨の「衣」「延」はア行とヤ行のエに対する万葉仮名にあたる。ここでは便宜上ア行のエを「衣」、ヤ行のエを「江」とする。

「衣」と「江」の区別は、上代特殊仮名遣の衰退と共に失われ、混同されていった。この衰退は「エ・ヱ」「イ・ヰ」の混同より早いと推定されているが、そのために「歴史的仮名遣」ではこの区別を扱わない。万葉仮名では、ヤ行下二段活用などを行う語(「絶'''え'''る」「越'''え'''る」など)では必ず「江」が現れるが、この「江」を「衣」と区別することはない。明治政府により「江」は[[変体仮名]]とされ、後に明らかになる上代仮名遣同様、「歴史的仮名遣」での表記に反映させることはなかった。現在では、先述の「ツクエ」の「エ」を「ヱ」ではなく「江」と特定したような、研究分野における知識として使われている。

=== 語義と音の関係 ===
「歴史的仮名遣」の問題の1つとして、なぜア行とハ行とワ行だけを遺すのかというものがある。

「現代かなづかい」の本則を制定するにあたって、どこまでを表音とするかに苦心し、「音韻(現代語音に基づく)」を基準としたように、「歴史的仮名遣」でもどの時代の「語義」を、どの時代まで遡るべきという論点がある。前述のように、上代特殊仮名遣が周知のこととなったのは昭和に入ってからであるが(小西博士は、上代仮名遣は最初通説と認められなかった向きがあったが、昭和十七年あたりからだいたい有力であったと述べている)、そのわずか数年後の昭和二十一年に「現代かなづかい」が発表されている。「歴史的仮名遣」で上代特殊仮名遣や「ヤ行のエ」が考慮されるようになったのは戦後になってからである。戦前の基準は契沖によるものであり、戦後になって初めて「ヤ行のエ」や甲乙の扱いをどうするのかの論が出てきたことになる。現代仮名遣いにおける準則、つまり正書法の部分については、この語意識が働くと判断する場合の基準は歴史的仮名遣となる。

*上代特殊仮名遣(万葉仮名による。奈良時代から平安初期まで)
*ヤ行のエ(上代特殊仮名遣の衰退と共に平安中期にはほぼ消失)
*歴史的仮名遣、いわゆる定家の仮名遣から行阿、契沖まで(平安初期から中期あたり)
*現代仮名遣いにおける準則の語意識(同上歴史的仮名遣)

==== 国学と音 ====
[[国学]]者の[[新井無二郎]]博士は次のように主張している。なお、以下は「私の國語敎室」の記述を元にしているが、同様の記述が新井の「史的假名遣の根本原理と發音式謬妄論」にも見られるので、それに基づき一部を修正してある。<!--非賣品により未確認、「言葉 言葉 言葉」にある上田博和による-->

{{quotation|は行の音は、息を吹いて發する音で、ある學者は、あ行の音母に對して、は行を音父といひ、又ある學者は、は行音は、あ行音を引きだす導音で、あ行音は、諸音を統ぶる統音であると云うてをる。故に其の用が最も廣く、諸種の意につかはれるのである。しかしながら其の本源は吹きだす氣息の音であるから、若し此の音象を忘れて、或は「は」の音を「わ」の假名に書き、「ほ」の音を「お」の假名に書きなどすると、その意義は全く解せられぬやうになる。は行音の音象は、延びて行く音で、事物の延長、分散、分離、蔓延、などの意にも、光輝、嗟歎、驚愕、其他の意にも用ゐられる。たとへば「物を云ふ」の「ふ」に延長の意義があるから、「云ふ」を「云う」と書いては、其の意義が無くなる。「いふ」の「い」は感動音、「ふ」は延長音であるから、心に感じたことを、語りつづけるの意である。歌ふ、舞ふ、食ふ、などの「ふ」にも、多少の差はあるにしても、皆其の原意がある。「歌はう」を「歌わう」と書き、「舞はう」を「舞わう」と書いたりすると、歌わ、舞わ、の意が、なにの意ともわからぬことになる。<br />
またおほひ(覆、蔽)は、大延(オホヒ)の意で、おほひかぶさることであるから、「オ」は大の義、ホヒは兩音共に延長の義があるのに、「オオイ」と假名に書いてゐる新聞などを見て、なにの意とも解せられぬのである。さればイキホヒ(勢)は息延(イキホヒ)の義で、キホヒ(競)は其の省略である。これをキオイと書いては無意義となる。
|史的假名遣の根本原理と發音式謬妄論/新井無二郎(駒澤大学図書館謄字印刷部発行)・昭和三十一年六月}}

ア行とハ行とワ行の繋がりを残す理由を、[[形態素]]を分析するように、国学の手法で五十音図の各行に「音象」を見出して重視する立場である。日本語は擬音が元になっていて、そのうちア行とハ行とワ行の役割は大きく異なるため、書き分けることに意義があり、音便や長音に関して「歌はう」を「歌わう」と音に妥協しないのはこういった観念からであると福田は述べている。活用する行の中で語幹が切れることにより、その意味の系統がなくなるからという主張である。またハ行の子音が異なる例や濁音が清音と同一視されると述べ、日本語の子音は弱いので「単音」分析には向かないとしている。音声学に基づく検討をし妥協を削ることで、「現代かなづかい」よりも「歴史的仮名遣」の方が日本語音韻に適した表音的仮名遣いであるとも主張している(「第五章 國語音韻の特質」に詳しい)。

<!--
==== 五十音図と音 ====
五十音図は[[空海]]が作ったと神聖視されたため、ヤ行のイを反転させるなど、五十音図にある全ての文字を書き分けようとする向きはあった。五十音図の成立過程に関しては、

{{仮名}}
*[[大矢透]]博士の[[サンスクリット]]のアルファベットに従って仮名を並べた物であるとする説
*[[橋本進吉]]博士や[[山田孝雄]]博士の[[反切]]法の為に用意されたとする説
*[[小西甚一]]博士の六世紀ころの支那で成立したサンスクリットの子音・母音の音韻図に倣った物が、後に発達した仮名のために工夫されたとする説

種々の説があって定説を見ない。五十音図が活用を説明する上で便利なのはたしかだけれども、一方で印歐語であるサンスクリットが子音・母音が自由にくっつき離れるのは、漢字や仮名など子音・母音を合わせた「音節」で音を理解していた日本人の祖先からみて不可解な存在であり、五十音図の列びそのものが成立当初から当時存在した子音や母音に正確に基づくかと云えばよくわからない。この表をみて確かなことは、かつての母音や子音の推定は、あまりにも表記が整然としているために推定できると思いがちであるけれども、長い時の経過を経た資料から直接の母音や子音の推定や復元は困難である(ヰやヱに関しても元から同音であったとする説がある)というのが一般的な見方である。上述のように橋本博士はそれを以て「仮名遣」は「語」に基づくと述べているのである。
-->

==== 語意識はどこまでか ====
福田は、上代仮名遣を発音が異なるとすればハ行に見られるような子音の揺れ、日本語音韻の特性であると見て、これを反映させることには言及していない。甲乙の別は、ヤ行のエで見れば未然形や連用形にある数十語、名詞・形容詞ではわずか数語のみに現れ、[je]と[e]で明確に発音を使い分けられたのだとしたら、もっと痕跡があるはずであると主張した。日本語音韻の特性からみて最も安定的であるのが「歴史的仮名遣」と主張する彼は、ワ行やハ行やア行の書き分けは、古代人が漢語音から「単音」など音素を詳しくみて、「イ」や「ウ」や「エ」などが、音韻につられた結果として発音の差が現れ、それを区別したものだったのであろうと推測した。

橋本博士の説によると、「語として表記が成立した時期はいつか」が重要であるとする。表記だけを見れば、研究者からは真仮名とも呼ばれる万葉仮名は仮名文として完成したものではなく、発展途上であったため、仮名文がいわゆる女流文学として栄えた平安初期を基準とするのがよいと見なすこともできる。<!--どう纏めた物か-->

== [[送り仮名]] ==
「送り仮名」もまた、仮名遣を日本語表記の規範とするならば、仮名遣の問題の一つである。「送り仮名」は漢文の訓読に際して発生した「捨て仮名」がその起源である。

=== 送り仮名の変遷 ===
「送り仮名」は[[漢文ニ關スル文部省調査報告]](明治四十五年三月)で示された「句讀・返點・添假名・讀方法」によって定められてきた。しかし「送り仮名法」が変化するに従い、「送り仮名」も変化した。昭和四十八年に内閣告示された「送り仮名法」では、[[送りがな]]にある通りだが、従来の法則を書き換えたものあった。「送り仮名」もまた「送り仮名法」の一部規則に準じたが、「送り仮名法」が徹底的であるのに対して、漢文での「送り仮名」は従来の記法もあって、統一されているという訳ではない。また誤読を減らすためにつけた変化によって、漢字に収まる仮名が変わるなど、問題や課題がない訳ではない。

== 様々な仮名遣 ==

=== [[上代特殊仮名遣]] ===
ある種の単語にはある種の万葉仮名のみが用いられていて、これを甲と乙に分類した仮名遣。後の仮名文字より多くの音韻を区別した(前述:異論有り)。存続の助動詞「り」の接続は全て命令形であると説明する際に有用であるようなもの(四段活用の命令形と已然形は仮名の上では同形だが、甲乙の上代特殊仮名遣が異なるので、命令形のみに接続していたらしいことがわかる)。

=== [[歴史的仮名遣]] ===
語源、文法的整合性、歴史的一貫性を重視する立場の仮名遣のこと。新仮名遣に対して古くから存在する仮名遣という意味で旧仮名遣とも。

*[[定家仮名遣]]
*:[[藤原定家]]が定めたとされる仮名遣。
*[[行阿仮名遣]]
*:[[行阿]]が定めたとされる仮名遣。[[假名文字遣]]による仮名遣である。「定家仮名遣」がこれを指すこともある。
*[[契沖仮名遣]]
*:[[契沖]]が定めたとされる仮名遣。

以上のうち、戦前に用いられたのは契沖によるものを修正したものである。

=== [[現代仮名遣い]] ===
今日において現代仮名遣いという場合、歴史的仮名遣の語意識、つまり伝統的な表語的部分を多く捨て、表音的表記を目指したものである。それは次の内閣告示および内閣訓令によって示されたものをいう。
*[[現代かなづかい]](内閣告示第33号。昭和21年11月16日)
:*「現代かなづかい」の実施に関する件(内閣訓令第8号。昭和21年11月16日)
:*現代仮名遣い(内閣告示第1号。昭和61年7月1日)
:*「現代仮名遣い」の実施について(内閣訓令第1号。昭和61年7月1日)
:表音式仮名遣と同一視されることもある。しかし現代仮名遣いは表音主義を重視してはいるが歴史的仮名遣を受け継いでいる部分もあり、純粋な表音式仮名遣ではない(前述)。歴史的仮名遣に対して新しく制定された仮名遣という意味で新仮名遣とも。

=== 表音式仮名遣 ===
表音的仮名遣とも。橋本博士によれば仮名遣ではないとされる(前述)。「仮名遣は発音通りであるべき」とする立場に基づく仮名遣のこと。通常は完全に発音通りに表記しようとする立場だけでなく、語源や歴史的な使用実績よりも実際の発音を重視する現代仮名遣いのようなものも含める。歴史的仮名遣に対して発音的仮名遣(発音式仮名遣)とも。
*棒引き仮名遣
:表音式仮名遣の一つ。[[長音]]を表すのに[[長音符]]「ー」)を使う仮名遣のこと。一部が日本式[[点字]]で用いられている。

=== その他の区別 ===
*[[字音仮名遣]]
*:[[漢字]]音を仮名で表記するための方式をいう。現代では現代仮名遣いに従って表音主義をとっているが、歴史的仮名遣は[[本居宣長]]により万葉仮名や中国の韻書を対照しつつ日本の古来の発音で中国語の漢字音をどのように書きとったかを反映させている。このため歴史的字音仮名遣は中国語音を日本語音で表すための方式であって仮名遣に含めない場合がある。

*誤用仮名遣
*:使用例があるものの、語源的、文法的に見た場合には誤っていると考えられる仮名遣のこと。

*[[許容仮名遣]]
*:誤用仮名遣のうち、使用例が多く、歴史的に定着しているために許容されている仮名遣のこと。または、現代仮名遣いで許容される表記のこと。

何を誤用として何を許容とするかに明確な基準はないが、「用ゐる」を例に取ると、「用ふる」などが広く使われ、違和感が少なかったと見られるので、許容されることがある。正しいとされていたものが修正された時も、許容仮名遣に含めることがある(ツクエ/ツクヱなど)。

=== 漢字の字体 ===
漢字の字体は、仮名遣を日本語表記の基準とすると、日本語に溶け込んだ漢字はその字体を考慮しなければならない。漢字の字体に関する問題は[[常用漢字]]を参照。

=== 外来語の扱い ===
「ウヰスキー」「ウヰルス」等の表記は、歴史的仮名遣の範疇で推定される音韻から当てられた表記である。現代仮名遣いの中でも「ギリシャ/ギリシア」「パーティ/パーティー」などの長音・拗音の問題が存在する。「現代仮名遣い」が告示された現在では、平成三年に内閣告示された「[[外来語の表記]]」が存在するが、現時点では「現代仮名遣い」ほど徹底されたものではない。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Wikisource|仮名遣の歴史}}
*[[国語]]
*[[仮名 (文字)]]
*[[国語国字問題]]
*[[国語国字問題]]
*[[臨時仮名遣調査委員会]]
*[[臨時仮名遣調査委員会]]
*[[日本語の表記体系]]
*[[日本語の表記体系]]
*[[言語改革]]
*[[言語改革]]
*[[言語政策]]


== 参考 ==
== 外部リンク ==
*[https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/ 国語施策・日本語教育] - [[文化庁]]
*福田恆存『私の國語敎室』(文藝春秋の文春文庫から復刊、新潮社初版は絶版)
*[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/ 送り仮名の付け方] - [[文化庁]]
:現代かなづかいを不合理であるとして批判した本として特に有名。歴史的仮名遣を説く。
*[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gairai/ 外来語の表記] - [[文化庁]]
*金田一京助『国語の変遷』(創元社より創元文庫、角川書店より角川文庫。いずれも絶版)
*[https://www7b.biglobe.ne.jp/~w3c/kotoba/HASHIMOTO/ 橋本進吉博士著作集(言葉 言葉 言葉)]
:「新かなづかい法の学的根拠」参照。『日本語の変遷』が講談社学術文庫にある。
*{{Kotobank}}
*[http://www.bunka.go.jp/kokugo/ 文化庁国語施策情報システム]
*[http://www.bunka.go.jp/kokugo/main.asp?fl=list&id=1000003931&clc=1000000068 送り仮名の付け方(文化庁)]
*[http://www.bunka.go.jp/kokugo/main.asp?fl=list&id=1000003933&clc=1000000068 外来語の表記(文化庁)]
*[http://www.hat.hi-ho.ne.jp/funaoto/bunko/bunko.html 正字正假名文庫]
:明治期の文豪による仮名遣に対する意見や、橋本進吉博士の論文をまとめたもの。同博士の論文の一部は[http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/HASHIMOTO/ 橋本進吉博士著作集(言葉 言葉 言葉)]にまとめられている。


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2024年10月5日 (土) 19:59時点における最新版

仮名遣い(かなづかい)とは、仮名の使い方のことである。これには2つの意味がある。

  • 第一に、同じに対して複数の仮名表記の方法がある場合にどちらを使うべきかという規範を指す[1]。特に、同じ音韻に対して複数の仮名を使い分けなければならない場合に仮名遣いが問題となる[2]。この意味の「仮名遣い」には現代仮名遣い歴史的仮名遣などがあり、主として日本語において論じられる。
  • 第二に、規範とは関係なく実態として仮名がどう使われていたのかを指すこともある。例えば「上代には特殊な仮名遣いがあった(上代特殊仮名遣い)」「漱石の仮名遣い」のような場合である[3]

本項目では第一の場合について述べる。

概要

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仮名の用い方について問題が起こった場合、それを解決する方法としてはいくつか考えられる。

  1. 仮名遣い解消論。いくつもの仮名の用い方を全て正しいとする。例えば「孝行」を「こうこう」「かうかう」「こふこふ」「かふかふ」「こうかう」……のどれでもよいとする[2]
  2. 表音的仮名遣い。同一の音は同一の仮名で書き、一つだけを正しいとする。例えば「コー」は常に「こう」と書くことにする[2]
  3. 歴史的仮名遣い。伝統的な根拠のあるもの一つだけを正しいとする[2]
  4. 人工的な規範・規則。人工的に一つに決める。学問的根拠や合理性は必ずしも必要ない[4][5]

仮名遣いとは、このうち2、3、4のようにどれか一つを正しいとして決められた規範のことである。その際、その基準をどう決めるかという際に大きな論争が起こることがある。

規範としての仮名遣いは、鎌倉時代に藤原定家が行ったものが最初である[6]。しかしこれは社会全体に広まったものではなかった。社会全体で統一的な仮名遣いが行われるようになるのは明治になってからである[7]。戦後の国語改革で「現代かなづかい」が公布され、こちらを俗に「新仮名遣い」と呼び、戦前の仮名遣いを「旧仮名遣い」または「歴史的仮名遣い」と呼ぶことがある。「現代かなづかい」公布後40年してその改訂版「現代仮名遣い」が公布され、現在に至る。現在、歴史的仮名遣いは古典の文章や俳句・短歌などの表記に用いられる。

仮名遣いと発音

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仮名文字の発生当初の時代は発音が文字と一致していたと推測される。しかしその後乖離が大きくなり、江戸時代に契沖が仮名遣いの復古的な統一案を作り、明治政府はこれを参考に国語教育を開始した。これが歴史的仮名遣いである。そのため『万葉集』や『源氏物語』の時代には当然存在せず、契沖が登場した17世紀末以降、学問的に整理されたものである[8][9][10]

明治政府が仮名遣いを統一する以前は、同じ音韻に対して複数の仮名を用いることが一般的であった。例えば「折る」を「おる」とも「をる」とも書くが、それだけでなく、同じ「を」であっても複数の字体があり、「乎」を字母とする仮名も「遠」を字母とする仮名も使われた。本項目では前者の問題を扱い、後者のような「変体仮名」「異体仮名」の問題は扱わない。例えば「し」字体は語頭以外に、「志」字体は語頭に使うという使い分けのなされた時期がかつて存在した。このような字体の使い分けを、「仮名遣い」と区別して「仮名文字遣い」と呼ぶことがある[11]

仮名遣いが統一されるということは、同じ語はいつも同じ綴りで書くということである。これは「発音通り書く」ということではない。同じ音韻でも語によって仮名を使い分けることが「仮名遣い」なのであって、発音通り書くことは「仮名遣い」ではない[12]

なお仮名遣いに関する議論で、特に「表音式仮名遣い」に反対する立場の中には、発音は一人一人違うのであるから表音式仮名遣いは不可能であると論じられることがある[注 1]。しかしこの場合の「発音」とは音声のことである。仮名遣いで問題になるのは音声ではなく音韻の方であり[13]、同じ音韻に対して一つの仮名に統一するか、複数の仮名を使い分けるかということである。

「仮名遣い」と「正書法」

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仮名遣いは正書法の一つである。ただし、正書法は一語一語について決められる規範であるのに対して、仮名遣いはそれに加えて一字一字のレベルに還元することができる。例えば英語のboughとbowの違いについて、wの「ローマ字遣い」という言い方はしないが、「い」と「ゐ」の「仮名遣い」という言い方は可能である[14]

また音便現象や「読み癖(読曲)」という問題は仮名遣いの対象になっていない[15][14]。例えば「よみて」と書いて「ヨンデ」と読む、逆に言えば「ヨンデ」という語を表す際に「よみて」という仮名表記をするということはほとんど主張されない。この場合は音韻の歴史的変化に従って発音通り書かれるのが通例である。

歴史

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平安初中期まで(10世紀頃まで)の仮名の書き分けは、音韻の区別に合致していた[16]。このような音韻に対応した仮名の使い分けは「仮名遣い」とは呼ばない。例えば上代特殊仮名遣は語によって仮名の使い方が大体決まっているが、それは単に音韻の違いを反映しているのであって「仮名遣い」ではない[17]。その後ハ行転呼などの音韻の変化が起こり、同じ「顔」という語に対して「かほ」も「かを」も併用されたが、これも表記が統一されていないので「仮名遣い」ではない[18]。ア行のオとワ行のヲが平安末期-鎌倉初期頃の文献(『将門記』『大般若経音義』『色葉字類抄』、後述の『下官集』など)で使い分けられていたが、これはアクセントの高低によるものであって[注 2]、これは音韻の違いであるから、「歴史的仮名遣い」の原理とは異なる[21]

定家仮名遣い

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藤原定家

音韻の違いと無関係に語によって使い分ける「仮名遣い」が初めて起こるのは、鎌倉時代の藤原定家の著『下官集』からである。定家自筆本系統の伝本によれば、この文献には「緒之音」(ワ行のヲ)「尾之音」(ア行のオ)「え」「へ」「ゑ」「ひ」「ゐ」「い」の各項目について、合わせて60ほどの語彙を例示する形で仮名遣いが示されている[22]。この書は文献の書写のマニュアルを示した書であり、仮名遣いもその一環として示されたものである[23][24]

南北朝期には行阿(ぎょうあ)によって用例の増補された『仮名文字遣』が著される。諸本によって1050語ないし1944語の語彙が例示されている[25]。ただしヲとオの使い分けは定家のものとは異なっているが、大野晋はアクセントの歴史的変化が既にあり、定家の頃と違ったためとしている[注 2]。行阿によって定められた仮名遣いのことを「定家仮名遣い」という[26]。行阿のものを定家のものと区別して言うときは特に「行阿仮名遣い」ともいう。定家仮名遣いは主に和歌の世界で流通した[27]

定家仮名遣いは『万葉集』などに見られる万葉仮名とは一致しない。こうした指摘は早く権少僧都成俊の記す『万葉集』写本の識語(1353年)に見られる[28]。しかしこれらは江戸時代に契沖国学として研究するまで広く知られるものとはならなかった。そのほか定家仮名遣いに反対したものには長慶天皇による『源氏物語』の注釈仙源抄』(1381年)などがある[29]

その後の音韻変化で同音となったものにはまた新たな仮名遣いが必要となった。「じぢずづ」(四つ仮名)の区別を示した『蜆縮涼鼓集』(けんしゅくりょうこしゅう)や、オ段長音の開合(「かう」と「こう」など)の区別を示した『謡開合仮名遣』などの書が出た。

契沖仮名遣い

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契沖

やがて元禄時代に契沖が、奈良時代から平安時代中期の文献に基づいて徹底した実証的な研究を行った[30]。そこで契沖は、定家仮名遣いが上代の文献とは相違することを突き止め、「濫れを正す」として『和字正濫鈔』を著した(1695年刊)。

契沖の仮名遣いはすぐに受け入れられたわけではなかった。 橘成員は『倭字古今通例全書』を著して契沖の仮名遣いとは異なり、定家仮名遣いに近い仮名遣いを示した。契沖はこれを自著に対する批判と受け取り、『和字正濫通妨抄』で感情的な反論をしたがこれはついに出版されなかった[31]

契沖仮名遣いで用いられる仮名の体系は、いろは47文字の体系で解釈するものである[32]。つまりア行のエとヤ行のエの区別や上代特殊仮名遣の区別などは採用されなかった。また契沖は五十音図を作成したが、「を」をア行に、「お」をワ行に宛ててしまった[33]。これは後に本居宣長によって、現在と同じような位置に訂正された。

江戸時代中期には契沖仮名遣いを継承する国学者が現れた。楫取魚彦の『古言梯』(こげんてい、ふることのかけはし[注 3]1768年ごろから刊)、そして本居宣長の『字音仮字用格』(じおんかなづかい、もじごえのかなづかい、1776年刊)等である。

楫取魚彦

魚彦は、『和字正濫鈔』に典拠が少ないことを問題として、記紀万葉などの古典のみならず、新たな出典として『新撰字鏡』などを挙げながら、1883語[注 4]を五十音順に排列して仮名遣いを示した。本書は広く流布し、魚彦の没後には各人による補訂増補版が出版されている。藤重匹龍『掌中古言梯』(1808年〈文化5年〉刊)、村田春海清水浜臣『古言梯再考増補標註』(1821年〈文政4年〉[注 5]刊)、『袖珍古言梯』(1834年〈天保5年〉刊)、山田常典『増補古言梯標註』(1847年〈弘化4年〉刊)である[35]。これらのほかにも、市岡猛彦『雅言仮字格』(1807年〈文化4年〉刊)、鶴峯戊申『増補正誤仮名遣』(1847年〈弘化4年〉刊)などがある[36]

本居宣長

宣長は、中国の漢字音を整理した『韻鏡』なども利用して、日本漢字音の仮名遣いを体系的に整理した。その結果、万葉仮名の「お」「を」がそれぞれア行、ワ行に属することが明らかになった。しかし、韻尾の -n と -m の区別を廃して一律に「-ム」としてしまった[37]。これが誤りであることは後述する。その他にも後代に賛成を得られなかった点は少なくないが、字音仮名遣い研究の基礎となった[38]。そのほか白井広蔭『音韻仮字用例』(おんいんかなようれい、1860年刊)などもある。

こうして国学が興るとともに、契沖仮名遣いは、和歌・和文や国学の著作に用いられたが、日常の俗文をも規制するものではなかった。宣長も俗文を作文する際には当時一般の仮名の用い方をしている。

明治以降の歴史的仮名遣い

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明治政府は中央集権的に諸制度を整備していったが、学制の公布に伴い、学校教科書の日本語をも整備していった。その際、歴史的仮名遣いが採用された。歴史的仮名遣いの推進者は物集高見あるいは榊原芳野とされる[注 6]。榊原は『小学読本』(明治6年〈1873年〉)の例言において、ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウ、ア行のエとヤ行のエを区別しないとし、ここで歴史的仮名遣いがいろは47文字(「ん」を含めて48字)の体系となった[注 7]

大槻文彦は近代的な国語辞書『言海』を著し(1891年〈明治24年〉)、ここで採用された歴史的仮名遣いは一般への普及に役立った[41]

このようにして整備された歴史的仮名遣いは、契沖仮名遣いが和文や国学者に限られていたのに対し、学制や言文一致運動以後、口語文でも用いられていった。しかし完全には守られず、一般への普及には数十年かかった。例えば明治初期の仮名垣魯文樋口一葉はいまだ恣意的な仮名遣いであったが、夏目漱石に至るとほとんど歴史的仮名遣いで統一されるもののいまだ合わない例も見られ、石川啄木に至っても合わない例がある[42]

しかしそもそも正しい歴史的仮名遣いを確定することの難しい語もある。1912年(大正元年)と1915年(大正4年)に文部省国語調査委員会は『疑問仮名遣』(前後編)を発行し、最新の研究に基づく正しい仮名遣いを決定しようとした。『竹取物語』『伊勢物語』などは平安時代の写本がないので仮名遣いの確かな資料にはならない[43]。そのため平安時代の資料には訓点資料が多数採用された。この研究によって「あるいは」「もちゐる」などが確定した[44]。このようにして契沖以来の歴史的仮名遣いは、大正に至って一応の完成を見た[45]。しかし「うずくまる」「いちょう(鴨脚子)」「がへんず(肯)」など、いまだに説が分かれていたり、確定をみていない語も残っている[46]。そもそも平安時代に存在しなかった語形(「-ましょう」など)に対して歴史的仮名遣いを決定することには無理がある[47]との考えもある。

漢字音の仮名遣い(字音仮名遣い)については更に後世の研究に待つことになった[48]。例えば本居宣長は「推」「類」などを「スヰ」「ルヰ」としたが、満田新造1920年(大正9年)に「スイ」「ルイ」の形が正しいと主張し、古例はみなそうであることが大矢透などによって確かめられた。同様に「衆」「中」などを宣長は「シユウ」「チユウ」としたが、現在は契沖が採用した「シウ」「チウ」の方が古例であることがわかっている[49]。しかしこのような学問的に決められた仮名遣いは、必ずしも一般の国語辞典・漢和辞典にすぐに採用されたわけではなく、旧説と新説が混在することもあった。「スイ」「ルイ」の説は、『明解古語辞典』(1953年)をはじめとして『日本国語大辞典』(1972年1976年)、『古語大辞典』(1983年)、『角川古語大辞典』(1982年)などに新説が採用されたが、『大漢和辞典』(1955年–1960年)では旧説「スヰ」「ルヰ」のままである[50]。このように、字音仮名遣いはいまだに完成していない[51]

「棒引き仮名遣い」と「仮名遣改定案」

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明治政府の策定しようとした歴史的仮名遣いは、必ずしも受け入れられたわけではなかった。もっと発音通りにして記憶の負担を軽くしようという反対論も根強かった。

実際、国定教科書において1904年度(明治37年度)から1909年度(明治42年度)までの6年間、俗に「棒引き仮名遣い」と呼ばれるものが行われた。これは字音の長音を発音通りに長音符「ー」で統一的に表記するものであった。例えば「ホントー デス カ」「ききょーもさいてゐます」のようなものである[52]

1924年(大正13年)、臨時国語調査会の総会において、表音式の「仮名遣改定案」が可決された。拗音の「ゃ・ゅ・ょ」や促音の「っ」を右下に小さく書くほか、例外なく「じ・ず」に統一し、「通る」「遠い」も「トウる」「トウい」にし、「言う」を「ユう」とするなど、急進的なものであった[53]。しかし山田孝雄芥川龍之介与謝野晶子橋本進吉などの反対論があり、日の目を見なかった[53]。その後も修正案が作られ、第二次世界大戦を迎える。

「現代かなづかい」の公布

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第二次大戦後、国語改革が行われ、1946年(昭和21年)当用漢字表などとともに「現代かなづかい」が内閣訓令として公布された。これは歴史的仮名遣いに比べて表音主義に基づくものであり、現代語の同じ音韻に対して同じ仮名を用いるものであった。ただし助詞の「は」「を」「へ」や「ぢ」「づ」、長音などには歴史的仮名遣いを継承した部分もある。従って「現代かなづかい」は「現代語音」に基づくとはいえ、正書法(正字法、オーソグラフィ)であって「表音式かなづかい」ではなく[54]、表音式の原理と「かつて書かれていたように書く」という慣習の原理とを併用している[55]。その40年後の1986年(昭和61年)には、「現代かなづかい」を改訂した「現代仮名遣い」が内閣告示として公布され、現在に至る。両者の違いは、内容上はほとんどないとされる[56]

表音主義的立場に対して、小泉信三が1953年(昭和28年)『文藝春秋』誌で反対論を述べたことから論争が起こった。金田一京助桑原武夫がこれに反論、一方福田恆存が彼らに再反論し、福田と金田一が互いに感情的な論難をやり合うといった論争が行われた。この論争にはほかに高橋義孝らも関わった[53]。作家の坂口安吾は国語改革に賛同しつつも覚えるのが面倒、交ぜ書きは読みにくいとして、漢字制限盲信も古語教育もナンセンスとした[57][58]

しかし結局「現代かなづかい」「現代仮名遣い」は、現代日本の規範として定着した[14]。ただし一部の文化人の間には「歴史的仮名遣いの方が優れている」という意見が少なからず見られ[注 8]、現在も歴史的仮名遣を支持する者が少なからずいる[注 9]

語の意識と仮名遣い

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「語に随う」

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橋本進吉や福田恆存は、仮名遣いの原理を「音にではなく、語に随ふべし」とした[61][62]。仮名は確かに表音文字だが、音韻を単位としてそれに対応するのではなく、表音文字の結合したものを単位として語に対応するとする。つまり音韻と表記は必ずしも一致するものではない[63]。ただし橋本や福田も指摘するように、「現代かなづかい」は完全な音韻対応ではなく、一部に表語機能を残している。また「むかひて」が促音便化して「むかつて」と書かれることは「臨機の処置にすぎぬ」として表語機能の反例にはならないとする[64]

一方「現代かなづかい」制定側の国語審議会の中でも、完全な表音ではうまくいかないと考え始め、土岐善麿は新仮名遣いも「正書法」であるとすれば説明がつくと考えた[65]

今野(2014)は「語に随う」と似た概念を、「かつて書いたように仮名を使う」と表現している。そしてこれは必ずしも「語が識別しにくくなるから」ではない[66]

語源意識

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1946年に公布された「現代かなづかい」は「語に随う」面を残したため、語源の認定の仕方によって表記の揺れが起こりうる。当初は表音主義で考え始めたため、基本的に同じ音韻は一通りに書くことを原則としたが、いくつかの例外を設けた。その例外の一つが「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けである。

本則は「じ」「ず」を用いるが、「同音の連呼によって生じた」場合と「二語の連合によって生じた」場合には「ぢ」「づ」を用いることとなった。前者は「ちぢむ」「つづく」のようなものである。ただし「いちじく」「いちじるしい」などは本則どおりとされた。後者は「はなぢ(鼻血)」「みかづき(三日月)」などであり、これらは「はな+ち」「みか+つき」と分析できるので、語源となる語を表すこととなった。しかし現代人の意識では2語に分析しにくいものは本則通りとし、例えば「世界中」「稲妻」は「せかいじゅう」「いなずま」とされた。後者の規定は1986年に許容を広げることとなり、「せかいぢゅう」「いなづま」と書くこともできるとされた。このように、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けは、語の意識の有無を判定しなければならない[67][68]

同様に語源意識が問題となるものに「は」がある。/wa/と発音されるものは「わ」と書くのが本則であるが、助詞の「は」は慣習を残すこととなった。すると「あるいは」「こんにちは」「すわ一大事」などを「は」「わ」どちらにすべきかが問題となる[69]

和語と漢語

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和語と漢語で異なった表記が行われることがある。和語の仮名遣いには歴史的仮名遣いを用い、漢語の仮名遣い(字音仮名遣い)には表音式仮名遣いが主張されることが少なくない[注 10]。「棒引き仮名遣い」においても、長音符「ー」は和語には適用されず漢語のみである[70]。「現代仮名遣い」では和語と漢語を区別しない[71]

外来語の仮名遣い

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漢語以外の語彙が日本語の中に流入すると、その表記が問題となる。大航海時代以来、そして文明開化以来、多くの外来語が日本語の語彙として仮名表記されてきたが、その仮名遣いの基準は20世紀末まで持ち越された。国語審議会は1991年に「外来語の表記」を答申、同年告示された。その特徴は、1語に複数の表記を認める、緩やかな「よりどころ」であった[72]

音韻と仮名遣い

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「現代語音」と個人差

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1946年の「現代かなづかい」では、「表音式」とは謳っていないものの、「現代語音」に基づくとされた。これに対して、現代語でも方言差や個人差があったりするし、現代語の発音がまだ十分に明確になっていないと論じられることがある[注 11]。しかし仮名遣いを決める際には方言や個人差は考慮しなくてもよく、また標準的な音韻の確定していない語彙は少数にとどまるとされる(江湖山[73])。

「現代かなづかい」のオ列長音と歴史的仮名遣いからの継承

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「現代かなづかい」は、当時歴史的仮名遣いを使っていた人々に向けて作られたものである。そのため、歴史的仮名遣いを知っていなければわからないものとなっていた[74][75]。例えば「氷」「通る」「遠い」「大きい」などは「に発音されるは、と書く」のような表現が取られ、オ列長音とは見なされなかった。そこで1986年の「現代仮名遣い」は、歴史的仮名遣いの知識を前提としないように整備されたが、規範そのものは基本的に改められず[76]、「こおり」「とおる」といった仮名遣いも「慣習を尊重した表記」として残った[77]

上代特殊仮名遣とヤ行のエ

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歴史的仮名遣いはいろは47字の体系で決められている。実際、少なくとも11世紀末から12世紀初頭にかけての頃には文字の区別として47字の区別があった[78]。しかし一方、音韻の区別として47音の区別をする音韻体系であったのは、10世紀後半頃の比較的短い期間に過ぎない[79]。それ以前はもっと多くの区別があったことがわかっている。

石塚龍麿は『仮名遣奥山路』(『仮字用格奥能山路』、かなづかいおくのやまじ、かなづかいおくのやまみち)を著し(1798序)、万葉仮名で書かれた上代文献にはエに2種類あること、そしてキやコ、ヌなど十数個の仮名にもそれぞれ2種類の使い分けがあることを発見した。しかし宣長がその意義を認めなかったこともあり、出版はなされず、長く忘れられていた。大正に入り橋本進吉が「国語仮名遣史上の一発見:石塚龍麿の仮名遣奥山路について」という論文を発表し、龍麿の研究が再評価された。この万葉仮名の使い分けは以後「上代特殊仮名遣」と呼ばれるようになった。なおヌに2種類あったのではなく、その片方はノの一種であってノに2種類あったのだと考えられるようになった[注 12]

奥村栄実(てるざね)は『古言衣延弁』(こげんええべん)を著し(1829年序、没後1891年刊)、延喜天暦(901-957)以前はア行のエとヤ行のエに区別のあったことを示した。そして仮名遣いとしてア行のエを「衣」、ヤ行のエを「江」を元にした仮名を主張した。一方ア行のイとヤ行のイ、ア行のウとワ行のウの区別をする説も当時あったのだが、実際はその区別のないことをも論じた[81]

栄実の仮名遣いもまた一般に知られなかったが、明治に入って大矢透が栄実の正しいことを論証し(『古言衣延弁証補』1907年、1932年単行本刊)、擬古文を書く際には仮名を区別すべきことを述べた。しかしこれもまた明治期の「歴史的仮名遣い」には影響を与えず、一部の学者の間で知られるに留まった。

契沖仮名遣いが「古代に復する」のであれば、これら十数個の音節を仮名遣いとして区別しなければならないはずとの考えもある[82]

歴史的仮名遣いにおける撥音

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字音仮名遣いにおいて契沖は n韻尾を「ン」、m韻尾を「ム」と区別した。しかし本居宣長はこれを区別せず、一律に「ム」とした。これはいろは47文字の中に「ん」がはいっていないためだと考えられる[37]。この点は太田全斎漢呉音図』(1815序)で訂正された[83]

しかし n と m の区別は漢字音のみならず、和語の撥音便にも生じることであり、延喜・天暦以前は表記上も区別があった。例えば「ツミテ」からの音便形は「ツムテ」と表記され、「ナリヌ」からの音便形は「ナンヌ」または「ナヌ」と表記された[84]

歴史的仮名遣いが「古例」に基づくのであれば、これらを書き分けるのが筋である[85]との考えがある。しかしこの区別も歴史的仮名遣いには採用されなかった。

現代仮名遣いにおける長音

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「現代仮名遣い」において、平仮名と片仮名との間に基本的に区別はなく、平行的に扱われている。しかし長音については、平仮名と片仮名とで相違があり、長音符「−」が片仮名において使用されている。片仮名においては「5種類の長音」ではなく「長音という一つの音韻」を認める立場の表記法である[86]

脚注

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注釈

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  1. ^ 例えば時枝誠記など。
  2. ^ a b 大野晋「仮名遣の起原について[19]」による[20]
  3. ^ 『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名である可能性がある[34]
  4. ^ 『古言梯』の「附言」による。
  5. ^ 清水浜臣「古言梯標註後序」による。なお、春海は1811年(文化8年)に死去している。
  6. ^ 古田東朔の研究による[39]
  7. ^ 古田東朔の説による[40]
  8. ^ その際に理由として挙げられる多くは「語源が分からなくなってしまった」や「江戸時代以前の古典文学はもとより、たかだか60年しか経過していない戦前の文学作品でさえ、読むのに難渋するものになってしまった」などである[59]
  9. ^ 例えば昭和34年(1959年)に、戦後の国語改革に疑問を有する各界有志160余名の賛同を得て設立された「國語問題協議會」は、現代仮名遣いに対する活発な反対運動を展開している[60]
  10. ^ 例えば福田恆存など。
  11. ^ 例えば前者は山田孝雄、時枝誠記など。後者は山田、岩淵悦太郎など。
  12. ^ 橋本進吉の説による[80]

出典

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  1. ^ 蜂谷 清人 (2007).
  2. ^ a b c d 橋本進吉「仮名遣について
  3. ^ 築島 裕 (1981), p. 324.
  4. ^ 白石 良夫 (2008), p. 12.
  5. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 83–86.
  6. ^ 築島 裕 (1986), pp. 8–9.
  7. ^ 築島 裕 (1986), pp. 7–8.
  8. ^ 築島 裕 (1986), p. 8.
  9. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 165–166.
  10. ^ カナモジカイ国語国字問題講座
  11. ^ 今野 真二 (2014), p. 193.
  12. ^ 橋本。金田一1947。
  13. ^ 江湖山 恒明 (1960), p. 第2部第1章。.
  14. ^ a b c 『言語学大辞典第6巻術語編』三省堂、1996年。
  15. ^ 江湖山 恒明 (1960), p. 第2部第4章。.
  16. ^ 築島 裕 (1986), p. 13.
  17. ^ 築島 裕 (1986), p. 12.
  18. ^ 築島 裕 (1986), pp. 13–14.
  19. ^ 国語と国文学』第27巻12号、1950年。後に『語学と文学の間』(岩波書店〈岩波現代文庫〉、2006年。ISBN 4006001541)に収録。
  20. ^ 築島 裕 (1986), pp. 26–27.
  21. ^ 築島 裕 (1986), pp. 23–29.
  22. ^ 『下官集の諸本』浅田徹(『国文学研究資料館紀要』第26号、2000年)。
  23. ^ 小松英雄「藤原定家の文字遣」『日本語書記史原論』笠間書院、1998年。
  24. ^ 白石 良夫 (2008), p. 67.
  25. ^ 大友信一「解題」『仮名文字遣』駒澤大学国語研究資料第二、1980年。
  26. ^ 山田 孝雄 (1929), p. 16.
  27. ^ 築島 裕 (1981), p. 331.
  28. ^ 築島 裕 (1986), p. 45.
  29. ^ 築島 裕 (1986), pp. 46–49.
  30. ^ 築島 裕 (1981), p. 333.
  31. ^ 築島 裕 (1986), pp. 93–94.
  32. ^ 築島 裕 (1986), p. 104.
  33. ^ 築島 裕 (1986), pp. 54–55.
  34. ^ 今野 真二 (2016), p. 198.
  35. ^ 岩澤 和夫 (2001), p. 275.
  36. ^ 木枝 増一 (1933), p. 181.
  37. ^ a b 築島 裕 (1986), pp. 123–124.
  38. ^ 築島 裕 (1986), p. 126.
  39. ^ 築島 裕 (1986), pp. 133–134.
  40. ^ 築島 裕 (1986), p. 136.
  41. ^ 築島 裕 (1986), pp. 140–141.
  42. ^ 築島 裕 (1986), pp. 141–146.
  43. ^ 築島 裕 (1986), pp. 152–153.
  44. ^ 築島 裕 (1986), p. 154.
  45. ^ 築島 裕 (1986), p. 152.
  46. ^ 築島 裕 (1986), pp. 154–157.
  47. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 118–123.
  48. ^ 築島 裕 (1986), pp. 153–154.
  49. ^ 築島 裕 (1986), pp. 158–160.
  50. ^ 築島 裕 (1986), p. 159.
  51. ^ 築島 裕 (1986), p. 160.
  52. ^ 築島 裕 (1986), pp. 147–149.
  53. ^ a b c 土屋 道雄 (2005), p. 152.
  54. ^ 金田一1957、300頁。
  55. ^ 今野 真二 (2014), p. 233.
  56. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 133–134.
  57. ^ 坂口安吾『新カナヅカヒの問題
  58. ^ 坂口安吾『文字と速力と文学
  59. ^ 青木 逸平 (2005), p. 133.
  60. ^ 土屋 道雄 (2005), pp. 270–271.
  61. ^ 橋本進吉「表音的仮名遣は仮名遣にあらず
  62. ^ 福田 恆存 (1987), p. 471(初刊新潮社、のちに文春文庫)
  63. ^ 福田 恆存 (1987), pp. 486–487(初刊新潮社、のちに文春文庫)
  64. ^ 福田 恆存 (1987), p. 483(初刊新潮社、のちに文春文庫)
  65. ^ 『声』6号、座談会。福田全集に引用、633-634頁。
  66. ^ 今野 真二 (2014), p. 27ほか.
  67. ^ 福田 恆存 (1987), p. 454(初刊新潮社、のちに文春文庫)
  68. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 158–160.
  69. ^ 白石 良夫 (2008)本節全体は第6章。
  70. ^ 森田富美子「現代仮名遣い」『講座日本語と日本語教育第8巻 日本語の文字・表記(上)』明治書院、1989年。
  71. ^ 今野 真二 (2014), pp. 226–229.
  72. ^ 野村 敏夫 (2006), p. 204.
  73. ^ 江湖山 恒明 (1960), p. 212.
  74. ^ 福田 恆存 (1987), p. 452(初刊新潮社、のちに文春文庫)
  75. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 143–145.
  76. ^ 白石 良夫 (2008), pp. 148–149.
  77. ^ 白石 良夫 (2008), p. 150.
  78. ^ 築島 裕 (1986), p. 17.
  79. ^ 築島 裕 (1981), p. 326.
  80. ^ 築島 裕 (1986), p. 107.
  81. ^ 築島 裕 (1986), p. 109.
  82. ^ 築島 裕 (1986), p. 108.
  83. ^ 築島 裕 (1986), pp. 127–128.
  84. ^ 馬淵 和夫 (1971), pp. 86–87.
  85. ^ 築島 裕 (1986), p. 130.
  86. ^ 今野 真二 (2014), pp. 243–245.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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